遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々―   作:masamune

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間章 想いと、言葉と、その意味と

 

 

 

 

 

 大阪というのは人がとても多い都市だと防人妖花はそう思う。

 そして、人が多く生きる場所には必然として多くの〝人に非ざる者〟が存在するのだとも。

 

「おはようございます~」

 

 ある者はそれを〝精霊〟と呼び。

 ある者はそれを〝幽霊〟と呼ぶ。

 

(天気が良いと、気持ちいいです)

 

 幼い頃――それこそ物心ついた時から、〝視えて〟はいた。

 本当に子どもの頃は、人との見分けがつかなかった覚えがある。今は何となくわかるが、人の姿をした精霊という存在は力を持つ者ほど存在感が強く、ふとした時に間違えてしまうのだ。

 ただ、それがおかしなことだとは思わなかった。

 両親も視えていたし、それが日常だったからだ。

 けれど、あの村を出て。

 それが『普通』ではないと、ようやく気付く。

 

(澪さんは、「それもキミの個性だ」って言ってくれましたけど……)

 

 普通じゃない、ということは時として不安になる。

 何が普通なのかも、わかっていないのだけれど。

 

「……えっと、今日は何を作りましょうか」

 

 電車を降り、駅から歩き出しながら妖花は首を傾げる。今日は澪も仕事はなく、家にいるはずだ。学校のことは……まあ、あの人は大丈夫なのだろうと思う。

 義務教育、という概念を教えてもらったのもこっちへ来てからだ。住んでいた村には学校はなく、また、教育を受けるべき年齢の人間は自分しかいなかったために学校というモノに通ったことはない。

 一応、ペガサス会長の好意もあって外部で授業は受けているが……こういうところも、普通ではないのだろう。

 まあ、それについては今更だ。とにかく、今は夕食を考えなければ。

 そう思い、いつも使っているスーパーへと足を向けた時。

 

『…………』

「どうしたの?」

 

 不意に、服の裾を掴まれた。振り返ると、いつも自分についてくる毛むくじゃらのモンスター――『クリッター』が、服の裾を引いている。

 幼い頃から常に一緒にいる精霊だ。言葉を発することはないが、何となく想いは伝わってくる。

 ちなみにいつもならどこからか精霊が寄ってきたりもするのだが、今日はいない。

 

『…………』

「えっ、あっち――あれ?」

 

 もう片方の手で一方向を指差すクリッター。その先に、妖花は珍しい人影を見つけた。

 

「新井、さん?」

「んー?」

 

 こちらの声に気付き、振り返る一人の青年。その手には花束が握られている。

 

「あれ? 何でこんなとこに?」

「えっと、私は夕食のお買い物に行こうと思っていまして……」

「ああ、そうか。今は〝祿王〟のとこに世話になってるんだったよな。東北出身ってのが印象強過ぎて驚いたよ」

 

 はっは、と快活に笑う新井。あの、と妖花は新井へと問いかけた。

 

「新井さんは、どうして大阪に?」

「ん? まあ、用事だよ。一つは今さっき終わった。で、この花束はプライベートで必要でな」

 

 苦笑しつつ言う新井。そうなんですか、と妖花が頷くと、新井がんー、と唸りつつ妖花へ問いかけた。

 

「そういや、巫女なんだよな?」

「はい。えっと、見習いの様なものですけど……」

「……ならさ、死者の弔いとかって……できるか?」

 

 そう言って、新井は遠くを見つめる。

 そして、彼はポツリと呟いた。

 

「命日なんだよ。……祖父の」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 現日本アマチュア№1デュエリスト、新井智紀。

 名門中の名門である晴嵐大学で一年時後半よりレギュラー、そしてエースの座に就き、今年と合わせて四年連続団体優勝を果たしたプロ注目の存在だ。

 個人としても日本で行われた幾多の大会で結果を残し、話題となった〝ルーキーズ杯〟では予選から勝ち上がり、ベスト8の成績を残したことも知られている。

 インターハイなどに比べ、大学リーグはリーグ戦の性質上戦う学校が固定されているために盛り上がりに欠ける部分が多い。極論だが『負けても次がある』というシステムが一発勝負であるインターハイなどに比べて緊張感が劣っていると観客の目に映るからだろう。それ故、強豪同士の試合でもなければ観客がそう多くなることはない。

