その二つ名で呼ばないで!   作:フクブチョー

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Myth35 私を置いて行かないで!

 

 

 

 

 

 

 

「ニャ?」

 

早朝、開店の準備をしていたキャットピープル、アーニャの手が止まる。まだ店開きもしていない時間帯に、思いがけない人物が訪ねてきたからだ。

 

「あの、すみません」

 

遠慮がちに口を開いた訪問者は朝靄の中にあっても眩く金色に輝くロングヘアに金色の瞳が特徴的な、人間離れした美貌を持つ剣姫、アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

「まだ開店時間じゃニャい。朝食ならもうちょっと後に」

「ご、ごめんなさい。違うの。ここにはリヴェリアに言われてきて」

「リヴェリア?ああ、店の予約かにゃ?」

 

冒険者がひっきりなしに訪れる豊穣の女主人は基本的に飛び入りだが、集団で宴会をするファミリアは時折予約をしてくる。キャンセルになることも多いが、集団での来客は事前に言ってもらえると非常に助かる。

 

「あの、リヴィ、居ますか?彼、ここを根城にしてるって聞いて…」

 

その名前が出てきたことにアーニャはゴクッと唾を飲む。なんでこの子が知ってる、と思ったが、すぐに理由はわかった。そういえばアイツ、リヴェリアには教えたと言っていた。彼女から伝わったとしても、なんら不思議はない。

 

「大丈夫、誰にも話してません。これからも誰にも話しません。お店に迷惑かける事はしないです」

 

絶対に他言無用と言われている彼の存在を知っている事はそれだけで危険が伴う。匿っていることが知られては良くも悪くも騒ぎになるだろう。そのせいで店の評判が落ちればミアは容赦なくリヴィエールを追い出すはずだ。そうなる事は友人として、アーニャも避けたかった。

そしてそこまで考えたかはわからない、とゆーか恐らく店というより、リヴィエールを気遣ってアイズは無理矢理乱入したり、騒ぎ立てたりする事はなかった。ただ、確認に来ただけだった。

 

「あの、今は会えない、ですか」

 

無言の肯定を返す。理由はいろいろあったが、少なくとも、今は会えない。

 

「あの、ならこの手紙を、リヴィに」

 

耳元で囁いた声と、紙片とともに握りしめられた手は少し震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グシャリと嫌な音が夜の陰に紛れて鳴る。音源には顔面血塗れになった男が横たわっていた。傍に転がる袋を加害者だろうアマゾネスが拾い上げる。ジャラリという金属が擦れ合う音が響いた。

 

「全く後を絶たないよねーこういうバカ。逃げ切れると思ってんなら相当幸せな頭してるね」

 

一夜の享楽に紛れ、外と繋がり、娼館の金を奪う。冒険者になれず、かといって一山当てる事も出来なかった連中がこういう事に手を染める。潰しても潰してもキリがない。そのおかげで仕事があるわけだが、辟易はする。アマゾネスは強い男が好きだが、弱者を嬲る事は好きではない。いや個人差はあるだろうけど。

 

「ねー、隊長はー?」

 

オラリオ夜の街、娼館街の自警団を務める隊員の一人が、自分たちの長の不在を嘆く。しかし、同行している団員はぼやいた同僚に、知らないのか?という目線を向けた。

 

「アイシャさんなら自警団辞めたよ。こないだ正式に受理されてた」

「えー!なんでー!?」

「だってあの人イシュタル・ファミリア所属とはいえ、既に身請けされてるんだから、わざわざ娼館街守る理由はもうないし。金稼ごうと思えば、あの人ならこんな事しなくてもずっと簡単にたくさん稼げるわけだし。今まで続けてた方が不思議なくらいよ」

「確かにそうだけど、でも随分急じゃない?身請けされてから結構経つじゃん。なんで今更?」

「詳しい事はよく知らないけど、しばらく冒険者に専念したいんだって。ほっとけないヤツがいるんだって言ってた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜もとっぷりと暮れ、誰もが眠っている時間。世界の中心たるオラリオもその例外ではない。

しかし、そんな夜更けの屋根の上、何かを持って一人佇む人影があった。夜の闇に逆らうような真白の白髪が夜風に揺れる。男性にしては随分と長髪で、屋根の上についていた髪が風で舞い上がった。

