一通りやかましく騒ぎあって、その反動か、今はやや落ち着いてる。これでゆっくりと本来の自分の目的に取りかかれるというものだ。
霧雨と本居は椅子に座って何やら世間話をして、時々小さく笑い合ってる。陽は一段一段空の階段を降りて行く。西窓から入る光が少し眩しい。ほんの僅かばかり目を細めた。
彼女らを目の端に固定したまま少し厚めの本を取ろう、と思ったのだが本の上部が本棚の内側の何処かにひっかかってうまく取れない。たちまち、胸の内に黒い靄が去来したように思えて、たまらなく、少し強めに本を引っ張った。その途端本棚が揺れて、周りの本、本棚の上に放置されていた巻物の様なものが鈍い音を立てて木の床に次々に落ちた。突然発生したデカイ音に霧雨達が振り返る。
「本を落としちまった」
悪い、と本居にひとつ謝罪をいれて落ちた本を拾う。そのうちの一つ、巻物を手に取ったその瞬間、何か懐かしい感覚に襲われた。懐かしいといっても帰郷の喜びや旧い友人との再会のようなものではない。非難、憎悪といった感触がありありと降り注いできたことに懐かしさを感じたのだ。そもそも俺友人いないし。
鉛を溶かしたようなドロリとした濃密な怨念にも似たそれを纏わりつかせる巻物に少なからず興味が湧いた。自然、指が巻物の紐を解き、中身を広げ見る。その時、堪え切れなくなったように重い圧がドッと溢れ出してきて、負の感情のオーラとでもいうべきものの存在がより一層強く感じられるようになった。
見えない煙のようにそれらは纏わり付いてきて、耳元で何かと囁き始める。
ーー我らを封じたアレが憎い
ーー皮を剥いでその皮で首を括らせてやろう
ーー奴自身の血を肺に流し込むのも良い
ーー殺そう、殺そうよ
ーーここから出してくれれば奴を殺せるのになぁ
ーー愚図め、早く我らを出せ
ーー早く早く早く
静かな砂嵐が耳の中で渦巻いては止み、渦巻いては止みを繰り返し俺の鼓膜を細部まで犯し切っていた。
……なんじゃこりゃ。
心の中でそう呟き、巻物をそっ閉じする。
「八幡!大丈夫か?」
遅れ馳せながら霧雨が登場し、そう声をかけてくる。
「大丈夫だ。問題ない」
某イーなんとかさん風に少しいい声で答える。
「そうか……。気分、悪くなったりしていないか?」
「ああ、全然なんともない」
彼女もこちらを心配して聞いているのが分かっているので、今度は普通に答える。
というかさっきのは羽虫が耳元をしつこく飛び回るのに似た、不快な音。そうとしか思わなかった。
「それは良かった。私がそれ見たとき、なんか凄い嫌な気分になってな……。なんで八幡は平気なんだ?」
「いや、俺昔こういうの結構あったから。だからまぁ、耐性がついてるんじゃねぇの?で、これ何?」
今はもう閉じて、怨嗟を振りまかなくなった浅葱色の巻物を指して霧雨に問う。けれどそれに答えたのは栗色の少女だった。
「それは百鬼夜行絵巻ですね〜。正確には私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺」
「私家ば……は?」
「だから、私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺ですよ。百鬼夜行絵巻の最終章、隠された妖魔本です!」
物凄いキラッキラした目で力説する彼女に若干押され気味になる。だがその中に気になる言葉を耳が拾いあげた。
「おい霧雨、妖魔本ってなんだ」
「妖怪とか魔術の本だぜ」
「説明雑すぎない?もうちょい詳しく」
「妖怪が携わった、つまり妖怪が誰かに宛てて書いたもの、妖怪について書かれたもの、それと本自体に魔法がかかったものだな。希少本だぜ」
「ここの妖魔本は私が集めたんです」
「これ結構危ないモンじゃねぇの?」
「え、ええと……まぁそれは」
目線があっちへふらふら、こっちへふらふらと頼るものを探すような感じで泳いでる。
「まぁ、危ないモンだな。見ての通りこいつには妖怪が封印されている。しかもかなり強力な、大妖怪レベルも沢山だぜ。だからそんな気安く扱っていいもんじゃないな」
俺の疑問に片目を瞑りながら霧雨が答える。その霧雨を本居はじぃっとじと目見ていた。
「魔理沙さんこの前邪竜復活させませんでしたっけ」
「そんなこともあったかな」
悪びれもせずに飄々としたあくまで気楽な態度で彼女は答える。
「そんな簡単に封印解けるのか?」
「さぁ?」
サーってお前。何?俺に敬称付けてるの?サー・ハチマン、主の呼びかけに応え参上仕っちゃうの?
