オラリオのとある日常の一つ。淑女が午後を楽しむ優雅なカフェではとてつもない非日常が繰り広げられていた。といっても何か騒ぎがあるとか、祭があるとかではない。店自体も通常通りに営業している。違ったのは限定的な一角のみである。今日は二人の女神がその店に来店していたのだ。
白銀の女神が白金の女神と向かい合って座っている。それなりに親しい間柄なのか、随分と遠慮がない様子である。2人ともその美しさは凄まじい。1人は夜空に淡く煌めく銀月、もう1人は世界を眩く照らす太陽。対照的な2人の姿はまるで神話からそのまま現れたような神々しさを放っていた。来店している客はもちろん、道行く人もその神秘に目を奪われ、正気が揺蕩う。その場にいる全員が美貌と言う名の魔法にかかっていた。
「随分と活躍してるようね。気分がいいんじゃないかしら」
「はぁ?突然呼び出して久々に会いに来たと思ったらなんですか?喧嘩売りにきたっていうなら帰りますよ」
「あらごめんなさい。そうじゃないのよ。貴方がファミリアを作ったっていうから気になってね」
白銀の女神、フレイヤが優雅に紅茶を一つ、口に含む。
「やはり意外ですか?」
「ええ。貴方組織とか成功とかそういうのに興味ないでしょう?その貴方がファミリアを始めた。基本的に神は何もしない、ファミリアを。貴方を知る神なら気にならない方がおかしいわ」
同じことはヘファイストスにも言われた。未知のものがあるなら自分の手で暴く。誰かに任せるという事はしない。それがルグという神だったから。
「それは今も変わってませんよ。未知のものを追い求めています。それを知る為にファミリアを始める必要があっただけです」
「そう、今のあなたの未知はあの子なのね」
返事はしない。ルグは沈黙だけで肯定を表現した。
その気持ちはフレイヤにもよく分かる。先日偶然見かけた黒髪の少年。話をする事は叶わなかったが、魂の色は見れた。見たこともない、まるで全てを吸い込む闇色。種族、血、勝利、敗北、全てが入り混じり形作られた奇跡の黒。混ざっているのに濁っておらず、濁っていないのに何も見えない。まさに未知。ルグでなくとも興味を持っていかれる。
「教えてくれない?ルグ。あの子、一体どこで拾ったの?」
「拾ってませんよ」
「は?」
「私が拾ったのか拾われたのか……最近じゃよくわからなくて」
もしこの場に彼がいたなら拾ってやったのは俺だと断言するだろう。間違いではない。右も左も分からない下界でカモられそうになってた所を助けて貰ったのは事実だから。
「随分気に入ってるみたいね、どんな子なの?」
その問いを聞いたルグの瞳には少し警戒の色が宿った。フレイヤがこのような事を聞いてくる理由は予想がつく。いつかリヴィを奪うために情報を集めようというのだろう。
そこまでわかっていながらルグは笑った。ふむ、と一度頷き、整った顎に指を添える。
「そうですね……。初めて会った時は凍ったような目をした子でした。どこで何を落としてきたのか知りませんが、ずっと何かを探しているような…そんな子」
しかしルグに隠す気はない。この場で語った程度で理解できる小さな器の少年ではないからだ。
「何にでも頭を突っ込んで、無茶して、人の大切な何かを守っていて。まるで何かを償うかのように……でも何かを求めているように……そのくせ自分では何も持とうとしなくて。何も持たず、誰も寄せつけず………誰でも助けるくせに、誰にも近づかせようとしない。失う怖さを知ってしまったからか……それとも同じ思いを誰かにさせたくなかったのか……馬鹿な子ですよ」
馬鹿にしつつも、どこか自慢げにルグは語った。今自分が知っている全てを。
