王子な姫君の国王救出物語【水晶戦記】    作:本丸 ゆう

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第一話 影の王の婚約破棄 ★

 

【挿絵表示】

 

 

 

 僕の住むエステラーン王国は、往古(いにしえ)に天界の神々から賜った二つの水晶玉を王都に据え、それを中心に大きな円球を描くように平和と繁栄の魔力に守られ成り立った、とても古い歴史を持つ国だ。

 

 北の海運王国ダザールが攻めてきても、南の大王国イミルに侵攻されかけても、西の空の覇者アルマレーク共和国の竜騎士が攻めてきても、東のジェイルダン共和国の狡猾な元首が言いがかりをつけてきても、今までの歴史において《王族》が許可しない限り、彼等は魔力の円球の中に一歩たりとも立ち入る事が出来なかった。

 

 二つの水晶玉を(あつか)えるのが《ブライデインの王族》、つまり僕の一族。

 《王族》の祈りにのみ、二つの水晶玉は魔力を発動した。

 

 

 

 でも、それはもう、過去の話だ。

 

 

 

 

 

 レント城塞の北東方向の空が、青空に黒く揺らめいている。

 エステラーン王国の空を覆い尽くす屍食鬼の群れが、この辺境の地のすぐそこまで迫っているように見える。

 陛下と会う時は、いつもこんな空だよ。

 僕は暗い空を見上げながら、これから会うセルジン王の事を思った。

 すると暗闇を切るように、待ちわびていた光り輝く聖鳥が、ゆっくりと優雅に僕に近付き、目の前を飛んでゆく。

 長い孔雀の尾羽を風になびかせ、四枚の燃えるような夕日色の翼、そして灰色の女人の顔を持つ、美しくも奇怪な生き物。

 

 シモルグ・アンカ。

 

 天界の巨大樹に巣を持つ、聖なる鳥。年に一度だけ、セルジン王を運んでやって来る。

 会えるんだ、陛下に。

 そう思うと、自然に笑みが湧き出た。

 

 

 

 エステラーン王国は十五年前に、魔王アドランが呼び寄せた、屍食鬼の襲撃により壊滅した。

 二つの水晶玉の一つが、国の滅亡を望む魔王アドランに支配されてしまったからだ。

 水晶玉の魔力の届く範囲は、今は死の地と化し、魔力から()れた辺境都市だけが、辛うじて生き延びている。

 魔王は僕の伯父らしいけど、多くの《王族》を殺した彼を、伯父と認識するのは難しい。

 僕にとって魔王は、恐怖そのもの。

 母を殺し、僕も殺されかけて、憎しみより恐怖が上回る、絶対に近寄りたくない存在だ。

 

 

 

「もっと早く走らせてくれ、エラン!」

「二人乗りで、これ以上は無理だ! なんだったら、僕が下りようか?」

「それは、困る。一人で、騎乗出来ないよ」

「情けないなぁ、騎士見習い。早く上達しろよ、今日で成人だろ?」

「うるさいな、解ってるよ!」

 

 幼馴染みのエラン・クリスベインは、自分より早く成人する年下の僕に、少しやきもちを焼いている。

 彼は従騎士で、僕はまだ騎士見習い、そりゃ面白くないよね。

 昨日、セルジン王からの使者が来て、急遽(きゅうきょ)、僕の〈成人の儀〉を行う事が決まった。

 「大切な儀式なのに、何の準備も出来ていない!」と、養父ハルビィンが怒っていたけど、僕は嬉しかったんだ。

 これで、陛下の側にいられるんだ。

 

 僕達の後から、養父とレント騎士隊が追いかけて来る。

 子供二人の方が軽く、馬は早く走れるから、騎乗の上手いエランが選ばれた。

 そうして迎えに来た聖鳥を、僕達は追いかけている。

 走っているのは馬だけど、僕も馬から落ちないように必死なんだ、これでも。

 シモルグに案内されて来た場所は、《レントの聖なる泉》へ続く森の道、早朝の(もや)の向こうに、国王軍の兵の姿が見えた。

 

