ナーベラル・ガンマ、生きる黒歴史との逢瀬   作:空想病

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時系列としては、
書籍版三巻以降五巻以前という感じ。



ナーベラルがパンドラズ・アクターの存在を知る経緯の話です。



では一言。



ナーベの泣き顔は、ヤバい。




第二話 邂逅1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナーベラルがパンドラズ・アクターのことをはじめて知ったのは、お茶会もとい戦闘メイド(プレアデス)の報告会でユリとシズが話題に挙げた時だった。ちなみに、ルプスレギナは例のごとく、人間の村で任務を継続している真っ最中である為、残念ながら席をはずしている。

 

「宝物殿の、領域守護者?」

「ええ。ナザリック地下大墳墓において不可侵の領域。完全に独立し隔絶された空間。至高の御方の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で転移しない限り、立ち入ることすら叶わぬ霊廟、その墓守……それがアインズ様の御手によって一から創造された唯一の存在、パンドラズ・アクター様よ」

 

 ユリとシズが、宝物殿なる場所へアインズ様と同道した際に出会ったと呼ばれる存在を、ナザリックに属するほとんどの者は認知していなかった。

 宝物殿は至高の御方々の財が眠る神聖な場所。そこに立ち入れるNPCなど、ユグドラシル時代は皆無だったことが大きい。加えて、アインズはパンドラズ・アクターを連れて歩く行為――供回りをさせることがなかったことも影響している。彼の存在を知っているのはアインズを含む至高の四十一人と、守護者統括の地位にある者として管理上把握していたアルベドくらいのものである。

 しかしながら、戦闘メイドの二人は、彼のその強烈な設定……個性に面食らってしまったのは、無理からぬことであった。

 

「アインズ様に創られた存在と聞いたけれど、私は少し苦手に感じたわ」

「…………私も」

 

 二人とも、自分の言動が主人に対して不敬に値するかもしれないと重々承知しているはずだが、ここには末妹とルプスレギナを除いて姉妹全員が揃っている。少しくらい本音トークに花を咲かせたくもなるのは仕様がない。

 

「ユリ姉だけならまだしも、シズにまで苦手と言わしめるなんて……」

 

 ナーベラルは率直に驚きを抱く。

 この二人は戦闘メイドの中でもかなり穏健な性格もとい設定を与えられたNPCのはず。

 無論、だからといってすべての存在を許容できるわけではないのも確かだ。ユリ姉は第一階層守護者であるシャルティアの性癖に辟易しているし、同性として“その対象”に見られることを忌避しているのは戦闘メイドの間では知らぬ者はいない。

 

「…………正直、うわぁ、ってなった」

「人のことを「お嬢様」呼ばわりするのは、少しいただけないわね」

「ああぁ、それは確かにムカつくぅ」

 

 眼球のフライを数個パクつく和服のメイドがユリの主張に同意した。

 

「いくらアインズ様の創造された存在でもぉ、戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーをぉ、お嬢様呼ばわりするのはぁ失礼にもほどがあるぅ」

「エントマの言う通り。確かに、その呼び方はふさわしくないわね」

 

 金髪ロールヘアのメイドが妹の主張に同意の声を上げながら、縦にスライスされた指のソテーを頬張っている。

 第九階層を守護する戦闘メイドたちは、ナザリックに所属する存在の例にもれず、自らに与えられた役割に絶大な誇りを抱いている。外の存在からは狂信的としか呼べない信奉の心は、たとえ悪気がなかったとしても、それを卑下されるような行為言動を看過することは出来ない。戦闘メイドとして生み出され、至高の四十一人に仕える同胞を「お嬢様」呼ばわりすることは、受け取り方次第によってはメイドたちの存在を見下していると思われても不思議ではなく、実際ユリが不快感を示したのはまったくもって正しい反応の仕方だったのだ。

 

