その二つ名で呼ばないで!   作:フクブチョー

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Myth17 娼館に行かないで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーフゥ……

 

帰路へと着きながら、心中で溜息をこぼす。淀みのようなモノが体の中に溜まっていた。

 

ーーーー今日は疲れたね…

 

この区画の治安は控えめに言っても悪い。古今東西を問わず、花街というのは犯罪の温床なのだ。それも当然。此処は一夜の夢を見るための場所。オラリオ唯一の治外法権。

客は基本的に名も素性も明かさない。明かしたがらない。ゆえに娼館とはある意味でゴロツキ、犯罪者、要注意人物その他諸々の駆け込み寺。そんな所の治安がいいわけがない。

 

帰路につくアマゾネス、アイシャ・ベルカはこの街の警備の長を務めているアマゾネス。豊かな胸に高くくびれた腰、そしてすらりと長い美脚を持つ褐色の美女。要望も美しく、娼婦としても優秀だが、冒険者としても中々の実力を持っている。レベルは3。もうレベル4間近と言われており、ファミリアでも姉貴分の位置にいる。二つ名は【麗傑】。

元は戦闘娼婦だったのだが、今はもっぱら自警団と冒険者としての活動を主に行っていた。花街とは古今東西を問わず、アンダーグラウンド。治安は最悪である。自警団の存在は不可欠だ。

 

ーーーーあ……

 

白が目の端に入った為、反応してしまった。よく確認すると壮年の白髪の男が女を連れて屋敷へと入っていく。

 

ーーーーあいつ、今日は帰ってくるかな…

 

そんな事を思いながら、豪奢な娼館から少し離れた所にある長屋の階段を上る。もちろん此処は娼館などではなく、人が……というか、娼婦が生活するための場所だ。ファミリアに所属していれば本拠地で生活できるが、娼婦全員がそうというわけではない。この区域から出た場所にねぐらを作る者もいたが、娼婦の多くは、自分の勤め先の近くにある長屋を借りている。

ファミリアに所属しているアイシャにはもちろん本拠地があり、そこで生活できるのだが、彼女はそれはしていない。彼女に娼婦としての仕事をしたくなくさせた男が、この長屋の一室を借りているからだ。

 

ーーーーケッ……

 

金で買った関係だとわかっていても苛立ちが募る。端的に言えば『リア充爆発しろ』、だ。こちとら最後の逢瀬からもう一ヶ月は経っている。欲求不満はかなり溜まっていた。

 

ーーーーあいつ、今どこで何やってんだよ。あんま放置すると他の男と遊んじゃうぞ………いや、遊ばないけどさ。

 

一度あの強さと美しさと、快感を味わされてしまえば、もう他の男など目に入らない。アマゾネスには大きく分けて二つのタイプがいる。一つは強い奴相手なら不特定多数とも関係を持つ者。そしてもう一つは見初めた強者一人だけに徹底的に愛を捧げる者。アイシャとティオネは後者である。

あの目と覚悟と雄の顔を見てしまえば、もう後戻りは出来なかった。

 

ーーーーもう他の男なんて目に入らないけどさ……でもたまには帰ってきてくんなきゃ、お前の情婦(イロ)やめちゃうぞ

 

「早く帰ってこいよな、あの若白髪!」

「いきなりご挨拶だな。お前の事待ってたんだぜ、アイシャ」

 

自室の扉を開けたときに放ったグチに返事が返ってくる。一瞬幻覚かと本気で思った。先ほどまでずっと頭にあった男が目の前にいる事が、早く帰ってこいと思っていた男がこの部屋に帰ってきている事が信じられなかった。

 

「おかえり、アイシャ。ほら、これ土産だぁおっ!」

 

手に提げた袋の事など気にならない。レベル3の脚力の全てを持って彼の胸へと飛び込む。もう逃がさないとばかりに抱きついた。

一歩あとずさったものの、受け止める。さすがは剣聖。見事な足腰だ。

 

