テーブルに座るアイシャは激怒していた。整った美貌は苛立ちで歪み、眉間には深いシワが刻まれている。
長屋の一室に設えられたテーブルには昨日の分の夕食が一人前、そして今日の分の夕食が二人前並んでいる。合計三人前の食事が所狭しと並ぶテーブルの椅子に座り、人差し指でイラただしげな音を鳴らしてテーブルを叩いていた。
ーーーー遅い遅い遅い遅い!
褐色の肌の美女が思っている事はそれだけである。帰りが遅い。この一点が彼女を怒らせる全てだった。これをリヴィエールが聞いたならんな無茶な、と思う事だろう。今まで何も言わずこの家を空けた事など数え切れないほどあった。それを今更文句言われても困る。しかも食事の約束をしていたならばともかく、そんな事実は一切ないのだ。アイシャの怒りを理不尽と思っても無理ないかもしれない。
しかしアイシャの中の真実は全く違っていた。確かに彼が出かけていく時、自分は眠っていた為、確かに帰る時間帯を正確に聞いたわけではない。食事の約束をしたわけでもない。それは認める。
しかしあの男は一昨日の夜、当分はここで寝泊まりすると言った。つまりここで自分と寝食を共にすると言ったも同然。少なくとも夕食くらいはここで摂るという意味だとアイシャが捉えたのは多少都合のいい空想かもしれないがそれほどこじつけとも言えないだろう。
女性とは空想と現実を一緒くたにする生き物である。無論それは悪い事ではない。空想を実現できるならそれに越した事はないし、女の空想を現実にしてやるのが男の甲斐性だ。そしてそれは男にも言える事であり、アイシャはその辺りの線引きも元娼婦ゆえに一般の女性よりよく理解している。
しかしことリヴィエールに限っては都合の良い事実を信じ込んでしまうことがままあるのだ。
自分が目を覚ましたのが昨日の昼間、そして警備の休憩時間に夕食を作りに帰ってきたのが夕刻、そして帰宅してから今まで、通算24時間、この部屋の家主の帰りを待っているというのに、せっかく今日明日の二日間はオフにしてもらい、内1日を犠牲にしているというのに、それでもあの男は帰ってこない。
ーーーーあと10分待って帰ってこなかったら先に食べてやる
そう思いはじめてすでにその9倍もの時間を無為に過ごしている。昨日は18倍の時間を無駄にして、ようやく夕食を口にした。
10分が経つ。さあ、食べようとスプーンを手に取り、作ったブラウンシチューを掬い取り口に運ぼうとした。
『美味いよ、アイシャ』
コトリ
屈辱に震えながら、スプーンを皿の上に置く。脳裏に余計な記憶が浮かび、昨日一人で食べた美味しくない夕食の味が蘇ってしまった。
今度こそ、今度こそと心の中で強く誓う。
ーーーーあと10分待って来なかったら
と。
「あーーー!もうっ!何やってんだあのバカはぁああああ!!」
そして更に10分の5倍の時間が経過した時、開いている鍵穴が回る音がする。料理に使用した鉄鍋を掴むのに、アイシャは何の躊躇もなかった。
▼
とっぷりと日が暮れた夜の街を疲労でフラつきながら歩く。道中、客引きの女に何人か引っかかったが、その辺の相手をしてやる気力も湧かない。長年培ってきた身のこなしで華麗にかわし、最小限の労力で長屋へと向かう。
簡易的に設えられた鍵穴にキーを通し、ガチャリと回すが手応えが予想していたほどない。