「ていうかなんで復活させたんだよ」
「アレは騙させてたんだ!蛇が金儲けになるっていうから協力したらその蛇が邪竜だったなんて想像できるわけないだろ!」
「少なくとも裏があるってことぐらいは想像できるだろ」
蛇の甘言とは正にこのことか。人の行動の裏を読もうとする俺からすればそんな見え見えの罠に引っかかる方が悪いような気がしないでもない。
ふと、そういえば、と疑問が出てきた
「蛇、喋ったのか?」
「ん?ああ、それは聞き耳頭巾っていうマジックアイテムだ。その頭巾を被れば動物や植物の声を聴けるってやつだぜ」
「なんか聞いたことあんな。日本昔話にあったかな。確か商家の娘をそれで助けて結婚してハッピーエンド、って感じだったか」
そんなんで結婚できるとか羨ましすぎる。平塚先生にあげれば嬉々として被りそう。頭巾の色は知らないが、それを被って獣の様な目で困ってる人を探す平塚先生を幻視して思わず身震いする。
「やっぱり便利そうだよな、それ」
俺はそういったが、霧雨は片眉を静かに歪め苦い表情である。
「そうでもないんだよな。動物なんかはいいんだけど植物や虫の声まで聞こえてくるとなるとダルくてな。ずっと付けていられる代物じゃないぜ」
ほう、結構ちゃんとデメリットがあるのか。いかなマジックアイテムといってもメリットだけを提供してくれるわけではないらしい。
「欲しかったら阿求のところへ行け。多分貰えると思うぜ」
「あん?そんな貴重でもないのか?」
「なんでだ?」
「お前が価値のあるものって知ってたら大体お前の懐に入ってるだろ」
「私を盗人みたいに言うなよ!」
「……似たようなものでしょうに」
憤慨する霧雨の声を受け取ったのは、鈴奈庵にいる3つの口どれからも発せられたものでは無かった。
きっとそこにいるのだろう。少しばかり首を廻らせ、鈴奈庵の扉を見る。やはりそこには風に揺蕩う暖簾があって、そしてやっぱり彼女がその暖簾の手前にいた。目に鮮やかな朱が目立つ巫女服か袖の白い生地と同じく白磁器のように滑らかで色素の薄い肌を際立たせてる。いつもは静かな落ち着いた瞳をしているが、今はどこか呆れている様な笑っている様な、綯い交ぜになった色が漂っていた。
「よお、霊夢!」
右手を持ち上げて大きな笑顔を作る。そんな霧雨を見届けるとズカズカと勝手知ったる風に中へと歩みを進めた。
「こんにちは、小鈴ちゃん。あと比企谷」
「こんにちは!霊夢さん!」
「俺は小物かよ。……よお博麗」
「小物って言ったら小物っぽいわよね。ほら、漫画に出てきたら罠を張って主人公を倒そうとしたけど二話目くらいで簡単にやられちゃうような」
「何故そんなに具体的……」
一応俺の言った小物のニュアンスはアクセサリーっていう意味だが、まぁモノにくっ付いてるという意味では大差ない。やだ俺コバンザメみたい。因みにコバンザメは巨大な魚の腹にくっ付き、そいつが食べ漏らしたものを食べるといったヒモの鏡みたいなやつだ。だが残念、俺の夢はヒモじゃなく専業主夫だ。つまり、オレ、コバンザメ、チガウ。
脳内でようやく自分はコバンザメではないと確証を得て、一人悦に浸る。
「霊夢さん、どうしたんですか?」
「さっき若干妖気を感じてね」
「百鬼夜行絵巻だぜ」
本居が尋ねると、博麗はどこか気怠げに答えたのだが、霧雨の答えを聞いてすぐ、その態度が訝しげなものに変化した。
「百鬼夜行絵巻?前開いたときはそんなに妖気は出ていなかった筈よ」
「あ、やっぱり霊夢もそう思うか」
聞けば彼女らは過去に何度かこれを開いたことはあるが、その時は微量な妖力しか感じなかったようだ。
「もうすぐ満月だからかしら」
どうやら妖怪とは満月の時ほど活発らしい。博麗はそう予想を立てるが
「本が満月に反応するのかぁ?」
霧雨は語尾をあげる調子で真っ向から疑問を呈す。それに幾らかムッとした博麗は軽く睨みつけるようにして霧雨を見つめる。
「じゃあ他に何があるのよ」
「それは知らん!」
「おい」余りに自信満々に言うものだからつい口を突いて突っ込みがでてしまった。突いて突っ込むとか超エロい。
「まぁ何にせよ絵巻は要注意よ。何かの拍子に封印が解けたら溜まったもんじゃないわ。比企谷、それ小鈴ちゃんに渡しといて」
言われ、手に持ったままだったそれを本居の小さな掌の上にぽんと乗せる。しっかり握ったのを見届け、そっと手を離した、とおもったのだが指先が感じた僅かな気配、そして
