その二つ名で呼ばないで!   作:フクブチョー

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Myth22 色男と呼ばないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

怪物祭にデートに連れてって。

 

それが朝、アイシャが作った朝食を摂っている時に、先日の埋め合わせとして俺に頼んで来た事だった。

口に含んだパイを赤ワインで流し込む。パイの塩分と甘み、ワインの酸味が一体となり、喉を通った。

 

「意外だな、お前ってあの手の祭に興味あったっけ?」

「今まで縁がなかったから行ったことないけど、祭は嫌いじゃないさ。でもぼっちで行くには辛いイベントだろ?ねえ、連れてってよ」

「まあ、あれには俺も出向くつもりだったが…」

 

一人の方が身軽なんだけどなぁとボヤく。なんかあるのと聞かれ、嫌な予感がする程度の事は教えた。

 

「ならなおさら私を連れて行ったほうがいい。ぼっちで回るより女とデートって事にした方が不自然ないし、もし戦闘になっても私ならリヴィエールの足手纏いにはならないし」

 

考え込む。確かにアイシャの実力なら何かあったとしても問題なく対処できるだろう。そして一人で回るには確かに微妙なイベントだ。同伴者がいる方が何かと助かる。

実力者を同伴するのならリューでもいいかと一瞬考えたが、こういう事情があると言ってしまえば、あのど真面目の事だ。デート中ずっとピリピリして、逆に目立つ。そういう所、いい意味で気が抜けているアイシャは適任と言えた。

 

天秤が傾いた事に表情から気づいたのだろう。満面の笑みを浮かべるとリヴィエールの肩にしなだれかかる。

 

「ねぇ、イイだろ、リヴィエール。埋め合わせするって言ったじゃない。剣士が約束やぶっていいのかい?」

「…………別にダメなんて言ってないだろう。まあお前なら確かに荒事が起きても心配ないだろう。わかった、連れてってやるよ」

「やたっ!絶対約束だよ?ドタキャンしたら許さないよ?」

「はいはい……それよりお前、その格好で表に出るつもりか?」

 

いつもの露出度の異常に高い踊り子の衣装を指差す。アマゾネスなら布面積の少ない服など珍しくないが、アイシャが纏っているのはその中でもかなり際どい部類と言えた。

 

「そのつもりだけど?」

「あのなぁ、そんな裸族みたいな格好した女連れて街歩けるわけないだろ」

 

ただでさえ美人は目を引くというのに、こんな格好した女を連れて人だかりを歩けば目立ってしょうがない。男も女も、連れている人間とは一つのステイタスなのだ。美人を連れて歩いていればそれだけで箔がつく。ましてアイシャクラスの美貌とプロポーション、そして名声を持つ女をこの布面積の服で連れて歩けば、それはもう華やかな翼を満開にした孔雀を引き連れて歩いているようなものだ。

必要以上に身を隠そうとはもう思っていないが、それでも敢えて目立つ行動をしようとも思っていない。

 

「でも私、こんな服しか持ってないさね」

「だろうな。数ヶ月の付き合いだが、お前がその手の服以外のを着てるの見たことねえし……」

 

ニヤリとアイシャが口角を上げる。その言葉を待っていたと言わんばかりの笑顔。あ、しまったとリヴィエールが思った時にはもう遅かった。

 

「なら今日1日買い物に付き合ってくれよ。隣に連れて恥ずかしくない服を見繕ってくれ」

 

今までのやり取りはこのセリフを言わせるための、ひいては今日、買い物デートをさせる為の伏線だったのだ。気づいた時にはもう遅い。実際この服で出かけさせるわけにもいかない。

 

「で、金は俺持ちですか」

「トーゼンだろ?情婦(イロ)の衣食住の面倒見るのも主人の役目だよ」

 

はぁと一つ息を吐く。金に困っているわけではないし、貯蓄も充分あるのだが、ここ数日、人に奢ることが多過ぎる。タダでさえこいつの身請けには相当金を使ったというのに。

 

