その二つ名で呼ばないで!   作:フクブチョー

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Myth37 貴方のためにあった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の中心都市たるオラリオには巨大な書庫がある。そこには神話の数々や名だたる騎士や世界で起こった多くの出来事を綴った伝説や詩文が書物や巻物として纏められている。

そんなオラリオ最大の図書館にフードを目深に被り、マスクで顔を隠した青年が訪れていた。今は多くの蔵書を抱えている。調べ物をしているらしく、なにやら呟きながらページをめくっていた。

 

───外れ、か。

 

何のアテもなしにオラリオで最も巨大な書庫に来たが、少々考えなしであった事を思い知る。ここに収められている蔵書数はまさに天文学的数字だ。たった一人で調べるのは無理があった。

フードの男、リヴィエールグローリアは分厚い本を閉じ、空を仰いで嘆息する。この日、彼はとある名前を調べるために、図書館に訪れていた。神聖文字で綴られている本も多くあったが、特殊な教育を受けている彼は問題なく読める。

しかし、こういった作業に慣れていないからか、進捗は思ったより遅い。

 

「アリアって、なんなんだ」

 

そう、今日彼が調べていたのはこの名前。先日、アイズとお忍びデートをした時、居眠りした教会で見た神聖文字で刻まれた精霊の一柱。聞き覚えがあるような、ないような、けれど目が吸い寄せられた、あの名前を調べに来ていた。

 

人間には気になったことやわからない事を、いずれわかるまでそのままで良しとするタイプとすぐに調べるタイプの二種類がいる。リヴィエールは完全に後者。彼が根拠なく気になった対象は剣聖にとって重要であった事が多い。

今回もその例にもれない。その名前を見たときに感じた鼓動。脳裏を過ぎったアイズの姿。気にならないはずがない。

今は精霊に関する書物を片っ端から調べていた。しかし今のところ、ヒットするような資料はない。

 

「次は……あー、こんな物まで持ってきてたか」

 

『迷宮神聖譚』【ダンジョン・オラトリア】

 

どちらかというと英雄譚に近い書物で、空想力などが豊かになる思春期の少年少女に人気のある本だ。色を塗った挿絵まで挿入されるほど凝った作りをしているが、いかにも物語のような書き方がリヴィエールの失望を加速させる。

 

「ま、偶には良いか」

 

空想話に近い本のため、目当ての情報が載っているとはとても思えなかったが、手に取ることにする。小難しい本ばかり読んでいて頭が疲れていたのも事実。少し娯楽対象の物語を読むのも悪くない。

それに、勘が言っている。悪くないカードを引き入れた、と。

 

大雑把にページをめくっていく。四分の一ほど進んだくらいで、手を止める。やっぱりな、と口角が上がった。

そのページに書かれていたのはアリアに関する記載だった。

 

───アリア……やはり精霊の名前か。内容は…

 

読み進めていくうちに再び失望が頭を支配する。これといった手がかりの記載はなかったからだ。

冒頭には精霊の特徴について書かれていた。神に最も愛された子供。神の分身。完全なる不死ではないが、数世紀に渡る寿命を持ち、エルフと同じ魔法種族。だがエルフよりも強力な魔法と奇跡の使い手。

ここまでは既に知っている。その先についてを知りたかったのだが、載っていない。記載されているのはありふれた英雄譚。地上に降臨した精霊アリアは人間の若者達と協力し、悪を討ち、最後、精霊は共に戦った騎士と恋に落ちるという物語だった。それ以上の事はアリアに関しては書かれていない。

 

───珍しく外れたか?

 

彼にとって自身のカンが外れるという事は滅多にない。または外れたと思っても、後にやっぱり、となる事が多い。その為、外れたかと思った時は頭に留め置く為、もう一度振り返ることにしている。

今回もその例に漏れず、リヴィエールはアリアが登場したページに戻り、読み返し始めた。

 

───ん?

