遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々―   作:masamune

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第五十八話 雨の降る日

 

 

 悔しいと、そう思った。

 ただ、倒れていく主の姿を見て。

 何もできない自分が、どうしようもないくらいに情けなかった。

 

「最早、恥も外聞もありはしません」

 

 頭を垂れ、膝をつく。

 

「力を、貸してください」

 

 精霊とは遥か古代より存在する高次の存在だ。その力は人の力よりも遥かに大きい。

 だが、同時に彼らは人がいなければ存在が許されない脆弱さも併せ持つ。

 確かに人がおらずとも精霊は存在する。消えはしない。しかし、認識もされなくなってしまうのだ。

 

「私の力では……マスターを助けるには至らないのです」

 

 故にこそ、彼らは人に寄り添う。

 己を認識し、祈りを捧げてくれる者を愛する。

 実体を持たず、その心こそが大きな意味を持つが故に。

 

「マスターは、私を拾ってくださった。打ち捨てられ、忘れ去られようとしていた私を……見つけてくださった」

 

 ――たとえ、姿を見てもらえずとも。

 それでも、見つけてくれた人だから。

 ずっと大切にしてくれた、主だから。

 

「どうか、お願いします」

 

 竜の嘶きが、響き渡る。

 その声に、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……マスター次第と、そう仰るのですね」

 

 その言葉が聞けたなら、もう、憂うことはない。

 私が誰よりも信じるのは、あの主なのだから。

 

「私は、戦います」

 

 あのお方の、隣で。

 ――だから。

 だから――

 

 ……早く目を覚ましてください、我が主。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 料理というのが奥が深いと、そんなことを烏丸澪はそう思う。

 そもそも食材の切り方だけでも相当な種類があるらしい。何だろうか、『乱切り』というのは?

 

(購買部に『初心者のための料理本』などというものが置いてあったから買ってみたが……理解ができん。専門用語が多過ぎる)

 

 そもそも幼い頃は厨房に行くことさえなかった。今思えば、あの頃に興味の一つでも持っておくべきだったとそう感じる。

 ……まあ、無理な相談だが。

 

(それにしても、丸三日か)

 

 本から視線を外し、ベッドの上で眠る一人の少年へと視線を向ける。安らかな寝息を立てるその表情は優しいが、額に巻かれた包帯が痛々しさを増している。

 ――夢神祇園。

 デュエルアカデミア本校に在籍する生徒で、澪のお気に入りだ。彼はセブンスターズ――そう名乗る集団との戦いで敗北し、傷を負った。

 

「……いっそ、全てが終わるまで寝ていてくれる方がいいかもしれんな」

 

 ポツリと呟き、その頬に人差し指を当てる。彼が戦うというのであれば止める気はない。だが、それはイコールで心配しないということではない。

 意識不明と聞いた時、かなり心配した。そして二日間、こうして保健室で見守っているが……一向に目を覚ます気配がない。授業に出なくてもいい身分とはいえ、ずっとここで過ごしているのも気が引ける。それに、独りというのは嫌いではないが好きでもない。

 少し視線をずらせば、別のベッドで眠る一人の青年の姿。天上院吹雪――アカデミアの〝帝王〟と肩を並べ、ジュニア大会でも名の通っていた人物だ。突如表舞台から姿を消し、当初は様々な憶測が飛び交っていたのだが……まさかこんなことになっているとは。

 

(事態は思ったよりも深刻、か。十代くんも移動には松葉杖が必要な傷を負っている。……成程、確かに学生には荷が重い)

 

 闇のデュエルについては澪にも幾度となく経験がある。本気で命の取り合いをしたこともあるし、精霊界では倒した相手の命が消滅していく様も何度か見届けた。

 慣れというのは恐ろしいものだ。進んでやりたいとは思わないが、逆にその時が来たところで特に何とも思わない。向かってくるなら迎え撃つまで。今更そこに躊躇はない。

 だが、それをここの学生に求めるのも酷だろう。――とはいえ。

 

〝――貴公は戦わぬのでしょう?〟

「覗きとは、趣味が悪いな」

 

 保健室の隅にできた闇。そこで怪しく光る二つの紅い目から聞こえてきた声に、澪は動じることなく応じる。どこか重く、暗い声だ。

 

〝失礼。ここ三日、動きがないように感じられたので〟

「少年が目を覚まさない以上、私のすることは見守ることだけだ」

 

 明日には美咲もようやくこっちへ来れるというが、彼女が来たとてできることは変わらないだろう。現状、見守る以外の選択肢はないのだ。

 

〝……無礼を承知でお聞きしたい。何故、その者なのです?〟

「ほう?」

〝我らを束ねし三王が認め、対等と定めた貴公とこの者では釣り合わぬのでは?〟

「くっく、成程。少年は大したことがないと?」

〝失礼ながら。我らを視るどころか声さえも聞くことができぬようでは〟

「まあ、気持ちはわからないわけでもない。だが、だからこそいいんだよ、少年は」

 

 軽く髪を撫でる。反応はない。死んだように眠るとは、まさしくこういう状態のことを示すのだろう。

 

「力がないからこそ、興味が尽きない」

〝……理解が及ばぬ話です〟

「私自身持て余す感情だ。理解は難しいだろうな」

 

