───空振り、か……
天を仰ぐ。もう何度目の落胆だろう。歯軋りの音が自分の頭蓋骨を通して耳に届いた。
同時に驚く。こんな形で怒りを表すなんていつ以来だろう。
───今回は期待してたって事か……俺が思っていた以上に
7つ目の感覚が告げていた一年前との事件との繋がり。そして今回のイレギュラー。フレイヤが下手人とは思っていなかったが、何か手がかりくらいは得られると無意識下で期待していたらしい。
───いや、クサるな。収穫がなかったわけじゃない。
頭を振ると前を見据える。そうだ、わかった事もある。フレイヤが知らないという事を知れた。これは有効な情報だ。現在オラリオで最も大きな勢力を誇るロキ、ガネーシャ、フレイヤ、この壮観たるファミリアのいずれも一年前の事件に関しては何も知らなかった。つまり表に出ている有力ファミリアで今回の事件に関わっている可能性はほぼ無くなった。
なぜなら勢力の大きいファミリアであればあるほど動いた痕跡は残る。大蛇が擦り跡を残さず動くことなど出来ないように。限りなく消すことはできても完全には消すことは不可能だ。その痕跡を俺やシャクティが見逃すなどあり得ない。唯一俺の目を欺くレベルで消すことができる可能性のあるファミリアがフレイヤだったのだがその可能性も今日消えた。恐らく現在表に出ている有力ファミリアはシロと思って間違いない。
ルグ・ファミリアの成功を妬む中堅から小規模ファミリアが結託して、という可能性も低い。バロールにあれ程強力な武具と新種のモンスターを用意できるのは並大抵の力では無理だ。ロキ・ファミリアクラスの権力とガネーシャ・ファミリアクラスのモンスターテイム能力が必要になる。そんなもの、中堅以下のファミリアではいくら数が集まろうと不可能だ。
───となると、表立って活動はしておらず、かつトップファミリア以上の力を持つ神という矛盾した条件を兼ね備えた組織となる。
心当たりとして真っ先に思い浮かぶのがギルド。先のファミリア以外でなら最も力のある組織だ。オラリオの創設神たるウラノスを長とする連中が黒幕であればおおよそのカラクリに説明がつく。
しかし先にも考えた理由から、やはりこれもあり得ない。
次に考えられるのは闇派閥だが、考えにくい。暗黒期の奴らならともかく、討伐作戦には自分も参加した。この手で壊滅的打撃を連中にはしっかり与えた。万が一残党がいたとしても今の連中にそんなことが出来るとはとても思えない。
ならオラリオの外にいる神の誰かか?会ったことはないがこの街の外に降り立った神もいるとは聞いた。事件後、国外に逃亡されたとしたら……
───その逃亡にギルドが関与しているとしたら……この辺りが一番現実的な可能性だな。やれやれ、神には曲者が多い事だ。……ん?
視線を感じた。唐突にではない。気配には今気づいたが、コレはついさっきから見られ始めたというようなモノではない。
───つけられてた?この俺が?