 

一番最初の冒頭の冒頭。アリアを地上に招くために巫女が祈りを捧げる場面がある。その巫女はいずれ結ばれる騎士よりも先に精霊アリアと出会い、唯一無二の親友になったとされている。

まだ精霊アリアが登場していない場面であったため、読み流していた部分だったのだが……

 

───精霊には願いを届けるために担当の神巫が着いている……アリアも例外ではない。精霊アリアの神巫は泉の女神【ウルズ】に洗礼を受けた王族(ハイエルフ)……

 

その名前を見た時、リヴィエールはまさかな、と思い、気にも留めなかった。女性名として珍しい名前でもない。そういう偶然もあるだろう程度の認識だった。

 

その神巫の名が【オリヴィエ】であった事など…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『リヴィエール』

 

いつかなんて思い出せないほど遠い昔。彼の中に唯一息づく父の声。黒髪の少年は完全に母似で、彼女から受け継いだものは多くある。容姿、声音、芸術の才、瞳の色。彼を形作る殆どが母からの遺伝だ。その母の記憶すらあまりない。温かく、優しく、美しい人だった事。サラッとした、綺麗な声をしていた事。心の中に多くの物語を持っている人だった事程度。

 

『お前には才能がある。お前はきっと強くなる。私などより、遥かに』

 

ましてや父に関しては尚更だった。父から受け継いだモノはたった三つ。

剣の才。しっとりとした濡羽色の髪。そして、この言葉だけだ。

 

『剣の意味は持つものによって変化する』

 

初めて本物の剣を握った時に教えられた。その後も、何度も言われた事だ。父の事に関してあまり記憶にないが、この言葉だけはハーフエルフの心の奥底に刻み込まれている。

 

『リヴィエール、力に……剣に振られるな。お前が、剣を振るんだ』

 

この教えを初めて受けた時、リヴィエールは剣の重さに振り回されるなという意味だと思っていた。事実、初めはその意味もあったことだろう。幼い少年が持つにはその鉄の塊はあまりに重すぎた。フラフラと振り回された事は、ハッキリと覚えている。

 

少年は成長した。身体は大きくなり、腕を上げ、力を身につけ、強くなった。かつて振り回された鉄の塊を自在に操ることなど、彼にとって造作もない。

しかし、剣聖と呼ばれるようになってようやく、父の教えの意味がわかった。

 

有り余る天賦の才による早過ぎる成長は、時に不相応な力を身につけてしまう。身につけた力を制御できず、暴走してしまった戦士を何人か見てきた。これが力に振られるなという、父の教えの本当の意味だとアイズを見て知った。

 

そしてもう一つの意味。

 

復讐(コレ)以外にどうやって、仲間の無念を……この黒い塊を晴らせって言うんですか』

 

闇の中で苦しみに喘ぐ緑金の疾風。かつてアストレア・ファミリアに所属していた自身の相棒は復讐心と感情に突き動かされ、暗い剣を振ろうとしていた。彼女はあの時、自身の意思で剣を振っていなかった。

その姿を見て、リヴィエールはようやく知る。剣を握っているものが意思を持っているとは限らないということを。

掲げる剣に、誇りと名誉、己が矜持を。交える刃に畏怖と礼節、己が全霊を込めてこそ、その剣は剣士が振るっていると呼べる。

 

身に余る力に振り回されるな

激情に身を委ねて戦うな

 

その二つの禁を剣聖と呼ばれる剣士は破り続けている。わかってる。わかってはいるが……

 

「アイズ……」

 

焦りか、恥辱か、渇望か、何が彼女を突き動かしているかはわからない。だが、明らかに剣に振られて戦っているアイズを見て、リヴィエールは自身がかつて、剣鬼と呼ばれていたことを思い出していた。

 

───お前と俺は似ている。わかっていたことだが…

 

リヴィエールはかつて剣聖と呼ばれ、同時に剣鬼とも呼ばれていた。異常な成長速度と鬼気迫る戦いの姿から強さに取り憑かれた鬼の子。アイズがランクアップし、剣姫と二つ名が付いてからは紛らわしいので呼ばれなくなったが、彼を揶揄する者達、そして畏怖する者達ならば未だに知っている。

そしてアイズも、剣姫とは別に、かつては人形姫と。そして今は戦姫と呼ばれている。理由はリヴィエールとほぼ同じ。

白髪の青年は初めてリヴィエール・グローリアという剣士を自分の目で見たかもしれない。

 

───なるほど、これは…

 

ルグ、へファイ、リヴェリア、リュー、エイナ、アイシャ。自分のことを信じ難いほど案じる女達の顔が脳裏に浮かんだ。

 

───心配されるわけだ……

 

鋭利な風が肌を撫でる。巨大な壁である骸骨の王を破壊せんと渦巻く、強い、けれどどこか頼りない、そんな風がルームを埋め尽くした。

 