 本を閉じ、言い切る。成程、と声は応じた。

 

〝やはり、人の言葉は理解ができません〟

「そうなのだろうな。だから貴様たちの世界は謀略に塗れている」

〝……烏丸殿〟

「何だ? 不満か? 三人の王――そんなもの、形だけだ。貴様らの世界は常に誰かを蹴落とすことのみを考える世界。人もまたそういう存在であるが、同時にそれだけではないということだけだよ」

〝…………〟

 

 そのまま、声は気配ごと消えてしまった。そもそも彼自身、こちらに対する監視の役目を与えられた存在だ。他者とはただ利用し、蹴落とすだけのモノ――傲慢な王たちとその配下は、結局のところそういう原理でしか動いていない。

 ただただ、己の快楽がために。

 だからこそ、彼らには理解できない。

 人という、どこまでも業深き存在の根源を。

 

「それにしても、対等か。……そうだな、私は貴様の王と実に近い存在だよ」

 

 あの傲慢な、人の心を理解できぬモノたちと。

 きっと、自分はよく似ている。

 

 

「…………ッ」

 

 

 不意に、声が聞こえた。反射的に振り向くと、ベッドの上で眠っていた祇園の目がゆっくりと開いていく。

 思わず、笑みが零れた。そのまま、やあ、といつものように言葉を紡ぐ。

 

「キミが寝坊とは、珍しいこともあるものだ」

「………………澪、さん?」

 

 未だ焦点の合わぬ目でこちらを見てくる祇園。ああ、と澪は頷いた。

 

「思考がはっきりしないだろうが、とりあえず寝たままでいい。無理はするな」

 

 そして、一度息を吐く。

 

「少年。キミに少し、話がある」

 

 夢神祇園という少年を不幸と評するならば。

 きっと、これが最大の不幸。

 

 気が重いと、そんなことをふと思った。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 保健室の前。そこに、一つの人影があった。

 何故か右腕に包帯を巻いており、どこか気怠そうに目を閉じて両腕を組んでいる。

 

『宗達殿、中には入らぬのでござるか?』

 

 そこへ、そんな言葉と共に一つの気配が加わる。如月宗達はその声に応じ、ああ、と静かに頷いた。

 

「俺の役割は逃げ道を塞ぐことだからな」

『逃げ道、でござるか?』

 

 精霊――ヤリザへとそう返答を返す。光景だけを見ると何もないところに話しかける危ない人間だが、現在周囲に人影はないため気にすることはない。

 

「そう、逃げ道だ。〝祿王〟は基本的に容赦がない。祇園のことは随分気に入ってるみたいだが、まあ、それでも抉る時は抉るだろ」

『どういう意味にござるか? 夢神殿はまだ眠っているはずでは?』

「そろそろ目ェ覚ますはずだ。そこまで柔じゃねぇ。……本当なら高校生活の三年間、あるいは大学生活の四年間。もしくは社会人になってから見つけるべきもんを、あいつはここで決めなきゃならねぇ」

 

 自分のように『決めている人間』は珍しい。だが、決めておいた方がいいというのも事実だ。

 

『……申し訳ござらぬ。拙者、学がない故宗達殿の真意がわからぬでござるよ』

「別に難しい話じゃねぇよ。言い方なんざいくらでもある。目標、野望、希望、信念、信仰……祇園の場合は夢、か。俺の場合は信念だが、そういう自分の中の芯になる部分をアイツは決めなきゃならねぇ」

『む? しかし、宗達殿。夢神殿はプロデュエリストを目指しているのでござろう? それは目標ではないのでござるか?』

「それがブレてきてるんだよ。……多分、アイツの根本にあるものが揺らいだんだろ」

 

 約束。かつて彼が語った小さな言葉。それが彼の原点であり根本なのだろうと思う。そしてその誓いを果たすためだけに、いつだって夢神祇園という存在は全身全霊を懸けてきた。

 

「迷いを抱えたまま生き残れるほど、殺し合いの現場は甘くねぇ。十代はその辺、肝が据わってるからな。祇園が今回ああなったのはその辺が関係してるんだろ」

 

 迷いがあるままに闇のデュエルに挑んでも、闇に食われるだけ。それはこの身を以て理解している。

 

「忠告はしたんだがな……。まあ、命あっただけマシか」

『そこまで理解していながら、宗達殿はどうして戦わぬのでござるか?』

「雪乃に危害が及ぶだろ。それ以外の理由はねぇよ」

 

 即答する。宗達が戦わない理由は、結局はそういうことなのだ。

 義理はないし、意味もない。メリットも薄い。そういう事情も確かにあるが、最大の理由はそれだ。

 この戦いはゲームではない。卑怯な手を使われれば、攻め込まれる側であるこちらは常に不利な状況に追い込まれる。それを理解している人間がどれだけいるのかはわからないが、いずれにせよリスクが大きい。

 

『奥方、でござるか』

「そうだよ。オマエにも雪乃の身辺警護は頼んでるだろ? 要はそういうことだ」

『むぅ……』

「何だ、納得いってねぇみたいだな?」

 

 微かに唸るヤリザにそう問いかける。拙者は、とヤリザは言葉を紡いだ。

 

