幻想殺しと電脳少女の学園都市生活   作:軍曹(K-6)

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レールガン Level5

空の色は闇夜の海のような黒色へと変わっていた。

今宵は三日月。嘲笑う口に似た細い月の光は弱すぎる。町の中心部から離れた鉄橋は街灯もなく、眼下の川の黒と重なってそこだけ黒色に沈んでいるように見えた。

御坂美琴は一人手すりに両手を付いて、ぼんやりと遠い街の明かりを眺めていた。

少女の周りにパチパチと青白い火花が散る。

雷撃と聞くと恐ろしいイメージがあるが、彼女にとってそれは優しい光だった。初めて力を使えるようになった夜の事は今でも忘れない。布団の中に潜って、一晩中パチパチと小さな火花を散らしていた。それは星の瞬きに見えた。大きくなって、もっと強くなったら、いつか星空を作ることができるかもしれない、と本気で考えていた。

そう、大きくなる前の美琴なら。

今となっては、自分には夢を見る資格も無いと美琴は思う。

 

「どうして、・・・・・」

 

・・・・・こんな事になっちゃったのかな、と。美琴は震える唇で呟いた。

もちろん決まっている。筋ジストロフィーの研究の為、という大義名分にそそのかされた幼い美琴が不用意にDNAマップを提供してしまったせいだ。あの白衣の男が最初から嘘を付いていたのか、それとも健全な研究が途中で変質したのかはもう分からない。

かつて、困っている人を助けたいと願った少女がいた。

しかし、そんな少女の願いは、結果として二万人もの人間を殺すことになった。

 

「・・・・・たすけて」

 

脅え、傷つき、ボロボロになった呟きは、ただ闇に消えてゆく。

 

「たすけてよ・・・・・」

 

決して誰にも届かない叫びが、耐え切れずに少女の口からこぼれていく。

と、その時

カツ、という足音が、聞こえた。

 

「・・・・・」

 

美琴は、顔を上げる。

灯り一つ無く、針のように細い三日月の光だけが、ただ少女の取り巻く環境を表現しているかのような、闇吹く夜の鉄橋に

 

「・・・・・おっす。何やってんだよ、お前」

 

その少年は、闇を引き裂くように、やってきた。

暗闇に飲み込まれる少女の叫び声を聞いて駆けつけてきた主人公のように、やってきた。

 

 

 

美琴は夜の鉄橋に一人、ぼんやりと立っていた。

遠くから見えた少女の姿に、上条は正直、胸が潰れるかと思った。あまりにも弱く、もろく、今にも消えてしまいそうなほど、疲れきった少女の横顔。やはり、というかなんと言うか。誰かのこういった表情は『何度見ても見慣れない』と上条は思う。

そして同時に、それで良いんだと思う事が出来た。ああいった表情に何も感じなくなってしまったら、それこそ『終わり』だ。

 

「こーんな遅くまでたった一人で夜遊びするなんて上条さんは許しません! 今すぐそこに正座してごめんなさいするならいつかのように夜通しナイトフィーバーに付き合ってあげても良いんですがいかがでせうか?」

 

ふざけてるようなその声に、美琴は上条の顔を見た。

そこにいる美琴は、いつもの通り活発で、生意気で、自分勝手な御坂美琴だった。

 

「ふん。私がどこで何してようが勝手じゃない。私は超能力者の超電磁砲なのよ? 夜遊びした程度で寄って来る不良なんて危険の内にも入らないわよ。つーかナイトフィーバーって何よ? そもそもアンタになんか言われる筋合いなんてないけど」

 

しかし、その姿が完璧だからこそ、上条はその裏側を見たような気がした。

だからこそ、こっちが先に演技を崩す訳にはいかなかった。

 

「んー。そりゃそうなんだけどさ。一人より二人、二人より三人の方が『宴会』は楽しいし『ごっこあそび』は盛り上がるし・・・・・」

「は、はぁ? アンタ一体何を言って―――」

 

だから、上条は言う。

 

