ティオネ達に、頭を叩かれ、髪をグシャグシャにされ、背中に抱きつかれながら、リヴィエールには複雑な心情が湧き上がる。
彼らは大切な友人だが出来れば会いたくなかった。彼らを見たら昔を思い出さずにいられない事がわかってたから。
ファミリアの殆どの連中が駆け寄り、再会を喜ぶ中、後ろからゆっくりと歩んできたのは一人のエルフ。リヴィエールが知る限りで二番目に美しい異性。
名はリヴェリア・リヨス・アールヴ。友人であり、師であり、姉のような人でさえあった人だ。その美貌には喜びと悲しみと怒りが綯い交ぜになった表情が浮かんでいる。彼女の手が上がった。
あ、殴られる。
彼女が振り上げた右手を見て数瞬先の未来を察する。卓越した彼の反射神経ならば魔法使いの彼女の一撃を避ける事は容易だったが、それはしない。本気で向かってくるなら本気で対応する。それがリヴィエールの流儀だった。
予想以上の衝撃が左頬に炸裂する。目は逸らさず受け止めるつもりだったのに、堪らず首が捻れる。魔導士とはいえ流石はLv.6。張り手といえど凄まじい威力の一撃だった。
「バカ者」
精緻な双眸がゆがんでいる。殴った彼女の方が辛そうな顔をしていた。ゆっくりと視線をハイエルフに戻す。
「今までどこで何をしていた」
「……………………」
「生きているなら、なぜ私に連絡の一つも寄越さなかった。この馬鹿弟子が…!」
「…………ごめん」
「なぜ私を頼らなかった!なぜお前はいつでも何でも一人で片付けようとする!?なまじ何でも一人で出来てしまうからか?誰かに頼る事は恥でも何でもないと私は教えたな?この愚か者が!私はお前にとってそんなに頼りないか!苦悩を打ち明けるには足りん存在か?私を頼ってくれたお前をこの私が笑うとでも思ったのか?答えろ!リヴィエール・ウルス・グローリア!」
「…………見たくなかったからだよ」
激昂するリヴェリアの頬に白髪の少年が手を添える。かつて自分の方が低かった背丈が今や完全に見下ろせる身長差になっている。そうなってようやく気付いた。
ーーーーリヴェリアってこんなに小さかったんだ
「俺にとってあんたはずっと綺麗だった。美しかった。強かった。憧れだった。あんたの弟子であったことは今でも俺にとって誇りの一つだ」
誰よりも強く、賢く、凛々しい彼女が自分の事で激昂し、一筋涙を流している。初めて見る彼女の弱さ。予想以上の、彼女の思いっ切りの力で殴られた頬などよりよほど痛む。
「あんたのこんな顔、見たくなかった。俺のこんな姿、見せたくなかった」
頬の涙を拭う。もうリヴェリアは何も言わない。ただこちらを見上げているだけだ。
「でも………だからこそ、俺はあんたにだけは会いに行かなきゃいけなかったんだよな」
そうしたらこれ程辛い思いはしなかった筈だ。俺だけじゃない。尊敬するこの人にもこの痛みを背負わせてしまった。
それがどれほど辛いか、俺は知っていた筈なのに……
張られて赤くなった頬をリヴェリアが撫でる。この一撃に一年の想いが全て凝縮されていた。極上の料理の一口に様々な味が飛び込んでくるように、この痛みが彼女の怒りを、不安を、悲しみを、全て教えてくれた。今頬に触っているこちらを労わる繊細な指の優しさが自分への想いを語ってくれた。
「ごめん、リーア。心配をかけた。許してくれ」
「…………………わかればいいんだ、馬鹿リヴィ」
コツンと青年のたくましい胸板を叩く。二人の姿はまるで戦地に出て、長い旅から帰ってきた弟を姉が迎えたかのような光景だった。
「あと、これは俺が悪いから言いにくいんだけど……」
「…………?」
周りに聞こえないように囁く程度の大きさで耳打ちする。
「その名で呼ばない約束だったよなぁ、リヨス・アールヴ」
「え、私ミドルネーム呼んでたか」
「呼んでた」
「ご、ごめん」
「まあ気にしてる奴いなさそうだから今回はいいけど」
トッ、と軽い足音が聞こえる。同時に感じる金色の気配。懐かしい、変わらないあの子の色。
「リ、ヴィ…?」
バッとリヴィエールから離れるリヴェリア。なるほど、確かに
「久しぶりだな、アイズ」
自分なりに優しく笑ったつもりだったが上手く出来てたかはわからなかった。
