ナーベラル・ガンマ、生きる黒歴史との逢瀬   作:空想病

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時系列は、第六話とほぼ同じ時間から進んで、書籍11巻と12巻の間くらい


第七話 任務

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナーベラルは、天幕に開いた〈転移門(ゲート)〉からナザリックに一時帰還を遂げた。

 自分に与えられた私室のベッドに顔を埋め、彼の前でこぼしかけた熱を冷やす。

 

 それからどれくらいそうしていただろうか。

 一般メイドのノックで跳ね起きたナーベラルは、軽く身だしなみを整える。主人からの命令──〈伝言(メッセージ)〉の魔法は必要ない、即時性のある命令ではなかった──を感謝と共に受け取った。

 

「わかりました。ありがとう」

 

 戦闘メイド(プレアデス)は、一般メイドたちに人気の存在だ。憧れのアイドルのようなもので、特にシズの人気は飛びぬけている。食堂で食事する彼女の近くに座ろうと席を奪い合うメイドもいるほどに。

 そして、ナーベラルもまたそういった憧れの対象になりえたのだ。

 

 そうして、受け取った主人からの命令に従い、ナーベラルは御方の執務室に招かれる。

 堅苦しい挨拶は抜きにして、アインズは戦闘メイドの長女たる首無し騎士(デュラハン)の乙女について、意見を求められた。

 

「ユリ(ねぇ)が、ですか?」

「うむ。ルプスレギナの報告によると、近頃はどうにも暇を持て余しているようでな」

「暇を持て余すなど、とんでもない!」

 

 そう返し、さらに何か言わんとしたナーベラルだったが、

 

「よい。これは私、主君である私が適切な仕事を割り振れていないということ。私の不徳の致すところで、ユリには(とが)などない」

 

 主にあっさりと否定され、二の句が継げなくなる。

 アインズの語る(ユリ)の近況は、ナーベラルも当然知っていること。

 戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーとして、第九階層に詰めているユリであるが、近頃はこの異世界に転移した直後ほど緊迫した事態というものは発生しておらず、また、御身が量産するアンデッドが十分かつ余剰なまでに生み出されてきている現状において、第九階層への侵入者の可能性など、ほぼまったくありえない心配事に成り果て──つまるところ、仕事がなかった。

 無論、まったくないわけではない。

 定期的に開かれるお茶会……戦闘メイド(プレアデス)の月例報告会の審議進行、その際に用意される御茶や菓子などの食事の用意。さらには、ナーベラルやルプスレギナなどの、外での活動がメインになっている妹たちの部屋の掃除を、ナザリックに残る姉妹たちで交代制のもと片づけるなど、まったく仕事がないというわけではないのだ。

 ただ。

 それは一時的な、一日の内で一時間かそこらで片付く内容である。

 ごく最近だと、ナザリック地下大墳墓へ、御身の名のもとに保護された人間──とある“術師(スペルキャスター)”の実姉──ツアレをメイドとして教練する教官の役を日に数時間ほど与えられているが、何分ツアレは外の人間であり、脆弱な人間の身体というのは、当然ながら定期的な休息が必須。将来的に完璧なメイドとしての教育を積む上で、彼女の能力に合わせた休憩は必ずもうけなければならないわけで、つまるところ、四六時中二十四時間ユリは教育指導の任務に勤められるわけでは、ない。

 おまけに、ユリ・アルファは疲労とは無縁で休息の必要がないアンデッド。そんな存在が、二十四時間中数時間しか働いていない──残る十数時間は、完全に暇なのだ。

 ただでさえナザリックに籠りっぱなしのユリは、姉という立場から、副リーダーという役職から、妹たちの模範となるべく奮戦せねばならない環境にあるが……如何せん「仕事」がなければ、模範も何もありはしない。休み方の模範などを示せるものなど、次女のルプスレギナくらいだろう。

 第一、ナザリックの存在は、常にアインズに、自分たちの主たる支配者に尽くすべく、勤労に励むことを「是」とする同胞なのだ。

 あの第五階層守護者・コキュートスもまた、ナザリック防衛という任務に従事しつつも、外の世界で成果を上げるデミウルゴスなどに嫉心を覚えていたことは、コキュートスと個人的な事情──創造主同士のつながりで懇意にしている黒髪のメイドは了解している。

 仕事に飢えてしまうというのは、まったく当然な思考……至高の御身に仕える者にとって、ごく自然な情動のなせる業だったのだ。

 褒められこそすれ、叱られるはずもないユリの懊悩を理解しつつも、ナーベラルは姉に代わって、頭を下げて陳謝するほかない。

 

