β世界に生きる   作:銀杏庵

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05 天河村

 1月26日(救出から一日目)

 普段清閑な天河村は、墜落機探索の軍のヘリが、村の小学校の運動場に緊急着陸したことで一変してしまう。

 村は、急遽役場に対策本部を設置すると共に、消防団員らを墜落現場の山へ派遣する準備等に慌ただしくなる。

 そんな中、軍からの応援のヘリが村に到着する。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 村の診療所に運び込まれた五月は、衰弱した振りを続け、お年寄りの医師の診断を受けた後は、病室のベットに横たわり、点滴を受けたまま眠っていた。

 唐突に、病室の窓ガラスの一部が割られ、そこから黒い手袋が差し込まれ、内側の施錠を外す。木枠の窓ガラスが開けられ、外から覗かれない様に閉められたカーテンを押し退け、二人の男が次々と土足で病室に入り込む。

 「ろ、六条さん。不法侵入なんて不味いですよ」

 オドオドしながら若い男が、前を歩く男の背中へ話しかける。

 「親父のコネで軍のヘリに同乗し、ここに一番乗りしたというのに、医者の面会拒否ですごすごと引き下がれるか!」

 「今頃他社は、軍が公開した墜落現場の写真で記事を書いている頃だろうが、横並びの写真じゃあ部数を伸ばすスクープにならん。奇跡的に生き残ったガキの写真なら、他社を出し抜くスクープだろ?」

 「でも、見つかって警察に通報されたら……」

 「安心しろ新人。俺達には、報道の自由という錦の御旗がある以上、殺人以外で警察にしょっぴかれないという暗黙のルールがあるんだ……(まあ、武家の俺の場合は絶対大丈夫だがな)」

 「本当なんですか?」

 「臆病野郎が! いいから、さっさとガキの写真を撮れ!」

 六条の命じられた若い男が、写真を撮ろうとしてベットに眠る五月に近づく。

 若い男が構えたカメラが、ストロボ(閃光)を何回も発して撮影するも、ベッドで眠る五月は目を開くことはなかった──が、透明化して側にいたデコからの警告で、彼女は意識を覚ましていた。

 (報道のためなら犯罪もOKと平然と口にする輩とは……写真の方は、後でデコの亜空間収納によりフィルムを没収すればいいとして、不作法者へどんなお仕置きを与えましょうか……)

 「う~ん、点滴している姿ぐらいじゃあ、いまいちインパクト不足か?……おい! 包帯を探してきて、そのガキの頭や顔に巻き付けて撮ってみろ」

 「え!? 六条さん、そんな偽装なんかしていいんですか?」

 「新人のお前は知らんかもしれないが、その程度の”工夫”は、どこの社でもやっている……ガキとは言え美人が、顔に大怪我をしている写真なら、同情を引くし、他人の不幸を面白がるやつも関心をかきたてる。部数がぐっと増えれば、臨時賞与は間違いないぞ」

 六条の言葉に、カメラマンの若い男は、業界の常識ならしかたないと思い、包帯を探し始める。

 (そこまで腐っているのか、帝国のマスコミは……)

 狸寝入りしている五月は、内心で呆れ返り、彼らに対するお仕置きの第一段階を実行することにした。

 突然、両目を見開いた五月が、上半身を起こして、室内にいる二人の男を交互に見つめる。

 「ここはどこですか? おじさん達は誰ですか?」

 五月は、小首を傾げながら、何も知らない子供っぽい口調で訊ねる。

 「……」

 不法侵入が見つかっても場馴れした六条は、平然とした態度を保ちつつ、頭の中では墜落事故で奇跡的に生き残った少女の体験談を上手く聞き出す方法を巡らす。

 六条は、五月のベットに歩み寄り、同じ目の高さに腰をかがめ、猫なで声で少女に話しかける。

 「ここは診療所の病室だよ。俺たちは、飛行機事故のことを調べる人で、怪しい者じゃないぞ」

 (怪しさ爆発だろ!)