 だが、新井智紀の場合は違う。

 彼の大学時の成績を見るとそれこそ今までの人生において成功の道を歩み続けているように思えるが、真実は全く逆だ。彼は常に挫折し、敗北し、地に這い蹲ってきた。

 全日本ジュニア、ルーキーリーグ、ミドルカップ、インターハイ……彼は高校を卒業するまで、ただの一度も大きな大会において表彰台は愚か入賞さえしていない。いや、それどころか高校生の際には決して強豪とは言えない学校に所属していながらも三年間、ベンチ入りすらできなかった。

 そんな状態では晴嵐大学へ推薦入学もできるわけがなく、彼は一般入試で入学。

 ――そして、才能が開花した。

 大衆が望むのは〝生まれながらの王〟の物語ではなく、〝平民の成り上がり〟だ。そういう意味で、彼は実に都合が良かった。

 瞬く間にヒーローとして祭り上げられ、そして、終ぞ潰れなかった新井智紀という青年。

 しかし、大衆は知らない。

 彼は、大学に入っていきなり才能が開花したわけではなく、やはり挫折を味わったということを。

 そしてそれでもなお、立ち上がったことを。

 最弱の凡人が、日本最強の大学生となったその意味と、理由を。

 大衆は……知らない。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 いわゆる神道と仏教は考え方の根本が大きく違う。防人妖花は身近に精霊を感じ、神を感じ、死者の魂をも感じることができるが、それでも専門は神々の世話でありその言葉を伝えることだ。故に、死者の弔いなどは専門外である。

 とはいえ、妖花の暮らしていた村は小さな村だ。故に両親はそちら方面のこともしていたし、知識もある。

 ……それに。

 命日、と言った時の新井の表情の中に覚えのあるモノを感じてしまった。

 両親の仏壇へと手を合わせる、あの時のような感覚を。

 

「時間、大丈夫か? そんなに時間はとらせないつもりだけど」

「はいっ、大丈夫です。えっと、澪さんも夕方まで起きて来ないと思いますので」

「え? 〝祿王〟ってそんななのか?」

「はい。えっと、基本的にお昼まで寝てます。後、夜が遅いと夕方まで起きて来なかったり……」

「いや外と内でキャラ違い過ぎるだろ」

「人に見られているのとそうじゃないのとで違う、とか」

「イメージ変わるなー」

 

 あっはっは、と笑う智紀。どことなく少年のように笑う人だ。笑い方で言うなら澪の方がよっぽど大人に見える。……色んな意味で。

 

「あの、それで……命日、って」

「ん、祖父――って言い難いな。爺さんの命日なんだ、今日。毎年墓参りには無理してでも来てたんだよ。今年は流石に外せない用事でな……。『阪急ジャッカルズ』の事務所に行ってきたし」

「えっ!? ジャッカルズってプロチームのですか!?」

「おう。ドラ一で指名するのでよろしくお願いしますー、ってな。まあ、指名前挨拶だよ。とりあえず他にも六チームくらい受けてる。ドラ一かどうかはわからんが、調査書は送られてきてるし」

 

 苦笑しながら言う智紀。やはりアマチュア№1の名は伊達ではないらしい。

 プロチーム――デュエルをする相手すら満足にいなかった妖花にとっては憧れの存在だ。ずっとテレビで眺め続けていた世界。そこに、新井は向かっていく。

 改めて凄い人だ、とそう思う。彼だけではなく、既にプロとして活躍している澪や美咲なども。

 

