その二つ名で呼ばないで!   作:フクブチョー

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Myth50 待っているわと言わないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カァン

 

まだ日も上がりきらず、靄も晴れぬ早朝。町外れの寂れた教会の庭で何かが硬質な何かがぶつかり合う音が響いてくる。靄の中をよくよく見ると二つの影が見えてくるだろう。一つは女性だ。プラチナブロンドのロングヘアに碧空色の碧眼。まさに天覧の空が人の形になったかのような美女。肢体は優美な曲線を描き、動きに連られ、豊満な胸部が揺れていた。その造形はまさに女神の美しさと言っていい。

もう一人は女性に比べ、背丈は随分と低い。しっとりと濡れたような艶やかな黒髪を朝露で本当に濡らし、エメラルドを思わせる翡翠色の瞳を持つ少年。

彼らは最近発足したばかりの絶賛売り出し中ファミリアの主神と眷属。二人は今、本拠地としている廃墟同然の教会の庭で木剣を打ち合っていた。

 

「ガッ!?」

 

小さい方の影が吹っ飛ばされる。木剣を杖に立ち上がる少年を碧眼の美女が見守っている。にっこりと微笑んだ。

 

「どうしましたリヴィ。私はまだここから一歩も動いてさえいませんよ」

「うっさい!まだまだこれからだ、ルグ!!」

 

一直線にこちらへとかける少年に向け、女神は一度手招きした。

 

「カマン、リヴィ」

 

太陽神ルグとリヴィエール・グローリア。まだ少年が『剣鬼』と呼ばれていたころの日常の一コマである。

 

 

 

 

 

「───惜しかったですね、リヴィ」

 

アザだらけになった少年の手当てをする女神が先の稽古の感想を述べる。決して嘘を言ったつもりはなかったが、ボコボコにされた少年には皮肉にしか聞こえなかった。

 

「すみません、どの辺りが惜しかったんですか」

「その辺りです」

「具体的に」

「やっぱりあの辺りでした」

「…………クソ」

 

あまりに適当な返しに苛立ちは抑えられないが、それでも歯向かう気は起きない。

ファミリアを始め、ダンジョンに潜るようになってから、リヴィエールは一人になってからずっとやってなかった剣の稽古を再開した。初めは一人で素振りしていたのだが、ある日稽古の様子を見ていたルグが稽古相手を名乗り出た。

 

「なんだか見てたらウズウズしてきちゃいまして。私も久々に身体を動かしたいなぁ、と」

 

アンタ剣なんか扱えるのか?と聞いたら『そこそこね』と答えた。コイツと初めて出会った時から暫くが経つ。お互い距離は縮まったが、最近少々鬱陶しくもなり始めていた。ちょっと心を許したかと思えば随分と調子に乗っているコイツに灸を据えるいい機会かと思い、相手をした。

 

そして、結果はこのザマ。ルグがかつて天界で百芸に通ずる者(イルダーナハ)と呼ばれていた武の達人である事を知ったのはしばらくが経ってからだった。

 

ボコボコにされた俺を膝に乗せ、気がすむまで頭を撫でる。このような屈辱的な膝枕を俺は稽古のたびにやらされていた。

 

そして今日もそれは変わらない。何度も何度も挑みかかり、打ち据えられ、疲労困憊で動けなくなる。ボロ教会のやたら広い庭で俺は大の字になって倒れていた。

 

「…………ルグ、俺、弱いか?」

 

倒れたまま問いかける。プラチナブロンドの美女は困ったように指を顎に添えた。

 

「基準をどこに置くかによって答えは変わりますが、人間と考えるなら貴方は充分に強いですよ。悲しく思えるほどにね」

 

たしかに根幹となる技術は備わっている。そしてその技術を彼は自分のものにしていた。しかしその技術を彼は血の中でモノにした事をルグは知っている。剣は対話なり。一太刀受ければ使い手の為人がわかり、二太刀受ければ過去が見える。

