『お前はお前だろう、俺にはなれないさ』
いつだったか、一緒に稽古をしている幼い彼は自分にそう言った。確かアレは貴方のようになりたいと言った時だった。
同じ事を違う人にも言ったことがある。彼はアイズにとって二人目の魔法使い。自分にだけでなく、周りの人を笑顔にできる、不思議な人。初めて出会った魔法使いは母親だった。
『あなたはあなただから、私にはなれないよ?』
自分とそっくりな声音で彼と同じ返答をする。そういうことじゃないよ、と頬を膨らませると母は無邪気にころころと笑い、少年は不器用に苦笑した。
二人の魔法使いは全真逆だった。一人は子供のように純粋で、幼かった自分より無邪気で、人の悪意というものを知らず、知らされず、白い雲と一緒にたゆたう、青空の風の流れ。それが母だった。
そしてもう一人は子供なのにまるで大人のように聡明で。その辺にいる大人よりずっと理知的で、様々な悪意に晒されながらも、自分という核を決して失わなかった。風雨にさらされながらも勢いを失わない、そして人々に恵みをもたらす、猛々しくも真っ直ぐな風を纏った男がリヴィエール・グローリアの形容に相応しい。
表面上は確かに真逆。けれど、根っこの暖かさは同じな事にアイズはすぐに気づいた。
誰よりも自由で、優しくて、暖かく、強い。そんな二人がアイズは好きだ。屈託のない笑顔を浮かべる母親が、困ったような苦笑をもらすリヴィエール・グローリアが、大好きだった。
頭を撫でる二人の手つきを覚えている。
頬に添えられる指の温もりを覚えている。
耳朶をくすぐる綺麗な声音を覚えている。
彼女が何度も語る、優しく幸福な物語を覚えている。
彼に何度もせがんだ美しい歌と笛の音色を覚えている。
彼女の胸の中、物語を聴き終えた自分が抱きしめられながら振り返ると無邪気な微笑みがあった。
彼の胸の中、音楽を聴きながらいつの間にか眠ってしまった自分が目覚めると、どこか悲しそうな、けれどとても優しい笑顔があった。
私はあなた達のようになりたかった。
『大丈夫か?』
背中越しに幼い彼が自分に尋ねて来る。初めて出会った時、彼に言ってきた事。今でもはっきり覚えている。あの背中に初めて守られた。そしてその後、数え切れないほどこの細く大きな、そして偉大な背中に守られてきた。
『よくやったな』
この言葉が助けられた後にくっつけられるようになったのはいつからだったか、それはもう忘れてしまった。
▼
深層37階層、通称『白宮殿』。白濁色に染まった壁面とあまりに巨大な迷宮構造からその名が呼ばれるようになった。休息に使用できる小部屋もあるが、ほとんどの道やルームが幅十メドルを遥かに超える。
そんな広大な迷宮、暗澹とした闇の中で一人の少年が倒れ伏していた。
『オオオオオオオオオオオッッッ!!』
雄叫びを上げるは【迷宮の孤王】。勝利した彼にとっても叫ばずにはいられないほどの激戦だった。半身は切り落とされ、漆黒の体色により分かりにくいが、体の至る所が黒炎で焦げている。一時間にも及ぶ死闘の跡がルーム中に刻まれている。
本来は30人以上のパーティを組んで分散させる猛攻を、リヴィエール・グローリアは一時間、耐えきった。
しかし、この死闘になんの準備もしていなかった彼にとってはここが限界だった。
───迂闊だった
薄れゆく意識の中、剣聖はそんな事を思う。今回の遭遇戦、リヴィエールにとっては全く予期せぬ物であった。いつものようにソロで遠征を行い、深層まで行った帰り道、ルームで休息を取っていた時、唐突に地中からこの怪物、ウダイオスが現れたのだ。遠征の帰りで回復用のポーションもろくに残っておらず、流石の剣聖も逃走を考えたのだが、出入り口はウダイオスに使えるモンスター、スパルトイに塞がれてしまい、脱出は困難になってしまう。
しかしそんな事は瑣末な問題だった。魔法で蹴散らせば活路を開く事はできただろう。しかし、それをしなかった最大の要因はウダイオスを前に逃走の隙が見出せなかったからだ。
ソロの弊害をダンジョンで感じた事など、数え切れないほどあるが、今日ほど後悔した事はなかった。誰か他の冒険者がこのルームに来るまで防衛に徹して時間を稼ぐことも残りのポーション数ではできない。ここはまだ深層。回復薬をここで使い切るわけにはいかない。
残された生き残る道はただ一つ。ウダイオスを討つ。乾坤一擲の勝負に剣聖は出た。
しかし結果はこの通り。レベル5である彼の前にレベル6という現実が襲いかかり、順当な末路を描いた。
───ヤバイ…
迷宮の王が残った片手で大剣を振り上げる。ウダイオスが剣を持つなどこの戦いで初めて知った。そして威力は今まで体験したどんな一撃よりも凄まじい。このままでは逃れられない死が待ち受けている。
───動け動け動け動け!!