一瞬疑問符が浮かんだが、すぐに納得する。ああ、アイシャ帰ってるのか、今日はいつもより早いんだなと思ったくらいのものだった。
「ただいまっ!?…」
だから扉を開いた瞬間、鉄鍋が飛来してくるなど、まるで予想していなかったのだ。
「あーあ、フライパン一個無駄になっちまったじゃねえか」
真っ二つになった鉄鍋の残骸を眺めながら溜息を吐く。唐突に飛来してくるものに対する冒険者として染み付いたクセで、ほとんど反射的に黒刀を抜いていた。磨き上げたカグツチの斬れ味は素晴らしく、見事な一刀両断を果たしている。
「さっきの、俺以外だったら大怪我してるぞ」
「あんたが悪い」
「まぁ、俺も悪かったけど…」
頬杖をつきながらブラウンシチューを口に運ぶ。適度な塩味と香辛料が舌を刺激する。温め直し、熱くなった肉片からは汁液が出る。美味いと一言、思わず口から零れていた。
目の前のアイシャを無視するのは悪いと思いつつ、食事に集中する。もし食べ終わった後で不機嫌が加速していたら素直に謝ろう。あまりグズグズ面倒なことを言う女でもない。今は空腹を満たすことを先にさせてもらう。
スプーンを何度も往復させ、シチューをパンにディップし、食べる。一皿綺麗に完食し、ようやく人心地がついた。
「…………美味かったよ、アイシャ、ありがと……あれ?」
顔を上げて彼女の顔を見てみれば、先ほどより明らかに機嫌が直っていた。予想が外れ、少し驚く。ここの所、未来を見るとさえ言われた自分の洞察力が外れる事柄が多すぎる。
「悪かったな、アイシャ。俺に取っても急な事だったんだ。すまない」
「……いいよ、もう。待った甲斐はあったし……ん、んまい」
機嫌よく自分が作った料理を口に運ぶ。自分が作った料理の出来は満足のいくものだったらしい。
「おかわり」
「ああ、すぐ用意する。待ってろ」
上機嫌におかわりを持ってキッチンへと向かう。俺がおかわりと言うと、アイシャはいつも行動に喜色が出る。おかわりという響きは全ての料理人にとって魅惑のフレーズだ。ルグの食事を用意していたリヴィエールには大いに覚えがある事だったので、何だか気恥ずかしい。それからしばらくは久々に二人きりの食事を楽しんだ。
「で?」
「ん?」
食事が終わり、アルコールも入って、気分が高揚し始めた頃、単純な一言で質問を投げかけてくる。そして何を聞かれたのかわからなかったから、質問で返事してしまった。
「あんたが昨日帰ってこなかった理由。聞かせてよ」
一気にげんなりとした表情になる。昨日、そして今日の出来事が一気に蘇ったからだ。
「………言いたくない事なら無理には聞かないけど」
「ああ、違う違う。そうじゃないんだ。嫌な事を思い出してな」
「…………なんかあったの?」
「ちょっとキツイ友人に捕まってな」
▼
時は昨日に遡る。日も傾き始めた黄昏時、リヴィエールは欠伸を噛み殺しながら帰路へと着いていた。
腰には磨きあげたばかりの刀が差してある。壁に身を預けて眠っていた筈だったのに、いつの間にか椿の膝を枕にしていた事に心底驚き、飛び起きた。当の椿もウトウトしていたらしく、俺が飛び起きた事で目を覚ました。磨き終わってるという刀を受け取り、金を払い、店を出た。ヘファイに食事を誘われたが、断る。膝枕をされるなどという醜態を晒したその日に彼女達と膝突き合わせて飯を食う気にはなれなかった。
少し早いが、帰るか、と思ったその時だった。
ーーーー……ん?