「お前の妹達を使ったふざけた『実験』を止めるのも、楽になるだろうからさ」

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、」

 

その瞬間、御坂美琴の日常は木っ端微塵に砕け散った。

おそらく自分でも顔の筋肉をどう動かしているのか分かっていないのだろう、美琴の頬が壊れたように引きつっていた。

上条の胸がズキンと痛んだ。

恐らく彼女が自分を押し殺してでも守ろうとした何かを、上条はその手で破壊した。

それでも上条は前に進もうとするが

 

「あーあ、なんでそこまで首つっこんで来ちゃうのかなぁ?」

 

まるでそれを遮るように、美琴は言った。

 

「アンタ何者よ? 昨日私のクローンに会ったばっかでここまで辿りつくなんて探偵になれるわよ・・・・・ってか、まさかとは思うけど私の部屋に勝手に上がり込んで家捜ししたりしたんじゃないでしょうね?もしそうだとしたら死刑よ死刑」

 

美琴は何の気なしに、いつものように笑いながら言った。言葉から察するに、もしかしたら『実験』に関するレポートの一つや二つ入手して隠し持っていたのかもしれない。

まるで何か吹っ切れたような笑みが、上条には余計に痛々しかった。

 

「・・・・・ンなこと(少なくとも俺は)してねーよ」

 

『あいつ』はどうだか分かんねーけど。と美琴に聞こえないように語尾にボソッと付け足す。

あっそ、と美琴は言うと

 

「それで、一つだけ聞いても良いかしら?」

 

ほとんど強制的な美琴の明るい声。上条が反射的に『何だよ』と聞くと

 

「結局、実験を知って、事実を見て、あんたは私が心配だと思ったの? 私を許せないと思ったの?」

 

美琴は妙に明るい声でそう言った。

まるで、糾弾しに来たのは分かっているとでも言っているような、世界中のどこにも自分を心配してくれる人などいないとでも言っているような―――

 

「心配したに決まってんだろ」

 

そんな美琴の声に、上条はとうとう『仮面』を脱いだ。

押しつぶすような低い声に、美琴は少しだけびっくりしたような顔をして

 

「で、お前は何をしてるんだ? いや、何をしてたんだ、ってのが正確か」

 

上条は一拍置いて

 

「確か筋ジストロフィーって病気を研究してる施設がここんとこ立て続けに撤退を表明してる、って飛行船のニュースでやってたよな? ほら、今日の夕方、お前と偶然鉢合わせた時だよ。ま、その時は『実験』の事なんて少しも知らなかったんだけどさ・・・・・なぁ、それってさ―――」

「・・・・・アンタの予想通りだと思うわよ?」

 

ゾッとするほど、感情の消えた声。

それまでの彼女を知るものならば、それだけで凍りつくような透明な声。

 

「あってるわよ、それで。ま、っつっても馬鹿正直に超電磁砲ぶっ放したって訳じゃないけどね」

 

美琴は歌うように続ける

 

「研究所の機材って一台数億とかするでしょ。そいつを、ネットを介して私のチカラで根こそぎドカン、ってね。結果として機能できなくなった研究所は閉鎖、プロジェクトは永久凍結・・・・・」

「しなかったんだろ」

 

上条は謳うたうようにそれを止める。

 

「じゃなきゃお前がこんなとこでくすぶってる訳ねーもんな。大方、どれだけ研究施設を潰そうが『実験』は次から次へと他の施設に引き継がれちまう、ってとこか」

「・・・・・」

「ンでもって、人工衛星で常に監視されている学園都市このまちでそんな外道な実験を平然と行ってるって事は統括理事会・・・・・まぁ一部だと思いたいけど、その馬鹿野郎達はこの『実験』を黙認、最悪推奨してんのかもしんねーな」

 

だから実験に関する決定的な証拠を掴んでいても、警備員アンチスキルに駆け込むことも、統括理事会に密告する事も出来ない。そんな事をすれば逆にこっちが捕まりかねない。

美琴は、はぁ、とため息を付いて。

 

「アンタ、本当に何者よ。まさか学園都市の薬で体が縮んだ中高年探偵とかじゃないでしょうね」

 