 

───どうしよ、コレ

 

半分になった黒刀の刀身をもって、白髪の剣聖は途方に暮れていた。この惨状は流石のリヴィエールといえども、どうしようもない。ここまで綺麗に壊れてしまっては活かすにはもう脇差にでもするほかない。

 

───椿に殺される…

 

ため息をつきつつ、暫くはこの刃っかけで戦う事を決意する。若干リーチは短くなったが、所詮剣は手の延長。半分もあれば十分に戦える。

 

しかしどうしてこうなってしまったのか。不壊属性を持つカグツチが真っ二つにされるなど、本来ならありえない事だ。しかし目の前の事実がその常識を否定している。

 

───いや、大方の予想はもうついてる。

 

折れた刀身の断面を見たとき、この刀の唯一の弱点を知っているリヴィエールはこうなった原因に察しがついていた。確信に至っていないというだけだ。

 

───………っ

 

ボヤッと視界が霞む。ノイズが耳の中で木霊した。眩んだ頭を包帯に巻かれた手で抑える。手だけではない。青年は体中に包帯が巻かれていた。僅かに隙間からは火傷の跡が見える。

 

───刀の損傷もひどいが、それ以上に俺がヤバイな

 

グッと一度目をこする。すると靄はなくなり、耳も夜の静かさを知覚した。

 

───魔物化(モンスター・フォーゼ)の侵食……前より酷くなってる

 

スキル【咎人】が発現し、呪いを手中に収めてから、リヴィエールは何度か魔物化を試していた。手に入れた技術をぶっつけ本番で使う程大胆ではない。

その時も副作用はそれなりにあった。使用後の全身の火傷。数時間に渡るブラックアウト。とてもソロで使える技術ではないことは知っていた。

 

しかし、活動限界まで行使したのは今回が初めてだった。アスフィが作り出したバングルは黒塵の利用を助けるだけでなく、安全弁の役割も果たす。彼の意思に関係なく、スキルが解除されたのは、バングルがスキルを強制終了させたからだった。

 

ドロリと生暖かい何かが頬を伝い、滴り落ちる。血だ。自分の目から溢れている。

目の端を拭う。自嘲するようにリヴィエールは笑った。

 

───さて、あと何回使えるか。というか、あとどれくらい時間が残されているのか…

 

長くはあるまいと推察する。今までこの身体には随分と無茶を強いてきた。悲鳴をあげてもなんら不思議はない。

 

───時間が欲しい……

 

そんな事を考えた自分に驚く。少し前まで全く思わなかった事だ。ただひたすらにダンジョンに潜り続けた一年間。己を焼く黒い炎から逃れる術は強くなることだけだった。 ルグのために、自分のために。

そんな時間に嫌気がさした時もあった。あれほど無茶な強行軍を繰り返し続けたのは、破滅願望もあったのかもしれない。誰でもいいから俺を殺してくれと思った事も、一度や二度ではない。

それなのに、今は心の底から思う。時間が欲しい、と。

 

ようやく見え始めた光明。掴みかけている尻尾。閉じていた無限回廊の出口が、やっと現れてくれた……やっと。

 

───もってくれよ、せめて真実にたどり着くまでは

 

「…………起きたの?」

 

意識が握りしめた拳から移る。背後から声が聞こえてきたからだ。振り返らなくても誰かはわかる。艶やかな黒髪に褐色の肌、蠱惑的な肢体を持つアマゾネス。褐色の肌は月の光を反射するかのように煌めいている。

 

───ったく、ツヤツヤしちゃってまぁ…

 

女の幸せを全身で表現している自身の情婦を見て、憤然とする。実はあの後、リヴィエール達はリヴィラの街に滞在していた。さすがのアイシャも気絶したリヴィエールを抱えて18階層を登る事はできない。上に上がったフリをしてしばらく姿を隠し、ロキ・ファミリアの面々が上層へと戻った頃合いを見計らってリヴィラの街で宿をとった。

二日後、目覚めてすぐ押し倒されたリヴィエールは結界の魔法を張り、昨晩たっぷり十時間は相手をさせられた。借りがあった手前、文句も言えず求められるがままに肌を重ね、体液という体液を交換し、お互いを貪りあった。