油断があった事は否めないが、それ以上に相当の使い手だ。視線を意識し始めた今でも位置までは感じ取れない。左手を刀に掛けた。
「誰だ。出てこい」
連戦はキツイが言ってる場合ではない。この相手は逃がしてくれるような使い手でもないだろう。それに少し期待もあった。これほどの手練れは恐らくオラリオでも数える程。真実に近づき始めた俺の動きに釣られて相手から現れてきてくれたならこれ以上のチャンスは……
「…………って、なんだ」
安堵と落胆。両方の意味で息を吐いた。背後の影から現れたのは緑髪のハイエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴ。色々と得心もいった。彼女なら自分をつけていても不思議はないし、ここまで気づかせなかったことにも納得がいく。手を刀から外した。
「まさかアンタにつけられるとは……俺も鈍ったな」
「つけてはいない。別ルートであの屋敷に先回りしただけだ」
「そうか」
「まあ、別の事に気を取られていたのは確かなようだが」
バレていたか。さすがは我が師匠。彼女なら自分の表情から心を読む程度容易い。
「……また、か」
「ああ」
出てきた様子で姉は全てを察していた。
「診せろ。手当てする」
瓶に入ったポーションを差し出し、手に癒しの光を宿す。無視しようとして、やめた。怒ってる家族に逆らうものではない。黙って傷を診せる。
「っ………バカだバカだとは思っていたが、ここまでとは」
傷を見たリヴェリアの声に怒りと呆れが強くなる。赤黒く腫れ上がった腹部のグロテスクな色が癒しの光により照らされていた。剣技とは全身運動。特に腰から腹筋の動きが要であり、もっとも負担が掛かる。治りかけていた内出血の血管が再び破裂するのは当然だ。
…………この傷でよくもまあ、あのオッタルと。
恐らく歩くだけでも相当に辛いはず。やせ我慢強い男なことは知っていたがここまでくると自殺志願者だ。本当にアイズとよく似ている。
「なぁ、リヴェリア」
「…………………………なんだ」
薄緑色の液体を口に含みつつ、尋ねる。随分返事に時間をかけられたが、返事はしてくれた。怒ってはいても話を聞いてくれる気はあるらしい。
「お前は誰が黒幕だと思う?」
「…………ルグ様の件か?」
「今日の事件も含めて、だ」
きっと繋がっている。あの時感じたこのカンは間違っていないはずだ。
「ギルドの関与……が最も疑わしいと私は思う」
「やっぱそうだよなぁ」
理性ではあり得ないと思いつつも、この考えは頭から消えてくれなかった。7つ目の感覚はギルドの関与を告げている。
「…………行くのか?」
「近いうちにな」
できれば頼りたくはなかった所だが、この都市で手がかりがあるとしたらもう彼処しかない。
「一人で行く気か?ウラノスが自衛のために盾を用意している可能性はお前だって言っていただろう。いくらリヴィでも…」
「関係ない」
何人待ち構えていようが、どれだけのレベルの傭兵がいようが、構わない。向かってくるなら誰であろうと斬りふせる。
「リヴィ」
傷の治療の手を止め、こちらの頬に手を添える。
「私は頼れないか?」
「頼れないな。悪いが俺の中ではロキも完全なシロとは言い難い」
半分嘘だ。彼が今下界で最も疑いが少なく、シロだと思う神がロキである。しかし限りなく白に近いグレーである事もまた事実。自分が知る限り、心を隠すのが最もうまい神がロキだから。
「私からロキにウラノスに探りを入れるよう頼んでもいい」
「聞いてなかったのか。ロキもシロじゃないと言ってるんだ。そんな事に意味は……」
「私がその席に立ち会うと言ってもか?」
驚愕に目が見開かれる。神であるロキならばともかく、リヴェリアがギルドに入り込むとなると潜入になる。ウラノスが自衛の為に強力な盾を持っている可能性は高い。闇と繋がりがあると疑わしいのも事実。そんなところに潜入して、発見されたら命の保証が…
「それとも私も信じられないか?」
「そんなわけないだろう!この世界で今や唯一無条件で信じられるのが………っ」
そこまで言って、やめる。慈愛に満ちたリヴェリアの笑顔がムカついた。
