事件から少し時間が遡る。地下18階層、リヴィラの街、ヴィリーの宿。
暗い部屋に一つだけある小さな蝋燭のみが室内を照らしている。その狭い部屋に1組の男女がいた。男は既に上着を脱ぎ捨てて、ベッドで女を待っている。
「おいっ、早くしてくれ。ここまで来て生殺しなんて勘弁してくれよ」
「待て、がっつくな」
衣摺れの音とともにローブが地に落ちる。絹のように白い肌に赤が落ちる。傷ひとつない陶器のように滑らかな肌。くびれた腰付き、張りのある双丘。男性であればその魅惑的な肢体に大概のものが心奪われるだろう。もう既に衣服全てを脱ぎ捨てた冒険者、ハシャーナも例外ではない。フードを取り払った女の美貌に彼はゴクリと喉を鳴らした。
「なんでこんなに綺麗なのに隠してるんだ?」
「お前みたいなのに一々絡まれないためさ」
半ば惚けた頭のまま、ハシャーナは女の腰を抱き寄せ、そのまま寝台に押し倒す。女も男の首に手を回した。
「さっきの話だが、何の依頼を受けたんだ?」
「ああ、変な依頼だった。30階層で訳のわからんモノを回収してこいなんて……おっと」
呆けた頭が少し正気に戻る。冒険者としてクライアントの情報を漏らすことは厳禁だ。これ以上を他人に言って仕舞えばガネーシャ・ファミリアの信用に関わる。
「コレは極秘だった。聞かなかったことにしてくれ」
「………そうか」
しかし、ここまでの話だけで、女にとっては充分な理由となってしまった。首に這わせた五指に力がこもる。全裸で無手。油断もかなりあったが、ハシャーナが抵抗できなかった事にはそれ以上の理由があった。自分の手であってもびくともしない女の剛力。1を数えるまもなく、ゴキリと嫌な音が鳴った。
力なく崩れ落ちる男の死体をぞんざいに放り捨てる。足下には一瞥もくれず、女は彼の荷物をあさった。
「……ない」
その事実は女を苛立たせるには充分すぎた。歯軋りの音が誰もいない洞窟に僅かに響く。
女の踵は容易に男の頭部を踏み潰した。
▼
「……とまあ、雑だが筋は概ねこんなトコだろう」
現場を検証したリヴィエールは自身の推理を語っていた。矛盾点は一つもなく、理路整然とした推察は見事に真実を捉えていた。
───衰えていないな
彼を腕っ節だけの男だと思った事など一度としてないが、それでもリヴェリアは彼の洞察力に舌を巻いた。彼は冒険者をやめて、警察でも食べていける。母親と似通ったところが多い少年だが、この辺りは父親の遺伝が見られる。
「ほ、本当に力尽くで殺されたんでしょうか?その、毒とか…」
「考えにくいな。アビリティに耐異常がある。俺はこいつを知らんが、レベル4なら少なくとも雑魚じゃない。劇毒盛られたとしてもさほど効き目はないだろう」
腕に自信があるなら俺でも殺害方法に毒は使わない。斬り捨てるか、焼き払う。その方が確実かつ足がつきにくい。
「流石だね、リヴィエール。僕も大体同意見だ」
「犯人はローブの女?」
「十中八九」
血にまみれた荷物の中から一枚の紙片を抜き取る。荒らされた荷物の中で唯一手がかりとなりそうなものがあった。
「クエストの依頼書……血だらけでほぼ読めないが、30階層、単独、内密、採取と書いてあることだけはわかる。つまりそのローブの女は30階層にある何かを狙ってハシャーナを手に掛けた」
さてはて、下手人は誰なのやら。状況から考えて一番現実的な犯人はイシュタル・ファミリアの戦闘娼婦。彼女たちならば概ねの条件は満たしている。
───その場合、俺はがっかりもいいトコだが……
「アイシャ連れてこれば良かった」
「アイシャってこないだブティックに一緒にいたアマゾネス?」
「ああ、イシュタル・ファミリアの副団長を務めている」
「あ、そっか。戦闘娼婦がいっぱいいる彼処なら…」