『力を持つ者は戦うべきだと思うでござるよ。宗達殿の力は本物。たとえそれが邪道であったとして、人道がために力を振るうのであればそれは正義にござる』

「……なぁ、ヤリザ。オマエ、恋人とかいるか?」

 

 あまりにも真面目で真っ直ぐな言葉に対し、宗達はそう言葉を紡ぐ。ヤリザは一瞬首を傾げた後、首を左右に振った。

 

『拙者は武人故……、生きて戻れるかどうかもわからぬ身。そのような男と一緒になっても不幸なだけでござるよ』

「そうなのか? 侍ってのは子供産んで一族の繁栄を目指すもんだと思ってたが」

『シエン殿やエニシ殿、師範殿にはそう言われるでござるが……やはり、未熟者には荷が重いでござる。拙者がもっと強くなれたなら或いは、とは思うでござるが』

 

 苦笑してそう言葉を紡ぐヤリザ。そんな彼に、それじゃあ、と宗達は言葉を紡いだ。

 

「それを踏まえて聞かせてくれ。オマエの主とオマエの妻。どっちかしか救えないってんなら、どうする?」

『……極端でござるな。どちらかしか救えぬのでござるか?』

「ああ。できないなら三人纏めて死ぬしかねぇ。どうだ?」

 

 意地の悪い質問だ。だが、ヤリザにしてみればあり得るかもしれないことなのだろう。真剣に考え込んでいる。

 

『………………拙者は、主君を救うでござるよ』

 

 そして、その侍はゆっくりとそう告げた。

 

『シエン殿には、命全てを代価としても返せぬ恩があるでござる。シエン殿に恩を僅かでも返せたならば……それで拙者は割り切るでござるよ』

「忠義だな」

『薄情と思うでござろう?』

「いいや。親近感が湧いたよ。……同じ状況なら、俺は迷わず雪乃を選ぶからな」

 

 たとえ、どんなモノが天秤にかかっていようとも。

 そこだけは、如月宗達の中で揺らぐことはない。

 

『ご友人たちが天秤に掛けられていても、でござるか?』

「ああ。多分迷わない。俺にとっては雪乃が全てなんだよ。……思い出したくもねぇが忘れるわけにもいかねぇあの日々の中で、雪乃だけが俺を救ってくれた」

 

 藤原雪乃という存在は、それだけ大きく。

 そして、かけがえのない存在だ。

 

「ヤリザ、俺はな。過去だけを見て生きてる。あの灰色の日々に対する憎悪、世界に対する怨嗟、栄光に対する執念だけで生きてるんだ。その過去で一番輝いてたのが雪乃で、大切なのは雪乃だけだ。それを守りたいと思うのは当然だろ?」

『……如月殿。それは哀しい言葉でござる。過去があるが故に現在がある。しかし、未来は見つめなければ見えぬでござるよ』

「その手の話は聞き飽きたよ。……俺にもな、あったんだよ。帰りたい場所くらい。俺にだってあったさ」

 

 でも、もう帰れない。

 如月宗達は、静かにそう呟いた。

 

「俺は孤児院の出身だ。中学に入る時に出たんだが、それ以来戻ってねぇ。いや、戻れなくなった」

『…………』

「孤児院のガキ共にとってはさ、『サイバー流』ってのはヒーローなんだよ。派手で、格好良くて、強くて。俺みたいな愛想悪い悪人とは違ってな。……戻れるわけねぇだろ。俺は、アイツらのヒーローにとって敵になっちまったんだから」

 

 過ぎ去った過去も、置いてきたモノももう戻ってくることはない。

 如月宗達は、そういう道を選んでしまったのだから。

 

「言われたことはあるよ。『過去ばかり見て何になる』、『未来を見据えろ』――そんなもん、戯言だ。未来を、前ばかり見つめることだけが正しいのか? 違うだろ。それはただ目を逸らしてるだけだ。俺は過去を忘れたりしない」

『それが、宗達殿の選んだ道なのでござるな?』

「それが誓いで、決めたことだ。そういう意味では祇園も俺と同じなんだよ。アイツは俺以上に不器用だがな。……そして、だからこそアイツは選べない。さっき言ったような状況になっても、アイツは自分の命を投げ出してどうにかしようとして――そして、全部台無しにする」

 

 今までの祇園を見てきたらわかる。アレは結局、ギリギリの選択でいつも失敗する。自分の器以上のことをしようとして、自分が一番傷つくのだ。

 

『辛辣でござるな』

「選択の結果があの大怪我だからな。そりゃ辛辣にもなる。忠告はしたし、楽な方向への選択肢も提示された。だが、アイツは最悪の結果を示した。友達だと思うからこそ、余計それがムカつくんだよ」

 

 命を懸けることを軽く見ていたのか、それとも単純に実力不足か。原因などどうでもいい。夢神祇園は敗北した。己の分も弁えずに。友人だからこそ、腹が立つ。

 

「失わないために、アイツは失い続けてる。だから、〝祿王〟との対話は一つの転機だ。そこから逃がすわけにはいかねぇ」

『……友人想いでござるな、宗達殿は』

 

 フッ、と小さな笑みを零し、ヤリザは言う。宗達は窓へと視線を向け、ポツリと呟く。

 

「――友達、なんだよ」

 

 結局、度重なる忠告も。

 こうして、肩入れすることも。

 その理由は、それだけで説明できる。

 