「私がそんな呼ばれ方をしたら、相手を丸呑みにして、即座に一瞬に溶解してしまうかも」

「あれぇ? ソリュシャンだったらぁ、ゆっくりじっくりぃ、(ねぶ)り回しながら殺すんじゃないのぉ?」

「至高の御方を堂々と侮辱するような存在を、一秒たりとも生かしておくのは嫌ですもの。本当はエントマの言う通り、ありえないほどの痛みを与えつつ、味わいながら苦しめながら殺すのもいいけれど、ねぇ?」

「私だったらぁ、腕と脚を食べてぇ、内臓をプチプチプチプチ食べてから殺すかなぁ? 脳みそはデザートにしてぇ」

 

 口々に欲望を吐き出す二人に、ナーベラルとシズは特段、嫌な素振りなど見せない。

 残忍に酷薄に殺すことに必要性をまったく感じないが、無礼を働いた相手を殺すことには全面的に同意しているのが大きい。ただ殺すとなれば、自分だったら即座に魔法で灰になるまで焼き尽くすだけだろう。

 ユリもその筈なのだが、彼女は上官として、副リーダーという立場にある存在として、妹たちのお喋りを窘めることにする。鞭の音をピシピシ響かせながら。

 

「二人とも。それくらいにしておきなさい。いくら失礼な方だったとは言え、相手は領域守護者様。しかも、アインズ様の御手製なのよ?」

「わかってるよぉ、ユリ姉ぇ」

「でも、領域守護者と言っても強さはピンキリでしょ? レベルはどれくらいなのかしら?」

 

 第二階層“黒棺”を預かる恐怖公がLv.30であるのに対し、第七階層“溶岩の川”に潜む紅蓮がLv.90に届くという。ひょっとすると、自分たちと同等か、それ以下のレベルというのも、実際としてありえる。

 だが、ユリの口から出てきたのは、彼女たちの想定を上回っていた。

 

「パンドラズ・アクター様はLv.100――つまり、各階層守護者の方たちと同格に位置付けられるわ」

 

 三人のメイドたちは息を呑んだ。

 ソリュシャンやエントマ単体では歯が立たないレベル構成。条件や相性などの有無を考慮しなければ、単純に敗北は確定しているようなもの。そんな最高位の力の持ち主であることが理解でき、彼女たちは認識を改めざるを得ない。

 

「さすがは……至高の御方々のまとめ役であられるアインズ様の創造された存在ですわね」

「さすがにぃ、階層守護者と同格の人にはぁ、勝てそうもないかなぁ」

 

 あっさりと白旗を振った二人。

 戦闘メイドの中で最高レベルの63を与えられたナーベラルでもレベル差が開きすぎているのだから、二人の反応は至極当然な結論でしかない。

 僅かに抱いた好奇心から、ナーベラルはひとつ質問してみる。

 

「ユリ姉様。そのパンドラズ・アクター様は、異形種としてはどの種族に該当するの?」

「確か、上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)と聞いたわ」

 

 ナーベラルは口に着けたティーカップを固めてしまう。

 

上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)?」

「ああぁ! ナーベラルの上位種ぅ?」

 

 ソリュシャンとエントマの反応に、ナーベラルは耳をそばだてる。

 二重の影は種族特性として、ありとあらゆる姿に変身できる能力を持っている。

 ただ、ナーベラルの種族レベルは僅かに1。卵頭の本性以外に取れる姿は、今の黒髪の乙女――人間の姿だけである。無論、ナーベラルはそのことを恥とは思わない。至高の御方が「かくあれ」と思い創られたからこそ、このナーベラル・ガンマは存在しているのだ。むしろ誇らしい思いすら抱いている。

 それに、ナーベラルの強さは職業(クラス)レベルに依拠した「魔法詠唱者(マジックキャスター)」としての力が中枢を占める。二重の影(ドッペルゲンガー)としての強さなど、まったくもって不要とも思えたくらいだ。

 ――この時までは。

 

「詳しくは知らないわ。けれど、私たちが見た限りでは、パンドラズ・アクター様は、至高の御方の一人“大錬金術師”タブラ・スマラグディナ様に変身できるのは確実よ」

 

 周囲に陶器が割れそうな音が響く。

 