「申し訳ありません、アインズ様。我が姉が御身を御不快にされ」

「よい」

 

 だが、アインズはそんなナーベラルの忠節を、即座に柔らかく受け流す。

 

「よいのだ、ナーベラル。部下が心安(こころやす)くいられないというのは、主人の采配が不足している証左だ。責められるべきは私であって、おまえやユリが頭を下げるべきことではない。面を上げよ」

 

 頑なに許されてしまい、ナーベラルはすぐさま背筋を伸ばす。

 本当に万謝の念に尽きない。

 

「それで、ルプスレギナとも相談してみたのだが、やはりユリには仕事を与えたい。だが、現在のナザリック内では手頃な労務がないという現状から、何かしら外の世界、エ・ランテルでの役職を与えるべきかと思ってな」

「素晴らしい御配慮かと存じます」

 

 アインズはしきりにナーベラルたちシモベの謹直ぶりを褒める。

「頼りにしているぞ」などと言われては、顔から火が出るほどの心地よい熱量に包まれてどうしようもない。

 (ナーベラル)は次の非番の時、(ユリ)の状況を確かめてあげようと、こっそり決意する。

 

「それで。ナーベラルよ。エ・ランテルでの、漆黒の“美姫”の任務は、どうだ?」

 

 万事滞りなく。

 そう告げて良かった。

 だが、同時に、ナーベラルはおのれが懸念していることが、確実にあった。

 

「どうした?」

 

 長い沈黙を伴う思考に、アインズが心配そうな声をかける。

 ナーベラルは勇気を振り絞り、言葉を整えた。

 

「実は、パンドラズ・アクター様のことについて、お伺いしたいことが──」

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 魔導国建国から数ヶ月が過ぎた。

 

 ナーベラルとパンドラズ・アクター……モモン一行は、エ・ランテルへと帰還を果たす。

 今日も特にこれといった成果があるわけでもなく、ただエ・ランテル近郊の平和維持に貢献するための儀式として、モモンたちは巡見任務を終えて、アインズ・ウール・ゴウンの治める都市に戻ってきた。

 

 だが、ナーベラルはどこか調子が悪い。

 

「大丈夫でござるか、ナーベラル殿?」

「あなたに心配される覚えがないのだけれど」

 

 鈍愚なハムスケの目にも、ナーベラルの様子は不可解に過ぎた。屋敷の中庭の窓から身を乗り出す獣の鼻面が、探るように黒髪の乙女の調子を心配している。だが、ナーベラルにしてみれば要らぬ世話だというよりほかにない。殴るほどの理由ではないので、桃色の鼻先を軽くつまんで鼻声に変える程度に留める。

 そう。心配など無用。

 任務は確実にこなしている。

 体力も魔力も消耗しておらず、状態異常などに罹患しているわけでもなし。

 なのに。

 ナーベラルは病に汚染されたような仏頂面で、エ・ランテルでの拠点と化した魔導王の城──旧都市長の邸宅で──かつてのユリと同じく──暇を持て余していた。

 窓際のソファに腰かけ、けれど、特に休暇中というわけでもないのでボーとするわけにもいかぬまま、ひたすらに“美姫”としての任務に勤めている。

 だが、

 

「暇だわ……」

 

 

 

 エ・ランテルは、平和そのものである。

 魔導国の足掛かりとして王国から割譲された領域であり、今や魔導王としてその名を知らしめているアインズ・ウール・ゴウンの膝元となった土地。巡回し警邏任務にあたる中位アンデッドや、都市の営みに貢献するスケルトンなどが都市民に広く普及されるようになっており、その有用性と実行力は、確実に魔導国の未来の名跡として残るものと周知されつつある。

 

 都市の門には着々と魔導国の建造物──絡み合う蛇を思わせる杖を掲げた至高の存在を象った巨大像などが建造され、御方の偉大さを大陸全土に波及させるのに一役買うだろう。城壁や街道も整備が進み、かつてのエ・ランテルのそれよりも格段に質も規模も向上している。アゼルリシア山脈で隷属させた霜竜(フロスト・ドラゴン)による運搬空輸手段と、霜巨人(フロスト・ジャイアント)による大規模建造工事の担い手、さらにはそれらを運用し、造営に携わるドワーフたち……建造や工業に特化された技術指導の手を確保した魔導王・アインズの成果だ。

 