彼の剣はあまりに血を知りすぎていた。冷たく、容赦なく、暗い剣だった。

故郷が焼かれ、両親に捨てられ、彼はたった一人でその身を生きながらえさせてきた。年端もいかない浮浪者が生きていくには軽犯罪は当たり前。時には強盗や殺人に手を染めるケースも少なくない。無論リヴィエールもその例にもれない。血に汚れた頬を己の血で洗う日々に生きていた。

 

生きるために、強くならざるを得なかった。

 

───貴方はとても強い子です。しかし貴方の強さはとても冷たい。その冷たさはいつか貴方をも凍らせ、そして、砕ける

 

倒れていた少年を抱え上げ、抱きしめる。凍ってしまった彼の心を少しでも溶かせるように。初めて出会った時に交わした約束を、白金の女神は忘れていなかった。

 

「おい、ルグ」

「すみません、少しだけこうさせてください」

 

伝えたい言葉はあった。貴方は弱くないのだと言いたかった。しかし、できない。言葉に意味を見出せない子だということは知っていた。だからこそ、ただ黙って抱きしめる。

 

「…………なんなんだよ、もう」

 

少し抵抗したが、離してくれる様子を見せなかったため、大人しくその豊かな胸の中に埋まる。サラッとした清涼感のある甘さが香った。

 

───匂い、か

 

そんな物を感じられるようになったのはいつからだったろうか。五感なんてとっくに凍りついてしまったと思っていたのに。視界は血以外はほとんどモノクロにしか認識できず、嗅覚は鉄とその他腐敗臭で潰され、触覚は人を切る感覚で埋め尽くされた。だというのに、今俺の目はルグを美しいと認識し、サラリとした甘い香りが鼻腔をくすぐり、彼女の温もりと柔らかさが全身を包んでいる。感覚とは感じられなくなったとしても消えたりするものではないらしい。

今思えば、ルグと出会って初めて感じた感覚が、この香りだったかもしれない。

 

心の氷が溶け始めていた少年はこの匂いが好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───っ、ムグッ!?」

 

魔物化を解除した途端、視界が揺らぎ、喉奥から鉄臭い灼熱の何かが迫り上がる。『咎人』の反動。先日、18階層で発狂しかけたあの感覚と酷似した現象が俺を襲った。

 

堪えようと思えたのは僅か数秒。堪らず喀血する。身が引き裂かれる激痛と無数の虫が体内を這い上がる悪寒が細胞レベルで自身を苛む。全身が燃えた。膝をつく。

 

───変身は一瞬だったが……モユルダイチの形態変化に完全詠唱の『ノワール』。流石に魔法を使い過ぎたか

 

変身前にはクサナギまで撃ってる。反動は当然。マインド・ダウン三歩手前といったところだろう。

 

「リヴィ!!」

「ウルス!」

 

膝をつく白髪の青年をアマゾネスとフードの女が支える。アスフィも躊躇なく万能薬の栓を開けた。頭からかけられるその液体は灼熱に包まれる彼を心地よく冷ます。静かに痛みが緩和され、正気が取り戻されていった。

 

「…………離せお前ら。まだ、終わってない」

「貴方っ、その身体でまだ!」

「心配するな。あの時よりは随分マシだ」

 

半分真実で半分嘘だ。活動限界まで魔物化し続けた18階層の時と比べれば確かに反動は軽減されていたが、大魔法の二連続使用。しかも形態変化に完全詠唱までやってしまった。マインドの消費で言えば先を遥かに上回る。特に魔法を放った手のひらの火傷は深刻だ。こうして意識を繋いでいるだけでも奇跡的と言っていい。

しかし、こうして痩せ我慢が出来る余裕があるのも事実だった。

 

「あの、宝珠を」

 

剣を杖に紫ローブの男を追う。幸い『ノワール』の飛び火を受けたヤツは未だ逃げられないでいる。魔物化を発動させたのはリャナンシーの動きを縛るためだが、わざわざ完全詠唱でノワールを撃ったのはコイツを逃さないためが最大の理由だ。食人花を全滅させる程度なら詠唱破棄でも充分だったが、この大空洞全体に奴が逃げられない程度の強さでアマテラスを展開するためには通常の魔法では足りなかった。

