遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々― 作:masamune
それは、とある家族の日常だった。
何の変哲もない家族の、小さな旅行。
僕は、この光景を。
一生、忘れないだろう。
聞こえたのは、耳を切り裂くような高音。
そして、目を覆う光。
抱き締められたという認識が。
あの日の、最後の記憶。
耳を塞ぎ、目を閉じる。
やめてくれと、己にさえも聞こえぬ声で呟いた。
多くを望んだ覚えは無い。
ただ、あの日々が続けばいいと――続いていくものだと、信じていた。
信じていたのに。
あの日、全てが失われた。
黄昏の日々が始まり。
暗い道を歩み続けて。
そして、その果てに――
「……マスター……」
涙を孕んだ声の主の姿さえ。
今は、見ることができない。
◇ ◇ ◇
地下駐車場に靴の音が響き渡る。音の主は一人の女性――神崎アヤメだ。名門プロチーム『東京アロウズ』に所属し、若くして副将のレギュラーとして名を連ねる女傑だ。
主な獲得タイトルは一昨年の〝新人王〟や、昨年度国民決闘大会U‐25三位入賞などがある。
所謂『若手』にあたるのだが、その実力は確かな人物である。
(とりあえず、帰ったら明後日からのオーストリア大会へ出場する準備をしないと……)
自身の車のカギを開けつつ、この後の予定を確認する。リーグ戦のシーズン中であってもレギュラークラスのプロデュエリストは外の大会へ数多く参加している場合が多い。主にランキングのためであったりスポンサー獲得のためといった理由があるのだが、アヤメの場合は少々理由が特殊だ。
(ちゃんと勝って、私のデュエルを証明しなければ)
憧れだけで入学したアカデミア。そこで己の限界を思い知らされ、挫折しかけた時。
当時から技術指導最高責任者として指導をしてくれていたクロノス・デ・メディチ教諭と、新任教師としてアカデミアへ赴任してきたばかりの響緑。そして出会った、城井という友。
共に目指そうと誓ったプロの世界に彼女は来なかった。ならば、神崎アヤメがすべきことは決まっている。
あの騒がしくも楽しく、辛く、苦しく、かけがえの無い日々で手にした自分のデュエルを。
この力が嘘ではないことを、ニセモノではないことを証明するために。
(最近は特にきな臭い噂も多いですし、色々と気を付けないと)
プロの世界は試合ごとに多くの金が動く。そのため、それに絡んだ数々の問題が発生するのも世の常だ。
アヤメなどは今でこそ無縁でいられるが、プロの世界へ入った頃はそういう話も何度か聞いた。幸いと言うべきか、所属したチームが東京アロウズという名門であった事。当時から選手会長として活動し、現在もアロウズの先鋒として活躍する天城京一郎と出会えたこともあって無縁でいられた。
カードプロフェッサーというギルドが存在し、実際に所属メンバーが世界ランキングに名を残していたり各地で数多の大会が行われている中で雇われた彼らが参加しているという現状において、そういうことが発生するのは必然だ。だがそれでも、アヤメは思う。
黎明期に活躍した伝説のデュエリスト達。彼らに憧れ、DMを手に取った。なればこそ、自分もまたそうありたい。
このデュエルを見て、DMを志してくれるような。そんな、デュエリストに。
「今帰りか?」
車のロックを開けると、そんな声が聞こえてきた。見ると、そこにいたのは藤堂晴――東京アロウズの主将であり大将、アヤメの後に控える人物である。
「お疲れ様です、藤堂プロ。天城プロの方へは行かれなかったのですか?」
「相変わらず他人行儀だな……。京さんの方も行きたかったんだが、野暮用が出来てな。俺も今帰りだ」
言いつつ晴が親指で示したのは一台の中型バイクだ。手入れはされているようだが、相変わらず日本のトッププロが乗るには少々小さく感じる代物である。
まあ、アヤメはバイクについて詳しくないのでもしかしたら相応の品なのかもしれないが。
「珍しいですね。いつも天城プロと計画されているのに」
「まあ酒は好きだからな」
肩を竦める晴。天城と彼の年齢差は十以上あるのだが、その関係性は年の離れた兄弟といった感じだ。この二人を中心として、東京アロウズは常勝チームとなっている。
「まあ、飲み会自体は守る意味もあるからな。特に高卒上がりの奴らを」
「……やはり、あるのですか?」
「俺がプロ入りした頃ほど露骨じゃないけどな。プロ資格の取得には筆記試験があるとはいえ、あれは一般教養の試験だ。常識まで測るもんじゃねぇし、特に高卒連中は若過ぎるせいで所謂先輩からの言葉には逆らえねぇ」
溜息と共にそう言葉を紡ぐ晴。この手の問題は本当に厄介だ。背後にいるのが反社会勢力であることもあるが、何よりDM協会そのものが背後にいると目されていることが最大の問題である。
元々DMはかの天才ゲームデザイナーにして現I²社会長ペガサス・J・クロフォードが生み出したものであり、その普及にはKC社のソリッドヴィジョンシステムが大きく関わっている。だがこの二社は日本DM協会において発言力こそあるものの積極的に関わってはいない。