 五月の心の中で、六条の言葉につっこみを入れる。

 「お嬢ちゃん、おじさんに飛行機の話を聞かせて欲しいんだが」

 「……おトイレに行きたいの……」

 五月は、顔を少し赤らめ、身体をもじもじさせながら返事をする。

 いらっとした表情を一瞬浮かべた六条だが、直ぐに笑顔を作り直す。六条は、五月が心を開いて話してもらえるようにと、親切な人を演じることにした。

 六条がトイレに連れていってあげると告げ、五月はベットの端に寄り、足を床において立ち上がろうとする。しかし、五月はふらっと身体をよろめかせたため、六条が慌てて彼女の身体を支えようと浴衣のような寝間着に手を触れる。

 その瞬間、六条の身体はフリーズし視覚・聴覚も駄目になってしまう。パニックに陥った六条は、心の中で必死に新人に助けを求めるも、新人の若い男もカメラを構えたまま同様な状態に陥っていた。透明化していたデコが、五月に命じられ、彼らの身体と視覚・聴覚を制御する脳神経に流れる電気信号の一部を、亜空間収納で奪い続けている結果である。

 五月は、フリーズした二人の様子を眺めてニタリと笑った後、彼らを社会的に抹殺するお仕置きの準備をいそいそと整える。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「キャ──っ!」

 絹を裂く様な五月の大きな悲鳴を聞きつけた医師と看護婦が病室で見たものは、ベットに横たわる五月に覆い被さる、スボンを脱いで下半身丸出しの男と、近くでカメラを持った、同じく下半身丸出しの若い男の姿であった。

 看護婦が、大きな声を上げて男たち二人の所業を叱る。その直前に正常に戻った彼らは、看護婦の叱責に振り返ると同時に、ブランと揺れた己のいちもつで、下半身が裸であることを理解し大いにうろたえる。

 鬼のような形相の看護婦の迫力に、男達は床に落ちていたズボン等を拾い上げ、慌てて逃げ出そうと窓に向かう。しかし、窓に辿り着く前に、男達は片方の足首を”突然”──デコの亜空間収納の仕業により──捻挫させ、床へ無様に転ぶ。

 医師からの通報で駆けつけた村の警察官が、五月を襲った新聞記者の二人の男を強姦未遂の疑いで、駐在所へ連れて行く。しょっぴかれる途中、一人が自分は武家の人間であり、直ぐに解放しろと喚き散らす。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 1月27日(救出から二日目)

 昨日の”事件”もあって、五月の病室の窓は雨戸で厳重に閉じられていた。また、他の記者らによる強引な取材を心配した医師が、村の駐在所に警察官の派遣を要請するも、村役場に設置された国の事故対策本部の警護を理由に断られてしまう。

 病室の五月を訪れた医師は、昨日の”事件”で生じた彼女の左頬の”青あざ”の治り具合を先ずは確認する。その際、五月は、昨日の事件の証拠として、左頬の怪我に関する診断書を依頼する。子供の五月が、大人の如く事件の証拠として診断書を欲しいということに医師は違和感を覚えるも、診断書を書くことを了解する。

 次に、医師は昨日撮影し現像されたレントゲン写真を確認しながら、五月の身体に痛い所はないか等色々と質問を行なう。医師は、飛行機事故にあったにも関わらず、身体のどこにも怪我や骨折がないことに訝るも、五月の言い訳──気がついたら木の枝に引っかかっていた──に、奇跡が起きたのだろうと思うことにした。

 しかし、質問への回答の中で、五月が記憶に欠落があることを告げると、医師は眉をひそめ難しい顔になった。

 診察が終了し、医師が五月の身体の回復度合いを考慮し、今日一日点滴をしたままベットで安静にするようにと彼女に言い渡した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「暇だ……」

 五月は、病室で一日中、左腕に点滴を受けベットに縛り付けられている状況に、ため息を漏らす。

 いつ看護婦が顔を出すか分からないので、ナノマシンを放出して過去の新聞情報を眺め読む訳にも行かず頭の中で読んでいたが、一時間も経つと読むのに疲れて止めてしまう。

 無聊で暇を持て余す五月は、資源回収中のデコを呼び戻し、透明状態で村役場に派遣し、デコとのP2P接続による情報共有でテレビを見て過ごしことにした。

 帝国でのテレビの普及率は三割を下回っており、僻地のこの村では役場にしかなかった。そのテレビは、古風なロボットのように長い脚が付いたブラウン管式の白黒テレビであり、チャンネルはダイヤル式のドライバーを回して切り換える非常にレトロなものであった。

