《ソムレキアの宝剣》の光が消え、テオフィルスの持つ月光石の柔らかい光が、辺りを照らし出す。
館は惨劇の
「お前のおかげで命拾いした。屍食鬼を追い払う貴重な石だ、凄い物を持っているな。ありがとう、これは返すよ」
マールの希少石を受け取り、割れてないか確認する。
希少石とは知らずに投げてしまったが、月光石に似て簡単には割れない石のようだ。
僕はホッとして、内懐に仕舞った。
「ここはお前にとって、つらい場所だったんだな。無理やり連れてきて、本当に悪かった」
不意にテオフィルスに優しい声で話しかけられ、小さい声で呟いたつもりだったのに、しっかり聞かれていた事に驚く。
謝った?
意外な反応に戸惑いながら、僕は宝剣を鞘に納め、わざと強がるように彼を睨みつける。
「君には処刑命令が出ている、僕を誘拐した罪だ。捕まったら確実に殺されるぞ、早く逃げろ」
それだけ言って、僕は出口に向かって走る。
外には国王軍が待機しているはずだ。
テオフィルスの危険性はよく判った、故国を救うためなら何でもするだろう。
王太子を人質に、自分達の要求を通そうとするかもしれない。
だが、扉に到達する前に、マシーナに阻まれた。
「残念ですが王太子様、まだ解放する訳にはまいりません。私達が無事逃げ延びるまで、お付き合い願います」
それでも逃げようとすると、宝剣を持つ腕を背後からテオフィルスが掴んだ。
興奮が冷めやらぬように、青い目がギラリと輝く。
「この剣は何だ? 凄い魔力を持っている。これがあれば、俺にも屍食鬼を追い払えるんじゃないのか?」
彼は宝剣を取り上げようとする。
両手で必死に宝剣を掴み彼と揉み合ったが、鍛え上げられた男の力に敵うはずもなく、振り払われそうになる。
あまりの横暴さに怒りを覚え、傷だらけの左手に思いっきり噛み付く。
これには彼も余裕を失い、容赦なく僕を床に蹴り飛ばす。
宝剣はテオフィルスの手に渡った。
「このっ!」
彼は痛みと怒りに、思わず自分の剣を抜く。
マシーナとトムニは緊張しながらお互いの顔を見、様子を見る。
相手は一国の王太子、無用な争いは避けるべきだが、〈七竜の王〉であるテオフィルスに口答えするのは、もっと勇気がいる。
腹を蹴られ痛みに苦しみながら、僕は訴える。
「その剣は、僕以外は扱えない!」
「だったらお前ごと、さらってやる。お前も竜騎士の体型だ、鍛えれば竜騎士になれる。アルマレークの竜騎士として魔王に立ち向かう方が、より早く打ち破れる。お前にとっても効率的だろう?」
彼の自分勝手な意見に、僕は憤った。
「そうして、王国を自分の物にするつもりか! 僕は王太子として、そんな事は絶対に許さない!」
「ふんっ、エステラーン王国等いらん! 俺は空に屍食鬼がいる事が許せないだけだ。アルマレーク防衛のために、屍食鬼と戦った竜騎士が何人死んだか知っているのか? エステラーン王国だけの問題じゃないと、なぜ判らない!」
セルジン王の対応への怒りを、ぶつけるように言い放つ。
傷だらけの痛みに堪え、彼は剣を僕に突き付けた。
「一緒に来てもらおう。この宝剣を取り戻したければ、俺に従え!」
生れながらの執政者の傲慢さで、見下すように命じた。
僕はその剣を手で振り払い、怒りを込めて脅した。
「僕を王国から連れ去れば、魔王はアルマレークへ向かうぞ。その宝剣を、喉から手が出るほど欲しがっているんだ。地の果てまでも、追いかけてくるぞ!」
「……」
テオフィルスは一瞬
先程、宝剣の魔力を見せつけられたばかりで、王太子の言葉には説得力がある。
魔王がこの剣を恐れ封じたがるのは当然、そしてこの剣を扱える者を抹殺したいと思うだろう。
マシーナが恐る恐る進言する。
[若君、悪い事は言わない……、これ以上、エステラーン王国に関わらない方がいい。我々の目的はエドウィン様を捜し出す事で、アルマレークに魔王を呼び込む事ではないはず]
[そんな事は、判っている]
彼はまるで評価でも下すように、僕をじっと見詰めている。
戦いで服がボロボロになったのは僕も同じで、女だと知られる可能性に緊張する。
「お前が、唯一の希望か?」
「え?」
意外な言葉に驚いていると、彼は
「魔王を打ち破れるのは、お前とこの剣だけなのか?」
真実を見極めるように問質す。
彼の中で何かが変化してきている事を感じ取り、僕は意外に思った。
この
僕は蹴られて痛む腹を押さえながら立ち上がり、頷き答えた。
「そうだよ! 僕は《ソムレキアの宝剣》を持って王都ブライデインへ行き、魔王を打ち破るために存在している! ……そのために、生まれてきた」
正確には生まれ変わったのだろう。
王の子オーリンが、僕の命を生まれ変わらせた。
オリアンナではなく、オーリンとして暗黒を打ち破るために。
そしてセルジン王を助け出すために生きる。
テオフィルスは頷き立ち上がり、自分の剣を鞘に収め、宝剣を返しながら薄笑いを浮かべて言った。
「判った。ではその旅に、俺も同行しよう」
「……はぁ?」
宝剣を手にした僕と、マシーナ、トムニは絶句した。
「君には処刑命令が出ているって、言っただろう! 行軍参加以前の問題だ!」
からかわれている気がして、僕は憤りながら否定する。
[若君、冗談じゃありません! 何かあったら、父君にどう説明すればいいんですか? だいたいこれだけの罪を犯して、国王が許すと思いますか? 絶対に反対です!]