「俺みたいな乱暴者を、粗忽者を、大馬鹿野郎を……アイツらはそう呼んでくれたんだ。楽しいんだよ、それがさ。一番になれんのは――『最強』になれんのは一人だけだ。だからいつかぶつかり合う。わかってんのに、楽しいんだよ。馬鹿やって、大笑いして、たまに小競り合いして。

 心地いいんだよな。十代みたいな純粋なのも、隼人みたいに一歩後ろをついてくるのも、翔みたいにおっかなびっくりついてくるのも、三沢みたいに対等に肩を並べてくれるのも、万丈目みたいにぶつかってくんのも、祇園みたいに否定も肯定もせずに笑ってくれるのも。

 だから、終わって欲しくない。戦うってんなら散々忠告するさ。だが、決めたなら止めねぇ。それは俺の干渉するべきところじゃねぇからな。

 だが、死ぬのは許さん。要はそういうことだ」

『我儘でござるな』

「人間なんてそんなもんだ。――それで、ヤリザ」

 

 窓の外。降り出した雨を見つめながら、宗達は言葉に重みを乗せる。

 

「吸血鬼の噂、出所は掴めたか?」

『……申し訳ござらぬ。ただ、明らかに意図を持った蝙蝠の姿をいくつも視認したでござる。おそらく、噂は意図的に流されたモノと』

「コウモリ、ね。童話ならフラフラとどっちつかずになってくれるもんだが」

 

 どうなるか――降り出した雨の向こう。赤く光る一対の瞳を睨み据え、宗達は呟く。

 ――そこへ。

 

 

「たたた、大変ッス――――――!!」

 

 

 一人の男子生徒が、こちらへと駆け込んできた。その進行方向を右手で妨げつつ、どうした、と宗達は問いかける。

 

「保健室の前だぞ、静かにしろ」

「あ、そ、宗達くん。ここにいたんスね!?」

「だからボリューム落とせ」

 

 大きな眼鏡が特徴的なその少年――丸藤翔にそう促す。翔は慌てて両手で口を塞ぎつつ、宗達の姿を見て首を傾げた。

 

「って、その包帯どうしたッスか?」

「ああこれか? いや、女子寮の連中にやられた。ブルー寮の飯って美味いがボリュームが凄いんだよ。女子連中がカロリー気にしてたから、体重計を置いたんだが……」

「体重計ッスか?」

「おう。音声で体脂肪率と体重教えてくれる最新型な。そしたら何か知らんが色んなモノ投げつけられた」

「予想以上に自業自得ッスね」

 

 翔が呆れた様子で言う。うるせぇ、と肩を竦めた後、それで、と宗達は問いかける。

 

「どうした?」

「そ、そうッス! 大変なんスよ! クロノス先生が、セブンスターズの一人とデュエルするって……!」

「――何だと?」

 

 宗達が眉をひそめる。そのままヤリザへ視線を送ると、ヤリザは一礼し即座にこの場から姿を消した。流石、動きが早い。

 

「アニキたちはもう向かってて……!」

「……それで、俺を呼びに来たのか?」

 

 正直、的外れだと思う。自分は今回の戦いから降りた身だ。できることはないだろう。

 

「宗達くんにも来て欲しいッス! それと……」

 

 チラリと、翔が保健室の扉を見る。その瞳には、僅かな期待が込められていた。

 

(成程、目的は〝祿王〟か)

 

 気持ちはわからないわけではない。確かに〝祿王〟が先頭に立てば、どうにでもなるだろう。

 だが、無理だ。彼女はこの島に来たその日に言い切っている。

 

『私がこの戦いにおいて戦場に立つのは文字通りの最後だ』

 

 つまり、どうにもならなくなってから出陣するということだ。アレは気まぐれな猫であり、同時に頑固な面もある。頼ることはできないだろう。

 

「無理だな。動くような女じゃねぇ。……場所はどこだ?」

「で、でも」

「いいから行くぞ。場所はどこだ?」

 

 翔の肩を叩き、宗達は歩き出す。翔は一度未練がましそうに保健室を見た後、こっちッス、という言葉と共に走り出した。

 ――外の雨は、次第に強くなっている。

 

 嫌な天気だと、そう思った。

 雨には、嫌な思い出しかない。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「まずは、おはようとでも言っておこうか」

 

 目を覚ました自分に対して向けられた第一声は、そんな言葉だった。視線の先にいるのは、ジャージを身に纏い、眼鏡をかけた一人の女性。世話になっていた時にマンションでよく見た姿だ。ただ、あの時と違うのはその長い髪を纏め、右肩にかけているところだろうか。

 こうした姿を見ると彼女もまた学生のように思えるが、やはり雰囲気が違う。どことなく深く、重い空気。それでいて威圧されている感覚はないのだから不思議だが。

 

「……澪、さん?」

「言いたいことも問いたいことも数多くあるのだろう。だが、残念ながら再会を喜べるような状況ではない。それはキミの身に起きたことが示している」

 

 自分の身に起きたこと。

 敗北し、意識を失い――

 

「――――ッ、今は――――!?」

 

 激痛で、言葉が詰まる。身を起こした瞬間、全身に痛みが走った。

 腹の底から何かがこみ上げてくる。酸っぱい香りが、口の中に広がった。

 