「女物の服飾店なんて俺は知らん。財布はくれてやるから好きなの買ってこい」

「バッカ、あんたも付き合うんだよ。当然だろ」

「…………俺、女の服の買い物には付き合わないって三年くらい前に心に誓ったんだけど」

「じゃあ、リヴィエールが恥ずかしいと思う服買ってきても文句言わないでね。私は別にコレでもイイんだから」

 

はい俺の負け。口実を作ったのが自分なのだから、当然だ。理屈がもっともである以上、従う以外の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

そんなやりとりがあってアイシャの服を買いに出かける事となった。時間差で。一緒に住んでるのだから一緒に行けばいいと言ったのだが、待ち合わせをしたいと言って聞かなかったアイシャは集合場所の地図を残して先に行ってしまった。リヴィエールはシャワーを浴びてから、地図を頼りに待ち合わせ場所へと向かう為に家を出た。

 

「あら、ウルス様」

 

何か髪でも飾ってやれる花でも買って行くかとうろついていると蜂蜜色の髪をした知人に声をかけられる。アイシャの友人で娼婦だ。種族はエルフ。陶器のような白磁の肌とスラリとした腰つき、均整のとれた肢体が美しい。春姫が所属している娼館のナンバーワンだ。

 

「クロウか……久しぶりだな」

 

名はクローディア。東洋の着物という服を纏っている為、露出が多いというわけではないのだが、着崩している為か、下手に裸になるより扇情的だ。どうやら仕事明けらしい。春姫の件でかなり世話になった人物だ。

彼女は娼婦であると同時にもう一つ別の顔を持っている。そっちの顧客はほぼリヴィエールだけなので副業も副業なのだが、彼女以上に腕のいいプロをリヴィは知らなかった。

 

「本当にお久しぶりでございます。最近ウチにはとんとご無沙汰ですね」

「お前も毎晩忙しそうだな。まあ売れねえよりはいい事だが」

「おかげさまで、皆様がお引き立てくださいまして」

 

笑顔を見せる。この街の人間にしては珍しく、彼女の瞳は曇っていない。リヴィエールが好むタイプの女と言えた。

 

「私の目、お好きですか?」

「嫌いではないな」

「欲しいなら差し上げましょうか?」

「アホ」

 

冗談とも本気ともつかない顔で言ってくる彼女の頭に手刀を落とす。ペロッと舌を出した。ここぞとばかりにあざとい。

 

「いつもなら閉めさせていただく時間ですが、ウルス様でしたらよろしゅうございますよ?遊んでいかれますか?」

 

ほつれた髪を自然な動作で直す。同時に骨の髄にまで響くようなしっとりとした濡れた声。リューも時々この手の声を出すことがあるが、彼女と比べては相手が悪すぎる。

 

「あいにく人と約束があってな。またゆっくりできる時に頼むさ」

「あら、では楽しみにお待ちしています」

「じゃ」

「あ、ウルス様、お待ちください」

 

立ち去りかけた時、クロウが俺を引き止めた。

 

「もしよろしければお持ちくださいな」

 

身につけていた花を俺の胸につけてくる。

 

「私が付けていたもので恐縮ですが、とても良い香りのする花ですの。きっと私の代わりにお疲れを癒してくださいますわ」

「ふむ」

 

髪を飾るその花近くで息を吸う。爽やかなサラッとした香りが鼻腔をくすぐった。

 

「いいな、クロウの香りがする」

「そう言って頂けて光栄です」

「ありがとう、お疲れ」

「はい、おやすみなさいませ」

 

娼館街の端まで歩き、ふと振り返るとまだ俺を見送っていて小さく手を振っていた。

 

「……いくか」

 

自分がプレゼントされた物を新たに女に送る気にもなれない。手ぶらで待ち合わせ場所に向かうことにした。

 

 

 

 

こうして、一悶着はあったが、無事アイシャと落ち合い、ブティックへと向かうはずだった………たった一つの誤算を除けば。

 

「さて、行くか「待たんかい」

 