必死に身体に命じるがまるで言うことを聞かない。土を握りしめるのがやっと。
───こんな、ところで……俺は
目を閉じる。走馬灯などはよぎらなかった。浮かび上がったのはたった一つ。太陽の光を思わせる眩いプラチナブロンドに、碧空色の瞳を宿した、天覧の空を具現化したような女神、ルグの顔のみだった。
【ヨワイネ、リヴィエール】
鼓膜を震わせない声が体の中に響く。ここ最近、よく聞こえていた、何かの声。しかしここまではっきり聞こえたのは初めてだった。
【チカラ画ホシインダロ?オレヲ卯ケイレ露ヨ】
黙れ、俺はお前に呑まれない。
普段なら精神力と集中力で制御できる。だが今はそのどちらも疲弊しきっている。肩に感じる黒い何かの手を振り払うことが精一杯だ。
立ち上がる。フラつきながら剣を握るその姿はまるで幽鬼のよう。彼の身体から溢れ出す陽炎のような黒塵がそのイメージに拍車をかけた。額に黒塵が集中し、極彩色の魔石が形作られる。右の瞳は翡翠色のまま、しかし左の瞳は琥珀色に変貌していた。
【ラッきーパんチでチョウ氏に伸るナよ?コッからだぜ、ウダイオス】
意識が混濁する。身体を動かしているのは自分だと言う自覚はあったが、それ以外の何かが自身に力を貸している事も明らかだった。カグツチをルーム全体を埋め尽くすほどのアマテラスがリヴィエールの身体からあふれ出した。
【ハハははハハはハハはハハァアアアアア───ッッッ!!!】
その日、剣聖は教えを破った。
▼
37階層、ルームの外壁に背中を預け、部屋の中心で武器を構える少女を見つめる。左手は黒刀を握りしめ、鯉口は既に切っている。ギリギリまで何もしないつもりではいるが、無理だと判断した時、即座に割って入る準備を、白髪を背中まで伸ばした剣士はしていた。
足元から身に覚えのある震動が立ち上る。来たか、と一段、警戒のレベルを上げる。アイズも柳眉を鋭く構え、中心を見据えた。
『オオオオオオオオオオオッッッ!!!』
産声を上げるウダイオスを見て、剣聖の脳裏に自身も挑んだかつての
「リヴィ、手を出さないで」
「わかってる」
と言いつつも左手は剣から離さない。暫くは見届けることに徹するつもりだが、いざとなったら飛び込む。それに経験上、このルームにいる限り、スパルトイには必ず攻撃を受ける。自衛のためにも戦闘準備を解くことはできない。
───なんにせよ、左手は剣に掛かりっぱなしだな
戦意が彼の身体から立ち上る。それを知覚したのか、彼女は一度だけこちらを見ると、唇を開いた。
「大丈夫、すぐに終わらせるから」
ルーム全体が震える。二人とも黒の骸骨王の間合いに入っている。凶悪な戦意が解放された。並の冒険者ではこの場で立つことすらできないだろう。しかし二人ともこ揺るぎもしない。アイズはその覚悟から、リヴィは経験から揺らぐことはなかった。リヴィエールを見届け人に選んだアイズの判断は正しかった。