 カルネ村……否、アインズの庇護環境下にくだった“カルネ地区”をはじめ、廃村になっていた村々の復興も、だいぶ軌道に乗っている。この都市のスラム地区を潰し、そこでくだを巻いていた──故あって己の土地も仕事もなにもない人間共に、新たな開墾地を提供し、かつて法国の工作活動によって破壊された土地を与えることで、ゴミ溜めでしか生活できなかったような者共にも、慈悲深い御方は「役目」を与え養う事業を推し進めた。そうして、人間のスラムは魔導国へ新たに編入された亜人種──蜥蜴人や蛙人、さらには人間よりも小柄なドワーフなどに最適な住居を提供する運びとなっている。都市は一部の狂いなく、発展と進歩を遂げつつあるのだ。

 

 魔導国は、一部周辺諸国には信じられないような──特に、人間至上主義の地域ではありえない、人と亜人と異形が融和しつつある国としての姿を整えつつある。

 

 

 

 そんな平和の時に、幸福の都に、漆黒の英雄・モモンの存在はなくてはならない──人間たちが語るところの、希望の支柱となっていた。

 滑稽なことだ。そのモモンというのは誰あろう、アインズ・ウール・ゴウン御方が生み出した最高位の能力を与えられた被造物──役者(アクター)に過ぎないというのに。モモンという英雄にすがらねばならない人間の脆弱さ、アインズ・ウール・ゴウンその人がもたらす慈悲と幸福を甘受できない外の存在の愚劣さが際立っているように思えた。

 ナーベラルは理解に苦しむ。

 どうしてこんなにも愚かなもの達の為に、御方が御心を砕く必要があるのだろうか。

 無論、アインズが常々言及している「アインズ・ウール・ゴウンが治める国が、廃墟であっては意味がない」という趣旨は理解している。

 理解はできても、ナーベラルにはいまひとつ納得がいかない。

 下等な人間(ムシケラ)などが生きていても、一体なんの価値や意味があるのか、ナーベラルの性格では納得のしようがなかったのだ。自分たちのような異形の者だけで栄える国を作れば、それでいいのではあるまいか。

 

(アインズ様に直接()くのは──ダメ)

 

 至高の御方のまとめ役であられる尊き君は、既に多忙を極めている。ナザリック地下大墳墓の輝煌を、あまねく世界に知らしめる一大事業──世界征服の版図を、着々と構築している真っ最中だ。魔導国の建国と運営も、そのための「ほんの一歩」に過ぎない。

 ナーベラルたちNPCに心を砕き、(いつく)しんでくれるあの方であれば、卑小なナーベラルの懐く疑念や不安を一掃してくれることも容易だろう。

 だが、アインズの日々の政務──国を運営し、世界を征服し、至高の御方々に『アインズ・ウール・ゴウンは此処に在り』と知らせるための活動に、ナーベラルがごときただのシモベが疑義を呈する意味など皆無。

 御方はナーベラルたちシモベ(NPC)の忠勤を褒め、怠慢や失敗をすべて受けいれてくれる御心の深さをもっている。──だが、それでも、ナーベラルにとって人間など、ただのゴミムシ程度の価値しかない。

 

(では、やはりパンドラズ・アクター様に(たず)ねるべき?)

 

 アルベドやデミウルゴスなど、頭脳面において他の追随を許さぬ高みにある……例外は彼等の頂点に君臨する御方に他ならない……NPC三名のうちの一人が真っ先に脳裏に浮かぶ。

 だが、彼はナーベラルと共に外の任務に励むことが多くなっていた為、長く自分の守護領域たる宝物殿に戻れずにいた。あそこにあるアイテムを、御方々が残してくれた財を管理し手入れすることができないことで、彼が気に病んでいることには気づいていた。モモンの双剣などを任務中に手入れする作業というのも、せめてもの代償行為である部分があったのである。

 そうして。パンドラズ・アクターは宝物殿へと舞い戻る許可を戴くに至り、長く放置してしまった役儀に就ける事実に胸躍らせながら、ナザリックへと帰還している。

 ──ナーベラルを、エ・ランテルに残して。

 

(……別に。それくらいのことは、いつものこと)

 

 自分の胸の奥に去来する感覚を、ナーベラルは努めて無視する。

 パンドラズ・アクターは、アインズと同様に人間の死体を利用したアンデッドの生産作業に従事すべく、日帰りでナザリックに戻っていたし、ナーベラルも任務がない時はナザリックで休養することが多くなった。宝物殿への帰還許可がなかったからこそ、パンドラズ・アクターの本来の職務は滞ってしまっていたが、それも御方と相談して解消済み。実に喜ばしいことであり、その時の彼を送り出すナーベラルには、素敵な男の顔が輝いて見えて面映(おもは)ゆかった。

 そして、現状。ナーベラルはエ・ランテルの治安維持活動……モモンの相棒であり魔法詠唱者“美姫”ナーベとして、この都市の有事に駆け付けるべく、屋敷に留まっている状況にある。