───何を恥ずかしい事言ってるんだ俺は。
口元を手で隠す。赤くなってることは自覚していた。
「…………何やってんだ」
視線をリヴェリアに戻す。両手を大きく広げ、こちらににじり寄る緑髪のバカがいる。
「そんな可愛いことを言った罰だ。抱きしめさせろ」
「死ね」
両手を広げてゆっくりとした動作で近付くも、リヴィは大きく後ろに後退しつつ、刀に手をかける。それほど嫌なのか、それとも恥ずかしいだけなのか。恐らく前者であり後者である。それは正に、姉の母性愛から逃れる弟のごとくだ。
どちらかが折れない限り続くであろう一進一退の攻防。折れたのは意外なことにリヴィエール・グローリアだった。刀から手を外す。
「わかった。1人では突っ込まない。お前か、ロキか、誰かに帯同する形で話を聞きに行く。これでどうだ」
「…わかればいい」
若干不満そうな顔をしながら広げていた両手を下ろす。本当に残念そうだった。
しかし気を取り直すとごく自然な動作で隣に来るとスルリと腕を取られた。
「今日は色々あって疲れたろう。帰ろう、リヴィ」
腕に抱きつかれたまま、歩き始める。利き手を取っていれば反射的に振りほどいたが、幸い左。意志の力でなんとか出来る部位。わかっていて左手を取ったんだろう。その辺りのことはこの女は熟知している。
それでも身体の一部を封じられているという状況はあまり気にいるものではない。しかし振りほどいたところで先の繰り返しになるだけだ。
───このまま隠れ家に帰るつもりだったんだが……
「少なくとも、その傷が治るまでは絶対に逃がさんからそのつもりでいろ」
「…………心を読むな」
こうなった以上、絶対に逃がしてはくれない。あの場所がリヴェリアにバレることだけは避けたい。諦めたように一度嘆息するとリヴィは姉の引力に従って歩き始めた。
「リーア、もう逃げたりしないから、そろそろ離してくれないか」
「嫌」
拗ねた声の拒否が帰ってくる。右肩に頭を乗せ、腕を絡めたまま、美しすぎる姉は黄昏の館が見えてくるまで離してくれなかった。
▼
早朝、日が昇り始めた頃、硬質な何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
音源が気になったレフィーヤが走っていくとそこにあったのは二つの人影。
一人は細身の黒剣を振るい、朝露にその肌を濡らす白髪の少年。もう一人は少年の持つ得物と同じく…いや、彼が持つ剣よりもさらに細い剣を操る白金の少女。二人とも汗と朝露で濡れており、打ちあう姿は本気でなくとも真剣そのものだ。
二人の打ち合いにレフィーヤは思わず見とれる。魔導士である彼女は門外漢なので、剣の事は詳しく分からないが二人がどれほどの強さなのかはわかる。
そして見るものが見れば2人とも何かを確かめるように剣を交えていることに気づいただろう。レイピアを握るアイズは剣の重さ、重心、握り、刃の走りを。黒刀を振るリヴィエールは身体の伸び、回転、捻り、身体の具合を確認していた。
カァンと一際音高く剣戟の音がなり、飛び下がる。
「…………ここまでだな」
鞘にカグツチを収める。これ以上打ち合ってはお互い誤差修正では済まなくなる。
「リヴィ、身体の具合はどう?」
あの後、オッタルと戦った事で悪化した傷は完治に今日まで掛かっていた。包帯は昨日取ったが、1日絶対安静をリヴェリアに言い渡され、ほぼ監禁に近い形で黄昏の館に縛り付けられたリヴィは昨日1日、寝たきりだった。
そして一流の剣士とは1日体を動かなければ取り戻すのに3日かかる。身体に入った錆は出来るだけ早く落とさなければならない。
少し病み上がりの運動に付き合ってくれとリヴィエールに頼まれたアイズは一も二もなく頷いた。
「そうだな、まだ少し違和感はあるが………普通に戦う分には問題ない」
今朝まで包帯が巻いてあった腹部を軽く叩く。筋肉がダレるような感覚はまだ身体に残っていたが、今朝起床した時よりはかなりマシになった。
「レフィーヤ、用があるならサッサと済ませろ」
ビクリと震えたのは木の陰から見ていた茶髪の妖精。嫉妬混じりの視線で見られていたのは気づいていた。
