王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第四話 イリの竜騎士

 マシーナの拳骨が、思いっきりルギーの頭に降り下ろされた。

 

[ってーな、何すんだよ!]

[この馬鹿! 付いて来るなと言っただろうがっ! 王太子様に襲いかかるなんて、処刑されたいのか?]

[るせーっ! イリは俺がもらうんだ! あんな奴に絶対渡さないよ!]

 

 マシーナは呆れかえってもう一度、拳を彼の目の前に見せる。

 見習い竜騎士のルギーには全く反省の色が無く、今にも目の前の拳に噛み付きそうな凶暴な表情をしている。

 テオフィルスは鼻で笑った。

 

[ルギー、お前の賢明なところは、竜騎士の装備一式を捨てずに、他の荷物に紛れ込ませたところだ。それだけは褒めてやる]

 

 ルギーはばつが悪そうに、声の主を見た。

 テオフィルスが怒っているのは、明白だ。

 自分の取った行動のせいで、竜騎士達の立場を危険なものにしたのだから。

 

[エステラーン王から、竜騎士全員の即時退去の申し入れがあった。とんでもない事をしてくれたな、ルギー!]

[だって、イリが……]

[イリが王太子を選んだ、お前じゃない! あきらめて、アルマレークへ帰れ!]

 

 ルギーの目から悔し涙が流れた。

 老トムニの竜イリは、本来見習い竜騎士の彼が受け継ぐはずだったのだ。

 イリが彼を選ばなかったという事は、また別の見習い先を探さなければならない。

 

[仕方がないだろう、イリはお前の指示を受け付けない。別の竜を探すんだ]

 

 ルギーは項垂れたまま、しばらく泣き続けた。

 テオフィルスはマシーナに指示を出す。

 

[イリが王太子の指示も受け付けなくなったら、俺が処分する。マシーナ、竜騎士隊の指揮は頼んだぞ]

[私は残りますよ、若君。何があっても若君を守ると、お館様に誓いを立てたんです。異国で殺される覚悟が無くて、竜騎士が務まりますか?]

 

 竜騎士は空を飛び、友好国を行き来する。

 異国で死を迎える者の方が多いのだ。

 

[妻と子供がいるんじゃないのか?]

[今回の任務が危険な事は知らせてあります、大丈夫ですよ]

[そうか……。ではあの王に、お前が残れるように頼んでみる]

 

 テオフィルスは厳しい顔付きで頷き、他の竜騎士達に、低いが良く通る声で告げた。

 

[では、俺とマシーナ以外の、全員の退去を命じる!]

 

 竜騎士達は命令に従う意思を、敬礼で表した。

 ルギーは泣きながら、テオフィルスを見る。

 長身の竜騎士は、微笑みながら言った。

 

[元気でいろよ。良い竜を見つけるんだ、ルギー]

 

 それがまるで別れの言葉であるように聞こえ、ルギーは初めて気がついたのだ、テオフィルスが死を覚悟している事に。

 

 

 

 

 

 竜騎士の装備を身に付けた僕は、それが以前着た物と、格段に違う事に驚きを感じていた。

 違和感が全然無く、竜の臭いも無い。

 まるで僕のために作られたように、身体に馴染んだ。

 セルジン王は胸甲に印された、指輪に絡んだ竜の紋章を見ながら、無表情に呟く。

 

「これは、フィンゼル家の紋章だな。同じものをエドウィンが身に付けていた」

 

 僕はショックを受け、テオフィルスの大胆さに脅威を覚えた。

 

「脱ぎます、こんなもの!」

「いや、良い。あの竜はレクーマの子と聞いた。これが必要なのだろう」

「でも……」

「アルマレーク共和国の特使が各国に派遣されたそうだ。これで避難民達の引き上げが容易に行われるだろう。本来なら彼等を歓待すべきなのだが、それとアルマレーク人のエステラーン滞在は別問題だ」

「……」

 

 王は一瞬遠くを見ると共に、深い溜息を吐く。

 自分の記憶の中に入り込んでいるように、僕には見えた。

 王の次の言葉をしばらく待つ。

 長い沈黙の後で、王は何かを決意するように重々しく告げた。

 

「オリアンナ、私は七竜リンクルと話した」

「え?」

 

 一瞬、王が何を言ったのか理解出来なかった。

 なぜ、竜騎士でもないセルジン王が、七竜リンクルと話せるのか。

 王の深刻そうな顔に僕は不安を覚える。

 

「七竜レクーマの指輪を捜し出さなければ、竜がエステラーン王国に攻め入る」

「ええっ?」

 

 王は指を口に当て、他に聞かれないように小声で話す。

 

「エドウィンの行方は、知っているのか?」

「父はブライデインの《聖なる泉》で、僕を待っています」

「リンクルの推測通りだな。だが、あそこは消滅している」

 

 僕は真っ青になる。

 

「そんな……、父は?」

 

 僕は父の言葉を思い出していた。

 

《私は君を助けるために、レントの泉、メイダールの泉、トレヴダールの泉、ディスカールの泉にそれぞれ(しるべ)を残す予定だ。導は君を守る泉の精の魔力だ。全て受け取ってブライデインの泉へ来てほしい》