見なかった事にしようと踵を返した瞬間、三つの手に首根っこを掴まれる。その力はあのリヴィエールをもってしても逆らえないと思うほどの剛力だった。

 

「随分綺麗な人を連れてるじゃん?私達にも紹介して欲しいんだけど?」

「流石ねぇ、色男のリヴィエールさん?会うたびに違う女引っ掛けて、花なんか差しちゃって。あのカメラに向かって女はバカだと言ってやったらどう?」

「どこにカメラがあんだよ…」

「リヴィエールさんがこんな人とこういう遊びをしてたなんて……幻滅です!」

 

色街で時々見る光景だねぇとアイシャは苦笑する。妻帯者の娼館通いがバレた時、このような事が起きるのを何度か見てきた。

眺めているのも面白いが、助け舟を出そうと決める。彼女達はロキ・ファミリアでも幹部に位置する実力者集団だ。顔と名前くらいはアイシャも知っている。このままでは自分の主人が消し炭にされかねない。

 

「こんな人とはご挨拶だねぇ」

 

苦笑しながらも割って入る。まあアマゾネスでこの手の格好をしていたらほぼ娼婦なため、間違った意見とも言えないが、初対面の人間にしていい表現ではない。流石に反省したのか、発言したレフィーヤは少し小さくなった。

 

「私はアイシャ・ベルカ。イシュタル・ファミリアに所属してる冒険者だよ」

「コレは申し遅れました。私はティオネ・ヒュリテ。コッチは妹のティオナ。こちらのエルフがレフィーヤ・ウィリディス、そしてアイズ・ヴァレンシュタインよ。ロキ・ファミリアに所属してるわ。お互い名前くらいは知ってるわね」

 

自己紹介を終え、握手する。ここまで敵意剥き出しな握手も珍しい。アイシャは心中で笑ってしまった。

 

「で?貴方はコイツとどういう関係なの?」

「リヴィエールとは少し前に知り合ってね。ファミリアを無くしていく当てが無いところを色々世話してやったのさ。今日はそのお礼として買い物に付き合って貰ってるんだよ。ね、旦那?」

 

見事な言い訳が息を吐くようにスラスラとアイシャから出てくる。俺ではこうはいかない。流石にこの手の経験も豊富なだけはある。あの空白の一年の事を出されては彼女達もあまり強く出れない事をアイシャは知っていた。

 

(流石だな)

(別に嘘はついてないし。それにお礼を言うのはまだ早いかもよ?)

 

止める間も無かった。スルリとごく自然な動作で腕を抱き寄せられた。収まりかけた場の空気がザワリと殺気立つ。そして向けられるジトリとした瞳。

 

「で?あんた達はこの旦那と何か約束でもしてたのかい?」

「それは……」

 

黙り込む。確かに何か約束をしていたというわけでも無いし、アイズとリヴィエールは付き合っているというわけでも無い。肌の接触はおろか、キスすらまだの関係である。別によその女と歩いていたからといって、公然と責められる立場では無い。その事をアイシャが告げると、4人とも何も言い返せなかった。

 

「じゃあ私がこうしてても別に問題はないわけだ。ホラ、行こうリヴィエール。買い物、付き合ってくれるんでしょ?」

「お、おい……」

 

腕を引っ張ってブティックへ入ろうとする。しかし流石に目の前の4人、特にアイズを放置しにくいリヴィエールはこのまま何のフォローもせずに行動するのは二の足を踏んでしまった。

 

(何迷ってんのさ。時には突き放すのも優しさだよ)

(この状況でこいつらを放置したら確実にリヴェリアの耳に入る。誇張ありで。そうなったら話が3倍はややこしくなる)

 

そんなコソコソ話を二人でしているうちに三人娘もアイズを交えて内緒話を始めていた。

 

(アイズアイズ!いいのアレ!リヴィエール取られちゃうよ!)

(…………よくない)

(じゃあ、ちょっと待ったコールしないと!今!なう!)

(…………でも私、リヴィと何か約束したわけじゃないし……先約はあっちみたいだし)

(じゃああのアマゾネスにリヴィエールの休日独占されてもいいの?)