その後、色々な液体でベタついた肌を泉で洗い流し、身を清めた後、ダンジョンから出たのである。

 

そして今は豊穣の女主人に滞在していた。1日泥のように眠り、今は体力の回復に当てている。その甲斐あって、ある程度体も動くようになった。その間もアイシャはずっとそばに居て、献身的にリヴィエールの看病に努めていた。

 

夜中に目が覚めたリヴィエールは起こさないようにこっそり部屋を出たのだが、どうやら起きてしまったらしい。振り返ると同時にごく自然な動作で血のついた右手を拭き、屋根に落ちた血を拭う。

 

「起こしたか?済まなかったな」

「…………」

 

無言で隣りに座る。フスー、と鼻から大きく息を吐いた。いつもの凛とした美貌は鳴りを潜め、不服そうに頬を膨らませるアイシャの横顔に、リヴィエールは何も言うことができない。

 

「…………身体はどう?」

「ああ、もう大丈夫だ。ありがとうアイシャ。礼を言う」

「…………それだけ?」

「え?……えっと……お前、ずっと俺につきっきりだけど仕事は大丈夫なのか?歓楽街の自警団は多忙と記憶しているが……そんな怖い目で睨まんでもええやん。冗談、冗談だって」

 

的外れなことを言った事に対し、凄まじい形相で睨みつけられる。気の弱い者ならこの目だけで腰を抜かす事だろう。わざと外した意図は確かにあった。冗談だって、と謝罪するとアイシャはフンッと顔を背ける。

 

ほら、私怒ってるのよ?それぐらいわかるでしょう?どうして私がこんなに怒ってるか、もう一度胸に手を当てて考えて!いちいち言わせないで!

 

時折こちらに向けてくる視線と怒気が雄弁に彼女の心中を物語っている。三日三晩眠っていた男は心当たりが多すぎて何から言えばいいかわからなかった。

 

「えっと……その、ごめん」

「はぁ?何が?」

「なにがって、そりゃ…」

 

謝ったら許してもらえるとでも?と大書されたその背中に困窮する。

 

「そ、そうだ!腹減ったろう?今日は俺が何か作ろう。アイシャ、なに食べたい?」

「アンタのゴハン作るのは私の役目。取ったら抜かず10発を10日間毎日スるから」

「…………はい」

 

話を脱線させて、腹膨らませてごまかす作戦失敗。これ以上下手な事は言えない。この女はマジでヤる。それなりに性豪であると自負しているが、その方面に関してアイシャは俺を遥かに上回る。こいつ相手にそんな事になれば俺は確実に腹上死する。

 

───やはり此処は正面突破か…

 

二、三発殴られることを覚悟し、背筋を正す。みしりと身体が嫌な音を鳴らし、痛みを訴えたが、無表情を貫いた。

 

「アイシャ」

「なに?」

「心配かけて、ごめん」

 

頭を下げる。暫く静寂が長屋を支配した。何も言われない状況に恐怖しつつ、頭を下げ続ける。今度は口から、諦めたようにはぁーと大きな溜息をついた。

 

「もう二度と目を覚まさないかと思った」

「……………………」

 

あの戦いからすでに4日が経っている。その九十六時間のうち、リヴィエールは四十時間もの時を眠ったまま過ごしていた。

 

「二日間……いや、貴方がいなくなってから、私がどれだけ心配したと思ってる?」

「………ホントごめんなさい」

「リヴィラで貴方の手当てをした時に、焼け爛れた貴方の体を見た私の気持ちがわかる?」

「いや、わかんないですけど」

「でしょうね。簡単にわかってたまるか。あーマジひっぱたいてやりたい」

「謝るから勘弁してくれ」

 

この身体でアイシャの平手打ちなど食らっては本気で命が危うい。

 

「警備隊の仕事なら先日辞めたよ」

「え?」

 

急に話が変わった事に驚いたのもあったが、それ以上に語られた内容に驚いた。

 

「よくイシュタルが許したな」

「もともとあの辺で暴れるようなバカは冒険者崩れのザコか、なり損ないしか居ない。私ほどの腕がなくても充分務まる仕事なのさ」

「それでも随分急な…」

「急じゃないさ。半年くらい前から辞めたいって言ってたから」

 