「でもまあ、丁度良かったよ。交通費が辛かったし。挨拶のおかげで向こう持ちだ。いやー、日頃の行いのおかげかね」

「交通費、ですか?」

「貧乏学生にアレはキツい」

「新井さんは、アルバイトは何かされてるんですか?」

「DMのコーチをちょっとな。小さい教室で、まあ、適当に。時給安いけど楽だし、意外と高齢の人とかも来ててな。面白いんだよ」

「デュエル教室……澪さんもやってます」

「流石に〝祿王〟と比べられるとなー……。素人の真似事だよ。まあ、在学中はずっとやってたし、おかげで応援しても貰ってるし。いい経験だよ」

 

 笑いながら言う新井。そんな風に雑談をしながらしばらく歩くと、小さなお寺に着いた。その門を開け、新井は庭の掃除をしていた住職へと軽く頭を下げる。

 

「ども、お久し振りです」

「おお、キミか。一ヶ月振りくらいかな?」

「ですね。あ、これお土産です」

「気を遣ってもらわなくてもいいのに」

「いやまあ、礼儀的な感じで」

 

 新井が苦笑する。住職はにこやかな笑みを浮かべ、ありがとう、と頷いた。

 

「後で家内と一緒に頂くよ」

「ういッス」

「それで、そちらの子は?」

 

 新井からお土産を受け取り、住職がこちらへと視線を向けた。いきなりのことに動揺し、妖花は言葉を詰まらせる。

 ああ、と新井が妖花の肩を軽く叩く。そして何かを言おうとした瞬間。

 

「――まさか、娘さんかい?」

「知り合――はあっ!?」

「えっ、あ、えっ?」

「いやぁ、若いと思っていたが……そうか、社会人だから当たり前だね」

「い、いやいや違うって!? つか俺大学生だぞ!?」

「何? 新井くん、いくらなんでも学生でこんなに大きな子を……って、キミはいくつだい?」

「え、えっと、十二歳です」

「………………新井くん、ちょっと本堂に来なさい」

「いやいやいやいやいや!? 落ち着いてくださいよ!?」

「『説教』、というのは坊主の特権でね」

「嫌な特権だな!」

「まあ、とにかく来なさい。お祖父さんに会う前に煩悩を叩き壊してあげよう」

「いやだから話聞け!」

 

 連れて行かれる新井。妖花は、それを呆然と見送り。

 そして、ふと噴き出した。

 

『…………?』

「……面白い人ですよね、新井さん」

 

 小首を傾げる毛玉にそう笑いかけながら、クスクスと妖花は笑う。

 まるで、年相応の……少女のように。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

「住職さん、新井さんのこと知らないんですね」

 

 墓参りの準備をする新井の背中を見ながら、妖花は新井へとそう問いかけた。ああ、と新井がこちらへ背を向けたまま頷く。

 

「あの人、DMについてはほとんど無知だからな。ちなみに大の野球好き。で、その話になると毎回俺とは喧嘩になる」

「そうなんですか?」

「昔から天敵同士だからな。こっちと東京のファンは。アロウズとジャッカルズのファンも似たようなもんだけど」

 

 バケツに水をくみ終え、新井が立ち上がる。その新井の後を追い、妖花も静かな墓地を歩いていく。

 そこからは、しばらく無言だった。新井が丁寧に墓石を洗い、線香を上げ、そして周囲の墓石にも線香を上げていく。妖花は両手を合わせ、静かにそれを見守っていた。

 静かだ。何も聞こえず、風さえ吹かない。

 嫌が応にも、この光景を前にしては自覚する。

 ――ここは、生者の領域ではないと。

 

「…………」

 

 膝を折り、無言で手を合わせる新井。結局、妖花は何もしていない。いや、する必要などなかった。

 新井智紀という青年は、死者に対して最大限の敬意を持っていたから。

 ……どれぐらい、そうしていたのか。

 新井がゆっくりと腰を上げ、その手を降ろす。墓石を見つめるその瞳は、どこか寂しげだ。

 

「……なあ、爺さん」

 

 ポツリと、新井が呟く。

 風もない空間に、その声はやけに大きく響いた。

 

「俺、プロになるよ」

 

