β世界に生きる   作:銀杏庵

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02 交渉

 「ぎゃあああああ──っ!」

 鮮明な痛みに悲鳴をあげた男であったが、続く痛みが来ないことに戸惑いを覚え、自分の身体を調べようとするも、灯もない暗闇で何も見えない。ただ、己が無重力空間に漂っているらしいことを男は悟る。

 「夢か? ……いや、BETAに喰われた痛みは間違いなくリアルだった……ならば、ここはあの世なのか?」

 『いや、ここはあの世ではなく、僕の作り出した仮想空間だよ』

 中性的な声が男の頭の中に響く。

 男がキョロキョロと頭を巡らすも、声の主を見つけることができなかった。

 「誰だ?」

 そう誰何する男の視界に、淡い光に縁取られた高さ一m程の黒い石版のようなものが不意に現れた。

 『君に話しかけたのは僕だよ。僕のことは……そう、モノリスとでも呼んでくれたまえ。知的生命体の文明活動を観測するという、崇高な使命を帯びている存在さ』

 男は、喋る石にポカ~ンと口を開く。( ゜д゜)

 『続きを話す──その前に、君が落ち着いて話のできる様にしよう』

 宙に浮かぶ石版の前に、白い手袋がポンと現れて指を鳴らすと、男の頭上には直径一m程もある光る輪が、彼の足元には重力を感じさせる白い床が、そして木製のローテーブルとオレンジ色のソファーが出現する。

 『少々込み入った話になるから、ソファーにかけたまえ』

 男は、ソファーの真ん中に、おずおずと腰を下ろす。

 『飲み物は、何か希望はあるかね?』

 「何でもいいですか?」

 『もちろんだとも』

 「それじゃ、スイー○キッスの350ml缶を」

 本当に出せるのだろうか試すつもりで、男は好きな清涼飲料(柑橘系の香りをベースに蜂蜜等の強い甘みのある飲み物)を要望する。

 モノリスが、再び指を鳴らすと、ローテーブルの天板の中から直径十cm程の白いメビウスの帯(∞形に捩じれた輪)が現れ、輝きながら回転しつつ上へ移動して姿を消す。その跡の空間には、黄色地に緑の文字と赤い唇が描かれた缶──それも冷えていることが分かる水滴さえも付着しているもの──が一つ鎮座していた。

 本物かどうか半信半疑な男は、缶を手にとりプルトップを引いて、一口飲んでみた。

 「お──っ! 本物だ!」

 驚きの声を上げた男は、再度缶を傾け、ゴクゴクと一気に飲み干す。

 「ぷは~っ! ご馳走様です……しかし、良くスイー○キッスを入手できましたね。うちの地元にしかない飲料なのに」

 『まあ、僕の仕事には、人類の文明の証を収集することも含まれているからね』

 「人類の文明の証って膨大な数になると思うのですが、どうやって集めるんですか? 手間も保管するスペースも大変じゃないんですか?」

 「僕には手足となるD型端子──先程の飲み物を再現した白い帯の輪──が多数存在しているから集めるのに苦労はないね……それに、物理的な形で証を収集している訳ではなく、証を構成する情報体(データ)形式で亜空間に保存するからスペースの問題はないし。証の実物が必要になれば、先程の飲み物のようにD型端子が亜空間に保存された情報体(データ)を呼出し、別の亜空間に溜められた原料元素を再構成して"本物"を再現するだけさ』

 男は、どうやらモノリスが万物創造できる神に近い力の持ち主であることを理解した。男は言葉づかいを改めるべきかと悩んたが、今の所モノリスが少しも男の言動を気にした様子もないので、改めることを見送る。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 『それじゃ説明を始めよう。君は異星生命体──君の知識にあるBETA──に喰われて、死亡確定した所を僕が君を回収したんだ」