そしてプロリーグを始め、多くの大会を取り仕切る日本DM協会だが、ここは昔から黒い噂が絶えないことでも有名である。多くの利権が絡む以上仕方が無いのだろうが、そのせいもあって色々と気を付けることが増えているというのが現状だ。
「厄介ですね、本当に」
「京さんが色々手を回してるけど、やっぱり限界があるしな。その辺気を付けてる選手が多いとこならいいが、そもそも監督やコーチが関わってるとこもある」
「同僚ならばともかく、上司となると断ることも難しいですね」
「本郷の野郎なんかはそれで頭抱えてたな。妹の方はああだから全く気にしてねぇみたいだが」
「本郷プロはまあ、桐生プロの盟友ですから」
「アレもアレで色々あるみてぇだがな」
肩を竦める晴。そのまま彼は、じゃあな、とアヤメに別れの挨拶を告げた。
「大会頑張れよ。……あと、くれぐれも気を付けろ。協会の方も色々と派閥争いでキナ臭い」
「ご忠告、感謝します。藤堂プロもお気を――」
「――派閥争い、か。興味がある。是非、私にも話を聞かせてはもらえないかね?」
聞こえてきた声に、二人は同時に振り返った。
人の気配など微塵も感じなかった。ここは地下駐車場である。音が反響しやすく、人が現れれば気付くと思ったが……。
「誰だ? ここは部外者立ち入り禁止だぞ」
牽制するように言い放つのは晴だ。だがそれもそのはず。目の前にいる男は、通常とはかなり外れた格好をしていた。
純白のスーツとネクタイに加え、手入れの施された長い金髪を後ろで束ねている。気品のある笑顔を浮かべている所から、『貴族』なるものがいたらこんな風なのだろうか、とどうでもいいことをアヤメは思った。
「ふむ、それは失礼。だがこちらに彼女がいると聞いたものでね」
「あぁ?」
「もしかして、私……でしょうか?」
アヤメは首を傾げる。彼の姿には覚えが無い。というより、彼の様な知り合いがいたら忘れないと思うのだが。
「うむ、そうだ。アヤメ・カンザキとはキミのことだね?」
「はい。確かに私は神崎アヤメですが……。すみません、何の御用でしょうか」
「ああ、これは失礼。ご婦人に先に名乗らせるとは礼儀がなっていなかった」
言うと、男は姿勢を正し、ゆっくりと告げた。
「私の名はニコラウス・ベッセ・ハインリッヒ伯爵。以後、お見知りおきを」
◇ ◇ ◇
カードプロフェッサーと呼ばれる者たちがいる。
現在では所属者は200人を超えているとされるギルドに所属する彼らは、いわばフリーのプロデュエリスト集団だ。その活動は主に世界各地で行われる大会への出場である。その形も様々で、ギルドの名を背負う形で出場する場合や、主催者に雇われる形で出場する場合もある。
世界中で大小様々な大会が開かれ、多くのスポンサーがつくDMの大会。これらには大会規模や参加者によってある程度ランク付けがされており、当然ランクが低ければ参加者もそれなりの者しか集まらないし資金が動くことも無い。
そこで大会にレベルを上げるために呼ばれるのが彼らだ。元々は才能ある子供をかのペガサス・J・クロフォードが集め、育て上げたことが始まりと言われており、今も彼の愛弟子とでも言うべき者たちはギルドでも上位に君臨している。
ちなみにギルド創設にはペガサスの愛弟子たちと黎明期に活躍したとある〝伝説〟が深く関わっている。日本では賞金稼ぎという印象が強いが、海外、特に欧州では彼らの影響力が強いこともあってプロを目指す際にプロフェッサーとなる道を選ぶ者も多い。
そしてニコラウス・ベッセ・ハインリッヒ――この男の名は、そのプロフェッサーギルドで見かけることができる。
「……間違っていたら申し訳ありません。A級カードプロフェッサー、ハインリッヒ殿でしょうか?」
「ああ、〝灰貴族〟か。見覚えあると思ったら」
「私のことを知ってくれているとは光栄だ。ますますキミの評価が上がったよ」
どこか嬉しそうに笑うハインリッヒ。しかし、と彼は苦笑と共にどこからともなく薔薇を取り出しながら言葉を紡いだ。
「貴族と言っても没落貴族でね。伯爵などと名乗っているが、私自身は貴族というものに対して拘りは無い。事実、今の私はしがない雇われの身だ。よければキミたちのチームにも加われるがどうかね?」
「流石にそれは私では……」
「A級プロフェッサー雇うとか年棒払えねぇよ。試合単位で金要求するくせに」
「ふむ、残念だ。今なら三割引きで請け負うのだが。――さて、本題といこう。私の身の上話などどうでもいい。アヤメ・カンザキ――キミを我らのギルドに勧誘したい」
えっ、という言葉が思わず漏れた。晴は無言。ハインリッヒは更に言葉を続けてくる。
「キミのデュエルの記録は見させてもらった。素晴らしい技術だ。そう、技術。キミは世に溢れるデュエリスト達とは大きく違う戦い方をしている」
「戦い方、ですか?」
「Yes、戦い方だ。キミのデュエルはそう、まるでチェスの様だ。キミたちの国に合わせれば将棋と言うべきなのか……まあ、それはいい。多くのデュエリストは追い詰められた時に引く一手――逆転のドローに全てを懸ける傾向がある。だがキミは常に思考を止めず、最後のドローさえも己のデッキに組み込まれたカード群から予測して戦術を立てている」