「すっ…すごかったです、お二人とも!」
「レフィーヤ……」
「覗き見とはなかなか良い趣味だな」
この子はストーカーの気質が割と以前からあるが……
「ご、ごめんなさい。つい、見惚れて……ではなくて!声をかけるのを忘れてしまったというか!!」
「えっと……ありがとう?」
「普通にかけろ。黙って見られる方がよほど神経に障る」
ビクっともう一度震える。その姿を見て少し後悔する。太刀筋を盗み見されるというのはあまり気分のいいものではない。若干言葉が固くなってしまった。
「で?レッフィー、何か用なのかい?」
安心させる意味を込めて砕けた口調で話しかける。
「よ、用ってわけじゃないんですけど……本当にこんな朝早くから剣を振られてるんですね!だから2人ともあんなに強くって……私も見習わなきゃっ」
───そんな高い意識を持ってやってるんじゃないんだけどな…
恐らくアイズもそうだろう。稽古がもう生活の一部になっているに過ぎない。定期的に身体を動かしておかなければ、身体に妙な倦怠感がまとわりつく。端的に言って仕舞えば筋肉がダレるのだ。この淀みはリヴィにとって全身運動した後の疲労よりよほど気色が悪い。
「剣術を誰かに教わったりしたんですか?」
「…………根幹となる技術は父に。刀の扱いは軽く椿にも習ったが……俺は基本独学だ」
「独学……」
愕然とした表情でリヴィを見る。誰にも師事せずあそこまでの強さと技術を身につけている事に、感嘆と理不尽を感じていた。
しかし独学で何かを学ぶという事はエルフにとって珍しい事ではない。むしろ正しい成長の仕方なのだ。悠久の時を生きるエルフは自然のまま、自然の速度で成長することを良しとする。故に何かを身につける時、彼らは見様見真似から入り、自身で試行錯誤を重ねることで腕を磨くのだ。
「ず、ずるいです!」
「?何が」
「何がって……」
その理不尽な才能がですよ!とは言えない。才能ももちろんだが、それ以上に彼は努力と修羅場を重ねてきていることを知っている。それにいくら魔導士とはいえ、自分も冒険者の端くれ。見ればわかる。力量が才能の範疇か、そうでないかくらい。
それでも、剣才が全くと言っていいほどないレフィーヤにとっては理不尽でも天才め、と恨まずにいる事はできなかった。
「っというか、別にリヴィエールさんには聞いてないんですぅ!アイズさんは誰に剣術を教わったんですか?」
べーっ、と一度舌を出すとアイズに近づく。相変わらず、好かれてるのか、嫌われてるのか、わからない少女だった。
「…………私も、お父さんかな」
十数える程迷った末に答えたのはリヴィエールとほぼ同じ答えだった。
「そうなんですか!魔導士の私から見てもすごくキレがあるなってわかるんですが……お父様が…そういえばアイズさんのご両親って──」
「書庫から本を取ってくるのにどれだけ時間が掛かってるんだ」
呆れたような声とともに音もなく2人の師匠が現れる。どうやら魔法の教示の最中だったらしい。様子を見て全てを悟ったハイエルフは吐息した。リヴィエールもだいたい理解した。
この子のこういうところがリヴィエールはあまり好きではない。努力しなくちゃとか、憧れているとかいう割には、目先の何かに捕らわれ、自身の練磨を怠る。剣才はなくとも、他の才がある。その事を本人も知っているはずなのに。自分の修行を忘れてどうする。
───リーアや俺を超えるのは当分先の話だな
まあ憧れてるとか、いつか、とか言ってる時点で無理な話なのだが。レフィーヤもあまり心が強くない。時に先日のような爆発力を見せることもあるんだが、普段の彼女は冒険者に向いているとは言い難いメンタリティだ。
「リヴィ、もう身体を動かして大丈夫なのか?」
怪我の面倒を見ていたリヴェリアが心配そうに尋ねる。怪我が一番ひどかった時を見ているからか、案じる気持ちはこの場の誰よりある。
「傷自体はもう完治してる。動かさない方が大丈夫じゃなくなる」
「そうか、ならお前達も来るか?久々に。強くなるのに必要なのは肉体面だけではないだろう」
「あいにく、魔法理論に関する知識には興味ない」
