冒険者の生業とはなんだろうか?
オラリオが迷宮都市として繁栄を始めて以来、幾度となくされてきた質問の一つだ。それは一口に冒険者といっても、所属するファミリア次第で様々なタイプがいるからに他ならない。
単純にダンジョンを攻略し、魔石やドロップアイテムなどで利益を上げる探索系ファミリア。ロキやフレイヤなどといった大手ファミリアを筆頭とした、最も多いタイプである。
続いて代表的なのが支援が主となる商業系ファミリア。ポーションなどの薬品作成や武器防具を作り出す鍛冶によってコンスタントに収益を上げる。探索系に比べ、危険は少なく、安定している代わりに、顧客同士のトラブルが多い。ディアンケヒト・ファミリアやヘファイストス・ファミリアが有名どころだろう。
その他にも、マップデータ作成といった情報系や酒などの娯楽系など、一つ一つ挙げていけばキリがないほど冒険者業とは多岐に渡る。何をすれば冒険者足り得るかというものは、簡単に答えの出ないテーマだろう。
しかし、どんなファミリアにも共通していることが一つある。どのような冒険者であろうとダンジョンに潜り、モンスターと戦う必要があるという事だ。商業系であろうとなんだろうとそれは変わらない。ドロップアイテムはダンジョンに行かねば手に入らないのだから。
故に冒険者が戦う相手で最も多いのはモンスターとなる。職業柄、荒っぽい連中は多いし、ファミリアで抗争が勃発することもあるため、冒険者同士が戦うこともなくはないが、それでも対人戦は対モンスター戦に比較すると、圧倒的に少ない。よって、剣術や武術といった、テクニック的な要素は疎かにされがちだ。レベルの低い怪物相手なら恩恵任せのごり押しでなんとかなってしまう。
しかし、これらの力が大いに必要となる時期がオラリオには存在した。
オラリオ暗黒期。高い知能と力を持つ冒険者と冒険者が戦わなければならない時代。対人戦の頻度が急速に増え、 オラリオはただ力だけでは乗り越えられない場所となった。
そんな修羅の時代を最前線で生きている冒険者がいた。技術と実力、そして聡明な頭脳を持ち合わせた剣士。暗黒期においても燦然と輝く太陽のファミリアに属する【暁の剣聖】。基本的に一匹狼で、親しい友人は何人かいるが、仲間と呼べる人物は一人もいない。そんな彼が、剣を教えた人物がたった二人だけいる。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインと【天剣】ソウシ・サクラ。数多の冒険者の中で剣才を認めた冒険者。
『剣技に於いて必勝の一閃ってなんだと思う?』
まだ少年の髪がしっとりと濡れたように艶やかな黒髪だった頃、そんな質問を彼は二人の弟子にしたことがある。
『そんなのあるの?』
『
彼を信頼していないわけではなかったが、若き日の【剣姫】と【天剣】は師に疑いの目を彼に向けた。
『あるぞ。まあコレは対人戦に限る技でモンスターには通用しない場合もあるけど』
それでも必勝の剣技と言われれば興味を惹かれないはずがない。二人は是非教えて欲しいと嘆願した。
といっても、口で言っても説得力はないだろう。稽古中だったリヴィエールは訓練用の木剣を持ち、鋒を上げた。
『百聞は一見にしかず。東方の格言だ。その通りだと俺も思うからずっと実践している。お前も体感しているよな?』
アイズとソウシ。剣技を習った日は全く違うが、教え方はほぼ同じだった。既に身につけている技を実際に体験させ、見て真似て学んで自身のものにする。そうでなければいざという時、身につけた技術はその力を発揮してくれない。
『見せてやる。かかって来い。一度で覚えろよ』
弟子が木剣を取り、師に斬りかかる。その速度、威力、共に並ではない。常人であれば反応すら出来ず頭を割られただろう。しかし、その刹那の瞬間に二人は信じられないものを見てしまう。
間合いの中に無造作に侵入してきたリヴィエールは繰り出した一撃に対して同様に木剣を振る。その剣尖は明らかに防御の動きはしていなかった。明らかに攻撃のための一撃。にも関わらず木剣はぶつかり合う。ならば武器ごと破壊するための斬撃だったかと言われればそれも違う。明らかに剛の技ではなく柔の技。威力より正確性を重視したものだと【剣姫】と【天剣】は手応えから理解した。