「タ、タブラ・スマラグディナ様ぁ!?」

「ち、ちょっとユリ姉様その話詳しく!!」

 

 妹たちの動揺と驚愕の声に、ユリは生真面目に頷き、シズは無言の肯定を示した。

 黒髪の乙女は愕然となる。握っていたティーカップは、いつの間にかソーサーの上に落ちていた。中の紅茶が真っ白のテーブルクロスを汚している。そんな自分の失態すら、今のナーベラルには省みることができない。

 

「し、至高の、御方の、御姿になれる? そ、そんなことが、本当に可能だというの?」

「こんなことで嘘を言う理由がないわ、ナーベラル」

「…………アルベド様もびっくり」

「私はぁ、シャルティア様のぉ復活の時にお会いしただけだけどぉ、そんなすごい方だったなんてぇ?」

「ホワイトブリム様やク・ドゥ・グラース様、ヘロヘロ様にもなれるの?」

「アインズ様からお聞きした限りでは、他の至高の四十一人すべての御姿に変身できるとの話よ」

 

 聞かされた内容に、戦闘メイドたちは戦慄してしまう。

 

「とても信じられない能力だわ。領域守護者様とはいえ、そんな力が許されるなんて」

「さすがアインズ様の御手製ぇ。ちょっと宝物殿に行ってみたいかもぉ。あ、でもぉ、宝物殿ってぇ、確か至高の御方々の指輪がないとぉ?」

「現在、このナザリックで至高の指輪の保持が許されているのはアインズ様を除くと、アルベド様、マーレくん……様、あとは件のパンドラズ・アクター様だけね」

「…………控えめに言って、会うことはほぼ不可能」

 

 がっくりと肩を落とすエントマ。ソリュシャンも、残念そうに溜息を落としている。

 この反応は、ナザリックのNPCであれば当然のものだろう。アインズ以外の至高の四十一人が御隠れになって幾年月。しかし、その御姿は瞼の裏に焼き付いており、ただ瞳を閉ざすだけで想起することも容易(たやす)い。

 だが、やはり生の目で、至高にして究極の造形美たる御姿を目にしたいという欲求は、どうしても捨て難いものがある。

 

「あ、でもパンドラズ・アクター様が宝物殿外の任務を与えられることがあれば、お会いできるかしら?」

「まぁ――可能性は、なくはないけど」

「…………正直、あの人がナザリックを闊歩するのは、危険」

「危険ってぇ?」

 

 エントマの疑問に、ユリは溜息交じりに応じていく。

 

「あの人の言動や個性は、まぁ大目に見ることが出来るわ。でも、あなたたち。もしも仮に、仮に、よ? パンドラズ・アクター様が、至高の御方の一人の姿をとられた状態でナザリック内を出歩いたら、それだけで、もうナザリックは上から下までを巻き込んだ大混乱に陥りかねないわ」

「…………実際、アルベド様はタブラ・スマラグディナ様の姿を見て、かなり取り乱してた」

「けれど、アルベド様はそれがすぐに御自分の創造主でないことを看破なされた。さすがは守護者統括の地位を与えられた御方だわ。けれど、他のすべてのシモベにそんなことが可能なのかしら? 可能だったとしても、至高の御方の姿をした存在に対して、シモベたちはどのように応じるべきだと?」

 

 戦闘メイドは考える。

 仮に、至高の御方の姿をした存在が偽物だと見破ったとしよう。では、そのような不審に過ぎる存在を野放しにしておくべきなのだろうか? 否、偽物だと看破してしまったら、逆に危険なことになりはしないだろうか?

