遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々―   作:masamune

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第四十二話 夢のような時間の終わり

 

 

 

 しがらみというのは本当に面倒だと、烏丸澪はそう考える。

 人は一人では生きていけない――そんなことを言ったのは誰なのか。面倒なことにそれは真実だ。特に自分は一人でしかいられないくせに一人では生きられないという難儀な性質をしている。

 まず第一に、家事だ。あればかりは本当にどうしようもない。何度か挑戦したが、全て挫折した。

 昔は世話役の者が何人もいたし、そもそもそういったことをさせてもらえなかった。興味もなかったし、子供ながらに彼らの仕事を奪うことも気が引けたので特に何もしなかったのだが、それが尾を引いている。

 半分だけ同じ血が流れている弟のような存在は逆にある程度の家事ができる。一時期彼ともう一人の三人で暮らしていた頃は頼り切りだった。独り暮らしを始めてからはたまに来てくれる二条紅里に頼っていたのが現実である。

 そういう意味で、夢神祇園――彼の存在には相当助けられている。外食も悪くはないが、やはり手作りというものはありがたいのだ。

 その辺の恩も含めて彼のことについては色々と自分の中で整理できない感情があるが、まあそれはこの際置いておく。問題は、今正面に座っている人物だ。

 

「……私に、ですか」

「Yes,澪ガールに受け取って欲しいのデース」

 

 差し出された小振りなスーツケース。小さいながらも見た目から厳重な作りであることがわかるそれに視線を送りながら呟いた言葉に、相手はにこやかに頷いた。

 ペガサス・J・クロフォード。I²社の会長にして、DMの第一人者である人物だ。澪にとっては最大のスポンサーの一人でもあるし、茶飲み友達でもある。面倒事を頼まれることもある相手だ。

 朝方から呼び出され、睡眠をとることを要求する眼を擦りながら訪れてみればいきなり差し出されたモノ。中身の検討はついている。普通ならありがたく貰い受けるものなのだろうが、澪としては正直気が進まない。

 自分が『コレ』を持つのは、何かが違う気がするのだ。

 

「ありがたい話ですが、お断りさせていただきます」

 

 故に、即答でそう応じる。別に今更取り繕う必要がある相手でもない。

 ペガサスはオゥ、と小さく声を漏らすが、表情は笑みのままだ。おそらくこちらの解答を予測していたのだろう。

 

「デスが、あなた以上にこれを持つ資格があるデュエリストはいないのも事実デース」

「大会でも開いて探してみては如何ですか?」

「このカードを除く残る二枚のうち、片方はそうする予定デース。しかし、このカードたちはあまりにも強い力を持っていマース。持つ者が過てば、災いを呼ぶほどの……。そこで澪ガール、あの二人とも近い場所にいるあなたに託したいのデース」

「……万一の時のことを考え、抑止となれと?」

「That's right」

 

 にこにこと笑顔を浮かべて言い切るペガサス。面倒だ、と心の底から思った。そもそも自分に抑止力という役目を期待する方がおかしい。今でこそ落ち着いているが、元々の自分はこれ以上ないくらいに壊れた人間だ。何人も壊し、砕き、そして切り捨ててきた。

 それこそ、自分自身の欲望のためだけに。

 祇園には決して知られたくはない過去の所業。ペガサスもそれを知っているはずなのに、なぜそんな役目を自分に任せようと思うのか。

 

「DD氏や清心氏など、候補は他にも……というより、私より適任な方は大勢おられるように思いますが」

「ミスター・スメラギはこういう役目には向いていないでショウ。DD氏は大事な時期デスから、無用な負担をかけたくありまセン」

「……まあ、確かに清心氏がこういった役目に向いていないことには賛成しますが」

 

 自分のことは棚に上げつつ、澪は言い切る。そもそもあの人物は自分からこちら側へと踏み込み、その上で正気を保っている異常者だ。常識を知りながら、それでも不条理を受け入れる。それを〝狂気〟と呼ばずになんという。

 大体、この間偶然ペガサスが連絡を取っているところに居合わせた時、アメリカで何やら気に入った少年に教えを授けていると言っていた。あの男の性質を知る身としては、正直信じられない。

 あの男が抑止力になどなれるはずがないし、保険になどなるはずがない。むしろ爆弾と化す。……人のことは言えないが。

 