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自分の言葉に返ってきた彼の返事が胸を詰まらせる。この声を、この瞬間を、いったいどれほど待ち望んだことか。
「お前にも心配をかけたな。すまなかった。許してくれ」
「っ!?…………っ、っ、」
無言で何度も何度も顔を横にふる。謝ってほしくなかった。謝りたいのは自分なのだから。
「リヴィエール、キミ…その髪……」
フィンが彼の最も変化した場所を見て唖然とする。同時にこの一年で彼にとって相当な苦悩があった事を察した。痛ましげに顔を伏せる。
「イイだろ、これ。気に入ってんだ」
髪を払ってリヴェリア達に向け、笑いかける。流れる白髪は遠目から見てもサラサラとしており、まるで絹の糸のようだ。なるほど、確かに美しい。
言外の気にするなという意味を察し、リヴェリアも悲しそうに笑う。
「じゃ、俺はそろそろこの辺で」
「待て【暁の剣聖】」
「その名で呼ぶな……!」
全く状況説明も近況報告もする事なく、逃げようとしたリヴィエールを緑髪のエルフが摑まえる。
「このまま帰れると思っているのか、貴様は」
「いや、ちょっとじーちゃんが危篤になったらしくて…」
「おおそれは大変だな。心配だから私も一緒についていってやろう。本当なら魔法で治癒もしてやる。どうだ嬉しいだろう」
「親しい人間にっ……借りを作るなってっ……ママが……」
「貴様のママがっ…!どれだけ私にっ……!借りを作っていったかっ…!教えてやろうかっ?」
「借金はっ……踏み倒すものだってっ……パパがっ…」
何とか逃げようとするリヴィエールの肩をギリギリと音が鳴るほど握りしめる
クイ、と裾を引っ張られる。
引力の先にいたのは金髪金眼の妖精と見まごう美しさと可愛らしさを持った剣士。どこにも行かないでと大書された顔でこちらを上目遣いで見上げてくる。
リヴィエールがリヴェリアにとって弟なら、アイズは自分にとって妹のような存在だった。そして妹に逆らえる兄などこの世に存在しない。
力を抜いて諦めたように一つ嘆息する。するとリヴェリアも掴んでいた手を離した。
「…………どうしろってんだよ」
「話せ。一年前に何があったか。この一年間、何をしていたか、全て話せ。話はそれからだ」
不機嫌なリヴェリアから告げられたのはある意味最も残酷な言葉。それを誰もが望みながら、言えなかった。もし言ってしまえば、場合によってはリヴィエールの怒りを買い、今度は死や行方不明とは違う意味でもう二度と会えなくなるかもしれないと思っていたから。
この事を言葉に出して聞けるのはこの中では彼の師であり、それ以上の存在でもあったリヴェリアだけだろう。
実際、白髪の剣士は一瞬眉に怒りを滲ませた。しかし頭を一度振って落ち着かせる。もし聞いたのがリヴェリアでなかったら睨みつけた後、戦闘にすらなっていたかもしれない。
ーーーーまったく、ハラハラさせてくれる……
金髪の小人族、フィンは心中で安堵の息を吐く。リヴィエールが感情的な人間だとも、暴力的な男だとも全く思わない。あの若さで良くも悪くも、自分を律する力を充分すぎるほど備えている。
しかし、自分のパーソナルスペースや誇りを穢された時、彼がどうなるか、フィンは良く知っていた。何の覚悟もなく其処に踏み込んでくる人間にどういう眼をするか、何度も見てきた。主にソレを向けられたのはベートだ。口汚く、遠慮しない彼をリヴィエール自身嫌ってはいなかったが、それでも彼が入ってはいけない領域に踏み込む事はままあった。性格として、口汚く罵ることなどしなかったが、その猛々しい眼のままにベートは正々堂々『表に出ろ』と言われ、ボコボコにされてきた。彼の少し未熟な、けれど瑞々しい自尊心だった。フィンはそれが嫌いではなかった。
しかし今の彼は落ち着いていた。遠慮なく踏み込んできたリヴェリアに激しい眼をする事はなかった。苛立ちは無論あっただろうが、呑み下し、頭を振った。
ーーーーこの一年であんな顔もするようになったのか…
その事に最も近い立場で気づいたのはリヴェリアだろう。穏やかな、しなやかな彼の成長を誰よりも近くで感じた筈だ。
ーーーー成長?いや、それだけじゃないな、少し違うか…
かつての魔導の師の言葉も、遠慮ない態度も、ともすれば挑戦的に取られる言動も全て自分を軽んじるものではないと、わかっているのだろうか?