半年、と一言呟く。彼がアイシャを身請けしたのもそれぐらいだった。

 

「…………自惚れ承知で聞くが、俺のためか?」

「他に何がある」

 

───わぁイケメン。惚れてまうやろ

 

今度はリヴィエールが大きく溜息をついた。アイシャは軽い方なので忘れていた。こいつもアマゾネスなのだ。しかも一筋タイプの。愛が重い。

 

「改宗したわけじゃないんだろうな」

「それは勿論。利益はイシュタル様に献上する事が冒険者稼業に専念する条件だったからね。あんたんとこのヘボファミリアを頼るつもりは今の所ないさ」

「ならいい」

 

両手を後ろについて、空を見上げる。弧を描く三日月が夜を照らしていた。左肩に重みを感じる。黒髪のアマゾネスが頭を預け、背中に手を回していた。リヴィエールも黙って腰を抱き寄せる。

 

「ねぇリヴィエール?」

「ん?」

「子供欲しい?」

 

屋根から落ちそうになる。いきなり何を言い出すのかこの子は。

と、リヴィエールは考えていたが、黒髪の美女にとってはいきなりでは決してなかった。アマゾネスは常に強い子孫を求めている。今までよく我慢していた方なのだ。

 

「なんだ突然」

「いやそう言う願望ないのかなって」

「…………今の所、その気は無いけど」

 

少なくとも、冒険者をやっている限り、ないだろう。いつ死ぬかもわからないのに、これ以上身内を増やすつもりはない。

 

「リヴィエール、死ぬ人の顔してる」

「?」

「未来より今のことしかない人の顔。この一刀が振り下ろせるなら、あとはどうなっても構わない。そんな事を考えてる人の顔」

「………………」

 

最近はそんな事もないんだよ、と言いたかったが、言えない。思い当たる節がないわけでは無いからだ。安易に肯定するつもりはなかったが、否定もできなかった。

 

「いつも考える。アンタがどっかに消えない方法」

「…………おいおい、さっきの、まさかそんな理由か?」

「そんな理由?」

 

ジッと睨まれる。さっきのように怒りが籠っていたわけでは無いが、怒り以上に熱い炎が目の奥で見えた。

 

「私にとってはこれ以上なく、大切な理由さ」

「…………悪かった」

 

理由の価値観は人それぞれだ。安易に軽く扱っていいものではない。リヴィエールは素直に謝罪した。

 

「…………んじゃ、私はそろそろ行くよ」

 

しばらく無言で睨みつつ、肌の温もりに身を委ねていたアイシャは意を決したように立ち上がった。これから歓楽街の方に戻らねばならないらしい。自警団を辞めたとはいえ、イシュタル・ファミリア副団長の立場まで辞めたわけではない。もう何日も無断で外泊してしまった。これ以上ホームを空けているわけにも行かない。

 

「俺もちょっと出るか。椿のところに行くのはもうちょい後にするとして……」

 

今回の事件の顛末をシャクティから聞かなければならない。あの赤髪の調教師についても、連中なら何かしら掴んでいるはずだ。

 

「やっぱ直んないの?ソレ」

「太刀としての復活は不可能だな。椿なら脇差に磨りあげる事くらいはできるだろうが……」

 

その為にはこの惨状を椿に報告しなければならない。うん、殺される。

 

「アンタって、時々子供っぽいよね。そこが可愛くもあるけど」

「うるさい、緊急時じゃないんだ。やな事は出来るだけ後に回して何が悪い」

「あ、リヴィエール。居ないと思ったらここに居たにゃ」

 

屋根から二人が飛び降りる寸前、背中から声が掛かる。この酒場で働くキャットピープル。アーニャだ。彼女から俺に会いに来るとは珍しい。

 

「何か用か?」

「剣姫から預かり物にゃ。目を覚ましたら渡して欲しいって」

 

紙片が風に乗って飛ばされる。リヴィエールが何かを軽く唄う。するとまるで誘導されるかのように紙は彼の手に収まった。

 

───アイズから?一体何を…

 

「まあお前、全身火傷でボロボロだし、多分無理にゃよって言っといてはやったから……って、にゃにゃ!!?」

 