7つ目の感覚が警鐘を鳴らす。ふと視線を向けてみるとガラの悪い男達が数名、誰かに絡んでいる。多分女性だ。ヒラヒラとしたフリルが少し見えた。
ーーーーえ………何やってんだアイツ
女性の顔がチラッと見え、その人物が明らかになる。リヴィエールの知った顔だった。知り合いでなければ無視したのだが、こうなっては彼の性格上、素通りもしにくい。それに、ちょうど彼女とは話をしたかった所だ。
「悪いな、そいつとは俺が先約だ」
「あだだだだ!!」
男の腕をねじ上げる。
「な、なんだてめえは!」
「俺たちが先に声掛けたんだぞ!」
「お前らモグリか。言っとくが俺はお前らの為にこうしてやってるんだぜ。この女はあのガネーシャ・ファミリアの団長だ。お前らなんかやろうと思えば2秒で挽肉になるぜ。ズタボロにされて牢屋にぶち込まれる前にとっとと消えな」
恐らくこの街に来たばかりのゴロツキのようだが、さすがにこのファミリアの名前は知っていたらしい。顔を青くしてすごすごと退散していった。
「なんだ、根性ねえな。つまんねえの」
「…………リヴィエール」
凛とした声が聞こえてくる。藍色の髪の麗人は普段とは少し違う女性用のスーツを着ていた。
「久しぶりだな、シャクティ。よく俺だとわかったものだ」
彼女はオラリオの警備を担当する一大組織、ガネーシャ・ファミリア最強の冒険者。二つ名を【象神の杖】。
「わかるさ。髪の色には驚かされたが、それ以外はほとんど変わっていない」
「多忙の身だと聞いてたんだが、元気そうで安心したよ。しかしお前ほどの女があんなのに絡まれてるとはなあ。少し驚いた」
「仕方ないだろう。私は奴らのように迂闊に力を使う訳にはいかないんだ」
オラリオの治安を一手に担うガネーシャ・ファミリアには与えられている権力も大きいが、それを扱う為の枷も多い。その団長たるシャクティはそう簡単に力に訴える事は許されない。プロボクサーが一般人に喧嘩をすれば犯罪になるのと同じだ。何か罪を犯していたならともかく、今の連中はタチの悪目なナンパというだけだった。叩き伏せる訳にもいかなかったのだろう。
かつてのオラリオ暗黒期、治安維持に協力する事が多かったルグ・ファミリアとは少なからず付き合いがあり、何度かともに戦った事もある。オラリオきっての俠客のリヴィエールと警察であるシャクティ、立場は違えど、町の安寧に力を尽くしていた二人の間に、ライバルのような、友人の様な、不思議な絆が出来るのに、そう時間は掛からなかった。
「…………生きている事は知ってたが……こうして顔をあわせるのはいつ以来だ?」
知ってたんだ、と内心で苦笑する。まあそれも当然だ。オラリオ内部の情報網において、警察組織たるガネーシャ・ファミリアの右に出る者はいない。彼の生存情報くらい、シャクティなら容易に手に入れられただろう。
「……最後に会ったのはアストレア・ファミリア崩壊事件だったか」
「あの時もお前の妨害工作のせいで、いろいろな証拠は掴めずじまいで迷宮入りしたのだったな。まったく、最強ファミリアなどと呼ばれていても、私は苦労する事ばかりだ」
嘆息する彼女を見ながら少し笑ってしまう。苦労性なのは変わっていないらしい。まああの主神に、職業が職業だ。苦労がない方がありえないだろう。
「例の事件について、お前のブラックリスト入りは保留にしてやっている。安心しろ」
「…………そうか、ありがとう」
一般において、リヴィエールの扱いは、決して良くない。はぐれ冒険者にはガラの悪い者も多い。その存在だけで充分脅威に値する。そうなってしまっては良くて注意対象、最悪ブラックリスト入り。1年前、彼が起こした事件の規模から言って、現在リヴィエールがそうなっていても何らおかしくない。最悪の状況が回避されているのはひとえにシャクティのお陰だった。
「お前、時間は?」
「特に予定はないけど」
「なら少し付き合え。お前の奢りで」
「はぁ!?何で俺が」
「誰のおかげでブラックリスト入りしていないと思ってるんだ?」
