突き抜けるような青空は、久しぶりに見る景色だ。
でも爽やかに見えるそれは、明らかに作り物の青空。
そして不安を倍増させるテオフィルスの言葉。
[リンクルと隔絶された]
アルマレーク語の言葉を、僕は聞き逃さなかった。
それから、他の二人も。
[七竜と隔絶されたとは?]
[魔法が使えなくなったという事でしょうか?]
エネスとマールが同時にアルマレーク語で問い詰める。
二人共違和感のない
皆に不安を与えないよう配慮しての異国語だが、トキが低い声で一喝する。
「エステラーン語で話せ、隠し事はなしだ!」
もっともな意見に、テオフィルスが
皆が注目する中、彼は冷静に話し始めた。
「この空間は、俺たちの世界とは違うようだ。七竜リンクルの影と切り離され、俺は……、魔法が使えなくなった」
皆が動揺し、騒ぎが徐々に大きくなった。
魔王に対抗できる強力な手段が、この未知の城塞で国王軍から消えたのだ。
騒ぎを抑えるように、彼の低い声が響く。
「魔法が無くても、王太子は必ず守る! それは約束する」
彼を囲む竜騎士達が、力強く頷く。
トキが顔を
「魔法が使えるのは、マルシオン王だけという事か……」
「いや、もう一人いる。そうですね、殿下?」
マールは僕に微笑みかけながら、無理な要求をしてくる。
マルシオン王の怖さは無いが、強引な意志の強さは王そのものだ。
「僕は……、制御できないよ」
「そう思い込んでいるだけですよ。〈抑制の腕輪〉を外しましょう」
僕は恐怖を感じ後退りながら、腕甲の上から腕輪を押さえた。
「これは、外れないんだ」
「そんな事はありません。殿下が本当に望めば、簡単に取り外せますよ。魔力を怖がる気持ちは解りますが、扱えなければこの状況は打破出来ない。解りますか、殿下?」
「…………」
マールは人懐っこい笑顔で近付き、阻もうとした近衛騎士を押し退け、僕の腕に触れた。
「失礼します、オーリン様」
次の瞬間、僕の腕から腕甲と〈抑制の腕輪〉が取れ落ち、周りから緩やかに炎を含んだ風が湧き起こる。
テオフィルスとアルマレーク人達、近衛騎士達は危険を回避するため、素早く僕から離れた。
魔力は僕の周りの小さい範囲になぜか留まっている。
水晶玉の〈管理者〉であるマールだけが、まったく魔力に影響されずに僕の横に立っていた。
地面から〈抑制の腕輪〉を拾い上げ、彼はそれを腰から下げた鞄に押し込む。
「どうして? トレヴダールでは近寄れなかったのに、今は僕の魔力が効かないの?」
「ソムレキアの宝剣が、私の味方をしているからですよ」
僕は複雑な思いで宝剣を見つめた。
明らかに天界の意思が宿る宝剣なのに、聖なる泉の精の魔力を制御している。
両者は対極に存在し、お互いの魔力の制御は出来ないと思い込んでいた。
「マールさん、これじゃあ周りに迷惑をかけるだけだ。腕輪を返して下さい!」
「殿下は一度、魔力を制御した事がありますね。宝剣が私にそう伝えています」
「え?」
言われて初めて、忘れていた記憶が甦る。
確かに僕は一度、泉の精の魔力を制御した。
あの時は切迫した状況下で、無我夢中だったため記憶に残らなかった。
トレヴダールで女神アースティルと対峙する前、テオフィルスをセルジン王の魔力から救い出す時に、ほんの短時間だけ魔力を制御したのだ。
「でも、あの時は七竜の声が聞こえていた。彼を助けるために、七竜が力を貸してくれたんじゃないのか? 今は声なんて聞こえないよ」
「七竜の影響ばかりではなく、宝剣も力を貸していたのですよ。ですが殿下の意志の力の方が強い。制御して下さい、殿下には出来ます!」
制御しなければならないと思っただけで、苦しさに息が詰まってくる。
それが外れた〈抑制の腕輪〉の影響なのか、ただの僕の思い込みなのかは、まったく解らない。
「……無理だよ。僕には出来ない」
恐々マールを見上げると、彼は微笑みながら誰かを見つめていた。
「では、殿下に必要な者を呼びましょう。テオフィルス殿、殿下の横にてお力添えを」
「マ、マールさん!」
僕は青褪めた顔で、マールにしがみつく。
「止めてくれ! 彼は今、魔法が使えないんだ。焼け死んでしまう!」
「では、殿下が制御するのです。彼を殺したくはないでしょう?」
マルシオン王の残酷さは、外見が物腰の柔らかいマールに変わっても、その本質は変わる事がない。
僕は憎しみを込めて、
「あなたもやっぱり天界人だ。彼が死んだら、エステラーン王国も、アルマレーク共和国も共に滅ぶ。それが目的なのか?」
「さて、私も王国の一員のつもりですが、まだ天界人に見えますか? 心外ですね。別に嫌なら、トキでも構わないのですよ」
それを聞いて、トキが無表情にマールを睨む。
横にいるテオフィルスが、面白がるように一歩前に踏み出した。
「俺の方が炎に馴れている、適役は俺だろう。エアリス姫、制御しろよ」
「止めろ、近付くな!」
「若君!」
僕の叫びにマシーナが止めようとしたが、テオフィルスは振りきり僕に近付いて来る。
僕の周りに渦巻く炎が、彼の皮膚に被さり顔を歪める。
髪がちりちりと焦げる。
「制御しろ!」
彼の低い声が、僕に強要する。
彼の存在が僕の魔力に大きく作用するのは、婚約解消でイリを失った事で嫌というほど思い知った。
僕の目に炎に包まれた彼の姿だけが、焼き付く。
「止めろ!」
僕が叫んだ瞬間に炎が消え、テオフィルスの周りに霧状の膜が出現し、やがて消えた。
膝をつき倒れかけた彼を、駆け寄ったマシーナが支える。
手当てをしようと鞄から塗り薬を取り出したが、それは使われる事はなかった。
傷は〈生命の水〉によって、回復していたのだ。
「お見事です、殿下」
マールが僕に微笑んでいる。
いつの間にか風も炎も消え、僕の周りは静けさに満ちていた。
反対に僕の心は荒れ狂っている。
テオフィルスに支配されている気がして、反抗心がメラメラと沸き起こる。
どうして、彼なんだ!