 

 しかし、彼はここにいない。

 彼が自分の傍に──いない。

 

「……少し出てきます」

「巡回でござるか? でも、今日の分は終わったはずでござらぬか?」

 

 ハムスケは窓の冊子に乗せた顎を、小動物のごとく(かし)げた。

 共に任務を終えていた同僚の忠言に対し、黒髪の乙女は言い捨てる。

 

「ええ。なので、私だけで行きます」

 

 

 

 

 

 ナーベラルは屋敷の雑務や清掃用に派遣されている人間のメイドとすれ違い、“ナーベ”として街を巡回すると伝言しておく。エ・ランテルの屋敷の管理を任された執事長(セバズ)へのことづけを頼まれた少女は、よく訓練されたメイドらしい所作でナーベラルを「いってらっしゃいませ」と見送った。

 

(あの、新しいメイド……なんて名前だったかしら?)

 

 確か、セバスが王都で拾ったらしい人間──ツアレ──である。

 が、ナーベラルは相変わらず人間の顔と名を覚えるのが苦手である。虫の顔面を見分けることが人間に不可能なように、異形種の二重の影(ドッペルゲンガー)であるナーベラルには、どれも同じような個体にしか思えない。せいぜい男か女か、子どもか老人か、くらいの区別はつく程度だろうか。

 ……戦闘メイド(プレアデス)の姉妹の中だと、ナーベラルだけがそのような(てい)たらくであることが判明しており、何気に驚きを隠せないナーベラルは現在努力している真っ最中なのだが、結果は付いてきていない。半ば以上「そういうものだ」と諦めてもいる。

 

 エ・ランテルの巡回程度は、“ナーベ”一人でも特に問題なくこなせる任務であり、モモン=パンドラズ・アクターが別件で不在時の窓口を代行するため、ナーベラルはモモンの留守を預かるべく都市に駐留することが多い。だが、ハムスケの言う通り、今日の分の定時巡回は終わっているので、これはナーベラルの個人的な外出に近い。

 

(アルベド様が言うには、「良妻は夫の留守を護る」とか何とか言っていたけど)

 

 はて。

 この時の良妻とはどういう意味で、夫というのは何の比喩表現なのだろう。

 最高位の女淫魔(サキュバス)ほどの頭脳も恋愛の心得も持たぬナーベラルには、何を言われているのか理解できない文言でしかなかった。

 

(私たちは、別に、妻と夫でもなし)

 

 ナザリック地下大墳墓内に、婚姻という制度など存在しない。

 もともと『かくあれ』と定められた(つがい)とか、アルベドやシャルティアのように「妃」の座を狙う者もいるにはいるが、ナーベラルとパンドラズ・アクターはそのようにあるよう、趣味嗜好や恋愛事情の分野を設定された存在ではない。そもそも、ナーベラルとパンドラズ・アクターの両者が出会ったこと自体、この異世界で初だったりするのだ。そう設定される理由などない。

 それに何より。

 

(創造してくれた御方が、そう『かくあれ』と定めたわけでもないのだし……)

 

 彼とそのような関係……アルベドやシャルティアが、アインズとそうなりたいと(こいねが)うのは、二人に組み込まれた『設定』が大いに関わっている。アルベドは『モモンガを愛している。』し、シャルティアは死体愛好趣味のネクロフィリアだ。自分たちの創造主……神から「そうなって構わない」と宣告されているような状態なので、二人はどちらが愛しき君の正妃の座に座るのか、日々しのぎを削っているような戦況である。

 だが、ナーベラルは違う。

 そんな感情や設定、自分には──ナーベラル・ガンマには組み込まれていない。

 

 だから、彼と“そうなる”ことなど……ありえない。

 

 

 

 

 

 ナーベたちの住居は、この都市を治める魔導王陛下、アインズ・ウール・ゴウン御方の屋敷に定住するようになって久しい。

 ナザリックの素晴らしい拠点に比べれば圧倒的に格の劣る屋敷であるが、もともとこの地方都市を支配していた人間の住居。名実ともに王となった御方が住まうには相応しくない印象しかないが、そこは今後の都市の発展と共に改善していけばよいだけ。

 大通りを行くと、通りすがりの人間は遠巻きに“ナーベ”を眺めるか、軽く会釈や挨拶を交わす程度。ナーベの美しさは知れ渡っており、かつては男共の劣情を悉く払い除けた実力者であり、今では街の代表の片割れとして、おいそれと近づけるものではなくなっている。