「派手な傷の割には深くはない。しばらくは痛みが残るだろうが、我慢するべきだな。男の子だろう?」

「…………ッ、あれから……」

「起きたばかりでよくそれだけ意識が回る。羨ましいことだ。……結論から言えば、キミの鍵は奪われた。敗北したのだから当然だな。命があったのは運が良かったと思った方がいい。ああ、そうだ。十代くんは鍵を守ったよ。これも不幸中の幸いだな」

 

 興味なさげに、それこそ業務連絡のような口調で澪は語る。だが、彼女の発した言葉が祇園には重くのしかかってきた。

 ――敗北。

 改めて突き付けられると、酷く重い現実だ。役に立てなかった――それどころか、迷惑だけをかけてしまった。

 

(僕は、どうして)

 

 鍵の守護者――それは、身に余るものだったのだろうか。

 こんなにも、重いモノだったのか。

 何よりも。

 ――何も果たせず、こうして迷惑だけをかけているのが辛い。

 

「……すみません」

「何を謝るんだ、少年?」

「……ご迷惑を、かけました」

「この程度、迷惑の内に入らんよ。私が好んでここへ来て、ここでこうして待っていただけだ。キミが頼んだわけでもなかろう? ならばそれは気に病むようなことではない」

 

 カツン、という音が窓から響く。

 雨が、窓を叩いていた。

 

「何だ、私が怒っているとでも思ったか?」

「…………ッ」

 

 反射的に、拳を握り締めた。澪は、少年、と静かに告げる。

 

「私が怒るようなことではないよ。美咲くんなら『無茶をした』と怒るのかもしれんが、私に言わせてみれば無茶の一つ二つ、経験だ。私もそれなりの修羅場は経験している。それこそ命を懸けたことも一度や二度ではない。キミは生きていた。ならばそれで私は構わんよ」

「……すみません」

「謝ってばかりだな、キミは。謝罪を受ける理由が私にはない。それこそ私が君の恋人であるというのなら、私にはキミを叱責する役目があったのだろうが……残念ながら、そういう関係というわけでもない」

 

 きっと、彼女は微笑んだのだろうと思う。確信を持てないのは、その表情が見れないから。

 顔を上げることが……できないから。

 

「でも僕は……それ以外の言葉を、知らなくて」

 

 どうしたらいいのかも、わからなくて。

 敗北してばかりなのに、負けた後に口にすべき言葉が……わからない。

 

「それは私にもわからん領域だ。だが少なくとも、謝罪の言葉など私は求めていないよ」

「……はい」

 

 そう声を絞り出すだけで、精一杯だった。

 

 ――沈黙が、舞い降りる。

 

 雨の音だけが響く空間。そんな中で、不意に澪が言葉を紡いだ。

 

「……なあ、少年。私のようなモノしかこんなことをキミに言えないというのは、本当に不幸なことだと思うよ」

 

 そちらへ視線を向けずとも、わかる。

 彼女は、鋭い瞳をこちらへ向けているはずだ。

 

 

「――いい加減、過去だけを抱え、見つめ続けるのはやめたほうがいい」

 

 

 ドクン、と。

 心臓が、高鳴った。

 

「キミと美咲くんの〝約束〟は、実に美しいモノだ。だが、少年。そこにキミの未来はない」

「…………ッ、何を」

「過去は過去だ。それは現在を作るものであり、未来を創るものではない。過去に囚われたままではいつか溺死してしまう。美咲くんは未来に生きている。現在を生きている。追いつけないのも道理だ。キミは前だけを見ているようでいて、ずっと過去だけを見つめているのだから」

「何を、言って」

「思い出は美しく、いつだって優しい。だから人はそれに縋る。ふと立ち止まった時、迷いを覚えた時に思い出すならば構わんが……囚われているというならば話は別だ」

「何を言ってるんですかッ!」

 

 叫び、気付く。

 どうして自分は、こんなにも。

 目の前の女性は、一瞬驚いたような表情を見せてから。

 薄く、微笑んだ。

 

「ようやく私の目を見てくれたな、少年」

 

 射抜くような視線。思わず目を逸らしそうになるのを、どうにか堪える。

 目を逸らしてはいけないと、そう思った。

 

「キミの人生だ。好きに生きればいいとそんなことも思う。だが、人生というのは他人を巻き込むんだ。人は人と関わらずには生きられない」

「…………」

「なあ、少年。今ここに、こうして、触れ合えるほど近くにいるのに――」

 

 肩に何かが触れたと思った時。

 気が付けば、ベッドの上に押し倒されていた。

 

「――その心がこちらを向いていないというのは、中々に寂しいモノなんだよ」

 

 その黒い瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜く。

 

「キミに感じていた違和感の正体がようやくわかったよ。キミは私たちを見ていないんだ。そう、美咲くんさえも見ていない。キミが見ているのは、いつだって美咲くんとの約束の日。それ以外のモノは、キミの視界に入っていない」

「……そんなこと」

「ない、とは言わせんよ。なあ、少年。――失うのが、奪われるのが、それほどまでに怖いか?」

 

 やめてくれと、そう思った。

 その先は、きっと。

 

「人は失うんだよ、少年。生きていれば失うんだ。地位も、名誉も、金も、栄光も、人生も、夢も、希望も、絶望さえも。失ってしまうんだ。だがな、少年。キミは本当にそれでいいのか?」