ーーいいな
低く、ひどく嗄れた声が吐息のかかりそうな程に近くに感じた。きっとひっそりと立っている醜い老木のような翁だと思った。当然、背後を見ても談笑する博麗と霧雨しか映らず、声の持ち主は見当たらなかった。
「空耳、じゃねぇよな」
一人そうごちると目の前の本居が不思議そうな顔で突っ立っていた。何でもないと短く言い、鈴奈庵の天井を見る。ぼっちの習性か、自然と視線をスライドさせ、とりわけ隅っこの暗い部分、何か見えるかもと注視するが部屋を形作る三辺しか見えない。
……面倒くせぇことになりそうだな。
既にフラグは立っている。あの『いいな』にどんな意味が込められてるかは謎だが、感覚的に一つの事件の渦中に入ってしまったという自覚ができた。
「はぁ」
つい嘆くような溜息が出た。
俺はやっぱりひどく窮屈そうな部屋の隅を見る。
願わくば、楽な事件でありますように。
♢♢♢
風呂敷を袋のように手に下げて、家路に就く。
あの後、鈴奈庵で本を数冊見繕い、霧雨と博麗の二人と別れた。
腕の筋を伸ばす若干の重みを持った本に心なしかわくわくしている。もしかしたら本に対する期待の重みかもしれない。などと考え、この気持ちの冷めることない内にと足早に駆ける。
借家が見える。木の屋根は風雨に撫ぜられ端の方は腐食している。他は知らないが、俺の住む長屋は玄関の石が磨滅されていて勢いをつけて家の中に入ると滑ってしまう。受験生にはオススメできない仕様だ。
で、あるからして家に近づくにつれ徐々に足を運ぶスピードを落としていく。次から次へと流れていき、輪郭がぼやけるようだった景色はだんだん細部を取り戻し、緩慢とした動きでやはり後方へ去っていく。
さぁそろそろ玄関だ。注意しなければ。
その時ふと目でじぃっと見られている気配を感じた。なんだろう。やぁもしかしたら俺のファンかもしれん。んな訳ねーな。
見るとそこには昨日の国山青年が立っていた。国枝青年はどうやらこっそりと見ていた訳ではないらしく俺が気付いたということに気付くと直ぐに動き出し、草履裏で砂を撒き、此方へと近づいてきた。表面の微細な嫌悪感を隠すことなくーーむしろ見せつけるような印象さえもった。
「なんだ」
「なに、君に用があってね。ヒキ……」
名前を覚えていないのはどうやら向こうも同じ様で苗字半ばで吃るように言葉に詰まった。
「比企谷だ」
「人に名前を教えるときはフルネームで名乗れ」
「……比企谷八幡だ」
ああん?んだこいつ偉っそうな口聞きやがって。
こちらの苛立ちを表すべく眉間に力を入れ、眼を更に濁らせて相手の眼を睨みつける。きっと絵面だけ見れば好青年を脅してる不審者に見えることだろう。
「そうか、ああそうだ用件を済まそう」
だが、彼はその一切を受け流し淡々と自分の用件とやらに取り掛かろうと初春の風に吹かれて調子乗っちゃってる高校生みたいな気軽さで話し出す。
「イコボウって知ってるかい?」
「はぁ?」
「いや、知らないならいい。用件はそれだけだ」
「お、おう」
え、何これは。お役に立てなくて済まんねぇとでも言えばいいの?
「おい」
既に無効をを向いている青年の猫背気味の背にそう声をぶつけた。
一瞬肩が跳ね、そして再び視線が絡んだ。
「イコボウが何か知らねぇけど、それ、何で俺に聞いた?」
息を呑む気配を感じた。ここで刹那の逡巡をする様な素振りを見せると
「外来人、だからかな」
と言った。
その後、彼はもう話は終わりだと言わんばかりに踵を返すと足早にこの場を後にした。
何だったんだ、一体。しかし前回は全く話が通じなさげだったのに今回は会話ができている。良かった良かったあの子はちゃんとした人だったようだ。このまま今日も会話できてなかったら進化し損ねた猿人かと思ってたところだ。猿の惑星をオススメしちゃうまである。
辺りはすっかり明かりを忘れたように暗くなっている。西には無限の中に埋もれていようとしている静かな太陽。グラデーションを纏っている陽光と共にやがてはすっかり見えなくなるのだろう。
東は藍染めを絡ませたみたいに色の強弱が分かれている。しかしこれも全て黒一色に塗りつぶされるとだろう。
さぁ夕餉の準備に取り掛からねば。
もうじき夜だ。
文章の指摘などしてくれるとありがたいです。