「……それは」
当たり前のことではないのか、とアヤメは思った。自分が作ったデッキであり、ある種命さえも預けるデッキだ。そのデッキを用いたデュエルにおいて、全ての可能性を計算しつくすのは当然のこと。
よくチームメイトなどが「あの時引けて良かった」などと話しているのを聞くが、アヤメには実を言うとその感覚が全くと言っていいほどわからない。カードをドローする際、デッキに残っているカードとそれぞれの枚数は確定しているのだ。ならば来たカードが何か、このカードが来たら、という考えでは無く、残るカードのうち何を引いても迷うことなく動くのが当然ではないのか。
「ふむ、やはりか。キミにとってそれは当たり前の在り方なのだろう。師に恵まれたのか、それともキミ自身の気質か。おそらくはキミの本質に気付いた者がそう教えたのだろうな」
かつての自分、そのデュエルの基礎を築いてくれた二人を思い出す。
あの二人が教えてくれたのは徹底的な計算だった。自分は良くも悪くも運については平凡だ。逆転のドローをすることもあるし、逆にどうしようもないカードを引くこともある。昔はそのせいで勝率が安定せず、苦労した。
だから計算することにした。徹底的に計算し、常に相手と自分の動きを予測していく。序盤こそ攻防には無数の手があるから大変だが、終盤に行くにつれて勝利への道筋が見えてくるようになる。
詰将棋のようだとは何度も言われた。そして気付けば〝玄人〟等と呼ばれ、〝新人王〟とまで呼ばれるようになっている。
「だからこそ、キミの力はプロフェッサーに相応しい」
「……私はプロを名乗ってまだ三年目の若輩です。評価して頂けるのはありがたいですが……」
「――時に、プロフェッサーにとって最も必要な資質は何だと思う?」
アヤメの言葉を遮るようにハインリッヒは言葉を紡ぐ。その問いに答えたのは晴だった。
「実力だろ」
「ほう、流石は世界ランカー。真理をつく。キミもどうかね?」
「もう何十回も断ってるだろうが」
「キミもわからん男だ。なぜ極東の島国に拘るのか……。キミほどの力があれば、栄光など思うがままであろうに」
「そういうのはどっかのクソジジイに任せりゃいいんだよ」
肩を竦めて言う晴。ふむ、とハインリッヒは頷くと改めて、とアヤメへと向き直った。
「確かに彼の言う実力も重要な要素ではあるが、それよりも優先されるモノがある。――安定性、だ」
安定性、という言葉に二人同時に眉をひそめた。プロとして勝利していく以上、安定性が必要になってくるのは当たり前だ。その安定性の為に強さが必要になるはずだが……。
「前提条件の違いだ。我々の仕事はクライアントの望む結果を示すこと。観客を沸かせるところまでは個人のサービスに過ぎない。例えばキミたちや個人プロであるならば強さとは別にエンターテイメントとしての役目も要求されるだろう。
だが、我々はそうではない。我々の役目は大会レベルの向上を始めとした実際的なモノだ。エンターテイメントは他の参加者の役目と言える」
「……成程、一理あります」
一般参加のみで開かれる大会、特にプロアマ合同の大会などはどうしてもそのレベルが低くなりがちである。名のあるプロは参加を渋るし、賞金なども多くは無いからだ。
そういう場に主催者から雇われる形で参加するのがカードプロフェッサーだ。名の売れた実力者たる彼らが参加することで箔を付けるわけである。成程確かに単純な強さよりも期待される実力を発揮する安定性が必要になるだろう。
「そういう意味でキミは十分に資格がある。どうかね?」
「……私は私を拾ってくださった東京アロウズに恩があります。申し訳ありませんが――」
「――本当にそうかね?」
笑みを浮かべ、ハインリッヒがそう告げた。
ゾクリと、背筋に悪寒が走る。
「キミのデュエルには一つの目的が見える。己の証明――否、己のデュエルの証明か。だがエンターテイメントを求められる今の世界ではキミのデュエルは万人が受け入れることは無い」
「それは私が未熟なだけです」
「さて、それはどうだろうか。キミ自身気付いているだろう? キミに向けられる謂れなき嘲笑の言葉に」
「…………」
無言を返す。だが、それが何よりも雄弁な回答だ。
「キミの力は我々の下でこそ輝く。さあ、この手を取りたまえ」
右手を差し出すハインリッヒ。アヤメは即座に断ろうとして、しかし、何も言い出せなかった。
(……迷っているのでしょうか)
いずれは個人プロとなり、世界を目指そうという目標はあった。国外の大会に積極的に出場しているのもそのためだ。
そして、彼が言ったことにも心当たりがある。
(『華がない』と言われたことは、何度もありました)
堅実なデュエルとは言われている。だがどうしても一発逆転の派手なデュエルを行うことは難しく、また、性分にも合わない。
それでもと、自分自身のスタイルを否定しないために戦ってきた。
プロの世界は、強いだけでは生きていけない。
そう理解してしまうことが、怖くて。
「……私は」
「迷いがあるようだね。ならば、どうかね? 私とデュエルをするというのは」
