β世界に生きる   作:銀杏庵

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13 オーナー

 六月十九日

 赤みを帯びた星が、暗い宇宙に浮かんでいた。

 その星に向って十か月にも渡る長い旅をしてきた、米国の無人探査衛星ヴァイキング1号は、火星周回軌道へ入るための減速噴射を開始する。

 月面到達レースを制した米国が、火星でも東側陣営に先んじて、火星着陸を成功させようと、満を持して送り込んだのがヴァイキング1号であった。

 それまでの火星の探査は、衛星軌道からのものばかりで、着陸しての探査は米ソ共に悉く失敗に終わっていた。その原因は、火星の希薄な大気で十分な減速が行えず、着地ダメージを被ってしまうこと、また、地球から遠い火星への飛行は無人にならざるを得ず、トラブル対処が適切に行なえないこと等による。

 そうした失敗を克服するため、米国は月面到達レースの勝因であるICを用いた自動制御技術を向上させ、今回の火星初着陸に挑むのであった。

 無事火星周回軌道に乗ったヴァイキング1号は、三日後、火星最大の盆地であり、地下に氷層存在の可能性が高いユートピア平原内で着陸地点の選定を行なう。

 そして、米国の独立記念日である七月四日に合わせて、軌道船から分離した着陸船が、火星の大地に着陸する予定であった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 六月二十一日

 関西の梅雨入りは例年六月上旬頃なのに、今年は下旬に入っても梅雨入りの気配がない。そのせいか、関西では初夏を通り過ぎて夏日のような暑さが連日続いていた。

 半日授業の土曜日、学校から帰った五月は昼食を取ると、フレンチメイド服にも見えるエプロンドレスに着替えて外出しようとする。その五月の服装を玄関で見た葛葉老人は、何やら物言いたげな顔をしていたが、五月は今日のイベントを成功させるために必要だと言って押し通す。

 五月が、葛葉老人と一緒に市電と電車を乗り換えて、大阪梅田の百貨店に到着すると、暑い中にも関わらず、地下食料品売り場は食材を買い出しに来た沢山の主婦の姿があった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 歩きながら品定めに余念のない主婦達の何人かが、とある一角で両手にとある物を持って、客引きをしている小さな外人の可愛らしい女の子や、その後ろで実演販売している中年男の声に足を止め、人垣に加わり始める。

 「そこの綺麗な奥様方! この場限りの耳寄りな話をお教えいたしますよ!」

 ザンバラ髪の頭に、捩り鉢巻きをした眼鏡の中年男性が、料理人が着る白い服が今いち似合っていない姿で、集まった客を前に口上する。

 「手に持っているこの新商品……たったの二分で出来上がる魔法のような中華ソバ(当時の一般的な呼称)──ハイカラ(流行先取り)な人は、ラーメンと呼んでいるよ!」

 集まった客の大半は、半信半疑な目を鉢巻き男に向ける。

 「調理の仕方は簡単そのもの! この即席ラーメンとスープの素を器に入れて熱湯を注いで蓋をするだけ! 手間いらずで美味しくて栄養満点なラーメンが食べられるよ!」

 鉢巻き男は、乗りの良い調子でしゃべりながら、キビキビと手際良く台の上に用意された丼に乾燥麵を入れ、魔法瓶の注ぎ口からお湯を注ぎ、液体スープの素を入れたら、さっと丼に蓋をする。

 鉢巻き男は、待ち時間の二分の間、集まった客を相手に、あると便利な”ゼンマイ式台所小時計”の宣伝や笑い話で客の足を引き止める。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 台の上の台所小時計が、チンチンチンという音を鳴らす。

 「はい、出来上がったよ!」

 鉢巻き男が、台の上に置かれた丼の蓋を取ると、湯気が立ち昇ると同時にスープの良い香りが周囲に広がる。客達は、丼の中で膨らんだ麵の様子を見て、皆一様に驚いて目を丸くする。

 鉢巻き男が、出来上がった丼の中の麵とスープを幾つかの紙コップに分けて、前列の客に試食を勧める。

 試食した主婦達は、「あら!」、「ほんまの中華ソバやわ!」、「汁が美味しい」等と驚きや賞賛の声があがり、その様子を見守っていた周囲の客達は、鉢巻き男の口上が本当だと分かり騒めき出す。