「おかえり、リヴィエール。会いたかった」

「ウルスだバカ」

 

彼女の白い太陽がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオ南のメインストリート。此処には都市最大の繁華街が存在する。周囲の喧騒は賑やかなオラリオでも屈指。シアターやカジノ、高級酒場などなど。巨大かつ派手な建物がひしめいている。この時間帯、繁華街はいつも身なりの良い商人や冒険者、神々でごった返していた。

そんな都市盛況の心臓部を他所に、フードを被った男は大通りから逸れ、薄暗い小径の先へと進んでいった。

 

ーーーーやれやれ……

 

酔いつぶれて倒れている冒険者を跨ぐ。この道には大抵この手の酔っ払いか、身ぐるみ剥がされた冒険者が倒れている。仮にも客を通す道なのだから、掃除しろとまではいかなくとも、整備くらいはしろといつも思う。

 

道が開け、一つの街が姿を表す。そしてその瞬間、フードの男は眉をしかめた。マスクはしているんだが、優れた感覚器官を持つ彼にとって、ここの匂いは刺激が強い。

 

ーーーーこればっかりは何度来ても慣れねえな……

 

マスクは取らないが、フードは外す。素性を隠すこの区画で下手に顔まで隠すと不審者扱いされてしまう。

 

淫靡な雰囲気の中を目的地へと向けて歩みを進める。艶かしい唇や瑞々しい果実を象った看板だらけの建物を通り過ぎていく。

 

「そこの白い御髪が素敵なだんなぁ」

 

背中を丸出しにしたドレスを纏ったヒューマンがローブを摑んでくる。豊満な胸をチラつかせながら男に寄りかかってきた。

 

「あなた冒険者ねぇ、私の好みだわ。ねえ私と一晩どう?サービスするわよ」

「はぁ……」

 

ーーーーまぁ、ここはそういう場所だから仕方ねえんだけど…

 

女の香水に鼻が曲がりそうになる。この人工的な甘い匂いは何度経験しても慣れない。

 

「悪いが今夜の女はもう決まってるんだ。また今度な」

 

指で額を小突く。

 

「釣りはいらねえよ」

 

銅貨を一枚、指で弾く。ポーッとして額を抑えていた娼婦の女性は銅貨を受け取り損なっていた。

 

笑いが漏れる。こういう仕事をしてるくせに意外と防御力がないことが少し可笑しかった。

今のを見ていたからか、次から次へと衣服の薄い女達が彼に誘惑の言葉をかけてくる。この手の服装の女を白髪のエルフが初めて見たのはまだ物心がついたばかりの頃、彼がまだ、両親と共に生きていた頃だ。まだ娼婦という存在を知らず、女性への関心もあまりなかった少年期。森の中で彼女とキスを交わした。

以来彼女は剣聖の宿敵となるのだが、それはまた別の話である。

 

そう、ここは『夜の街』。他の区画とは景観も匂いも何もかもが異なるまさに異国。オラリオ唯一のアンダーグラウンド。治外法権の場である。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー相変わらずごった煮だな、この街は…

 

建築物を見ながらそのカオスさに感心すらする。カイオス砂漠の文化圏に海洋国仕様の建築物。世界のほぼすべての文化が集結しているのではないだろうか、と思える程の多種多様な仕様の建造物。建物だけでも充分に観光地として成り立ちそうではある。

 

しかしこの文化の不揃いの理由は観光地化などではなく、単純に娼婦達の出身によるものだ。迷宮都市オラリオは今や世界の中心。娼婦達も冒険者をターゲットとして世界中から集まってくる。

 

この別世界のような区画をリヴィエールは純粋に見事だと思っている。様々な文化に触れられるこの環境は素晴らしい。

…………目的が男を楽しませるための複雑化でなければ、だが。

 