そう言ってハインリッヒがデュエルディスクを取り出す。そして彼は気品のある笑顔のままデッキをセットした。
「デュエルには全てが宿る。これはギルドの創始者の言葉でね。私自身も心からそう思うよ。故に、キミ自身の答えを得るためにも、ギルドの力を知る意味でも。――デュエルといこう」
有無を言わせぬ言葉だった。思わず晴の方を見ようとし、アヤメは思い止まる。この男が言葉を投げかけているのは自分だ。ならば、その返答に他者を介入させてはならない。
友人からも悪癖だと言われた部分だ。何かの答えを出す時、決断を下す時。アヤメは絶対に他人の意見を聞こうとしない。もし聞いてしまえばそれは『甘え』になるからだ。彼が、彼女がこう言った――失敗した時、躓いた時、僅かでもそう思ったしまう事を許せない。
真面目過ぎるとは自身でも思う。けれど、こういう性分だからこそ出会えたのだし、ここにいることができている。今更変えることはできない。
「わかりました。私では役者不足と思いますが――」
デュエルディスクを取り出し、構える。ハインリッヒが何を言う、と微笑んだ。
「キミには舞台に立つだけの素養と資格、そして技術がある。さあ踊ろうか。私の誘いを受けてくれるかね?」
その言葉を聞いて、少しアヤメにも余裕が出てきた。吐息を一つ零し、応じる。
「ダンスは苦手ですが……、それでもよろしければ」
「構わんさ。踊りを知らぬ淑女をリードするのは貴族の義務だ。かのシンデレラの王子がそうであったようにな」
「私はガラスの靴など履いていませんし、魔法も掛けられてはいませんが」
「我らにとってはデュエルディスクがその代わりだ。魔法が掛けられていないというのなら、その美しさは本物ということだろう?」
「……お上手ですね」
流石に没落したとはいえ貴族ということか。この手の話には慣れている。
まあ、自分は舞踏会に出るような柄ではないし、色気も無い女だ。やるべきことをきっちりやればいい。そういうモノを目指してきたし、これからもそれは変わらない。
「神崎」
声が聞こえてきた。その声は先程までの軽い調子では無く、試合前、或いは試合中に聞く声色だ。
「はい、大将」
故に、そう応じる。小さく笑った気配が背中越しに感じられた。
「気を付けろよ。相手は祖国に背いて没落し、それでも〝灰貴族〟って蔑称を栄誉の敬称に変えた男だ。そんな男が弱いはずがない」
「私のことをそこまで評価してくれるとは……ありがたい」
食えない人です、と晴の言葉に応じたハインリッヒを見て思う。未だに腹の底が読めない。
(本当に勧誘だけだったとして、何故このタイミングでというのもあります)
冷静になると色々と妙な状況だ。このデュエルについてもどこか、こうなるように誘導された気もする。
目的はデュエル。しかし、何故?
疑問は尽きないが、一旦それは置いておくべきだろう。目の前の相手は考え事をしながら相手にできる程楽な相手ではない。
「それでは、始めよう」
互いにデュエルディスクを展開し、そして。
「「――決闘」」
静かに、始まりの言葉を告げた。
◇ ◇ ◇
デュエルディスクが先行後攻を決める。先行は――ハインリッヒ。
「私の先行。私は手札より『マスマティシャン』を召喚し、効果を発動。デッキから『エヴォルド・ラゴスクス』を墓地へ送り、カードを一枚伏せてターンエンドだ」
マスマティシャン☆3地ATK/DEF1500/500
眼鏡をかけたまるで学者の様な居ずまいをした魔法使いが現れる。召喚時にデッキから墓地へモンスターを送る効果と、戦闘破壊されるとカードを一枚ドローできるという強力な効果を持つ。
そして墓地へ送られた『エヴォルド・ラゴスクス』――あまり覚えの無いカテゴリだ。
(私に知識がないということは、何をされるかがわからないということ。ならば確実に、私の戦術を押し通す)
動きがわからないならば、いつも通りを行うだけだ。それができるだけの下地はある。
「私のターン、ドロー。手札より永続魔法『炎舞―天穖』を発動。デッキからレベル4以下の獣戦士族モンスターを手札に加えます。私は『剣闘獣ラクエル』を手札に加え、召喚」
剣闘獣ラクエル☆4炎ATK/DEF1800/400→1900/400
現れたのは炎を纏った獣戦士だ。剣闘獣というカテゴリにおいては主力モンスターである。
「バトルです。ラクエルでマスマティシャンを攻撃」
「破壊されるが、効果によりカードを一枚ドローさせてもらうぞ」
ハインリッヒLP4000→3600
それは必要経費だ。こちらには次の一手がある。
「バトルフェイズ終了時、ラクエルをデッキに戻すことで『剣闘獣ベストロウリィ』を特殊召喚。そして効果を――」
「その瞬間、リバースカードを発動させてもらおう。――『激流葬』。モンスターが召喚、特殊召喚された瞬間、場のモンスターを一掃する」
破壊されるベストロウリィ。何かがあると思ったが、厄介なカードだった。
(とはいえ、一体の被害で済んだのならば上々です)
最悪なのは纏めて二体以上巻き込まれる場合だ。そうならなかっただけ僥倖と言える。
「私はカードを二枚伏せて、ターンエンドです」