「でもそんな彼に惹かれて、色んな人が集まるようになりました。彼を慈しむ者、頼る者、頼られる者達が」
アイズ、リュー、エイナ、椿、リヴェリア。一人一人の顔がルグの脳裏に浮かぶ。どれもひとかどの人物達だ。そんな人達を巻き込める力こそが少年の最も非凡たる所だった。
「…彼女達が後ろばかり見てた彼に前を向かせてくれた。守って失って、守られて失って、それでもまた抱え込んで……それを繰り返していくうちにあの子どんどん強くなってしまいましてね。気づけばこんな所まで辿り着いてしまいました」
「…………そう」
「私は変わってませんよ、フレイヤ。私は今目の前にない何かを求めています。今はそれを手に入れる為の道中を楽しんでいる最中です」
ルグはずっと何かを求めていた。そして大切なものや称号は大抵、その過程で得られたものばかりだった。平和を求めてバロールと戦う事を決め、その為に必要だから工芸・武術・詩吟・古史・医術・魔術を修め、いつの間にか
戦う為に必要だから武器を求めてゴブニュに弟子入りし、ヌアザと共にブリューナクを造った。
そして今回、天界にはない何かを求めて降り立った世界では彼と出会った。
「大切なものはいつだって求めたものより先にきました」
工芸・武術・詩吟・古史・医術・魔術を共に楽しむ友人。ブリューナクを完成させた時に交わしたヌアザとのハイタッチ。そしてリヴィエール・グローリア。これらに比べたら最初に求めたものなど全てオマケだ。
「フレイヤ、あの子を手に入れたければ、生半可なことではいけませんよ。私も相当苦労しました。いえ、現在進行形で苦労しています。遠慮せず、どんな手でも使いなさいな。いつでも受けてたってあげますよ。私も、あの子もね」
▼
───ん……
暗く沈んでいた意識が浮上する。四肢を動かす。問題なく稼働はしたが、身体に違和感がある。慣れ親しんだ、ダメージが身体に残っているときの症状だった。
「起きたか。リヴィ」
「………リーア」
こちらを覗き込む緑髪の美女の名を呼ぶ。ルグがいなくなった今、彼にとって唯一、家族と呼べる存在。
「…………っ!〜〜〜〜!!」
「何をやってるんだ、お前は」
気絶する寸前の記憶が蘇り、リヴィエールがはね起きる。そしてまたベッドに沈み込んだ。腹部に激痛が奔ったからだ。包帯の巻かれた箇所を片手で抑えつつ、空いた手を地面に落とした。
「あばらが三本砕けている。ティオネの一撃がとどめだったな。応急処置は既にした。テーピングで固めてはいるがしばらく痛みは抜けんだろう。大人しくしていろ」
「…………俺、どれくらい寝てた?」
「一刻半といった所だ」
手にした書物を閉じる。見えた表情には呆れと感謝が入り混じっている。
「レフィーヤを助けてくれたそうだな。礼を言う」
「…………やめろ。今回の件に関して俺はほとんど何もしてない」
リヴェリアから視線を逸らし、不服そうに呟く。
「…そうか。なら礼は言わないでおこう」
「フン」
天井を見上げる。見覚えのある作りの屋敷だ。
「あんたの部屋か」
「ああ、お前の体のことに関して、あまり他人の手を煩わせたくなかったからな。服を脱がして、泥を落とし、体を拭いて、薬を塗ってと中々大仕事だったぞ」
「…………」
顔には出さないが、心中に羞恥が湧き上がる。この女に肌を見られることに関して、抵抗はない。何度も見て、そして見られてきたものだ。それでもいい歳して……リヴェリアより遥かに強く、大きくなった体をそんな幼子のように手当をされたと知っては恥ずかしかった。何より借りを作ってしまったことが気に入らなかった。
「…………増えたな」