「リル・ラファーガ!!」

【集え、大地の息吹───我が名はアールヴ】

 

緑光の加護(ヴェール・ブレス)

 

気流ごと包み込む暖かな翡翠の光膜。その光は物理属性と魔法属性両方の抵抗力を上昇させ、僅かだが身体の傷も癒す、補助魔法。リヴェリアかと思い、視線を向ける。だが違った。魔法は確かに彼女の技だが、行使したのは彼。

 

「勝て、アイズ」

 

エアリエルの反動でボロボロだった身体に活力が戻る。なんて重い、なんて嬉しい、なんて暖かい言葉だろう。心の高揚のまま、ありったけの大風を激発させる。

 

『ォオオオオオオ───』

 

漆黒の巨体が仰け反り、崩れ落ちる。頑強だった骨鎧は砂のように瓦解した。

 

「手出ししないんじゃなかったのか」

「うっせーな。これくらいはいいだろ」

 

いつの間にか隣に来ていた姉の皮肉に頭を掻き毟る。実にムカつく目をこちらに向けているが、表情ほど余裕がない事には気づいている。

 

───痛いな、お互い

 

血が乾き、固まった悲壮な姿で魔石に剣を突き立てる姿を、リヴィエールはリヴェリアと同じ目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが終わった戦場で、アイズは剣を力なく下げた。言葉もなく、糸の切れた人形のように倒れ臥す。

 

「──っと」

 

その寸前に、白金の少女の華奢な抱き抱える。

 

「───リ、ヴィ…」

「アイズ」

 

優しく、けれど力強い腕が彼女を抱きしめる。アイズが好きな彼の翡翠色の瞳は褒めればいいか、怒ればいいか、複雑な色が宿っていた。

 

「あの…ごめんなさ──」

「後だ。じっとしてろ」

 

自分の膝にアイズの頭を乗せて寝かせ、回復魔法の詠唱を紡ぐ。緑光がアイズの全身を覆う。最も傷の深い額に武骨な指が触れた。

 

「何か拭くもの……」

 

あるかな、と懐を探ろうとした瞬間、ビリッという何かを引き裂く音がする。同時にローブが引っ張られるような感覚も。明らかに自分の纏う砂色の外套が破られた。

 

「借りるぞ」

「リヴェリア……それ俺の聖布(ふく)──」

「文句あるか」

「…………サー、ありません」

 

気の弱い者なら腰を抜かすほど昏い瞳をこちらに向けてくる。怒ってるお姉ちゃんに逆らう物ではない。一級品防具の切れ端程度で済むなら安いものだ。

 

「リヴェリア……」

「動くな」

 

リヴィエールの膝の上で仰向けになって寝るアイズの血の汚れを引きちぎった聖布で拭う。傍目から見ても少し強いのではないかという圧力で彼女を清めていく。アイズも片目を瞑り、若干痛そうにしながらも、後ろめたさからか、されるがままになっていた。

 

「こんなところか」

 

血塗れになった聖布を取る。まだ傷は多いが、先程よりは随分と綺麗になった。

 

「後はお前に任せる」

 

一度、リヴィエールの白髪を撫でるとリヴェリアは立ち上がった。その姿に二人とも目を見開く。確実に説教の一つは覚悟していたからだ。

 

「勘違いするな。後でたっぷりと話は聞く。覚悟しておけ」

 

彼女なりの気遣いと嫌がらせだという事にリヴィエールだけは気づく。アイズももう少し心に余裕ができれば、彼に膝枕で頭を撫でられたという現実に恥ずか死する事だろう。

 

───そして同時に、今回アイズに何があったのかを俺に聞き出させ、その説明に黄昏の館に来いって事。

 

まあ、責任を持つと一度言った以上、無事に送り届けるまでがクエストだ。それにレヴィスやリャナンシーの件に関して、単独で動くには流石に力不足。ロキ・ファミリアと協力態勢を取っておいた方が何かと都合が良い。

 

「アイズ……」

 

視線を上げてくる。何から話したものか、と数瞬考えた。

 

「素晴らしい戦いだった」

 

五秒ほど躊躇った末、まず見届けた戦いについて語り出す。

 

「だが同時に、危うい戦いだった。刹那の狂いがお前に死をもたらしただろう」

 

戦士から出たのは心からの賞賛と忠告。薄氷を踏むかのような戦いを手放しに褒めることはリヴィエールには出来なかった。

 