「いずれにせよ、私には荷が勝ち過ぎていますよ」

「しかし、デッキは組んだのでショウ?」

「『鳥インフルエンザ』ですか? アレは冗談で少年たちとデュエルするために組んだモノですよ。信頼などできません」

「……そのワードはデリケートなので気を付けてくだサーイ」

 

 眉をひそめながらペガサスはそんなことを言う。今更のことだと思ったが、反論するのも面倒なので頷いておいた。そもそもこれを外で使うつもりはないし、別に問題はない。

 僅かな沈黙。気まずいわけでもない、刹那の沈黙が流れ。

 では、とそれを打ち切るようにペガサスが言葉を紡いだ。

 

「一度澪ガールに預けるとしまショウ」

「……お断りしたはずですが?」

 

 話を聞いていなかったのか――そんな意味も込めた視線を向ける。ペガサスは苦笑を零し、言葉を続けた。

 

「私が頼みたいのは、『見極め』デース」

「見極め?」

「Yes,澪ガールが使わないというのであればそれは構いまセン。ただ、もし澪ガールの目から見て的確だと思える相手がいたら……その者に渡してくだサーイ」

「宜しいのですか? それでは私が気分の赴くまま、その辺りを歩いている子供に渡すかもしれませんが」

 

 可能性、というものを見極める眼力は持っていない。自分にわかるのは同種と近い存在だけだ。それでさえ辺りはないから救えないが。

 雰囲気で察することはできるが、それも万能ではない。そもそも、自分より強そうな者などそう出会ったことがないので意味はない。

 

「ノープログレム、私は澪ガールを信頼していマース」

 

 笑みを浮かべるペガサス。こういうところは流石に世界有数の大企業、その会長である。人の心への入り方をよく心得ている。

 澪はふぅ、と息を吐くとわかりました、と頷いた。

 

「とりあえずは受け取りましょう」

「ありがとうございマース。……そのカードに限らず、役目を持つカードたちは必ず相応しき持ち主の元へと渡ることになるでショウ。澪ガール、あまり気負わないでくだサーイ」

「成程、そういうことならその辺のデュエリストにでも渡しましょうか」

 

 半分冗談、半分本気でそう言い切ると澪は席を立った。とりあえず今日は夕方から予定がある。今はまだ昼にもなっていないので時間はあるが、それならそれで行きたいところがあるのだ。

 

「では、よろしくお願いしマース」

「期待はなさらないでください」

 

 そう返事を返し、スーツケースを手に持って部屋を出る。

 面倒だと、そんなことを思った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 しかし本当に面倒だ、と澪は思った。とりあえずスーツケースを持って目的地に向かっているが、託せる相手の心当たりなどあろうはずがない。

 

(紅里くんも菅原くんも少し違う気がするな……。少年や美咲くんに渡すも何か違う気がする。さて、どうしたものか)

 

 自分が持っていても使わないし、そもそも使えない。先程からずっと感じる気配――スーツケースの中から伝わってくる感情からして、使うことはできないだろう。

 本当に面倒だ――そんなことを思う。

 

(……私に敵意を向けられても困るのだが、な)

 

 思うのだが、仕方がないことでもあるだろう。精霊と心通わせる者――それは心優しき、正しき力を持つ者だという。そしてはそれは、烏丸澪とは真逆の存在だ。

 自分は決して『正しい者』ではない。それは確定した事実であり現実だ。こんなものが正道であるはずがない。邪道にして異端。それが烏丸澪だ。

 故に、澪は精霊たちと心を通わせることはない。言葉を交わすことはできるし、姿を見ることもできる。だが、彼女の前ではほとんどの精霊が姿を隠してしまうし、彼女も関わろうとしない。互いの不可侵。それが妥協点だ。

 そんな自分に力持つカードを託す相手を探させるとは。ペガサスも妙なことをする。

 

(消去法とはいえ、酷過ぎる選択肢だ)

 

 選択肢の全てがバッドとは、中々に終わっている。

 

「…………む?」

 

 考え事をしながら歩いていると、公園の前に辿り着いた。外にまで聞こえてくるいくつもの声。クリスマスということもあり、多くのカップルが公園内にいるが、その中でも各所でデュエルが行われている。

 デュエルディスクを付けて公園に行けば相手に困ることはない。それは常識だ。昼間はともかく、澪も夜にはよく訪れた。

 