[お前とトムニ爺は帰れ! 俺一人で行く]
[若君!]
マシーナは僕の側を離れ、彼に詰め寄る。
[もう決めたんだ。こんなひ弱な王太子に、自分達の未来を預けるくらいなら、俺がブライデインへ、こいつを送り届ける! それにエドウィンは、ブライデインの《聖なる泉》にいるかもしれない。丁度いいじゃないか、彼と指輪も見つけられる。帰って父にそう伝えろ]
[絶対に、駄目です!]
父の居所を知られている事に愕然としながらも、マシーナが離れた事で逃げるチャンスが出来た。
テオフィルスにこれ以上付きまとわれないためには、逃げるしかない。
僕は館の入口に向かって走る。
彼がそれに気付き、僕を捕らえようと走り出す。
「待て! マシーナ、追え!」
負傷しているテオフィルスは、素早く動けない。
マシーナにもう少しで追いつかれそうになったところで、僕の手がドアに触れる。
すると……、
バン!
という大きな炸裂音がして、扉が勢いよく開いた。
セルジン王の結界が破れたのだ。
テオフィルスは即座に、撤退を命じる。
[お前達は、逃げろ! 王の結界が破られた、国王軍が来るぞ! リンクル、俺の傷を癒せ]
彼の竜の指輪から光が溢れ出し、全身を包んだ。
テオフィルスは竜の魔法を使えるようになったのだ。
僕は急いで、館の外へ出る。
マシーナは素早くテオフィルスの腕を引っ張り、引き摺りながら走り出す。
[離せ! 俺は残る。お前達だけ、逃げろ!]
[そんな事をしたら、私がお館様に殺されますよ! だいたい今度こそ処刑されます。自分が何をしたか、解っていますか? 逃げるんですよ!]
次の瞬間、数か所の出入り口から国王軍が
無数の
「誘拐犯を捕えよ! 抵抗する者は、討って構わん!」
待ち構えていた王の近衛騎士隊が館に入り、兵達の指揮を取る。
竜の魔法で、彼等は逃げ
国へ父エドウィンの情報を持ち帰られるが、彼等に成す術はない。
屍食鬼に覆われたエステラーン王国の奥深くへ、入り込むのは至難の業だ。
「ご無事で何より、オーリン様」
トキ・メリマンが《王族》に対する礼を取り、僕に近付いた。
心に引っかかる疑念を、僕は彼にぶつける。
「この罠を張ったのは、陛下? 護衛の数を減らした?」
「御意。陛下のご指示は、的確にアルマレーク人を討つ事にあります」
大勢の部下達の手前、彼の口調が《王族》に対するものになっている。
「城内で彼を捕える事が難しかったため、結界に閉じ込める策です。護衛は殿下の部屋の隠し部屋で、待機しておりました」
「僕も彼を巻き込んだから、覚悟の上だったけど。……隠し部屋? つまり、あの部屋は監視されているって事?」
「《王族》の部屋は、警護のため全てそのように」
「…………」
少し怒った調子でトキを睨み付ける。
近衛騎士隊長は無表情に胸に手を当て、頭を下げた。
僕はげんなりしながら、トキの元を離れた。
多くの松明が焚かれ、外は明るい。
物々しい数の国王軍とレント騎士隊が集結している。
夜の冷たい風に、松明のきな臭さが混じる。
「オリアンナ!」
夜目にも判るほど、青ざめた顔のエランが立っていた。
彼は僕の腕を掴み、館から少し離れた場所まで無言で連れ出す。
鬱蒼とした木々に囲まれて松明の灯りに浮かび上がる父の館は、その幽霊屋敷ぶりを際立たせている。
不意にエランに抱きしめられ、その腕の力に息を詰まらせる。
心配していたのを察して、僕は優しく言った。
「……エラン、離してくれ。苦しいよ」
「アルマレークに、連れて行かれたかと思った。気を失っている間に、君がいなくなっていて……」
腕の力を緩めた彼の顔が、苦悩に歪んでいる。
「なんとか、やり過ごしたよ。君こそ、大丈夫か? あの魔法使いに、眠らされていたんだと思うけど」
「僕は大丈夫だよ。オリアンナ、守れなくて、ごめん」
エランの腕の中で、身体が震え始める。
テオフィルスの襲撃、父の館での《王族狩り》の再体験。
どれも間一髪のところを何とか切り抜けた。
心の張り詰めた糸が緩むように、目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……怖かった」
「うん」
エランが再び優しく抱きしめる。
兄弟のように、幼馴染のように、幼い恋人のように。
王に
涙は次々溢れ、心に受けた沢山の傷を洗い流すように泣き続けた。
「僕が守るよ、この先ずっと……、オリアンナ」