「出し惜しむなよアイズ。最初からエアリエル全開で行け。長引くほど負ける可能性が高くなると思え」
【
アドバイスに対する返答は詠唱。風がアイズを中心に渦巻く。爆風と同時にウダイオスへと突貫した。
さらなる飛躍を求め、打倒不可能な相手に勝つという冒険。それは神々が認める偉業となり得る。その事を剣聖は経験から知っている。そのための敵として今のアイズにウダイオスはうってつけだろう。自身のレベル6への昇華もこの怪物王の打倒を持って達成された。
金属音。最速を持って繰り出されたアイズの剣はウダイオスの肋骨によって防がれる。魔石を破壊しようと振るわれた全霊の一撃だったが、容易く受け止められた。
───今のでケリがつくとは思ってなかったが……肋骨にかすり傷一つつけられないか
状況はあの時の自分より厳しいと判断する。その見解は正しい。リヴィエールの剣はウダイオスに幾度となく防がれたが、傷をつけられなかったことは一度もなかった。
───想像以上に、厳しい偉業になりそうだな
ウダイオスのパイルと無限に生み出されるスパルトイを退けながら、リヴィエールは冷たい汗を背中に流した。
▼
───似た者兄妹め!!
ルームの入り口、二人の戦う様子を見ながら、リヴェリアは唇を噛み締めた。アイズがやろうとしていることの意味はわかる。最近の伸び悩みから見れば、さらなる強さを得るためにはランクアップは必須。必要となるのは偉業の達成。そのための冒険。行動の意味は全て理解できる。
だが緑髪の美女は怒りを禁じ得ない。本来強者を倒す偉業の達成は一人で成すものではないかりだ。パーティを組み、工夫を凝らし、初めて実現する。確かに人数をかけた分、偉業の質は下がる。しかしそれでもランクアップには事足りる可能性も充分にあるし、そうでなくとも繰り返し、時間をかければランクアップには届く。
それなのにこの二人はそれを良しとしない。がむしゃらに、ただ今の一瞬に賭ける。戦う様子を見ながら二つの面影をリヴェリアは見た。僅か半年、世界記録を大幅に更新する記録でレベル2に到達した、まだ黒髪だった、【
───焦っている理由はあの赤髪の調教師か?
自分で考えておきながら白々しい。そうであったならどれだけ良かったか。彼女は敵だ。倒せば焦りの源は断ち切れる。人間にとって本当に厄介な存在とは愛の中に存在する。
半分になった剣であっても華麗な太刀筋で無数のスパルトイを屠る憎く、愛しい弟分を睨んだ。
▼
───足りない!この程度の風じゃ…
あの赤髪の調教師と戦っていたリヴィはもっと早かった。
───足りない!この程度の威力じゃ…
あのリャナンシーと呼んでいた魔物と戦っていたリヴィはもっと強かった。
───もっと強く!もっと早く!もっと速く!!
黒塵を纏ったリヴィが脳裏をよぎる。重く、速く、強かったあの姿を。自分さえも震えた、あの畏怖を。
───私が身につける!!