 その言葉は、あまりにも短く。

 しかし、多くの想いが込められていて。

 

「ありがとう」

 

 何も知らない妖花は、ただ、見守るしかない。

 ゆっくりと頭を下げ、もう一度手を合わせる新井。

 ――行こうか。

 空になったバケツを持ち、新井が歩き出そうとする。

 

 不意に、風が流れた。

 そして、妖花は理解する。

 

 

〝強くなったなぁ、智紀〟

 

 

 この声が、あの人が。

 新井智紀という人間にとって、大切な人。

 

 伝えなければ、と思った。

 死者は生者と交わってはならない。死者が生者に関わることは、結果的に邪道となってしまうから。

 だから、妖花も必要以上に関わらない。それはしてはいけないことであるが故に。

 

「新井、さん」

 

 けれど、この時は。

 伝えなければ、いけないと思って。

 

「ん? 何だ――」

 

 こちらへと、青年が振り返る。

 

『智紀は、強い子だよ』

 

 その動きが……止まった。

 

『あんなに泣き虫だったのに、泣かなくなった』

 

 新井が、目を見開く。その瞳はこちらを見ているようで、見ていない。

 彼が見ているのは――視えていないのに見ているのは、私の後ろにいる人だから。

 

『忘れないでいてくれて、ありがとう』

「……当たり前だろ」

 

 一度を目を伏せ、新井は言う。

 

「俺が負けてばっかなのに、じいちゃんだけが……じいちゃんだけが、励ましてくれたんじゃんか。なのに俺、一度もじいちゃんに良いとこ見せらんなくて。いつも、いつも見に来てくれたのに」

 

 その瞳に、きっと涙はない。

 視界が滲んで、もう、わからなかったけれど。

 きっと、彼は哭いていなかった。

 

「俺、勝ったのに。遅過ぎてさ。見せらんなくて。ごめん、じいちゃん。本当、ごめん」

『いいや、ずっと見てたよ。智紀は……強い子だ』

 

 ありがとう、と新井が呟き。

 気配が、消えていく。

 

『お前は、わしの誇りだよ』

 

 

 ――最後まで、彼は泣かなかった。

 むしろ、泣き崩れた私を背負ってくれて。

 

 これがこの人の理由なんだと、そう思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 帰り道。どうやら澪は自分が出た後に起き出し、学校にちゃんと出席したらしい。合流しようというメールが来たので、今はアカデミア・ウエスト校に向かっている途中だ。

 

「爺さんはさ、俺にとって唯一の理解者だったんだ」

 

 道中、新井は少しだけ話してくれた。

 

「俺、昔はもうこれ以上ないくらい弱くてな。親にも諦めろって何度も何度も言われて。爺さん、俺が小さい時に婆ちゃん亡くしてから東京に来ててさ。まあ、本人の希望で墓はこっちに、ってことになってたんだよ。……昔、親に何か言われる度に、爺さんのとこに逃げててな」

 

 あはは、と笑いながら言う新井。その表情に、翳りはない。

 

「大学でも、最初は駄目だった。晴嵐大学って六軍まであるんだよ。部員数も400とかいるしな。俺は最初、六軍だった。入部の時に一度も勝てなかったんだ。マジで泣きそうだったよ。惨めでな。どんだけ弱いんだよ、っていう」

 

 その表情は変わらず笑顔。

 けれど、その時に感じた絶望は、きっと本物だったのだろう。

 そうでなければ……こんなにも、泣きたい気持ちになるはずがない。

 

「でさ、もうやめようと思って家に帰ったら。……じいさん、亡くなってたんだよ」

「……それは」

「前の日まで元気だったのにさ。俺がスーツ着て、大学生だ、って言ったら本気で喜んでくれてて」

 

 何でだろうな。

 そんな呟きを、彼は漏らす。

 

「『ジェムナイト』はさ、じいさんが俺の入学祝に用意してくれてたもんなんだよ。間に合わなかったみたいなんだけど。後で届いたんだ。

 ……そこからは必死だったよ。せめて一度だけでも、ってデッキ考えて部員全員のデッキ分析して。小さな大会で勝って、少しずつ部員相手に勝って。

 で、気が付いたら『エース』なんて呼ばれてた」

 