「旦那だんなぁ、ちょっと遊んでってくれよぉ」

「白い御髪が素敵なお兄さん、ちょっと寄っていかない?」

 

次から次へと声が掛けられる。それも無理はない。鼻から下をマスクで隠しているとはいえ、目元は丸出しの状態だ。出ている部分だけでも一目で美形とわかる顔立ちの冒険者。この街で美とは誘蛾灯だ。女なら男を引き寄せ、男なら娼婦を引き寄せる。

 

「あ、ウルス様!」

 

周囲の風景が様変わりし始めた区域へと辿り着くと、名前……偽名だが、呼ばれる。おそらく客寄せに出ていた一人だろう。この辺りになってくると、この一年ですっかり常連になってしまったリヴィエールは顔と名前をもう覚えられていた。

 

「なに?ウルス様、遊びに来たの?」

 

腕に抱きつかれた。名前を聞きつけたのか、あっという間にワラワラとアマゾネス達が寄ってくる。彼女たちには以前、自分に無礼を働いた人間のようなヒキガエル相手をぶちのめした時、少し実力を見られた事があった。彼女達は異性に強者を求める本能がある。強い男と交わり、子をなすことこそが彼女らにとって至上の命題なのだ。

 

「ねえ、ウルス様。アタシの事指名してくれない?サービスするよ?」

「ウルス様ぁ、そんなちんちくりんより私にしようよぉ、なんならタダでもいいからぁ」

 

あっという間に両手にどころか全身に華が纏われる。ローブのポケットに手を突っ込んだまま、リヴィエールは歩き始めた。

 

「あ、ホームに行くのね。やたっ、一名様ご案内〜」

 

纏わり付いたアマゾネス達と大移動を始めていく。しばらく歩くと周辺一帯でひときわ巨大な、もはや宮殿のような娼館が見えてくる。金に輝く外装はとにかく派手の一言。ヴェールを被った女性が刻まれたエンブレム。ファミリアの証。

 

そう、此処はイシュタル・ファミリア。この歓楽街を仕切る巨大ファミリアの本拠地。女主の神娼殿である。

 

開け放たれた扉から中へと入る。流石に女が纏わり付いた状態では入れないため、アマゾネス達もリヴィエールから離れた。今くっついているのは彼の両腕をそれぞれ抱きしめている2名のアマゾネスのみだ。

玄関を抜け、白大理石に赤い絨毯が敷かれたホールを抜ける。豪奢な大階段を抜け、樫の扉の中へと入った。

 

此処は待合室。客を持てなすこのファミリアの貴賓室である。

通常、ファミリアの人間の許可がなければ入れない場所なのだが、リヴィエールは特別扱いを受けている。ビロード張りのソファに腰掛けた。

 

「なに〜?誰か待ってるの?」

「それとも此処でおっぱじめるつもりですか?やん、お盛んなんですから〜」

 

周囲に再びアマゾネス達が寄ってくる。ソファに腰掛けたのは両手を組んでいた2名だけだが、背後や前から細い指が彼の首を撫でた。

 

「あいにく、俺は外でやる趣味はねえし、金で恋愛買わなきゃいけないほど飢えてもいないんでな」

 

差し出された酒杯を口にしながら足を組む。そうしていないと足にまですり寄られるからだ。此処で腕の自由を奪われるのはもう仕方ない事だが、全身の自由まで奪われるわけにはいかない。コレは戦士としての気構えだ。

 

「じゃあ何しに来たのよ」

 

不満そうに口を尖らせる。ちょいちょいと指でこちらに来るよう促す。このホームに来たのは屋内に入るためだ。路上ではあまり話したくない事だった。

 

「何?内緒話?」

「ナイショの頼み事だ」

「そういう事なら高いですよ?」

 

指で丸を作り茶目っ気たっぷりに笑う。自分の容姿が武器になる事をわかっているものの所作だ。

 

ーーーーまったく、此処では何をするにしても金に変わる。

 