色香と艶かしい肢体、そして強さを持つ彼女たちならば確かに可能かもしれない。しかしリヴィエールはその可能性はまずないと踏んでいた。そうだとしたらやり口が分かり易すぎる。娼婦を疑ってくださいと言わんばかりの犯行現場。自分ならこんな連想しやすいやり方は選ばない。その考えを告げるとフィンが同意した。
「確かにあからさま過ぎる」
「それに彼処は副団長のアイシャすらレベル3だ。この犯行に及ぶには少し力不足だろう」
たった一人例外がいるがあの人間に似たヒキガエルにこんな殺し方は絶対不可能。なにより目撃情報と特徴が合致しない。
「随分と詳しいな」
「金がないときに歓楽街で用心棒を勤めていたからな。だからその人を責めるような目をやめろ」
余計な事を喋りすぎたかと若干後悔する。お姉ちゃんはそういう所にめちゃくちゃ厳しい。
「そっ、それらしいこと言ってるけどよ!本当はお前らがやったんじゃないのか!!」
ジーッと睨んでくる姉を何とかなだめているとそんな事を取り巻きの一人が叫んだ。その声を聞いてリヴェリアとリヴィエールは同時に硬目を瞑り、肩をすくめる。
「わぁ、ソックリ」
二人の姿を見てフィンが思わずそんな事を言う。目の色といい、顔立ちといい、品格といい、白髪の剣聖と翡翠色の九魔姫はよく似ていた。
「おいリーア。まさかフィンに俺のこと話してないだろうな」
「自力で真実に辿りつかれた。オリヴィエ姉様と私の関係は話している」
ため息をつくと同時に得心する。他ファミリアの子供であるリヴィエールにここまでリヴェリアが世話を焼いているのだ。何らかの特別な繋がりがある程度のことはフィンならば見抜くだろう。他の奴に知られたならもう少し慌てただろうがフィンならいいかと納得しておく。ペラペラと人の秘密を話す男ではない。
「確かにハシャーナを実力でヤレるなんてこいつらくらいしか…」
「えー、超心外〜」
「ちょっとふざけないでよ」
「あっ、あのっ、えっと…」
「…………」
アタフタと慌てふためくレフィーヤと身動ぎするアイズの様子を見て苦笑が漏れる。無実だと言うのにそんな反応をすれば怪しまれるだろう。相変わらず戦闘以外で駆け引きができない妹達だ。
「こいつらがやったとすると…」
「ああ、フィンとリヴィエールはありえねぇ」
体格が違うし、なにより男だ。リヴィエールは少し変装すれば容姿の条件は合いそうだが、女性の象徴たる胸部は誤魔化しようがない。
ヴィリー達はアイズ達女性陣を見た。アイズ・レフィーヤと視線が移り、ティオナとリヴェリアで視線が止まる。
「こいつはないな」
「ああ、ない」
「ないない」
「3回もないって言ったなーー!!何がないんだ言ってミロォーー!!」
両腕を振り上げて暴れ出すティオナをアイズが羽交い締めにして抑える。リヴェリアはないというほどではない。むしろ華奢な体格が多いエルフの中ではある方だとすら言える。それでもロープの上からでもわかるというほどではない。エルフとは均整のとれた身体つきを美しいと思う人種であり、不必要な大きさは下品とすら思われる。
「…………あいにく私の体に触れていいのはこの男だけでな」
容疑の目を向ける男達に見せつけるようにリヴェリアが隣に立つ白髪の青年の腕を抱く。やめろと振りほどこうとしたが、そんな態度すらも楽しげにリヴェリアは彼にもたれかかった。
「…………こいつもないな」
「とゆーか剣聖って剣姫と付き合ってんじゃねーのかよ」
「爆ぜろチクショー」
一通り悪態を吐くと今度はティオネに視線を向ける。深い谷間を作る豊かな双丘に締まった腰。しなやかな太腿は程よく肉付いている。
「───あぁ!?」
視線の意味がわかったアマゾネスの全身から憤怒が溢れ出す。並みの冒険者では震え上がるであろうその怒気がボールス達を襲った。
「私の操は団長のモノだって言ってんだろ!!てめーらなんか知るか!!ふざけた事抜かしてるとその股ぐらにぶら下がってるもん引きちぎるぞ!!」
───なんと品のない……
アイシャも大概下品な方だが、それを補って余りある色香がある。ティオネも肢体の魅力だけならアイシャと負けず劣らずだし、いい女だとも思うのだが、決定的に色気というものが欠落している。