 不遜にも至高の御方の姿を真似る無礼者。創造主に唾吐くがごとき不信心者。

 それは下手な侵入者などよりも、よほどNPCたちの義憤と激昂を誘発するだろう。

 

「アルベド様が取られた行動は、まさにそれよ。アルベド様はタブラ・スマラグディナ様が偽物だと気づいた瞬間に、敵対行動に移られたわ」

「…………ユリ姉と私に殺害命令を出した」

「アインズ様の御身を案じればこその御判断ね。我ながら本当に情けないわ。彼がアインズ様の創造された存在だったから良かったけど。これが外の世界で、私たちの崇拝する御方々の姿をそれぞれ投影できるような輩がいたとしたら、(まか)り間違ってもアインズ様に害が及ぶことは避けねばならないのだから」

 

 ユリの懸念は至極当然のものだ。

 この異世界において、ナザリック地下大墳墓は圧倒的強者の立ち位置を占めているのが事実として認知され始めているが、何事にも例外は存在する。

 特に、第一階層守護者・シャルティアを洗脳した世界級(ワールド)アイテムなどが、その最たる特例だろう。

 では。

 もしも仮に、NPCの記憶や精神を読み取って、それぞれが第一に考える至高の御方の姿を模倣できる世界級(ワールド)アイテムなどが存在したら?

 その世界級(ワールド)アイテムを悪用して、ナザリックに反意を翻し、アインズの命を奪えなどと命じられることになれば?

 

「下手したら、シャルティア様の二の舞、ね」

「その通りよ、ソリュシャン。最悪、ナザリックの崩壊にも繋がりかねないわ」

「ううぅ、そう考えるとぉ、パンドラズ・アクター様はぁ、宝物殿から出ない方がいい感じぃ?」

「だからこそ。アインズ様は彼の方を、ナザリックとは隔絶した領域に封じられているのでしょうね。ボク……私たちの無用な混乱など、アインズ様が望むはずがないもの」

「でも、それだと根本的な話、どうしてアインズ様はそんな存在を御創造になったのかしら? いたずらに供につけることができないシモベを御創りになられるなんて」

「確かにぃ……ナザリックが崩壊するなんてぇ、想像するのも嫌すぎるんだけどぉ?」

「その点については安心していいわ。彼は優秀な存在よ。立ち居振る舞いからは想像もつかないけど、アルベド様やデミウルゴス様と同等の頭脳を持ち、あまつさえ至高の四十一人すべての能力と技術を、限定的にではあるけれど行使可能とのことだから。下手したら、私たちの方が無用者扱いを受けるレベルで、パンドラズ・アクター様は有能よ?」

「ああぁ、そういえばぁ、宝物殿にこっちの世界の物資や道具を運び込んでぇ、鑑定や換金なども行っているんでしょぉ?」

「換金って、確かユグドラシル金貨への換金だったわよね? そんなことが出来るなんて」

「それがパンドラズ・アクター様の御力ということよ」

「…………さすがはアインズ様」

 

 ガタリとメイドらしからぬ音を立てて、一人の少女が腰を浮かせた。

 

「あら。どうかしたの、ナーベラル? さっきから黙っていたけど、何かあった?」

「あ……そろそろアインズ様と、エ・ランテルに戻られる準備をしないと」

 

 ナーベラルは咄嗟に嘘をついた。

 そんなナーベラルの虚偽を知ってか知らずか、姉妹たちは言葉を紡いだ。

 

「いいなぁ。ナーベラルばっかりずるいぃ、羨ましいぃぃぃ」

「…………耐えろ、エントマ。ナーベラルが任務に励むのは、とてもいいこと」

「私も少し早いけど、王都に戻って、セバス様との情報収集の任務に戻るわ」

「じゃあ、戦闘メイド(プレアデス)月例報告会およびお茶会は、これで散会としましょう」

 

 ユリの(シメ)の一言で、その場はお開きとなった。

 片づけはローテーション方式で決定したシズに任せ、ナーベラルは自分の自室へと向かう。

 自然と早足になっていることにも気づかずに、黒髪の戦闘メイドは神々の宮殿を突き進む。

 

「……気に入らない」

 

 自分でも、不遜な考えに囚われていると自覚している。自覚せざるを得ない。だが、普段の落ち着き払った余裕など一切なくなるほど、姉妹たちの話はナーベラルの機嫌を大いに損なっていた。

 上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)

 Lv.100の領域守護者。

 至高の四十一人への変身を許された、唯一無二の存在。

 それに対して、同一種であるナーベラルは、あらゆる面において劣っていた。

 変身できる姿は人間一つきり。レベルは63。できることは魔法詠唱者(マジックキャスター)としての能力のみ。

 気に入らない。

 気に入らない。

 気に入らない。

 気に入らないったら、気に入らない。

 アインズ様に直接創造されたからといっても、これほどまでに能力に差があるなどあってよいことなのか?