【
関節に突き立てたデスペレートを中心に魔法を発動させる。狙い通り半身が砕け散る。奇しくも三年前、リヴィエールがウダイオスに与えた傷と全く同じ損傷が刻まれる。たった一本の剣で。
パイルを防ぎながらアイズが一旦、ウダイオスから距離を取る。追撃は出来なかったが、半身を無くしたということは攻撃力も半減したという事。戦いはこれからだ。
と、アイズが考えている事も、攻撃力の下がったウダイオスが取る行動も、リヴィエールは手に取るように分かっていた。
「下がれアイズ!全力で退避しろ!大剣が来る!!」
考えるより先に体が動いていた。リヴィエールが間違ったことを言うはずがない。彼の先見はもはや予言に近い。そして予言は現実となる。地中から巨大な黒剣が立ち上り、ウダイオスが振りかぶる。
───エアリエル、最大出力!!
全力退避!!
肩、肘、手首が発光する。その姿はかつての自分が行動不能に追い込まれたあの一撃とまるで同じ。
───来る!!
流石のリヴィエールも完全防御態勢をとる。あの一撃は今の剣聖でさえ受けきることは出来ない。視認することさえ不可能だ。割って入ってやりたいが、それすらもう遅い。
漆黒の影が走ったと同時に衝撃破と爆風が殺到する。剣山もスパルトイも一瞬で消失した。直撃を逃れたアイズでさえ、その衝撃波に殴り飛ばされ、地に叩きつけられる。立っていられたのは防御態勢を取っていたリヴィエールだけだった。
「アイズ!!」
自分ではない別の声がルームに響く。来ていることには気づいていたが、ついに堪え切れなくなったか。その声があいつに届いているかは微妙だが。
「アイズの風も、スパルトイも、パイルも、あの一撃で……」
続く言葉はわかる。消し去ったと言うのか、だ。俺も同じ事を思った。決して消せない焔であるはずのアマテラスでさえ、あの一撃に消し飛んだのだから。
「右腕を吹き飛ばした事が階層主の逆鱗に触れたんだ」
俺もそうだった。ということは言わない。今まで一度たりとも確認されていなかったウダイオスの隠し玉を知っている時点でそれはもうこの聡明な姉にはバレている。
「アイズ!一度下がれ!距離を離せば剣は届かない!」
適切な助言だ。だが無意味だろう。ここで退いてくれる奴なら俺はここまで来ていない。同じ俺にはわかる。
俺はあの時、下がらなかったから。
「馬鹿者っ」
肉薄するアイズ。しかし届かない。剣山の如きパイルがアイズの突進を阻み、黒剣が叩き伏せる。
「このっ!!」
魔法を発動しようとしたリヴェリアの手を止める。杖を掴んだのは白髪のハイエルフ。
「離せリヴィエールっ!」
「待ってくれリーア!もう少し!」
「お前は私に家族を見捨てろというのかっ!」
「もうダメだと思ったら俺が割って入る!絶対に死なせないと約束する!だから頼む!ここで膝を折ったらあいつはもう立ち向かえなくなる!」
「そんな事っ……!」
どうでもいいと言おうとしたリヴェリアの声が止まる。彼が杖を掴む手から血が滴り落ちていた。リヴェリアの杖には最高級の金属と魔法石を使っている。その威力はスパルトイも物理で容易に砕く。そんな物を強い力で握れば、指が落ちても不思議はない。
自身に食い込む金属にリヴィエールも気づいているはずだ。それなのに握る手の力は緩まない。万力で締めつけられたか如く、動かせない。
「堪えろリーア、もう少し……」
───こいつもギリギリなんだ
まるで自分が傷つけられているかのように美しい双眸は歪み、剣を持つ左手が震えている。本当を言えば今すぐにでも飛び出したい。それでも、リヴィエールは自身の妹を信じて耐えている。
───誰よりもアイズと繋がっているこいつが耐えているのに…
自分が先に出るわけにはいかない。
お前なら気づいているはずだ。あの薙ぎ払いにはタメがいる。最速、最短で左腕を奪え。お前に残された勝機はもうそこしかない。
「勝てっ……アイズ」
懇願するように、リヴィエールは声を絞り出した。
【
エアリエルが発動する。勝機に至る道筋にはアイズも気づいている。数多のスパルトイを薙ぎ払い、ウダイオスに突貫する。
───私は弱い!弱いからリヴィを一人にしたっ。彼を失った!!