リヴェリアに勧められた本は全て読んだが、理論だけを語られてもあまり意味を見出せなかった。あんなものを百読むより一の実戦の方がよほど為になる。魔法は習うより慣れろだと今でも思っている。無論理論から積み重ねる人間がいる事は知っている。無駄だとまでは思わないが、少なくとも典型的感覚派の自分に向いているやり方ではない。
アイズもかつてのリヴェリアの鬼教官ぶりとスパルタを思い出したのか、青い顔をして白髪の青年の後ろに隠れた。2人とも数年前まで似たような境遇だった。冒険者としての知識技能をリヴェリアに叩き込まれていた。故に2人は彼女のスパルタを知っている。しかしリヴィもアイズも感覚派の天才型だ。座学にそこまで価値はない。
「だそうだ。残念だったなレフィーヤ。朝食までは続けるぞ」
「ア、アイズさぁ〜ん!」
その事をリヴェリアもわかっているのだろう。強くは誘くことはしなかった。哀れ理論派のレフィーヤは問答無用で鬼教官に連行されていった。
「リヴィ」
「ああ、行くか」
2人もまた剣を持って中庭から塔へと戻った。
「あ、リヴィエール様、おはようございます」
「あ、あぁ、おはよう」
シャワーを借りて身を清めたリヴィエールはホームの廊下を移動し、大食堂へと向かう。その最中にロキ・ファミリアの団員たちが頭を下げて、戸惑いつつ返事をする。すれ違う団員殆どにこのような挨拶をされていた。自分は他ファミリアの人間で、一時的に部屋を間借りしているだけだというのに。
「みんなリヴィが好きなんだよ」
隣を歩くアイズがそんな事を言う。声色に少し気色が混じっていることにリヴィだけが気づいた。表情も僅かに緩んでいる。心の機微に疎い彼女にしては珍しく、難しい顔をしていた彼の心情を理解していたのだ。自分も覚えのある事だったから。
「好かれる事をした覚えないんだけどな」
「何度も私達のことを守ってくれた。その事をみんなは覚えてる」
食堂の一席に腰を下ろす。新聞を手に取った。
「…………へぇ、思ったよりは俺の存在はバレてないのか」
ザッと目を通すと真っ先に目に入ったのが先日の食人花のニュース。鎮圧に活躍したロキ・ファミリアの勇者達。そして……
───勇者達と共闘した謎の魔法剣士……か
流石に存在をなかった事には出来ていないが、かなりボカした表現にしてくれている。恐らくシャクティとクロウが気を利かせてくれたのだろう。
───コレならほとぼりが冷めるまでそう時間はかからなさそうだな。
半分リヴェリアに拉致監禁されていたとはいえ、大人しくその状態を受け入れた最大の理由はここにあった。あそこまで派手に戦った今、下手に街をウロついては、あの隠れ家にたどり着くまでに捕らわれる可能性が高い。そうなっては任意同行および事情聴取でギルドに連行されるか、ガネーシャに引き渡される。シャクティのとりなしがあったとしても、良くてガネーシャの独房で謹慎処分および経過観察。下手をすればブラックリスト入りまである。ギルドもブラックリストもどちらもゴメンだったリヴィエールはほとぼりが冷めるまで黄昏の館に匿われる事になったのだ。
「あ、リヴィエールおはよー!今からゴハン?一緒に食べよー!」
右隣にティオナが腰掛ける。朝から元気な事だ。寝起きの良さは昔と変わっていないらしい。
その様子を見たアイズも慌てて残った彼の左隣に座った。
「3人ともおはようございます。皆さんの分の朝食は私が取っておきましたから」
「ありがとう、レフィーヤ」
「ちなみにリヴィエールさんの分はありませんよ?」
「いらないから」
新聞に目を通しながら答える。ロキ・ファミリアで出される食事など簡単に食べれるわけがない。限りなくシロに近いとはいえ、グレーな存在ではあるのだ。そんなところで何の疑いもなしに食事を口にする事など、彼にはできなかった。懐から常備している水を取り出す。
「何をバカな事を言ってるんだお前は」
対面に座ると同時に2人分の膳がテーブルに置かれる。腰掛けたのは緑髪のハイエルフ。手には2名分の朝食を持っている。メニューは野菜をふんだんに使ったスープとサラダ。野菜と塩漬けした肉のサンドイッチ。そして野菜入りオムレツ。これでもかというほど野菜が猛威を振るっていた。