 それだけだよ――新井は、そこで言葉を切る。丁度、校門前に辿り着いたところだ。

 

「お、妖花くん。こんにちは。新井くんもお疲れ様だ」

「はいっ、こんにちはです」

「ういッス」

 

 校門前で何やらハードカバーの本を読んでいた女性――烏丸澪が、こちらの声に笑みを浮かべて頷く。

 

「無事に予定は済んだのかな?」

「はい。えっと、この後夕食の買い物に行かないといけないんですけど……」

「それは丁度いい。荷物持ちがいる」

「へ? 姐御、俺荷物持ち確定なん?」

 

 自身を指差しながら現れたのは、ウエスト校の生徒である菅原雄太。その傍には二条紅里も控えている。

 

「こんにちは~、妖花ちゃん」

「はいっ、こんにちはです」

「おお、今日も可愛いなぁ」

「……ロリコンが」

「何やとコラァ!」

 

 ボソリと新井が呟いた言葉に反応する菅原。そのまま、いつものやり取りが始まる。

 

「大体何で大阪おんねん」

「そりゃお前、用事あるからだろ」

「あん? 用事?」

「墓参りだよ」

「……あ、それはなんか、その、ご愁傷様です」

「いやしおらしくされても困るんだが」

 

 穏やかな光景に、思わず笑みが零れてしまう。それに気付いてか、そうだ、と新井が頷いた。

 

「何か奢るよ。今日の礼だ」

「え、そ、そんな、悪いです」

「気にすんな」

「お、マジで? よっしゃ高いもん食うで!」

「さも当然のように奢られようとすんじゃねぇ。テメェは自腹だ」

「えー、今月ピンチやのに」

「んー、じゃあ、ファミレスなんてどうかな~?」

「ああ、丁度いいな。では行こうか」

 

 歩き出す一行。その中で、新井の背中を見つめながら。

 彼が口にしなかった、最後の言葉を妖花は思い浮かべる。

 

 ――けれど、遅かった。

 きっと彼は、最後にそう心の中で呟いたはずだ。

 己にとって唯一の理解者だった人に。

 ただの一度も、勝利の姿を見せることができなかったから。

 

(でも、大丈夫です)

 

 想いも、言葉も届いている。

 交わることは、許されないけれど。

 それぐらいは……きっと、許されるはずだから。

 

 人と精霊、そして髪を繋ぐ存在――それが、〝巫女〟。

 だが、それだけではない。人の想いも、繋いでいく。

 そんな風になれたらいいと……そう、思う。

 

『…………』

 

 自分を見つめる、瞳に気付く。

 うん、と小さく頷いた。

 

「頑張ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――☆――――――――☆――――――――☆――――――――

 

 

 

 

「……おや、妙なところで出会うな」

 

 見慣れた人影に、思わずそう言葉を紡いだ。彼女は今日も仕事のはずだ。特にシーズン開始前ということもあり、まともに休めているかどうかさえ怪しいくらいの激務のはずだが。

 

「それはこっちの台詞ですよ。どないしたんです?」

「例の構築済みデッキ、アレの打ち合わせだ。面倒だが、断るわけにもいかん」

 

 出来れば仕事などしたくはない。それこそ一日中家で眠っていたいというのが本音だ。眠っている間は、嫌なことも考えたくないことも忘れていられる。

 だがまあ、それは願望であるからこそ笑い話で済むともわかっている。実際にそれを行うと、どれだけ惨めかは論ずる必要もない。

 それに、どうせ暇なら少しぐらいは働こうなどと殊勝なことを思うようにもなった。誰の影響だろうか?