(…………私が割って入ったら迷惑かもしれないし…)

 

あの時また何も出来なかった私に……そんな資格、ないと思うから

 

(それ全部アイズの心が入ってないじゃん!私達は、アイズがどうしたいかを聞いてるんだよ!)

(私が、どうしたいか……)

 

恐る恐る、リヴィエールへと視線を向ける。隣のアマゾネスと何か喋っている彼を見て、沸々とモヤモヤした感情が湧き上がる。

特定の恋人はいないとリヴェリアも言ってたから、きっと友達なのだろう。恩義もある相手らしい。自分達と同じように友人とたまの気晴らしに出掛けていた(希望的観測アリ)というのはわかる。頭では理解している。自分は異性の友人がいないからそういう事はないが、彼には異性の友人が多いことも知っている。その事を責められるわけもない。しかし心で想う事は止められない。

 

負の感情を宿した視線に気づいたのか、此方に意識を向けてくる。一年前と変わらない、緑柱石の瞳が此方を捉えた。

 

トクン

 

胸の中で小さな音が鳴る。面影を残しつつも、姿も形も心もお互い大きく変わった。

 

しかし、この瞳だけは…

 

初めて出会ったあの頃と、アイズが初めて恋に落ちたあの頃と変わらない。

モヤついた心が少し晴れる。なあに?と言わんばかりに彼が小さく首をかしげたその姿に、キュっと胸が締め付けられるような甘酸っぱい感情が湧き上がった。

 

「…………悪い、アイシャ」

「はいはい、こいつがアイズ・ヴァレンシュタインって聞いた時からそうなるだろうと思ってたよ。剣聖は剣姫に甘いってのはホントだったんだね」

 

目を伏せたアイズを見て、リヴィエールの態度が変わった。察したアイシャも絡めていた腕をほどき、一歩分距離を取る。アイシャがしてやろうと思ったのはここまでだ。これ以上は譲歩してやる気にはなれない。一歩を踏み出す覚悟がないなら、もう容赦はしない。

 

「アイズ」

 

隣に立つ男の声を聞いた途端、ワザとらしくため息をつく。もちろん当てつけだ。隣に立つ白髪の青年は未だ俯いて迷っている少女の名を呼び、近づいていく。腕を離したのはそういう事をさせるためではないというのに。噂は聞いていたが、噂以上だ。

 

「この前の酒場の事だがな」

 

ビクッとアイズの体が震える。やはり負い目に思っているのはココか。かの一件、この子は何も悪くない。気にする必要はないというのに。

 

「…………お前、あの時酒飲もうとしてたろ?」

「え?」

 

気にするなと言おうとしたが、やめる。こいつにそう言った程度で解決するくらいならこんなややこしい事にはなっていない。ならば切り口を変えてみる事にした。

語られた内容がアイズにとっても意外だったのか、驚きに表情を染めてこちらを見上げてくる。罪悪感を驚きの感情が上回ったのだろう。もうこっちを見る事に躊躇はしていなかった。まず第一段階突破。

 

「酒は飲むなって俺お前に昔きつく言ったろう。まったくあの時は焦ったぜ」

「…………リヴィ?」

 

不思議そうに首をかしげる。この人は一体何を言ってるのか、わからないという顔をしていた。

 

「………その事だけだよ、今回のことで俺が感じた不満は。後のことはもう忘れたさ」

「リヴィ……でも、あの時貴方は…」

「あの程度の戯言、いちいち気にしてねえよ。別にどうって事ねえさ。慣れてるんだ」

「バカ」

 

急にアイズの血相が変わり、胸を叩かれる。唐突に変わった彼女の態度に驚かされた。ポロリと雫が金色の瞳から落ちる。

 

「貴方はとても酷いことを言われた。貴方の大切な人を侮辱されてた。戯言なんかで片付けていい事じゃない。慣れてるなんて言わないで」

「アイズ……」

 