「エラン、馬を止めてくれ。ここから、走る」

「わかった」

 

 道幅が狭くなるので、走る事にした。

 兵達の手前で馬から下りると、伝令が声を上げる。

 

「殿下がお通りになるぞ、道を開けて、敬礼!」

 

 赤い長衣の騎士達が一斉に道を開け、左膝を立て(ひざまず)き、剣を置いて《王族》に対する礼の姿勢を取る。

 従者も、それに倣った。

 そんな中を、《王族》扱いに慣れてない僕は、顔を引き攣らせながら必死に走る。

 国王軍の中では、《王族》である事を隠す必要がない。

 

 ううっ、緊張するぅ。

 

 荒い息を吐きながら、《聖なる泉》の前広場にたどり着く。

 兵達が広く空間を開けて跪く場所に、シモルグは優美に舞い降りた。

 僕はなんとか追いつき、息を整えながら、ゆっくり近づく。

 

「やあ、シモ……ルグ」

 

 平静さを装おうとしても、つい声が上ずってしまう。

 聖鳥に会う時はいつもそう、神聖さに心が畏怖(いふ)してしまうんだ。

 聖鳥の周りの空気が、魔力に満ちている。

 輝く美しい四枚の翼をはためかせ、灰色の魅惑的な女の顔が微笑んだ。

 

『会いたい?』

 

 人の声とも、鳥のさえずりともつかぬ声。

 直接、心に響く声。

 僕の顔が、熱くなる。

 

「もちろん! 今すぐ、会いたい!」

 

 鳥は笑い小さく口を開け、日陰になった草地に、虹色の息を吹きかけた。

 

 

 息は虹色の(きり)が固まったように次第に大きくなり、それは黒い影になる。

 ぼんやりと人の形を取り始め、やがてはっきりとした一人の男の姿になった。

 

 歳の頃は二十二、三歳。

 一瞬黒ずくめに見える彼は、黒紫色の布地の(すそ)に、銀糸の豪華な刺繍が施された衣装を身にまとう。

 彫深い顔立ちに整った長い真直ぐな黒髪、深い緑の瞳が愁いを含み、僕を見つめる。

 

 

 

 エステラーン王国の王、セルジン・レティアス・ブライデイン。

 

 

 

「国王陛下!」

 

 僕は笑顔で王の腕の中に飛び込んだ、幼い頃からそうしてきたように。

 王は微笑みながら抱きとめる。

 

「オリアンナ姫、一年ぶりだ」

 

 彼の身体は温かい、魔法で出来た影とは思えないくらいだ。

 この世で強い魔力を持つ者だけが、実体のある影を作り出せるという。

 彼の影は美しく、僕を魅了する。

 

「しばらく見ない間に、ずいぶん背が伸びたな。それに、美しくなった」

 

 王の手が、優しく僕の髪をなでる。

 それだけで、一年間の孤独な心が満たされていく。

 彼の温もりに、自然と鼓動が早くなる。

 それは、ふわふわと心地よい。

 母の兄であるセルジン王の姿は、出会った頃から変わらない。

 彼の時間は、水晶玉の中で止まったままだ。

 魔王アドランの使う水晶玉の魔力を抑え込むため、王はもう一つの水晶玉の(あるじ)となった。

 

 

 そうして永遠に若者のまま、時を重ね生きている。

 

 

 その事が、僕を苦しめる。

 王は魔法で出来た影。

 人間の実体は遠く王国の中心、王都ブライデインの白亜の塔にある水晶玉の中に封じ込められ、誰も助ける事が出来ない。

 婚約者が影だなんて、あんまりだよね。

 

 

 僕の後ろに領主ハルビィンとレント騎士隊、そしてエランが、騎士の礼の姿勢で跪く。

 王は僕の肩を抱きながら、彼等に告げる。

 

「レント領主ハルビィン・ボガード。今日ここで、貴殿の、《王族》の養父としての任を解く。健やかに成長したオリアンナ姫の姿を見て、貴殿の親としての愛情を感じ入る。王として、感謝する」

 