顔を曇らせ、リヴェリアが呟く。何が?とは聞かない。わかっている。この一年で負った怪我は数え切れない。その全てをほぼ自己流で治療してきた。無様な傷跡は身体に多く残っている。
テーブルに置いてあった盆を彼の前に持ってくる。水が注がれた銀盃と黒い前粒のようなモノが乗っている。
「薬だ、飲め」
「錠剤とは張り込んだな。何の薬だ?」
「鎮痛剤と熱冷ましだ。後はしっかりと栄養をとって、よく休めだと」
「流石はロキ・ファミリア。いい薬師がいる」
丸薬を水で流し込む。想像以上の苦味が口を支配した。
そこでようやくリヴィエールは足元の重みに気がついた。うつ伏せになってアイズが眠っている。
「さっきまで起きていたんだがな。この子も疲れてたんだろう」
「…………俺はアイズに看病されたのか」
「屈辱か?」
「やかましい」
屈辱とまでは言わないが、やるせなさは胸の中にあった。アイズを看病した事は数え切れないほどあったが、まさか逆がある日が来るとは思わなかった。
「…………どうして助けた?」
「あ?」
話しかけてきたリヴェリアの言葉に疑問符を返す。何を聞かれたかわからなかった。
「随分派手に戦ったそうだな。街でお前はちょっとした英雄扱いだぞ。明日のトップニュースは剣聖の復活だろう」
「…………チッ」
不機嫌そうに白い眉が曲線を描く。そうなる可能性はもちろん考慮にあった。あのロキ・ファミリア幹部と街中で共闘したのだ。これ以上目立つ行動もない。わかっていた。その上で戦った。少なくとも途中からは。
「特別な理由なんてないよ。身体が勝手に動いただけだ」
「……フッ」
呆れたような、喜んでいるような、何とも言えない微笑が緑髪の美女に浮かぶ。バカだな、という呟きがかすかに聞こえた。
「っ、そうだ、あの後どうなった。アイシ……いや、コロシアムにいたアマゾネスは?」
「?さあ、ウチのファミリア以外の事はよく知らない」
「…………そりゃそうか」
まああいつなら問題ないだろう。強い以上に強かな女だ。面倒ごとに巻き込まれる前にトンズラしたハズだ。
「…………知り合いなのか?そのアマゾネス」
「…………恩人だ」
少し迷ったがこの女に嘘をつく事は出来ない。その答えを聞いて、リヴェリアは難しい顔で睨んだ。
「…………お前の交友関係に口を出す気はないが」
「なら黙ってろ。心配するな。人を見る目はあるつもりだ」
憤然として息を吐く。まあ彼のことは信じている。口出しする気はないのも事実。不満はあったが、呑み込んだ。
「…………ロキは?今回の一件で何か言っていたか?」
「いや、特別なことは何も。フレイヤに会ってくるとだけ言っていたが」
眉が引き攣る。同時に苦笑した。流石にあいつは今回の下手人にたどり着いていたらしい。
「どこに行ったか、知ってるか?」
「……」
───しまった……
妖しく上がった愛しい少年の口角を見て、言い過ぎてしまったと気づく。しかし、もう遅い。今の表情だけで彼ならば自分が居場所を知っている事を見抜いたはず。
「教えてくれ」
「嫌だと言ったら?」
「別にいいさ。自力で探す。省ける手間なら省きたいと思っただけだから」
アイズを起こさないようにそっとベッドから出る。まだ体は痛いはずだが、多少の痛みなら彼は意志の力で捩じ伏せる事が出来る。彼ほどやせ我慢強い戦士をリヴェリアは知らなかった。
「教えてくれないか?姉さん」
「…………チッ」
舌打する。こんな時だけ姉さん呼ばわりか。現金すぎて感心するくらいだ。そんな身体で動き始める馬鹿な男と、そしてこの愛する男に甘い自分に向けて呆れと諦めの溜息を吐いた。
▼
───ここか…