 

「無茶です!今は退きましょう!脱出が最優先───」

 

ゾクリ

 

このクエストを引き受けて以来、最大級の悪寒が背筋に走る。気付いた時には防御魔法『ル・ブルー』を最大限に展開していた。

 

衝撃は一瞬。

 

『!?』

 

視界が閃光に焼かれる。リヴィエール達を守っていた青いベールは一瞬で蒸発し、爆風が手練れ達を吹き飛ばす。態勢を整えたときには、既に全身黒尽くめの何かが三人の前に立っていた。

 

───コイツ、どこから現れた!?

 

攻撃される直前まで気配を感じることができなかった。たとえ満身創痍でも、この鉄火場で周囲の警戒を解くほどマヌケではない。そのリヴィエールを以ってしてもこの黒ローブが大空洞に入り、歩き、そして魔法を放った事に気づけなかった。

 

スンっ

 

───この、匂い

 

「………ふぅ」

 

『ッ!!?』

 

この場に集う手練れ達に、そして一瞬早くリヴィエールに、戦慄が走る。たった一言の、呼吸音に似た小さな声を聞いただけで、オラリオでも有数の実力者達が凍りついた。

 

佇むだけで伝わる存在感。呼吸だけで伝わる威圧。圧倒的な、格の違い。

 

『勝てない』

 

頭を支配したのはその一言。力の差ではない。この者にはどうやっても敵わない。そんな事をこの手練れの冒険者達に思わせた。

これは本来ありえない事だ。ダンジョンに潜れば自分より遥かに強い敵など日常的に出会う。それでも彼らは勝てないなどと思わない。力の差などきっかけ一つで簡単に覆る。勝敗など揺蕩ってて当たり前。それでも勝つ気でやるのが本物の冒険者。

アイズもリューもアイシャもアスフィもずっとそうしてきた。だからこそ今まで生き残っている。その彼女らを以ってして、『勝てない』と思わせた。

 

たった一人を除いて。

 

「へぇ」

 

フラガラッハを黒ローブに突きつける。ただ一人、リヴィエールだけは戦闘態勢を整えていた。

 

「…………?」

 

ローブから指先が出る。意外に細い。もしかしたら女かもしれないと思った時、謎の乱入者は指を振った。

 

「なっ」

 

周囲を埋め尽くしていた『ノワール』の残り火が一瞬で消えた。アマテラスを付与された炎であるそれは水をかけたくらいじゃ消えない。消えるとすればリヴィエール本人の意思で消すか、対象を燃やし尽くすか……それとも

 

───俺以上の魔力と精緻な魔力操作で消した……

 

そんな事、リヴェリアすら出来ないはずだが、目の前の現象を説明するならそれしかない。

 

「随分手酷くやられましたね、リャナンシー」

 

僅かに覗く桜色の唇から柔らかな声が響く。音は高い。女性だ。音色は名手の奏でるバイオリンのように美しく、艶やかだった。

 

「うるさいわねぇ、殺されたいの?」

「『アマノイワト』まで……」

 

黒炎の檻に閉じ込めていたリャナンシーが不服そうに立ち上がる。流石に無傷ではないらしく、そこかしこ焦げていた。あの檻に閉じ込められて火傷程度で済んでいるだけでも、充分異常なのだが、現在巻き起こっているこの状況が異常過ぎる。疑問を挟む余裕はなかった。

 

「しかし、いい魔法です。術者は貴方ですか?名前は?」

「…………リヴィエール」

「あら、貴方がそうなのですね。噂は伺っていますよ」

 

声音は美しく、品がある。その気品ゆえか、リヴィエールはなんの疑問も躊躇もなく、名乗ってしまっていた。

 