僕は落ちた腕甲を拾い上げ、憤りながらトキに言う。
「僕はマールさんを信用出来ない」
「ふふ、だろうな」
妙に楽しそうに笑いながら、トキが腕甲の取り付け方を教え、僕は一人でなんとか取り付けた。
「魔力を扱えるのは、悪い事じゃない。殿下は陛下のように王国のために、それを扱えるようになればいい」
「……うん。努力してみるよ」
扱い方はなんとなく解った気はする。
でも、思い通りに使える自信はまったくない。
僕は倒れたテオフィルスを見つめた。
マシーナが意識を取り戻させようと、あの苦い葉を口に入れた。
途端、テオフィルスは飛び起きて葉を吐き出す。
[苦っ!]
馴れているはずの彼でも、あんな風に反応するんだと思うと、先程の苛立ちが消え面白く思えた。
笑ったつもりはないのに、彼が僕を見て微笑んでいて、咄嗟に視線を逸らし、関わらない振りをした。
テオフィルスは構わず近付いて来る。
「俺が生きているって事は、お前が魔法制御出来たって事だ。お前の中にいるあいつは、俺を殺したがるはずだから……。よく制御してくれた、ありがとう」
「べ……、別に。君のために制御した訳じゃないよ」
テオフィルスの素直な感謝の言葉に、また鼓動が騒ぎ始める。
彼の顔を見ないようにしながら、別の疑問に意識を向けた。
彼が僕の中に、〈ありえざる者〉オーリンを見ている。
僕の命の光であるオーリンは、彼に感じ取れるほど、表面に現れているのか?
ひょっとして、テオフィルスには見えているのか?
僕は恐る恐る、彼を振り返った。
いつも皮肉っぽい笑みで僕を見下す彼は、今は優しいけど少し悲しい表情をしている。
僕の言動が彼を傷付けているようで、気まずさに横を向いた。
「このまま、リンクルの影と離れていると、竜の指輪はいずれ俺の指から消える。竜の影が俺を見失って、死んだ事にされ、次期領主の資格を失うんだ」
それは彼にとって、辛い事なのだろう。
いつもの無表情なのに、慣れてくるとその中に、微妙な表情の変化を読み取れる。
彼は苦しんで見える。
「…………君は〈七竜の王〉じゃないのか? それでも指輪が消えて、資格を失うなんてあるのか?」
「〈七竜の王〉は伝説じみていて、俺が生まれて初めて実在した事が分かったらしい。もう何百年も現れてなかったからな」
「じゃあ、資格を失った後の事は、誰にも解らないって事か?」
「そうだ。でもお前と王国の事は必ず守る、俺に次期領主資格が無くても、そのくらいは出来るはずだ。一応、〈七竜の王〉権限」
そう言って笑いながら、彼はぼんやりと左手中指にはまる竜の指輪を見つめていた。
その姿は、とても寂しそうだ。
僕は無意識に、彼の指輪に左手を置く。
なぜそうしたのか、なぜそう思ったのか全然分からないけど、そうするのがとても自然な事に思えた。
[この竜の指輪は、消えたりしないよ。だから早くエランと、泉の精を捜そうよ]
僕のアルマレーク語での言葉に、テオフィルスは一瞬驚きに大きく目を見開き、やがて極上の笑みを浮かべた。
[ああ、そうしよう!]
そう言って、僕の重ねた左手にくちづけをする。
「うわぁぁぁ!」
僕は我に返って彼の手を振り払い、真っ赤になりながら飛び跳ねるように、彼の横にいるトキの後ろへ逃げた。
トキが魔法の炎を避けながら、呆れてボソッと呟く。
「だから、エステラーン語で話せって!」