 「この魔法のような即席ラーメンがあれば……子供のおやつを切らしてしまっても、急な来客や夜中に帰宅した旦那の食事の用意が必要になっても、さっと対応できる便利な一品!」

 「中華料理店でラーメン一杯食べようと思ったら四十円前後はするよ! 手軽で直ぐに食べられる、この即席ラーメンは一袋たったの三十五円。これはもう買うしかないよ奥様!」

 迷いをみせる客達の間から声が上がる。

 「高い! 乾めん一袋でさえ二十五円、もっと負けなさい!」

 流石はシビアな大阪のおばちゃん、簡単にはサイフの紐を緩めることはない。

 「いやいや、奥様。この即席ラーメンをそこら辺の乾めんなんかと比べちゃいけませんぜ……何とこの即席ラーメンのスープには……お肌をツヤツヤにするコラーゲンが含まれているんですよ!」

 「その証拠に、家の女房のこの肌の艶の良さをみてやって下さい!」

 鉢巻き男は、後ろから真横へ出てきた中年女性を指さすと、彼女は笑みを浮かべながら、両手を裏返して顔の横に持ち上げ、頬と手の甲の肌が艶々している様を見せる。客の主婦達は、穴があくのではないかという程にじっと見つめる。

 「家の女房のように、毎日食べ続ければ──実は試作品の片づけで連日食べた結果──、張りのある綺麗なお肌を手に入れられるんですよ、奥様!」

 美容に良いという鉢巻き男の言葉に、集まった奥様方の目がギラっと光るも、しぶとい大阪のおばちゃんの一人が抵抗を試みる。

 「この暑い時期に、熱い物なんてねぇー」

 「ふふふふふ……こんなこともあろうかと──こんなこともあろうかと……この新商品は、暑い日にぴったりな料理に変身させる秘密技があるんですよ!」

 鉢巻き男は、怪しいオーラを背後にゆらめかせながら、台の上に用意された少し深目の皿に乾燥麵を入れ、魔法瓶の口からお湯を注ぎ蓋をする。

 鉢巻き男は、目を閉じて両腕を組み、時間が来るのをじっと待つ。客達も何が起こるのか、興味津々な様子で見守る。

 台所小時計が鳴り出すと同時に、鉢巻き男は両目をカッと開き、蓋と皿を両手で持ち、空いているお碗に皿の中のお湯を捨てる。鉢巻き男は、お湯が十分切れた所で皿を台の上に置き蓋を取ると、皿の中の膨らんだ麵から湯気が立ち昇る。鉢巻き男が、台の下から取り出した黒い液体の瓶を左手に持ち、その中身を麵にかけながら、右手の箸を使って黒い液体を満遍なく麵にからめて行く。

 鉢巻き男が、最後の仕上げに青海苔と紅生姜でトッピング完了と同時に、

 「即席焼きそばの出来上がりーっ!」と晴々した声で宣言する。

 「「「「!」」」」

 「更に! 捨てたお湯に、この液体スープの素を入れて混ぜれば、焼きそばを食べる時の吸い物にもなる!」

 無駄のなさに客は皆しきりに感心する。

 鉢巻き男は、皿の中の焼きそばを紙皿に幾つか小分けし、また、お碗のスープを幾つかの紙コップに注いで、試食の品を最前列の客らへ試食を勧める。

 「「「「……」」」」

 ラーメンにも焼きそばにもなる新商品に、大阪のおばちゃんもついに陥落し、客達は競って買い求め、用意した新商品は飛ぶように売れ、応対する五月達はてんてこ舞いとなる。

 その様子を、離れた所から見ていた紅井夫人は、出資者兼経営責任者(社長)として即席ラーメンの商品力の高さに大いに手応えを感じ、いい笑顔を浮かべていた。

 この日用意した即席ラーメン三千食分は、夕方になる前に全て完売することになった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 百貨店を後にした五月達は、即席ラーメンを製造している、大阪市東淀川区の琵琶湖運河沿いの倉庫を改装した工場に集まった。