「お前は……何者だ?何が目的でここにきた?」

「私ですか?そうですね……メルクーリとでも呼んでください。ある人を探していましてね」

「人?一体誰だ……アリアか?それとも、オリヴィエか?」

「いえ、それがわからなくて。会えば思い出すと思いますが……」

 

ローブの奥で光が見える。視線はリヴィエールの翡翠色の瞳を捉えていた。

 

「…………なるほど、確かに素晴らしい。『彼女』が気にいるのもわかります。もう少し見せていただけますかね」

「───嫌だと言ったら?」

 

空気が張り詰める。二人を中心に殺気がぶつかり合い、大空洞を震えさせた。ピシリと周囲に亀裂が奔った。

 

「───っ!?」

 

足場が大きく崩れる。大空洞全体が揺れ、崩落が始まっていた。震源は食料庫中心の大主柱。レヴィスによって破壊され、音を立てて崩れ始めていた。

 

「中枢を壊したか」

「せっかちですね、レヴィスは。でもまあ、数秒はありますか」

 

───やる気か……

 

まあいい。こちらとしても聞きたいことは山ほどある。

 

「リュー、得物貸せ」

「っ!バカ!何言ってるんです!死にますよ!?早く逃げないと──」

「だから殿務めてやるって言ってるんだろ。コイツら相手に無防備に背中見せる気か?」

「───っ、」

 

その一言に何も言えなくなる。いや、正確には言いたいことは腐るほどあった。そんな身体で、と山程罵倒してやりたかった。しかしできない。彼の言っていることは正しい。

 

───両手斬り落としてでも止めてやるつもりだったのに……

 

これではアイズを頼りないなどととても言えない。女というのはどうしてこう惚れた男には甘くなってしまうのか。

包みに入れていた小太刀を八つ当たり兼ねて投げつける。椿が打ち直したカグツチだ。リヴィエールの所在を訪ねにヘファイストスの元へ行った時に彼女から預かり、渡すよう頼まれたモノ。ノールックでリヴィエールは掴み取る。手に負った火傷の痛みで頬が引きつりそうになるのを無理矢理押し込めた。

 

「すぐに離脱してくださいよ」

「わかってる。適当に戦ったら俺もフケるさ。負傷者を連れて早く引け」

 

鞘を口で咥え、黒刀を抜く。黒ローブも腰から剣を抜く。白金に輝く長剣で、装飾も美しい。どちらかといえば儀式用に用いられるような宝剣に似ていた。二人とも構える。軽く腰を落とし、半身になって鋒を向ける姿は二人ともよく似ていた。

 

「へぇ、堂のいった構えですね」

「行くぞ」

「カマン」

 

三振りの剣が激突する。同時に放たれる衝撃波が二人の剣の凄まじさを物語っていた。

 

『っ!?』

 

───重い!!

 

なんとか斬撃を弾いたが、あまりの衝撃に剣聖の腕は肘まで痺れた。もし双刀で受けていなければ腕ごとへし折られていたかもしれない。そう思わせるほどに重い剣。それでいて凄まじく早い。大量の火花が飛び散るのも遅く思えるほどに次撃の光は素早くこちらに襲いかかる。なんとか受けるが防戦一方。二刀はリャナンシーの相手をすることも考慮に入れた上での決断だったのだが、リヴィエールはこの黒ローブに己の全てを込めねばならなかった。

 

剣戟が交錯するたび、鮮血が舞う。メルクーリの剣はリヴィの防禦を僅かに抜けていた。それはこの正体不明の冒険者に剣の腕で劣っている証拠に他ならない。魔物化の反動により、満身創痍とはいえ、あの剣聖と呼ばれた男が。

 

───テメエより強い冒険者なんて、腐る程見てきたが……

 

初めてかもしれない。明らかに自分以上の優れた剣才との出会いは。

 

───だが何とか渡り合える。ついていける

 

考えるより先に体が動く。少しずつ身体は刻まれていっているが、致命傷は避けていた。何千何万と挑んできた剣が勝手に反応してくれる。

 