どこの漫画だよそれ。と上条は呆れたように言った。

実際、学園都市ならそういった類の薬があるだろうから笑えた事ではないのだが。

 

「ええ、そうよ。きっと、お偉い研究者さんには前人未到の絶対能力者ってのがよっぽど美味しく見えるのね」

 

少女の声は、本当に疲れきっていた。

まるで、千年を生きて人間の闇を全て見つめてきたような、達観した絶望がそこにあった。

 

「・・・・・」

 

そんな美琴を見て、上条はつい考えてしまう。

本当にそれだけの長い時間を生きている者が見てきた、体験してきた『闇』は、一体どれ程の物なのだろう、と。

上条も、美琴も、何も言わない。

暗闇に解けて消えてしまうようなその沈黙を破ったのはカッ、という美琴の靴が地面を踏みしめて鳴る音だった。

 

「どこへ行く気だ?」

「『実験』は今夜も行われる」

 

美琴は、まるで戦地に赴くような表情で

 

「これは私の引き起こした問題よ。私自身の手でケリをつけてやる―――!!」

 

そう勇みこむ美琴の前に

 

「・・・・・」

 

上条は立ち塞がった。

 

「・・・・・何よ」

「・・・・・」

「どいて」

「いやだ」

 

びっくりしたような顔をする美琴に、上条はさらに言い放つ。

 

「俺は言ったんだ、この俺が言ったんだぜ。『知ってる』って。お前に一方通行は倒せないよ。だって、そんな事が出来りゃお前は真っ先に向かってるだろ。ちょっと怒っただけで俺にビリビリを飛ばしてきたお前が、ここまでされて黙ってるはずないだろ」

「・・・・・」

「研究所を潰すとか、理事会に報告するとかさ。お前にしちゃ考えてることがどうも回りくどいとは思ってたんだ。お前は気に入らない奴がいたら正面から殴りあうタイプだろ。証拠を見つけて先生に密告するようなタマじゃねーだろうが」

 

上条は一拍、息を吸い。

 

「ま『皮膚に触れただけでありとあらゆる力のベクトルを操る事が出来る』なんて、一見誰にも勝てなさそうな能力持ってる奴が相手じゃしょうがねぇと思うけどさ」

 

それに、そんな理屈はなくても美琴には一方通行は殺せないと上条は思う。

御坂美琴は、妹達が死ぬのが許せなくて立ち上がった人間だ。

そんな彼女が、誰かが死ぬのを止めるために、別の誰かを殺すことを良しとする筈がない。

でも、と上条は

 

「それでも上条さんは、少しくらい相談して欲しかったなー、って思うわけですよ」

 

上条の言葉に、美琴は少しだけ黙り込んだ。

夜の鉄橋には、風鳴りの音すら聞こえない。

 

「・・・・・超電磁砲を128回殺せば、一方通行は絶対能力へと進化することが出来る」

 

美琴は闇の中で、ポツリと呟いた。

 

「けれど、超電磁砲を百二十八人も用意することは出来ない」

 

美琴は孤独の中で、歌うように言った。

 

「だから、超電磁砲の劣化コピーとして二万人の妹達を用意する」

 

だとしたら、と美琴は楽しい夢でも語るように下を滑らして。

 

「もしも、私にそれだけの価値がなかったら?」

 

上条は、息を呑んだ。

 

「128回殺しても、絶対能力になんか辿り着けない。研究者達にそう思わせることができたら?」

 

そう言って、少女は笑っていた。

 

「実際『樹形図の設計者』は一方通行と超電磁砲が戦えば逃げに徹しても185手で私が死亡する、という結果を出している。けど、もっと早くに勝負が決まってしまったら?最初の一手 で私は敗北し、後は地を這って尻を振って無様に逃げ転がることしかできなかったら?」

 

そういって、少女は本当に楽しそうに笑っていた。

 

「その結果を見た研究者たちは、きっとこう思う。『樹形図の設計者』の予測演算は素晴らしいけど、それでも機械のやる事にはやっぱり間違いだってあるんだ、ってね」

 

