王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第十話 モラスの騎士総隊長ルディーナ

「エラン・クリスベイン、今日はそなたの〈成人の儀〉だが、その前に、そなたの剣技の腕前を確認したい。トキ・メリマン、相手をしろ」

「はっ!」

「え?」

 

 突然のセルジン王からの、近衛騎士隊長トキとの御前試合の命令に、エランは緊張した。

 トキに剣技を度々鍛えられてはいるが、一度も勝てる気がしないのだ。

 王の従騎士になってからは、忙しすぎて訓練もままならないが、久しぶりの試合でトキとの手合せ。

 エランの中に、不安を払拭する程の、闘志が湧き起こった。

 

 

 

 テオフィルスにハンカチを返し損ね、それを懐深くに隠しながら、僕が王の側に戻った。

 丁度エランの剣がトキの剣に跳ね飛ばされるのも、十回目になろうかという頃だ。

 

 薄い霧の中での剣技は相手の動きが見えにくく、重い湿気に身体の動きが鈍る、さすがのエランも息が上がりかけていた。

 トキは容赦がなく、油断すれば目の前に剣を突き付けられる。

 一分の隙も見せられない。

 

 エランは僕が不在だった事に、気が付く余裕すらなかっただろう。

 二人の御前試合をぼんやり見ながら、頭の中はあの訳の解らない竜騎士と、愛の証のハンカチの事でいっぱいだった。

 

 エアリス姫に渡せって、そんな女いないんだよ。

 あれは僕だって、解っているくせに……。

 

 テオフィルスの真剣な眼差しが、余計に苛立ちを増幅させる。

 

 信じられない!

 王の婚約者の僕を、気に入っちゃったのか?

 それで愛の証を渡すって、正気か、あの男?

 

 考え過ぎて、頭が痛くなってきた。

 どう考えても深刻な事態、連れ去る宣言をされたようなものだ。

 

 どうしよう、このハンカチ……。

 エランと陛下のいない所で、捨ててしまおうか。

 

 テオフィルスには何度も助けられているが、王国の不利になる事態だけは避けなければならない。

 

「戻ったか、オーリン」

「あ……、はい。礼を言ってきました」

 

 話しかけられるまでセルジン王が側に来た事すら気付かなかった。

 王は僕の表情に、悩みが浮き出ているのを鋭く見抜く。

 

「どうした? まさか、悟られたのか?」

「それは、ありません。絶対に!」

 

 無理に笑顔を作って誤魔化した。

 王に内緒にする事がまた一つ増えた事に、僕は気が重くなる。

 

 

 

「おはよう、オーリン」

 

 出発の準備が出来た頃、聞きなれた優しい声が後ろからして振り向くと、エランの手が僕の頬に触れた。

 抱き寄せる手は意外と強引で、抵抗する暇もなく唇を奪う。

 

「おはよう、エラン。男同士が朝からそんなキスするか?」

「霧で見えない」

「誤解を招く、離せ!」

 

 僕は遠慮なく、彼の向う脛を蹴り飛ばす。

 オーリンとして存在している以上、女扱いを人前でされては困る、たとえ王配候補でも。

 それなのに何度言っても、エランは聞く気がない。

 だから僕も、実力行使で抵抗する事に決めていた。

 

「……痛いなぁ、そんなに暴れる事ないじゃないか。最近、倒れてばかりだから、心配しているんだよ。体調悪いんじゃないか?」

 

 しゃがみ込んで向う脛を痛そうに押さえ文句を言いながら、エランは心配そうに僕を気遣い見上げている。

 昨夜の事を、気にしているのだ。

 僕は腰に手を当てて、威勢を張る。

 

「そんな事はない、元気だ! 何だったら、もう一暴れしようか?」

「いや、もういいよ」

 

 エランは向う脛から手を離し、不服そうに立ち上がる。

 

 やっぱり、絶対捨てよう、あのハンカチ!

 

 そう決意した時、不意に霧の中からセルジン王が、数名の男達を連れて現れた。

 

「オーリン、出発する前に紹介しておこう。昨日ようやく国王軍に戻ってきたルディーナ・モラスだ。モラス騎士隊の総隊長で、外見はそなたと同じ年齢(とし)だ。友達になれるだろう」

 

 セルジン王は後ろに隠れている、恥ずかしがり屋の総隊長を前に押し出した。

 僕の目の前に、幾分小柄な銀色の髪の女騎士が現れた。

 全体的に色素の薄いルディーナは、不思議な青紫色の瞳で恥ずかしそうに僕を見ている。

 

「かっ、可愛い!」

 

 僕は頬に両手を当てて感動する。

 エランは頭を抱えながら、悪い病気がまた出たと言わんばかりに、大きな溜息を吐いて首を横に振った。

 僕は微笑みながら、彼女に握手を求めて右手を差し出す。

 

「僕はオーリン・トゥール・ブライデイン。ルディーナ、よろしく」

 

 握手の手が触れた時、誰かの思考が流れ込んでくる。

 

(オリアンナ様、側にいる男に気を付けて。彼を信用し過ぎてはダメよ)

 

 僕は慌てて手を引っ込め、ルディーナを凝視した。

 

「私は……、オーリン様にお会いできて嬉しく思います」

 

 恥ずかしそうな笑みなのに、外見と思考の違いに僕は戸惑う。

 彼女は僕よりかなり年上である事が、握手をした瞬間に理解出来た。

 それは敵を欺くためか、隠すべき事柄だと同時に判る。

 《王族》と思える程、彼女の魔力は強く、でも外には現れない。

 

 僕の側にいる男って……、エラン?