あまりの勢いにリヴィエールはしばらく呆気に取られる。一度頭を振ると肩を竦め、苦笑した。

 

「ったく、お前も剣士の端くれだろうが。そんな簡単に泣くなよ」

 

指で雫をそっと拭う。

 

「アイズ、お前のファミリアの人間を侮辱されたならともかく、俺みたいな他人のために泣いたり怒ったりするな。泣く事も、怒る事も自分のためだけにやるんだ」

「…………?言ってる意味が分からない」

「だろうな。お前とは時々話が通じなくなる。お前は俺にとって非常に不可解だ。すぐ近くにいても、遥か遠い」

「…………リヴィに言われたくない。貴方の事は一生付き合ってたとしてもきっと理解出来ないと思う。貴方と私はとても似ているのに、とても掴み所がない。捕まえたと思ったら、離れていく。まるで笛の音のように」

 

雫を拭った手を握る。今、確かに掴んでいるのに、彼を捕まえた気にはとてもならない。

 

「なんか聞きようによっては告白みたいね」

 

ティオネの余計な一言が二人を耳まで真っ赤に染め上げる。リヴィの後ろではティオナとレフィーヤがアイズを応援していて、ティオネが慈愛溢れる瞳で優しく見守っていた。

 

「ウォッホン!!………さて、俺はもうお前に言いたいことは全て言った。もう俺がお前に思うところはない」

 

少し嘘だ。しかし、リヴィにとって、それを上回るだけの愛しさはこの少女にはある。

 

「今度はお前の番だ、アイズ」

 

ギュッと袖を掴む手に力が入る。

 

「アイズ」

 

名前を呼ぶとピクリと肩を震わせた。何かを言おうとして顔を上げたが、言葉にならず、金の瞳を伏せ、俯いてしまう。さっきまでは怒りで感情が染まっていたため、考えるより先に大胆に行動できていたが、冷静になった今はもうそんな事はできない。心では言いたいことがあるのだろう。が、それを上手く表現出来ない。その気持ちはよくわかる。心情を言の葉に乗せることのなんと難しいことか。自分もかつてルグに心無い言葉を言ってしまったことが何度もある。それでもあの偉大な太陽の神は俺を慈しみ、包み込んでくれた。

 

「アイズ」

 

もう一度呼ぶ。良くも悪くも、自分と似ている、愚直で不器用で、可愛い妹分を。

 

もう気にするなとは言わない。俺だってルグの言うことを無視している。時々思い出すくらいに忘れてくれと頼まれたのに、いつまでも彼女の影を追っているのだ。アイズにそんな事を言う権利は今の俺にはない。ルグはあの時、俺のことを待ってくれた。今度は俺の番だ。

 

「お前、これからどうしたい?」

 

心情の機微に疎いアイズでも、この質問の真意はすぐにわかった。今リヴィエールが問うているのは、今現在の事だけでなく、今を含めた未来をどうしたいか尋ねているのだ。

 

「わた……しは」

 

どうしたいのだろう?あの夜からずっと考えているけれど、未だ明確な答えは出ていない。あの夜は掴む事も、追い掛ける事も、呼び止める事も出来なかった。ただ、遠くなる彼の背中を一人で見ている事しか出来なかった。

続いてダンジョンで見た、彼の辛そうな顔が脳裏に浮かぶ。あんな暗い顔をした彼をアイズは初めて見た。

 

全て、自分がさせてしまった事だ。語りたくない自分の過去を語らせたのも、闇に消えざるを得ない状況に彼を追いやったのも全て自分だ。自分と出会わなければ彼にこんな辛い思いをさせずに済んだのかとさえ思った。

 

そのことを口に出せば、リヴィエールは否定してくれるだろう。それでも、罪の意識は消えない。手が震えた。

 

「あ……」

 

温もりが、アイズを包み込む。裾を握った震える臆病な弱い手を、硬く、でも暖かい、武骨な剣士の手で優しく包み込んでくれていた。

 

もう一度、彼の目を見つめ直す。出会った頃と変わらない、まっすぐな光を宿した緑柱石の瞳。大きく変わったのは白髪のみ。それも不思議と彼に良く合っている。

 

出会わなければ良かったのかもしれない。この出会いがなければ、自分がこんなに弱くなる事も、きっとなかっただろう。

 

それでも……

 

(頑張れ!アイズ!)