がなり立てながら飛びかかろうとするアマゾネスを今度は妹が止める。逆鱗に触れたボールス達は例外なく内股になって震えていた。
「こいつら、全員見てくれは悪くないが、そういう才能皆無だから」
「おおう……疑ってすまん」
疲れ切った様子で息を吐くフィンと絡みつくアイズとリヴェリアを振りほどくリヴィエールだったが、気を取り直し、改めて室内を見渡した。
「ボールス、街を封鎖しろ。リヴィラに残ってる冒険者を誰一人外に出すな」
「わかった。てめーら!北門と南門閉めろ!それから町の冒険者を一箇所に集めるんだ!言うこと聞かねえヤツは犯人だと決めつけて取り押さえてもいい!」
ボールスの指示を聞いた下っ端達が慌ただしく動き始める。だんだんと大ごとになり始めた空気をアイズ達も感じ取っていた。
「リヴィ。お前はまだ犯人がリヴィラにいると思ってるのか?」
「なんだ。リヴェリアは違う考えか?」
「犯行があったのは昨晩だろう?私ならとっくに逃げている」
「まあ普通はそうだな」
自分でも恐らくそうするだろう。だがこの事件は明らかに普通ではない。この八つ当たりの仕方から見るに、女はその何かにかなり執着している。
「手ぶらで帰るとはとても思えないな」
「…勘か?」
「勘だ」
翡翠色の瞳が血まみれのフルプレートアーマーに注がれる。彼が此処残ると決めた主因はコレだった。ガネーシャの紋様は入っていない。恐らく今回のためだけに設えたオーダーメイド。かなり極秘裏に動いていたと推察できる。地上に出てシャクティを訪ねてもヒントは得られまい。手がかりを掴むためには此処に残る必要があった。
それにどのみちシャクティには怪物祭の顛末について聞くため、会いに行くつもりだった。団員の弔い合戦を手土産にできれば色々とやりやすい。
リヴィエールが死体の上で手をかざす。ハシャーナの骸から黒い炎が巻き起こり、骨のみを残して焼き払い、弔う。死体は残しておくべきかとも思ったが、この醜悪な骸を放置しておく事は彼にはできなかった。
リヴィエールは追悼の念を込めて一度目を閉じる。リヴェリアとアイズも彼に続き、黙祷する。
「必ず捕まえる。行くぞ」
「ああ」
「うん」
逸る心を抑えながら、リヴィエールは行動を始める。その背中に二人が続く。激動の中にあるリヴィラの街。その渦中に向かって妖精達が動き始めた。
▼
「仕事が早くなったな、ボールス」
目の前に広がる光景を見てリヴィエールは素直に褒めた。力自慢のドワーフ達により封鎖された門。冷たい牢獄と化した水晶の街。これら全てをリヴィエールが予想していた時間よりずっと早く完成させていた。良くも悪くも、この男の推測が外れると言うことは少ない。
「呼びかけに応じねえヤツはブラックリストに載せるとも脅したからな。この街を使う連中は嫌々でも従うってもんよ」
「この状況下では連中も一人ではいたくないだろうしな」
「…………わかんねえな」
リヴェリアの言葉にボールスは頷いたが、リヴィエールは懐疑的だった。こんな人でごった返した状態では殺気を読み取ることは難しい。もし背後にナイフを持った犯人がいたとしても取りおさえるのはリヴィエールをもってしても困難。自分ならば入口が一つしかない洞窟かどこかに陣取る。
「誰もがお前のように賢明な判断は出来ないさ。一人でないというのはそれだけで安心できる」
「…………納得できないとまでは言わないが、理解はできないな」
信用のおけない者といても俺はとても安心なんて出来ない。それができたのは……
チリっと何かが焼ける音がした。頭を振る。今はそんなくだらない事を考えている場合ではない。犯人探しに専念せねば。ルグの事は一旦忘れろ。
「リヴィ?」
頼りなさげな声で名が呼ばれる。音源を振り返ると心配そうにこちらに手を伸ばすアイズがいた。
「大丈夫?」