 モノリスの言葉に、男はやはり自分は死んでしまったのだと納得する一方で、大きな疑問を抱く。

 「それじゃ、今ここにいる俺は何なんですか?」

 『君が理解できる概念で言えば、コンピュータ上の仮想人格に一番近いね」

 「……何で死んだ俺を呼び出したんですか?」

 『実は、君以外にもあの横浜で死亡確定な人間を何人か集めてみた所、情報体化した君の潜在的資質に興味深いものがあったからさ』

 「俺の潜在的資質って?」

 『変化を引き寄せる因子さ。この因子がある者は、因果律に干渉して変化を招き寄せ、分岐世界を作り出す可能性が高いのさ』

 「俺、今まで生きてきて、変化を引き起こすようなことに関わった記憶がないんだけど?」

 『休眠状態で発現しなかっただけさ』

 「残念──発現していたら、俺は大企業の社長にでもなっていたかもしれないのに」

 『ハハハ、それはないよ』

 「意外としょぼい因子か……」

 残念そうな顔の男に、モノリスは言葉を追加する。

 『いやいや、因子が最高に発現したら、国家指導者に祭り上げられるレベルだろうね』

 「なんと! ……ああ、何で俺が生きているうちに発現しないんだ、因子の寝坊助──っ! そんなカリマスがあれば、モテモテウハウハ(死語)な人生だったのに──っ!」

 思いっきり悔しがりまくる男に、頃合いをみてモノリスが告げる。

 『どちらかと言えば、台風の目のような方だからカリスマとは違うよ』

 「う゛! どうせ俺はモテない人生一直線さ、コンチクショ──め!」

 『まあまあ。そんな君の人生をバラ色にする良い話があるんだが』

 メフィストフェレスの悪魔の如く、モノリスは甘い声音で男に囁く。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 『僕の依頼に応じてくれるのなら、良く似た並行世界の地球で君を再生してあげるから、そこで新しいバラ色の人生を送れる(かもしれない)が、どうかね?』

 「え?!」

 『そもそも、君の居た横浜へBETAが現れたのは、とある並行世界の地球──β世界とでも呼ぼう──で、人類が使用した次元歪曲兵器──君の知識にあるG弾──によって発生した特異点の出現が原因さ。今は僕が抑えているから小康状態だけど、それも完全ではないから不安定さが増すと抑えるのが難しくなる』

 「抑え切れなくなると、どうなるの?」

 『特異点を覆う次元境界面が急速に広がり、少なくとも日本列島を丸ごと消し去ってしまうことになる。それは、この星における僕の文明観測業務に少なくない支障が発生し、色々と困ったことになる』

 『本来なら、β世界の僕の兄弟と連絡を取り合って、特異点の発生を因果の大本から消去すべきなのだが、残念ながらβ世界の僕の兄弟は火星でBETAに侵入され自壊してしまっている。その結果、危険宙域指定され、後任の派遣もなく、影響が最も強い世界を担当する僕の方で対処することになった訳さ』

 『とは言え、危険宙域指定された所に僕の手足を派遣することもできない。そこで代わりに君をβ世界の過去の地球に送り込むので、G弾の使用を阻止してもらいたい。この依頼に応じてくれるのなら、並行世界にはなるが、君は生き返り人生をやり直すことができる。どうかね?』

 男は、Muv-Luvのゲームをしたことも小説本も読んだこともない。ただマンガや二次小説での情報──穴も多いし、信頼度も怪しい情報──しか持っていないが、それでもこの話が危険臭プンプンであることを理解していた。

 (BETAがわんさかいる世界で生き返っても、死亡フラッグのオンパレードしかないじゃん。俺以外も集められている話だから、そいつらの誰かに押しつけよう)

 男は、お断りできないか、それとなくお伺いを立てることにした。

 「返事をする前に、仮にこの話を断ったら俺はどうなるの?」

 『そうだね、僕は規定に従って君を情報体に戻し、良くてサンプルを一定期間保存した後廃棄、悪くて即消去処分。「君ならできると期待したのだが、あー残念だ、残念だ」と嘆き、次の候補を呼び出すことになるかな』