 

 その言葉は十一年前に語られたものだ。

 そして泉の精の言葉。

 

《行くのです、エドウィンの待つ《聖なるブライデインの泉》へ。会えば、全てを理解出来るでしょう》

 

「でも泉の精は、父は《聖なるブライデインの泉》にいると言っていました。僕は、その言葉を信じます!」

 

 毅然と言う僕の頬を、セルジン王は優しく触れた。

 

「そう信じるのなら、きっとエドウィンは生きているのだ。そなたが行けば、《聖なる泉》は復活するのかもしれぬ。場所は判るか?」

 

 僕は王の腕の中で、首を横に振った。

 

「王都の城壁の少し離れた西側に、イルーの大河が流れ込んでいる。その中洲にブライデインの《聖なる泉》があったが、今は中洲自体が無い」

「どうやって見つければ……」

「判らぬ」

 

 僕は不安に王を見つめた。

 彼は安心させるように微笑み、周りを見回した。

 広い天幕の中で、僕の鎧の装着を手伝っていた騎士の従者達、近衛騎士、数名のモラスの騎士、そして忙しく立ち働く侍女達がいる。

 

「《聖なる泉》への道は存在している。場所が判らない訳ではない。ブライデインへ着いた時に辿り着けるよう、皆に手配しておこう。問題はそなただな」

「僕?」

 

 王はからかうように、にっこり笑う。

 

「泳げるのか? おそらく船が無いだろう」

 

 僕は顔を引き攣らせた。

 泳ぎは大の苦手だ、過保護な領主の方針で城壁の外に出る事が出来ず、城壁の外堀で泳ぎの訓練を受ける事が出来なかった。

 中洲を探して、泳がなければならない事を思うと泣きそうになる。

 

「泳げません。どうしよう……」

「船を見つけ出し、漕ぎ手も確保するしかないな」

「セルジンは、一緒に中洲へは?」

 

 王は悲しむような表情で、首を横に傾けた。

 長い黒髪が流れるように揺れる。

 

「私の身が持てば共に行けるが、あまり期待はしない方がいい。私は影だ、何の理由で消えるか判らぬ」

「セルジン……」

 

 王の腕の中で、僕は不安に怯える。

 王は微笑みながら、優しく言った。

 

「それより今やるべき事がある。アルマレーク人の竜は王国に長く留まれば、正気を失っていくだろう」

「あ……」

 

 僕はマルシオン王の言葉を思い出した。

 

《我が国はもはや修復の出来ない程の被害を受けた。山系の竜は王都メイダールを焼き尽くし、私は水晶玉の中で暗黒の王として国中を破壊した》

 

 山系の竜によって(いにしえ)のエステラーン王国は一度滅ぼされかけた。

 マルシオン王が〈ありえざる者〉と取引して、竜の牙を抜いたのだ。

 つまり七竜が竜を支配して、大人しくさせている。

 その支配が王国に竜が長く留まると、及ばなくなる。

 

「そなたに懐いている竜……、イリだったか。あの竜も含めて、アルマレーク人と竜を共和国へ帰らせるのだ。判ったな」

「はい!」

 

 イリとのせっかくの再会も、水晶玉の魔力のせいで阻まれる。

 僕の腰に提げた《ソムレキアの宝剣》を見つめた。

 テオフィルスの残酷な言葉が、刺さった棘となり心に痛みを与える。

 

《イリがこうなったのは、お前のせいだ! お前がイリの背中であの宝剣を光らせてから、竜騎士の言葉を受け付けなくなった!》

 

 僕は王に抱かれながら、引き裂かれるような胸の痛みに耐えていた。

 

 

 

 天幕の外では、竜イリが人の出入りを阻むように居座って、僕が現れるのを待っていた。

 イリを取り囲んでいた竜騎士達は配置を解き、それぞれが出立の準備をしている。

 天幕の外に出た僕は、イリが動き出すのを見ていた。

 細い瞳孔が徐々に丸みを帯び、可愛らしく僕を見ている。

 

「イリ」

 

 僕が篭手をした手でイリの顔に当てようとした時、鋭い低い声がそれを止めた。

 

「前に言ったはずだ、顔に触るな、ヘタレ小竜! 大火傷をしたいのか」

 

 僕は動きを止め振り返ると、不機嫌に睨むテオフィルスが立っていた。

 

「竜に触れたい時は、停止している時の前足を叩け。動いている時は近づくな」

 

 彼が近づき、護衛達が一斉に緊張するのを僕は感じた。

 テオフィルスは一定の距離を置いて止まる。

 

「お前は今から竜騎士見習いだ。覚悟しろ」

「……イリに命じるだけじゃダメなのか?」

「当然だ! 竜は空を飛ぶ。お前も一人で竜に乗れるようにならないと、完全に制御は出来ない」

 

 僕は驚き、周りの護衛達は異議を唱えた。

 一人で竜に乗る等、考えられない事だ。

 

「お前なら出来る。既にイリの心を掴んでいるからな」

 