 事務所のテーブルに積み上げられた本日の売上げ(百貨店の場所代を差し引いた粗利益)である硬貨と札の山を前にして、先程から少々タガが外れた鉢巻き男がいた。

 「ハハハハハ、儲かって笑いが止まらん! ──そうだ、これを元手に競馬で一発あてれば──あべしーっ!」

 鬼のような形相をした人物が、お茶を配り終えたお盆で鉢巻き男の頭を叩いたのだ。

 「アンタ、何また馬鹿なこと考えてるのよ! 借金した工場の運転資金を全額競馬に突っ込んで、全部すったことをもう忘れたの! 次は本当に離婚だよ、この宿六(ろくでなし)が!」

 (瓜畑の奥さん、オリエさんも大変だなぁ……プロスさんに探し出してもらった、この世界の瓜畑は、アニメと同じく腕は職人級だけど、からっきし弱い癖に賭け事が好きな典型的駄目人間なのよね……とは言え、家も工場も失った上に借金まみれだったから、小学生の私の設計図にも関わらず、自動製造ラインの機械造りを引き受けてもらえたのだし……結果オーライよね)

 五月は、夫婦喧嘩を横目に、紅井夫人らと一緒にまったりとお茶を飲みながら、ここまでの道のりを振り返る。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 時は三月の下旬に戻る。

 光月弁護士を代理人に立てた帝国航空との損害賠償交渉は、政府の働きかけで上限が倍額になった所で、五月側は和解に応じた。他の遺族は、それでも不満ということで、集団訴訟を起こすらしい。

 家庭裁判所から一か月以内に被後見人(五月)の財産目録の提出が求められ、葛葉老人から依頼を受けた光月弁護士事務所では、父親の遺産調べ作業が行なわれていた。

 相続手続きを光月弁護士に任せて、ある程度楽をしている五月であったが、本人の署名や捺印が必要な書類が色々とあるため、彼女は葛葉老人と一緒にしばしば事務所を訪れていた。

 「え~っ! 七十%も相続税がかかるんですか?!」

 五月が、父親の遺産の概算額に関する書類を見て、思わず声を上げてしまう。

 五月の疑念に光月が答える。

 「お父上の残された遺産額が、最高税率が適用される四千万円を超えるのが確実というのが原因です……お父上は、ロンドンで金融商品や銅など先物取引を熱心に行い、資産を大幅に増やされていたようです……外交官という立場で、色々な早耳情報があったのでしょうね」

 「……(インサイダー取引やっていたの、お父様)」

 心の中で、天国の父親につっこみを入れてしまう五月であったが、帝国の人間はインサイダー取引という認識が希薄で、海外赴任中の外交官のそうした行為は問題視されていなかった。α世界の日本でも、巨額損失発生の公表前日に融資銀行が当該会社の保有株を売却し、インサイダー取引が初めて社会問題になったのは1987年である。

 「有栖川さんのお父上が、有栖川家を継いでおられれば話は違ったのですが……」

 「どういうことでしょうか?」

 首を傾げる五月に、光月は言い難そうな顔をしながらも答える。

 「実は……武家や公家等の旧華族の家督相続(当主の身分と財産を一人で相続すること)では、最高五十%までとする優遇課税が適用されます」

 「どうして、そんな封建時代の名残のような優遇が……戦後の米軍の占領政策下で、そういった不公平なものは廃止されたのではなかったのですか?」

 「ええ、一旦は廃止されたのですが、占領が終わり帝国が独立すると、帝国議会の大勢を占める武家派の国会議員が、伝統を守る歴史ある家──実質的に旧華族──に対して、家督相続の優遇を復活させてしまいました」

 「……不公平であっても、『悪法もまた法なり』ですか……」

 肩をすぼめた五月は、国会議員である榊を応援して、不公平な優遇措置の是正に頑張ってもらおうと思った。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 三月の終わりに帝国航空から五月へ賠償金──二人分で三百三十万円──が支払われると、父親に金を貸したと言う者、寄付を求める者及び赤の他人に借金を申し込む者等、金に群がるハイエナ共が次々にやって来た。

 勝手に押しかけて騒ぎを起こす彼らのせいで、葛葉老人はカフェを閉めざるを得ない事態がしばしば発生した。

 五月の方でも、実家に勘当されていることを知らずに親戚を名乗る間抜け共が、登下校中の彼女に執拗に纏い付いて来たが、皆"何故か"転んで足の指を骨折し、救急車で退場することになった。また、隣近所や商店街で、賠償金や遺産でお金持ちになったと囁く声を耳にした五月は、人の妬みの深さに嫌な気分になった。