 あまりにも自分が不出来に思えてしようがないではないか。

 どうして、こんな自分をアインズ様は外の世界に供をさせて――――

 はたと、思考が回転する。

 ひょっとすると。

 アインズ様は、自分が創造したものと同じ種族であるナーベラルを気に入って?

 

「ふふん♪」

 

 そうだ。

 自分は今、ナザリックにおいてもっともアインズ様の傍近くで働くことを許された存在。

 自分が完璧に完全にアインズ様のお役に立てているとは言い切れない――そもそも至高の四十一人たる御方々は、それぞれが瑕疵一つない完成された造物主なのだから、御方々に対して完璧かつ完全な奉仕など不可能なのだ――が、それでも、アインズ様は卑小な自分の失敗を、寛容にして絶大なる御心でお許しくださる。

 上位種だか何だか知らないが、今は私の方が、直接アインズ様のお役に立てているのだ。

 そう思えば心は晴れやかになる。

 一人で表情をコロコロ変化させながら角を曲がった、その時。

 

「きゃ!」

 

 突如、現れた人影に無様な声を上げてしまう。

 背中から倒れ伏しそうになるナーベラルの身体を、逞しい両腕が支えてくるのが判った。

 さらに、ありえざる声が、黒髪の乙女の耳を撫でる。

 

「大丈夫か、ナーベラル?」

「あ、ああ、アインズ様っ!?」

 

 その姿は冒険者モモンの全身鎧(フルプレートメイル)。その声は慈悲深き至高の御方のそれだった。

 

「ふむ。怪我はなさそうだな。駄目だぞ、角を曲がるときは十分に注意を払わねば」

「も、申し訳ございません!」

 

 あまりの事態にその場で平伏の姿勢をとる。

 何という失態だ! いくら久しぶりのお茶会の帰りだからといって、いくら久しぶりのナザリック第九階層だからといって、このような失態を犯すなど!

 

「もうよい、ナーベラル。面を上げ、立ち上がるがいい」

「本当に、申し訳ございませんでした」

 

 あまりの失態に身が縮まる思いのナーベラルは、主人の命令に悄然としながら従った。

 しかし、わからないことが一つ。

 

「あの、アインズ様……あの……お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「どうした、ナーベラル? 私に答えられることならば何でも答えてやるぞ?」

 

 いつになく陽気な調子で、モモン姿のアインズは両手を広げた。

 何か、奇妙な違和感を覚える。

 

「何故、転移魔法を、〈転移門(ゲート)〉を使われて此方にこられたのでしょうか?」

「……ほう?」

 

 ナザリックのNPCは、皆一様に揺らめくような気配を漂わせている。その気配というのはナザリックに属する同胞の検知と把握に使用されるもので、強さによる個体差というべきものがあり、言うまでもないが至高の存在にして絶対支配者たるアインズの気配はたとえ遠くからでも感じ取れるほどに強力な輝きを放っている。故に、このように出会いがしらの事故が起こることは、ほぼ皆無といってよい。ただ唯一の例外が、アインズが転移魔法を使用した時ぐらいのものだ。

 だが、こんな廊下の角に転移してくる理由が、ナーベラルには理解できない。

 

「さすがは、戦闘メイドのお一人。なかなか鋭い洞察力をお持ちだ」

 

 アインズの奇妙な語り口に、ナーベラルは困惑を深める。

 

「もうよい。パンドラズ・アクター」

「え?」

 

 聞き違えようのない主の声は、しかし目の前の鎧からではなく、自分の遥か後方から聞こえてきた。

 振り向いた先には、骸骨の魔法使い。死の超越者の姿をしたアインズの威容。傍近くには守護者統括たる純白の悪魔・アルベドが付き従っていた。

 