 その言葉に、僕は微笑みながら、養父を振り返る。

 微笑みで返す養父の表情は、少し寂し気に見えた。

 

「私には息子ばかりで、娘がおりません。姫君をお預かり出来て、この上ない幸せでした。感謝させていただくのは、私の方です、国王陛下」

義父上(ちちうえ)……」

 

 いつも反抗ばかりしていた僕は、養父の言葉に申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

 娘というより、やっぱり息子だったよね。

 娘らしい事は、何一つもしてないよ。

 少し寂しい気がした。

 

「国王軍はしばらくレント領に滞在させてもらうが、異存はないか?」

「戦時故、大したおもてなしは出来ませんが、心より歓迎させていただきます」

 

 領主以外のレント騎士隊の全員が、王の前で頭を下げたままの姿勢だ。

 王と領主の会話が進む中、僕は無意識にエランの赤い髪を見て微笑んだ。

 いいな、僕も金髪じゃなくて、エランみたいに、綺麗な赤い髪で生まれたかった。

 不意に王の言葉が、耳に飛び込んでくる。

 

「そこの赤い髪の従騎士、こちらへ来い」

「え?」

 

 エランが驚き、顔を上げた。

 僕は王の顔を見ながら、エランに何か問題でもあったのかと不安になる。

 レント騎士隊の緊張も伝わってくる。

 従騎士エランの主君であるロイ・ベルン指揮長官が注意を(うなが)し、戸惑いながら礼を失する事のない姿勢で、彼は王の前に進み出た。

 

「そなたがエラン・クリスベインか?」

「はい」

「なるほど、外見は母親に似の美男だな。腕は父親譲りかな? トキ・メリマン」

「こちらに」

 

 王の後ろに控える、怖そうな三十代半ばの騎士が進み出た。

 

「トキは近衛騎士隊長だ。以前、そなたの父の元で、従騎士をしていた。トキ、彼の腕を磨け」

「承知!」

 

 僕は事の成り行きに、王の腕を取って聞いてみた。 

 

「エランを、知っているの?」

「当然だろう。そなたは小さい頃から、エランの話ばかりしていた」

「え?」

 

 まったく記憶に無い。

 

「エランは王配候補だ。だから皆、会うのを楽しみにしていた」

「……王配?」

 

 エランと二人、何の事か解らず、呆然と王を見る。

 レント騎士隊から、驚きの声が聞こえる。

 領主が戸惑い、異論を唱える。

 

「ですが、オリアンナ姫は、陛下の婚約者ではないのですか?」

「我が異母弟(おとうと)ドゥラスが死んだ」

「そんな、ドゥラス王太子殿下が……」

 

 領主の悲嘆の声が響き、王は悲しい目で(うなづ)く。

 

「オリアンナ姫がただ一人の《王族》となった今、実体のない影の私の婚約者よりも、未来の女王として存在する方が相応しい。そう思わぬか?」

「…………」

 

 領主は項垂れ、それ以上言葉を返す事が出来なかった。

 嫌な予感に、僕は顔を歪めながら、ぼそりと(つぶや)く。

 

「何ですか、王配って?」

 

 王は優しく微笑み、元気づけるように僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 まるで子供扱いだ。

 

「女王の配偶者の事だ。そなたの未来の夫だよ」

 

 エランの顔が真っ赤に染まり、戸惑いがちに王を見る。

 

「あの……、僕で、良いのでしょうか?」

「構わぬ。そなたはトルエルド公爵家の次期領主、亡き父は私の友だった、問題はない。何よりオリアンナと仲が良い」

 

 エランが嬉しそうに微笑んだ。

 

「ただし、あくまで候補だ、決定ではない。他にも何人か候補がいる事を、忘れるな」

「……はい」

 

 エランの喜びが半減したのを見て、僕の不安は増大した。

 他にも何人か候補?

 なんだよ、それ!

 僕は不貞腐れた表情で、セルジン王を睨み付ける。

 

「それって、つまり陛下との婚約は、破棄って事ですか?」

「そういう事だ」

 

 僕は王の前であんぐり口を開けたまま、ぶっ倒れそうになった。


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