 そんなハイエナ共の来襲は、四月が過ぎても終わらない。ハイエナ共は、五月の手元に大金があると思ってやって来るのであるが、既に賠償金は費やされてしまっていたことを知らなかった。

 と言うのも、父親の葬儀費等を精算し、弁護士費用も概算で前払いしており、残った分を五月は特許や実用新案の申請及び商品化のための会社設立等に費やしてしまっていたのである。五月が成人するまでに必要なお金は父親の遺産で足りていたこともあり、後見人たる葛葉老人を説得し、賠償金を残さず使うことに了解を得ての話である。

 五月が、色々と特許等を申請する気になったのは、この世界に巻き込まれたナデシコの優秀な人材を確保するために会社を興そうと思ったのが切っ掛けであった。しかし、幾ら優れた特許や実用新案であっても、普通は直ぐに大金が得られる訳ではない。父親の多額の遺産があると言っても、それを会社設立に注ぎ込むなんて、葛葉老人の許可は無理である。例え大金があっても、後見人の許可がいる上に、昼間は学校のある五月の身では、会社経営は難しい。

 五月は考えた末に、時差を利用して英国で別人になりすませ、代理人を使って会社(多国籍企業ネルガル)を興し、ナデシコやマブラブ等の優秀な人材や資源の確保及びα世界の未来技術の提供等は、そちらに任せることにした。

 一方帝国内では、入学希望先の学習院での人脈作りで、成績だけの人間では名家の子弟から侮られ兼ねないことから、五月はそれなりの社会的地位を得る事を画策する。

 なお、全国に名前を売る機会である旭日新聞社の懸賞金付き小説への応募作品は、政治家、官僚及び財閥による権力・利権の闘争を背景に、所得倍増計画を掲げた宰相が政策を果断に実行して、帝国を真なる高度経済成長へ飛躍させる話を書き上げた。

 五月は、一か月もかからず書き上げたその作品を知り合いに読んでもらった所、特に国会議員の榊から高い評価と政治にまつわる貴重な助言をもらえた。ただ、榊からは知識も人生経験も浅いはずの五月が本当に執筆したのかと疑われたので、彼女は国会図書館に通って勉強した成果(経済・産業構造の分析、政策効果試算等)の裏付け資料の束を見せて、納得してもらった……多分したはずだ。

 裏付け資料を読んだ榊が、知り合いの経済企画庁(帝国の長期経済計画の策定や各省庁間の経済政策の調整等を行なう所)の官僚や他の議員に見せたいと言ってきたので、彼に資料を預けることにした。 

 五月は、修正し完成した小説の原稿用紙入り封筒を持って、隣のS神社の神様に、「一千万当たりますように」と念入りにお祈りをして、四月末の締め切り間際に郵便ポストへ投函した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月が、小学校に通うようになった最初の土曜日の午後、隔週ペースで定例となっている、神戸の紅井家邸宅を彼女は訪れようとしていた。黒井の運転する外車には、五月の他に何時もと違って葛葉老人も一緒であった。

 最初に五月達を出迎えてくれたのは、紅井夫妻ではなく、玄関に近いロビーで"妹"に早く会いたいと、ソワソワしながら待っていた二人の息子(公夫と忠夫)の方であった。

 「ただいま! 公夫お兄ちゃん、忠夫お兄ちゃん」

 「「お帰……」」

 兄弟は、ドアを開けて邸内に入ってきた五月の、一段と可愛らしい姿に見惚れてしまい、歓迎の言葉が途中で止まってしまう。

 五月は、袖の長い白いブラウスに包まれた両腕を斜め上に持ち上げ、袖口がフレア状に広がったレースとフリルの飾りに半ば覆われた手で、立ち尽くしている兄達に次々に抱きつく。