そう言って、少女はボロボロの笑みを浮かべていた。

『実験』を行う研究所をいくつ潰しても、他の研究所が『実験』を拾ってしまうのでは意味がない。彼らを止めるには、そもそも『実験』が何の利益も生まない、無意味なものだと思わせなけばならない。

だから、美琴は一方通行と八百長の勝負を仕掛けようとした。

ハッタリでも演技でもして、とにかく研究者達に『実験』の根幹となる『演算結果シュミレーション』が間違っていると思い込ませようとした。

たとえ、自分の命を犠牲にしてでも。

 

そんな美琴の決意と思いを

 

「馬っ鹿じゃねぇの?」

 

上条は、たった一言で打ち砕いた。

 

「そんなもん、何の意味もねーだろうが。肝心の『樹形図の設計者』でもう一度演算されちまったら終わりだろ」

「・・・・・ああ、大丈夫。それはないわよ。『樹形図の設計者』はね、実は二週間ぐらい前に地上からの原因不明の攻撃で撃墜されているの。上はメンツを守る為に隠し通そうとしてるみたいだけどね。てか、アンタこっちは知らな―――」

「それに」

 

美琴はホッとしたような顔で何かを言おうとしたが、上条はそれを許さない。

 

「もし『樹形図の設計者』が誰かに破壊されていてもう演算をする事ができねぇとしても、研究者達の誰かがお前の演技に気づいちまえばそれでアウトだろ。つーか、もっと間抜けな展開として『予測演算はどこか間違ってる』って判明してもそのまま『実験』を続行しちまう場合だってあると思うんですが?」

「っつ―――!」

 

上条の的確な矛盾の論破に、美琴は小さな子供が親に悪戯がばれた時のような表情を浮かべる。

 

「・・・・・つーかさ」

 

上条は、ポツリと呟いた。

 

「言ったよな。知ってるって」

 

それこそ、子供がした悪戯を、最初から全て知っていたと告白する、親のように。

 

「一応確認しとくぞ『お前、死のうとしてるんだな』」

 

宵闇が覆い、三日月が照らす鉄橋の中心で、上条は言った。

ええ、と美琴は頷いた。

即答だった。上条に自分の願いを否定された直後にもかかわらず、だ。

 

「お前が死ぬ事で、残る一万の妹達が救われるって、本気で信じてるんだな」

 

ええ、と美琴は頷いた。

苦しそうに、寂しそうに頷いた。

そっか、と上条は寂しそうにポツリと呟いた。

そうして、美琴は一歩だけ足を動かし、改めて上条と向かい合った。

 

「さあ、そこをどきなさいよ。『知ってる』んでしょ?あんたの主張には一理あるけど、もうこれ以外に手はない。私はこれから一方通行の元へ行く。すでにデータを盗んで二万種の『戦場』の座標(ばしょ)は調べてある。だから、妹達が戦場で戦う前に、私が割り込んで戦いそのものを終わらせてやるわ」

 

だからそこをどきなさい、と美琴は言った。

 

「・・・・・」

 

上条は歯を食いしばる。

確かに、世の中には殴り合いで解決できない問題なんて腐るほどある。上条はそれを知っている。 社会が作り出す『組織』という名の力は、たとえ上条の師匠達であっても『良い方向に変える』事は至難の業だ。

ましてや未熟者で子供の上条では話にすらならない。今までだってそうだった。

上条は、もう一度歯を食いしばる。

脳裏に浮かぶのは御坂妹の事だった。無償で散らばったジュースを集めてくれて、三毛猫のノミを取ってくれて、けどどこか無防備で、猫に嫌われる自分の体質を気にしていて。彼女は何も悪い事をしていないのに、このままでは確実に殺されてしまう、という事実を奥歯で嚙みしめて

 

「どかねぇよ」

 

上条の言葉に、美琴は心底驚いたように上条の顔を見た。

 

「どか、ない。ですって?」

 