 

 失うことは、人の本質。

 置いて行かれることも、また。

 

「美咲くんとの約束の日。あの時のキミには確かにそれしかなかったのだろう。それが全てだったのだろう。だが、今は違うだろう? キミはどこにいる? キミの目の前にいる私は、キミにとって何だ?」

 

 求めれば、失ってしまう。

 だから、ずっと。

 

「過去は美しいさ。今が凄惨であればあるほどに、過去は輝く。思い出は優しいんだよ、少年。だが、過去だけを見ているならば、今あるモノさえも見えなくなる。私のようになってしまう。いいか、少年。こんなのは一人でいいんだ。こんな様になり果てるようなモノは、一人でいいんだよ」

 

 僕は、ずっと。

 蹲って、俯いたままで――

 

「――奪い返せ」

 

 胸倉を掴み。

 烏丸澪が、言い放つ。

 

「奪われたなら奪われたままか? 失ったならば失ったままか? それが逃げなんだよ、少年。キミの悲壮なまでに前を見ようとする姿勢は美しい。私もそれに心を惹かれた。だが、それは矛盾だ。キミは過去に縋りながら、ずっとそこから逃げていた。そして、いつの間にか現在からも逃げていた」

「……約束は、僕にとって、初めて……ッ!」

 

 鈍い音。

 気が付けば、澪の身体を押し倒す形になっていた。

 

「何が――何がわかるっていうんですか!」

 

 ぐちゃぐちゃになった思考の中で。

 紡がれた、叫び。

 

「……何だ、怒れるじゃないか」

 

 頬に、冷たい手が触れる。

 

「もっと、我儘に生きればいい。それだけで、世界は変わる」

「それができたら……、どれだけ……ッ!」

「できないなら頼ればいい。キミは弱いのだから。私でもいい。美咲くんでもいい。妖花くんでもいい。遊城くんたちでもいい。嫌なら嫌と言うさ。駄目なら止めるさ。そういうモノだよ。特に私は気まぐれだからな」

「軽く、言ってくれますね」

 

 頭が冷えてきた。見下ろす形になった女性へ、祇園は静かに言葉を紡ぐ。

 

「それができないから、こうなんじゃないですか」

「ならば潰れるのか? それがキミの望む結末か?」

「そうなるしか、ないのなら」

「……頑固者だな、キミも」

 

 ふう、というため息。その寂しげな瞳が、こちらを射抜く。

 

「動いて、足掻いて、這いずって、みっともなく泣き叫んで……それでもまだ、世界は冷たい」

 

 人差し指を、こちらの唇に優しくあてて。

 

「ギンジがかつて私に漏らした言葉だ。私には理解できない論理だが、それが真実なのだろう。だが、ギンジがそうであるようにキミは生きている。まだ、戦える」

 

 澪は、ベットから抜け出す。

 

「死んでいないのなら、終わってなどいないということだ。――さあ、どうする?」

 

 差し出された、その手が。

 分岐点なのだと、そう思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 セブンスターズが一角、カミューラ。相手は確かにそう名乗った。

 使うデッキは、見たところヴァンパイアデッキ。闇のデュエル――彼女はそう語ったが、そんなことはありえない。

 

(闇のデュエルなど、あってはならないノーネ!)

 

 遊城十代が傷つき、夢神祇園が意識不明の重体であったとしても。

 そんなものは、断じて認めるわけにはいかない。

 

「私は栄光あるデュエル・アカデミア技術指導最高責任者、クロノス・デ・メディチ! 断じて闇のデュエルなど認めるわけにはいきませンーノ!」

 

 高らかに宣言するクロノス。その彼の場には、彼のエースの姿がある。

 

 古代の機械巨人☆8地ATK/DEF3000/3000

 

 クロノスLP4000

 カミューラLP2500

 

 セットモンスターである『ヴァンパイア・ソーサラー』を破壊し、貫通効果によってダメージを与えた直後。

 フィールド上にいるのは古代の機械巨人のみ。有利なのはクロノスだ。

 

「へぇ、やるじゃない先生。――私のターン、ドロー。私は手札より魔法カード『愚かな埋葬』を発動。デッキから『ヴァンパイア・グレイス』を墓地へ。そして前のターンに破壊された『ヴァンパイア・ソーサラー』の効果を発動。このカードを墓地から除外することにより、このターン一度だけヴァンパイアを生贄なしで召喚できる! 『シャドウ・ヴァンパイア』を召喚!!」

 

 シャドウ・ヴァンパイア☆5闇ATK/DEF2000/0

 

 現れたのは、薄い影を纏うヴァンパイア。そして、その効果が発動する。

 

「シャドウ・ヴァンパイアの召喚に成功した時、デッキから『ヴァンパイア』を一体特殊召喚できる!! 来なさい、『ヴァンパイア・ロード』!! 更に墓地の『ヴァンパイア・グレイス』の効果発動!! アンデット族モンスターの効果によってレベル5以上のアンデットが特殊召喚に成功した時、LPを2000支払い墓地から特殊召喚できる!!」

 

 ヴァンパイア・ロード☆5闇ATK/DEF2000/1500

 ヴァンパイア・グレイス☆6闇ATK/DEF2000/0

 カミューラLP2500→500

 