「……丁度いいかな?」

 

 それこそ適当な誰かにでも渡せばいい。そんな軽い気持ちで澪は公園へと足を踏み入れる。目に入るカップルの姿に何ともいえない気分になりつつ――そういえば昨日、祇園の販売しているところに女性が何人も来ていたな――澪は公園内を進んでいく。

 ……あれは一時的なブームのようなモノだ。祇園は顔も悪くないし、大会だけを見れば確かに格好良い。背負った物語もある。そういう意味での人気だろう。そのうち廃れるはず。

 うんうんと納得しつつ歩いていく澪。そこで、見覚えのある背中を見つけた。

 

(おや、あれは……)

 

 ベンチに座っているが、その長い茶髪には見覚えがある。確か、デュエル・アカデミア本校の女生徒だったはずだ。十代や祇園と話していたのを覚えている。

 名前は知らないが、一応顔は知っている。ふむ、と澪は一度思案すると、すぐさま行動に移した。

 

「隣、構わないかな?」

「あ、はい。どうぞ――」

 

 声をかけると、少女は顔を上げて頷いてきた。そしてこちらを見た瞬間、その体が固まる。

 

「え、あ、ろ〝祿王〟――!?」

「――シッ。あまり騒がれるのは好きではないのでな。容赦してくれ」

 

 人差し指を唇に当てつつ澪が言う。相手の少女はコクコクと頷いた。手で口を覆い、驚いた表情を浮かべている。

 真面目そうな子だ、とそんなことを思いつつ隣に腰掛ける。肌寒い風が駆け抜けた。

 

「あの、どうされたんですか?」

 

 遠慮がちにこちらへと声をかけてくる少女。澪はうん、と一度首を傾げてから言葉を紡いだ。

 

「理由は特にない。目的地の途中に立ち寄っただけだよ」

「そ、そうですか……」

「そういうキミはどうして一人でこんな場所に? 私が言えた義理でもないが、今日はクリスマスだ。良人と過ごすのが一番だとは思うが」

「私にはそんな相手はいませんから」

「ほう。なら、私と一緒だな」

 

 即座に帰って来た言葉に、苦笑を交えてそう返す。少女はハッとした表情になると、すみません、と頭を下げてきた。構わんよ、と澪は軽く手を振る。

 

「そんなことでいちいち目くじらを立てるような性質でもない。……だが、それなら尚更一人でどうしたんだ? それこそあそこでデュエルをしている者たちにでも混ざればいいだろうに」

 

 前方へと視線を向ける。そこでは見覚えのある者たちがデュエルを行っていた。カップルも多いが、そうでない者も勿論いる。

 ……というか、騒いでいる者はそういった者が大半だ。

 

 

「カップル撲滅じゃあああああああっっっ!!」

「リア充は滅びろぉぉぉっっっ!!」

「新井さーん、デュエルしようぜ。集合時間まで暇だし」

「十代、普段の俺なら頷くところだが今日は駄目だ。俺には使命がある。そう、全てのリア充を滅ぼすという使命がな。……つーか菅原どこ行きやがったぁっ!? アイツまさか女とデートしてんじゃねぇだろうな!?」

「そもそもクリスマスはキリストの生誕を祝う日であってカップルの記念日ではないんだがな。全く、嘆かわしいことだ」

「三沢くん、膝が震えてるッスよ?」

「翔、三沢は今必死で理論武装してるんだな。そっとしておいてあげた方がいいんだな」

「なぁ翔、今日なんかイベントでもあんのか? みんな変なんだけど。クリスマスってだけだよな?」

「アニキは知らなくていいッス……」

 

 

 とりあえず、見なかったことにしておく。関わるとろくなことがない。

 

「まあ、あそこに混ざれとは言えんが。全く、パーティの前に騒ぎを起こすつもりか」

「本当、呆れます」

「それでもこうして見守っているのだから、放っておけないのだろう? 面倒見のいいことだ。あそこにいるうちの誰に対しての者かは知らんが」

 

 くっく、と笑みを零しつつ言うと、少女は焦った表情で否定してきた。まあ、別にどちらでもいい。関わるつもりもない。

 公園の中央で騒いでいる学生たち。結局身内でデュエルを始めるあたり、本当に決闘バカなのだろう。……祇園があそこにいないことは喜ぶべきか。

 