ああ、と上条は立ち塞がるように、言った。

こんな美琴を前に、あんな話を聞いて。いまさらどくことなど、できるはずがない。

上条は思い出す。路地裏でミイ号の治療を行い、カエル顔の医者がいる病院に(こっそり)預けたあとの事を。

エネは上条にこう告げていた「いますぐ御坂美琴を探してください『あいつが心配だ』」と。

その言葉を聞いた瞬間、上条は一瞬だけ固まった。

美琴が上条に電撃を浴びせるだけでこめかみにしわを寄せ、怒りが頂点に達した時は符術で撃退しようとしていたエネが

何かあるたびに美琴に説教をかまそうとしていたエネが

上条に「あの娘は好きません!」とぷりぷりと不機嫌そうに言っていたエネが、何の迷いもなくそう告げてくれた。 その意味を理解した瞬間、上条は自分でもビックリするくらい笑っていた。

そうだ。考えてみればそうなのだ。本当に好かない人に対し、関わろう、とは思わないはずだ。本当にどうでもいいと思っている人物に、説教をしてやろう、とは思わないはずだ。

上条としてもまず、いま美琴が何をしているかが気になったのだが、言った途端に反対されると思っていた。

『実験』を止める方が先決だと、そんな事は後で幾らでもできると。

実際そうだと思うし、自分たちはこれ以上の『実験』が行われるのを、妹達が殺されるのを防ぐ為に動こうとしているのでそれが最優先事項であるという事は分かるのだが、そういった理屈を理解しても、上条はそれを受け入れたくなかった。妹達と同じくらい、美琴のことも心配だったから。

感情的で、考え無し。どうしようもないくらい子供な意見をエネは肯定してくれた。

もちろん、彼女は上条のように何の考えも無しに美琴のところに行けと言った訳ではない。

『御坂美琴』という人物がこの『実験』の事を知っていた場合、何をしでかそうとしているのかが安易に想像できたからこそ、彼女は上条を美琴の元へと向かわせたのだ。理由は馬鹿馬鹿しいくらい簡単で、上条のそれと同じもの。

エネも、美琴が死ぬという結末は、絶対に認められなかったから。

美琴が、妹達の為に命まで捨てようとするような人が、自分より他人の事を思う少女がボロボロに傷ついて、誰も知らないところで一人、殺されて―――そんな結末だけは絶対に見たくなかったから。

だが、美琴は納得しない。

わなわな、と。怒りに唇を震わせながら

 

「じゃあなによ。アンタには他に方法があるって言うの?」

 

暗く、怒りに満ちた表情が美琴の顔に浮かぶ。

 

「何も出来ないくせに綺麗事や理想論で語らないで」

 

虫唾が走る。と、美琴は言った。それはそうだろう。例え今どれだけ力や知識があった所で上条に出来る事など限られている。

上条に様々な教えを説いた師匠達にも、それを言われた。

安易に綺麗事や理想論を吐くなと、そんなに生易しいものではないと。

 

「・・・・・それでも、嫌なんだ」

 

それをキチンと理解した上で、上条は告げた。

迷い無く、ハッキリと。 それが当たり前のように言った。

美琴は一瞬、ほんの一瞬、何かびっくりしたような表情を顔に浮かべたが、その表情は、すぐに怒りの中へと消えていった。

 

「・・・・・話にならないわね。まさか、クローンだから死んでも構わないとか言うんじゃないでしょうね」

 

勿論、そんな事は欠片も思っていない上条だが、美琴の帯電から来る青白い火花は止まらない。

 

「私の邪魔をしようってんならこの場でアンタを打ち抜く! 嫌ならそこをどきなさい!!」

 

上条は、黙って首を横に振った。

美琴の唇の端が、歪む。

 

「ハッ、面白いわね。それじゃ、力づくで私を止めるって言うの? 良いわよ、それならこっちも遠慮はしない。アンタがどんな力を持ってるかは私には分かんないけど、今回ばかりは負ける訳にはいかない。だからアンタも死ぬ気で拳を握りなさい―――」

 

