私たちの話   作:Гарри

5 / 20
05「手紙」

 月に一度、本国からの荷物を満載した輸送船が来る日は、パラオ泊地に所属する艦娘の誰にとっても重要な一日だった。たとえば古鷹は前々から注文していた本が届くのを一日千秋の思いで楽しみにしていたし、那智は彼女が「パンドラの箱」と呼ぶ悪戯用小道具入れへの補給品を期待していた。

 

 だがそういった自分自身の趣味嗜好に基づく特別の欲求がない艦娘たちにとっても、やはりその船は大切な存在だった。それは手紙を運んでくるからだ。家族からの手紙、戦友からの手紙、同期からの手紙、友人たちからの手紙、顔も知らない不特定多数の子供たちからの「励ましのお便り」。どんな内容であるにせよ、艦娘たちにとっては手紙というものが本当に何にも代えがたいものだった。それは彼女たちがいる現実的でハードな世界と、彼女たちがそこから切り離された非現実的でソフトな世界とを繋ぐ細い糸であり、昔、まだ艦娘ではなかった時のことがどれだけ夢のように思われたとしても、やはり実際に今いるこことは違う素敵な場所があったのだと思い出させてくれたからである。

 

 ただ、輸送船に積んであるのは言うまでもなく、そんな気持ちのいいものばかりではなかった。資材や燃料、弾薬、食材などの必需品もたっぷりと詰まっており、それの積み下ろしや倉庫への運び込みに人手が足りなくなると、出撃任務のない艦娘たちは額に汗して働かなければならなかった。そしてこの人手というのが、毎回必ず不足した。なのである一月の朝のこと、私たちは汚れてもいい恰好をして港に向かった。

 

 この臨時任務の中で人気の仕事は、手紙の仕分けだ。何しろ港の事務所の中で空調を効かせながら、座ってできるのである。他の仕事はどれも全くの肉体労働だから、募集人数の少ないこの仕分け業務を受けることのできた艦娘は非常に幸運だとして妬まれたり羨ましがられるのが常だった。この時は私の最も古い艦娘の友人にして幸運艦として有名な時雨がその席を手に入れ、私たちは彼女がどんな手を使って事務所の玉座を手中に収めたのかと、弾薬箱や燃料の詰まったドラム缶を手や運搬機で運びながらいぶかしんだ。で、時々時雨が私たちに届いた手紙を持ってくると、その度に「裏切り者」とか、「卑しい駆逐艦め」とか、艦隊員みんなで彼女に思い思いの親しみを込めた罵声を浴びせた。時雨だって負けずに、私たちの前で自慢げに小さなお尻を振りながら笑って歩いて、勝者の余裕を見せつけた。

 

 昼の休憩を挟んで午後になって、何箱目か忘れてしまったほど沢山の弾薬箱を運んでいた時だ。長門が「何だこれは?」と声を上げた。私は普段使わない筋肉を酷使してへとへとだったので、視線を動かすだけで彼女の方を見た。長門の黒く汚れた指が、白い封筒をつまんでいた。「おい、勤務中に手紙を読むのは服務規程違反だぞ」と生真面目なところのあるグラーフが言い、那智は「なんだ、封筒に検閲印がないじゃないか」と鋭い指摘を発した。私は思わず「検閲印がないですって?」と口走った。それは重大な違反だった。戦中は未検閲の手紙なんか持っていることがバレたら、それがどんな内容でも大きなリスクだったのだ。

 

 私は「早く捨ててしまいなさい」と勧めたが、長門はそんな指示に従うような女ではなかった。彼女は私の焦った様子を見て吹き出すと、仕事の最中であるにも関わらず手紙の封を切って中身を取り、封筒だけを相棒の重巡に渡したのだ。那智は懐に収めていたメモ帳を取り出し、封筒に書いてあった送り主の住所を書き留めると、古鷹のポケットに手を突っ込んで彼女のライターを奪い、あっさり封筒を燃やしてしまった。「これで検閲印があるかないかなんて分からなくなったな」と那智は言った(因みにこういうことが横行したせいで、数年後には封筒の中身にも一々検閲印が押されることになった)。