降ろしていた鞘を腰に差し、リヴィエールは屋根から飛び降りた。あのバカ、と一言呟く。そのまま走り出そうとしたその時。

 

「──グッ」

 

手を強く掴まれる。火傷がジンと痛みを訴えた。傷が完治していないのもあるが、それ以上に凄い力だ。

 

「剣姫から?」

「───ああ」

 

手紙の送り主とそれを見て血相を変えたリヴィエールに苛立ちが募る。アイシャは彼がこれ以上ロキ・ファミリアに……というか、剣姫と関わることを良しと思えない。女としての嫉妬も無くはないが、それ以上に彼への心配の気持ちが強い。

 

「彼女に関わるとアンタはまたきっと傷つくよ」

 

アイシャの言っていることは正しい。自分がこんなに怪我をするようになったのはアイズ達と再会した途端だ。それまでは無傷とは言わないが、気絶するような事態になる事は断じてなかった。

それなのに、彼女達と関わり始めたこの短期間で二回も怪我をして帰ってきている。これ以上は情婦としても戦友としても看過できない。

 

「それにそんな武器で駆けつけてもあんたに出来ることなんて──」

 

一閃。

 

言葉を剣圧で遮られたアイシャの黒髪が数本、落ちる。甲高い金属音がした時、リヴィエールはすでに納刀を終えていた。

 

───抜刀どころか、納刀さえ見えなかった……

 

「悪いな、行かないわけにはいかないんだ」

 

何でかは自分にもよくわからない。でも、アイズを見捨てるということが、彼にはどうしても出来なかった。

 

「…………やっぱり、私なんかが行かないでって言っても、無駄か」

 

リヴィエールの足が止まる。踵を返し、顎を引き寄せ、唇を合わせた。

 

「すぐ戻る。心配するな」

「うるさい、死んじまえバカ」

 

背中越しに聞こえた声は少し震えていた。

 

───俺だって、本当は行きたくねえよ

 

『リヴィエール。目が覚めて、体が大丈夫だったらでいい。この間、デートで訪れたあの教会まで来て欲しい。私はウダイオスにソロで戦いを挑む。結果がどうなるかは私にもわからない。だから、貴方に見届けて欲しい。もちろん優先することがあれば私の事は後回しで構わない。私はいつまででも待ってる』

 

ウダイオスは階層主。まごう事なく最強クラス。タイマンでやるなら魔法なしでは自分すら危ういかもしれない。少なくとも誰か一人、側にいなければ勝っても負けても命に関わる。

 

俺が行くまで無茶はするな

 

自分で考えておいて白々しい。無茶しないアイズなら今俺はこんなに必死で走ってないだろう。半分になった刀の柄を握り、教会まで駆けた。

 

 

 

 

───今日も来ないかな、リヴィ

 

以前、二人で歩いた時に休憩に立ち寄った大聖堂。ステンドグラスの前で体育座りをしながら、金髪金眼の少女は教会の扉が外から開かれるのを待っていた。

 

膝に顔を埋めつつ、さきの戦いを思い出す。といっても、彼がいなくなってから、アイズの記憶はあまり無い。一旦ダンジョン攻略は中断となり、地上に出たまでは何となく覚えている。

 

その後、フィン達は報告のためにロキの元へと向かった。事件の顛末やギルドに報告。事後処理は山のようにある。

 

それらの後始末を全てリヴェリアやフィンに押しつけ、アイズは朝から晩まで、ずっとこの教会に通い詰めていた。

 

「アイズ、最近ずっと夜遅くまで出かけてるけど、何してるの?」

 

深夜に帰宅したアイズに一度、フィンが詰め寄った事があった。いや、フィンだけでは無い。三人娘やリヴェリアも何度かコンタクトを取ろうとした。しかし、アイズは何でもないの一点張りだった。

 

怪我をして帰ってきてるわけでもないことから、ダンジョンに一人で通っているわけでもない。しばらくそっとしておこうというのが、彼らの出した結論だった。

 

そんな事になってるとはつゆ知らず、アイズは今日も早朝からこの教会に来ていた。身体を動かし、稽古をしながら、かの人を待っている。

 

───やっぱり、あんな事頼んじゃ、ダメだったかな……

 