えっ。と思った時にはもう遅い。攻撃の軌道が自分の意思とはかけ離れ、身体が流れる。同時に腹部に衝撃が奔った。
交錯が終わる時、弟子は地に膝をつき、殴打された腹部を押さえる。コレが真剣であったなら明らかに致命傷。しかも明らかに手加減された一撃だった。勝負あり。文句なしの敗北だ。
『な?理屈は簡単だろ?』
黒髪の少年が木剣を軽く掲げ、肩を竦める。その言葉の意味を敗北を喫した二人の剣士は正しく理解していた。先の一撃、師が行ったことは至極単純。特別な事はたった一つ。それをワンアクションでやってのけたという事だった。
『受けと攻めをほぼ同時に行うというのは、ある程度手練れであればやってのけるだろう。でもそれはあくまでほぼであり、完全じゃない。普通に守ると攻めるをやるんじゃどうしても2アクションが必要になるからな。だが、ほぼじゃ必勝の一閃には程遠い』
取り落とした木剣を拾い、自身が手にした剣と重ねる。
『敵の攻撃を受け止めるためでなく、逸らすために振る。剣先を静かに添わし、剣全体で敵の攻撃軌道をずらし、そのまま相手を斬る。攻め終わりはどんな達人にも隙ができるからな』
木剣を打ち合わせ、先ほど行ったことを今度はゆっくり見せる。こんなことをしなくてもこの二人であれば見えていただろうが、この方が説明しやすい。
『前に出て、敵を己の間合いに収め、向かってくる攻撃をかわし、最後に急所を斬る。コレをワンアクションで行えば、必ず勝つ』
思わず二人とも息を呑んだ。たしかに今、彼が言ったことを完璧に行えば、それは必勝と呼んでいいのかもしれない。少なくとも、自分は成すすべなくやられてしまったのだから。
しかし……
『その様子からするとわかったみたいだな。そう、この技には必勝に見合う凄まじい危険が伴う。敵の間合いの内でコレをしくじればまず死ぬと思っていい。そして完璧に決まったとしても必ず勝つと言える技でもない。この世に100と0はないからな。これはあくまで限りなく必勝に近づける剣技でしかない。俺すら実戦では試したことがない』
この技はコンマ数ミリのズレが命取りになる。おいそれと使うことはできない。まして実戦となれば木剣で行った時の数倍の精度を要する。
「完成形を思い描き、実行する技倆を持っていても、そのリスクの高さから、実戦での使用には至っていない絶技。俺もこの技は開発段階に過ぎない。使えるようになるまであと一年はかかるかな」
リヴィエールがこの絶技を実戦で使用したのは、レベル7になってからの事だった。
▼
「レヴィス、侵入者だ」
赤光に照らされる不気味な大空洞。その片隅で顔を伏せていた赤髪の美女はその警告につられ、目を開く。
「モンスターか?」
「いや、冒険者だ」
立ち上がり、白骨の仮面の男の背後を歩く。目的地は肉壁に埋まった青白い水膜。月の表面を思わせるその水面には食人花と戦う冒険者の一団を写していた。
「中規模パーティ……全員なかなかの手練れのようだ」
「あ!!」
水膜の中に、長い白髪を赤い紐で総髪に纏めた美青年と金髪金眼の少女が現れる。その時、傍らから驚きの声が上がった。
「
「何?」
浅葱色の羽織を着た少女が喜色満面に飛び上がる。レヴィスも目の色が変わっていた。
「奴が言っていた先輩とは【剣聖】の事だったのか。知らなかったな」
「その【剣聖】が『オリヴィエ』だ。女は『アリア』」
「…………【剣姫】がアリア。信じられん」
「確かだ」
「あら、あの子、もうこんな所にまで来ちゃったの?予定より随分早いわね」
フワリと甘ったるい声が上空から降りてくる。羽が舞い降りるかのように現れたのは人の形をした魔物。紫がかった黒髪を腰まで伸ばし、蠱惑的な肢体は服と呼ぶにはあまりに薄い布で覆われている。細い首には小枝で編まれたトルクが飾られており、極彩色の魔石が鎖骨の中心に埋まっていた。
彼女の名はリャナンシー。古くは妖精だったが、今は魔物と呼ぶべき存在だ。