バチン、と美琴の肩の周りからひときわ大きな青白い花火が散った。

 

「―――さもなくば、本当に死ぬわよ」

 

溢れ出た火花はブリッジを描き、鉄橋の手すりに繋がって霧散された。

上条と美琴の距離はわずか七メートル。

上条としては瞬間的にその距離を0に出来る範囲だが、美琴にしてみれば光速の雷撃の槍をいくらでも放てる射程距離圏内。どちらにとって有利で、どちらにとって不利な間合いなのかは一目で分かる。

きっと、目の前の少女には、もう上条の言葉は届かない。

言葉が届かない以上、もう止められる方法なんて一つしかない。

 

「・・・・・」

 

上条は、その右手を横合いへ突きつけた。

握った拳を開く。まるで右手の封印を解くような仕草。上条は、一度開いたその右手を()()()()()()()()()()()()()()

 

そして、自分の胸の前で両の腕を∞の字に組んだ。

まるで天下の宝刀を、唯一無二の鞘に納めるかのように。しっかりと握ったその右手は、左の脇の間にスッポリ収まっている。

 

「なに、やってんのよアンタ・・・・・」

「・・・・・仁王立ち?」

「ッ、そういう事言ってんじゃない!!」

 

美琴は激昂して

 

「アンタ、本当に馬鹿じゃないの! 無抵抗そうしてたら私が手を出さないと思ってんの? 私にはもう他に道なんて無い! 無抵抗だろうと邪魔をするなら撃ち抜くわよ!! 分かってんの!?」

「ああ、分かってる。・・・・・それでも『戦わない』」

 

地獄が口を開いたような美琴の罵倒は、しかし上条の言葉にかき消された。

 

「フッザけんな!!」

 

瞬間、美琴の前髪から雷撃の槍が生み出された。

自然界で生み出される雷の最大電圧は10億ボルト。 美琴のそれは雷に匹敵する。

10億ボルトもの壮絶な紫電で生み出された、青白い光の槍、空気を突き破る雷撃の槍は空気中の酸素を分解してオゾンに組み替え、一瞬にして七メートルの距離を詰めて上条へと襲い掛かる。

ズドン! という轟音。 青白い雷撃の槍は、上条の顔のすぐ横を突き抜けた。

 

「闘う気があるなら拳を握れ! 戦う気が無いなら立ち塞がるな! 半端な気持ちで人の願いを踏みにじってんじゃないわよ!!」

 

バチン、という凶悪な咆哮と共に美琴の前髪から火花が炸裂する。

まるで、さっさと拳を握れと催促している様な、美琴の攻撃。

上条は、それでも拳を握らない。

 

「・・・・・戦えって、言ってんのよ―――――――――ッ!!」

 

そして、凶暴に吼える雷撃の槍が、上条の心臓へと直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

初め、目の前の光景に一番驚いたのは、上条よりも美琴の方だった。 美琴は、上条の力がどんなものかを分かっていない。けれど、これまでのケンカでは一度だって攻撃が当たる事は無かった。その正体不明の力にこちらの攻撃を打ち消されるたびに、ドンドン美琴の攻撃はエスカレートしていって、いつしか上条はどんな攻撃だって簡単にあしらっていくような、そんな無敵の存在に見えていた。

だからこそ、美琴は雷撃の槍を撃ったのだ。

これぐらいの攻撃なら、あの少年はあっさり打ち消すはずだと。歪んではいるものの、ある意味で上条を信頼して。

 

「なのに・・・・・」

 

・・・・・、こんなの、何かの間違いだ、と。美琴は思った。

十億ボルトもの高圧電流をまともに浴びれば、人間の体がどうなるかぐらい美琴だって分かっている。あの少年は砲弾に薙ぎ倒されるように地面に叩きつけられていなければおかしいはずだ。

・・・・・、それなのに。

 

「・・・・・」

「なんで、アンタは平気なのよ・・・・・!」

 

美琴の雷撃の槍は、上条の不思議な力に打ち消された訳ではない。間違いなく上条の体に直撃した。 だが動かない。地面を踏みしめるその二本の足は一センチも動いてはいない。