手紙を豊穣の女主人に置いてきたことを少し後悔する。あの時も実はあんまり覚えていない。一人で挑むつもりだったのに、気づいた時にはもう手紙を書き、アーニャに頼んでしまっていた。

 

───リヴィ、辛そうだった。痛みに苦しむ彼なんて、初めて見た

 

ずっと一緒にパーティを組んでいたアイズはリヴィエールがやられた姿を見た事は何度かある。彼はいつも自分より強い相手に挑んでいたから。

吹き飛ばされ、叩きつけられ、打ちのめされる。そんな事を繰り返して、自分たちは強くなったのだ。

しかし、どんな時であろうと、彼が痛いや苦しい時で弱音を吐いた事はなかった。吹き飛ばされても、叩きつけられても、打ちのめされても立ち上がり、最後には必ず勝利する。心の強さこそが剣聖の最大の武器だ。

痛みに耐えかねて声を上げる事すらアイズは見た事がなかった。アイズだけではない。彼の師匠ぇあるリヴェリアもだ。恐らくは強烈なプライドが無様を晒す事を許さなかったのだろう。彼ほどやせ我慢強い男を二人とも知らなかった。

 

そのリヴィが大勢の前で臆面もなくのたうち回った。絶叫し、胸を掻き毟り、血が出るほど手首を噛み、あまつさえ、目を抉ろうとすらしていた。

 

恐らくあのスキルの弊害だろう。黒塵を纏うことにより、身体能力、魔法力、全てを向上させるあの能力。あんなデタラメな力を使ってリスクがない方がおかしい。

 

───っ…

 

先日のことを思い出す。黒塵が炎のように彼の体から溢れ出し、包み込んで行く。その背中はかつて炎の中に消えていった母親の姿を思い出させた。

 

───リヴィ…

 

心の中で彼の愛称を呟く。親しい者にしか呼ばせることを許さない、その名前を。この名前を心で呟くたび、愛称で呼ぶことを許してくれたあの時が鮮明に蘇る。随分昔の事だというのに、その時をアイズは昨日のことのように覚えていた。脳裏に映る剣聖は今よりずっと幼い。初めて出会った時はお互い少年少女だった。

 

───初めて会った時から、特別な人だって思った。

 

モンスターに追い詰められ、途方に暮れていた自分を救ってくれた時は、父の背中が彼と重なった。そして笑顔を向けてくれた時は母の面影を彼から感じた。初めて会うのに、心はこの人に会う事をずっと待っていたと知っていた。

 

───あなたに、会いたい。

 

一年間、それだけを思って戦ってきた。どんな形でもいい。もう一度、あの手に触れたい、と。

 

再会を果たした時は怖かった。またいなくなってしまうのではないか、と。そればかりを考えていた。

 

先日、私は彼を畏れた。黒く染まった彼の背中に守られながら、その異形に震えた。

 

そして今は、ただ会いたい。私を一人にしないでくれていた彼はきっと今一人ぼっちだ。

 

『あの子、性根は怖がりなんです。初めて出会ったあの子は孤独を強いられ、警戒しか知らずに育った狼でした』

 

ルグが語った彼の本質は自分にも大いに覚えのある事だった。彼と私は本当によく似ている。

 

ただ一つ、違うのは、自分は彼に比べて、どうしようもなく弱いこと。

 

───リヴィはたった一人であの二人と互角以上に戦っていた。それなのに、私は……

 

再び内面に意識を落とす。あの赤髪の調教師の実力を。激しく襲いかかってくる苛烈な姿を。白髪の剣士が彼女を圧倒する光景が鮮やかに思い出された。

 

───何もできなかった。私はまた、護られた。私がもっと、強ければ…

 

リャナンシーと呼んでいた美しい魔物に、リヴィエールは負けてなかった。多分、一対一なら勝っていた。私があの調教師に負けたから、リヴィエールは倒れたのだ。

 

───あの人を、リヴィをあそこまで追い詰めたのは、私だ。

 

赤髪の調教師はアリアを知っているようだった。しかし、今はそのことに関してはあまり考えられなかった。どうでもいいとまでは言わないが、それ以上に思うことがあった。

 

───また私は、彼の背中を見送ることしかできなかった。

 