だがわかりやすくていい。一般のエルフなら蔑むところなのだろうがこの男は違う。金の亡者と言う者は思慮が足りない。生まれがどうあれ、身分がどうあれ、外見がどうあれ、性格がどうあれ、金さえ出せばそれこそ殿様気分を存分に味合わせてもらえる。それが花街の、実に単純明快な価値観である。直裁な者がこのハーフエルフは嫌いではない。

 

「いくらだ?」

「キス一回」

「アホ、それで金稼いでる女がなにねだってんだ」

「あ、そーとる?愛してるのサインなのに〜」

「寝言言ってねえで答えろ…………」

 

後半は小声で話す。あの獣人の事はイシュタル・ファミリア秘中の秘だ。ゆえに彼女の居場所は時々変わる。イシュタルのシマにいるのは間違いないのでしらみ潰しに探してもいいのだが、それは面倒だ。

偶然と縁により、彼女の現状を知ったリヴィエールはとある事件の現場に居合わせた。彼のバカな友人を主神から守る為に、あらゆる手を尽くし、出来る限りの事をして二人の娼婦を守ったのだ。

 

「あの子の……」

 

隣のアマゾネスの顔に恐れが浮かぶ。あの時、彼が受けた徹底的な蹂躙と拷問の記憶は娼婦達の間で鮮明に残っていた。

 

「…………ねえ、なんで貴方はあの子の為にそこまでするの?貴方が彼女を守って得なんて…」

「損得で剣を取った事はない」

 

黙り込む。普通の男が言ったのならバカにする所だが、彼のあの時の覚悟を見た身として、この白髪の剣士を笑う事など、出来るはずがなかった。

 

「一度守ったからには最後まで面倒を見る義務が俺にはある。頼むよ」

「…………もう、しょうがないわね。わかったわ」

 

耳貸して、と指で引き寄せ、こそっと話す。どうやら以前いた場所と変わっていないようだ。ありがとう、と一度頭を撫でる。

立とうとすると、袖を掴まれた。ソファに再び引き込まれ、目を閉じ、体を傾けてくる。どうやらしなければ離してくれないらしい。一つ息を吐き、唇を重ねた。

 

「毎度あり〜。美味しかったわ」

 

ソファから立ち上がり、部屋から出て行く。もう此処に用はない。

 

「ーーーーっと」

 

ぶつかりそうになった所を反射的にかわす。扉の向こうにいたのは情欲をそそる衣装に身を包んだ絶世の美女。薄い衣に豊かな乳房や濃艶な腰を覆い、褐色の肌を大胆に惜しみなく晒している。

キセルを片手にこちらを見ていた。

 

「…………これはこれは」

 

俺の顔を見た途端、ニヤリと口角を上げ、近づいてくる。

 

「随分とご無沙汰だったじゃないか、リヴィ……いや、ウルスだったか」

「やあ、イシュタル」

 

此処ら一帯を仕切る美の女神、イシュタル。二人はある意味で知り合い以上の仲である。この歓楽街で唯一自分の正体を知っている神だ。

 

「ウチに入る気になったのかい?」

「まさか。以前の借りはあの時ボコにされたあと、フレイヤの拠点を一つ潰して返したはずだ」

「借りを盾にする気はない。単純に勧誘だ。どうだ?」

「断る。俺にばっか構ってねえで後ろの色男に構ってやりな。さっきからすげえ目で睨まれてて超怖い」

 

背後に控えている美青年はもう目からビームを出そうとしているのではないかと思えるほどこちらを睨んでいる。もはやメンチ切るどころの話ではない。

 

「ゆっくりしていくがいい。気が変わったらいつでも言え。お前なら歓迎してやる」

「変わらねえから」

 

女神の横を通り過ぎる。未だ怒りの視線を背中に感じながら、リヴィエールは女神の神娼殿を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーやれやれ、フられたか。

 