だが倒れない。こんな事で倒れる鍛え方はされてはいない。

平然としている上条を見て美琴が脳内に思い浮かべたのは、何週間か前、公園で自分と激突(といっても美琴から一方的に決闘を申し込んだのだが)した白い学ランを着た不思議な男子学生だった。やはり同類なのか―――とも思ったが向こうは面識などなさそうだったし、なにより目の前に立ちはだかるこの少年の力は、何かもっとイレギュラー的な存在に見えた。

 

「お前が毎晩駆けずり回って一方通行をぶっ倒す手段を探してたってんなら、今からあいつを本気でぶちのめすつもりで戦いに行くから邪魔するなってんなら、もっと迷ったかもしんねぇよ」

 

少年は、懐かしそうに橋の下にある河川敷に視線を移して

 

「なぁ、覚えてるか?いつか、この下にある河川敷でケンカした時の事・・・・・ははっ、なんだかずいぶん昔の事みたいに思えるけど、つい数週間前のことなんだよなぁ・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・正直さぁ」

 

上条は、少しだけうつむきながら

 

「お前が本気の本気で俺と試合する事を望んでるってんなら、ちょっと位相手してやってもいっかなぁ・・・・・とも思ってたんだ。気乗りはしないし、嫌だけど、それでもお前が真剣に相手をしてほしい、ってんならな」

「っ!! なら―――」

 

でもな、と。上条は区切って

 

「少なくとも『今の』お前とは戦えない。一方通行の所へは『行かせない』。少なくとも、最初から全部を諦めて死のうとしているような、それで全てが解決すると思っているような子供おこちゃまと戦うことは出来ない」

 

な・・・・・、と美琴は思わず絶句した。

 

「アンタ、やっぱり私を馬鹿にしてるの!? 私のどこが子供だっていうのよ!!」

「子供だろうが!!」

 

突然大声で怒鳴った上条に、美琴はそれこそ親に叱られた子供のようにビクリと肩を震わせた。

 

「・・・・・お前だって気づいてんじゃねーのか? こんな方法じゃ、誰も救われないって。例え、お前が死んで、一万人の妹達の命が助けられたとして、そんな方法で助けられて残された妹達がお前に感謝するとでも思ってんのか? お前が助けたかった妹達ってのは、そんなにちっぽけなもんじゃねえだろ!」

「うるさい! もう黙って戦いなさいよ! 私はアンタが思ってるような善人じゃない! 十億ボルトもの雷撃の槍を浴びて、一体どうしてそんな事にも気づけないのよ!」

 

美琴は威嚇するように、さらに雷撃の槍を放つ。だが、やはり上条は組んだ手を解かない。直進した雷撃の槍は、真っ直ぐ上条の胸に直撃する。

それでも、上条は倒れない。どれだけ攻撃を食らっても、上条は絶対に倒れない。

 

・・・・・気づくのはテメェの方だ、と上条の口が動いた。

美琴は訝しげに眉を顰めたが

 

「妹達はどうする気だ?」

 

え? と美琴は思わず呟いた。

 

「お前が死んで、その後の事はちゃんと考えてあるんだろうなって言ってんだ。・・・・・今もそうだけど、学園都市の研究者たちが超能力者のクローンをまともな人間として扱ってくれると思うか? 普通の生活を送れる様にしてくれると思うか? 今よりもっとヤバイ実験に付き合わされたりする可能性だってあるんだぞ」

「―――ッ!!?」

 

美琴はそれこそ頭を雷を打たれたような気がした。そうだ。普通に考えればすぐにでも思いつくような事だ。妹達にここまでの実験を強いた研究者たちが、今更、妹達に普通の学生と同じ様な生活をさせるだけの博愛あふれるような行為など、行ってくれる訳がない。

妹達はクローンだ。ただでさえ国際法に違反している存在であるのに、加えて超能力者である御坂美琴のクローンとなれば、どのような結末を辿るかなど、想像に難しくない。最悪、証拠隠滅の為に全員殺処分にされてしまうかもしれない。そうなったら、どうする? 泣き叫ぶ事すら出来ない妹達すら助けてくれるようなヒーローが登場するのに賭けるのか?