「何の用だ、半妖精」
「なんだはないでしょう?白ローブ達が騒ぎ出したから様子を見にきてあげたのに」
「リャナンシー、
嬉しそうに女剣士がリャナンシーに擦り寄る。宥めるように半妖精は浅葱色を着た少女の髪を撫でた。
「ええ、会いに行きましょう。でも私が良いと言うまではダメよ」
「………わかりました」
「『アリア』とは私がやる。いいな」
「お好きに」
「お前は周りの連中を引き剥がせ」
返事を待たず、赤髪の女は大空洞から動き出す。この度の惨劇を演ずる役者達は粛々と集い始めていた。
▼
24階層食料庫付近。薄気味悪い肉壁に囲まれた通路の中で、中層レベルを超えた激しい戦闘が勃発していた。
「ルルネ!魔石はどこですか!?」
モンスターの体当たりを防ぎ、中衛が触手を弾き飛ばす。【ヘルメス・ファミリア】は食人花と一進一退の攻防を繰り広げていた。初見の相手に対し、攻めあぐねる中、アスフィが指示を出す。突如上から現れた食人花によって混乱した戦場でも、この水色髪の麗人は冷静だった。
「えっと、確か口の中!」
ルルネの答えに一度頷くと、ベルトのホルスターから小瓶を取り出し、投げる。的確に食人花の口腔に投擲されたそれは衝撃が発生すると同時に爆発した。
「バースト・オイル……また厄介なものを」
アスフィが投げた物の正体を知るリヴィエールは呆れと感心、両方の意味を込めて嘆息する。彼女が使ったのは都市外の資源を元に作られるという緋色の液体。その破壊力は中層クラスのモンスターをも屠る。携帯式の炸裂弾。
その高威力と扱いの難しさ。何より作れるのが彼女のみであることから、アスフィしか使えないアイテムだが……
───複数携帯出来る小瓶程度の大きさであの威力……ほぼ無詠唱魔法だな
呪文の発動すら必要としない速攻魔法。圧倒的な初速を持つ代わりに威力は大したことがないのが特徴。しかしアスフィのアイテムは速射性と威力を両立させていた。
食人花が標的とする魔導士達の防衛へと回りながら、リヴィエールはアスフィの観察を続けていた。やはり彼女は抜きん出ている。指揮能力のみで言えばフィンに匹敵するかもしれない。
───高度に熟達した技術は魔法と区別がつかない、と聞いたことがあるが……
アスフィの技術は魔法の領域にまで来ているのかもしれない。
「粗方片付きましたね」
「落ち着いて戦えばなんとかなるものだなぁ」
落ち着きを取り戻すヘルメス・ファミリアの傍らでリヴィエールは手に持つ剣の具合を確かめていた。刀身は仄かに蒼く輝き、海の漣を纏うかのように揺らめいている。
───あの堅い食人花を斬ってもほぼ手応えがなかった。それでいてあの斬れ味……
一流の剣客は対象を斬る時、相手に与えるダメージを常に想定している。この相手は真二つにする。この一撃は受ける。警告の意味を込めてかすり傷にする、など。まあ、アイズはこの手の匙加減が下手だが、人に剣を教えることもあったリヴィエールは自由自在だ。
しかし、そのリヴィエールがこの剣に関してはそれを手こずっていた。剣の斬れ味が良すぎて、想像以上のダメージを与えてしまっている。剣客が斬りたい時にのみ斬れるのが手にした剣を使いこなす条件なのだが。
───振れるには振れるが……まだ持て余しているな。
【剣聖】たるもの、一度試せば、だいたい学習する。二度と振ればほぼ盤石。カグツチすら使いこなすのに三度は必要なかった。しかし、このフラガラッハは食人花程の相手と硬度を持ってしても掌握したとは言い難い。それどころか、斬るほど斬れ味が増しているのではないかとすら感じた。
───流石はイルダーナハの
かつてルグの佩剣だったという神器。この探索中に必ず使いこなしてみせると決意すると同時に、一つの期待感が心中をもたげる。このフラガラッハなら……
「【剣聖】?聞いていますか?」
いつのまにか隣に来ていたアスフィが気遣うように声をかけてくる。
「聞いてるよ。新種に関しての情報だろ?」
「はい、貴方と【剣姫】はアレに関して詳しそうなので」