「…………」
「わかったら早く来い。お前を捕まえたくはない」
ここで騒いだら注目を集める。ルグの事件からまだ1年しか経っていない。あの事件は一応俺も容疑者になっている。その以前からも、少々の規則違反を侵した事は何度かあった。要注意人物リスト入りはギリギリしていないが、ギリギリだ。そうなってはシャクティの立場上、俺の身柄を確保しないわけにはいかない。
シャクティに引かれるまま、リヴィエールは酒場の中へと入ってしまった。
▼
さすがにいい店を知っている。料理も酒もうまい。値段は少々高いが、ミアの所ほどぼったくりではない。あまり騒がしくもなく、店の中にはジャジーな音楽が流れている。リピーターになろうと思えるだけの店だった。
それでも、現状には不満がある。
「警察が要注意人物にたかるか普通……お前はそれ取り締まるのが仕事だろうが。信じられねぇ」
出された料理に舌鼓を打ちながらも、この状況に不満を漏らす。そんな声も無視して、青髪の麗人は次から次へと高価な料理を注文している。金に困っている人物ではないはずだから不満も尚更だ。
「私が働きかけていなければお前は今頃……」
「あー!わかったわかった!意外に根に持つタイプだなお前!好きなだけ食え!」
嫌味を言う彼女の認識を少し改める。サバサバした女だと思っていたのだが……事実、その部類に入る女ではあるのだが、友人相手にはそうでもないようだ。
果実酒が二人分、ドンとジョッキで二人の前に置かれる。どうやら同じ酒を頼んでいたらしい。
「おいおい、いいのか?お前このあと仕事だろう」
「今日の夜からの仕事は部下に任せてきた。問題ない」
ガネーシャ・ファミリアの構成員は皆優秀だ。彼女がいなくとも問題なく運営するはできるだろう。
しかし、リヴィエールにとってこの発言は少し意外だった。
「良いだろう食事くらい。それに私だって人間だ。たまには悪い事をしてみたいんだよ」
目を丸くする。今度は心底驚いた。そんな事を言うのも、こんなイタズラが成功した少女の様な笑顔を見たのも、初めてだったから。
二人とも無言でジョッキを手に取り、コツンと合わせる。
「で?今さら会いに来た理由を聞こうか」
「………なんだトゲがあるな…ひょっとして怒ってる?」
「根に持つ女だからな」
めんどくせえ女でもあったかと心中でボヤく。言葉にするほど愚かではない。
「で?どうなんだ」
唇を軽く濡らし、サンドイッチを口にしながら尋ねる。彼の事だ。自分の生存がシャクティに知られていた事などわかっていただろう。それなのにわざわざ今日、このタイミングで会いに来た事には必ず理由がある。
「昨日の酒場の事か?なら気にする必要はないぞ。責は全て凶狼にあると、ロキ自身が認めたからな。損害賠償も全てヤツ持ちだ」
「そりゃ良かった。だがその件じゃねえよ」
「ならやはり1年前の事件の事か……バロールの後ろで糸を引いていた神物の足取りは未だ掴めていない」
そして例の事件の事も当たり前のように知っている。話が早くて非常に助かる。アイズやリヴェリア相手では身内ゆえの気遣いをしてしまうが、いい意味で冷淡な付き合いである彼女には変な気をお互い使わなくていいから気が楽だ。
「捜索は進めているが……時が経ち過ぎた。私個人で調べる事はできても、組織だった調査はもう出来ない」
「ガネーシャ・ファミリアってのは何でも知ってんだな。俺の初めてのチューがいつか知ってるか?」
「バカな事言ってないで早く本題に入れ。貴様の財布の中身がカラになるぞ」
茶化すのはやめておく。ここで下手な事を言えば本当にカラになるまで食われそうだ。
「…………1年前の事も無論気にはなってるが、それに関しては俺が手がかりを掴むまではガネーシャに頼ろうとは思ってない」
「すまないな」
「気にするな、組織が動くにはそれなりの理由がいるだろう。聞きたかったのはこの件だ」
懐から取り出したのは怪物祭の宣伝ポスター。毎年恒例のガネーシャ・ファミリア主催による一大ショー。調教されたホンモノのモンスターを使った迫力満点の祭だ。