 一瞬で場に並ぶ三体のヴァンパイア。フフッ、とカミューラが微笑む。

 

「チェンジはいつでも受け付けているわよ?」

「彼は私の大事な生徒なノーネ! 手出しはさせませンーノ!」

 

 カミューラの挑発に対し、クロノスが吠える。彼を見守る者たちの中にいる一人の青年――丸藤亮。カミューラの狙いは彼だ。絶対に守らなければならない。

 

「それに、いくらモンスターを並べたところで古代の機械巨人には勝てないノーネ!」

「別に、わざわざ倒す必要はないわ。――シャドウ・ヴァンパイアを手札に戻し、チューナー・モンスター『A・ジェネクス・バードマン』を特殊召喚!!」

 

 A・ジェネクス・バードマン☆3闇・チューナーATK/DEF1400/400

 

 現れる、小型の機械モンスター。チューナーの存在に、ギャラリーがざわめく。

 

「チューナーだと?」

「攻撃力3000を超えられるのか……?」

 

 口々に上がる疑問。それに答えるように、カミューラが言葉を紡ぐ。

 

「ジェネクス・チューナーと闇属性モンスター……先生ならこの意味がわかるんじゃないかしら?」

「――まさか」

「ヴァンパイア・グレイスにA・ジェネクス・バードマンをチューニング! シンクロ召喚! 『レアル・ジェネクス・クロキシアン』!!」

 

 レアル・ジェネクス・クロキシアン☆9闇ATK/DEF2500/2000

 

 現れる、漆黒の機体。その禍々しき力が、発動する。

 

「クロキシアンのシンクロ召喚成功時、相手フィールド上の最もレベルが高いモンスターのコントロールを得る……古代の機械巨人は頂くわ」

「ああっ! 古代の機械巨人が!」

「クロノス先生!!」

 

 翔と十代が叫ぶ。ぐっ、とクロノスが唇を強く噛み締めた。

 

「ここで終わりと言いたいところだけど……、残念ながらシャドウ・ヴァンパイアの効果を使ったターンはこの効果で特殊召喚したモンスターでしか攻撃できない。――ヴァンパイア・ロードでダイレクトアタック!!」

「――――ッ!?」

 

 重い一撃が叩き込まれ、クロノスの表情が歪む。全身に走る痛み――これが、闇のデュエルだというのか。

 

(――二人は、もっと辛かったはずなノーネ……!!)

 

 思わず膝をつきそうになるが、どうにかクロノスは堪える。あらあら、とカミューラが嘲笑を浮かべた。

 

「大したことないわねぇ、先生?」

「ぐ……何を――」

「ふざけんな!! 勝負はこっからだ!! なあ先生!!」

 

 自身の言葉を遮りながらそう叫んだのは、あろうことか――遊城十代。

 ドロップアウトと、呼び続けた少年だった。

 

「見せてくれよ! 先生なら手があるんだろ!?」

「……当たり前なノーネ!!」

 

 吠える。たとえピンチであり、これが強がりでも。

 生徒の前で、闇に屈すわけにはいかなかった。

 

「へぇ……私はカードを一枚伏せ、更にヴァンパイア・ロードを除外し『ヴァンパイアジェネシス』を特殊召喚!! ターンエンドよ」

 

 ヴァンパイアジェネシス☆8闇ATK/DEF3000/2100

 

 降臨する、ロードが更に凶悪な姿となったヴァンパイア。これでカミューラの場には上級モンスターが三体。圧倒的な場である。

 

(しかし……負けるわけにはいきませンーノ!)

 

 教師であり、光を信じる者であるからこそ。

 闇に屈するわけには――いかない。

 

「私のターン、ドロー!――手札よりフィールド魔法をセット、そして魔法カード『サイクロン』を発動し、フィールド魔法を破壊するノーネ!」

 

 裏向きのままセットされたフィールド魔法が、表になる前に粉砕される。どういうことだ、とざわめきが広がった。

 クロノスはそれに応じるように、ふふん、と笑みを零す。

 

「破壊された『歯車街』の効果発動! このカードが破壊された時、デッキからアンティーク・ギアを一体特殊召喚するノーネ! 私はデッキより、『古代の機械巨竜』を特殊召喚!!」

 

 歯車の街が崩壊し、そこから出ずるは一体の竜。

 歯車によって形作られた、古代のドラゴンだ。

 

 古代の機械巨竜☆8地ATK/DEF3000/2000

 

 歯車の音がギチギチと響き渡る。クロノスは居留を従え、鋭い視線をカミューラに向けた。カミューラが、へぇ、と嘲笑するような笑みを浮かべる。

 

「流石はクロノス先生。素晴らしいわ。けれど、闇の力には決して勝てない」

「――デュエルとは、青少年にとっての光」

 

 静かに告げられた言葉に、カミューラが眉をひそめた。クロノスは、尚も続ける。

 

「闇のデュエルなどありえないノーネ! デュエルとは光であり希望! だからこそ私が負けることは有り得ないのでスーノ!」

 

 だから、闇を否定してきたのだ。

 デュエルとは、希望でなければならないから。

 

「減らず口を!」

「それはこちらの台詞なノーネ! バトル――」

 