「詳しいって言っても二度…いや、今回含めりゃ三回か。戦った程度のモンだがな」
それでも把握できていることはある。打撃にはめっぽう強いが、斬撃には大したことない。魔力に過敏に反応する。
「……あと共食いの習性を持つ可能性あり、こんなところか」
最後のは言うべきか少し迷ったが、一応伝えておく。強化種である可能性は捨てきれなかった。
「『魔石』の味を覚えてしまった種であるかもしれない、と?」
「少なくとも突発的な戦闘によるパターンではない、と俺は考える」
たとえ見た目が違っても、モンスター同士で戦うということは基本的にない。しかし稀に、モンスターがモンスターを襲うケースにこの2パターンが存在する。
冒険者達がステイタスを更新して強くなるように、モンスターは魔石を喰らい、能力を飛躍的に上昇させる。その全能感に酔った怪物は魔石を喰らい続ける事がある。それが『強化種』、有名なので言えば『血塗れのトロール』。上級冒険者を50以上殺した化け物。
「まあ、アレは流石に特例だが、五つ以上喰えば確実に変化するというデータはある」
「そうであれば先ほどの連中の強さに差があったのも頷けますね」
「…………冗談じゃないぞ」
変な不安を与えるのも面倒なのでコレは言わないが、戦った感じ、怪物祭やリヴィラでやった連中の方が強かった。個体差程度の差ではない。もしあの連中が群れで来ていたら、ヘルメス・ファミリアに犠牲者が出ていただろう。
恐らくあの時の連中はテイムされたもので、レヴィスが魔石を喰わせ、準備を整えていた可能性が高い。今回は恐らくその前段階。極彩色の魔石連中は天然ではないという予想が正しければ、自分たちと異なる天然の魔石モンスターを襲うというのもわからなくはない。
───恐らく、この先にいる。
極彩色組を生み出している源泉。もしくは赤髪の調教師、レヴィス。そのどちらか。あるいは両方が。
「また分かれ道、ですか」
考え事をしながら歩いていると、上下に分かれた洞窟へと辿り着いていた。
「次から次へと……まるで迷路ですね」
「かといって後戻りもできないしなぁ」
自分たちが歩いてきた跡を見る。魔法で焼いてこじ開けた入口はひとりでに盛り上がり、完全に塞がってしまった。今はルルネが地図を作りながら少しずつ進んでいる。即興で書いているため、流石にギルドが作成したマップと比べれば簡素だが、頭の中で常に地図を書いていなければ不可能な精度だ。訓練してもリヴィエールでは出来ないかもしれない。自分はもちろん、かの【剣聖】が人物と認めた冒険者達にも、持ち合わせのない技術だったため、久々に素直に感心した。
「ちなみに【剣聖】。貴方は上か下かどちらへ進むべきだと思いますか?」
「……どっちか選べというなら下」
「根拠は?」
「ない。勘」
「わかりました。では上に行きましょう。なにせこっちは根拠があります。トラブルに溺愛されている貴方が上を選んだからです」
その意見に誰もが賛同し、上へと歩み始める。なんだろう、凄く納得いかない。俺だけ下に行ってやろうか。
「リヴィ、行かないの?」
「……行きますよ」
不思議そうに小首を傾げるアイズに苦笑で応え、先頭へと走った。
「…………げっ」
上へと進み始めたその時、夥しい数の食人花が現れる。慌てて下がり、下への道を見ると、花頭達が既に洞窟を埋め尽くしていた。
「両方かよ」
「惜しい、三方だ」
いつのまにか背後からも毒々しい牙達が現れていた。しかも背後からの方が明らかに数が多い。
───背後の警戒は解いていなかった。間違いない。コイツら、偶然でなく急に現れた。
「ウルス、背後は任せても?」
「オーライ。アイズは──」
「リヴィをフォローする」
そっちを手伝ってやれ、と言おうとしたが、遮られる。アスフィに視線を向けると、頷いてみせた。リスク回避が身上の彼女としては退路の確保は確実にしておきたい。この二人なら援護に駆けつけるのもそうかかるまいと判断したのだ。
「では!!」
号令が掛かると同時に全員が飛び出す。リヴィとアイズの剣はほぼ同時に食人花の首を刎ね飛ばした。
ゾクリ