 

 長門は手紙に目を通していたが、ふと本文が書かれた紙の裏に貼り付けられているものがあることに気付いて裏返し、感嘆の声を漏らした。「ほう、見てみろ、写真付きだぞ」まず私が好奇心の強さから陥落し、次に古鷹、最後にグラーフが堕ちた。私たちは他の働いている艦娘たちや作業員たちの目を盗んでこっそりと物陰の方へと移動し、ちくちくとした肌触りの地面に円陣を組んで座った。そして既に読み終えていた長門と那智を除く三人で回し読みをし、写真を見た。それは十五歳になったばかりの少年からの手紙で、「艦娘、特に戦艦・正規空母艦娘の大ファン」を自称する彼はこれを読んでいる誰かに対して、是非文通相手になって欲しいと書いていた。十五歳の男の子らしい気遣いの足りなさに、私たちはみんな微笑ましい気持ちになった。が、その後でちょっとした争いになった。

 

 誰が文通相手になるかで揉めたのである。無論、それは本気の争いではなかった。長門は第一発見者であることと、押しも押されもせぬ大戦艦であることを理由に自分が返事を書くと主張した。私は本気ではなかったが、長門に対抗して立候補した。彼女に任せたら、戦艦にだけでなく正規空母にも憧れを持つ純真な少年がショックを受けてしまうことが容易に想像できたからだ。そうでなくとも、何かの拍子に長門が治安紊乱(びんらん)のかどで捕まってしまうようなことになりかねず、そうなれば私たちもまとめて譴責(けんせき)を受ける恐れがあった。しかもその想像は、考えうる限り最も軽い処分で済んだ時のものなのである。未検閲の手紙を受け取って読んだことを重く見られれば、もっとひどいことになる可能性だってあった。

 

 そして那智は海軍の艦娘戦力の中核を成す重巡として、戦艦や正規空母よりも重巡の方がいいぞ、ということを教え込む為に立候補し、グラーフは手紙を自分で処分してしまう為に立候補した。私たちは見つからない程度の声でぶつぶつと言い合いをして、誰の手に渡すべきかを話し合った。だがとうとう痺れを切らした長門が殴り合いで決めようと言い出したところで、古鷹が私たちに言った。

 

「私が書きます」

 

 彼女にそう言われては、さしもの長門にも抗えなかった。だが、私たちが一言も反抗せずに古鷹へと手紙を渡したのは、彼女が旗艦だったからではない。恐らくその場にいたみんな、古鷹の声に、ふざけて権利を奪い合っていた自分たちとは違うものを感じたのだと思う。そこには真剣さと言っていいものがこもっていた。私たちは旗艦抜きで短く協議を行ってから、本気でそれを欲しがっている者に渡るのが一番いいんじゃないか、ということで意見を一致させた。古鷹がどうしてそんなものを欲しがるのか分からなかったが、彼女の様子なら返事を書くとしてもきちんとしたものをしたためることだろう、と私は思った。それなら、自分たちが少年をからかって楽しむ為に書いたものを受け取るより、遥かに彼の意に沿う筈だ。それがたとえ、期待が外れたという知らせであったとしても。

 

 私たちはすぐにその手紙のことを忘れ、持ち場に戻って働いた。次に時雨が戻ってきた時、長門は那智にこの幸運な駆逐艦娘の気をそらさせておいて、事務所の椅子目指して猛然と走り出したが、気づかれてしまえば駆逐の足に敵う筈がなかった。私たちは笑ったり、罪のない嘲りの言葉を長門に投げかけたり、普段友人同士で気を紛らわせる為に口にする色々な話題をもう一度俎上(そじょう)に載せた。