リヴェリアに教えてもらった場所へと向かったリヴィエールは安堵していた。この辺りはあまり来た事がなかった為、見つけられるか一抹の不安があったのだが、その心配は杞憂に終わる。フレイヤ・ファミリアの冒険者達があれだけゾロゾロいれば一目でわかる。随分と物々しい事だったが、闇討ち、奇襲の類は冒険者にとっては日常茶飯事。警戒する事は彼らほどの地位があれば当然だ。
「なんだ貴様。近づくな。この屋敷は今……」
「わかってる。フレイヤに用があって来た。通してくれ」
集団がザワつく。この場にフレイヤがいるという事を知っている者は少ない。唐突に呼び出されたフレイヤは僅かにだが闇討ち等の罠の心配をしていた。その懸念が当たったと彼らが誤解しても無理はない。
大ぶりなサーベルが振るわれる。紙一重の間合いで躱し、鍔元を蹴り飛ばす。大剣が吹き飛び、屋敷のガラスを粉々に砕け散らせた。
───あ……
顔を隠すためのフードがめくれ上がる。見切りに優れたリヴィエールはより早く、有効に攻撃に転ずるため、敵の攻撃を紙一重で躱す癖が染み付いている。
「き、貴様は……『暁の「その名で呼ぶな。剣聖と呼べ剣聖と」ゴハァッ!?」
アッパーカットが二つ名を呼んだ者に見事な角度で入る。脳震盪を起こした彼は遠い世界へとイッてしまった。
「バー……じゃなくて『剣聖』リヴィエール・グローリア。なぜこいつがここに…」
フレイヤ・ファミリアの人間ならば誰もが彼のことを知っている。生きている事も、その髪色が白く変わった事も。
「どうやら俺の事は知ってるらしいな。なら貴様らでは絶対に勝てない事も知ってるだろう。そこをどけ。俺も無駄な争いはしたくない」
「ふざけるな。私達はかの崇高な女神に仕えし眷属!貴様ごときに…」
「まあ、命の使い方は個人の自由だ」
武器を構える彼らを見下したような目つきで睥睨したのち、腰間の一刀に手を掛ける。
「死ねぇえ!」
前にいた四人が一斉に襲いかかる。しかしその複数の武具が彼の体に触れる事はなかった。鍔鳴りの音が鳴った時、四人は宙を飛んでいた。
腕の段が違いすぎる。
「下がれ、てめえらで敵う相手じゃねえ」
「
後ろから現れたキャットピープルを見て苦笑が漏れる。彼からは見知った友人の面影が見えたからだ。
アレン・フローメル。レベル6の1級冒険者。腕はロキ・ファミリア幹部に勝るとも劣らない。そして豊穣の女主人で働く少女、アーニャ・フローメルの実兄。ほぼ絶縁状態だと聞いている。そのくせ、時折あの店に立ち寄るのだから可愛い男だ。
「直に会うのは久しいな。妹は元気か?」
「チッ」
舌打ちと同時に跳躍する。そこそこあった間合いは一瞬で詰められ、槍の穂先が眼前に迫る。頬を掠めた。
二人の戦士が正面から斬りかかる。剣圧が砂塵を巻き起こし、お互いが各々の武器を振るう。数合刃を交えると、二人ともその腕を認めざるを得なかった。
───強い…
槍を相手に剣で制するには相手の三倍の力量が必要と言われる。戦闘とは究極を言ってしまえば間合いを制する事。槍の持つ長い間を攻略するのは中々に厄介だ。
しかしこの男は特殊な足さばきで簡単にその間合いを潰し、懐に飛び込んでくる。彼を上回る手をアレンは考えなければならなかった。
そしてリヴィエールも中々最後の一手が決められない。一つ懸念がある事もその原因の一つだったが、この男は近距離における槍の戦闘を心得ていた。
槍と刀が激突し、青い火花が散る。ここでリヴィエールは意外な行動を取った。距離を詰めなければならない刀使いが、後ろへと飛び退ったのだ。
───崩れたか?!
その考えは瞬時に否定される。闇から瞬時に現れた四人組とアレンの武器が一斉に弾かれる。
───誘いやがったのか!オレらの獲物が一撃で弾ける位置に!