背筋に嫌な感覚が奔る。進行方向に身を転がす。翡翠色の瞳は天井から巨大な柱が落下してくる瞬間を捉えた。
「───っ!?」
リヴィエールに数瞬遅れてアイズが緊急回避を取る。既に姿勢を整えていたリヴィエールは地面を蹴りつけ、次々に降り注ぐ巨大な緑の柱から危なげなく距離を取った。
「………やられた」
現場を確認したリヴィエールは一言、呟く。素早い後転で避け切ったアイズが白髪の剣士の隣に着地したのはその時だった。
「───引き離された」
避け切ったとはいえ、通常のダンジョンではありえないトラップの存在への驚愕は二人とも冷めていなかった。けれど剣士の本能が考えるより先に身体を動かす。残りの食人花を【剣姫】と【剣聖】は秒殺した。
「そちらから出向いてくれるとはな。願ったりだ」
分断した緑柱の壁を突破するべく、リヴィエールが腰に剣を収める。それとほぼ同時に背中から声がかかった。その声に対して、二人とも驚きはない。来たか、とさえ思ったくらいだ。
「やっぱり、いた」
「また会ったな。『アリア』、『オリヴィエ』」
突き刺すような女の視線。金眼はしっかりと受け止め、翡翠色は苦笑を浮かべる。長大な通路の中で、三人は対峙した。
「いるとは思ってたが……ずいぶん剣呑だな」
纏う気配は殺気しか感じられない。獰猛でいて、ある意味真っ直ぐ。
「ヤル気満々は結構だが、なんで貴様はいつもそんなにイラついてんだ」
「さあな」
「このダンジョンはなに?貴方が作ったもの?」
「知る必要はない」
全く取りつく島もない。全てバッサリと切り捨ててくる。
「お前に会いたがっている奴がいる。来てもらうぞ、『アリア』……そして『オリヴィエ』」
「俺はオマケか」
あまりされたことがない扱いだ。新鮮で少し笑ってしまう。白髪のハイエルフは遠慮のない相手が嫌いではなかった。
「私は『アリア』じゃない。『アリア』は私のお母さん」
「世迷言を抜かすな。『アリア』に子がいるはずがない。それにお前が本人であるかないかなど、どうでもいいことだ」
───本人であるかないかがどうでもいい?
レヴィスが現れて初めて、リヴィエールに不快な感情が湧き上がる。本人であるかどうかは通常、重要なファクターだ。たとえ同じ性格、同じ姿形をしていたとしても、本人と別人とでは天と地の差がある。
───俺を『オリヴィエ』と呼ぶのは、てっきり神巫が襲名制だからだと思っていたんだが……違うのか?
「『アリア』ってのはお前にとってなんなんだ?」
無駄とわかっていても質問を重ねる。そして予想が外れる。無駄ではなかった。
「名を知っているだけだ。何度もせっつかれ、うざったらしい声に従って探していればお前達に会った」
───誰かに頼まれたってことか?それなら先の『どうでもいい』の説明も出来なくはないか
誰かに従うタマには到底見えないが、その誰かが『アリア』を探しており、アイズをソレと認めたなら、一応の筋は通る…………違和感は消えないが。
要らないことを言った自覚があるのか。不快そうに眉を歪める。『話は終わりだ』と言わんばかりに女は肉壁に手を突き刺した。
前屈みになり、露わになった豊かな胸の谷間が揺れる。赤い液体とともに長い棒状の何かが引き抜かれた。
───長剣……
不気味な外見のそれは目のようなものがいくつも埋め込まれている。片刃の剣だが斬れ味の程は見ただけでは分からなかった。
「リヴィ、手を出さないで」
臨戦態勢となった強敵を前に、二人も意識を切り替える。一歩前に出ようとした白髪の剣士を、凛とした声が止めた。
「…………フン」
鞘から手を外す。剣の鯉口を閉じると腕を組み、壁に背を預けた。
「…………どういうつもりだ」
今度はレヴィスから質問が出される。アイズとリヴィエール両方に向けてのものだった。『オリヴィエ』の手を借りないつもりか、と問い詰めたのだ。その気持ちもわかる。つい先日、アイズはこの強敵相手に敗北している。リャナンシーと戦いながらも【アリア】を庇ったお優しい【オリヴィエ】様なら当然加勢に入ると思っていたのだろう。