 五月の艶やかな銀色の髪には、飾りである黒いミニハットがちょこんと載り、愛らしい彼女の笑みを一層魅力的にしていた。彼女の首下には、ふわふわした白いレースのジャボ・カラー(胸飾り)が飾られていた。また、黒を基調としたエプロンドレスに似た服には、袖・裾等各所に白いフリルやレースで凝った飾りがあしらわれ、膝丈まであるスカートは下に着用した白いパニエで綺麗なシルエットを描いていた。脚は、飾り模様付きの極薄な黒いストッキングに包まれ、足首をストラップで固定した黒いミディアムヒールの靴をはいていた。

 五月に抱きつかれ兄弟は、二人とも目尻を下げデレデレになる。

 (フフフ……流石は、萌え悩殺力(?)の高いα世界のゴシック・アンド・ロリータ・ファッションね! お兄ちゃん達でこの反応ならば、パパもママも私のお願い即OKかしら)

 黒い自信をつけた五月は、妹キャラの萌えポイントを更に獲得しようと、自ら兄弟と手つないで一緒に廊下を進んで行った。

 応接室にいた紅井夫人は、息子達が嬉しそうに五月と手をつないで部屋入ってきたのに、目ざとく気がつく。

 「あらあら! 兄妹揃って仲が良くて、ママ、とっても嬉しいわ」

 五月は、立ち上がって迎えてくれる紅井夫妻に近づいて、いつものように、白百合、一樹の順にハグして挨拶を交わす。

 「今日の五月ちゃん、とってもお洒落ね──色が黒と白しかない服だけど、可愛いさを一層引き立てるデザインが、本当に似合っているとママ思うわ」

 「白百合ママ、ありがとう。以前プレゼントしてもらった生地と小物等を使って、五月、頑張って可愛いお洋服を作ったのよ」

 自慢げに語る五月に、ポーズをとって洋服の良さをアピールしてみせると、白百合と一樹は親馬鹿になって誉めちぎる。

 「……こんな可愛い娘の姿を、写真に残さない訳にはいかないな──黒井、頼む!」

 一樹の言葉に反応し、カメラを持った運転手の黒井が、忍者のように不意に現れ、五月と一緒の写真を紅井家の人々は交代で撮り、最後に五月を真ん中にして"家族"写真とあいなった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 お茶をしながら、五月は通い始めた学校での出来事を紅井一家の面々に語り、団欒の時間を過ごした後、本日、彼女が葛葉老人を伴って来た用件に入る。

 料理長の浅井が、とあるものを持って来た所で、五月はおもむろに椅子から立ち上がる。

 「今日は、皆に食べてもらいたい、(この世界では)私が発明した凄い物をものがあるの──この国の国民食になるのは間違いなしなの!」

 紅井一家及び料理長らを前にして、無い胸を張った五月が、自信満々に前口上述べ、持参した籐かごから茶色い塊を幾つか取り出し、テーブルの上に用意された五つの茶碗(茶碗蒸し用の磁器)に入れ、ポットのお湯を注いだ後蓋をする。

 五月は、出来上がりまでの時間を利用して、発明品の説明を始める。

 「この国で人気のある食べ物に、中華ソバというものがあります」

理解顔の一樹に対して、白百合と息子達は揃って(・_・?)な顔して首を傾げる。

 (ラーメン食べたことないんかい! このブルジョワ共め!)

 まさかの出鼻くじきに、五月は内心でつっこみを入れる。

 浅井の説明を聞いた白百合は、

 「……お煮麺(だし汁で茹でたそうめん)のような料理なのね」

 (見た目はそうなんだけど……)

 白百合の認識の微妙さに、五月は眉を八の字に下げる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「美味しい料理なのですが、家庭で食べるとなると小麦粉を練って麵を作るまでに大変手間と時間がかかるので、手軽に食べることが出来ないです。だから、中華ソバ屋や屋台で食べることが多く、人気店だと長蛇の列が出来る程に庶民に人気な食べ物でなの」