「え? ええ!?」

 

 ナーベラルは改めて、目の前にいるモモンを注視する。

 誰何の声を上げようとした瞬間、その輪郭がぐにゃりと歪む。

 一拍をおいてモモンの姿をしていた者が立っていた場所にいたのは、卵頭の異形種。自分の本性と瓜二つの形状。しかし、上位種である彼の指は四本指。鼻などの隆起を完全に排除した“のっぺら坊”の上に、黒い月を思わせる穴が三ヶ所、それぞれが目と口の位置に固定されている。

 瞬間、ナーベラルは体の奥が熱っぽくなるのを感じた。

 鼓動が早鐘を打つようになり、呼吸がやけに耳につく。

 

「驚かせてしまったようで、まことに申し訳ない、ナーベラル・ガンマ」

 

 その抑揚に富んだ声音は、歌のように軽やかだ。舞台役者としては最高品質を約束されたかのような、生まれながらに完成された美の結実を思わせる。

 

「どうだ、ナーベラル。あまり見分けがつかなかっただろう?」

 

 種明かしをすると、アインズたちは〈完全不可視化〉の魔法でナーベラルの自室周囲に待機し、ナーベラルが角を曲がるタイミングに合わせて、モモンの姿のパンドラズ・アクターを〈転移門(ゲート)〉から廊下の角へ転移させた――というだけのことなのである。

 ちなみに言うまでもないが、こんな悪戯を企画したのはアインズをおいて他にない。

 

「アインズ様。こちらの方は、もしや」

「聞いていたのか? その通りだ、ナーベラル。これが宝物殿の領域守護者、名をパンドラズ・アクターという」

「どうか、お見知りおきを」

 

 やけに芝居がかった挙動の卵頭でとても魅力的だったが、それよりも優先すべき事柄がある。

 

「アインズ様。パンドラズ・アクター様は、上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)――つまり、私の上位種であると伺っております」

 

 御方は首肯によって、ナーベラルに先を促した。

 

「ですが、何故この方は今、冒険者である“漆黒”のモモンの姿をとっていたのでしょうか?」

 

 その質問は、ナーベラルに宿った一つの懸念を如実に物語っていた。

 アインズは鷹揚に頷いて見せる。

 

「私が行ってきたモモンとしてのアンダーカバーの構築はひとまずは成功したといってよい。アダマンタイト級冒険者。漆黒の英雄。超級の戦士。すでにモモンは王国に留まらず、周辺諸国でも広く知られた存在として、様々な任務をこなすのに役立つだろう。そして、これから私は、ナザリックの政務や他の仕事にも従事していく必要が出てくる。以上の事から、モモンとしての活動はこれから徐々に、このパンドラズ・アクターに代行させようと考えたからだ」

 

 その為の顔合わせに、ちょっとした余興を凝らしてみたのだと、至高の御方は骨の顔で微笑む。

 だが、逆にナーベラルは視界が唐突に閉ざされたように思えた。

 それはつまり、将来的に自分は、アインズの傍近くで、任務を果たせなくなるということ。

 否。こうなる予感はあったはずだ。何より、自分ばかりがアインズの傍にいられる時間が長いことは、(ひるがえ)って考えれば、他のシモベたちがアインズに直接奉仕する時間を奪っているという事実に繋がる。

 身に余る栄誉に耽溺し、同胞たる者たちを蹴落とすような恥さらしを、ナーベラルはするつもりは毛頭ない。

 それでも。

 

「どうだ、ナーベラル。モモンの仲間であるおまえですら看破するのは難しいのだから、人間の目ではまるで判別がつかないだろう?」

 

 まさにその通りだ。常に傍近くで任務に従事していた自分ですら違和感を些少覚える程度だったのだから。愚かで低能で無知蒙昧な人間風情に、看破することは絶対的に不可能だろう。

 それでも。

 

「アインズ様」

「どうした、ナーベラル?」

 