質問にアイズもリヴィエールも答えなかった。白髪の剣士は強い瞳でアイズを見つめ、青年の弟子は己の愛剣に全神経を集中させていた。
「…………まあいい。行くぞ」
言い終わるか終わらないかのうちにレヴィスの姿が搔き消える。空気が悲鳴をあげるかのような音響のみが洞窟に響き渡った。
無数の剣尖が繰り出され、激しく打ち合う。前回と同じく、レヴィスは純粋な剣技と凄まじい威力の拳蹴を織り交ぜた戦術を取っていた。この烈火の如き攻めに以前のアイズなら押され気味になっていた。
しかし……
「…………?」
剣戟の中で赤髪の女が怪訝な表情を浮かべる。今の彼女はレヴィスの全てに対応して見せていた。
「なっ!?」
驚愕。明らかに速くなった。なんとかガードが間に合うが……
───不十分。今のアイズのパワーなら。
剣聖が予想した通り、レヴィスが弾き飛ばされる。渾身の袈裟懸けに耐えきれず、壁に叩きつけられた。
「ステイタスを昇華させたのか」
「並びたい人がいた。それだけ」
舌打ちする。レヴィスは即座に現実を受け入れていた。
「…………なぁ、リャナンシー。後で絶対戦ってやるから、少し後にしてくれないか?」
二人の戦いを何一つ見逃すことなく観察していたリヴィエールは視線を外さないまま、問いかける。その声に応えるように、闇の奥から黒髪の美女が姿を見せた。
リャナンシー。古くは妖精。今は魔物と呼ばれる美女。首元にはトルクが飾られ、豊かな胸の谷間の中心には魔石が輝いている。
「あの子を見たい?」
「ああ」
24階層の雑魚戦では相手が弱すぎてアイズの底を見切るには至らなかった。弟子の成長を知るためにも、今後のためにも、もう少し見たい。その相手として、以前のアイズが敗北を喫した強敵であるレヴィスは最適だった。
「あの怪人もどき。踏み台になっちゃったみたいねぇ」
「ああ見えて負けず嫌いなんだよ。アイツも」
リヴィエールに釣られてか、戦う気がないと感じ取ったからか。リャナンシーも観戦の態勢に入る。常人では目に写すことすら不可能な攻防を彼女も見切っていた。
───ステイタスの差は感じ取ったはず。なら次に移す行動は……
大上段に禍々しい長剣を構える。明らかな攻撃の構え。防御を全く考えていないことが姿勢から容易に読み取れた。
「まあそうだろうな。長引けば長引くほど実力差は顕著に出る。一気にカタをつけようとするレヴィスの戦術は正しい」
「貴方と同じねぇ」
忍び笑いが耳朶を打つ。否定することはできなかった。かつてリャナンシーと戦った時、全てにおいて劣っていると認識した幼き日のリヴィエールも防御を捨てる戦法を取った。
ましてレヴィスの強靭さは常軌を逸している。アイズの剣でも多少食らっても構わないと本気で考えているはずだ。ダメージを省みるタチとも思えない。アイズや自分と同じタイプだ。
「二、三撃はくれてやる」
突進。捨て身だ。ケツまくって逃げるなら対処法もあるが、『
対処法はある。一つはこちらから先に叩き込むこと。リヴィエールならこの戦術をとっただろう。たしかにレヴィスの渾身は凄まじい速さを誇るが、リヴィエールは『居合斬り』を身につけてから剣速において劣った経験はなかった。渾身だろうと捨て身だろうと当たらなければどうということはない。万が一、剣速が互角、もしくは負けていたとしても、剣ごと斬りふせる自信がリヴィエールにはあった。
リャナンシーであれば魔法を使ったはずだ。エアリアルを使えば回避も迎撃も不可能ではなくなる。
───先に叩き込む
───魔法で迎え撃つ
オラリオ屈指といっていい実力者二人が出した結論。外れることはまずないと言っていい。
しかし、世の中に0と100はない。アイズは二人が思いもしなかった行動に出た。
『動かない?』
迫り来る剣閃に対し、動く様子がない事をレヴィス含めた三人は佇まいから気づく。
───まさか……
蜂蜜色の髪の剣士の意図を察したのは彼女の師のみであった。
ソッと細剣を突き出す。禍々しい長剣に白銀に輝くデスペレートが添えられ、刀身が天然武器の側面を這った。剣全体で軌道をわずかにズラし、自身の身体から引き離していく。
───俺があの時教えた!