 棒読み口調で語るモノリスに、男は理解した。

 (黒い! こいつ絶対性格悪い! 逝くしかないじゃないかよ!)(T-T)

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「わかりました。生き返れるなら依頼を受けるけど、一般人な俺ではG弾の阻止もBETAの大群に襲われて生き残るのも絶対無理。転生特典として、BETAを駆逐できる強力な武器か、山をも砕く凄い超能力か魔法とかをもらえない?」

 『そんなの、無理、無理』

 朗らかな声で、モノリスは宙に浮かんだ白い手を器用に左右に振る。

 『強力な武器があっても、β世界の人類にメンテナンスができる技術はないから直ぐに使えなくなるか、人類お得意の同族争いに使って自滅するのが落ちだね。山をも砕く力をあげても、いざ力を振るったら、耐えきれず身体が爆散し兼ねないし、魔法を使えるようにしてあげても、一流の魔法使いになれる保証はないよ』

 モノリスのシビアーな回答に、がっくりと肩を落す男であった。

 『まあ、己の知恵と勇気と友情で何とかするのが、物語のお約束ってものさ』

 モノリスは、落ち込む男の肩を白い手袋でポンポンと叩いて励ます。

 『とは言え、僕は寛大だから片道切符の君に少しは便宜をはかってあげよう。依頼途中で直ぐに死んだりしないように、生体強化用にナノマシンを標準装備で付けるとして、それ以外で二つだけ希望する能力をあげよう。ただし、君の生体に付与できる範囲の能力になるけどね』

 その言葉に光明を見いだした男は、顔をあげてモノリスに問い掛ける。

 「標準装備のナノマシンって、具体的にどんな能力があるんですか?」

 『即死以外なら生体を自動修復したり、筋力を常人の数倍にアップさせる。それと、体外に放出したナノマシンを展開すれば、短時間なら防壁を形成して水中や宇宙での活動も可能になるよ』

 「おお~っ! 結構すごい能力のナノマシンだ!」

 男は、生存能力の向上は願ったり叶ったりなので単純に喜ぶ。

 『因みに、自動修復中は強制覚醒状態になるからね』

 「へぇ?」(・ω・?)

 疑問の声をあげる男に、モノリスは爆弾を落す。

 『自動修復中は痛みを感じっぱなしということさ。怪我があるということは、死ぬかもしれない危険な状態にあるのだから、意識を失ったらヤバイでしょ』

 ガ――ン!Σ(゚д゚TT)

 男は、顔に何本もの縦筋を浮かべ硬直してしまう。

 そんな男にモノリスは言葉をおくる。

 『まあ、痛みも慣れれば、快感になるそうだし』

 「そんなマゾ体質は、いやだ――っ!」(TOT)

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 『さて、軽いジョークで君の気分もほぐれたろう。希望する能力を決めたまえ』

 ジョーク(?)にお疲れ気味な男であったが、ここが正念場と己の気合を入れ直す。

 「希望する能力を決めるよりも、もっと大事なことがあります!」

 『それはなんだい?』

 「再生される容姿に決まっています!」

 『今のままで駄目なのかい?』

 「駄目です。このぽっこりお腹な日本人体型──胴長短足──とこの顔を見てください。世間様は、男は顔じゃなく中身だとおっしゃいますが、あれは全くの大嘘です! 99%は顔と体型で本人の評価が決まるんです! 何度俺が、女に騙され悔し涙を流したことか……」

 スイッチが入ってしまった男は、恨み言をブツブツと呟き続ける。

 『…………』

 沈黙の裏で、人選を再検討するモノリスであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鬱憤を吐き出し終え正気に戻った男は、ソファーから飛び降り、床に土下座して、モノリスに懇願する。

 「え~っ、"偉大で"寛大なるモノリス様。人生をやり直すに当たって、劇場版機動戦艦ナデシコのホシノ・ルリ──電子の妖精と呼ばれた可憐な姿──を得られるのなら、依頼に対する俺のやる気百倍です! どうか、どうか、別枠でサービスして下さい!」