「…………コレがどうかしたのか?」
「何か不審な点を感じた事はなかったか?憶測でいい」
「準備自体は順調に進んでいる。特に問題が起きたとは聞いていない」
「…………そうか」
口を酒で濡らす。彼女が何もないと断言したという事は少なくとも現時点でトラブルはなさそうだ。
「何か気にかかる事でもあるのか?」
「なーんか厄介なカンジがしてな。モンスターを使ってロクデモナイ事を考えてる奴がいそうだ、とは思ってる」
そんな連中はオラリオに山ほどいるだろう。その手の連中に対してガネーシャ・ファミリアは細心の注意を払っている。その事をこの剣聖は知ってるだろう。その上で嫌な予感がするとこいつは言った。
「………………カンか?」
「カンだ」
しばらく無言が二人を支配する。静寂を打ち破ったのはシャクティのため息だった。
「お前のカンは当たるからな…」
そしてこの天才が厄介と言う時、自分にとっては凄まじく厄介な時が殆どだ。
「警戒はしておこう。忠告感謝する」
「今日はお前の珍しい所をよく見る日だな。俺に礼言ったのなんていつ以来だ」
「お前は相変わらずだな、礼くらい素直に言わせろ」
軽く頬を小突かれる。
「フフッ」
「クハハ……」
どちらからともなく笑ってしまう。こんな事を二人でするのも久しぶりだ。古今に置いて、友と語らう事以上に楽しい事があるだろうか。
「ハハハ……ああ、珍しいで思い出した。今日は随分変わったカッコしてるじゃないか。パーティにでも出席してたのか?」
「部下の結婚式の帰りだったんだよ。武器を持って出るわけにもいかない。相手は一般人だった」
へえ、と一つ息を漏らし、酒で口を濡らす。
「しかし冒険者と結婚とは……モノ好きもいたもんだ」
複数の女性と関係を持っているリヴィエールだが、身を固める気には未だならない。
「とても覚悟が必要だったと思う」
リヴィエールの言わんとする事もシャクティにはよくわかった。彼女もまだ特定の誰かと一緒になろうとは思えない。
「いつ死ぬかもわからねえってのに……」
「いつ死ぬかもわからないからこそ式を挙げたんだろう。それもきっと強さ。人はそれぞれだ」
「ははっ、女が言うと説得力あるな。シャクティもか?」
「私は考えた事もないな」
「なんだ、ガネーシャの男どもも気概がない。だが広いオラリオに一人たりともいないのか?」
「たった一人いるんだが、私は男の趣味が悪くてな。そいつは他のファミリアに所属しているし、素行にも問題点が多い。お互いの立場上、そいつと私が結ばれることはありえないだろう」
「ほう、いるんじゃねえか。素行に問題点か……なに、犯罪者?」
「犯罪者じゃないが、女を幸せに出来る類の男ではない。どんな状況でも決して誰のものにもならない。そのくせ誰の心にもいつのまにか居座っている」
ジト、と非難するような瞳がリヴィエールに向けられる。怜悧な美貌を持つこの麗人にこの手の目で睨まれるのはちょっと怖い。
「そういう最低な男さ。私の心にいる男はな」
「…………なるほど、そいつは趣味が悪い」
「わかってるんだがな……でも私もバカなのさ。趣味が悪いと分かっていても止められないんだからな」
「なるほど、それはバカだ」
「貴様が言うな」
軽く頬を小突かれる。
「……しかし冒険者の嫁か」
「いや、冒険者が嫁だ」
一瞬、言葉の意味がわからずあっけに取られる。
「マジでか」
「『僕の全てで君を支えるから、心置きなく、君は夢を追いかけてくれ』…………そう言ってプロポーズしたそうだ」
「はぁ〜」
心の底から感嘆の声が漏れる。誰かに尽くす人生なんて自分にはとても無理だ。これはこれで強さなのかもしれない。
「天使だな」
「ああ、天使だ………」
プッ……
『はっはははは!!』
二人揃って吹き出して笑う。ひとしきり笑った後、リヴィエールは杯を掲げる。意図を察したシャクティもジョッキを手に取る。
「天使な旦那に」
「強い嫁に」
乾杯!