 

「―――ッ!!?」

 

そうだ。美琴の行おうとしている事は、結局そういうことなのだ。責任を放棄し、自分だけ逃げてしまうような、人の都合を考えず、自分の主張のみを無理やり押し通すような、我侭で自分勝手な子供同然の行いなのだ。

 

「本当に妹達の事を考えるなら、死んでほしくないって願ってるってんなら・・・・・」

 

あ、う・・・・・、と美琴は混乱するように上条を見た。 その目は、まるで道に迷った小さな子供のように揺らいでいた。

かつて、誰にも聞かれないように『たすけて』と呟いた少女がいた。

その少年は、少女の叫びに答えるように現れた。

でも、自分にはそんな資格すらないと思っていた。

自分のせいで、もう一万以上の妹達が殺された。

だから、今更そんな優しい言葉をかけてもらえる資格などないと思っていた。仮に、誰もが笑って、誰もが望む、そんな幸せな世界があったとして。そこに自分の居場所なんかないと思っていた。

だが仮に

 

「妹達の事を誰よりも考えられるお前が、あいつらのそばにいなきゃいけねぇはずだろうが!」

 

その世界に少女がいなければ少女が生きていなければ、妹達は『決して救えない』としたら

 

「・・・・・よ」

 

それ以外に妹達を救う方法が残されていないとしたら

 

「・・・・・ってのよ」

 

妹達に残っているのは残酷な終わりバットエンドだけだとしたら―――

 

「じゃあ、どうしろってのよ!!」

 

ついに耐え切れなくなったかのように、美琴は叫んだ。

美琴の体から周囲にあふれる紫電の火花の音色が、重く鋭く変化していく。まるで得体の知れない兵器が起動したように、音階がどんどん上がっていく。

 

「・・・・・」

「計画を! 今! すぐに! 中止に追い込む!! 妹達も殺させず、私も死なない。それしか他に方法がないってんなら、あの子達を救えないってんなら・・・・・!」

 

どうしろっていうのよ、と。美琴は叫んだ。

理屈は分かる。

理由も分かる。

でもだからと言ってどうしろというのか。皆で笑って、皆で一緒に、元の居場所へと帰る。

そんな夢のような世界を作り出すことなど、美琴には出来ない。

 

「頼れば良いだろ」

 

上条の言葉に、美琴は心底びっくりしたように息を呑んだようだった。

 

「友達や先生、後輩や先輩。親御さんに・・・・・恋人、はまだいねぇか。そういう人たちに頼って良いんだよ。力だけじゃねぇ。知恵を借りても良いし、支えになってもらっても良い。・・・・・お前は危険な事に自分の大切な人達を巻き込めない、って思ってるんだろうし、その判断も決して間違いなんかじゃないと思うけど・・・・・」

 

上条は、ゆっくりと語りかけるように

 

「一人じゃ解決できない問題があるなら、頼って良いんだよ。どうしようもないくらい辛いなら、誰かに泣きついて良いんだよ。お前が死ぬ事が、いなくなる事が、辛いって思ってくれる人は、なんの理由もなく立ち上がってくれる人は、お前が考えてるよりずっと多いと思う」

「や、めて・・・・・」

 

少年の言っている事が、かけてくれる言葉が、美琴の凍りついた涙腺を、まるで温かい太陽の光を浴びせるかのように溶かしていく。

だが美琴は必死に堪える。

 

「俺だってそうさ。お前の味方で良かったな、って思ってる。・・・・・だから」

 

泣くなよ、と。いつの間にか近づいてきていた上条が、その手が、美琴の頭を優しくなでて。

今度こそ、とうに枯れ果てたと思っていた涙腺から、錆付いた涙がこぼれ落ちた。

自分には、もう誰かに頼る事が出来る資格なんてない。そう思っていた美琴の幻想は、完膚なきまでにぶち壊された。


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