それにベストロウリィが落ちたことには意味がある。『剣闘獣ダリウス』で釣り上げれば剣闘獣の切り札たる『剣闘獣カイザレス』まで繋げられる。
元々このデッキは一気にアドバンテージを得られるようなデッキではない。一手ずつ、確実に。それが選んだ在り方であり、生き方だ。
「ふむ、この程度では揺らがんか。まあそうでなくては困るが。――私のターン、ドロー」
ハインリッヒがカードをドローする。そして彼は静かにカードをデュエルディスクに差し込んだ。
「魔法カード『浅すぎた墓穴』を発動。お互いのプレイヤーは墓地からモンスターを一体、セットする。私はエヴォルド・ラグスコスをセットする」
「私は剣闘獣ベストロウリィをセットします」
エヴォルド・ラグスコス☆3炎ATK/DEF1200/500
剣闘獣ベストロウリィ☆4風ATK/DEF1500/800
相手依存であり、裏側守備表示と制約こそあるがレベル関係なく蘇生できるカードが発動する。何をする気だろうか。基本的にイメージとして浅すぎた墓穴は碌な事をしない気がするのだが。
「そして魔法カード『テラ・フォーミング』を発動。デッキから『古の森』を手札に加える」
古の森―そのカードに、アヤメは表情を僅かに変えた。厄介なカードだ。剣闘獣ならば踏み倒せる制約効果だが、逆にこちらの行動がそのせいで読まれ安くなる。
「やはり素晴らしい。このカードを用いても、あまり警戒してくれないことも多くてね。制約の意味、そしてこれを私がわざわざ使うということの意味を理解しない者が多くて困る」
言うと、ハインリッヒはその魔法を発動した。
「ここは少々殺風景だ。美しき世界へと招待しよう。――フィールド魔法、『古の森』」
周囲の景色が変わった。鬱蒼と生い茂る木々。まるで神話の世界の様な神秘的な雰囲気を持つ場所へと。
「ここは我が領地にある森に似ていてね。いい風景だろう? もっとも、人攫いの妖精が出るという伝説のせいで人が近寄らんのだが」
「領地、ね。未練でもあんのか?」
問いかけたのは晴だ。それは挑発では無く、純粋な疑問のように聞こえる。
故にハインリッヒも静かに応じた。
「違うな。これは誇りであり、義務だ。〝Noblesse oblige〟――我らは生まれながらにして特別であることを定められている。ならば相応の義務を負うこともまた真理だ。もっとも、最近の貴族はそれさえも忘れた愚物が多いようだが」
嘆くように息を吐くハインリッヒ。その姿を見て、アヤメは思わず問いかけた。
「〝ソーラ〟を否定されたのは、そのためですか?」
「……祖国の恥を晒すことになるが、その通りだ。あんなものが無くとも、ミズガルズ王国は立ち上がれる。生きていける。誇りさえ失わなければ、いくらでも強くあれる。
しかし、そう信じていたのは私だけだったというだけの話だ。愚かな没落貴族の物語だよ」
言うと、パチン、とハインリッヒは指を鳴らした。
「我が誇りをキミに示そう。――古の森が発動した瞬間、場の守備表示モンスターは全て攻撃表示となる。この時、リバースモンスターの効果は発動しないが――」
エヴォルド・ラグスコス☆3炎ATK/DEF1200/500
剣闘獣ベストロウリィ☆4風ATK/DEF1500/800
ラグスコスとベストロウリィが攻撃表示となる。瞬間、ラグスコスが吠え、彼のデッキからモンスターが姿を現した。
「――ラグスコスの効果はリバースした時に発動するモノ。よって効果が発動する。その効果は、デッキより『エヴォルド』モンスターを特殊召喚する効果だ。――『エヴォルド・ナハシュ』を特殊召喚!」
エヴォルド・ナハシュ☆炎ATK/DEF100/2000
現れたのは小型の蛇のようなモンスターだ。そして更に、とハインリッヒは魔法カードを発動する。
「魔法カード『孵化』を発動。自分の場のモンスターを一体生贄に捧げ、デッキからレベルが一つ高い昆虫族モンスターを特殊召喚する。私はナハシュを生贄に、『赤蟻アカストル』を特殊召喚! 更に池にとなったナハシュの効果発動! このカードが生贄に捧げられた時、『エヴォルダー』を一体デッキから特殊召喚できる! 私は『エヴォルダー・ダルウィノス』を特殊召喚し、効果発動! エヴォルドの効果によって特殊召喚されたため、場の表側表示モンスターのレベルを二つまで上げることができる! ラグスコスのレベルを二つ上げ、☆5とする! そしてチューナーモンスター、『スーパイ』を召喚!」
エヴォルダー・ダルウィノス☆5炎ATK/DEF2200/700
エヴォルド・ラグスコス☆3→5炎ATK/DEF1200/500
赤蟻アスカトル☆3地・チューナーATK/DEF700/1300
スーパイ☆1地・チューナーATK/DEF300/100
場に並ぶ四体のモンスター。来る――アヤメが身構えると共に、まるで舞台の役者のように両手を広げながらハインリッヒが告げる。
「私は空が好きでね。太陽が浮かび、蒼く染まる空を見上げ、世界を巡る雲に思いを馳せ、月明かりの下、輝きを失わぬ星を眺める――それが一番の贅沢だった。だがそれを、この世界が許さぬというのなら」
背後で、四体のモンスターたちが光の粒子となって変化する。
(連続シンクロ……!)