 テレビで流れる飛行機事故のニュースでは、墜落現場の悲惨な状況を伝えるとともに、五月のことを奇跡の少女と囃したてるも、昨日の”事件”に触れることは全くなかった。それは、村役場にあった新聞もラジオニュースも同様であった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 夕方、五月は濡れタオルで身体を看護婦に拭いてもらっていると、医師が病室に顔を出し、実家の関係者だと名乗る人物が面会に来ていることを告げた。

 五月は、誰だろうかと首を捻りながら、看護婦の手を借り慌てて寝間着を着て身だしなみを整える。

 病室の入り口から姿を現したのは、着物を着た袴姿の老人であった。 髪が真っ白な老人は、五月の姿をみた途端、「よくぞ生きていて下さいました五月様!」と、絞り出すように呟く。そして、五月のすぐ前までに来て、彼女の顔を見つめながら両目に涙を浮かべる。

 五月が、困惑していると、老人が涙を拭いて名乗る。

 「お父上の実家の有栖川家で、家令を勤めておりました、葛葉忠一と申します。五月様をお迎えにあがりました」

 五月は、両目を見開いて老人の顔を、まじまじと見つめる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 急患のため、医師と看護婦が病室から立ち去ったため、五月は葛葉老人と二人だけで話し合う。

 五月は、事故のこと、父親の死んだことを訥々と語り、近くで椅子に座った葛葉老人は静かに耳を傾ける。

 五月が、昨日の”事件”のことを葛葉老人に話すと、彼は憤慨するも、犯人が武家の者と名乗ったことを知ると、難しい表情になる。

 その変化に気がついた五月は、何か問題があるのかと尋ねる。

 「……多分その事件はもみ消されてしまうでしよう。警察・検察に対する武家の影響力は強く、例え裁判を起こしても勝てる見込みはほとんどありません。この国では、武家の威信や面子を潰すことは禁忌なのです」

 「……そこまで、武家は権力があるのですか?」

 驚いた五月であったが、過去の新聞を読むだけでは得られない情報であり、武家に関する情報を聞き出すことにした。

 「葛葉のおじい様、帝国における武家の人口比率は、およそどれくらいなのですか?」

 「武家とその縁者を含めると、六%前後と言われています」

 「たった六%前後が、この国は支配しているのですか……」

 「葛葉のおじい様、武家に有利なおかしな裁定が続けば、新聞等が指摘したり、民衆がデモを起こしたりしなかったのですか?」

 「武家の影響力は、新聞やラジオ等マスコミにも及んでおりますから、武家に都合の悪いものは悉く封じられております。デモが起きても、警察や武家の息のかかった者につぶされてしまうようです」

 葛葉老人の口にした武家の権勢に、眉をひそめる五月であった。

 「葛葉のおじい様、どうして武家にそのような権力があるのですか? 先の戦争終結で政威大将軍を始め、沢山の武家の方々が責任を取らされたと父様から聞いております。米国は帝国に対して華族(身分)制度を廃止させ、民主化政策を占領中に強く押し進めたそうですから、武家が権力を握るのは難しいのではないですか?」

 葛葉老人は、帝国の権力構造に疑問を投げかけた、この幼い少女が非常に聡明であることを理解し、表面的な説明でお茶を濁すのではなく、踏み込んで説明することにした。少女が、将来帝国で不幸な目にあわないようにとの思いから。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 葛葉老人が再び話し出す。

 「帝国は、先の戦争で米国に条件付き降伏をした結果、国政は皇帝陛下から国民の代表たる帝国議会に移ることになりました。米国は、帝国の支配層であった武家の権勢を削ごうとして、華族制度の廃止に加え、一般の国民が帝国議会の多数議席を占めるように、平等な選挙を帝国に求めました」

 「しかしながら、選挙は地域の名士であり有力者である武家やその縁者が多数当選する結果となり、立法府たる帝国議会は武家に牛耳られることになりました。米国の求めた公平な選挙によって選ばれた以上、米国も口出しができない結果になったのは皮肉です。なお、今でも帝国議会の国会議員の七割が、武家とその縁者で占められています」

 「また、武家とその縁者は、幼い時から学ぶ環境が充実しており、十%に満たない大学進学者のほとんどは彼らで占められているそうです。そして、優秀な成績で大学を卒業した武家やその縁者は、役人の幹部候補の任用試験に数多く合格し、人事を握る武家の者が彼らを組織の中核に据えることで、行政及び司法も実質的に武家が支配しています。法律は、国民全てが平等に適用されるものですが、運用する側が武家に有利な決定をすることが多々あります」