そんな事、とっくに知っていたはずなのに。彼が消えてしまった一年前に思い知ったはずなのに!!
───どうして平気でいられた!こんな弱い私をどうして許していられた!!
私がどうしようもなく弱いから、リヴィにあんなデタラメな力を使わせて、守られた。
───一体何度あの背中に守られれば私は気がすむんだ!!
彼が帰って来て、安心して、ただ一つの悲願を思い出にするつもりだった!
関節が光る。あの薙ぎ払いが来る。だが、リヴィエールの目で見ても、アイズが一手早い。
勝てる!
そう思った瞬間、ゾッと嫌な予感がリヴィエールの背中に奔る。飛翔するアイズの姿がインドラに乗って突撃した自分とダブった。
───反動……
その一言が過った瞬間、アイズの体からガクンと力が失われる。それも当然。最大出力の風の連続行使。その殺人的な負荷はアマテラスに匹敵する。アイズの体が限界を迎えた。
冒険者の街、迷宮都市オラリオ
世界中の冒険者が集うこの地においてもその半数がレベル1で生涯を終える。
平凡の壁を越えるために必要なのは、命を賭して己の存在を高める【偉業】
ランクアップが冒険者に与える見返りは大きい。
だが当然、ハイリターンにはハイリスクが生じる。
不可能への挑戦に失敗した冒険者に待ち受けるのは当たり前の真実。
死
「アイズッッッ!?」
リヴェリアの悲鳴がルームに木霊した。
▼
視界が赤く染まる。風の鎧は容易に砕かれ、空中に飛んでいたアイズでは、直撃は免れない状態だった。
しかし、思ったほどの衝撃はない。直接的なダメージを食らった感覚は無く、あくまで余波に吹き飛ばされた、そんな感覚。直撃を食らった経験も、余波で吹き飛んだ経験も数え切れないほどあるアイズはこの感覚を間違えるとは思えなかった。
煙を上げながら地に伏す。形容し難い、されど慣れ親しんだ痛覚に全身を支配されながら、アイズは瞼を開ける。血のカーテンで閉ざされ、よく見えない。頭から流れる血を腕で拭う。
───え……
まだ血のカーテンは完全に消えてはいなかったが、アイズは全てを理解する。何度も何度も、数え切れないほど見た、見上げた背中。間違えるはずがない。
「大丈夫か」
───大丈夫か?
初めて出会った時と同じ言葉が、そして何度も告げられた言葉が投げかけられる。
ああ、やめて、愛しい人。その台詞を言わないで。
「頑張ったな、よくやった」
何も頑張ってない。何も成し遂げてない。やってない。それなのに彼は労いの言葉を私にかける。それは何よりも強く心を抉る。罵倒される方がよほど良い。先のウダイオスの一撃などより、ずっと痛い。
「今助ける。後は任せろ」
記憶の中にある彼の刀より半分の長さしかないソレを構え、立ち向かう。武具の不利など、彼にとって何の障害にもならないだろう。彼ならきっとウダイオスを倒せる。
リヴィに、任せれば……
心臓が一つ、大きく鳴る。その音色は怒りの音。灼熱の炎が灯る。
助ける?
助けられる?
また?
リヴィに?
一体何度目の?
誰が?
──私が
頭が、弾けた。
感情が怒りに吹き飛ぶ。感覚が炎で焼かれる。身体を起こした。全身を剣山で刺されたかのような痛みが奔ったが、気にならない。
さっきの言葉のナイフが抉った痛みに比べれば…
リヴィエールが臆面もなくのたうち回っていた、それを見ることしかできなかったあの痛みに比べれば…
彼が一人で背負ってきた、あの激痛に比べれば…
「〜〜〜〜〜〜ッッッ」
ここで立てなきゃ、私は絶対、この人の隣に立てない!!