「いい腕です。私の剣をこれほど受けた者は貴方が二人目ですよ。その子も珍しく貴方を気に入っている様子ですし。惜しいですね。手負いでなければもっと勝負になったでしょうに」

 

鍔迫り合いに移行し、動きが止まる中、メルクーリはリヴィエールの剣を褒める。

 

「剣を二本扱う者など、見栄えばかりを気にする道化と相場が決まっていますが、貴方は二刀の真髄を理解する者のようですね」

 

そう。剣を二本使うのだから手数が倍で攻撃力が上がる、などと素人は考える。しかし二刀の真髄は攻撃ではなく防御。一方の刀で守り、崩し、もう一方で攻める。逆の剣は盾だと考えれば分かりやすいだろう。つまり、利き手でない剣を盾とし、本命で決める。それが二刀の正しい使い方だ。

 

「しかし腕に比べ、使っている剣が酷い。まあ人間にしては頑張ってる方ですが、所詮は真似事ですね」

 

黒ローブの剣が淡く輝く。同時に受けていた黒刀がドロリと溶けた。

 

「なっ!?」

 

慌てて飛び下がる。そして愚かと分かっていたが、手にした剣の惨状に目を奪われてしまった。

 

「ははは……俺のカグツチがまるでチョコレートだな。まさかお前もアルカナムを……」

「ほう、そこまでは辿り着いていましたか」

 

リヴィエールの独り言に女があっさりと肯定を返す。その時にはもう彼女は長剣を鞘へと当て、落とし込んでいた。どうやらもう戦う気は無いらしい。

 

「…………情けでもかけてるつもりか?」

「まさか。フラガラッハがあれば貴方ならまだまだ戦えるでしょう。しかし崩落に巻き込まれるのもつまらないですから」

 

それも本音だろうが、決着のついた勝負への興味が失せたことが最大の理由だと剣聖は感じ取っていた。事実、このまま戦えば負けるのは確実にリヴィエールだ。

 

「次はお互い、全力でやりあいましょう。それまでにはその傷を癒し、もっとマトモな剣を用意してておいてくださいね」

 

───見透かされてる……

 

背を向け、崩落の中を悠然と歩き始める。もう全力で剣を振れる両手ではなかった。

 

「…………リャナンシー」

「今私と戦ったら貴方は確実に死ぬわねぇ。これで貴方は三度、私に命を見逃してもらった事になるわ」

「…………やるというなら───」

「59階層で待っているわ。私の愛しい貴方。あんな女に殺されないでね」

 

相手になる、と言おうとした口が止まる。瞬きした時にはもう紫髪の美女の姿はなかった。

 

「…………クソ」

 

踵を返す。頭を脱出へと切り替えた。

 

こうしてモンスターの大量発生から始まった冒険者依頼は終結。リヴィエールも早々に本隊と合流を果たし、生存者は地上へと帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

穏やかな日和、今日もオラリオは平和な喧騒で満ちている。ダンジョンで事件が起きたとしても、そんな事は日常茶飯事。話題になるのはせいぜい数日の事だ。冒険者が多少死のうが、歴戦の手練れが負傷しようが、世界は何の変化もなく回っていく。

噂を75日も持たせることが出来る人物はもはや伝説と言っていいのかもしれない。

そしてその伝説に立ち入った数少ない男が今、窮地に立たされていた。豊穣の女主人亭二階。従業員の住み込み用の決して広いとは言えない部屋に現在、三名の人間がひしめいている。一人は肌の色が見えないほど両手をしっかりと包帯でぐるぐる巻きにされた白髪の青年に、その青年の看病に勤しむ給仕姿の娘。そして簡易なキッチンで手料理を作っている褐色の肌の情婦。

ヒューマン、エルフ、アマゾネス。およそ一生関わり合いにならなさそうな三種の種族がこの狭い部屋に集結していた。いや、させていたという表現の方が正しいだろう。この気まずい空気の渦中にいる男が。

 

───自分の部屋でなんでこんな居心地悪い思いしなきゃいけねーんだ……

 