 言いかけた、その瞬間に。

 放たれた無数の鎖が、機械の巨竜を封じ込めた。

 

「永続罠、『デモンズ・チェーン』。残念だったわねぇ、クロノス先生」

「ぐっ……」

 

 アンティーク・ギアモンスターの多くは攻撃時に相手の魔法・罠を封じ込める効果を持つ。ギアガジェルドラゴンも例外ではなかったが、バトルフェイズに入る前ではどうしようもない。

 

「私はカードを一枚伏せ、ターンエンドなノーネ!」

 

 だが、伏せたカードは『リミッター解除』だ。このカードによって、相手の攻撃を跳ね返す。

 勝利は目前。問題は、奪われたゴーレムでこちらを攻撃しに来た時だが――

 

「私のターン、ドロー。――良いカードを引いたわ。フィールド魔法、『ヴァンパイア帝国』発動!!」

 

 荘厳な音と共に、周囲の空気が変わっていく。ただでさえ降りしきる雨も相まって、その帝国の姿はあまりにも不気味に見えた。

 

「ここが私の帝国であり領域。――ヴァンパイア帝国が存在する時、アンデットモンスターはダメージステップ時に攻撃力が500ポイントアップする」

「そんな……! それじゃあ、クロノス先生が!」

 

 聞こえてくる声は十代のものか。だが、クロノスにしてみればこれは望むところ。

 これで、カミューラはこちらのモンスターをヴァンパイアジェネシスで破壊しにくる。

 

「随分頑張ったけれど……所詮はこの程度。ヴァンパイアジェネシスで古代の機械巨竜を攻撃!」

「――リバースカードオープン、速攻魔法『リミッター解除』を発動するノーネ! このカードの効果により、古代の機械巨竜の攻撃力は倍になりまスーノ!!」

 

 巨大化する古代の機械巨竜。やった、という声が上がった。

 

「クロノス先生の勝ちだ!」

 

 ――しかし。

 現実は、あまりにも無慈悲に訪れる。

 

 古代の機械巨竜☆8ATK/DEF3000/2000→2200/2000

 

 上がるどころか、むしろ下がる攻撃力。どういうことナノーネ、とクロノスが呟く。

 高笑いが聞こえたのは、呆然とした思考の中。

 

「速攻魔法『禁じられた聖槍』。モンスターの攻撃力を800ポイント下げ、同時にこのカード以外の魔法・罠の効果を受けなくする。リミッター解除は不発よ、先生」

「なっ……!」

「いけ、ヴァンパイアジェネシス!」

 

 カミューラの口が裂けたように広がり、そして放たれる一撃。あまりにも重い一撃が、クロノスの体を揺らした。

 

 クロノスLP2000→900

 

 意識が揺れ、視界が霞む。これが――闇のデュエル。

 あの二人は、こんな戦いを経験したというのか。

 

「先生!」

「クロノス教諭!」

「クロノス!」

 

 声が響く。そこに込められているのは願いであり、祈り。

 それに応えるのが教師の役目。――けれど。

 

 駄目な教師だと、そう思った。

 生徒たちを守ることさえできない、愚かな教師。

 

「……よく、聞くノーネ」

 

 霞む視界に映るのは、生徒たちの姿。

 託すことになってしまうのを、本当に情けないとそう思う。

 

「闇は光を凌駕できない……! 決して諦めてはいけませンーノ!!」

 

 声を、絞り出す。

 これが、精一杯で。

 

「クロノス先生!!」

 

 背を向けた自分に、再び叫びが届けられる。

 ドロップアウトと呼び続けた少年が、自分を心配してくれていることが。

 とても――嬉しくて。

 

「最後の授業は終わったのかしら、クロノス先生?」

「――来るがいいノーネ!!」

 

 最期まで。

 意地だけは張りたいと、そう思った。

 

「あなたのエースの手で散りなさい。――古代の機械巨人でダイレクトアタック!!」

「――――――――ッ!!」

 

 クロノスLP900→-2100

 

 体が、傾く。

 意識が、消えていく。

 

「……ボーイ……光の、デュエルを……」

 

 それを、最後に。

 意識が、完全に途絶えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ちくしょう! ちくしょう! クロノス先生!!」

 

 松葉杖を放り投げ、雨に濡れた人形――クロノスのなれの果て――を前に絶叫する十代。その光景を見守りながら、次は、と宗達は呟いた。

 

「あんたがやるのか、カイザー」

「そのつもりだ」

 

 その短い返答に込められていた感情は、わからない。

 ただ、言えるのは。

 

「やめておいた方がいい」

「忠告か?」

「これを聞いてどうするかは、あんたの自由だ」

 

 そして、如月宗達はその場から背を向ける。

 雨の音だけが、嫌に響く。

 

「……くだらねぇ」

 

 湖に浮かぶ城を見据えながら。

 ポツリと、そう呟いた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「立てるのか?」

「……どうにか。歯を食い縛れば、ですが」

「覚悟を決めたなら耐えろ。それが意地を通すということだ」

「はい。ありがとう、ございます」

 

 血が滲む包帯を取り換えて。

 痛み止めを飲み下し、息を吐く。

 

「……嫌な、雨ですね」

「嗚呼、本当にな」

 

 夜の帳が、落ちていく。

 

 奪われた鍵は――二つ。











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