1級冒険者である自分が、そして闇に乗じていたはずの彼ら四人が誘導された。あの一瞬で。
「ちっ、化け物め」
「いきなり失礼だな。兄妹揃って礼儀がなってない。妹と同じようにゴメンなさいの言い方から教えてやる」
好戦的な余裕ある笑みを浮かべながら、少し驚く。まさか
さて、どうするかと逡巡し始めた時……
「なんの騒ぎだ」
屋敷の奥からもう一人、月明かりの下に現れる。二階でフレイヤのガードをしていた男が戦闘音を聞きつけて降りてきたのだ。
巨躯を誇る猪人の武人。佇むだけで撒き散らされる重圧。フレイヤ・ファミリアの首領。名実ともに都市最強の冒険者。オラリオにおいて、たった一人公に認められているLv.7。
リヴィエールが唯一、敗北するかもしれないと思わされた冒険者。
「オッタルか。ようやく少しは話の通じる奴が来た」
二つ名は【
「何をしに来た、剣聖」
「フレイヤ神に用があって来た。戦闘の意思はない。話をさせてくれ」
「コレだけウチの眷属相手に派手に立ち回った奴の言うセリフか」
確かに説得力はないな、と呟く。だが今言ったことに偽りはない。その事にはオッタルも気づいていた。もしそうであったなら、彼は問答無用で彼を叩き潰していた。
「通してくれないか?」
「こちらの質問に答えてからだ。貴様はなぜここに来たのかしか話していない。何をしに来たのかと尋ねている」
やれやれ、誤魔化されてはくれないか。流石に腕力だけの男ではない。話の核をしっかりついてくる。
「何をしに来たかは……フレイヤの返答次第、になる」
ザワリと集団があわだつ。もともと歓迎されていない存在だったが、今の一言で確定的になった。
「剣聖。強さとはなんだと思う?」
「は?」
「私と貴様はどちらが上かと頻繁に言われて来た。どちらも最強と言われていた」
「……まあ、そうだな」
「今でもこのオラリオで最も強いのは貴様か私か、どちらかだと思っている」
「……まあ、そうかもな」
「貴様に聞きたい。貴様にとって強さとはなんだ」
少し驚いた。この男がこんなウェットな事を聞いてくるとは思わなかった。
───強さとは、か。アイズに何度も聞かれた事だが。
その度に俺はあいつに、その答えは自分で探せ、と言って来た。その答えに万人共通の正解はない。俺の答えがアイズの答えとは限らない。変な先入観であの子を縛りたくなかった。
「昔の俺ならどんな理不尽からも大切なものを護れる力、と答えただろうが……」
今は少し、違う。
「自分の意思を折らず、曲げず、貫き通すための力、だと俺は思う」
少し逡巡した上で、そう答えた。勝利を得るためには行動がいる。行動のためには意志がいる。そして意志あるところに魂がある。魂の美しさこそが人の強さを決める。腕力ではない。戦闘力が高いだけの人間を強いとはリヴィエールは思えなかった。人の器を決めるのは心の境地。それだけは昔から変わらない、リヴィエールの理念である。
「……そうか」
オッタルは笑みを浮かべた。彼がリヴィエールの答えをどのように受け止めたかはわからないが、少なくとも納得はいくものだったらしい。
「なら、この道もその強さで退けてみせろ」
大ぶりのブロードソードを背中から抜く。その得物を見てリヴィエールのまゆには怪訝なシワが浮かんだ。戦いとなってしまった事に対する変化ではない。こうなることも想定の範囲内ではあった。
「……それでいいのか?」
オッタルが持つ剣を見ながら尋ねる。どう見てもそこらで売ってる一山いくらの剣にしか見えない。武器を、特に剣を見る目に関して、リヴィエールは自信があった。この見立ては間違っていないだろう。
「貴様は戦う時、武具の不利を言い訳にするのか?」
「………なるほど、そりゃそうだ」
冒険者をやっていても飯も食えば酒を飲む。いつでもベストコンディションなど望むべくもない。自分も丸腰の時に襲われたことは数え切れない程ある。
剣を腰だめに構える。居合斬りのフォームだ。オッタルも大上段にブロードソードを振りかぶる。
「こい」
「挑んできたのは貴様だろう」
オラリオ最高峰の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