闇に消えていくあの細い背中をもう何度見ただろうか。その度に今度こそ逃げないと誓いながら、自分はまた繰り返す。

 

『お前は俺なんかよりよっぽど強いよ』

 

彼は嘘をついたつもりなどないだろう。だが、アイズにとってはその言葉はひどく虚しい。だって自分は、彼よりはるかに弱いから。

 

───私の悲願(ねがい)……

 

誰よりも強くなる。母のように。彼のように。私はあの二人のようになりたかった。それが私の悲願。

 

───それはきっと、届かない

 

レベル5において限界が来ていることは知っている。もう三年もここで燻っている。剣聖と剣姫。二人並び称された時期もあったが、今はもうその差は開くばかり。

止まったままの亀に対し、兎は走り続けている。

 

───待って……

 

行かないで

 

───私を置いて……行かないで!

 

私は、アイズ・ヴァレンシュタインはなんて弱い

 

「アイズ」

 

優しくも力強い声が耳朶を打つ。同時に温もりと少し固い感触が頭上に置かれる。

 

膝に埋めていた顔を上げる。光に目が慣れるのに少し時間がかかった。焦点が合う時間すらもどかしく、目を擦る。

 

真っ先に視界に入ったのは翡翠色の瞳。次に月光を眩く反射する滑らかな白の長髪。漆黒の刀を腰に下げ、服装はゆったりとしたローブのような異国風の衣装。

 

───ああ……

 

心が綻ぶ。固く閉ざされようとしていた胸が砂糖菓子のように淡く解けていくのが、わかる。

 

心から言える。私はこの人に出会うために、生きてきたのだと。

 

「おはよう、アイズ」

 

柔らかく笑う。初めて会った頃と変わらない、強く、優しい笑み。普段の凛々しい彼とはまるで違う。親しい者にしか見せないその表情にアイズの心は激しく揺れる。

言いたいことがいっぱいあった。謝りたいことがたくさんあった。しかし、そのどれもが出てこない。柔らかな笑みとは裏腹に、身体中に刻まれている重症の後が視界に入る。

 

「…………リヴィ、身体は……っ」

 

大丈夫なの、と聞こうとした言葉は止まる。圧倒的な感情の奔流に呑まれつつ、アイズは包帯が巻かれた彼の腕に手を添えた。あれこれ思い描いていた言葉は喉に詰まって出てこない。自分が何を気にしているのかがわかったのだろう。苦笑を浮かべ、金の髪を撫でた。

 

「ファッションだコレは」

 

あからさまな嘘に胸が潰されそうになる。不器用で、それでいてどうしようもなく優しい。そんな態度がアイズにとっては無言の刃となり、小さな胸を貫いた。

 

「ごめんなさい」

 

手を握られたまま、包帯が水滴に濡れる。感情の奔流が雫となって彼女の両目から落ちていた。

 

「心配をかけたな、アイズ。すまなかった。許してくれ」

「っ!?………………っ、っ、」

 

無言で何度も何度も顔を横にふる。謝ってほしくなかった。謝りたいのは自分なのだから。

 

「しっかし……俺も相当だが、お前も大概イカれてるな」

 

言葉に呆れを交えつつ、ガリガリと頭を掻く。彼女の姿に自身の過去でも思い返しているのだろう。似ている事が嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だった。

 

「ご、ごめんなさい」

 

頭を下げる。無茶なお願いをしている自覚は彼女にもあった。

謝ってくる彼女を見て、呆れと感心、両方の感情が湧く。

 

「だが冒険者としては正しい。冒険をしない者に栄光(グローリア)はありえない。今回はお前の意思を尊重してやろう」

 

このバカ妹が、と額を指で小突く。一人で黙って行っていたらこの程度では済ませなかったが、わざわざ俺に帯同を頼んだ。自分と交わした約束は守っている。

 

「?何してる。行くんだろ」

 

───っ……

 

何も言わず、当たり前のように着いて行くと態度で示した。その無言の信頼がアイズにはとても嬉しい。

 

「ホラ、早く食料だの水だの用意してこい。まさか腰の剣一本で深層まで行く気か?」

「うん、すぐ二人ぶんの遠征の用意をしてくる。待ってて」

 