諦めたように座り込むリヴィエールをもう一度見る。
ああ、やはり気は進まないらしい。ジロリとロキ・ファミリア全体を睨んだ後、口を開いた。
「楽しい話じゃねえぞ」
「わかっている。だからこそ聞きたい」
また一つ大きく嘆息する。
「…………わかった。話す」
「すまないな。だが私達はどうしても聞かなければならん。そうしなければ私達は始められない」
「いいんだ、元をただせば俺が悪いんだから」
そう言い聞かせなければやってられないというのもある。
「ただし、条件がある。人払いだ。誰にでも聞かせたい話じゃない。本当に聞きたい奴、そして誰にも口外しない奴。そいつらだけに話す。選抜はあんたに任せるよ。それでいいか?」
「勿論だ。約束しよう」
「一応言っておくが俺はあんただから任せるんだ。そのことを忘れないでくれ」
「わかってる。嬉しいよ、リヴィ」
ケッと吐き捨てる。そしてロキ・ファミリアの中で少しの時間がもたれる。話を聞く人物をフィンが選抜し、それ以外に対してリヴェリアが魔法で音を遮断する結界を張った。そこまでせんでも、と言い出したリヴィエール本人さえ思ったがそれは口に出さなかった。それだけ彼に本気で向き合ってくれている証だ。
そんな時間の中で1秒たりとも迷わずリヴィエールの目の前に膝を抱えて座り込む金髪金眼の少女がいた。
アイズ・ヴァレンシュタインだ。
「…………少なくとも話をするまではもうどこにもいかねえって」
穴が開くほどこちらを凝視してくる少女に言う。彼女が話を聞きたがる事に疑問は何ら持たない。まずありえないが、もしリヴェリアが話を聞かせるものの選抜に彼女が入れていなかったら自分でアイズだけは良いと言うつもりだった。
予想通り彼女は残った。しかしこれ程信用がないとは……
先ほどリヴィエールが述べたことは何の裏もない、彼の本音だ。今まで見つからなかったのは行方不明、もしくは死んでいると思われていたが故に組織だっての本格的な捜索がされていなかったからだ。生きている事がばれた以上、ロキ程の有力ファミリアの力を持ってすればオラリオを出ない限り、何処に隠れてもまず見つかる。この場で逃げる気は無意味かつ徒労だ。
しかしアイズはそんな彼の言葉を全く信頼していなかった。こと戦いにおいては仲間以上に信頼できる男だが、彼にはたった一つ欠点がある。
親しい相手程、究極に水臭いということだ。
面倒ごとや厄介ごとに自分や親しい者を巻き込まないために一体何度言いくるめられてきたか。
それでもそれらの行動は全て自分たちを思うが故の事だった。だからこそ我慢もしてきた。しかし今は違う。我慢の限界などもうとっくの昔に超えてしまっている。
「もうリヴィの言う事は信じない」
仏頂面で答える。彼女の仏頂面はいつもの事だが普段ならそこに邪気は無い。しかし今はその鉄面皮の奥に疑心がふんだんに見えた。
「俺、お前に嘘ついた事あった?」
「あった。一年前、また明日って言ったのに会うまでに一年遅刻した」
「それはお前……」
いや、言うまい。偽った事には違いない。
「俺、束縛されるの嫌いなんだけど」
「知ってる。だから話を聞く。もう逃がさない」
信用し直すのはそれからだって事か。なるほど、彼女なりに筋は通っている。信頼とは崩れるのは一瞬だが築くのは実に時間がかかるものだ。よく知っている。これ以上何を言っても逆効果にしかならない。
「ーーーー好きにしろ」
「うん」
彼女にしては珍しく、横を向いたリヴィエールの顔を、少し笑顔を見せながらじっと見ている。
「………………楽しい?」
「うん」
邪気のない無表情に戻る。そんな顔をされてはもう何も言えなかった。
▼
「待たせたね」
選抜が終わり、フィンが先頭になって連れてくる。メンツはロキ・ファミリアの幹部に他主力メンバー数人。大体予想通りの人物たちがいた。
「え、お前らもいんの?」
大体の内に入らなかった連中を見る。リヴィエールの視線の先にいたのは三人の少女。
【千の妖精】レフィーヤ・ウィリディス
【大切断】ティオナ・ヒュリテ
【怒蛇】ティオネ・ヒュリテ
ロキ・ファミリアでいつも一緒にいる同年代の三人組だ。
「な、なんですか!私が聞いちゃいけないんですか!?」
「そうは言ってないけど……お前、俺の事嫌いだろ」
リヴィエールが極め、彼女が追い求めるバトルスタイル、魔法剣士。自身が前線で戦い、同時に魔法の絶大な火力を持つ速度重視の魔導士。
中でもリヴィエールはそのスタイルにおいてオラリオ最高クラスの実力を持つ万能型中衛職。魔法の訓練はレフィーヤより後から始めたにもかかわらず、戦闘力はもちろん、魔法においても彼女をあっという間に追い抜いてしまった。