「食事が冒険者の資本だという事は以前お前が言っていただろうが。お前の懸念もわかるが、食事、特に朝食はちゃんと取れ。頭が働かなくなるぞ」
膳に乗った朝食をこちらに差し出してくる。
「安心しろ、私が作ったものだ。何も入っていない。それとも、アレを食べるか?」
親指で背後を指差す。視線を向けると2Mはあろうかという大魚が丸焼けになった大皿をエプロンをつけたアマゾネスが片手で持ち上げていた。怪魚の名はドドバス。ほぼモンスターと呼んで差し支えない怪魚である。
「身だしなみ良し!エプロン良し!手料理良し!あ、そこ!団長の皿を用意するんじゃないわよ!団長にはわ・た・しの朝ごはんがあるの!!」
あの数十人前はあろうかという大魚の丸焼きがフィン1人のために用意された食事だというらしい。どう見てもフィンの体格より体積のある魚を朝から食べさせようというのだから、凄まじい。知っていた事だが行き過ぎた愛とは迷惑以外の何者でもないと再認識した。
「…………フィンも大変だな」
アマゾネスの愛は重い。その事をリヴィは身を以て知っている。といっても前職が前職なため、アイシャは軽い方だが。ああいう初恋が最後の恋と決めているティオネの愛の重さと言ったら、そんじょそこらのヤンデレが裸足で逃げ出すレベル。
「リヴィ、食べないの?」
出された食事に手をつける事を躊躇するリヴィを心配そうに澄んだ金色の瞳が覗き込む。リヴィエールが食事に手をつけない理由がわからないのだろう。アイズには食事に何か盛るという発想自体がない。
どう説明するかと渋っていると、ハッとなったアイズは用意されたスプーンを取った。
「…………なんの真似だ」
スープをすくい取り、左手で受け皿を作りながらこちらに差し出してくる。意味するところはこの場にいる誰もがわかった。
「あーん」
「いや、あのな……」
「あーん」
「誰にこんなの教わった」
「ルグ様」
「ロクなこと教えねえなあの駄女神」
食べさせようとするアイズに、その手を掴んで阻止するリヴィ。お互い座りながらではあるが、かなり本気に力を入れていた。
「わかったわかった!食べればいいんだろ食べれば!」
アイズからスプーンをひったくる。そのままスープを一口飲んだ。
「美味しい?」
「…………美味い」
上機嫌に尋ねてくるリヴェリアに素直に感想を述べる。フォンに野菜の旨味が溶け出している。かなりいい野菜を使っている証拠だ。
「デメテルの所の野菜か。久々に食べた」
「作ったのは私だがな」
「わかってる」
彼女の料理は何度も食べた。シンプルな味付けに一手間をかける手法は変わっていない。
食事を始めた彼を若干不服そうに見つめた金髪の少女も朝食を取り始める。もうちょっとだったのにと顔に書いてあるようだった。
「あ、アイズさん!コレをどうぞ!」
先ほどの光景を目の当たりにしてしまったレフィーヤが厨房の奥から帰ってきた。手には紅茶のポットを抱えている。
「朝の鍛錬でお疲れのご様子でしたから私特製のハチミツたっぷりのレモンティーをご用意させていただきました」
「あ、ありがとう、レフィーヤ」
「いえいえ!さあ、わたしと同じ!メニューの朝食を食べましょう!」
同じの所を強調してアイズの隣に座る。ついでに珈琲を飲む白髪の青年を睨んで。どう見ても対抗意識を燃やしていた。
───この子、ホントちょっとアブナイなぁ…
アイズとティオナすら若干引いてる。ティオネをマイルドにした様子といえば分かりやすいだろうか。朱に交わって、赤くなりつつある同胞を心配しつつ、サンドイッチを食べた。
「アイズ、今日は何か予定あるの?」
「あっうん。代剣壊しちゃったから、ダンジョンでお金稼がないと……」
「うわ、四千万か。お前でも一週間は掛かるな」
実物を見たリヴィエールは剣の価値を正確に言い当てていた。その値段をゴブニュに聞かされた時、アイズもその数値に頭を打ったものだ。
「じゃああたしも行くよ!あたしだって大双刀のお金用意しないといけないし!」
「わ、私もお邪魔でなければ!」