 「葛葉のおじい様、あの傲慢な米国なら帝国に圧力をかけて、三権の公職にある武家やその縁者を排除しなかったのですか?」

 「五月様、中々鋭いですね。戦後、公職追放が行なわれました。しかし、武家は巧みに立ち回り、米国と対立関係にあったソ連に与する共産・社会主義者やその同調者を公職から徹底的に追放し、更にマスコミや民間企業の幹部らにも同様に追放圧力をかけました。そうした武家の尽力を見た米国は、共産主義の防波堤としての帝国における武家の存在は、必要であると判断したようです」

 五月は顎の下に片手を添え、帝国の権力構造の歪みに考え込む。そんな五月をじっと見守った葛葉老人だが、話の続きを再開する。

 「武家支配は戦前と同じですが、決定的に違うのは武家の者達の忠義が皇帝陛下ではなく、己が所属する派閥の五大武家、即ち、煌武院、斑鳩、斉御司、九條及び崇宰の家の長に向けられているということです。戦後、五大武家間での権力争いは何度かありましたが、武家以外の勢力が台頭しようとすると、五大武家は一致団結してつぶして来ました。帝国は、戦後十年以上が経過した今も、武家支配の色濃い社会のままなのです」

 「しかし、武家支配は悪い面ばかりではありません。まがりなりにも戦後、混乱した帝国社会を強制的に安定させ、経済的には米国の同盟国として復興を遂げさせ、国民の生活を豊かなものにしました。今でも国民の大半は、武家を支持しています」

 葛葉老人の話を聞き終え、五月は思案する。

 (……厄介な存在の武家だが、逆に考えれば、将来のBETA侵攻という非常時に、意思決定がズルズルな議会制民主主義政府よりも頼りになるかも……)

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 次に葛葉老人は、父親の有人と実家の有栖川家の関係について説明を行なう。

 葛葉老人の話によると、有栖川家は古くから続く公家の名家であり、宮内省の要職を代々勤める者を輩出してきた家柄であり、現在、有栖川家の次期当主の長男が、宮内省で幹部の役職についているそうだ。

 有栖川家の当主は、高貴な存在である公家の血筋に拘る方であり、五月の父親が英国大使館勤務中に、敵国の白人の女性と勝手に結婚したことを酷く怒り、勘当してしまったとのことである。

 「ということは、葛葉のおじい様、私も父様の実家から絶縁された身の上であると?」

 黙って頷いた葛葉老人であったが、何やら言い辛そうに口をモゴモゴさせる。気になった五月が、葛葉老人に話を促す。

 「実は……私がこちらに向かう前に、有栖川家の当主から連絡があり……私が五月様の後見人になりたいという申し出に……養子にして有栖川の姓を捨てさせるようにと強く言われまして……」

 「……葛葉のおじい様。もしかして、敵国人の子供が、由緒ある公家の姓を持つのはけしからんとでも言われたのではありませんか?」

 葛葉老人は口を閉ざしたままであるも、見開いた目と表情が五月の推察どおりであったことを雄弁に語る。

 「葛葉のおじい様。因みに有栖川家は、私に姓を捨てさせる程に権力がある家なのですか?」

 葛葉老人が、頭を左右に振る。

 「十年ほど前まに有栖川家の家令を辞しましたが、付き合いのある使用人の話では、今でも大した影響力はないようです」

 「そうですか……私は有栖川の姓に未練はありませんが、母様を認めず、父様を捨てた実家の言いなりになる気はありません。亡くなった両親に代わり、私が功績を積み上げ、両親や私を認めなかったことを実家に大いに後悔させたいと思います」

 「そうすることが、葛葉のおじい様にご迷惑がかかるようでしたら、父様の友人の方に後見人をお願いするつもりです。それも駄目ならば、施設に入ります。施設で育った母様から、逞しく生きる方法を色々と教えてもらっているので、何とかなります」

 五月は、葛葉老人の重荷にならないようにと、微笑みを浮かべて明るく話すと、老人は頭を左右に振る。

 「そのような心配は無用です、五月様。先の戦争で息子らを失った私と亡き妻にとって、有人様は息子同然でした。その娘である五月様は、私にとって孫同然です。五月様が成人するまで、しっかり私が後見人を努めさせて頂きます」