 「そこで、長期保存が出来て、かつ、どこでも簡単に作れて直ぐに食べられる、美味しい中華ソバの考案に挑戦し、完成したのが先程茶碗に入れた、これなの!」

 五月は、右手に持った茶色い塊を紅井夫妻に見せるように掲げる。 

 「今までにない新しい物なので、即席ラーメンと命名した、この味付き乾燥麵は、お湯で柔らかい状態に戻る特殊な製法で作られており、特許申請中なの」

 「熱湯を注いで二分待てば、あ~ら不思議、食べ頃の美味しいラーメンが魔法のように完成……そろそろ時間です。お手許の茶碗の蓋をとって、食べてみてね」

 紅井一家と浅井が、茶碗の蓋をとって、興味深そうに中身を覗き込む。大人達は箸で麵をつついて観察していたが、兄弟はかぐわしい匂いに釣られ箸を使って麵を口に入れる。

 「「うまい!」」

 兄弟の一言で、大人達も麵を口に入れ、その柔らかい麵と味の良さに驚く。その様子を見た五月は、満足げに拳を握り締める。

 「今回の試食用では味付け麵にしたけど、麵とスープを別にした方が生産効率はアップし、地域毎の味の嗜好に対応し易いです。また、試食して頂いている物は、間食用の小さい物ですが、食事用の大きい物でも同じく二分でOKなの」

 「湯と器、箸又はフォークがあれば、家庭、職場、野外、列車や船等、どこでも手間いらずで美味しい食事が直ぐに食べられるの──それが意味する所は……」

 五月のいわんとすることに、紅丸商事社長である一樹は察した。

 「経済成長した国では、都市を中心に家事や食事等の時間節約傾向が現れており、帝国はもとより欧米先進諸国でもこの即席ラーメンは受け入れられる余地があるわ──それは世界的規模の巨大な市場を開拓できる可能性があるということなの」

 「先ずは国内市場開拓になるけど、主な原料となる小麦粉は、国の格安物(米主体の帝国では、GATT加入で反対国に確約した小麦を政府が輸入するも、需要が限られるため赤字処分品)があり、製造原価は低く、利益率は高い商品を提供出来るはずなの」

 「だから、パパとママ! ──いえ、紅丸商事の社長とオーナー! 私の考えた即席ラーメンのビジネスに投資して下さい!」

 「紅丸商事にとっての利点は、即席ラーメンの販売を扱うことで、取扱高が停滞気味な御社の食品部門の売上げを伸ばせる上に、国が処分に困っている輸入小麦を引受ることで、外貨割当への配慮が期待できます」

 五月の前に座る、紅井夫妻から浮ついた雰囲気は消え去り、真剣な表情に変わる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 五月による、紅丸商事の社長とオーナーへのプレゼンは成功した。

 当初、紅丸商事社長である一樹は、商品の将来性の高さから会社として全面的支援(子会社設立)する話が出たが、食品部門を統括する丸渕専務の反対で潰れ、紅井家による出資及び人的協力という話になった。

 プレゼンを成功させた五月も、二%の株式を得る対価として出願中の即席麺関連特許を提供し、更に英国のルリも出資に加わり、即席ラーメン事業を行なう資本金九百万円の株式会社”紅井&N”が、四月中旬に誕生した。

 共同オーナー(株主)の一人となった五月は、ルリの持つ議決権も委ねられ会社の会長──名誉職な非常勤──に就き、同じく共同オーナーの紅井家を代表して、白百合が会社の実務トップである社長に就任した。なお、将来の勉強ということで、一樹の意向で長男の公夫が、秘書兼雑用として手伝うことになった。

 実働部隊のトップは黒井が担当し、工場用建物、原材料及び従業員等諸々の手配に奔走することになった。そこでも、丸渕専務の嫌がらせがあり、原材料を紅丸商事から格安で融通してもらうことが叶わず、白百合と親しい大空寺商事から供給を受けることになった。

 工場の中身である、即席ラーメンの自動製造ラインに必要な機械設備に関しては、五月がα世界の情報をベースに設計図の線を引けたものの、今まで既存にない機械をつくれる職人探しが問題となった。

 職人探しは、葛葉老人のカフェの常連客であるプロスに依頼し、五月は駄目元である人物の名前を告げて探してもらった所、機動戦艦ナデシコの天才メカニックの瓜畑正也が見つかり、彼女は大いに喜んだ。

 この世界の瓜畑は、機械の精密加工の腕前は名人級であったが、所有する工場も家も土地も借金のかたに銀行に差し押さえられた上に、更に闇金からの大きな借金を背負っていた。