 

「ああ、『チャンピオンズBOX』でしたっけ。タイトルホルダー三人がそれぞれ監修するっていう」

「DD氏が上級者向け、清心氏が中級者向け、私が初心者向けという触れ込みだ。とりあえず、とことんまで凡庸にこだわったが」

「それがガジェットですか?」

「『決闘王』が使用していることもあって知名度はあるが、意外と使用者が少ないので丁度いいと思ってな。私のデュエル教室では全員にまずガジェットで学ばせている。アドバンテージの概念を理解するのにあれほど簡単な教材もないよ」

「ガジェット、勝てって言われると難しいですしねー」

「必ず勝てとは言わんが、ガジェットとある程度まともに戦えるように構築できるかどうかがデッキ完成度の一つの指標だろうな」

 

 まあ、結局は楽しめるかどうかだ。未だに『楽しむ』という気持ちを理解できているかどうか怪しい部分があるが……子供たちには、DMを楽しめるように教えることができればいいと思う。勝ち負けはその後だ。

 そしてそれは、あの少年についても。

 彼はいつも、己を責めるようにデュエルをするから。

 

「清心さんは確か、『戦士族』でしたっけ?」

「所謂『切り込みロック』を中心に、『一族の結束』と『不死武士』の組み合わせで戦うデッキだな。毎ターンの2000打点は強いぞ」

「シンクロカードも一枚入ってるんでしたっけ?」

「『ジャンク・ウォリアー』だな」

「……あれ? ウチの記憶が正しかったらあのカード、縛りありましたよね? 不死武士関係ないやん」

「そういうところが清心氏らしい」

 

 嫌がらせのようでいて、決まればそれだけで相手を沈めることができるコンボがいくつか仕込まれている。まあ、各カード一枚のみで40枚というルールのせいで複数買う必要があるが。

 

「で、DDさんは」

「『ドラゴン族』だな。あれは難しいぞ。しかもバニラドラゴンという無茶振りだ。強いが」

「面白そうですねー」

「まあ、そういうわけで今日はこっちにいる。この後、妖花くんを迎えに行ってそのまま帰る予定だ」

「……そっか、行ってくれてるんですもんね」

 

 微妙に目を伏せる、目の前の彼女。考えていることは手に取るようにわかる。

 だって、私も同じことを考えているから。

 

「この後、ペガサス会長のところに行くんです」

「……例の〝三幻魔〟か」

「はい。それで、祇園も守護者に選ばれてます。……あんまり、気は乗りませんけど」

「彼の実力についてはキミも疑っていないだろう?」

「それは勿論です。でも、なんて言うか。祇園、自分を追い込んでばかりやから」

「アレは最早病気だからな」

 

 思わずため息が零れる。もっと楽に生きる術などいくらでもあるはずなのに、それでも、はあんな形で生きている。どうにも不器用だ。

 まあ、人のことは言えないのだろうが。

 

「でも、信じるって決めてます。きっと、大丈夫って」

「彼が何も言わなくても、かな?」

 

 言葉にしなければ、想いは伝わらない。

 だから人は、すれ違う。

 

「わかりますよ。祇園のことやもん」

 

 だというのに、彼女は躊躇いもなくそう言葉を紡ぐ。

 

「わからんよ。少年のことだからな」

 

 そしてだからこそ、私はこう言葉を返す。

 

「……もう、行きますね」

「ああ。私もそろそろ向かわなければ妖花くんを待たせてしまうな」

 

 彼女は忙しい身だ。故に引き留めることはしない。

 ただ、一つだけ。

 

「一つだけ、聞いてもいいかな?」

「何ですか?」

「恋をするとは、どういうことだ?」

 

 その問いに、彼女は驚いたような表情を見せ。

 僅かに、苦笑した。

 

「それはきっと、言葉で説明できるようなことやないですよ」

「……やはり、人の気持ちというのは私には理解できないようだ」

 

 苦笑し、彼女に背を向ける。

 鞄に入った、一冊の本。いつもなら気にもならないはずなのに。

 今日だけは、酷く……重く感じた。

 










予想外の票数の新井さんと、圧倒的票数の姐御のちょっとしたお話。
まあ、姐御はおまけですが。この人は今後いくらでも出番があるので。





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