「!?」
「…………ないっ」
彼の手を掴む。剣だこまみれの手。力強さからは考えられないほど細い手首をとって、背後に押しやる。
「リヴィエール・グローリアに、もう助けられるわけにはいかないっ!!」
デスペレートをウダイオスに突きつける。迷宮の孤王はリヴィエールに向けていた敵意を再びこちらに戻した。
「勝つっ…!」
白金の少女は再び、戦火に身を投じる。
▼
リル・ラファーガの反動で動けなくなった時点で、リヴィエールは動いていた。アイズに迫る黒剣の前に飛翔し、カグツチで受ける。不充分な態勢で受けたリヴィエールは守ったアイズごと吹き飛ばされる。右も左も分からない突風の中、アイズを抱きしめ、自分がクッションになり、地に叩きつけられる。高くバウンドすると同時にアイズが腕の中から飛び出す。空中で姿勢を整え、リヴィエールは着地した。
大きく息を吐く。呼吸は問題なくできた。ウダイオスをけん制しつつ、後ろ目でアイズを見る。倒れ伏したまま、立ち上がる様子はない。度重なるエアリエルの酷使に、先のダメージ。立てないのも無理はない。
───ここまで、か。
これ以上は無理だと判断する。この結果を責めることはリヴィエールには出来ない。第一、こんな挑戦、出来なくて当たり前なのだ。不可能への挑戦を可能に出来る事など本当に一握り。不可能が不可能に終わることは水が高きから低きに流れるが如く、自然の成り行きだ。
それどころか後一歩というところにまで迫ったのだ。愛しい妹分は充分過ぎるほど……
「頑張ったな、よくやった」
冒険者として、アイズに送った心からの賞賛。生き残っただけでも殊勲だ。
「今助ける。後は任せろ」
この折れたカグツチで倒せるか、などということは考えない。やるしかないのだ。手の中の愛剣に力を込める。そして一歩を踏み出した。
その瞬間
───え?
地面を踏みしめる音がなる。それと同時に利き手が握られる。翡翠色の双眸が見開かれた。後ろを振り返った時、白金の少女は再起し、立ち上がっていた、
傷だらけになりながら、金眼を吊り上げ、ウダイオスを見据えている。
「…………ないっ」
───アイズ?
そう呼びかけようとして、失敗する。強い力で後ろへと引っ張られた。
「リヴィエール・グローリアに、もう助けられるわけにはいかないっ!!」
その背中に、リヴィエールは見た。遠い記憶の中に霞む、とある人の背中。眼の色も、髪の色も、何もかも違うというのに、凛としたその姿に母の姿を幻視した。
───そういえば、アイズに愛称以外の名を呼ばれたのって、いつ以来だっけ
「勝つっ……!!」
ウダイオスだけを見据え、再び少女は不可能へと挑む。
「よせっ…!」
その背中を止めようとした、その時…
クイ
袖口が引かれる。驚き、振り返った。しかし後ろには誰もいない。リヴェリアもはるか後方にいる。袖を引くなどあり得ない。
───一体何が……
『───ダメですよ、リヴィ』
鼓膜を振動させない声が耳元で囁く。両肩を優しく抑えられた。
ルグ?オリヴィエ?どちらの声かはわからない。どちらだとしても自身の核を成す人達だ。
───そうか……
リヴィエールは理解した。今アイズが何に挑んでいるのかを。なんのために戦っているのかを。
俺はずっと、アイズを頼っていなかった。肩を並べて戦ったことは何度もあったが、助けられたことは一度もなかった。ダンジョンの中でも、彼女は守るべき妹分だった。
だが今こいつは、俺に自分は妹分ではなく、戦友である事を証明するため、戦っているのだ。
「勝て、アイズ」
先ほどと同じセリフ。しかし今度は懇願ではなく、信頼を込めて言った。
後書きです。今回はほぼベルくんの焼きましだなぁ。次からはもっとオリジナル要素を入れられるよう頑張ります。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。