「――浮かない表情は、彼らの事ではないのだろう?」

 

 空気が、僅かに変わった。

 少女の方へ視線は向けない。どんな表情をしていようが、気にする必要もないことだ。

 

「私は万能の神様ではないから、キミの悩みについてはわからない。だがまあ、悩みなど大抵が後から思えばくだらないと思えるようなモノばかりだ。あまり思い詰めない方がいい」

 

 苦笑する。偉そうに――心の中で自らを嘲弄する声が聞こえた。

 思い詰めるな。その言葉は、自らに対して紡ぐべき言葉だというのに。

 

「ここで会ったのも何かの縁だ。これを受け取ってくれると嬉しい」

 

 椅子の上にスーツケースを置く。少女は驚いた表情を浮かべた。

 

「え、えっ……?」

「気に入らないようなら誰かに渡すか、それこそ捨ててくれても構わんよ。……それではな」

 

 背を向け、歩き出す。冬の寒さは身に堪える。

 背後から少女がこちらを制止しようとする声が聞こえたが、振り返らぬまま手を振ることで応じた。

 

「……今日は冷えるな」

 

 身を震わせながら。

 烏丸澪は、公園からその身を運び出す。

 

 相変わらずの、騒がしくも楽しそうな声が……聞こえてきた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 いきなり渡されたモノに、困惑するしかなかった。日本タイトル〝祿王〟を有する正真正銘の天才、烏丸澪。そんな人物に声をかけられただけでも驚きを通り越して奇跡の様なものだというのに、そんな人物からスーツケースまで手渡された。

 

(何なのかしら……)

 

 渡され、しかも渡してきた人物が立ち去ってしまった以上受け取るしかない。少々怖いが、〝祿王〟から渡されたモノだというのなら危険なものではないだろう。

 漠然とした不安と、僅かな期待を込めてケースを開く。そこに入っていたのは、一つのデッキといくつかのカード。

 ――シンクロモンスター。

 昨日、学友である夢神祇園が使ったカードと同じカテゴリーのカードたちだった。

 

「これ……」

 

 それらを手に取りつつ、困惑する。昨日発売された新パックにはシンクロモンスターが封入されていたという話だが、一人10パックまでという制限もあって手に入れることはできなかった。調べると、早速シンクロモンスターにはシングル販売で凄まじい金額が付いている。

 それほどまでにシンクロは貴重だ。なのに、こんなに――

 

「…………」

 

 悩みは、確かにあった。

 アカデミア入学と共に組み上げた自分のデッキ。だが、周囲とのデュエルを通し、自分の中で限界を感じるようになってしまったのだ。

 デュエリストの道を選んだ以上、言い訳など決してしたくない。一人のデュエリストとして認められたいと思っているし、そうなれるよう努力してきたつもりだ。

 だが、このままでは勝てない相手がいることも知ってしまった。

 今は良い。まだ喰らいつける。だが、いずれきっと置いていかれてしまう。

 

(それは……絶対に受け入れらない)

 

 強くなるために。強くあるために。

 その想いは、ずっと変わらないモノだから。

 

「……使わせて、もらいます」

 

 デッキを手に取り、軽く撫でる。

 ――竜の嘶く声が、聞こえた気がした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 アカデミア合同のクリスマス会が、ホテルの宴会場で行われている。

 合同とはいっても、これは学校が主催したものではない。〝ルーキーズ杯〟で交流ができた者たち同士で企画が持ち上がり、気が付けばかなり大規模なものとして行われることになった次第だ。

 無論、強制参加ではないためにいない者もいる。それこそ恋人がいる者は愛する者と過ごすことを優先しているだろう。

 笑い声が響き、話し声が響き。会場は笑いに満ち溢れている。

 

 