「大丈夫だ、問題ない」
一度だけ刀の柄頭を叩く。気持ちをリセットさせる彼のルーティーン。黒いもやは頭から消え去り、淀んだ瞳には翡翠の輝きが戻った。
「疑わしいのは?」
「此処からではわからんな。まあ変装の一つや二つはしているだろう」
「
この人数を一人一人視る気にはなれない。ざっと数えただけで五百はいる。時間と神経がいくらあっても足りない。一つ舌打ちした。
「…………何をイラついている、リヴィ」
先程から愛する弟分の様子がおかしい。捜査は極めて順調に進んでいるというのに、この事件が始まってからというモノ、ずっと眉を寄せていた。
「順調過ぎるのが気に入らないんだよ」
経験上、順調な行程というものにろくな事はない。順調とは凶兆の前兆。百戦錬磨の剣聖の勘が胸騒ぎを掻き立てていた。
「また勘か?」
「アンタは俺を閃きだけの人間と思い過ぎだな。今度はちゃんと根拠もある」
「…………どういうことだ?」
「少し落ち着けリヴェリア。アンタなら少し考えれば分かることだろう……ああ、俺がイラついてたから焦ってたのか。いいか?俺たちは連中を集めるのに三つに分かれて行動を始めた。此処は俺とアンタとアイズ。北門にティオネとフィン。南にティオナとレフィーヤ。特に俺らは目立つように。俺ら三人は名も容姿もオラリオにとどまらず知られている。まあ俺は最近微妙だが、此処まで来れる上級冒険者なら大概知ってると思っていいだろう。俺ら三人だけでもたとえアイズクラスの実力だったとしても捉えられる」
ましてこの七人はわざと目立つように行動していた。逃げるとすれば集められる前のドサクサを置いて好機はない。故にここまで順調に進んでいるというのは既に異常事態だ。
「臨戦態勢はずっと解いていなかった。だからピリピリしてるように見えたんだろうが……気に入らないな」
「正体がバレないとタカをくくってるか…対応が迅速過ぎて逃走の機を逃したのでは?」
「自分の常識に敵を当てはめようとするな。強敵ってのは常に非常識に行動するものだ」
ローブ越しに胸を掻き毟る。あの夜に負った傷の疼きが治らない。イライラする。
───なんだ?何を見落としている?
「フィン、俺の推理、どこか間違ってるか?」
「…………いや、どこも」
と言いつつも彼なりに違和感は感じているようだ。親指を抑えている。
「考えてても始まらない。取り敢えず動くぞ。警戒は絶対に解くなよ」
「ああ」
さて、鬼が出るか、蛇が出るか。左手で剣の鯉口を握りしめたまま、白髪の剣聖は歩き始めた。
▼
「さて、ここからどうするか」
オーソドックスに行くなら身体検査だろうが、ぱっと見五百はいる。全員を見る気にはなれない。
「容疑者絞れたら呼んで」
「逃げるな。お前も手伝え」
奥に引っ込もうとしたリヴィエールを引き留める。気持ちは分かるが、彼の洞察力は絶対に必要だ。この捜査に彼を欠かす事はできない。
「よぅしっ!女どもぉ!体の隅々まで調べてやるから服を脱げぇええ!!」
リヴェリアに連行され、渋々集団の先頭に座り込む間にボールスが下品な声が上がった。男性冒険者たちから歓声が巻き起こる。諸手を挙げてやる気を漲らす浅ましい男たちに女性冒険者達から顰蹙の嵐が巻き起こった。
「リヴィが、こういう人達と一緒じゃなくて良かった」
アイズの静かな呟きが胸に刺さる。何よりも品性を重んじるリヴィエールは確かにここまでオープンスケベではないが、女性関係に関してはあまり人に誇れる要素は持っていない。無垢ゆえの感想が心を抉った。
「バカなことをやってるな。お前達、私たちで検査するぞ。リヴィエールは男性冒険者を……」
そこまでで言葉が途切れる。つい先ほどまで隣にいた青年の姿がない。逃げたかと見渡すが、そうではなかった。彼の姿はすぐに見つけられた………数え切れないほどの女性冒険者の壁の向こうに。
『いくらでも調べてくれていいわよ!リヴィエール!』