(一歩を踏み出す勇気です!アイズさん!)

 

後ろからティオナとレフィーヤがアイズを応援していて、ティオネが自嘲するような笑みを浮かべて優しく見守っている。

 

そして彼が待っている。あの澄んだ瞳で、自分を見てくれている。

 

───それでも、私は……

 

この強い瞳を見るたびに何度だって思う。この人と会えて良かったと。自分の隣にいて欲しいと。彼は望んでいないかもしれない。辛い思いも、悲しい思いもさせることもきっとあるだろう。わかっている。

それでも……

 

ギュッと握られた手に力が入る。

意を決して顔を上げ、エメラルドの瞳を真っ直ぐにを見つめて口を開いた。

 

「リヴィと一緒にいたい…」

 

あの夜、闇の中に消えていく彼に、自分が何を言いたかったのか、どうしたかったのか、まだわからない。

それでも、アイズの気持ちは………ずっと変わらない、彼女の内にある思いは言えた。

観念したようにリヴィエールが溜息をつく。こうなってはもう彼の負けだ。一年前には何度もあった光景。

 

「私、今日は帰るよ」

 

苦笑しながらアイシャは踵を返す。流石にそこまでさせるつもりはなかったのか、ティオネ達もこの提案には動揺した。

 

「アイシャ……いいのか?」

「そんな顔しないで、リヴィエール。いいのさ、なんかもう今日は気分じゃないしね」

 

せっかくの二人きりのデートに水を差された。邪魔されたのは業腹だが、アイズを思う彼のあの目を見てしまってはもうそんな気にはなれなかった。このような事態は娼婦時代にとっくに慣れっこになっている。それにこれがラストチャンスというわけではないのだ。彼の居場所を知らないアイズはこの機械を逃せば次はいつになるかわからないが、自分にはいくらでも機会はある。今がダメならまた次でいいという切り替えが彼女は出来た。

 

「主人の異性関係には干渉しないのが私達の掟さ。いい情婦の見本だろ?」

 

───怒ってんなぁ、わかるけど。

 

表面的には笑顔を見せるアイシャから不機嫌が静かに伝わってくる。元の職業柄、表情を作るのは慣れた物だ。一見しただけならまず分からない。しかし、優れた五感を持ち、感情の機微に敏いリヴィエールからすれば手に取るようにわかる。

 

胸元に差さった花をアイシャの前に翳す。サラッとした爽やかな香りがアイシャの鼻腔をくすぐった。

 

───?

 

キョトンとした顔でこちらを見上げてくる。顔を向けたと同時にアイシャの黒髪に花を差した。

 

「貰った花でな、どこに飾ろうか迷ってたんだが……うん、やっぱりここに飾るのが一番綺麗だ」

 

微笑を向ける。アイシャの顔が一瞬で茹で上がった。男慣れしている彼女にしては珍しい。何か愛しくて、頭を撫でた。

 

「…………コレでごまかせたと思うなよ」

「バレたか」

 

当たり前だと人差し指で額を突かれる。

 

「悪いな」

「いいのさ。埋め合わせはまた今夜、ね。お土産期待してるよ」

 

後半を耳打ちすると満足げに笑い、軽やかな足取りで街の中へと消えていった。

 

「…………良かったの?彼女」

 

いつのまにか背後にいたティオネが呟く。アイズのためとはいえ、先約を交わしていた相手を追い出したような形になってしまった。同族ゆえの気遣いもあるのだろう。声色には少し後悔が混じっている。

 

「アイシャは一度納得したことを後でゴタゴタ言うような女じゃない。ヘタな男よりよほど男前だよ、あいつは」

「流石ね、相変わらずいい女が寄ってくる」

「その分、色々大変なんだけどな」

 