店から出て行く白髪の背中を見ながら息を吐く。万人を魅了するその美しさは少し翳っていた。

 

ーーーーあいつがいれば、きっとあの女を引き摺り下ろすいい戦力になるのに……

 

「…………クソッタレめ」

 

白亜の巨塔にすむ銀髪の女神を思い出してしまった。気にくわない、いけ好かない、この世のすべての何よりも美しいと言われる……この自分よりも美しいと言われるあの女を。

 

「今に見ていろ……」

 

いけ好かない女神二号は勝手に消え失せた。本来ならあの男を寝取ってやる事で蹴落とすつもりだったが、もうその必要はなくなった。となればあの子供に何かする意味もない。イシュタル個人としては彼の事は嫌いではない。あの事件を引き起こした時はそれはもう怒り狂ったものだが、もうその落とし前は済んでいる。それに、その怒りを上回る魅力が彼にはあった。

だから残るのはあの巨塔の最上階に住む女のみ。

 

もうすぐだ。もうすぐそこから引き摺り下ろす。

 

「さあお前たち!客をもてなせ!今夜もまた愛を好きなだけ貪るがいい!」

 

アマゾネス達から叫声が上がる。女神の号令の下、女達は動き出す。夜の街の1日、これからが本番。

 

 

 

 

 

 

夜空には銀色……というより白に近い月が浮かんでいる。自分に割り与えられた部屋の中で格子越しに着物と呼ばれる民族衣装を纏った少女は月を見つめていた。

 

ーーーーハァ……

 

静けさという騒音が彼女を襲う中、少女は金の髪を揺らしながら通りを眺める。誰かを探すように。

 

ーーーーいないかな、いないかな?

 

あの月と良く似た髪の色をした青年の姿を探す。視線に合わせて少女の太い狐の尾が揺れた。

 

ーーーー会いたいな、会いたいな。

 

あの白い剣士に。ここに来て、まるでおとぎ話のような素敵な話を聞かせてくれる、あの青年に。

まるで故郷の友人が、屋敷から自分を連れ出してくれたあの時のように、青年はいつも自分に暖かな気持ちと優しい一時を与えてくれる。

 

以前、とある客に熱を上げていた先輩遊女の事を思い出す。

 

ーーーー貴方も恋をすればわかるかもね

 

同じ獣人であった彼女は自分にそう言った。その時はその言葉の意味がわからなかった。

自分達は遊女だ。一夜の愛を交わすことはあっても、恋をしてはいけない人種。その事は遊女の中でも五流に位置すると自負している自分でも知っている。自分などより遥かに上に位置する彼女がその禁を破った事が信じられなかった。

 

しかし、今ならわかる。

 

虚しい日々の中で、突然外の世界から現れた凛々しい騎士。あの美しい澄んだエメラルドの瞳と出会った時、彼女の世界が変わった。

感覚で感じる世界は何一つ変わっていないのに。

それはきっと彼女の心で感じる世界が変わったからだ。

 

自分達は恋をしてはいけない。頭ではわかっている。しかし、心で思う事は止められない。いけないとわかっていても求めてしまう。姐さんの心が今ならわかる。

 

トンっ。

 

聞こえるか、聞こえないか程度の小さな音が聞こえる。それは格子の窓を開けた音。自分が彼にだけ教えた、この屋敷に人知れず忍び込む為の隠し通路。

 

少女の耳がピッと立つ。この裏口を使うのは……使えるのは彼ただ一人だ。

佇まいをただす。彼を迎えるのにみっともない姿を見せるわけにはいかない。三つ指をついて、こうべを垂れる。襖の扉が開いた。

 

「やあ春姫、息災そうだな」

「お会いしたかったです、ウルス様」

 

狐人の少女が待ち望んだ月が、現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

極東様式の屋敷。あの後リヴィエールはこの屋敷を訪れていた。いうまでもなく娼館である。本来であれば金銭を支払わなければ入れない建物だが、リヴィエールはこの屋敷には忍び込んで侵入していた。ここにいる女の事を彼は知らないということになっているからだ。