 男の奇行は、昨夜ネット配信で?十年ぶりに見たとあるアニメの映画とTV版を徹夜鑑賞し、脳が件の彼女への萌え萌え病を再発していたせいであった。

 『ルリ? ああ、君を解析した時に記憶にあったアニメの登場人物ね。まあ、容姿一つで、そこまでやる気になってくれるのなら、偉大な僕の度量の広さを見せて、容姿もサービスすることにしよう』

 「はは――っ! モノリス様、誠にありがとうございます!」

 男は、両手を前に出して床に平伏し、感謝の気持ちを大げさに示す。男の内心では、(ヽ(^o^)/やったー! ルリたんの姿、ゲットだぜ!)と小躍りしていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 浮かれ気味な男であったが、希望すべき能力の検討を始めるため、気を引き締め、腕を組んで熟考する。

 (BETAにまた喰われる最後は御免だ。となると、遠くに逃げられる瞬間移動が一番欲しい。これは依頼達成にも必要だし……問題は能力を得ても、長距離移動できるか不明という点だ。(機動戦艦ナデシコの)ボゾンジャンプのように火星から月へ転移できるクラスだと最高なんだけど、実現性は?だし……)

 (う~ん、良い考えが浮かばない。先に二番目の希望を考えてみるか……せっかくルリになれるのならば、”電子の妖精”に相応しく高性能なバイオコンピュータを補助脳に装備してもらおう。半導体素子の代わりに生体分子素子を用いれば、大容量のメモリーが実現できるから、俺の生きた世界の情報を色々と持ち込められるし)

 (一番目の希望をどうするか……モノリスの依頼達成するには、β世界の人類にG元素を渡さないこと──そのために必要になるのは、BETAの着陸ユニットを破壊できる核兵器と先回りできる足と情報網あたりか……依頼内容的に権力者の理解・協力はほぼ無理。一人瞬間移動で核兵器を奪取するとしても、何度も使える手ではない。自分で作れたら良いのだが……)

 (自分で作る?──そうだ文明の証だ! モノリスとその手足は人類文明の数々の証を再現する情報体(データ)と能力を持っている。それを行使できれば、核や他の兵器、更には平成の便利な生活をも享受できる)

 (それに、モノリスの手足に俺を情報体化した状態で、任意の場所へ運んでもらって再生してもらえば、俺の求める遠距離(瞬間?)移動も実現できる。まめに俺の情報体のバックアップをしておけば、ナノマシンによる生体自動修復に頼らずとも元通りに再生でき、痛覚地獄は回避できる!)

 男は、生体に付与できる能力に限られるという問題をクリアーできないか頭を捻り、モノリスに却下されないように一計を案じることにした。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「モノリス様、希望する能力を決めました」

 『どんな能力かね?』

 「容姿だけでなく能力も電子の妖精になりたいので、一つ目の希望は、脳内に生体分子素子の大容量メモリーを持つ、高性能な補助脳コンピュータを作って下さい」

 『その程度のことなら問題なく付与しよう』

 「二つ目の希望は……D型端子を俺のサポートにつけて、一緒にβ世界へ送って下さい」

 『D型端子は生体に付与できるものではないから駄目だよ』

 「いえいえ、再生した俺の生体にD型端子への命令権を"付与"してもらうのですから、条件を満たしておりますよ」

 『む、それは……』

 「俺達人類より知的な存在であるモノリス様が、まさか自ら約束を破るなんてことはしないですよ、ね!」

 『むむむ……D型端子を危険宙域に指定されたβ世界へ送り込んで、僕のネットワークへBETAに侵入されたら重大な責任問題になる。他の希望に変えて欲しいのだが?』

 下手に出るモノリスに対して、男はニヤリと笑い答える。

 「ノーです。約束を守って、D型端子を下さい。ネットワークに侵入されるのが問題ならば、俺とD型端子の間だけのP2P接続にすればいいだけでしょ?」

 『問題はそれだけではない。僕の管理から離れて、D型端子が文明の発達に干渉し歪めたとなると責任問題になり兼ねない……他の希望にしたまえ』

 折れる気配のないモノリスに対して、男は別の方向からアプローチすることにした。

 「モノリス様、β世界へ俺を送る装置ってどんなのですか?」

 唐突な男の問いかけに、訝しむモノリスであったが、白い手袋をパチンと鳴らすと、床の端に大きな漏斗状の穴が出現する。男はそれに近づき漏斗の中を覗き込むと、星が渦を巻きながら回転しており、その先にトゲトゲな石ころのようなものが見えた。