 ふと、見慣れた建物が現れる。黄金の輝き亭という最高級宿屋だ。

 かつてはそこをアダマンタイト級冒険者の拠点として多用していたが、魔導王の屋敷に常駐するナーベには、もう完全に用がない。

 都市巡回任務で立ち寄る程度の場所と化しており、今も完全に通り過ぎた。

 ナーベラルが知る都市の有名スポットは限られている。

 残されたそこへ立ち寄るか否かを、ナーベラルは脳内で吟味(ぎんみ)してみる。

 

(ユリ姉の孤児院に行っても、ナーベの姿では(はばか)りがある)

 

 ユリに与えられた新任務は、順調に成果を挙げつつある。

 もともとナザリック内では極めて温厚な思想の持ち主にして、誰かに何かを教えたいという性質を持つユリ・アルファは、教師などの役儀に適格な人材と言えた。都市住民からの受けもよく、特に子供たちには大人気な姿を遠巻きに眺めたこともある。

 しかし、モモンの相棒であるナーベは、一応、魔導国の主君を監視する、仮初の代表者の一人。

 魔導国──ナザリックのシモベたちと必要以上に接近し、懇意の間柄のごとく言葉を交わす姿は、いらぬ疑心を住民たちに与えるやも。今は我慢しなくては。ただでさえナーベラルはいろいろと演技の面で不安がある上、それが転じてユリに与えられた天職を奪うような事態に発展しては詫びようがない。自分の暇をつぶすためにそんなバカをしでかしてなるものか。

 姉のことを思い出すナーベラルは、ふと疑問する。

 

(ユリ姉も、こんな風に暇を持て余していたのかしら?)

 

 そうして、都市をぐるぐる巡って特に異常がないことを確かめる。というか、あるわけがない。エ・ランテルは今や中位アンデッドによる警邏兵や公務員、交通や運送、民間に貸し出しているスケルトンの肉体労働代行が闊歩する街だ。ナーベが発見できるような異常があっても、それはアインズの生み出したアンデッドたちで十分に対応可能なものばかりであるし、こんなところで騒ぎを……武器を抜き魔法を放つ手合いが現れれば、確実に死の騎士(デス・ナイト)の一刀で処理されるのが、完全な常識と化している。

 

 都市内に問題はない。

 なので、ナーベラルは都市の外に向かおうとして、少し騒がしい声に足を止める。

 何事だと振り返ってみると、女が大声で自分の子どもを呼んでいる声であった。どうやら母親、保護者の類。

 問題であろうか。だが、親が迷子を探す程度のことは、どこの街にでもある普通の光景。

 ふと、母親がナーベラルと視線を合わせた。

 母親は切迫した声色が嘘のように押し黙り、何かを訴えかけるような瞳で二の足を踏みながら、ただ一心に冒険者ナーベを見つめるだけ。

 ……面倒な。

 そう思いながら、ナーベラルは自分の任務に忠実を尽くすべく、女の方へ歩を進める。

 

「何か問題ですか?」

 

 

 

 

 

 話を整理すると、どうやらその女の娘が、昼前から行方がわからないという。

 思わず溜息を吐きたかった。

 その程度のことアンデッドの警邏にでも()けと思わなくもないナーベラルだが、さすがにエ・ランテルに住まうすべての人間が、アンデッドに対して危機意識を拭いきれていない事情がある。だからこそ、モモンとナーベたちアダマンタイト級冒険者の存在を、彼等は街の代表として頼りにしているのだ。以前までこういったことを請け負う衛兵や冒険者組合が機能していない都市内で、アンデッドの狂暴な面貌に対峙して「自分の娘を探してくれ」と頼む度胸を期待するのは、いささか無理があるというところ。

 ナーベラルはとりあえず母親の申し出を受け入れておく。

 冒険者組合の機能が生きていれば、「依頼」として破格の報酬を約束せねばならないアダマンタイト級であるが、現状、ナーベラルはモモンと同じ街の代表的存在。不本意ではあるが、暇を持て余していた上、子どもの捜索程度は難なくこなせるだろうと、そう判断した。

 

「それで、その娘の特徴は?」

 

 母親曰く、「以前にも、お会いしたのですが覚えていないでしょうか」と言われるが、人間(ムシ)の顔など覚えているわけがない。そう率直に告げないだけ、ナーベラルも人間のフリになじんでいた。

「いくら私でも、街の人間全員を把握することは出来ない」と言えば、納得はすぐであった。

 とりあえずの個体名や特徴、娘の私物についての情報──今日、身に着けているはずの物体に関する──を用意させる。

 

「さて」

 