「アイズ、お前には才能がある。お前はきっと強くなる。俺なんかより、ずっと」

 

コレは本音だ。冒険者なんて生きている奴の勝ちだ。呪いの侵食に犯されているリヴィエールは、確実にアイズより短命だろう。

 

「剣の意味は持つものによって変化する。力に……剣に振られるな。お前が、剣を振るんだ。俺のようになるな」

「…………リヴィの言うことは詩的表現が多くてよくわからない」

 

剣士であると同時に詩人でもあるリヴィエールはもって回したような言い方が多い。素敵だと感じることも多々あるが、慣用表現が苦手なアイズには理解できないことも多い。

アイズの直裁な部分は彼女の長所だとリヴィエールは思う。素直で可愛い。ロキの気持ちもわかる。

 

「言葉でいくら言ってもな。お前にもこの意味がわかる時が来る。頭の片隅にでも置いておいてくれれば、それでいい」

 

髪を撫でる。気持ちよさそうに身じろぎした。

 

「…………何かあったのか?」

 

話を今に戻す。叱るでも、咎める訳でもなく、リヴィエールはただ訪ねた。こういう時は本人の口から話し始めるまで待つのが彼の流儀なのだが、リヴェリアと約束した以上、聞かなければならない。

 

「…………リヴィが話してくれたら、話す」

 

何についてかは言わなかったが、言われなくてもわかる。魔物化(モンスター・フォーゼ)の呪い。呪術を利用した呪いの転用による漆黒の変身。その副作用。もっと遡るなら、リャナンシーとの事。その全てを、だろう。

 

「誰にも言うなよ」

「言わない。約束する」

 

大きく一つ嘆息する。バングルを共同で作ったアスフィにすら詳しく話していない事を喋るのはかなり抵抗があった。しかし、気の進まない事を話させようとしているのだから、同等の対価は必要だろう。秘密とは共有することが一番安全だ。

 

「まだ俺が剣を握るよりも前の昔にな……」

 

要点をかいつまんで話し始める。子供の頃、住んでいた森でリャナンシーと出会ったこと。リヴェリアとの魔法の修行で遠征したネヴェドの森で再会し、敗北し、呪いについて聞かされた事。呪術の研究の折に打開策を見つけた事。魔物化を自身の意思で制御できるようになった対価が、あの無様だった事。

 

「……ごめんなさい」

 

膝の上でうっすら涙を浮かべながら、アイズは謝辞を述べる。彼にとって昔話は地雷である事は知っていた。それでも彼は自分のために気の進まない事をしてくれた。その事についての謝罪だった。

 

「謝る必要はない。話すと決めたのは俺だ」

「それでも……」

「それでも謝んな。自分の意思で聴くと決めたんだろう。なら謝るな。謝罪とは後悔の証だ。お前にそれをされると俺もしたくなる。だからするな。お前に、お前だから話せて良かったと思わせてくれ」

 

堪えきれずに雫が金の瞳から溢れ出る。なんて強いんだろう、この人は。私と歳も変わらないはずなのに、その偉大な背中は遥か遠い。

それでいて、この人はとても優しく、寂しい。遥かに弱い自分が心配せざるを得ないほど。自分とこの人は良く似ている。この人は母であり、私だ。父と出会えなかった母。そして仲間と出会えなかった私なのだ。両親、ルグ、愛した者全てが消えてしまった、あり得た私。

 

「リヴィ……私、私も、強くなりたい…………」

 

貴方みたいに、貴方に愛してもらえるくらい、強く……

 

「……強いさ、お前は」

 

俺が出会った敵の中で、間違いなくNo.1の理不尽だ。

愛しい者を心配する、ルグやリヴェリア、リューやアイシャと同じ目でこちらを見てくるアイズと目が合わせられない。何度突き放しても、こいつらは俺に纏わりついてくる。俺が彼女らならとっくに見放している馬鹿な男をだ。全く、最悪。最低じゃないか。

 

「……俺のことはもういいだろ。順番だ。アイズ、あの調教師と何があった」

 

耐えきれず、話題を変える。今度はアイズが渋る番だった。仲間に訊ねられても一切口を開かなかった。リヴィラの街の出来事。あの赤髪の調教師との全てを。躊躇いながらも、黄金を溶かしたような髪色の少女は口を開く。少しずつ話し始めた。

 

「あの人、私のことを【アリア】って呼んでた」

「アリア…」

 