外れていくレヴィスの剣に対し、銀の剣尖は的確に絶対急所、左目へと向かっている。このままなら間違いなく目を破り、脳を突き抜くだろう。硬い敵に遭遇したことは幾度となくあるが、目が斬れなかった敵に出会ったことは一度としてない。一撃で命まで確実に持っていく。
地面が砕け散り、閃光が突き抜ける。交錯が終わり、決着かとリャナンシーは見たが、リヴィエールだけは惜しい、と呟いていた。煙が晴れた時、二人は剣を振り抜いた状態で停止していた。アイズは当然無傷。レヴィスも目元に赤い線が走ったのみ。
「外れた?」
「いや、完璧に決まっていたよ。が、狙いが少し良くなかった」
剣尖は目、というか頭を目指して走っていた。狙う側としては的が小さい上に訓練を積んだ戦士であれば反射的に最小限の動きで回避できてしまう。なにせ首を傾けるだけでいいのだから。
───目じゃなく喉……いや、せめて額を突いていたら
終わっていた可能性は限りなく高かった。
「人の成長は、階段だ」
レベル5として、限界を迎え、壁に激突していたアイズ・ヴァレンシュタイン。
伸び悩みながらも努力をあきらめず、戦い続けていた中で、【精霊】は【神巫】と再会した。彼女に取って目指すべき高みは彼女の記憶より遥かに強くなって舞い戻った。
蒼然とした闇夜の下、叩きつけられた敗北感がその高みへと駆り立て、心の奥に秘めていた負けず嫌いが爆発した。全てのパーツがうまく噛み合わさり、【剣姫】は壁を超えた。
───エアリアルを見てないから断言はできないが、総合的な戦闘力で言えば、恐らくまだ俺の方が上。
だが剣技、特に繊細さを必要とする技術に関して、【剣姫】は【剣聖】に並んだかもしれない。
予感はあった。きっかけ一つで化けるかもしれないと思っていた。しかしここまでとは……
「………貴方以外の人間に、感じたのは初めてかも」
リャナンシーが何を感じたのか、リヴィエールにはわかった。
凡人が不断の努力で積み重ね、人生をかけてすら、たどり着けないかもしれない領域に、きっかけ一つ。閃き一発で容易に追い越していく。
彼自身、そう呼ばれる事は何度かあったが、自分がそうであるかはわからない。
だが、断言できる。この形容を使うのはリヴィエールにとって二人目。
「リヴィエール」
腕組みを解く。そろそろリャナンシーの我慢も限界だろう。もう少しだけ、と言ったのは自分だ。そして彼女はそれを守った。それを裏切るのは王族の血が許さない。
剣に手を掛ける。すると予想外な事に、リャナンシーは槍を構えなかった。ヒラヒラと手を振り、戦意がないことを動作で伝える。
「勘違いしないで。私はただの案内人。実行するのはいつだって私の領分じゃないのよ」
身を引く。戦闘音で気づかなかった。もう一人が暗闇の奥から現れる。薄赤い光の下でその姿が露わになった。
「………」
戦士の本能として、感情を外に出すことはしない。しかし、心中はこれ以上なく強く動揺する。新手は知人だった。かつてのクエストで闇派閥に潜入していた時、パートナーだった冒険者。
淡い桜色の髪に、少しハイカラな和装は追い剥ぎにでもあったかのようにボロボロになっている。体格は小柄で、華奢な雰囲気さえ感じる、美しいというよりは可愛らしいという形容が似合う少女剣士。
「ソウ」
「ご無沙汰しておりました。
リヴィエールがかつて天才と感じた二人の弟子の一人が、過去から現れた。
後書きです。新生活が始まりましたね。皆さまおめでとうございます。色々大変だと思います。拙作を息抜きに使っていただければ幸いです。