チューナーたる二体がそれぞれ輪となり、モンスターをその内へと受け入れる。
「世界を変革しよう。例えそれが、〝白〟に染まる道であったとしても」
そして現れるのは、二体の龍。
太陽と月。その光を纏い、それは降臨する。
太陽龍インティ☆8光ATK/DEF3000/2800
月影龍クイラ☆6闇ATK/DEF2500/2000
思わず、吐息が漏れた。
太陽と月。数多の物語で描かれるそれらが今、一つの威容と共にそこにある。
「我が一族の誇り。その身に受けてなお立ち上がれるか。――ここからが本番だ」
◇ ◇ ◇
圧倒的内容を前に、ぐっ、とアヤメは唇を引き結んだ。
(――正直、マズい。まさか一瞬でここまで)
見たことの無いモンスターだが、そのステータスだけでも十分脅威だ。
(『古の森』があるため攻撃を躊躇する、などということも無いでしょうね。あれを除去する手段があるはず。始動キーとしての役目を果たした以上、何らかの方法でその制約からは逃れてくるはず)
そこを怠るような相手ではないだろう。だが、ハインリッヒはその予想を覆す。
「勝負といこう。――インティでベストロウリィを攻撃!」
「なっ……!? ッ、リバースカードオープン! 罠カード『幻獣の角』発動後ベストロウリィの装備カードとなり、攻撃力を800ポイントアップさせます!」
「だがインティには届かない。ベストロウリィを撃破!」
アヤメLP4000→3300
アヤメのLPが削り取られる。だが、これは。
(まさかあの二体には効果破壊に対する耐性が……!?)
そうとしか思えない。ならば『古の森』との相性は抜群だろう。相手にだけ戦闘後の破壊を押しつけることができる。
だが、二体ともというのは理不尽に過ぎる。そうなれば、太陽と月という名の通り場に揃うことで真価を発揮する?
(しかし、月は確かに太陽の写し身と呼べる存在ですが、共に必ず沈む存在。沈まぬ太陽も月も存在しません。明けない夜が無いように、暮れない昼もまた存在しないはず)
ならば何だ、と思考を巡らせる中、月の一撃が叩き込まれた。
「月影龍クイラでダイレクトアタックだ」
アヤメLP3300→800
きっちり幻獣の角の分が無ければ狩られていた数字。凄まじい強さだ。
「これを凌ぐとは。益々興味が湧いた」
「ッ、しかし、これでその二体は」
「ふむ。確かにそうだ。争いを嫌う古の森は、戦闘を行ったモンスターをエンドフェイズに破壊する」
二体の龍が沈んでいく。破壊耐性では無い、ならばとアヤメが思考を巡らせた瞬間。
「……何故……!?」
太陽龍インティ☆8光ATK/DEF3000/2800
太陽は沈まず、悠然と君臨していた。
「月が沈むなら太陽が浮かぶのは道理だ。更に月は太陽が存在してこそ輝く。よってインティが存在する限り、このカードが破壊された次のターンのスタンバイフェイズ、クイラが蘇る」
その言葉にアヤメは息を詰めた。あまりにも厄介過ぎる。
恐ろしいコンボだ。浅すぎた墓穴――コンボは既にあそこから始動していた。ここで出したモンスターは古の森によって強制的に攻撃表示とされ、更に牽制の意味を込めて『人食い虫』等のリバースモンスターをセットしても古の森によってその効果は否定される。
そしてインティという大型モンスターによってLPを削られ、古の森によって追いつめられる。攻撃するだけでモンスターが破壊されるのだ。どうしても出足は鈍くなってしまう。
対し、あちらは破壊されても蘇る手段がある。何と一方的な効果か。
「私はカードを一枚伏せ、ターンエンドだ」
「私のターン、ドロー」
「スタンバイフェイズ、月影龍クイラが蘇る」
月影龍クイラ☆6闇ATK/DEF2500/2000
再び姿を現す月を見て、思考を巡らせる。厄介なモンスターだ。アレを突破するのは難しい。
(あの二体を完全に除去するとなると、除外するしかありませんね。しかし現状その手段は用意できません。バウンスも同様)
何をすべきか、何ができるか。思考をフル回転させ、アヤメは手を打つ。
「魔法カード『ヒーロー・アライブ』を発動! LPを半分支払い『E・HERO』を一体特殊召喚します! 私は『E・HEROプリズマー』を特殊召喚し、効果を発動! 融合デッキの『剣闘獣ヘラクレイノス』を見せ、『剣闘獣ラクエル』を墓地へ! これにより、プリズマーがラクエルとなります! 更に罠カード『リビングデットの呼び声』を発動! 墓地のベストウリィを蘇生し、二体をデッキに戻すことで融合します!」
E・HEROプリズマー(剣闘獣ラクエル)☆4光1700/1100
剣闘獣ベストロウリィ☆4風ATK/DEF1500/800
アヤメLP800→400
元々次のターンは無い。ここで押し切り、その上で次の準備をしなければならない。
「――『剣闘獣ガイザレス』!!」
剣闘獣ガイザレス☆6闇ATK/DEF2400/1500
現れるのは剣闘獣の代名詞。このモンスターの効果は、正しく確実に相手を砕く。