 僕はイリを見上げた。

 竜は撫でて欲しいとまた顔を近づけてくる。

 テオフィルスの指示に従い、イリの前足を叩いた。

 するとイリが喜びの唸り声を出す。

 その姿は可愛らしく、僕は微笑んだ。

 

「テオフィルス、竜はエステラーン王国に近づかない方がいい」

「……何の事だ?」

 

 視線を彼に戻し、冷静に説得を試みた。

 

「エステラーン王国の水晶玉に近づくと、竜は狂暴になる。(いにしえ)の争い事に、イリを巻き込みたくない」

 

 テオフィルスはハッとして、僕を見つめた。

 

「お前はあの時……、〈ありえざる者〉の言葉を聞いていたのか?」

「え? 〈ありえざる者〉を知っているのか?」

「……」

 

 少し嫌そうな顔をしている彼は、そのまま何も言わない。

 あの時が何時の事なのか判らないが、彼の口から〈ありえざる者〉の言葉が出てきたのは二度目だ。

 あきらかに何か知っている。

 

「とにかく僕がイリに、君の言う事を聞くように、言うだけじゃ駄目なのかな?」

「それは……、そうなれば一番問題は少ない」

 

 僕はイリを見上げた。

 竜は僕を見下ろし、可愛らしく首を傾げる。

 

「イリ! お願いだ、僕の言う事を聞いてくれ。」

 

 イリは返事をするように、小さく鳴く。

 

「テオフィルスの言う事を聞くんだ! 僕は君を連れていけない。君のためなんだ。君を狂暴な竜にしたくない!」

 

 竜は抗議するように鳴いた。

 

「お願いだよ、イリ。困らせないでくれ。テオフィルスの言う事を聞いてくれ! そうでないと、僕は君を嫌いになるよ!」

 

 イリは落ち込んだように、首を胴に付けて悲しげに鳴いた。

 その悲しみに、僕の心が痛む。

 

「ごめんよ、イリ。君と一緒にいたいけと、それが許されないんだ。解ってくれ」

 

 僕はイリの前足に抱きついた。

 テオフィルスはそんな僕を、もの言いたげにじっと見つめている。

 イリは首を胴から離し、嫌そうに顔を〈七竜の王〉に向けた。

 そして抗議するように、再び鳴く。

 彼は微笑んだ。

 

[怖がらせて、すまなかった、イリ。俺はお前を、本当は殺したくない]

 

 彼はイリに近づく。

 イリは警戒し少し後退り、僕はイリの足元から飛び退いた。

 

「イリ、怖がらないで! テオフィルスを信じるんだ」

 

 イリは僕にも抗議した。

 怒っているように少し翼を広げ、首を振った。

 僕の周りの護衛達が警戒し、竜に立ち向かう。

 

[イリ!]

 

 テオフィルスの低い声が、竜を制した。

 

[〈七竜の王〉として命じる。俺に従え!]

 

 その言葉にイリの動きを止め、あきらめて首をテオフィルスの前の地面に降ろした。

 彼から、安堵のため息が漏れる。

 僕はイリが〈七竜の王〉を受け入れた事を悟った。

 緊張が解けると同時に、言い知れぬ悲しみに涙が出そうになった。

 

「これでイリは帰れる。アルマレークで幸せに暮らすんだ」

 

 竜は別れを惜しみ、僕に向けて鳴いた。

 僕はイリの前足を叩き、別れの挨拶をする。

 テオフィルスがイリに近づいたが、竜は抵抗する事はなかった。

 彼はイリに飛び乗り、僕に振り返る。

 

「感謝する。エステラーン王国の王太子殿」

 

 珍しい程の素直な礼に、僕は狼狽えた。

 

「い、いや、……どうって事はない。イリを頼む」

 

 テオフィルスは微笑み、頷く。

 

「その竜騎士の装備一式は、今回の礼だ。どんな鎧よりもお前を守る。常に身に付けていろ」

 

 僕は嫌そうな顔をした。

 テオフィルスは声を出して笑った。

 

「全員、騎乗!」

 

 彼の号令に、竜騎士全員が騎乗した。

 ルギーは、レクーマオピオンの竜騎士の前に騎乗する。

 テオフィルスの荷物を、マシーナが慌てて運び竜エーダに括り付ける。

 セルジン王が僕の天幕から姿を現した。

 竜の説得に成功した事を、王の伝令が逐一報告していたのだ。

 

「セルジン国王陛下と国王軍の、御武運をお祈りする。協力が必要な時は、アルマレーク共和国はいつでも馳せ参じる用意がある事を、どうか忘れないでもらいたい」

 

 王は深く頷き、右手を上げて答えた。

 

「出立!」

 

 テオフィルスの合図に、先発の竜が一騎、翼を広げ飛び上がった。

 凄まじい風圧と舞い上がる砂塵に、国王軍の兵達は身を屈める。

 一騎が完全に飛び立ったのを見計らい、次の一騎が飛び上がる。

 その壮観さに、僕の心が踊った。

 僕の中に眠る竜騎士の血が、逆流するように主張するのを必死に抑えた。

 

 テオフィルスとイリが飛び上がる。

 僕の瞳から、自然に涙が溢れた。

 なぜ泣くのか、自分でも解らなかった。


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