『貴方になら何枚だって脱ぐわ!ちょっとくらいなら揉むのも許す!』
『貴方に憧れて冒険者を目指しました!剣聖様!』
『フィン!早く調べて!』
『お願い!体の隅々まで!』
数々の女性冒険者達が二手に分かれて殺到する。それは同時に女性には
【剣聖】リヴィエール・グローリア。オラリオにとどまらず名を轟かせた絶世の美剣士。
そして【勇者】フィン・ディムナ。守ってあげたくなる美少年。この二人はオラリオにおける女性冒険者人気のトップツーだ。
「あ・の・ア・バ・ズ・レ・ど・もッ」
フィンに殺到する女性陣にブチギレるティオネ。暴走する姉を妹が必死に食い止めた。
「離しなさいよ!あの雌豚ども強くて可憐な美少年にしか欲情できない変態なのよ!」
「リヴィエールー、鏡持ってきてー。できるだけ質の良いー、ピカピカのやつをー」
「んな余裕あるかぁ!お、お姉ちゃん助けてー!!」
「でも奴らは知らないのよ!団長の!実は中年の渋みのよさというものを!!ジュルリ」
「みんな逃げてー、ここにもっと変態がいるよー」
くだらないことをやっている間に事態は進行する。フィンは人の波に押し倒され、そのままどこかへと連れていかれた。
『うがぁあああああ!!!』
大混乱に陥る一方で、もう一つの集団には動揺が巻き起こる。先ほどまで目の前にいたはずのもう一人の可憐な白髪の美青年が姿を消していた。
▼
「…………ここなら大丈夫」
アイズに引っ張られ、リヴィエールは広場の高台に避難していた。整った双眸には疲労が強く刻まれ、艶やかな白髪は乱れきっていた。砂色のローブも今は羽織っておらず、戦闘用の和装がはだけている。
「た、助かった、アイズ。礼を言う」
「ううん、大丈夫」
リヴィエールの身の危険をいち早く察知したアイズはすぐに救出に動いてくれた。代償にローブを失ったものの、なんとか無傷での脱出に成功していた。
「でも、もうリヴィは身体検査に参加しちゃダメ」
「あのなアイズ。俺だってやりたくてやろうとしたわけじゃ…」
「ダメ」
「…………はい」
いつになく強い瞳と口調でにじり寄られたリヴィエールにYES以外の返事は許されなかった。はぁ、と一つ嘆息し、結晶の空を見上げ、座り込んだ。アイズも隣に腰掛け、彼の頭を撫でる。手から伝わる透き通るような髪の感触と力強い熱はアイズに正体不明の疼きをもたらした。
「いつまで?」
「………もうちょっと」
やめろと振り払いたいところだが、助けられた手前、文句は言いにくい。しばらく好きにさせる事にした。
───ん?
適当に視線をさ迷わせていた翡翠色の瞳が人混みの中からとある人物を捉える。中型のポーチを携えた犬人の少女。冒険者に獣人など珍しくもないが、その挙動は明らかに奇妙だった。小麦色の肌は病気を連想させるほど青白く染まっている。
彼の雰囲気が変わった事にアイズも気づいた。撫でる手を止め、立ち上がる。その時にはリヴィエールはもう走り出していた。
「アイズ。先行く。挟め」
「うん」
彼の姿が搔き消える。同時にアイズも加速した。逃げる犬人の前に白髪の剣聖が降り立ち、足を止めると同時にアイズの手が犬人を捕らえた。
「さて、お話を伺おうか。お嬢さん。抵抗はしないことを勧める」
腰間の一刀に左手を掛ける。逃げる素振りを少しでも見せれば抜き打ちで斬り捨てる。そんな意思を視線に込めた。殺気を感じ取ったのか、それとも観念したのか、少女はヘナヘナと座り込んだ。
「どうする?」
「事情聴取はフィンとリヴェリアに任せるさ。広場に戻るぞ」
「やめてっ!」
観念した容疑者の少女が凄い勢いでリヴィエールに縋り付いてくる。一瞬ムッとなったアイズだったが、その尋常でない様子が妬心を忘れさせた。
「お願い!あそこに連れていかないで!戻ったら今度は私が……」
あまりに必死な様子にアイズは困惑する。同時にリヴィエールは歓喜していた。アタリを引いたかもしれない。
「どうする?」