「俺が一倍信頼するカードはやはり『パワー・ボンド』だ。リスクも大きいが、それを補って余りある力を持っている。リスクを恐れず突き進むこと。それが覚悟だ」

「ほぇー、しっかりしとんなぁ。俺は信頼しとるんはやっぱ『裁きの龍』やな。あれが決まるとゲームエンドまで持ってけるし」

「俺は『フレイム・ウイングマン』だな! 俺の一番大切なHEROだぜ!」

「色々あるんだな、お前らも。……つか菅原、テメェ二条さんとデートしてたってマジかコラ?」

「ん? ふっふっふ~」

「テメェ……どつき回すぞコラ」

「紅里さん、昼はどこに行っておられたんですか? 祇園さんとカードショップに行くのでお誘いしようと思ったら、おられなかったので」

「ん~? えへへ~、ちょっとね~」

「……よし菅原。覚悟良いな。死ね」

「ド直球やなオイ!? つーか知らん間に囲まれとる!?」

「クリスマスだもの。二条さんもそういうことぐらいあるでしょう?」

「デートですか!? そうなんですか!?」

「んー、そうだったら良かったんだけどね~」

「え、違うんですか?」

「あまり大きな声では言えないんだけど、ドラフトのことでちょっとね~。ゆーちゃんと一緒に話を聞いてきたんだ~」

「紅里さん、プロになるんですか? おめでとうございます!」

「うん、ありがとう~。まあ、7月のドラフトで、だけどね~。国大とインターハイの結果もあるから、わかんないよ~」

「なんや、じゃあデートと違ったんや」

「うん、違うよ~。私以外にも何人かいたからね~」

「……まあ、なんや。涙拭け菅原」

「……クリスマスに何でドラフトの話……。いや光栄やけども」

「あー、そっか。確かにこのタイミングで意思確認は必要だもんな。俺は終わってるけど」

「プロかぁ……やっぱ皆凄ぇなぁ……」

 

 

 こういう雰囲気は嫌いではない。自分が輪に加わっていなくても、一員であるかのように錯覚できる。

 ……どうしようもなく後ろ向きで、愚かな考え方ではあるのだが。

 それでも、こうして輪を眺めていることは素直に楽しい。たとえ、加わることができなくても。

 ここにいてもいい――そういうことだから。

 

(……む?)

 

 会場の一角。壁際にいる人物を見つける。

 ――夢神祇園。澪の心の中に居座る少年だ。

 元より積極的な性質ではない少年だが、それでも輪には加わろうと思えばできるはず。しかし、彼はそうしない。遠巻きに騒いでいる者たちを見つめている。

 その表情は穏やかだ。しかし、それだけというわけでもない。

 その瞳はどこか寂しげで、また見覚えのあるものだった。

 

(……相変わらず、難儀な少年だ)

 

 そのまま会場を出て行く少年の背を見つめながら、ため息を一つ。本当に、生きていくのに不器用すぎる少年だ。

 憧れるなら、そうなりたいのなら。手を伸ばせばいいというのに。

 自分と違って、夢神祇園は手を伸ばせば『ソレ』を手に入れることができるはずなのに。

 

 陽だまりに背を向ける、その姿の隣に。

 幼き日の自分が歩いているのを、幻視した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 吐く息は白く、駆け抜ける風が急激に体を冷やす。だが、熱気に当てられた体には丁度いい。

 ため息とは違う、しかし決していい意味ではない吐息が漏れた。情けないと、そんな風に自嘲する。

 

(……居辛いなんて、どうかしてるよね……)

 

 アカデミアにいた時はレッド寮での騒ぎに料理を作って参加していたし、〝ルーキーズ杯〟の途中でもホテルでの宴会には参加していた。それを考えれば、『居辛い』という思考を浮かべる自分が異常なのだろうと思う。

 時々あるのだ。こう、どうしようもなく不安になる時が。

 今いるこの場所が、足元から崩れていきそうで。たった一歩さえも踏み出せなくなる。

 

(戻らなきゃ、いけないんだけど……)

 

 足がそちらへと向こうとしない。縫い付けられたように動こうとしないのだ。

 どうしようか、とぼんやり考える。しかし、思考はまとまらない。

 

 ……どれぐらい、そうしていたのか。

 

 振り返った時、ベンチからこちらを見ている一人の女性の姿が目に入った。

 

「……澪さん?」

「冬の寒空の中で夜風に当たるのもなかなか風情がある。惜しむらくは、月さえも見えんところか。雪でも降っていたなら違うのだろうが」

「それだと寒過ぎて外には出ませんよ。澪さん、寒いのは嫌いって言ってたじゃないですか」

「私は暑いのも嫌いだ。ついでに言うと花粉症なので春も嫌いだな」

 