 

ーーーーっと……

 

よかった。開いていた。開けておく、とは聞いてはいたが、いつでも開いてるかどうかの確証はない。自分が此処を訪れる頻度はランダムも良いところだ。開いていなくとも不思議はない。

 

入り口に入ってすぐ右、襖で閉じられた大きな部屋がある。彼の尋ね人は此処にいるはずだ。

 

ゆっくりと襖を開く。期待した通りの少女が部屋の奥にいる。金色の頭を下げ、三つ指をついて待っていた。

 

「やあ春姫」

「お待ちしておりました、ウルス様」

 

顔を上げろと言う。この出迎えはやめろと何度か言ったのだが、この子は恐れ多いと言ってやめない。

 

「息災そうだな、安心したよ」

「全て貴方様のおかげです」

「よせ、皮肉にしか聞こえない」

 

キョトンと首をかしげる春姫。嘘を言ったつもりはない。紛れもなく事実だ。本当に彼女の事を思うなら、あの時、石を破壊するだけでなく(まあ、破壊したのはアイシャなのだが)この子をこんな世界から救い出さなければならない。そして彼ならそれは出来ただろう。

しかしそれをしていない。当面の危機から救い、このような場所で匿う程度の事が今出来る彼のギリギリだ。これ以上やれば諸々を敵に回す事になる。

リヴィエールには優先しなくてはならない敵がいる。袖すりあっただけの縁である春姫と大恩人であり、家族だったルグ。優先すべき対象は決まっている。

そして誰より、春姫自身がそれを望まなかった。娼婦である自分を恥じており、リヴィエールの手を取ることを拒んでいる。

 

「さて、今日は何の話をしてやろうか」

 

だからこうして、たまに様子を見に来る事が精一杯。彼女の前に座り込む。此処に自分が来る時は彼女に物語を聞かせてやるのがいつもの習わしだ。

 

「あのお話がいいです。鬼に襲われる娘を、小さき武士が助けたお話」

「またアレか。好きだなぁ」

 

生まれ故なのか、この子は姫が英雄に救い出される話を好む。英雄譚でこの手のテーマは事欠かない為、助かってはいるのだが……語り部としては少し物足りない。

 

「ウルス様のお声でその話をしてくださる事が好きなのです」

 

そう言われると悪い気はしない。語りは母に習った。幼い頃、森と湖しかなかったあの世界、リヴィエールを支えてくれたのは楽器と音楽、そして読み聞かせてもらった多くの物語だった。

そしてその全てを彼は母から習った。歌を、演奏を、語りを全て見て、聞いて、感じて、真似て、学んで、少しずつ自分のモノにしていった。

一つとして手をとって教わったものはない。けれど、彼にとっては……そしてリヴェリアにとってはオリヴィエがこの世に残した数少ない大切なモノだった。

 

「では語るか。どこから聞きたい?」

「最初から、お願いいたします!」

「では、御拝聴を。昔々、ある所に老夫婦がおりました。子供のおらぬその夫婦は子を恵んでくださるよう、スミヨシの神に祈ったそうな。神は願いを聞き届け、老婆に子を授けてくださったが、夫婦は驚いた。身長はなんと一寸(3セルチ)しかない赤子だったのです」

 

立て板に水が流るるよう、滔々と語り始める。万人を魅了する声を持つ彼にしては役不足の場だ。目の前の少女以外に聴客はいない。けれど白髪の語り部は全霊をもって語った。

 

 

逢瀬が終わり、屋敷から出る。あまり長居をしても良くない。彼女の様子は見れた。今はまだ現状維持で大丈夫だろう。

 

「ウルス様……今度はいつお会いできますか?」

「近いうちに、また来るよ」

 

額に軽く口づける。額へのキスの意味は祝福。リヴィエールが彼女に唯一送る事ができるメッセージ。

 