その様子を屋敷の二階から二人の女神が見ていた。一人は細い朱色の眼に呆れをにじませている。道化神、ロキ。白髪の剣聖の悪友。
───何やってんねん、あいつ。
いや、想像はつく。聡明な彼のことだ。今回の一件、フレイヤが関わっている事を見抜いたのだろう。そしてフレイヤ以外の第三勢力の存在も感づいた。恐らくはこの第三勢力に関して話を聞きに自分に会いに来たか、フレイヤに話を聞きに来たか。そのどちらかだ。
だがあの傷で、あの身体でフレイヤ・ファミリア一級冒険者達が固めるこの屋敷に乗り込み、あまつさえあのオッタルと戦おうとしているとは。彼らしいと思うと同時に呆れる。リヴェリア辺りに知られれば大変だろうに。
そして隣に立つ女神を細目で見やる。頬を蒸気させ、瞳を情欲に潤ませ、小指を噛んで二人の姿を見つめている。色ボケ全開である。
「ええんか?あの二人やらせて。どっちか死ぬかもしらんぞ」
ロキの見る限り、二人の実力は拮抗している。身体能力ならオッタルだろうが、リヴィエールにはリヴェリアに匹敵する魔力がある。勝負がどう転ぶかは、わからない。
「二人ともそこまで本気ではないわ。私に会うだけの資格が、彼にあるかどうか、オッタルは見極めようとしているのよ」
確かに行くところまで行ってしまえば、あの二人の戦いは死闘になる。生か、死か、あるいは相討ちか。いずれにせよ取り返しのつかないところまでいくはずだ。
しかし二人ともそこまで愚かではない。キリの良いところで決着する。それがフレイヤの見立てだった。
それに……
───あの二人が、私を求めて戦っている。一人は私を守るために、もう一人は私に会うために、剣を振るっている。
その事実を思うと、フレイヤの下腹部の奥底から甘い疼きが湧き上がる。寒気が背筋に走り、ゾクゾクと震える。心地よい寒気から身を守るように自身を抱きしめた。
───なんて、輝き……
フレイヤは、人の魂の本質を色として見ることができる。そして、気に入った人間を自らのファミリアに迎え入れる。そうやってフレイヤ・ファミリアはオラリオでロキ・ファミリアと並ぶほど力を持ったファミリアとなった。
お気に入りの眷属、そして長年見初めた人間。その魂のぶつかり合いが放つ輝きは途方もなく美しい。
闇より黒い、透明感さえ感じる漆黒。その輝きは何もかもを吸い込むような黒淵。神をも両断した、漆黒の刃。彼があの黒い刀を持っている事は偶然ではないだろう。
「さあ、見せてちょうだい。貴方の刃を」
両雄が走り出した。
▼
対峙する二人を緊張の視線で見つめる存在がもう一人いた。
リヴェリア・リヨス・アールヴ。彼に残された唯一の家族であり、この場所を教えた張本人。成り行きがどうなるか、見守る義務が自分にはあると思っている。そして何かあったら駆けつけるためにも彼女は別ルートでこの場所に来ていた。普通に彼をつけてはあっという間にバレる。
───まさかオッタルと戦う事になるとは……
ハラハラしながら年下の彼を見る。流石に今は7つ目の感覚は戦闘に回しているらしく、リヴェリアの存在には気づいていなかった。まして今のリヴェリアは気配を絶っている。索敵に力を回さなければいかにリヴィエールと雖も気付けないレベルだ。
無論彼の強さは信じている。事戦闘に関しては仲間以上の信頼を持っている。しかし相手が悪すぎる。オラリオ最強と言って差し支えないあのオッタルを相手にするとなっては、姉として心配せずにはいられない。
───純粋に剣技だけで競うなら6:4でリヴィが不利……か?
獣人である彼とハーフエルフのリヴィでは生まれ持ったスペックが違う。努力では得られない、先天的に持つ物を才能と呼ぶなら、体格ほどその名に相応しいものはない。剣技やセンスは幼少期の訓練がモノを言う。後天的に得られるものだ。しかし体格だけはどう努力しても変えられない。戦闘とはどうしても大きい者が有利となる。身長とはかなり重要なファクターだ。
剣技や足運びと言った技術ならおそらくリヴィが上。しかし小手先の技を吹き飛ばすパワーとスピードがオッタルにはある。6:4で不利というリヴェリアの見立ては正しい。
魔法を使えばリヴィエールにも勝機はある。しかしその気は白髪の剣士にはなかった。相手の土俵で打倒する。それくらいの事が出来なければこの猛者は道を退かない。