しかも第三者の目から見ても、この子あっちなんじゃ、と思われるほどアイズを慕っている。そのアイズの想い人もこの男。
強さ、魔力、そして美貌に魅力、およそ彼女が求める全てを持つ魔法剣士。それが彼女にとってのリヴィエール・グローリアだ。
もちろん表立ってどうこうされた事はない。リヴィが悪いというわけでもないし、周りを引き込み、夢中にさせるのは彼の才能の一つだ。
それでも心とは割り切れるものではない。理不尽とわかっていても嫉妬とは止められないのだ。ダンジョンで共に戦った事も何度かあった。その時からずっとこの子から負の感情を持った視線を白髪の剣聖は感じている。
「私に任せると言ったのはお前だろう」
「わかってるよ、ちょっと気になっただけだ。アンタの人選に文句をつける気はねえって。気分を害したなら謝ろう」
「わ、私、嫌ってなんかないです!!」
レフィーヤを庇うように前に出たリヴェリアに対して謝罪する白髪の剣士に向けて小さなエルフが叫ぶ。それは剣聖が初めて聞く彼女の本音。
「確かにリヴィエールさんの事、妬ましかったし、羨ましかった。魔導士になったのだって私より後だったのに、貴方は私なんてあっという間に飛び越えていって、アイズさんにも、皆さんにも一目を置かれてて……私に無いもの全部持ってる貴方に何度も嫉妬してきました」
「……………………」
「でも同時に、貴方は憧れでした。剣を振るい、魔法を自在に操る貴方のスタイルに。ヒューマンである貴方に出来るのなら私にだって。そう思えたから私は努力出来ました」
「レフィーヤ……」
頬を指で掻く。純粋なヒューマンってわけじゃないからそれはちょっと違うんだけど、と心の中で零す。リヴェリアも少し複雑そうな顔をしていた。
「不思議ですよね。今の1秒でどれだけ妬んでも羨んでも、次の1秒で貴方に憧れるんです」
それは種族上の理由なんじゃないかと思うが、面倒なので言わない。本来エルフ達が様付けする存在の血が彼には流れている。
「だから私、リヴィエールさんを嫌った事なんて一度もないんです。心から聞きたいんです。そんな貴方に一年前に何があったのか。そして出来ることなら私も力になりたい。私だって何度も貴方に助けられてきましたし、貴方は私の 理想ユメ ですから」
そこまで言い切ってエルフの少女はようやく興奮が覚めた。顔を真っ赤にしてすごすごと下がる。リヴィエールもどう返していいのかわからず、ただ白い頭を掻いた。
「…………まあそういうわけだ。此処にいる奴でお前を嫌う者はいないし、口外するような奴も勿論いない。私を信じてくれるというなら此処にいる者たちも信じてくれ」
変な空気になった状況を本物のハイエルフが整えてくれる。
「そうだよリヴィエール!友達じゃない、私達」
「団長が場合によっては力を貸すなんて言うんだから私が聞かないわけにはいかないでしょ」
アマゾネス姉妹も高らかに笑って心情を述べる。一人は彼のためというよりフィンのためといった動機だったが、彼女の自分の気持ちにストレートな所がリヴィエールには好ましかった。
「ちなみにベートは?」
いない予想はしていた。それでも主力メンバーの中で唯一いなければ気にはなる。
「あのバカは知らん。興味ないそうだ」
「…………そっか」
奴なりの意地と優しさだとリヴィは察した。リヴィエールの弱みを聞いてしまったのなら、彼の性格上、貶さずにはいられない筈。しかしそんな事はしたくない、というよりそんな姿をアイズに見せたくない、という方が正しいだろう。なら聞かない方がいいと思ったに違いない。
「さて…………少し長くなるぞ、覚悟しておけ」
トーンが少し下がり、目が暗くなる。思い返すのは辛いことだったが、彼女らから逃げずに前に進むと決めた以上、話さなければならない。
それにコレは後で話すが、今回出くわした新種のモンスターの件もおそらくはこの話と無関係ではない。深層に潜る彼らには知っておいて貰わねばならなかった。
「バロールって神、知ってるか?」
「…………49層の階層主のことでないなら、たしか天界で悪逆を振るったっていう魔神の名前だったはずだが」
「そいつが下界に降りてきたことが始まりだった……らしい」
白髪となった剣聖が語り始める。神話や英雄譚でありふれて存在する、とある神と眷属の悲劇を……
後書きです。連載決定しました〜。応援よろしくお願いします!また何かございましたらご指摘ください。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。