 「モノリス様、この中に飛び込めばいいんですか?」

 『ああ、そうだよ』

 「これならば」と呟いた男は、振り返ってモノリスに話を持ちかける。

 「モノリス様、世の中には、本人に責任のない"事故"というものがあります。証の収集でも、たまに事故でD型端子を失うことが発生するのではありませんか? 俺が、β世界へ行くためこの漏斗に飛び込もうとして、"たまたま"躓いてD型端子も巻き込んでしまう"事故"が発生しても、モノリス様の責任ではないですよね。また、危険宙域に指定されたβ世界で、モノリス様の依頼遂行するには、"少々"文明への干渉は止むを得なかったと──言い訳もバッチリじゃないですか」

 『それは…………"事故"ならばしかたないな』

 モノリスと男の間で、合意が形成された。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 D型端子一台をゲットすることに成功した男であったが、元いた世界──β世界に対してα世界と称する──の人類文明の証に関する情報体(データ)をβ世界へ持込むのに当たって障害に突き当たった。

 それは、D型端子一台に情報体を保存できる亜空間の数が、予想以上に少ないことであった。D型端子の役目は、文明の証毎に情報体を亜空間に保存して、管理体(モノリス)に情報体をアップロードすることであり、保存用の亜空間の数を多く必要としない。

 新作本もネット小説の更新もない、ある意味島流しにされる男にとって、心の糧である人類が生み出した文化(小説やアニメ等)の飢餓危機に、ムンクの叫び状態となり、必死に知恵を振り絞り方法を模索した。

 最終的には、男が持ち込みたいものの内、デジタルデータ化出来る分(機械設計書、コンテンツ等)を選び、モノリスの仮想空間に再現された文明の証”Am○zon”のデータセンターに記録し、D型端子の亜空間に収納することにした。

 また、収納仕切れなかった分やβ世界で直ぐに必要な分は、補助脳コンピュータ用の生体分子素子メモリーに加え、生体強化用ナノマシンの一部を自動修復機能からメモリー機能に変え、これらに保存することにした。

 体外放出するナノマシンの副次的特性(命令のメモリー)を活かし、機動戦艦ナデシコにおけるコンピュータと思考を直接やり取りできるIFS機能も可能となり、男は益々電子の妖精に近づけると喜んだ。

 なお、モノリスからは、放出したナノマシンやD型端子の亜空間収納等を介して、補助脳コンピュータが浸食される恐れがあるため、BETAとの接触は極力回避するように注意を受けた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 希望する能力も決まった所で、男は重大なことに気がついた──依頼達成条件が明確になっていないことに。

 「モノリス様、依頼のG弾の使用阻止とは、俺が死ぬ原因を作った横浜のものだけでいいんですよね? 流石に人類が亡びるまでずっとG弾使用阻止となると、寿命がある俺には無理ですから」

 『横浜のG弾の使用阻止は最低限。一度こちらの世界に特異点が発生し、β世界と繋がってしまった以上、G弾の再使用による影響も大きく出る。次元の壁が安定するまでの間、全てのG弾使用を阻止したまえ。依頼の期間は、2004年末までとしよう』