「そうか頑張れ。俺は少しロキと話があるから」
「何他人事みたいに言ってるの?リヴィエールも行くに決まってるじゃん!」
「はあ?何で?」
代剣の破壊に関してリヴィは一切関わっていない。もし自分を庇って壊したとかだったら金稼ぎを協力したかもしれないが、そういう事情は全くない。
「ねえ、アイズ?」
「えっと……でも」
「…………まさかお前、タダで此処に滞在出来るとでも思ってるのか?」
何やら遠慮しているアイズの援護射撃にリヴェリアが乗り出す。珈琲を飲むリヴィエールの手が止まった。
「お前の治療に使った薬品、お前の存在に関する口止め料、治療費、食費、その他諸々etc。占めて五百万ヴァリスって所だな」
「…………」
「無論、ツケや借りは一切受け付けない」
───そう来たか…
思ったより正体がバレていないのはリヴェリアの手回しがあったからだったらしい。
その程度の金なら金庫があればいくらでも払えるが、迂闊に外出できない今のリヴィエールは豊穣の女主人まで行けない。かといって今手持ちにそんな大金はない。他の金はともかく、口止め料が痛い。
「だが、現物交換は許す。アイテムでも、労働力でも良い。この一週間、ダンジョン攻略に付き合えば、今回の五百万、チャラにしてやろう。どうだ?悪くないだろう」
───………チッ
心中で舌打ちする。さすがだ。みごとな飴と鞭。交渉術の巧さは俺など遥かに上回る。伊達に長くトップに君臨していない。
───っ!
リヴェリアがアイズにアイコンタクトを送る。遠慮がちに俯く金髪の彼女に、今だ!と目で訴えた。
「リヴィ……」
もっと自分の気持ちに素直になりなさい!
アイズの脳裏に褐色の友の言葉がよみがえった。
「お願い。一緒に行こう?」
───クッソ……
チェックメイト。もう断るという選択肢はあり得なかった。
───まあいいか。まとまった小金は必要だと思ってたところだし。
それにほとぼりが冷めるまでずっと此処に滞在するわけにもいかない。一週間もダンジョンに潜っていれば丁度いい。ウラノスの所に行くのはその後でも間に合う。
それに……
「じゃあリヴィエールも決まりだね!あとは誰さそおっか?」
「リヴェリア、お前も来い」
「…………いいだろう、私も行こう」
思う所があったのか、要職についているはずの彼女は意外にあっさりと唐突なダンジョン攻略に頷いた。
「ならティオネもさそおっか。仲間外れにしたら怒りそうだし。ティオネ〜」
大皿に乗った巨大魚に挑んでいるティオネの元へと3人が走る。テーブルに残されたのはリヴィとリヴェリアの2人のみ。
「…………で?」
「なんだ」
「私を誘った理由は?あるんだろう?聞かせろ」
声を落として尋ねてくる。やはり何かがある程度の事は読み取ったか。
「理由ってほどのものはない。今回の攻略にはあんたが必要だと思っただけさ。例によってカンだがな」
「そうか……わかった」
「アンタこそいいのか?予定とかあっただろう」
ロキ・ファミリア副団長が暇なわけはない。向こう一週間は予定が詰まっているはず。帯同をあっさり認めたことを意外と思った理由はここにあった。
「何、留守はガレスに任せればいい。それより私はお前のカンを重視すべきだと判断した」
「…………あんまりアテにされてもな」
外れた事はあまり無いとはいえ、論理的な根拠に基づいた行動ではないのだ。コレで何か危ない目に合わせてしまっては責任を感じてしまう。
ガタンと一つ大きな音がなる。吊られて音源を見てみると、皿にあった巨大魚がみるみるうちに消えていっている。
「凄えな、手品みたいだ」
ドドバスを完食したティオネは艶やかな黒髪を翻し、席を立つ。どうやら交渉は上手くいったらしい。
「リヴィエールー、フィンに一週間ダンジョン行く事、報告に行くよー」
「わかった。同行する」
残った珈琲を飲み干す。美味かった。流石にいい豆を使っている。
「そうなっても大丈夫さ。お前がいるんだからな。頼りにしてるぞ、
「服毒しちまえ、
後書きです。次回は番外編リヴェリア・ストーリーを進めていきます。それでは励みになりますので感想、評価、よろしくお願いします