王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第十一話 白い闇に潜む者

「セルジン様、来ます!」

 

 モラスの騎士総隊長ルディーナの王に対する名前での呼びかけが、僕にとっては衝撃的だった。

 二人がとても仲の良いように見えて、嫌な気持ちになる。

 そう思っていると、僕の横にいる王が顔を(しか)めて呼びかけた。

 

「オリアンナ、そなたの感情は外に漏れすぎだ。もう少し押さえてくれ、気が散る!」

「え?」

 

 何の事か、解らない。

 

「陛下、あの者です!」

 

 ルディーナが王の呼び方を変えた。

 二人の様子から、僕の心が読まれている事に狼狽える。

 彼女の言葉と同時に目の前の霧が晴れ、背に黒い翼のある一人の少年が姿を現した。

 

 ハラルド・ボガードだ。

 

 彼の歪んだ口元には、残忍な笑みが浮かんでいる。

 

『やあ、オーリン、ずいぶん厳重な守られ方だな。お前に近づくのが、難しいよ』

 

 モラスの騎士達が剣を手に、彼を取り囲む。

 ハラルドは一歩前に進もうとして、まるで弾かれるようにその姿を歪める。

 歪んだ彼の姿が片手を上げると、突き上げる振動が起こり、僕を乗せた馬が動揺する。

 白一面の霧の中で地の底から湧き上がる汚泥のような黒い渦が、足元から馬ごと僕を丸飲みした。

 恐怖で、息が荒くなる。黒い渦から無数に飛び出る魔物の口が、一斉に僕に襲いかかる。

 僕は馬上で身を縮め(よじ)り、バランスを崩して落ちそうになる。

 

「うわっ」

「幻覚だ、狼狽えるな!」

 

 冷静な王の声が聞こえる。

 王の姿を思い浮かべると魔物の口も暗闇も消え、王が僕の横に再び姿を見せた。

 僕は青ざめた顔色で、肩に腕を伸ばし抱きしめようとする王にしがみ付く。

 攻撃を受けているのが、嫌という程理解出来た。

 モラスの騎士達と王がいなければ、僕はどうなっていただろう。

 

 ハラルドが(あざけ)るように笑う。

 

『アーハッハッ、オーリン、僕の義弟(おとうと)。お前は女なんだな。そうと知っていれば、僕の女にしてやったのに』

 

 気分が悪くなる。

 彼に陵辱され、なぶり殺された女を何人も知っているからだ。

 ハラルドの残虐性は幼い頃からのものだ。

 何度も殺されかけ奇跡的に生き残ってきた僕は、彼の挑発には乗らない。

 

「汚らわしい身で、本当にオーリンの姿が本当に見えるのか? 闇に馴染んだ今のそなたの目は、光に包まれた者を見る事も出来まい。触れて傷付くのは、堕ちたそなたの方だ!」 

 

 セルジン王が逆に挑発を返す。

 憎しみに満ちた表情を浮かべて、ハラルドが腕を振った。

 するとその腕から屍食鬼の大群が飛び出し、こちらに襲い来る。

 恐怖から、王にしがみ付く。

 王は長剣を振るい、屍食鬼の幻覚は、一瞬で霧散した。

 

「そなたは元来、魔界域の住人。《王族》や天界人に憎しみを向けるのは当然だろう。幼いの頃からの悪行に〈契約者〉となる予想はついていたが、領主の子として大目に見て来た。だが〈契約者〉となった以上、それも終わりだ!」

『ふん、僕は殺せないよ』

 

 ハラルドの周りから、これまでにない憎悪の黒い渦が沸き起こる。

 

「……愚かな、子供だ。魔王が水晶玉から解放されれば、そなたも終わるものを!」

 

 王が挑発を繰り返す。

 そんなに刺激をしたら、攻撃が彼に集中するのではないかと、僕は心配になる。

 黒い渦は蜷局を巻いて、槍の如く王を貫こうとする。

 気味の悪い恐怖の塊が、凄い速さで近付く。

 

 その時、セルジン王は僕を抱きしめる左手に剣を持ち替え、右手を黒い渦の進行を阻むように前面へ押し出す。

 黒い渦が到着した瞬間、全て王の右手に吸い込まれ消えた。

 ハラルドの顔が引き攣る。

 

『私はそなたの主と同じ、水晶玉の魔力の影だ、それは通じぬ。去れ! 〈契約者〉、目障りだ!』

 

 王の身体から一筋の光が躍り出て、ハラルドを貫いた。

 彼はまるで拗ねた子供のような表情で、王を恨み睨む。

 そして消える直前に、僕に歪んだ笑みを見せながら一点を指差した。

 