 葛葉老人の優しげな眼が、五月の眼をじっと見つめる。

 「ありがとうございます。葛葉のおじい様、後見人の件、何卒よしくお願い致します」

 五月は、心から感謝をこめて、葛葉老人にお礼を告げる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「父様の葬送式(葬儀)について、実家のことは気にせず、こちらで決めて進めてしまえば良いと分かりましたが……葛葉のおじい様、この近くに英国国教会(キリスト教の一派)の教会はありますか?」

 「役場の対策本部で、電話を借りて教会に確認した所、帝都の御所の近くにあるそうです」

 葛葉老人の手回しの良さに、五月は感心すると共に思い至る。

 「葛葉のおじい様……もしや父様の遺体の身元確認をして頂いたのでしょうか?」

 葛葉老人は黙って頷く。それに対して五月は、葛葉老人に頭を深く下げお礼を述べる。

 「五月様、実は有人様のご遺体の件で……役場の対策本部の担当者から医師の死体検索書(これがないと火葬も戸籍抹消もできない重要な公文書)を渡された時に、村の斎場で明日には火葬するようにと告げられました」

 葛葉老人は、申し訳なさそうな顔をして、五月に役場からの通達を伝える。

 「そうですか……では、帝都の教会の方は、父様の遺灰で葬送式を行い、棺には母様の形見と一緒に埋葬したいと思います……葛葉のおじい様、ままならぬこの身に代わり、手続きをよろしくお願い致します……それと葬送式等にかかる費用は、申し訳ありませんが立て替えをお願いします」

 五月は、再度深々と頭を下げ、葛葉老人からの返事を待つ。

 「わかりました」という葛葉老人の返事に、五月はホッとする。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 1月28日(救出から三日目)

 医師による朝の診察の結果、五月の体調は急速に回復しており、点滴はとり止めとなり、面会謝絶も解除されることになった。

 医者の許可が出ると直ぐに、国の事故調査委員会の委員らが、事情聴取を行なうために五月の元を訪ねてきた。

 大学の教授と運輸省の役人をメンバーとする委員らの事情聴取では、葛葉老人は席を外させられ、五月が一人で対応することになった。

 委員らによる事情聴取は、墜落する前に飛行機内で何が起きたのか、事細かく、また、代わる代わる繰り返し訊かれた。どうやら彼らは、子供な五月の証言の正確性に疑念を抱いており、何度も同じことを繰り返し確認しているようだ。

 委員らの対応に機嫌を悪くした五月は、最後には質問した委員に事故機のブラックボックスを回収して確認したらどうだと言い放つと、彼らは皆怪訝な顔になる。逆にブラックボックスとは何かと訊ねられ、五月は衝撃や火にも強く、封印された小箱の中に、パイロットの会話や飛行記録を記録し、事故の原因を究明するものだと説明する。 

 五月の説明を受けて、委員達は直ぐに五月の示したアイデアの有用性を理解し、教授達はその研究開発をすべきだと運輸省の役人と議論を始めた。そのおかげで、既にブラックボックスがある言った五月の失言へ、突っ込まれることもなく事情聴取は終了した。

 事情聴取に疲れ、五月がベットでべた~っとしていると、今度は事故をおこした帝国航空の社員が訪れ、五月を見舞う。

 恰幅の良い壮年の男が、五月に対して謝罪とお悔やみを述べ、葬儀その他当座必要なお金として五十万円を会社が出すと、五月につき添う葛葉老人に申し出る。

 なお、帝国航空の社員が、見舞品として置いて行ったのは、分割されていないバナナ一房丸ごとであった。バナナに対してα世界で安物イメージのある五月は、診療所の皆さんで食べて下さいと看護婦に丸ごと渡すと大層喜ばれた。何故そんなに喜んだのか、後で五月が葛葉老人に尋ねると、バナナは贅沢品(外貨不足による輸入規制で数量が少ない故に高価)であると教えられ、物価感覚の違いに彼女は微妙な顔をする。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 昼前に五月は黒いドレスに着替え、ベール付き帽子で顔を隠した格好で車椅子に乗り、葛葉老人に付き添われて診療所の玄関から外に出た。