▼
「あー、笑った笑った。この一年で一番笑った」
「私も久々に楽しい夜だったよ」
ガネーシャ・ファミリアにまで送っていくと言うと、当然だと言わんばかりに連行された。ホームの前で向き合う。
「怪物祭の事に関しては私も警戒しておく。お前はどうする」
「当日は俺も動くつもりだ。お前は怪物祭の内部を警戒してろ。外部は俺に任せろ」
「頼もしいが……大っぴらには動くなよ」
「わかってるよ」
「団長!!」
ホームの方角から声が聞こえる。顔も名前も知らない人物だ。恐らく部下だろう。一応フードを被り、顔を隠しておく。
「ようやく戻られましたか。中々お帰りにならないので心配していたんですよ?」
「すまない。知人と少し話し込んでしまってな……何かあったか?」
「緊急案件が発生しました……その」
後ろにいるこちらに目を向けてくる。一般人には話しにくい内容なのだろうか?帰ろうかとも思ったが、情報の中身が気になって後ろ髪を引かれた。
「彼は大丈夫だ。話してくれ」
「は、はぁ。まあ隠すような事でもないんですが……昨晩1年間姿をくらましていたあの【剣聖】が現れたと目撃情報が」
「ッ!?」
思わず吹き出しそうになった。白髪のおかげで即バレはしていなかったが、徐々に身元が割れてきているらしい。
「確かなのか?」
「外見の特徴が少し違ったそうなので、定かではありませんが…顔立ちは酷似していたそうです」
「それで、そいつが何かしたのか?」
「酒場を少し破壊したようです。絡んできた【凶狼】ベートに怪我もさせたとか」
「どの程度だ」
「全治3週間との事です。その後逃げるように繁華街へと姿を消したそうです」
「へぇ……」
ギロリと横目で睨まれる。多少暴れた事は知ってたが、そこまで大怪我をさせたとは知らなかったらしい。シャクティも何でも知ってるわけじゃなかったようだ。
「ロキ・ファミリアは非はこちらにあると明言しており、彼をどうかしたいというのはないようですが、人物が人物なので……いかがしましょうか」
「……怪我をさせられた方が何もしないというのなら、軽く灸を据える程度で許してやるさ」
「は。ではそのように。書類の処理をお願いします」
「わかった。おい雑務。お前も来い。手伝いをさせてやる」
「え゛?なんで」
「軽く灸を据えると言ったろう。1年間姿をくらましていた故に放置していた剣聖関連の書類も今一度整理しておきたい。お前の事だ。どうせ近いうちに騒ぎも起こすだろう。その時スムーズに処理できるようにしておきたい」
強く反論は出来ない。この一年は目立たないように意識的に大人しくしていたが、これからは自分が動く事もきっと増える。その時波風を立てずに活動できる自信はない。
「だけどなぁ……」
「事務仕事も苦手ではないだろう。なんならウチのエンブレムをやろう。一般の冒険者では入れない所もそれで入れるようになる。おまえの活動の助けにもなるだろう。どうだ」
チラリと見せてきた危険区域通行許可証。ぐらりと心が揺れる。この一年、あの事件に関して自分なりに調査をしていたが、やはり身元不明の冒険者では限界があった。ガネーシャ・ファミリアお墨付きのエンブレムがあれば、その限界は大きく広がるだろう。無用な争いも少なくなるに違いない。書類仕事をするだけで手に入るというならリヴィエールにとってもメリットはある。悪い話ではない。
流石は大手ファミリアの長。人の扱いが上手い。見事な飴と鞭だ。こうなってはもう承諾するしかない。一つ大きく諦めの息を吐いた。
「タダではくれないか」
「当たり前だ」
「鬼」
「貴方のため」
最後に無駄な抵抗をした後、リヴィエールはシャクティに従い、ホームへと入っていった。