「またな、春姫。君の未来に幸運と加護があらん事を」

 

次に彼が此処を訪れるのはとある石がオラリオに訪れる時となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、場は冒頭の歓楽街、長屋に移る。土地柄として、衛生設備だけはしっかりしているが、その他はボロボロの長屋だ。その内の一室を二人の男女が借りている。

 

「もう、帰ってるなら一言くらい言っておくれよな」

 

散らかった部屋を片付けながら文句を言う。口元は緩んでいる為、咎められている気はまるでしない。

 

「にしても今回は本当に唐突だったね。なんかあったの?」

「ちょっとな……しばらく此処、使わせてもらうぜ」

 

人々の欲望が集うこの街。品性を重んじる彼にとってある意味で最も似合わないこの場所を彼が隠れ家にしているのは理由がある。先も述べたように、花街は犯罪の温床。一般客ですら基本的に匿名を望む。店の中……というか、この歓楽街の中で何が起こっても基本的に口外は禁止。ここで何をしたか、何がされたか、外界には漏らさないのが鉄則だ。治安の悪さなど色々難儀はあるが、ある程度腕があるなら隠れるにはこれ以上の場所はない。

 

「どうせミアの所でなんかしたんだろ」

「エスパーかお前」

 

出されたグラスを手の中で弄びながら苦笑する。まあ此処に来る時といえば大抵彼が表で何かをした時だ。予想されても不思議はない。

 

「ほら、グラスで遊ばないで」

 

取り上げられる。琥珀色の液体が中身を満たした。

 

「ご飯はもう食べた?」

「ああ、酒をもう結構過ごした。この一杯だけは付き合うが、今日はもう飲まんぞ」

「えー……」

 

せっかく久しぶりの二人きりだというのに。先ほど肌を重ねる事を願ったらそれも今日は気分ではない、と断られた。ならもう酒盛りくらいしかないというのに、それすらもダメだと言ったのだ。不満は出ても仕方ない。

 

「頼むよリヴィエール。お姉さんの酒盛りに付き合ってくれよぉ」

「何がお姉さんだ。俺と殆ど変わらねえだろうが」

 

正確な歳はエチケットとして聞いてはいない……とゆーかこの手の女に歳を聞いて真実が返ってくることなどまずないが、大きくは変わらないはずだ。

 

「アンタにゃわかんないかなあー、この溢れ出る大人の色気ってやつが」

 

そういって首と腰に手を回し、艶やかな黒髪をかきあげるアイシャ。確かに彼女はスタイルがいい。俺と出会う前は相当売れっ子の娼婦だったとは聞いている。麗傑の名に恥じない強さと美しさを持つ女だ。

しかし美人にも傑物にも耐性のある彼にとって、その手の武器は通じない。むしろ、庇護欲をそそられるタイプの方が彼の弱点と言える。その筆頭が両方を備えたリヴェリア。次点がアイズかリューが彼の泣き所と言ったところだろう。

 

「ベー」

 

フリではなく、本当になんとも思っていない顔をされたアイシャは憤慨した様子で舌を出す。自身のグラスに琥珀色の液体を注いだ。持ち上げる。

 

「乾杯」

 

ガラスの軽い硬質な音が夜の街の小さな部屋で鳴る。互いに近況報告を交えながら、酒とツマミを過ごしていく。

会話は思ったよりも弾んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。最後の秘密の隠れ家は歓楽街の中でした。お姉ちゃんにバレれば【れあ・らーゔぁていん】不可避ですね。因みにリヴィエールはアイシャが例の石を破壊した時に偶然居合わせ、事情を知り、解決に奔走しました。とある理由で魅了が効かないリヴィエールは拷問を受け、フレイヤ・ファミリアの拠点を一つ潰す事で手打ちとなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。番外編も掲載しておりますので引き続きよろしくお願いします。

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