───恐らく、剛と剛のぶつかり合いになる。決着は一瞬。
傷の事を考えても長引かせるわけにはいかない。この一太刀で決めようとするはず。
先に仕掛けたのはオッタルだった。次いでリヴィエールの姿が掻き消える。
九魔姫の予想通り、決着は刹那についた。黒刀がブロードソードに激突する。剣速は互角。しかし斬れ味と技術に段違いの差があった。
漆黒の刃がブロードソードにめり込む。キィィという金属が擦れ合う音が終わった時、肉厚な刃は宙空に飛んでいた。
───斬ったのか、あの剣ごと……
今リヴェリアの前で起こった事をそのまま表すとそうとしか表現できなかった。まるで手品でも見ているかのようだ。
リヴィエールが斬鉄できる事は彼女も知っていた。そういうことが出来る使い手の知り合いもリヴェリアには何人かいる。
しかし実戦で、刹那の狂いが死に直結する世界で狙って武器破壊を成功させたものなど初めて見た。とゆーか剣を剣で斬るという発想自体がまず彼でなければあり得ない。
まして力量差がよほどある相手ならともかく、相手はあのオッタル。信じられないものを見せられた。
───これだから、こいつは……
そう、これだから。これだから剣聖、リヴィエール・グローリアなのだ。
「俺の勝ちだな」
鋒をオッタルの首元に突きつける。剛と剛のぶつかり合い。剣速は互角だったが、互角だからこそ手にした刃の差が顕著に出た。もちろん完璧な居合斬りを成功させたリヴィエールの技量あっての事だが、この結果は実力の差とは言えない。
「……そうだな。私の負けだ」
両断されたブロードソードを地に落とす。硬質な音が虚しく鳴った。
「ま、待て剣聖!まだ俺がいるぞ!俺と一騎討ちを…」
「もういいわ、アレン」
白銀の輝きが闇の中から現れる。一目見てその神が何者かわかった。リヴィエールも名前は何度も耳にしているが、直に見たのは初めてだった。
『凄まじく美神です。でも怖〜いですよ?まあ綺麗な女の人なんて殆どお腹黒いですけど』
『お前も結構強かだもんなぁ、ルグ』
『……んー、何でしょう。遠回しに美人と認められて嬉しいような、侮辱されたような……まあいいです。会う事があったら気をつけてくださいよ。綺麗な華には棘があるものですからね』
───彼女が……確かに凄いな
美人に知り合いの多いリヴィエールでも指折りの美しさを誇る女神だった。甘い香りに光の粒がきらめくような白銀。陶器よりも白い肌。豊かな胸元に壊れそうなほどに細い腰つき。臀部を描く優美な曲線。まさに神の造形と言える。
───なるほど、コレがフレイヤか
「生で見るのは初だな。フレイヤ神」
「貴様っ、我が女神になんて口を…」
「イイのよ、アレン。彼はこうでなくちゃ。初めまして、リヴィエール・グローリア。私はフレイヤ。以後、よろしくね」
「お初にお目にかかる。リヴィエール・グローリアだ」
手を差し出される。傷一つない清らかな手だ。自分が少し力を入れたら壊れてしまいそうで、少し躊躇しつつ、握手を交わした。
「話をしに来たのよね。二階へどうぞ」
「お、お待ちください!せめて武器をこちらに預けさせて…」
「無駄よ。彼は全身武器だもの。襲いかかられたら私なんかあっという間にメチャクチャにされちゃうわ。されてもみたいけど」
「くだらない事言うな。ほら、上行くぞ上」
「もう、強引ね。そこが貴方のイイところでもあるけれど」
背中を押され、階段を登らされる。エスコートとは違う、慣れない扱いが少し楽しい。フレイヤは新鮮な体験が好きだった。
「お、来たな」
「げ」
二階に上がると見知った女神が待ち構えていた。そういえばいるって言ってたっけ。と思い出した。
「久々にお前の太刀筋見たわ。いや、一段とお綺麗になられて」
「お前に俺の太刀筋見えたのかよ……まあいいや。オッタルとやった事、リヴェリア辺りには内緒で頼む」
「えー、どーしよっかな〜」
「今度ソーマの酒奢ってやるから」
「ウチが友達の頼みを聞かへんわけないやないか!まかせときぃ!」
バシバシ背中を叩かれる。こいつは大抵のことならコレで手を打ってくれる。わかりやすくていい。後に奢るだけ無駄になることを知るのだが、それは別の話だ。
「どう?貴方も一杯」