 その一点――霧深い白い闇の中から、エランが現れたのだ。

 ハラルドが消えた後に、別の恐怖がやって来た。

 エランと対峙する恐怖だ。

 呪の魔法を掛けられた彼は、まるで誰かが憑依しているように、彼本来の表情を欠いて立っていた。

 モラスの騎士達が、エランを取り囲む。

 僕は馬を降りて駆け付けようとしたが、馬上で王に腕を掴まれ降りる事が出来ない。

 

「離して下さい、陛下」

「ならぬ! 彼等に任せておくのだ。私の側を離れるな」

「でも、エランが……」

「オリアンナ、よく見るのだ」

「え?」

 

 王は僕を、エランの方へ向かせた。

 よく見ると彼の周りに黒い渦が取り巻き、それは一つの形を作り始めている。

 翼のある人か獣か判らないものが、彼の周りを覆い同化したがっているように見えた。

 

「エランに掛けられた呪の魔法は不完全だ。額飾りの魔力が効いていても、屍食鬼になってしまう者が多いというのに、彼の意志の抵抗が強い」

 

 僕は愕然とした。

 

「まさか、あのまま屍食鬼に?」

「落ち着け、彼は屈しない、そなたが寄り添う限り。見るがいい、額飾りが光を帯びている。あんな状態でも希望を失っていない証拠だ。彼はいずれハラルドの呪を打ち破る、必ず!」

「…………」

 

 王の言葉は希望を感じさせたが、実際のエランはとても苦しんでいるように見える。

 

「早く助けて下さい、苦しんでいる」

「まだ完全に現れていない。まだだ」

 

 黒い渦は今やエランを乗っ取るように、完全に屍食鬼の形を取り始めている。

 次の瞬間エランの周りに、緑色の光が輝き始めた。

 

「陛下!」

 

 ルディーナが冷静に呼びかける。

 王は右手を前に突出し、先程ハラルドの黒い渦を吸い取ったように、エランに覆い被さる黒い渦を吸収し始めた。

 僕は王の魔力に驚き、また心配になる。

 影とはいえ、黒い渦を二度も吸い取るのだ。

 セルジン王の顔が苦痛に歪み、王の影の濃さが増した。

 

 今まで、どれだけの影を吸い取ってきたんだろう?

 王の魔力が魔王のそれを下回ったのは、こんな事を繰り返してきたからじゃないのか?

 

 屍食鬼の黒い渦をすべて吸い取り、王は大きな溜息を吐いた。

 僕は支えたくて、王に触れた。

 

「構うな、私は影だ。苦痛は無い」

 

 そう言いながらも、王の影の身体が揺らめいている。

 心配している僕に、彼は微笑みを向ける。

 

「エランの心配をしなくて良いのか? モラスの騎士達が彼の身体を守ったが、意識を戻させるのはそなたの役目だろう?」

 

 僕は激しく首を振った。

 最初に助けなければならないのは、セルジン王だという事が嫌という程判る。

 僕は王の首に片腕を回し引き寄せる。

 彼は一瞬、僕が何をしようとしているのか判らなかった。

 

「どうした?」

 

 僕の唇が、王の唇と重なる。

 王はすぐに僕を、引き離した。

 

「それは通じぬ! 私は影だ、《王族》の魔力は効かぬ。早く、エランを……」

「あなたを、助けたい!」

 

 王の瞳に、怒りが混じる。

 

「エランを助けたくないのか、死ぬぞ! 早く行って、彼を救え!」

 

 憤る彼の命令に、僕は泣きながら馬を降りた。

 王に《王族》の魔力は効かない、王の《王族》の魔力は普通に効くのに、逆はありえないのだ。

 どうしたら王を救えるのか途方に暮れながら、エランの元へ走り寄る。

 王に心を奪われながらも、やはりエランも大事だと思う。

 

 僕は、子供だ。

 

 ルディーナの横を通りながら、そう思った。

 モラスの騎士達はエランを守る。

 彼を殺す存在と捉えていた猜疑心を、僕は恥じた。

 

 

 

 セルジン王は今のオリアンナの行為に、苛立ちを覚えていた。

 自分を救おうとする彼女の心を、受け止める事は出来ない。

 死は当然のように来るべきものだ、それを阻もうと彼女はしている。

 自分の守るべき存在が、警戒するべき存在へと変わってしまった事に、王は苛立ちを覚える。

 

 そして何より、無意識にオリアンナ姫に惹きつけられそうになる自分自身を、一番に警戒した。

 


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