「どうするも何も……話を聞くしかないだろう。おい、場所を写すぞ。お前、名前は?ああ、俺はリヴィエール・グローリア」
「知ってるよ……ルルネ・ルルーイ」
「所属とレベル」
「ヘルメス・ファミリア……レベルは2」
「この場で嘘つくなら広場に連行するぞ」
「っ!わ、わかった言うよ、言うって!……ホントはレベル3だ」
アスフィのところのやつか。彼女とは何度か話をしたことがある。アイテム製作の依頼をした事も。彼のローブはペルセウスの特注品だ。
「なんで逃げた」
「…………殺されると思ったから」
「ハシャーナさんの荷物を持ってるから?」
その一言を聞いてリヴィエールは内心で感嘆する。推理したのか、勘なのかは分からなかったが、彼女に鎌を掛けるなんて心理戦ができるとは思っていなかった。
「盗んだの?」
「レベル2のこいつがハシャーナから盗めた、なんて事はないだろう。恐らくルルネは運び屋さ」
「…………その通りだよ。酒場でフルプレートの男から荷物を受け取れって依頼を受けて、それで」
───別派閥のファミリアに役割を分担させたってことか
ない事とまでは言わないが、随分な念の入れようだ。ハシャーナの足取りを浮かんだとしても、冒険者でごった返すリヴィラの街で荷物を回されては行方を追うのはほぼ不可能に近い。
───用意周到過ぎる。まるでこの荷物が追われることをわかっていたかのような……
「依頼人は?」
「わからない……」
「守秘義務があるのはわかるが、今はそんな事を言ってる状況じゃないだろう。どうしても言わないっていうなら広場でお前を尋問しなきゃならなくなる」
「ほっ、本当に知らないんだ!ちょっと前に夜道を歩いてたら真っ黒なローブのやつに頼まれて……怪しいやつだとは私も思ったけど、報酬が凄くて……その、前金もめっちゃよかったし」
なら尚更警戒しろと言いたくなったが、すんでの所で堪える。上手い話に乗ってしまうという事は誰にでもある事だ。
「荷物の中身は?」
「…………」
葛藤しているのだろう。クライアントの依頼を守るか、己の命を守るか。チッと一つ舌打ちするとリヴィエールは刀の鯉口を切った。
「とろくさいのは好かん。今見せるか、広場に連行されて殺されるか選べ」
「わ、わかった!わかったって!命あっての物種だ。詮索しないで誰にも見せるなって言われたけど……」
ポーチから取り出された球体を見た瞬間、リヴィエールの意識が真っ黒に染まる。右手でルルネの首を握り壁に叩きつけ、眼前に漆黒の刃を突きつけた。
「どこでコレを手に入れた!言え!」
「がっ、あぁ……っ」
問い詰めるも答えられない。頸椎を握りつぶさんばかりに込められた左手の指が彼女に発言を許さなかった。
「リ、リヴィ?どうしたの?これが何か、知ってるの?」
知ってはいない。だが見た事はあった。忘れもしない、あの惨劇の夜。バロールはいくつもの放ったモンスターを放つ事でリヴィエールを殺そうとした。
しかしこの話には矛盾点がある。複数とはいえ、かの剣聖をボロボロにするほどの強さを持ったモンスターを御し、嗾けるなどまず不可能。しかもそんなモンスターを伴って地上を歩くなんて事は尚更だ。事実、最初に現れた時、バロールはほぼ手ぶらだった。
状況が一変したのはヤツが懐から緑色の球体を取り出した時だった。その球体は今、彼女が取り出した宝珠と酷似していた。
「ちょ、ちょっと何やってるんですかリヴィエールさん!」
ようやく追いついてきたレフィーヤが今の状況を見て避難の声を上げる。その叫び声に若干冷静さを取り戻したリヴィエールはルルネから手を放した。その間に、地面に転がり落ちた球体をアイズが拾い上げる。
「なに……コレ」
「貸せっ」
アイズの手からひったくる。自分の片手で持てる程度の大きさの宝玉。埋め込まれているのは胎児のようなモンスター。宝玉からは鼓動が感じられる。不気味な瞳は閉じられ、沈黙を守っていた。
───なんだ、これは?