白髪のハーフエルフは出会いの縁には恵まれているだろう。だから人との繋がりを恐れるようになってしまったのだ。好ましく思う人物との悲劇的な別れが彼には多い。その幸運に比例するように、試練にも愛されているのだ。

 

「それじゃ、今からみんなでアイズの服買いに行こー!!」

「せっかくアイズさんの服を買いに来たのですから、リヴィエールさんの意見を聞かせてもらった方がいいかもしれないですしね」

 

服飾店の多い北のメインストリートに、服の事には無頓着なアイズがいた理由を、リヴィエールはようやく理解した。何の目的かは知らないが、こいつらがここにアイズを連れてきたのだ。

そしてそういう事の運びになった原因は恐らく自分なのだろう。自惚れかもしれないが、この子が悩むなんて自分の事以外では想像できなかった。

 

ティオナの号令がかかり、今度は五人で歩き出す。

前はティオナ達が、そして少し遅れてリヴィとアイズが歩く。

 

ーーーっ……?

 

左腕に引力を感じる。同時に嫉妬混じりの怒りの視線がこちらに突き刺さった。

 

蜂蜜色の髪の少女が袖を引っ張っていた。いつもの無表情の中に、少し拗ねた色がある事にリヴィエールだけが気づいた。

あのような現場をアイズが見た事は初めてではない。アイズもそうだが、彼も異性に言い寄られる回数は凄まじい数に上る。そして基本的には一刀両断している。これもアイズと同じである。しかし時々、彼のメガネに叶う女性が現れることがあるのだ。アイズの知る限りではリオンや椿がそれに当たる。そういった彼のハードルを超えられた人物に対しては、リヴィエールは公私ともに親密な関係を築いている。それが異性としてであっても、友人としてであっても。

そして一年、目を離した隙に、またも女性を増やしている。穏やかに思えないのは当然だった。

そもそもこちらはまた彼に辛い思いをさせてしまったと、ここ数日、ずっと彼を想って悩んでいたというのに当の本人は女連れで楽しそうに(やや主観あり)していた。彼に気を使っているのが段々とバカらしくなってきた。

 

『あの子相手に気など使っていては永遠に距離など近づきませんよ?ホントはとても臆病な子ですから。もっと遠慮なくズカズカと踏み込んで、重荷になってあげてください。それがあの子のためにもなります』

 

恋という感情を教えてくれた彼の前主神の言葉が脳裏をよぎる。恋とは戦争や!と自分の主神も言っていた。

 

不意に引力に引っ張られる。気づいた時にはリヴィエールが苦笑しながらこちらの手を取っていた。そのまま握られる。その感触は昔、彼の手にひかれてダンジョンへと向かった、あの時と変わらない、優しい温もりと硬さで……

 

心臓が強く締め付けられる。 手を握るという何気ない接触、幼い頃から数えれば本当に数え切れないほどされてきたことだと言うのに、何度されても慣れない。高鳴る鼓動を抑えながら、彼の手を握り返す。

 

スッと握った手を離された。言いようのない不安感がアイズを襲う。思わずえっ、と声を出してしまった。

しかし、彼の行動には続きがあった。アイズの半歩前で肘を出し、さりげなく少し曲げる。それの意味するところを理解したアイズは思わず彼の顔を見てしまった。微笑しつつ、片目を瞑る。

 

頬を染めながら、スペースに手を通しリヴィエールの手と肘の中間辺りに手を添える。男性が女性をエスコートする際の腕の組み方だ。作法は二人ともリヴェリアに習った。二人とも剣士なだけあって姿勢は良く、立ち姿も美しい。大人の女性として扱われているような気がして、アイズは更に頬を紅く染めた。

 

「ほらー!二人ともー!早くー!」

 

ティオナが叫ぶ。その声にリヴィエールは苦笑で返した。

 

「行こうか」

「うん」

 

彼に惹かれるまま、二人はブティックへと入った。

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。今回登場したオリキャラは後々ストーリーに絡ませる予定です。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします

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