「───つっ……」

「動かないでください。まったく、魔物化の反動も相当ですが、特にこの両手の火傷が酷すぎる。こんな手でよく剣が握れたものですね」

「痛みなんざ気合いだ気合い」

 

普通、上位魔導士は魔法を放つ時、魔法石が埋め込まれたロッドを用いる。レフィーヤもリヴェリアもその一人である。強力な魔法であればあるほど効果範囲も広く、反動も大きい。不完全な状態で放った魔法が自身に跳ね返ることも実戦ではしばしばだ。その反動も最小限に、そして効率的に放つ為に、杖が必要になってくる。魔法剣士であるリヴィエールも勿論ロッドは持っていたが、かつて愛用していた錫杖はルグ・ファミリア襲撃事件で壊されてしまった。既に死人として扱われていたリヴィエールに新たなロッドを作る機会は皆無。自身で作れればよかったのだが、剣の整備はともかく、特殊な技術を必要とするロッド制作はいかな彼とて不可能。故にこの一年、魔法を使う時、リヴィエールは手から放っていた。

そして今回、咎人状態で完全詠唱『ノワール・レア・ラーヴァティン』を素手で放った。これはもう大砲の砲弾を素手で筒代わりにして打ち出したようなもの。負傷は当然。寧ろこの程度で済んでいるのはリヴェリア仕込みの魔法操作スキルがあってこそだ。

 

「リバウンドで怪我をした者なら何人か見たことはありますが……これは今まで見た中でも文句なく最悪ですね」

「しょうがないだろう。俺だって魔物化状態で完全詠唱の『ノワール』を撃ったのは初めてだったんだから」

 

あの殲滅魔法を試し撃ちするなんて事は不可能だ。リスクがあることは覚悟していたが、ここまで負傷するとは思わなかった。

 

「ウルスー、ご飯できたよーって、まだ治療してたのかい?まったくエルフは手が遅いね。私がやったげようか?」

「雑なアマゾネスは黙っていてください。治療とは繊細な作業なのです。ポーションかければ終わりの貴女などに任せられるはずないでしょう」

「は?言っとくけど私この半年でこいつの治療両手の指で数えられないくらいはやってるからね?こいつが今日まで生き延びられたのは一体誰のおかげだと思ってる?」

「お前ら、喧嘩するなら出てけ」

『リヴィエールは黙ってろ(てください)!!』

「…………お前ら、ホントは仲良いだろ?なら俺が出ていく」

「なっ!?その身体でどこに行く気ですか!?まさかダンジョン?!許しませんよリヴィエール!」

「ほったらかしにしてた分の埋め合わせシてくれるって約束したじゃないかい!どっか行くならせめて一発ヤッてけ!」

「だー!うるさい!ちょっと考え事したいから一人にさせろぉ!」

「懐かしいな。昔からいつもお前の周りは姦しい」

 

威厳ある美しいソプラノがドアを叩く。本当に部屋から出て行こうとする白髪の青年を女二人が身体を張って止めているところに、翡翠色の瞳に深い知性の光を宿した美しいハイエルフが薄笑いを浮かべて立っていた。

 

「やあ、そろそろ来る頃だと思ってたよ、リーア」

「話がしたい。『黄昏の館』へ来てくれ、リヴィエール」

「言っておくが、今回の件で俺が掴んでいる情報はアイズと大差ないぞ」

「構わない。多角的な視点から観察したいし、お前の見解を聞きたい」

「わかった」

「…………いいのか?」

 

心配そうにアマゾネスの瞳がこちらを見上げてくる。王族たるリヴェリアの手前、口には出さないが、同様の思いはリューにもあった。敵対してないとはいえ、他ファミリアに彼の情報を晒すのは抵抗がある。

 

「心配するな。てゆーか、こいつらには既に魔物化について殆ど話してる。今更だ。行こうか、リヴェリア。あ、お前らはついてくるなよ。此処で待ってろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




花粉がひどい季節になってきましたね。皆さまお身体にはくれぐれも気をつけてください。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。

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