「ガイザレスの効果を発動! 融合召喚成功時、場のカードを二枚破壊します! インティとクイラを破壊!」
砕かれる太陽と月。だが月が沈み、すぐさま太陽が蘇る。
「流石に見事。しかしここからどうするつもりだ?」
「私の剣闘獣は戦闘を全ての起点とします。よってそのためのカードはいくつも組まれている」
バトル、とアヤメは宣言した。その瞬間に発動するのは――
「――速効魔法『収縮』! 相手モンスターの攻撃力を半分とします!」
実は最初から手札に会ったカードだ。幻獣の角があったために手札に持っていたのだが、このカードならば太陽を超えられる。
(古の森はチェーンを組む効果です。故に破壊前にガイザレスを戻し、ダリウスとレティアリィを特殊召喚。更にレティアリィの効果でクイラを除外すれば、太陽は蘇らず、月も沈む! そしてダリウスの効果でラクエルを蘇生し、ガイザレスを出せば、場の『天穖』の効果で攻撃力は3100――場の防備は十分)
そして手札にあるのは『禁じられた聖槍』だ。これならば押し切れる。
「インティ、撃破!」
ハインリッヒLP3600→2700
太陽が沈む。アヤメは更に効果を発動しようとし、気付いた。
「なっ……!?」
「――太陽に近付き過ぎた英雄は、蝋で塗り固められた翼を焼かれ、地に堕ちた」
アヤメLP400→-800
ガイザレスが焼け落ち、アヤメのLPが削り取られる。
何が、と思わず呟いた瞬間、ハインリッヒが二度三度とその手を打ち鳴らした。まるで拍手のように。
「ガイザレスの効果でクイラの効果を使わせ、更にインティを戦闘で砕く。そしてガイザレスを古の森で破壊される前に分解し、レティアリィとダリウスを特殊召喚。その後、クイラを除外した上でキミの切り札であるヘラクレイノスへと繋げる」
素晴らしい戦術だ、とハインリッヒは頷いた。その顔には純粋な称賛が浮かんでいる。だがアヤメは、何故、と消えていくソリッドヴィジョンの中で焦燥と共に言葉を紡ぐ。
「私の戦術を、どうして」
「仕掛ける私がキミの戦術を調べるのは当然のことだ。勧誘しようというのだから尚更だな。そしてキミは予想通り最適解を出そうとした。素晴らしい洞察力と思考技術だ。故にこそ、私に敗れたわけだが」
言われ、気付く。つまり、相手はこちらを最大限警戒し、その上で最適解を予測した上で仕掛けてきたのだ。
苦笑する。太陽と月――その能力を蘇生だけと断じたのが早計だった。だが、実際あそこではそれ以上の手は無かっただろう。
(戦闘以外で倒す手段がなかった以上、こちらは詰んでいたというわけですね)
相性で言えば最悪の部類だったと言える。だがそれでも。
(成程、格が違う)
最初から最後まで相手の掌の上だった。こうも見事にやられると、清々しささえ感じる。
一度吐息を零し、アヤメは改めて一礼をしようとして――
「――――――――ッ!?」
その視界が、純白に染め上げられた。
◇ ◇ ◇
いきなり膝をついたアヤメに、晴は思わず駆け寄った。その方を掴み、呼びかける。
「どうした?」
「――始まったということだ」
告げたのはハインリッヒだ。彼はデュエルディスクを取り去ると、懐から白いハンカチを取り出す。
そこに描かれた文様に見覚えは無い。ただ、わかるのは。
「何をしやがった」
精霊の力では無い。その類の力であるならば、自分は気付いている。しかし、今この段階に至っても晴には何もわからない。
「信仰だ。人は己に無いモノを求め、己以外のモノへと縋る。私は代理人として問いかけるだけに過ぎん。今の己が至らぬと知り、理解し、打ちのめされた時」
ハインリッヒはアヤメを見る。その瞳には、どこか憐みの様なものが浮かんでいた。
「目の前にその全てを補う〝力〟があったとして。……果たして、それを否定できるか?」
◇ ◇ ◇
そこは漆黒の世界。
光なき世界。
「…………」
ただ一人、そこに自分は立っている。
誰もいない。いるのは自分だけ。
しかし、聞こえてくる。
『華が無い』
『派手さがない』
『人を惹きつけない』
面と向かって言われたことは無くても、知っている。それは自分に対する言葉だ。
知っていた。自分に足りないモノがあると。
知っていた。それは得られるものではないと。
だからスカウトという役目を負うことにした。自分に無いモノ――人を惹き付ける〝何か〟。それを持つ者を見る事で、自分にも何かが得られるかもしれないと。
そして多くの者たちと出会い、気付く。
〝持つ者〟は生まれながらに持っていて、そうでない者は持っていない。
ただ、それだけで。
――〝光〟が、あった。
本能で理解する。アレを手にすれば、己の願いが叶うと。
だが、手は伸びない。
神崎アヤメは、それができない。
「その光を手にしないことで、私が闇に囚われようとも」
それが選択できるなら、私はここにいなかった。
「私は私自身の全てを、〝私のせい〟としたいのです」
たとえ何があろうとも。
それだけは、譲れない。
光が消えて。
闇の中に、一人――……
◇ ◇ ◇