あの時は間近で見る事はできなかったが、こうして見ると本当によくわからない。ドロップアイテム?新種のモンスター?予想はいくつも上がったが、7つ目の感覚はそのどれもを否定した。
───っ……
ゲホゲホと咳き込むルルネを解放するレフィーヤの一方でリヴィエールとアイズは僅かに見開かれた不気味な瞳に釘付けになっていた。宝玉の鼓動と同調するように、二人の鼓動も速まる。体中の血がざわついた。
「グッ……」
耳鳴りの音が頭に鳴り響く。まるで頭の中でシンバルがなっているかのようだ。寒気が蛇のように体中を走り回る。猛烈な吐き気が喉奥からこみ上げた。
アイズが耐えられず、膝を折った。支えようとリヴィエールも手を差し出したが、彼女の軽い体重を支えることもできず、地面に手をつく。
お互いがお互いを支えあいながら、二人は荒々しく息をついた。
「アイズさん!リヴィエールさん!」
地面に落ちた宝玉をレフィーヤが拾い上げ、二人から距離を取る。大きく胸を上下させていた二人の体は徐々に静まり、回復していった。
「アイズっ……大丈夫か?」
座り込んだまま、倒れこむように壁面に背を預ける。膝を地面についたまま、アイズはリヴィエールの顔を見てしっかりと頷いた。
「リヴィこそ……大丈夫なの?」
「心配するな。だいぶ治まってきた」
深呼吸する。倦怠感は未だに消えなかったが、おかげで落ち着きは取り戻した。
「悪かったな、ルルネ。いきなり乱暴な真似して。謝罪する。済まなかった」
「あ、いや……そんなことよりあんたら大丈夫なのかよ」
「かどうかは俺もよくわからないな。レフィーヤ、平気か?」
先程からずっと宝玉を持ってる少女に問いかける。何ともありませんと一度頷いた。
───レフィーヤが大丈夫で俺とアイズがダメ……俺とレフィーヤがダメなら種族上の理由と考えられたんだが、そうではない
「やっぱコレヤバい代物なんじゃ…」
……なら一体何なんだ。バロールが持っていたものと酷似しているこの宝玉は…
『教えて欲しい?』
心を読んだかのような声が背後から聞こえてくる。驚いて振り返った時、リヴィエールは背後から抱きしめられていた。
───女の、人?
背後で彼を抱き上げていたのは紫がかった黒髪を腰まで伸ばした美女。その美しさにレフィーヤはもちろん、アイズさえも息を飲んだ。歳の頃はおそらく二十代半ばといったところ。少し青みがかかった夜空のような色合いのマントを羽織り、肌は新雪のように白い。細い首には宝石のような極彩色の石が飾られている。
マントの下は服と呼ぶにはあまりに薄い布が纏われていた。普通の女性冒険者とは比べ物にならないほど露出度が高い。張りのある豊満な肢体がそれを押し上げている。
リヴィエールを除いたこの場にいる全員が思った事は綺麗な人だという事と、不思議な人だという事だ。彼女の赤い瞳から目をそらす事が出来なかった。見惚れてしまったのだろうか、それとも別の理由か。その蠱惑的な美貌に全員の意識が吸い込まれた。
止まった時間を動かしたのはやはりリヴィエールだった。背中に抱きつく女を振り払い、振り向くと同時に黒刀を抜く。女は楽しげに空へと舞い上がった。
「久しぶりねぇ、私の可愛いあなた。元気だった?」
明らかにリヴィエールに向けて蠱惑的な美女が話しかける。彼の知り合いなのだろうか?また美人が親しげに話しかけてきたことで、一瞬気色ばんだが、彼の様子を見てその妬心は霧散する。まるで不倶戴天の敵を前にしたかのように、睨み付け、剣を構えていたからだ。
「…………リャナンシー」
「まあ、今度は覚えていてくれたのねぇ。感激だわ、坊や」
四年前の因縁が、地面に降り立った。
後書きです。外伝のオリキャラ登場。イメージはFGOのスカサハです。それでは励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします!