β世界に生きる   作:銀杏庵

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 1958年三月の末に、社会主義国である東ドイツの工業都市ツヴィッカウに突如出現したIC製造工場の件は、国家最高機密として秘匿される一方、東側陣営の盟主であるソ連には報告された。

 そして、有人による月面到達レースに破れた以降、宇宙開発の軸足を地球の低軌道への衛星投入や無人探査機による地球外探査に移していた、ソ連の宇宙開発の各設計局にも高性能なICが齎された。

 それが切っ掛けとなり、月面到達レースで西側陣営に破れた原因──大気がほぼない月面での着陸の困難さ等──を克服するため、高性能なICによるロケットの制御技術等の開発を各設計局が競って取り組んだ。

 そして、一つの季節が過ぎ、モスクワの街が初夏を迎えた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 クレムリンのカザコフ館──そこは、赤い大国の最高権力者の執務室がある建物であり、今、その執務室を一人の男が訪れていた。

 「お喜び下さい筆頭書記! バイコヌール(カザフスタンにあるソ連の宇宙基地)において、例の技術を用いた月面着陸船の着陸実験に成功しました!」

 執務椅子に座る老人──筆頭書記は、黒檀の執務机の向こう側に立つ男から報告書を受け取り、内容に目を走らせる。

 「……素晴らしい成果だ……西側の搾取家どもが、ルゥナー(月)で我が物顔に振る舞う屈辱を、ついに晴らす時が来たか……」

 笑みを浮かべた筆頭書記は、椅子からすくっと立ち上がり、背中で手を組んだ姿勢で、背後の壁に掲げられた歴代筆頭指導者の肖像画をしばし見上げた後、振り返って問いを発する。

 「有人によるルゥナー着陸を一年以内に達成できるかね、同志?」

 「可能です」

 満足げに頷いた筆頭書記は、更なる問いを発する。

 「搾取家どもはルゥナーに恒久基地を建設し、資源強奪に乗り出しているそうだが……二年以内に追いつき、我が陣営が資源開発競争をリードすることは可能かね、同志?」

 「……潜在氷候補地情報は西側から入手済みであり、打ち上げ能力の高いエネルギア(大型ロケット)を用いれば、基地建設までなら無理をすれば二年以内に可能と思われますが……長期に渡る資源開発となると、地球とルゥナーの間での補給体制確立のため軌道ステーションの大幅な拡張に加え、新たに大型宇宙往還機の開発が必要となります」

 男は緊張した声で答える。

 「宇宙往還機の開発の目処はどうなのかね、同志?」

 「設計局の一つからブラン計画というものが提案されておりますが、予算と人と時間が……」

 「国家の威信がかかっている以上、予算も人も配慮しよう。しかし、時間は二年以内だ。ルゥナーの資源を我々の手に入れるのだ、同志!」

 厳然と言い放った筆頭書記の言葉に、否という返事が許されないことを理解した男は覚悟を決めた。

 「はっ! ご期待に添えるよう、我が陣営の科学者・エンジニアの総力を上げて取り組ませます!」

 「うむ。期待しているぞ、同志」

 筆頭書記が、ふと思い出した別件について男に尋ねる。

 「そう言えば……搾取家どもが太陽系外で人類居住可能惑星を探すため、宇宙で組み立てている探査宇宙船の建造状況はどうなっているのかね、同志?」

 「同志達の工作により、スケジュールを一時的に遅れせることに成功しましたが、大型化した有人型操作ユニット(MMU)の投入で工期遅れは回復する模様です」

 「本当にあるのかどうか分らない人類居住可能惑星を探すため、軍備の要であり貴重な核を宇宙船の推進力で浪費するとは……西側の指導者は実に愚かな輩だな」

 「おっしゃる通りです」

 男のおべっかを聞き流した筆頭書記は、心には懸念がわく。

 (……万が一成功し、西側の科学技術力を誇示されるのも不愉快だ。何が起きるか分らない宇宙で、行方不明となってもらうのも良いか……)

 筆頭書記は、暗い策を頭の中で巡らせ、同志に工作命令を出す。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六月二十一日(土)

帝都の中心からやや北寄り、南北1.3km東西1kmの築地塀で囲まれ土地は、千年以上も昔から御所と呼ばれている。

 その塀の内側の大内裏には、古にこの国の祭政の中心となった由緒ある宮殿が建ち並び、その大内裏よりも更に内側の内裏には、皇帝らの住居である御常御殿があった。

 この御常御殿は、戦後関西を襲った大型台風の被害を受け、より堅固な鉄筋コンクリートの建物として建て替えられていた。その外観は、かっての木造時代の和風建築様式の面影を残す一方、内部は西洋風な生活様式を取り入れつつも、和風の格天井に西洋のシャンデリア等和洋折衷な内装となっていた。

 その御常御殿の地下には、皇帝や家族が音楽や映画を楽しむための専用室があり、防音が施された三十畳程もある室内には、ピアノや映写機、レコード鑑賞するためのオーディオ機器が揃っていた。

 去年皇室に献上された、国産初のセパレートステレオにはレコードがかけられ、左右のスピーカーから華やかなオーケストラによる協奏曲が流れている。

 部屋の中央に置かれた肘掛け椅子に、丸眼鏡をかけた学者のような風貌の壮年の男が座り、瞼を閉じて演奏に聞き入っていた。

 男は就寝前なのか、ゆったりとしたガウンを羽織っており、椅子の近くにはサイドテーブルが置かれ、ワインの瓶とグラスが並んでいた。

 『実に良い曲ですね』

 この部屋には自分しかいないはずのなのに、近くから発せられた若い女性の声に、男はギョっとして両目を開き、声の主を探して頭を左右に巡らせ、椅子の背後も確認するも、人影はなかった。

 「……空耳か?」

 男は訝しげに呟やく。

 『空耳ではありませんわ』

 再び聞こえた若い女の声がし、その持ち主が、突然男の眼前に姿を現した。

 『何者か!』

 御所の主である皇帝が、正面に現れた二十歳代の女性に対して鋭い声で誰何し、椅子から立ち上がろうとするも、彼の口は開くものの声帯は働くことはなく、また四肢も本人の意志に応えることはなかった。

 『お寛ぎの所、お約束なしの訪問をご容赦願います』

 『私はホシノ、貴方を害するつもりはありません……余人を交えず、大切なお話をするために参りました。お身体の自由を一時的に奪わさせてもらっていますが、騒がずお話を聞いて頂けると、頷いてお約束して頂ければ直ぐに回復させます』

 しかし、皇帝はホシノを睨み付けたまま、一向に頷く気配はなかった。

 それもそのはず、ホシノの異様な容姿が人間離れしており、信用できる相手に見えなかったためである。

 この国の巫女のような衣装を着て、足元まで伸びた長い黒髪までは人間の範疇ではあったが、淡い光を身体から発し、彼女の大きな眼──金色の虹彩が幾何学模様を描いて点滅する様は、人外のものであった。

 その正体は、五月が作成した大人の姿のアバター(分身)であり、透明化して部屋に侵入したデコを中継機として、皇帝の視神経や内耳神経等に侵入したナノマシン群を使って遠隔対話しているのであった。

 『……お約束して頂けないとは……残念です。この国を襲う未曾有の危機──それも国土の半分以上を蹂躙され、人口の三割に当たる三千六百万人以上が犠牲になる大いなる災いに関わることなのですが……』

 ホシノは、切れ長の目を伏せ、悲しそうな口調でそう語るも、皇帝は眉間に皺を寄せたまま、不信の念を解くことはなかった。

 『先の大戦の十倍所ではない死者。そんな大きな災いが起きるなんて、信じられないというお顔ですね……しかたありません。ショックは大きいでしょうが、この国の未来の大災厄をしっかりと見て下さい』

 ホシノの言葉を合図に、皇帝の視神経等にとりついたナノマシン群が、α世界で彼女の中の人が横浜で体験した惨劇の記憶の再生映像を、強制的に彼の脳へ送り込む。

──斑模様をした大きな戦車のような怪物(突撃級BETA)の群が、土煙を上げながら疾走し、大型トラックを弾き飛ばし、塔のように高いビルの根元に次々に突撃し、轟音を響かせビルを破壊する様。

──甲羅のない蟹のような巨大な怪物(要撃級BETA)が、その両腕で建物を次々に破壊し、逃げ惑う人々を踏みつぶして行く様。

──馬と人の間の子のような、奇怪な赤い怪物(戦車級BETA)が、その両手で人々を次々に捕まえ、その腹にある大口で喰らう様……。

 『──!!』

 惨劇を追体験させられた皇帝は、声にならない声で絶叫し、両目は限界まで見開き、顔は恐怖に染まる。

 (心臓マヒを起さないように、酷いグロ映像はカットしておいたけど、バイタル的に刺激がちょっと強すぎたかしら?)

 額に冷や汗を浮かべたホシノは、惨劇ショックで皇帝が大人しくなったので、デコに命じて皇帝の四肢を動かす各神経や声を出す反回神経への干渉を止めさせる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「……ハァハァハァ……あの化け物は、一体何なのだ?!」

 右肘掛けにすがりつくような体勢の皇帝は、げっそりした表情をして、回復した声帯から絞り出すような声で心情を吐露する。

 『Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race──通称BETAと呼ばれる、人類に敵対的な地球外起源種です』

 ホシノは、厳かな口調で告げる。

 「BETA?! 人類に敵対的な地球外起源種?!」

 現実離れした言葉を聞いて混乱する皇帝に、ホシノは端的に答える。

 『要は、この星(地球)を侵略する異星生命体のことです』

 「…………」

 無言で見つめ合う二人。

 「タコのような火星人が、地球を襲う娯楽映画を見たことがあるが……お前の不思議な術で見せた先程の映像が、本当である証拠はあるのか?」

 皇帝は、荒唐無稽さの余り信じられない、いや先程見せられた映像を信じたくない思いで問い質す。

 『(勘の鋭い御方だ!)残念ながらタコではありませんが、先程見た化け物達が、火星から月に飛来し、そこから地球へ侵略してきます』

 『証拠については、もう直ぐ火星から届きますわ。米国の独立記念日である七月四日──時差の関係で帝国時間では五日──に、火星に着陸した米国の無人探査衛星ヴァイキング1号が、異星生命体発見の映像を地球に送ってきます。その映像には、先程の赤い怪物の脚部を映した物が。また、翌年には火星表面に異星生命体の建造した巨大建造物発見の映像がもたらされます』

 「それは証拠ではなく、予言ではないか。とてもではないが、朕は信じられん……」

 『普通、直ぐには信じられない話でしょうね……米国の無人探査衛星による異星生命体発見が公表されてから、またお会いしに来た方が、私の話に耳を傾けて頂けるでしょう』

 「そもそもお前は何者なのだ? 朕に何の目的で会いに来たのだ?」

 『……私が何者かについては、(並行世界の)未来からの使者とでもお考えください。また、私が訪れた目的は、縁があるこの国の民が生き残る道を示し、少し手助けをすることです……本日は急な訪問、失礼致しました』

 ホシノは皇帝に対して恭しく頭を下げると、す~っと消える。

 『そうそう、信用を頂くため別件の予言をお伝えしましよう。六月二十四日の夜十時十五分、阿蘇山の第一火口が噴火し、山腹一帯に多量の降灰砂で建物・人命に被害が発生します。信じて対策を打つか否かはご自由に──それで失礼致します』

 ホシノの声だけが、皇帝の耳に届く。

 皇帝は、緊張状態から解放され、椅子の背もたれに深々と身を預け、不審人物が最後に残した言葉についてしばし考える。

 「……阿蘇は、度々噴火している。確率の高い事象なんぞ、予言とも言えぬ物だが……噴火発生時間まで示すとは……」 

 皇帝は、言い知れぬ不安を抱いたものの、結局何もすることは出来なかった。今の彼は、名目上はこの国の君主ではあるが、戦後の新憲法下では実権のないお飾りであり、自らあるいは代理人を通じてであっても、政府等に働きかけることは難しい立場にある。

 後日、予言の日時丁度に阿蘇は噴火し、十人以上の死者・行方不明等を出す惨事となるのであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六月二十一日(土)

 ロンドン郊外にあるスターフィールドの屋敷。閉じられたままの主の寝室では、ベットの上で胡座をかいたルリ(五月)が、一仕事を終え緊張でこった肩をトントンと叩いていた。

 「……流石は皇帝陛下。初めてお会いしたけど、間接的対面にも関わらず、威厳半端じゃなかったわね──大東亜戦争を早期に終わらせるため、条件付き降伏を英断して、徹底抗戦を唱えて反対する軍や武家を押し切って実現させた人物」

 「それに対して、時の国務全権代行であった政威大将軍の優柔不断さ……悠陽のようなカリスマのある人格者が選ばれると思っていたのに、実態は五大武家の当主が持ち回りで選ばれるだけだったとは……情けないことに、己と家の責任回避のために、戦争途中で将軍職を投げ出す者も出る始末」

 「現状の帝国において、あの国の上層部の協力者候補探しから政威大将軍・五大武家は除外して、皇帝陛下と交渉を進めるのが良さそうね……政治とは別に、経済面の協力者も欲しい所なんだけど、この国の財閥の大半は五大武家とズブズブかベッタリな仲である以上、候補者は慎重に選ぶべきね……」

 「は~っ、それにしても今日は疲れたわね……大阪で実演販売の手伝い、御所で皇帝陛下と対面……連ちゃんで徹夜した気分だわ……う──っ、今日はもう働きたくないでござる」(´・ω・`)

 本日も心霊治療の予定があるにも関わらず、寝室から中々出ようとしないルリに、執事のジャックは散々気を揉むことになる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六月二十三日(月)

 一時間目の社会科の授業中、五月はいつものように脳内内職をしていると、遥先生が帝国の人口──約9200万人とまだ一億人に達していないらしい──や世界の人口について言及する。

 世界の人口という言葉は、五月の意識を引きつけ、彼女は脳内内職の手(?)を休め思考を巡らす。

 (そう言えば……メカ設定本によると、BETAの地球侵攻から約一年で世界人口が約三割減少とあったわよね。仮に1973年の世界人口が四十億人としたら、十二億人も死亡――α世界の人口大国である中国かインドから人間が消えるとんでも数字――ということになる)

 (BETAの着陸ユニットの降りた新疆ウイグル自治区とカナダの人口を合せても、帝国よりも人口は少ない。ユニットの着陸地域に加えて、BETAが西進したイランにかけての周辺地域の人口と軍隊の戦死者を足しても、世界人口の約三割に至るとは思えない……)

 (何か間接的な影響で、世界人口が激減する要因が発生したとしか考えられないわ。戦略核の集中投下でカナダの半分が放射能汚染されたことに伴う穀物生産の減少の可能性は──サスカチュアン州はカナダでも北寄りで、穀物地帯とは言えないから違うわね)

 (他に考えられるのは、中ソ連合軍の戦術核による焦土戦術で、汚染された黄砂が、中国、朝鮮半島及び日本列島に飛来して農作物に被害を及ぼすことだけど、死人が直ぐ出る程の強い放射線が含まれるとは思えないわね……)

 (残る可能性は、BETAの着陸ユニットの落下衝撃で舞い上がった大量の塵が大気中に漂い、日照不足で北半球に異常気象もたらしたかぐらいだけど……メカ設定本のイラストだと、着陸ユニットの大きさはおよそ五十m強で、肝心のクレーターの直径はおよそ三百m程しかないし、とても大量の塵が舞い上がったとは思えないわね……)

 何が起きたら世界人口の三割も一年で減少するのか、思いつかなかった五月は思考を打ち切る。

 (いずれにしろ、大規模災害へのリスクヘッジ(保険)は必要だから、デコの亜空間収納に原料元素を出来るだけ溜めて、食糧や燃料の支援が出来るようにしておくべきね。とは言え、無償で他人を援助するとか、そんな甘やかしをする気はないし。まあ、母国である帝国と英国には配慮してあげましょうか……)

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 同じ頃、神戸港に近い貿易センタービルの紅丸商事の本社では、

一週間後の月末に開かれる株主総会のために、定例の取締役会が始まろうとしていた。

 社長の一樹は、妻と”娘”が手がける即席ラーメン事業の幸先の良い報告を受け、普段よりも軽い足どりで、役員会議室に現れる。

 既に一樹以外の取締役は、長テーブルを囲うように、各定位置に着席しており、一樹は丸渕専務の隣となる社長席に座る。

 一樹は、丸渕専務以外の取締役五人が、緊張した面持ちをしていることに違和感を覚えた。と言うのも、テーブルの上に用意された株主説明用の総会資料は、既に調整済みであり、今日の定例取締役会はある意味最終承認のための儀式でしかなく、緊張する理由はないのである。

 議事進行役に選ばれた議長の丸渕専務が、席から立ち上がり定例取締役会の開会を宣言し、最初の議案にある正木監査役から監査報告を求める。

 「……決算報告に関する監査に関して、訂正が求められる事案が発生致しました……内部告発を受けてナルニア新鉱区探査プロジェクトを緊急監査した所、責任者の横領が確認されました。なお、責任者は行方不明「馬鹿な!」」

 「彼が横領なんかするはずがない! 何か事件に巻き込まれたのではないのか? 現地の警察は「紅井社長、報告途中ですのでお静かに願います」」

 丸渕専務が一樹の質問を止め、正木監査役に報告の続きを促す。

 「被害額は三千万以上になる見込みです……それと、新鉱区の鉱物探査報告書に関して、データ改竄の痕跡が判明しており、プロジェクトの打ち切りを視野に早急な精査が必要であることを報告致します」

 「何故だ?! 私の直轄プロジェクトにおいて、そんな重大な案件が真っ先に私へ報告されていないんだ!」

 感情を昂ぶらせた一樹が、正木監査役に問い質すも、視線を伏せたまま一樹の方を見ることはなかった。

 一樹は、テーブルを囲う他の取締役達に目を向けると、皆視線を外してしまう。次に一樹は、何時もなら文句を真っ先に入れてくる丸渕専務の方を向くと、口の両端を釣り上げた彼の顔を見た瞬間、一樹は理解した。

 (やられた! 正木監査役を含め取締役全てを抱き込んだな丸渕!)

 一樹は、怒りを湛えた双眸で丸渕専務を睨み付ける。

 「丸渕専務……ナルニア新鉱区の件は貴様がやったのか?」

 「はて? 何のことか分かりませんなぁ」

 「白々しいぞ! 私の直轄プロジェクトに関する緊急報告を握り潰すことができるのは、貴様しかいないだろ!」

 「言いがかりは止めて頂きたい! そんなことよりも紅井社長──先程の不祥事に関して、責任をどう取られるのですかな?」

 「……責任は取る」

 不機嫌そうな顔でそう答えた一樹は、口を真一文字に結ぶ。

 「ほーっ、具体的には?」

 「役員報酬のカットと、私が自ら指揮する対策チームを早急に立ち上げ、現地に赴き最小限の被害となるように処理する」

 「その程度では、来週の株主総会に集まる株主を納得させることは無理と言うもの。社長を辞任するしかないでしょう」

 「……そういうことか……丸渕、取締役を皆抱き込んで、この件で俺を社長の座から引きずり下ろし、貴様が替わって社長になり、春先に話を持ち込んだ財閥系総合商社との合併を進めるつもりだな?!」

 一樹の質問に、丸渕専務はニヤリと笑いを浮かべることで肯定する。

 「ここで俺を社長から解任しても、筆頭株主の白百合がいる限り、一週間後の株主総会で合併も社長交代も認められんぞ?」

 「ははは、問題ありませんな。他の取締役の方々も私に賛同しておられますし、紅井家以外の主な株主の説得並びに株買い取りは財閥系の方で済んでおり、当家の持ち分と合わせれば過半数を超えていますから」

 「……」

 敗北を悟った一樹は、膝の上で握り拳をきつく握り締め、テーブルを囲う他の取締役の顔に厳しい視線を巡らす。大半の取締役が罰の悪そうな顔をする中、丸渕専務派の肥料部門を統括する取締役から、代表取締役(社長)解任の審議に関する動議が出された。

 「それでは、本件の監督責任を問う紅井社長の解任審議を行ないます……特別利害関係を有する紅井社長には、出席権がありませんので退席を命じます」

 一樹は両目を閉じた後、席からスクっと立ち上がり、打ちひしがれることなく、胸を張った姿勢で役員会議室を後にした。

 その後、丸渕らは、財閥系総合商社との合併、不採算部門及び人員の大幅な合理化等、用意していた議案を次々に議決して行く。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 一週間後の株主総会で承認された紅丸商事の財閥系総合商社との合併は、各紙(新聞)の経済欄で大きく取り上げられ、株式相場を一時活気づけさせた。

 五月は、紅丸商事の社長交代を新聞記事で知って驚き、更にその週末に予定されていた恒例の赤井邸への訪問は、白百合から多忙を理由に延期の連絡があった。

 何かあったのではないかと気になった五月は、デコを神戸の赤井邸へ密かに派遣し、白百合らの動向を探った結果、社長交代がクーデターであったことを知る。

 「パパ(一樹)をはめたやつらには憤りを覚えるけれど、信頼できる優秀な経営者をフリーにしてくれたことは感謝ね……」

 「デコの亜空間収納で、BETAに奪われる前に新疆ウィグル自治区一帯にある地下資源回収も商売に十分な量が確保出来、ネルガル財団傘下で資源開発事業を本格的に行なう会社の社長を探している所だったし……パパならば、経歴及び人なり的にも信頼できるわ」

 「デコの回収した鉱物等資源を、採算が十二分に合うような高い含有量の大鉱脈として、こちらの好きな場所の地下に、採掘し易い形で配置することも出来る。資源開発事業は高収益な経営が見込まれ、ネルガル企業グループの財務基盤を担ってくれるはず」

 五月はネルガル財団トップのルリとして、一樹のスカウトを指示した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 熱帯に属するナルニアは、夜の帳が降りても中々暑さは引かず、それ所か酒場や賭博場等に繰り出した人々の熱気も加わり、真夜中まで街は暑い。

 治安の悪いスラム街にあるマフィアの建物の室内は、天井で回る巨大な羽根(シーリングファン)以外、暴風が荒れ狂ったような有様──破損しひっくり返ったソファや机、床には砕けた酒瓶やグラスの数々に加え、倒れている十人程の男達等──であった。

 「……さて、依頼人をしゃべる気になったか?」

 ビジネススーツ姿の黒髪の男、一樹が、顔面が腫れ上がった男の襟首を両手でつるし上げながら問い掛ける。

 「ぼんどゔぁ……じぃらない……」

 口を割らない相手に、一樹は無表情な顔をしたまま、襟首を締めつける力を上げようとした時、背後から突然、窓ガラスが割れる音と共に、何かが室内に飛びこんで来た。

 一樹は、つるし上げている男が盾になるよう素早く身体を入れ換え、飛びこんできたものの正体を確かめるべく目を向けると、飛びこんで来て、床で伸びているのは少年であった。

 更に一樹が視線を上げ、割れた窓ガラスの向こうを見ると、身長二mもあるプロレスラーのような男と、頭一つ分低い細身の男がならんで立っていた。

 「探しましたよ、ミスターアカイ……子供だからといって背中を向け油断されるのはいけませんな」

 そう言いながら細身の男は、奪い取ったピストルの銃身を片手で握り、一樹に見せつけた後、敵意はないことを示すためそれを割れ窓から室内の隅に放り込む。

 そして、細身の男とプロレスラーのような男は、ヒョイと割れ窓を飛び越え、室内に入ってきた。

 一樹は、訊問していた男の鳩尾を殴り失神させ、警戒心を強めながら遠い異国の地で日本語で話しかけて来た細身の男の方に問い掛ける。

 「確かに私は紅井だが、どこかでお会いしたことがありましたか?」

 「いえ、初めてお会いします。申し遅れましたが、私はこういう者です」

 黄色い鼈甲フレームの眼鏡をかけた、どじょうヒゲの男性──プロスが、両手でさっと名刺を一樹に差し出す。

 「それと、私の後ろにいる彼は、護衛の堀井豪人君です」

 友好的な笑みを浮かべて話しかけるプロスであったが、一樹の目にはうさん臭い人物にしか見えなかった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「……ネルガル財団?」

 「まだ創設して間もないため知名度はありませんが、ロンドンに本部を置き、人類の危機に備えることを目的とした財団です」

 「人類の危機って……大げさでは?」

 一樹が怪訝な顔で疑問を口にすると、プロスは人指し指を顔の前で左右に振りながら、説明をはじめる。

 「いやいや、大げさな話ではありませんよ。十八世紀の産業革命を契機として、この世界の推定人口は、十九世紀はじめに十億人だったものが、1927年頃には二十億人を突破し、ここ数年の内には三十億人に達する見込みだそうです。幾何級数的に増加ペースを上げる世界の人口は、二十世末には六十億人にもなり、世界各地で食糧と資源の奪い合いで争いが発生──最悪、第三次世界大戦が勃発──しかねません」

 (と言うのが、財団設立の建前ですけどね……)

 「それは……幾らなんでも再び大戦が起きるのは考え過ぎだろ。国連もあることだし……」

 「地下資源開発や食糧輸入に携わる商社の経営者だった貴方ならば、食糧も資源も算術級数的にしか増加しないのはお分かりのはず……資源がなければ経済は衰退し国が傾き、食糧がなければ革命が起きる。人口爆発で状況が逼迫すれば、寄り合い所帯でしかない国連が、まとまって対処できると本気でお思いですか?」

 「……」

 「我が財団は、そうした人類の危機に備えるべく、地下資源開発、食糧生産向上及びその他必要な技術の革新を助長することを使命としております」

 (本当は、BETAによる地球侵攻に備えるためなのですが……)

 「……財団設立目的は分かりましたが、そこの人事部長が私にどのようなご用件でしょうか?」

 「資源開発事業部門のトップとして、貴方をスカウトしに参りました。報酬や福利厚生等の待遇は前職よりも優遇致しますぞ。因みに年俸は、これぐらいでいかがでしょうか?」

 そう言いながらプロスは、懐からミニソロバンを出して、珠をパチパチとはじいて金額を見せる。経済成長中の帝国で一流企業の社長でもありえない報酬額の提示に、一樹は目を丸くする。

 厚遇ではあるが、一樹としては、財閥系総合商社との合併で紅丸商事が大幅な首切りや事業のリストラを発表し、職を失う社員達の面倒(再就職斡旋等)を見るつもりであるため、スカウトに応じる気はないと断る。

 「そうですか……困りましたな。スカウトに応じて頂けるならば、紅丸商事から解雇される方々の受け入れや、撤退を決めた海外資源開発事業の幾つかを継続しても良いと、財団トップから指示されておりますが? ……亡くなられたこの国のご友人の意志を継いで、新鉱区探査プロジェクトを継続してはいかがですか?」

 「!?」

 (こちらの内情を、そこまで調べあげているのか──恐ろしい程有能なスカウトだな……とは言え、素人の気まぐれで鉱山開発・経営が出来るものではない)

 「素人が鉱山開発に手を出すのは、溝に金をいたずらに捨てるようなもの。止めておいた方がいい。うまくいくのは、千あるうち三つあれば良い方だぞ」

 一樹は、鉱山開発の成功率を知るプロとして、諭すように告げる。

 「いや~っ、本職の方のご心配はごもっとも……しかしながら、財団が資源開発事業に乗り出すことを決めた背景には、成功率百%を実現できるダウジング(棒等を使って水脈や鉱脈を探り当てる占い)の逸材がいるからです」

 プロスの説明に、一樹は目の前の人物の所属する財団が、詐欺師に騙されていると思い、少々可哀相になってしまった。

 そんな哀れみを含んだ視線の意味を理解したプロスは、

 「詐欺に引っかかっている訳ではありませんのでご心配なく。”彼”のリモートダウジングは、ロンドンにいながら海外のとある国で、宇宙開発で高い需要が続くレニウム(ロケットエンジンの耐熱性を高める材料)の大鉱脈の在り処を的中させた実績があります」

 そうと言って、プロスは懐から銀白色に輝く正六面体の金属サイコロ──一辺が二センチもあるもの──を取り出し、一樹に手渡す。

 その価値の高さを知る一樹は、ぶるっと身体を震わせる。

 「まさか本当なのか……年間数トンしかとれない稀少なレニウムの大鉱脈なんか発見されたら、東西冷戦の軍事バランスをも揺るがし兼ねんぞ!」

 「ええ……軍事や宇宙開発でも引っ張りだこなレニウムですから、その鉱脈の所在地も精錬・保管の場所も全て極秘としており、少量を定期的にLME(ロンドン金属取引所)へ出すようにしております」

 「財団トップが申すには、レニウムは資源開発事業を興す単なる元手でしかないそうです。リモートダウジングで、他にも貴重なマイナーメタル等の在り処が分かるそうですよ──世界を動かす仕事をしてみませんか、ミスターアカイ?」

 プロスの口説き文句に心動かされた一樹ではあったが、この国に来た用件を終え、帰国して家族と相談してから返事をすると伝えた。

 


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