 黒髪のメイドは、アインズの爪先に口づけるかのように身を伏せた。

 

「ど、どうしたというのだ!?」

「ちょ、うらやま!」

「ほう?」

 

 突然の部下の行動に、アインズとアルベド、そしてパンドラズ・アクターが驚きの声を上げる。

 

「私は……、私、は……」

 

 何と罪深い。何て畏れ多い。

 両手で胸を抑え、自分が言わんとする言葉を封じようとしたが、もはや手遅れだった。

 

「誠に勝手ながら、私はこの方と共に、任務を遂行することは、出来ません!」

 

 口にしてから、後悔が嘔吐感と共に込み上げてくる。

 すぐ傍に控えている純白の悪魔から、瘴気とも怨念とも言い難い何かが立ち込めてくる。

 

「ナーベラル・ガンマ……あなた自分が何を発言しているのか判って」

「アルベド、余計な口を出すな。少しは冷静に思考することを覚えろ」

 

 深淵よりも尚深い一声が、守護者統括の尋常でない怒気をいとも簡単に冷却する。

 

「ナーベラルよ、私の決定に異を唱えるつもりか? なるほど、そうするに足りるだけの理由が、おまえにはあると? ならば聞かせてほしい。戦闘メイドとして、またはモモンの冒険者仲間“ナーベ”として、私の決定に反対する根拠を」

 

 ナーベラルは(ほぞ)を噛む。

 至高の存在であられる御方に異を唱えるなど、畏れ多すぎて頭が、体が、心が崩れそうになる。

 反対する根拠を示せと、いと尊き慈愛の君は言ってくれた。ここで何も発言できなければ、ナーベラルは自分の感情のみで御方の意思に逆らう愚物の烙印を押されてしまう。それは戦いで死ぬことよりも数段勝る恐怖である。そんなことになるぐらいなら、自分で自分の首を跳ねてしまった方が、万倍もマシだというもの。

 だというのに、ナーベラルの口は、舌は、どんな言葉も紡げない。口を縫われようが舌を抜かれようが発言せねば。だが、やはり、何も言えない。

 涙と汗が、頬を伝って混じり合う。歯の根が合わず、ガタガタと全身が震えだす。

 ナーベラルは自分の破滅を幻視さえした。

 しかし。

 

「恐れながら、アインズ様」

 

 思わぬ救いの手――四本指――が、ナーベラルに差し出された。

 

「ナーベラル殿の忠言。私も賛同させて頂きたく思います」

「パンドラズ・アクター」

 

 アインズは己のNPCを正視する。

 

「ナーベラル殿は戦闘メイドの一員。誇りあるナザリックにおいて、力に重きを置く彼女たちにとって、私のような見知らぬ者の傍に侍れというのは、些か以上に納得しがたいことかと。まして私は、いと尊き御身の代役として奮える力には限りがございます。そのような半端者を、容易く上位者として、至高の御身が創り上げた英雄・モモンとして、見据えられるものではありますまい」

「……そうなのか、ナーベラル?」

 

 戦闘メイドは首を縦に振るしかなかった。

 アルベドは「アインズ様の決定に逆らうなど」と小言を呟いていたが、それをアインズ本人から窘められては、是非もない。

 

「なるほど。確かに納得がいく答えだ。私は性急に事を進めようとしていたようだ。許せ、ナーベラル」

「し、至高の御身に、そんな……も、もったいのうございます!」

 

 恐怖は氷解し、安堵からさらに滂沱の涙が溢れかえる。

 

「しかしそうなると、どうするか。モモンの代役など、パンドラズ・アクター以外に他に立てようがないのも事実」

「アインズ様。私はナーベラル・ガンマに、我が力を見せて差し上げることを進言いたします」

 

 それで彼女も納得してくれるだろうと、卵頭は(のたま)った。

 アインズの瞳は卵頭の眼窩から、平伏し頭を差し出し続けるメイドへと移ろう。

 

「よかろう。ではパンドラズ・アクター、これよりナーベラルに己の力を示すことを許す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     【続】

 




第三話に続きます。

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