▼
「それで、書類仕事に一日掛かったのか」
「死ぬかと思った……」
シャクティに一室を与えられ、比喩抜きに書類の山を置かれたのだ。書類内容に関しては確かに自分に覚えのある事ばかりだったが、もう時効だろというのまであった。机の壁が見えた時は本当に泣きそうになった。
「なるほど、剣聖を殺すには剣やモンスターよりも机に縛り付けておいた方が効果的ってわけかい」
「勘弁してくれ。デスクワークは当分したくない」
頭の中はまだ文字で埋め尽くされている。短期間で文字を大量に見過ぎた。神聖文字も読める事も途中でバレた為、共通語と混ざった書類仕事までやらされて、未だにグチャグチャだ。
「じゃあシャワー浴びてスッキリして今夜はもう寝ようか。埋め合わせの件は明日にしてやるよ」
「うわ、覚えてたか」
「私、期待してるって言ったよ?大丈夫、シャクティみたいに無茶な依頼はしないから」
「そう願うよ」
そして熱い湯を一緒に浴び、身体を洗いあって二人でベッドへと入る。リヴィエールを気遣ってか、流石に今夜は大人しくしていたが、眠る前にリヴィエールの下腹部へと周り、リヴィのソレを豊かな胸と慣れた舌使いで淫らに奉仕した。特に我慢をする意味もない。そのまま解き放つと、意識は闇へと落ちた。
▼
「ぷはぁ……あ、大人しくなってきた。ホントに疲れてるんだ」
奉仕を終えると、撫でまわしても反応しなくなった。普段ならあと三回は出来るはずなのに。意識がないのもあるのだろうが、疲れていると察するには充分すぎる。
───ま、楽しみは明日にとっておきますか
起こしたくなる衝動を抑える。せっかく取った二日間の休暇、そして埋め合わせの約束。独り占めできる時間は充分にある。焦る必要はない。
「結婚式、か」
今日の彼の話の中にあった事を思い出す。シャクティが出席したという乙女の一大行事。夜の街で生きる女にはあまり縁のないイベントだ。アイシャ自身、じかに見たことはあまり無い。
いや、幼い頃たった一度だけ、見た事がある。招待を受けた参列者などではなく、ただの野次馬のひとりだった。
───あの頃は自分に縁のない事だと思ってたけど……
アマゾネスである彼女にとって、結婚というものに意味を見出せなかった。強い男と結ばれ、強い子をなす。それこそがアマゾネスの本能であり、アイシャにとってもそれが全てだ。知人のアマゾネスにもこのような式を挙げた者はいない。
───まだ消えないな、この傷…
厚い胸板についた古い傷を指で撫で、舌を這わせる。ピクリと腰が僅かに動く。アイシャの胸の奥に甘い疼きが湧き上がる。
自分達の関係は情婦と主人だ。それで良いと思ってるし、現状に不満もない。子をなす事が出来れば言うことなしなのだが、その辺彼は気を使っているので今は無理だろう。
それでいい。特定の相手と面倒な関係を築いていくより、自分には性に合っている。強がりではなく、そう思っていた。
でも、今は…
やはりどこかで、そういうのにも憧れていた。それもまた揺るぎない事実だ。
───いつかあの純白の服を着て、貴方と歩きたい。そう夢見るくらいは……
青年の肩へと頭を寄せ、覆いかぶさる。
この人は誰か一人のモノになる男じゃない。して良い男じゃない。知ってる。
でもせめて、今だけは……この温もりを、私一人のモノに…
「お休みリヴィエール。明日はトコトン付き合ってもらうよ」
頬に軽く口付け、目を閉じる。暖かな温もりを感じながら、久々に穏やかな心地で眠りについた。
後書きです。励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。