 うむ、と頷きながら言い切る澪。そのままこくりと手に持ったお猪口で何やら透明な飲み物を口にした。何を飲んでいるかについては、いちいち確認する必要はないだろう。

 どう答えていいかわからず、苦笑を零す。澪は頷いた後、大丈夫だよ、と言葉を紡いだ。

 

「私が我儘だということは自覚している。直す気はないが」

「それだと意味ないんじゃ……」

「自覚の有無は大事だよ、少年。世の中には人を殺しても自覚していなかったという理由で無罪となった戯けもいるくらいだ」

 

 それはつまり、自覚をしていても改善するつもりはないというのは最悪ということではないだろうか。

 

「キミが何を考えているかは想像がつくが、この件に関しては改善の余地はない。……人は寒がるし暑がる生物だ。花粉など言語道断。問題外だ」

「いや、僕も花粉は苦手ですけど」

「ほう。良いことを聞いた。紅里くんは全く問題がない体質でな。羨ましい限りだ。これで仲間ができた」

 

 クスクスと笑う澪。その笑顔に少し、ドキリとした。

 それを誤魔化すように、祇園は反射的に言葉を紡ぐ。

 

「でも、どうされたんですか? わざわざ会場を抜け出してこんなところに。飲み物まで持ち出して」

「理由はキミとさして変わらんさ」

 

 その言葉に、心臓が高鳴った。焦りが立ち昇ってくるのがわかる。

 澪は微笑を浮かべたまま、会場の方へと視線を向ける。

 

「ああいう場は嫌いではないよ。私がいても……端に立っていても、邪魔には思われない。輪に加わることはできないが、見ているだけでも良いものだと思える」

「……僕は」

「不便なものだ。本当に、心というモノは。こんなもの、とっくに失くしたと思っていたのに。手が届きそうになると……つい、望んでしまう」

 

 こちらの言葉を遮るように、澪は言い。

 虚空へと、静かに手を伸ばす。

 

「掴めるはずなどないというのにな。本当に、愚かだ」

「そんなこと、ないです」

 

 思わず漏れた否定の言葉は。

 だからこそ、心からの言葉だった。

 

「掴めます。手を伸ばし続ければ、絶対に」

「……キミらしい答えだ。諦めなかった、諦めることを絶対にしなかったキミらしい良い答え。私はキミのそういうところが好きだよ、少年。――だが」

 

 澪の目がこちらを射抜く。だが、その瞳はこちらを責めるようなものではなく、むしろ憂いを称え、寂しげでさえあった。

 

「その言葉は、私に向けた言葉かな?」

 

 一瞬、息が詰まり。

 

「……はい」

 

 少し遅れて返せた言葉には、どれだけの感情が乗っていたのだろうか。

 

「まあ、今はそれでいい」

 

 もう一口、澪はお猪口の酒を口にする。

 

「ただな、少年。私はいつだってここにいる。キミをこうして見守っているよ」

 

 酒のせいか、ほんのりと赤く染まった頬。

 浮かべた笑顔を綺麗だと……そう、思った。

 

「苦しくなったら、振り返ればいい。大丈夫だよ。……私は、ここにいる」

 

 いつの間にか。

 雪が、降り出していた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 幸せを手にすることは、怖いと思う。

 それは自らに幸せになる資格があるのか不安だからだ。

 そしてこの感情は容易く消えるモノではない。

 だから、変わることもない。

 

 祭が終わり、余韻も過ぎる。

 騒がしい日々が終わった後に訪れるのは、日常。

 

 夢のような日々で。

 けれどそれは夢ではなく――現実だった。

 

 不安も、恐怖も、数多くあるけれど。

 それでも日々は――過ぎていく。

 

 

「戻りましょうか。冷えますし」

「……私はもう少しここにいるよ」

「そう言わず。澪さんも一緒に」

 

 

 輪へと踏み出す一歩と、隣へと差し出す掌。

 それを勇気と……そう知った。

 











祭が終われば、待っているのは日常。
そこで浮かべる笑顔には、一体何が込められているのか――






というわけで、後日談。前回美咲ちゃんだったので今回は姐御で。
割と似た者同士の二人。理由は違いますが、行動は一緒という。祇園くんは実は自分から話に加わることができません。いつだって声をかけられ、輪に加わります。一対一ならともかく、集団の中に溶け込むことは苦手なのです。
まあ、『幸福になる』ということに対して根本的な部分で怯えている現状では致し方なしでしょう。


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