 面倒は手早く済まそう。母親と別れたナーベラルは単独で子ども探しに専念する。ハムスケを呼び出すほどの難事とも思えなかった。モモン……パンドラズ・アクターの手を煩わせるなど論外である。彼は宝物殿での本来の役目に専心してほしいという思いもあった。

 作戦はシンプルだ。

 用意させた娘の情報をもとに、探査の魔法をかける。この都市で前にも使った巻物(スクロール)であるが、デミウルゴスなどのおかげで巻物の生産体制には既に不安がない。今ではナーベラル個人にも、必要数以上が支給されているのだ。

 ──ふと。過去アインズに指摘された注意喚起が脳内を駆けた。「愚か者」と強く手を掴まれたときのことを思い出す。

 用心に越したことはない。

 

「……〈偽りの情報(フェイク・カバー)〉、〈探知対策(カウンター・ディテクト)〉」

 

 おさらいするように、探知対策魔法への“対策”を整える。

 無数の防御魔法に包まれたナーベラルは、最後に〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を発動。魔法で得られた情報は、ナーベラルに意外な事実を突きつける。

 

「……街の、外?」

 

 ありえない。

 エ・ランテルは魔導国の統治下に入ってから、厳しい出入国制度を布いている。

 はじめて街を訪れる者に対する講習を開き、可能であれば武装を解除させ、しつこいくらいに入国の意志を確認する。そのシステム上、街を「出る時」にも、それなりの手続きがいる。

 そのため、子が親の保護を離れ、単独で外に行けるはずがない。保護者の同伴もなく子供が外に出るのは、危険な行為である。モモンやアンデッドの警邏のおかげで外の脅威は排除されているが、絶対安全ではない。この異世界の生態系を壊しかねないため、モンスターを全滅させるなどの強硬策はとれないのだ。

 さらに、子どもが消息不明という状況に、嫌な可能性が想起されてならない。

 

「まさか──誘拐の類だというの?」

 

 それもありえない。

 エ・ランテル内での犯罪率は、魔導国建国以降、完全に下降し続けている。

 法を犯した者が即・死罪に値することもそうだが、それはエ・ランテルの、魔導国の法を知らず体感できていない“外”の人間であることがほとんど。エ・ランテルに住まう市民は、街の代表モモンへの義理と信頼、そしてアンデッドが警邏する中で感覚が麻痺していることで、人間同士互いに相争うような状況に身を置くものが絶えたことをも意味している。

 

「外の愚劣な人間が、法国や王国の手の者が、魔導国の民を拉致しているとしたら……」

 

 許されざる大罪だ。

 人間など心底どうでもいいナーベラルだが、御方の財たるモノを(かどわ)かすなど、言語道断。

 百の死でも償いきれないだろう。

 

 入国管理役の亜人……トブの森にいたというナーガなどが商人たちに講習を行う部屋などを尻目に、漆黒の美姫は完全な顔パスでエ・ランテルから外へと向かう。

 

 

 

 

 

 魔法の示す情報では、娘の位置はそこまで早く移動している感じではない。

飛行(フライ)〉による速度と〈透明化(インビジリティ)〉による隠蔽で、街の郊外の、森に程近い丘に至る。

 おかしいと思った。

 拉致誘拐にしては奇妙に過ぎる。

 探査対象となっている娘の速度は、丘に至ったところで停止し、そこからほとんど動かなくなった。しかし、微妙にウロチョロしているだけの微動はある。誘拐犯であればそこに留まる理由などあるまい。一刻も早く逃亡し果せようと、馬車なり魔法なりを使って、街から遠く離れるはず。なのに、そうしない。

 娘がそこで殺されてない限り、考えられる可能性は、ふたつ。

 ひとつは、罠の可能性。

 そして、もうひとつは、

 

「まさか──」

 

 ありえないと思う。だが、これはもしや──。

 何にせよ。警戒は怠らない。万が一に備えておく。

 そして、

 

「見つけた」

 

 丘の上の花畑に、目標となる娘を視認する。髪色や衣服の特徴も完全に合致。

 呆れた口調と怒りの感情を混ぜ込んで、少女に語りかけるべく魔法を解く。

 

「そこで何をしているのです?」

 

 周辺に敵影はない。

 ナーベラルは警戒を解いて、空から舞い降りる。

 どうやら単独で都市を抜け出したらしい女児の保護に務める。

 娘は目をまん丸にしてナーベラルを見る。

 

「“しっこく”の、“びき”の、……おねえさん?」

「質問に答えなさい。こんなところで子供(アリンコ)が何をしている?」

 

 険の深い口調に、だが少女は目をキラキラさせて見上げるだけ。

 

「すっごーい! ほんとうに、まほうでおそらとべるんだ!」

「…………はあ?」

 

 手に摘んでいた花を固く握りしめながら、少女は美姫の、第三位階魔法〈飛行〉を行える魔法詠唱者の乙女の膝近くに駆け寄った。

 

「ね! もっかい! もういっかい、おそらとんで!」

「お断りです」

 

 愚にもつかない提案などよりも、ナーベラルは確かめておくべきことがある。

 

「何をしているのです。子供が何でこんなところに?」

「……なんでって……なんで?」

 

 イライラが募る。

 

「どうやって、エ・ランテルの包囲……出入国管理をくぐりぬけたのです?」

 

 しかも、こんな(とお)にも満たない子供が。

 いとけない娘は要領を得ない解答しか寄越さない。ナーベラルが気にしている『出入国に“穴”があるのでは』という疑念が晴れないのだ。こんな子供一人の出入りすら満足に把握できないのかと、門に控えている者たちに憤懣と失望を覚えかける。あるいは、城壁の整備不行き届きだろうか。城壁の管理部門はドワーフだったか、それとも霜巨人(フロスト・ジャイアント)だったか。

 少女はナーベラルの不機嫌にも気づかず、あっけなく答える。

 

「あのね、きがついたら、おそとにいたの!」

「『気がついたら』などと、そんなわけ……気がついたら(・・・・・・)?」

「うん! そしたらね、こんなおはなばたけがあってね! おかあさんにおはなみせてあげようとおもって!」

 

 思いもかけぬ冒険に気を良くする娘を無視して、ナーベラルは思い返す。

 何だ。この感じ。

 以前にも、モモンが愚にもつかない子供から聴いた内容と、似ている?

 

 そう。

 そうだ。

 

 魔導王一行の、エ・ランテル入来の時。

 少年が奇妙な男に唆されて、魔導王に石を投げることが正しいと──。

 

 

「……まさか」

 

 

 危惧が口に出た瞬間、

 

 

 ──ゴォアアアァァァ!

 

 

 (たけ)り狂った(ケダモノ)の雄叫びが。

 

 

「こんな時に」と言いつつ舌を打つ。

 否。こんな時だからこそ……“敵”が差し向けた刺客の可能性もなくはない。

 少女と共に振り向いた先には、近くの森からやってきたらしいトブ・ベアやウルフが数匹。実に悪いタイミングで血に飢えた連中が出てくるものだと、ナーベラルは肩をすくめて呆れ果てる。

 

「ひぅ」

 

 モンスターの恐怖に竦む娘が腰にしがみついてくるのが煩わしい。

 が、逃げて離れられて怪我をさせるのもあれなので、ここは我慢するしかなかった。

 

「──離れないように」

 

 片手で女児の衣服を掴みながら、もう片方の手に魔力をこめる。

 先頭を突っ走るモンスターを貫く〈雷撃〉の魔法が、美姫の指先から(ほとばし)った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻の空の帳の下で、ナーベラルは手を繋いでいた少女を解放する。

 少女の生家の前で、不安そうに右往左往していた母のもとへ駆けだしたのだ。

 

「おかあさん!」

「ナキズ!」

 

 抱擁を交わす母子。

 ナーベラルはとりあえず、子どもの無事を報告し、以後は気を付けるようにと念を押す。

 母は少女の青い髪を、愛おしそうに撫で尽くしながら、喜びだけを一身に表し「ありがとうございます」という涙声を繰り返した。

 

「ああ、もう、ナキズ……今まで一体どこにいってたの?」

「おかあさん! あのね!“びき”のおねえちゃんがたすけてくれてね! おそらもいっしょにね!」

 

 それでねそれでねと、子供は己を呼ぶ母親に自慢するように告げる。ナーベラルの方へ振り返って手を振った。

 母親がナーベに深くお辞儀して感謝の限りを尽くす。娘は屈託のない笑みを浮かべ続けた。

 ナーベラルは気難しい微妙な表情を浮かべかけ、仕方ない調子で手を振り返した。子供が応えるようにさらに腕を大きく振る。

 母子は仲良く談笑して、手を繋いで家路につく。母親はしつこく後日お礼に伺うと言ってくれるが、あまりにもくだらない事件だった為、そこまでされても鬱陶(うっとう)しいとしか思えなかった。

 

「まったく……」

 

 すっかり遅くなってしまった。

 面倒事をひとつ片づけ、ナーベラルは急ぎ屋敷へと戻るべく(きびす)を返しかけ──

 

「おねえちゃん!」

 

 足を引き留める。

 この町の守護者の片割れとして、無碍(むげ)にするわけにもいかない。

 

「まだ何か?」

「これ!」

 