 すると周囲に屯していた、中折れ帽子を被り社名入りの腕章をしたコート姿の記者やカメラマンがさっと集まり、車椅子の五月らを取り囲む。

 奇跡の少女(五月)の写真を撮ろうと、幾つものフラッシュがたかれ、記者達は争うように大きな声で質問を五月に投げかけ、回答を強要する。親を失ったばかりの少女を、思いやる気持ちが欠片もない質問さえも投げかけられ、ハイエナのような不作法者達に五月は腹が立った。とは言え、これだけ大勢のマスコミ相手に、瞬間移動で呼び戻したデコにお仕置きを発動させると、色々と問題が出兼ねない。    

 五月は、顔を伏せて無言のうちにやり過ごそうとするも、記者の一人がベール付き帽子を奪い取り、彼女の顔を上げさせようと肩を乱暴に後ろへ押しやり、カメラのフラッシュがたかれる。

 怒りを覚えた五月であったが、この不作法者の行為を奇貨として脱出するアイデアを思いつき、両手の拳を両瞼の上に置き、演技を実行する。

 年端もいかない少女が、声を上げて泣き出すと、彼女を取り囲んでいた不作法者達は流石にバツが悪い顔をして、五月から一、二歩程後退する。更に、五月の指示で透明化していたデコが、不作法者達の脊髄神経に流れる電気信号の一部を亜空間収納で断続的に奪い、彼らの足の動きを封じる。その隙に、葛葉老人が車椅子の五月を不作法者達の囲いから脱出させ、役場が手配した車に乗り込み走り去る。

 なお、奪い取られた五月のベール付き帽子は、透明化したデコが密かに亜空間収納で回収し、再現により五月の手元に戻していた。

 五月らを乗せた車は、父親の遺体が安置されている小学校の体育館へ向かう。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 墜落現場が特定され、天河村を拠点として遺体の回収活動等が本格化したため、小学校の運動場では、ヘリがひっきりなしに離発着しており、その騒音は遺体安置所となった体育館の中にいても聞こえていた。