 

 ルディーナは頷く、僕の思考を読んだのだ。

 心が氷に触れたように緊張し、無意識にセルジン王に救いを求めた。

 王の後ろには十代後半と思える若者達が、十数名並び僕を見つめていた。

 

「モラス第一隊の騎士達だ。レント城を出てから、そなたを遠巻きに護衛してきたが、今日からルディーナもそなたの近衛騎士に加わり、モラス第一隊もそなたを守る、良いな?」

「……はい」

 

 エランが彼等に殺されてしまう気がして、僕は彼の手を握りしめた。

 

 陛下にエランを任せるって約束したのに……、信じられないのか?

 

 彼を守りたい気持ちと、王に従いたい気持ちが相反して、僕は苦しんだ。

 何も気づいていないエランは、呑気に笑っていた。

 

「何だ? 珍しく、人見知りか?」

 

 

 

 僕は不安を抱えながらモラスの騎士逹に囲まれ、メイダールの《聖なる泉》を目指し大学街を出た。

 濃い霧が視界を阻み、一行はゆっくりとしか進む事が出来ない。

 所々に掲げられた松明の灯りが、霧の向こうに人がいる事を物語っていた。

 

 しばらく行軍して森に入ったと思える頃に、一段と霧が濃さを増す。

 横にいたエランの顔が、白く陰る。

 冷たい湿気が意志を持つ生き物のように、体中にまとわりつき体温を奪う。

 ルディーナが僕の手を取り、火のついた松明を渡した。

 

「お持ち下さい。それぞれの位置を確認するための物です」

「ありがとう。聞いていいかな……、ルディーナさんは何歳?」

「……忘れました」

「…………」

 

 警戒心を持っているのは、お互い様なのか?

 成長を止めるなんて、そんな事出来るのか?

 そう出来たら、陛下の年齢を追い越さなくて済む。

 

 僕の心の中で、モヤモヤとした嫌な気分が沸き起こる。

 

 ……まさか、この(ひと)はそれを実践したのか?

 

 想像に過ぎないのに止めようとしても止まらない。

 妄想からくる嫉妬心に、僕は頭を抱えた。

 

「皆、松明を持って! 来るわ、味方を傷つけないで。オーリン様を守るのよ!」

 

 ルディーナの可愛い声が、どことなく心の緊張を解きほぐす。

 僕は自分の嫉妬心に、違和感を覚えた。

 気が付くと、一面白い闇の中だ。

 隣にいるはずのエランが、どこにいるのかも判らない。

 前方で悲鳴が上がり緊張で鼓動が高鳴る。

 僕の荒い息遣いが、周りの音を遮断し始める。

 

「屍食鬼だ。霧の中に屍食鬼がいるぞ、気を付けろ!」

 

 あちこちで戦いの雄叫びと悲鳴が上がり、不安が心を支配する。

 黒い影が馬の足元を走り抜けて行った。獣か、屍食鬼か区別もつかない。

 霧魔の恐怖を思い出し、僕の身体は震え始める。

 松明は役に立たず、火は今にも消えそうになっていた。

 混乱が国王軍を支配する。

 僕は《ソムレキアの宝剣》を抜こうとしたが、その手はいつの間にか馬を横付けにしたセルジン王によって掴まれた。

 

「霧の中では宝剣の光は届かぬ、そなたの体力を取られるだけだ。それより宝剣を奪われないようにするのだ」

「は、はい!」

 

 先程の馬の足元を通った黒い影は、姿を見せない。

 戦いの音が周り中から聞こえているのに、屍食鬼の姿は現れない。

 馬に乗ったセルジン王と馬の横に立つルディーナに挟まれて、何処か僕だけ別の空間にいる錯覚を覚える。

 解る事は、僕が完全な守りの中にいる事だ。

 突然、エランの声がした。

 

「うわあぁぁ! 助けて、オーリン、オーリン!」

「エラン? エラン、どこだ」

 

 王の腕が、僕の手を取る。

 

「惑わされるな。エランは何があっても、あのような情けない声でそなたを呼ばぬ! そうであろう?」

「……はい」

「彼は安全だ、そなたと同様に」

 

 確かに彼はあんな声は出さないし、少なくとも今まで聞いた事がない。

 僕は頭を振った。

 

 惑わされるな!

 

「セルジン様、来ます!」

 

 ルディーナの言葉に、僕は衝撃を受けた。

 陛下の事を、名前で呼んでいるのだ。

 

 いったい、どういう関係なんだ?

 


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