 氷華のごとく凛とした声音に、少女は晴れやかな音色で、ひとつの贈り物を差し出す。

 

「これ、ほんとはおかあさんにぜんぶあげようとおもったけど、おねえちゃんにもあげる!」

「……花?」

 

 ナーベラルが少女を保護する直前まで、そして、猛獣どもを蹴散らした後、周囲からの奇襲や包囲を警戒しながら“餌”役に徹していたナーベの傍らで、少女がせっせと花畑から摘みとり続けていた──幾輪にもなる花々。

 こんなものに興味など無い。

 ナーベラル・ガンマにとって何の価値もない。

 だが、“ナーベ”として、漆黒の英雄の相棒として、ふさわしい対応方法を選ぶしかない。

 目線を同じ高さにして、少女からの贈り物を受け取る。

 

「どうも」

 

 えへへと笑う少女を無表情で送り返す。

 母のもとへ戻った少女がもう一度手を振って別れ、娘の恩人に対して女がもう一度深いお辞儀を送る。

 ナーベは大きく息を吐いた。

 

「ご苦労だった、ナーベ」

 

 心臓が止まりかけた。

 振り返った先にいる漆黒の全身鎧を見上げる。

 

「パ! ──モモン、さん」

「アダマンタイト級冒険者として相応しい威厳に満ちている。素晴らしいことだぞ、ナーベ」

 

 そんなに褒められるようなことをしたつもりはない。

 何故なら、

 

「も──申し訳ありません、モモンさん。実は、あの子どもは」

「何者かに操られて都市の外に出ていたようだな」

「…………ええ。そのようです」

 

 正解を口にするパンドラズ・アクターに、ナーベラルは頷くしかない。

 戦闘メイドの魔法詠唱者としてその事実に気づき、自分に可能な範囲での索敵と検証を試み、敵の襲来を待ち構えすらしたのだが、結局あの猛獣たちの襲撃以降、これといった変事は起こらなかった。それらを確定情報としたナーベラルであったが、例の子供を操るなどの工作を仕掛けたモノの尻尾(しっぽ)を掴むことは出来ずに終わっている。それがナーベラルにとって許し難い失態となっていた。

 しかし、彼は「そんなことはありえない」と戦闘メイドを励ましてくれる。

 周囲に聞き耳を立てる者はいないことを確かめた男は、元の歌うような、彼の本性の声で告げる。

 

「今回の一件で、未だ魔導国に害をなそうという何者かがエ・ランテルに潜伏している可能性が判明したほかに、もうひとつ、得難い成果をあなたは挙げている」

 

 どういうことだろうと疑問するナーベラルに、モモン姿のパンドラズ・アクターは答えを与えない。

 代わりに。

 

「あの娘。数年後には美姫ナーベに憧れ、魔法詠唱者の道をいくやもしれませんね」

「……憧れる? あの下等生物が──何故?」

 

 任務を当然のようにこなしただけのナーベラルにはまったく理解不能であったが、彼の目には、母子の本当の感謝と尊敬の念が手にとるように分かっていた。

 

「これで、少しはナーベに慣れる人間が出てくることでしょう」

「……はあ?」

 

 よく理解できない戦闘メイドに、モモンは微笑んだ。

 

「では──帰るぞ。ナーベ」

「あ……はいっ!」

 

 黒髪の乙女は彼の隣を歩く。

 その手には美しい花の束を握りながら。

 彼に感じる何かを胸に秘めたまま、ナーベラルは任務に励む。

 

 

 

 彼と共にある時を、

 共にあれる今の任務を、

 ナーベラルは一心に努める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

 

 

 

 




気づけば「年刊」になっていた逢瀬シリーズ。
ナーベの逢瀬はもう少し続きそうです。

第七話の前半。
特典小説『プレイアデスな日』の前日譚みたいな感じ。
ナーベラルがアインズに伺った「パンドラズ・アクターのこと」とは?
第七話の後半。
12巻でチラっと登場した魔導国の都「エ・ランテル」
そこで12巻の聖王国勢が登場する前に起こった事件みたいな感じです。
都市の子供を魔法で操る謎の勢力()とは、いかに?



・モブキャラ紹介・

〇ナキズ
 ナーベの逢瀬・六話で母と共に登場していた子供。
 実は、幼いながらに、“美姫”ナーベの隠れファン。空を飛ぶ魔法使いに憧れている。
 余談。
 今回の出会いから数年後。アインズが創設した魔導学園でトップレベルの成績を収める魔法詠唱者に大成。憧れの“美姫”ナーベと同じアダマンタイト級・六等冒険者として活躍。『魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~』のモブとして登場していたりする。

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