弾む足取りで教会から出て行く。リヴィが来るのがいつになるかわからなかった為、水や食料の用意だけは後に回していた。その用意へと向かったのだ。

 

教会から誰もいなくなったことを確認するとフッと息を吐き、木造りの長椅子に腰掛ける。やはり身体はまだギシギシ言ってる。身体強化の魔法をかけていなければキツい。

 

「出てこいよ、二人とも」

 

背後に向けて声をかける。見られていることには気づいていた。

 

「リヴィエール…」

 

責めるような視線を小さな勇者、フィン・ディムナから向けられる。なぜ止めなかった、と無言で問い詰められていた。

 

「俺に同行を頼みに来ただけ、まだマシだろう。コレを断ったらあいつはいずれ一人で爆発するぞ」

「お前のようにか?」

 

姉の不機嫌な声が弟を責める。何の事を言ってるのかはよくわかる。そしてそれは事実だ。魔物化は強さだけを求め、走り続けて来た結果によって得た新たな力と呪い。その代償は彼女たちの前で見せた通り。愚か者と罵られても何ら文句は言えない。

 

「そう怒るなリーア。実戦であの力を使ったのは初めてでな。あんな事になるとは思わなかったんだ」

 

嘘である。しかしそんなことは言わなければバレない事だ。

 

「リヴィエール、君は大丈夫なのかい?」

「四日休んだ。問題ない」

「呪いの進行は?」

「体内に蓄積された黒塵はかなり消費した。手加減なしに魔法使っても今日明日どうこうはならんさ」

 

あの事件以降、体内の淀みは随分と薄まった。魔物化の侵食は進んでるが、呪いに関してはかなり軽減されている。おいそれと【咎人】は使えないが、普通に戦うぶんには問題ない。あの赤髪の調教師が相手だとしてもタイマンなら確実に勝てる。

 

ビンの入ったカゴを目の前に置かれる。中身はマジック・ポーションにハイ・ポーション。エリクサーまである。

 

「僕の手持ちの回復薬だ。全て置いて行く。好きに使ってくれ」

「……なんか受け取りにくいな」

 

この愛すべき小さな友人に借りを作るのはとても怖い。何を頼まれるかわかったものではない。

 

「変な事は言わないさ。だがアイズの独断を許したのは君だ。彼女のぶんまで君が責任を背負わなければならない。それはわかるね」

「冒険者たる者、責任は全て己にあると思うが……ま、了解だ」

 

カゴを受け取る為、少し屈む。するとバサリと頭の上に何かが被せられた。

 

「忘れ物だ」

 

頭の上に放り投げられたのは彼の砂色のローブ。物心ついた時からずっと側にあり、母から受け継いだ数少ない物の一つ、【神巫の法衣】。下手な鎧よりはるかに防御力がある衣だ。さすがに諦めていたのだが。

 

「拾ってくれてたのか。すまないな」

「礼ならアイズに言え。お前のローブが落ちている事に気づいたのはあの子だ」

 

帰路に着くとき、彼女はずっとこのローブを抱きしめていた。リヴィエールにとって大切な物である事を知っていたから。

 

「姉さん」

 

緑髪のハイエルフを呼ぶ。オラリオでは…それどころか、世界で彼にしか許していない、その呼び方で。

 

「心配かけてごめん。いつもありがとう」

「…………うるさい、死んでしまえばよかったんだ。お前なんか」

 

思わず苦笑する。つい先ほど、情婦から似たようなセリフを言われたからだ。

 

───まったく、俺の身内には素直じゃないめんどくさい女が多いこと。

 

思えばルグもそうだった。昔はそのめんどくささを嫌ったものだが、今は少し愛しいと思う。

そんな事を言わせたことへの申し訳なさもあったが、愛憎詰まった震える声が少し嬉しかったから。

ごめんともう一度だけ言うとリヴェリアは黙って去り、フィンも『よろしくね』と言い置くと教会の裏口から出て行った。

程なくして、入り口から走ってくる軽快な足音が聞こえてくる。教会の扉が開いた。光の先にいるのは良くも悪くも自分と似ている、憎らしくも可愛い少女。

 

───行くか…

 

ローブを羽織り、歩き始める。かつての自分と同じ冒険をしようとしている愛しい妹分を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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