 こじんまりとした体育館は、マスコミ対策で窓が目隠しされており薄暗く、シートが床に敷かれ、棺が幾つも並んでおり、傍らで医者らが確認作業に従事していた。

 その近くを横切る形で、車椅子に乗った五月が、葛葉老人に後ろから押されて、舞台袖に近い棺の元へ向かう。

 車椅子から立ち上がった五月が、柩の傍らに膝をついて、棺の中で眠る父親と、しばしの間無言の対話の後、父親の遺体の胸元を花で飾り、最後に別れの口づけをおこなった。

 そして、五月に代わって葛葉老人が別れの挨拶をしていると、三十代半ばの男二人がバタバタと足音を立ててやって来た。

 「ハァハァハァ……何とか間に合ったようだな」

 黒い喪服を着た長身の男性が、荒い息を整えながら呟く。

 「榊様!? それに鳳様までも……どうやって来られたのですか?」

 驚く葛葉老人の言葉に、少し遅れてやって来た人物から返事が返って来た。

 「うちの会社のヘリを、無理言って飛ばして来たのよ」

 急いで来たはずなのに髪も服装も乱れが目立たない、喪服姿のセミロングの髪の女性が種明かしをする。

 「紅井様!」

 「葛葉さん、お久し振りね。電報、感謝よ」

 「いえ……勘当された有人様に、変わることなく親交を頂いた、ご友人の皆様に不義理する訳にはまいりませんから」

 「相変わらず義理堅いな、葛葉のじいさん。でも、電報は本当に助かったぜ」

 独特の雰囲気を漂わせる細身の男が、葛葉老人に声をかける。

 「鳳様も、大変な時に良くぞ駆けつけて下さいました」

 「気にするな。まあ、あれだ……俺より先に逝っちまった馬鹿の顔を拝み、文句を言いに来ただけだ」

 憎まれ口をたたいた鳳が、照れ隠しか、鼻の頭を指でこする。

 「しかし、昨日の今日とは……時間もありませんでしたのに、良く(飛行計画を認めさせて)ヘリをここまで飛ばせましたな」

 「そこは国政調査権という特権を持つ国会議員の榊のごり押しよ」

 美人の紅井が、葛葉老人に片目で可愛くウィンクする。

 「ひよっこ議員である私は、紅井の無理を叶えるため、運輸省に話を通すのにかなり苦労したんだぞ」

 榊が、少々恨みがましい目を紅井に向ける。

 「持つべきは帝大同期の学友様ね……まあ、次の選挙資金もまかせなさい」

 同年代の女性よりも若々しく見える紅井は、瞳に老練な輝きをみせる。

 「紅井の無茶振りは相変わらずか……じゃじゃ馬なお前が、良く商社社長夫人で大人しくおさまっているな」

 鳳は、呆れと感心の入り交じった声で呟く。

 「独身のアンタと違って、子育てに忙しいのよ……うちの息子達は、おっとりな所があるから、教育をしっかりしないと将来後継者問題になりそうなの」

 「私の息子は、勉強そっちのでスポーツに夢中で困っているよ」

 「けっ! 子供なんて、親の思い通りに育つ訳ないぞ。なるようにしかならん」

 「……皆様、相変わらず仲がよろしいことで、安心しました」

 三人のやり取りを眺めていた葛葉老人が、微笑ましげに語る。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 頃合いと見た五月が、車椅子の肘掛けに両手をかけ、立ち上がる。

 「父様の変わらぬご友人の皆様、はじめまして。有栖川有人の娘の五月と申します。亡き父様のために、遠路駆けつけて頂きありがとうございます……どうか、父様に最後のお別れをお願い致します」

 黒いワンピースに身を包んだ五月は、鳩尾の前で両手を重ね、四十五度の角度で深々とお辞儀をする。淡く輝く長い銀色の髪が、前へさらさらと流れ、揺れる。

 ゆっくりと頭をあげた五月が、儚げに微笑むと駆けつけた三人はしばし見とれてしまう。

 フリーズが解けた三人は、次々に五月へ自己紹介とお悔やみの言葉をかけた後、棺の中で眠る有人へ花を添え、別れを告げる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 父親の棺は、友人等の手によって、体育館から運び出され、役場の車で斎場へ搬送された。

 五月、葛葉老人及び三人の友人の見守る中、父親の棺が火葬炉に押し込まれる。係の者が別室で待機を告げるも、じっとして動こうとしない五月に、紅井は少女を背後から優しく抱き、退出を促す。

 待合室に戻った紅井ら三人は、五月を元気づけようと、帝大時代の父親の有人の面白いエピソードを語る。三人の努力──掛け合い漫才のようなやりとり──の甲斐もあって、思わず五月に笑みが現れる。

 同性の紅井は、積極的に五月に話しかけるも、思い出の話になると五月は困った顔になり、紅井は何かを察する。

 「……五月ちゃん、もしかして、辛いことを思い出させてしまった?──それだったら、ごめんなさいね」

 「いえ、大丈夫です……紅井のおばさま……実は、事故の影響で脳に障害が出たのか、昔の記憶が幾つも欠落していて……」

 父の古い友人らを悲しませたくなくて黙っていた五月であったが、心配してくれる紅井の誤解を解こうとする。

 「えっ!? 大変なことじゃない、五月ちゃん! 直ぐに設備の整った病院で調べないと駄目よ。私が手配「ストップ!」」

 五月は、暴走しかけた紅井の言葉をさえぎる。

 「紅井のおばさま、私のことを心配して頂き、ありがとうございます。既に事故から六日経過しても、未だに頭痛や嘔吐といった症状はありませんので、慌てる必要はないと思います。後日、帝都の病院で精密検査を受けるつもりでいますし」

 五月は、本当に大丈夫なのと目で問い掛ける紅井を見つめ、ニコリと笑って安心させようとする。

 (病院で治療しても、素材となった少女の欠けた過去の記憶は、絶対に戻ることはないのだけど……)

 内心で己の所業を自嘲し陰りをみせた五月に、紅井は何かを決意して口を開く。

 「決めたわ! 五月ちゃん、私の娘になりなさい!」

 「えっ!?」

 紅井の宣言に、虚を衝かれた五月は目を丸くする。

 「うちは男の子しかいなくて、五月ちゃんみたいに可愛い娘が欲しくてしかたなかったの。目一杯着飾って、おしゃれした娘と一緒に買い物するのが私の夢なのよ……本当の娘として、大切にするわよ!」

 暴走した紅井は、五月を抱き締めて、白磁のような五月の頬に顔を寄せて、嬉しそうにすりすりし始める。

 (アワワワワワワワ……)

 美人のスキンシップ攻めに、五月は半分パニック状態となり、視線でSOSを葛葉老人や父の友人の男性二人に向けるも、紅井のことを良く知る彼らは、君子危うきに近寄らずということで、皆視線を合わそうとしないのであった。

 


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