グラスに注がれた葡萄色の液体が差し出される。立ち昇る香りと色はこの位置からでも見事なものだったが、遠慮しておく。7つ目の感覚が猛烈に嫌な予感を告げた。何が入ってるかわかったもんじゃない。
「あら、残念。私に話があるのだったわね」
「ああ、まずは今回の怪物祭の一件だ。下手人はアンタだな?」
「ええ、一部は」
「………存外にあっさり認めたな。ガネーシャのモンスターに混ぜて妙な怪物を放っただろう。それに関して聞きたい」
「貴方も10匹目についても私だと思ってるの?それに関しては私はホントに関与してないわ」
「…………本当か?」
「貴方が怪我をさせられたほどのモンスターなんでしょう?そんなの放ったらあの子死んじゃうじゃない。いたずらに周囲に被害を出す気は無かったわ」
あの子という所だけよくわからなかったが、それ以外はほぼ納得のいく言葉だった。ロキに視線を向けると一度頷いてみせた。
「なら本当にあの食人花とアンタの間に関わりはないのか」
「ええ。フレイヤの名において、誓うわ」
神の誓いなど当てにはならないが、コールドリーディングから察する限り、嘘はついていなさそうだ。
「ならあの食人花を放った組織と今回の騒ぎは偶然に重なった事件だったってことか?だがあれ程の強さのモンスターをテイムした組織がいたという事……」
それはガネーシャ・ファミリア並の、いや、間違いなくそれ以上のテイム能力を持つ組織がいるという事。そんなことが出来る力を持つファミリアなどオラリオで思い当たるのはフレイヤかロキくらい。
いや、ファミリアに限定せず、組織として見れば真っ先に思い浮かぶ団体がある。
ギルドだ。
───いや、あり得ない。都市を長年守り続けて来た奴らがそんな事をしても連中になんの得もない。今回の一件、俺たちが迅速に対処していなければ被害は甚大だった。
理性は違うと告げている。しかし直感は否と叫んだ。
───直接手を降してなくても、関与は充分考えられる、か。
推理としてはこちらの方向で恐らく間違っていないだろう。俺が知らないファミリアがウラノス黙認の元、水面下で活動している可能性はある。気は進まないがやはり一度あの神に……
「用事はそれで終わりなの?」
思考に意識を沈めていると横から声がかかる。表情には不機嫌な色が見えた。自分が目の前にいるというのに、他の事に夢中になっている事が気に入らなかった。
「もう一つ。こっちが本題だ」
心臓が普段より早く鳴っている事を自覚する。ウラノスを除けばオラリオのことに関して最も情報を持っているであろう神の一人だ。期待はしてしまう。直接関わっていなくても、何か知っている可能性は高い。
「ルグの居場所をバロールに教えたのは誰だ?」
フレイヤの不機嫌の色がさらに濃くなった。自分に会いにきたと思ったら結局、ソレかと落胆したのだ。
「知らないわ」
「本当か?直接関わってなくてもいい。知ってる事なら何でもいいんだ。教えてくれ」
「本当に知らないわ。正直に言うと、ルグ・ファミリアに圧力をかけた事はあったわ。でも直接手を出した事はない。出させた事もないわ」
「…………………」
凝視する。嘘をついてる様子はない。大きく息を吐いた。
「帰る。邪魔したな」
「あ、待って」
背を向けた彼の背中に声がかかる。一抹の期待を残し、足を止めた。
「一年前の一件、こちらで調べてあげてもいいわよ」
「…………対価は?」
「私と一晩──残念」
言葉の途中で聞いただけ無駄だったと言わんばかりに扉を閉めた。
彼が閉じたドアを見つめながら、白金の友人が脳裏に浮かぶ。彼の心は相変わらず黒で見えなかったけど、目の奥には太陽の光が見えた。
───なるほど、確かに手強いわね。
軽く魅了もかけていたのだがまるで効いていなかった。
でも、だからこそ、彼が欲しい。ますます欲しくなった。何が何でも、どんな手を使っても、あの黒をいつか必ず手に入れる。
『いつでも受けて立ちますよ』
脳裏に浮かんだルグが、フレイヤの欲望に答えた。
後書きです。ついにフレイヤと邂逅。一見空振りですが、収穫はかなりありました。詳しくは次回以降。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。マジ恋で新連載も始めました。そちらもよろしくお願いします