その名前を聞いたリヴィエールは若干目を見開く。少し前、オラリオの大図書館で調べた事柄が脳裏に蘇った。

 

「リヴィ、知ってるの?」

「あ、ああ。名前だけは。本に出てくるから」

 

精霊『アリア』

 

様々な物語に出てくる神に最も愛された子供。神の分身。完全なる不死ではないが、数世紀に渡る寿命を持ち、エルフと同じ魔法種族。だがエルフよりも強力な魔法と奇跡の使い手。

 

「確か書の名前は、『迷宮神聖譚』【ダンジョン・オラトリア】」

「あ、それは私も知ってる。お母さんが私によく読んでくれた」

「お母さん?」

「うん、私のお母さんの名前も、アリアだった」

「アイズの母さんが……」

 

赤髪の調教師はアイズを母親と見間違えたという事か?可能性はなくもない。そのアリアという女のことをリヴィエールは知らないが、母親というくらいなのだから、顔の造形は似ていてもおかしくない。

 

「そういえば、リヴィもあの人に違う名前で呼ばれてたよね。確か……」

「オリヴィエ。俺の母の名……で……」

 

そう告げた瞬間、リヴィエールの頭に衝撃が奔る。

 

───海の国、【アルモリカ】で出会った妖精達は俺のことを神巫と呼んでいた…

 

リャナンシーは彼の事をウルス・アールヴの子だと言い、洗礼名がウルズである事を言い当てた。

 

───泉の女神に洗礼を受けたオリヴィエの洗礼名も……ウルズ

 

ダンジョン・オラトリアの一節が耳の中で木霊する。精霊【アリア】には、祈りを捧げる神巫であり、唯一無二の親友だった女性がいた。

 

───つまり、アイズの母親が精霊【アリア】で、俺の母がその神巫【オリヴィエ】

 

勿論、こんな事はただの想像だ。証拠はない。アリアなんて、女性の名前として珍しくはない。オリヴィエだってそうだ。大体精霊に子供は作れない。アイズの母親はアリアという名前のヒューマンだったと考えるのが、最も自然な、常識的な考えだ。

 

───でも、常識的ってなんだ…?

 

平均値?世間並み?そんな物になんの価値がある。そういった正しい何かに真っ向から逆らうのが、冒険者。事実逆らって生きてきた。平穏、安らぎ、求めた事がないといえば嘘になる。だがそんな物より欲したモノがあった。手に入れるために剣を握った。命の危険にさらされるような事なく、真っ当に働き、真っ当な対価を得て、家族のために生きる。それも人生だろう。否定はしない。しないが、その人生が正しいなどと、まともで常識的などと誰が言える?

 

───ないんだ……誰もが正しいと言えるモノなんて

 

常識なんて所詮は集団催眠。ある種のまやかし。俺を英雄だ天才だと持て囃す奴もいるが、見る奴によっては俺なんて性格破綻者。たった一人で深層に潜り続ける、バトルジャンキー。真性のクレイジー。ダメ人間だ。

 

それでいい。他者の評価などどうでもいい。生きる価値は何を成したか。成すための熱を持つ。行動の全てが生きるという事。熱を失った人間など半死人も同然。

 

己の人生を、呪った事がないかといえば嘘になる。

 

そりゃあ呪ったさ。迷って、ブレて、猛り、貪る。そうやって生きてきた。

 

その俺だからわかる。俺にしかわからない。

 

「リヴィ?」

 

名を呼ばれる。訳も分からない思念の海に潜っていた意識が、たった一言で現実に引き戻される。膝に感じる熱へと視線を戻した。

 

───アイズ……

 

ホワイト・パレスの灯りか。治癒の魔法による緑光か。それとも違う何かか。それはわからない。しかし淡く輝く何かにより、蜂蜜色の髪の少女は神々しく照らされる。錯覚かもしれないが、その美しさに思わず見惚れた。

 

『リヴィ、私は貴方と出会うために下界に来ました。私は貴方のために存在しています。そして、貴方もきっと違う誰かの為に…』

 

ルグ、あの言葉の意味が、今、わかった。

貴方が、俺のために存在していたように……

 

俺の強さは、剣士として生きてきた今までは

 

 

アイズのためにあった

 

 

 




これがきっと、俺の願い。俺の生きる意味。求めて、欲して、彷徨い続けた青い鳥は、俺にとって最も近く、最も遠い少女だった。

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