「――――ッ、こふっ」
思わず咳き込むと同時、世界に色が戻った。同時、声が聞こえる。
「無事か、神崎」
「……はい。何か、妙なモノを見たような気が……」
白昼夢だろうか。もう思い出せないが、良くないモノを見たような気がする。
顔を上げると、ハインリッヒがこちらを見ていた。そのまま彼は、小さく呟く。
「――Great」
素晴らしい、と呟き、その両手を大いに叩く。
「想定以上、いや、違う、これは予想外と言うべきか。実に素晴らしい。感謝する。キミは私に、私の信念が正しいことを証明してくれた。――ありがとう」
ある種美しいとも言える礼をするハインリッヒ。そのまま彼は背を向けた。
「いずれキミを迎えに上がろう。その時は今回とは違い、正面からだ。――人の信念は、救いすらも乗り越える。何と素晴らしいことか」
そのまま立ち去っていくハインリッヒ。ふう、とアヤメは息を吐いた。
「……何だったのでしょうか」
「とりあえず再戦確定みたいだな。まあ頑張れ」
言うと、晴はバイクの方へ向って歩いていった。そのまま挨拶もそこそこに帰っていく。
それを見送り、アヤメは一度立ち上がる。瞬間。
「…………ッ」
立ち眩みがし、足元がふらついた。頭を振り、意識を覚醒させる。
「……少し、疲れましたね」
呟くと共に、車に乗り込む。
やるべきことはいくつもある。今日一つ、己の未熟を知った。ならば、それでいい。
僅かに感じる眠気を抑え込みながら、神崎アヤメは車を発進させた。
◇ ◇ ◇
地下駐車場。そこにある一台の車の中で、一つの吐息が零れた。
どこが不機嫌そうな雰囲気を纏うその人物は、目の前で起こったことに対して静かに言葉を漏らす。
「成程。奴を捕まえに来てみれば、面白いものが見れたな。この事件、思ったよりも厄介かもしれん」
『――〝王〟よ。追わないのですか?』
中空に浮かぶ仮面からそんな音が響く。〝王〟と呼ばれた女性――烏丸澪は問題ない、と頷いた。
「行き先は知れている。それに、どうしても話をしなければならないというわけでもない」
『しかし、一連の事件についてあの男は間違いなく関わっていますよ』
「犯人では無く当事者だがな。確かに情報はあるだろうが、それは私の仮説が事実に代わるぐらいだ。まあ、そういう意味で接触する必要はあるだろうが……それよりも、あの男。ミズガルズ王国の貴族。ふん、ようやく背景が見えてきた」
不機嫌そうに鼻を鳴らす澪。ここ数日、彼女は様々な場所を訪れ、自身の中で一つの仮説を得た。
「〝白の結社〟に〝悲劇〟か。少年を狙ったのはおそらく前者で、欲しているのは後者といったところだろうな」
烏丸澪は〝王〟である。その存在はただそこにあるだけで全てを従え、捩じ伏せてしまう。
故に望めば精霊たちは逆らうことができない。そういう存在であるが故に。
「……少年が狙われた理由はわかっていた。私と美咲くん。相手にしてみれば厄介なその二つに干渉できる人材などそうはいないだろう。心臓、か。それを少年が拾ったのは本当に偶然なのだろうが……」
おそらく、誰にも見つからずに消えていたはずだ。一連の事件においても少年――夢神祇園は部外者であり続けたはず。
だが、そうはならなかった。……ならなかったのだ。
「神崎アヤメ――彼女が染まらなかったことで、一つの仮説が確信に変わった。少年が染まるはずがなかったのだ。何故なら彼には……光が無い」
彼女の場合、他者から与えられる光を拒否した。そのせいで少々厄介な病を抱え込んだようだが、染まるよりはマシだろうと思う。
そして、少年の場合は。
(……他者から与えられる程度の光など、認識さえできないのだろうな)
彼の根源は純然たる闇だ。自分もかなりのものだと思うが、あの少年の場合文字通りの底なしの闇である。
故に、染まらなかった。否、染まれなかった。
光を求めていても、その光がどんなものかがわからないならば手にすることはできないのだから。
(とはいえ、あの二人は例外だろう。敗北し、折られた時に目先に餌を与えられて食いつかないのは余程の阿呆か愚か者だ)
そうなると、問題はその規模だ。どこまで手を伸ばし、どこまでやっているのか。
そして、私の標的は誰なのか。
「邪魔をするなら潰すだけだが……さて、どうだろうな」
エンジンを点け、車を出す。とりあえずこちらからのアクションを全て無視している男を捕まえる所からだ。
そんな彼女に、背後の仮面が言葉を紡いだ。
『時に〝王〟よ。例の心臓の居場所、突き止められたのですか』
「この世界からは既に隠されている。これも確証ではなく仮説だが……〝心臓〟を封じた精霊とは別に、その術式を組んだ者たちがいるはずだ」
そして、心当たりは一つ。
「――精霊界、魔法都市エンディミオン」
はてさて、微妙に人気なアヤメさんです。おそらく作中で祇園くんを最も評価している人ですね。
次回からよーやく、今の現状なんか整理できるのではないでしょうか。
はてさて、何が誰にとって幸いなのかということでひとつ。