 そこで男は、ふと思い出す。

 「モノリス様、俺が送り込まれるβ世界の年代っていつですか?」

 『年代については、過去へ遡及するための目印──β世界の僕の兄弟が自壊直前に発した危険次元宙域信号──がある西暦1958年になるよ』

 「確か横浜にG弾が落とされるのが1999年頃だったはず……」

 男の頭の中で再生されるルリの年齢を依頼期間に加算する。

 「え──っ! 五十歳過ぎても馬車馬のように働けと! 何てブラックな雇用主!」

 『ふっ……問題ない』

 モノリス本体の中央で、二つの白い手袋が指を組む。

 「問題ありだ! 人間歳を取ったら満足に働けなくなんるんですから、年寄りを労ってもっと依頼期間を短くして下さい!」

 『安心したまえ。ナノマシンが君のテロメア短縮(細胞老化)を防ぎ寿命を引き伸ばすから、老化で依頼に支障が出ることはない』

 「!? ……因みに、寿命が伸びるって何年ぐらい?」

 『神のみぞ知ると答えておこう。未来が分かったらつまらないだろ?』

 妙に説得力のあるモノリスの言い分に、男は納得してしまう。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 『それじゃあ、君の希望した能力と、ナノマシン及び再生希望容姿の追加サービスを君の情報体へインストールしょうか……ちょっと痛いのを我慢してくれたまえ』

 モノリスの白い手袋は本体から離れ、ピンクの液体が詰まった巨大な注射器を抱えて、一直線に男に向かって突進する。

 男は、ソファーの後ろに転げ落ちることで、一撃目を何とかかわすも、注射器は巨体に似合わぬ機敏な動きで、男の尻を狙って追いかける。

 「モ、モノリス様、ちょとこの注射器は大き過ぎです。刺さったらちよっと痛い所か、死んじゃいますよ。もっと穏便な方法にして──っ!」

 『大丈夫、大丈夫。君はもう死んでるし。君の情報体改変に、これくらいの注射器は問題ないから安心して刺されたまえ』

 実に楽しそうなモノリスの声が、ソファーやローテーブルを盾にして逃げ回る男の耳に届く。

 「モノリス様のオニ――っ!」

 文句を叫びながら、しぶとく逃げ回る男に感心するモノリスであったが、白い手袋を鳴らして、男の走る足元にバナナの皮を出現させる。

 ズリ ミ(ノ _ _)ノ ベッタ――ン!

 見事にバナナの皮で足を滑らせ、頭から床にヘッドスライディングする格好になった男の無防備な尻に、巨大な注射器がブスッと突き刺さった。

 「ギャ──ッ!」

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 男が、床に大量の涙と鼻水でプールを作る程の時間が過ぎ、全身に改変情報体が浸透した。

 ようやく起き上がった男は、ソファーにヨロヨロに辿り着き、背持たれに深々と身体を預け、自らの心の片隅に引っかかっていたことをモノリスに尋ねた。

 「本当に俺で良かったの? 代理人一人でG弾阻止を成功させるなんて、普通考えたら分の悪い賭だと思うんだけど?」

 『活性化した君の変化を引き寄せる因子は強力だから、因果律を改変して分岐世界を作り出す可能性は非常に高い。この依頼において、君が一番有望株なのは間違いない。君で駄目なら、並行世界の因果律の定めが、"そうなっていた"と諦めるしかないね』

 「俺としては、そんな重い役を任されるより、平々凡々な人生でやり直したかったなぁ」

 『何を言っているんだ。平々凡々な人生は既に十分経験しただろ。人生やり直するなら、今度は波瀾万丈な方が面白いだろ』

 「……それもそうか」

 モノリスの言葉は、男の心にストンと嵌まった。

 『時間だ』

 モノリスの声に男は頷き、ソファーから立ち上がり、漏斗の穴に向かって歩きだす。漏斗の穴の手前で、"何故"か男は躓き、その拍子に近くに浮いていた直径十cm程の白い帯の輪(D型端子)を右手で咄嗟に掴み、一緒に漏斗の穴の中へ落ちて行った。

 男とD型端子を飲み込んだ漏斗の穴は、朝顔の花びらが閉じたように捩じれ、光の槍となって仮想空間からβ世界への入り口である横浜駅跡の岩山(大型地表構造物)へ向かって行く。

 


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