 五月は、そんなどん底生活の瓜畑家に対して、糊口をしのぐための発明品(たまご焼き器及びゼンマイ式台所小時計)と幾ばくかの資金を貸し与え、売る方法も伝授した。妻のオリエは、瓜畑が作った二つの発明品を持って関西の料理学校を訪れ、花嫁修行する新米料理人な生徒に実演して見せた所、好評──特に、寄せて巻くのが難しい玉子焼きを簡単に成功させる、中央が窪んだ”たまご焼き器”──を博して、多くの注文を得て瓜畑家は一息つく。

 難しい機械づくりを見事に果たした瓜畑に対して、五月と白百合は、彼からの技術流出を防ぐため、会社で彼の借金を肩代わりすることで彼ら一家を囲い込む。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「……実演販売って、私が思っていた以上に良く売れるのね……売れ残りが出るんじゃないかと心配していたのだけれど、用意した三千食分が完売するなんて本当に驚きだわ」

 社長の白百合の言葉に、五月は過去の回想から意識を戻した。

 「実演販売は、派手な見せ物で客の興味を引きつけ、周囲の雰囲気に押され商品を衝動買いさせる手管です。まあ、今回の完売の功績は、商品性が半分、私の提案した実演販売を瓜畑さんが上手に頑張ったのが半分と言った所ね」

 そう言って五月は、本日の功労者である瓜畑を誉める。

 α世界において、実演販売の活動場所が百貨店でも行なわれるようになったのは1960年代からであり、その効果を熟知していた五月は、この世界でも先んじて今回実施を提案したのであった。

 「おっ! お嬢ちゃん会長、嬉しいことを言ってくれるぜ。功労金をはずんでくれよ」

 調子に乗る瓜畑に、五月は笑いながら答える。

 「いいわね、社長にお願いしましょう」

 「おっ、ありがたい!」

 「──今回は、瓜畑さんの借金立て替え分から功労金分を差し引くのはどうでしょうか、社長」

 「五月ちゃんの案を採用します」

 「そ、そんな……」

 情けない顔をする瓜畑に、周囲からどっと笑いが漏れる。

 「(社長と兼務な)営業部長としては、実演販売の手法の提案、販売量の読みの確かさといい、五月ちゃんの功労も大きかったと思うけど?」

 「私の功労金は、瓜畑さん「お嬢ちゃん会長、ありがとう!」──ではなく、内助の功がある奥様のオリエさんへお願いします」

 瓜畑は、喜んだのも束の間、絶望的な顔になる。その横で、笑顔のオリエが五月に感謝する。

 「さて、皆さん。今日のテスト販売の成果を受け、百貨店から継続販売の依頼が入っています。営業の面々は、即席ラーメンは、売れる商品と自信を持って他の百貨店にも売り込んで下さい。社長の私も、大口が期待できそうな所にトップセールスをかけます。一緒に頑張りましょう」

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 即席ラーメンは、六月下旬から行なわれたテスト販売を経て、九月から正式発売となり、マスコミの宣伝活動──特に被災地への食料提供──の効果もあって、売上げ数量は日に日に増え、九月下旬には飛ぶように売れ出す。

 すると、正式発売前に小売店ルートの窓口である問屋に営業をかけても、「こんな物は売れない」と言って取り扱おうとしなかった問屋からの注文が大量に入るようになる。

 工場の自動製造ラインは、膨れ上がる注文に対応するため、操業時間の延長(残業)を繰り返すも、品不足は中々解消しなかった。

 社長の白百合は、この品不足状況を利用して、問屋との即席ラーメンの取引に関して現金前払い方針を打ち出した。

 この当時の商習慣では、問屋に品を納めても、実際に金が支払われるのは二、三カ月先が当たり前であったため、即席ラーメンの爆発的人気は会社の資金繰りを悪化させる要因となっていた。

 現金前払いは、会社の資金繰りを改善させるだけでなく、未回収金の発生も防ぎ、規模拡大投資のための内部留保を着実に増やして行く。

 やがて、関西で爆発的人気の即席ラーメンに目をつけた複数の商社が、紅井&Nとの販売代理店契約を結ぶことになったが、その中に紅丸商事の名前はなかった。

 




参考・引用文献
 書籍名:食足世平 編集:日清食品株式会社社史編集部、発行:日清食品株式会社
 書籍名:安藤百福、著者:筑摩書房編集部、発行:株式会社筑摩書房

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