 

 手紙のことが再び私たちの間で注目されるようになったのはそれから多少の時間が経った後のことだ。夕食の後で部屋に来てくれ、と古鷹は私に頼んできた。古鷹の部屋に私が行くことはしょっちゅうあったが、彼女が私をわざわざ呼び出すということは滅多になかったので、これはきっと何かあったんだなと考えて、私はいつもの半分の量で食事を終えて彼女のところに急いだ。ノックして部屋に入ると、奥の書類机の前に置かれた回転椅子に座っていた古鷹は、ぐるりと座席を回転させてこちらを向き「余程急いで食事を取ってきたのね」と打ち解けた口調で言って笑った。取り繕わないその様子に、私はますます強い危険信号を感じた。一体何があったのか? 古鷹は着任以来散々世話になってきた相手だったから、私としても並々ならぬ恩を感じていた。彼女を悩ませる何もかもに対して、私は敵対することを決めていた。だから私は古鷹の前まで行くと膝をついて目の高さを合わせ、彼女の手を握り、その明るい色の瞳をまっすぐに見つめて、彼女が用件を言い出すよりも先に言った。

 

「どんなことがあったのかまだ知らないけれど、これだけは先に聞いておいて欲しいの。いい? 私はあなたの味方よ。あなたを悩ませているのが何であっても、あなたの力になりましょう。信じてくれるわね?」

 

 古鷹は胸を打たれた様子だった。彼女は私の手を固く握り返すと、「実はね」と切り出した。「告白されちゃったの」それはすごい、と私は純粋に思った。戦時下に艦娘と恋仲になろうとするというのは、余り推奨できることではない。女の方がいつ死ぬか分からない上に、万が一妊娠でもさせようものなら艦娘は軍法会議、男の方は刑事告訴されるか軍人なら艦娘同様の軍法会議に掛けられたからだ。特に悪質な場合は、外患罪に問われることもあったらしい。それならいっそ、さっぱりと恋愛禁止にしてしまえばいい気もするが、それは流石に人権問題が関わって不可能だったようだ。

 

 しかしそういった艦娘であるということにまつわるしがらみ全部を無視して考えるなら、古鷹を愛する誰かがいるというのは素晴らしいことだった。少しでも脳みその詰まっている男なら艦娘をもてあそぶような真似はしないに決まっているし、古鷹がその辺のことを見誤ることも考えにくかった。後は、彼女がそれを受け入れるかどうか、という段階だったのである。私は自分の役目を、その相談に乗ることなのかもしれない、と推測した。だが私の「それで、どんな男なんですか?」という質問を受けて古鷹が言ったのは、とんでもない事実だった。

 

「手紙の子」

「てが……手紙の? あの子供?」

 

 私は困惑した。確かに、十五歳というのは少年から青年へ移り変わる時期だ。当時の私や長門と一つ二つしか変わらない年齢だったのだから、あの時点の私は本来彼を子供呼ばわりするべきではなかったのだろう。けれど、古鷹には申し訳ないが、その時点で既に古鷹は彼の倍以上の年齢だったのだ。彼女の外見こそ高校生またはやや幼い顔つきの大学生という程度のものだったが、それは艦娘だからであって、もし艦娘でなくなったなら失われる仮初の若さでしかなかった。でも、私は古鷹の味方になると決めたのだ。そして、彼女の代わりにああするべきだ、こうするべきだと決めてやる、なんて決意はしていなかった。そこで「それで、どうしたいの?」と尋ねた。それ以外に聞けることもなかったし……すると彼女は長い間黙って考えてから、神妙な顔でこう言った。

 

「OKしようと思う」

 

 彼女の選択が倫理的にどんな問題を抱えていたにせよ、そのことで私が彼女への態度を変えることはなかった。単に頷いて「そう」と呟き、それから「話はそれだけ?」と確認した。古鷹は首を縦に振った。私は部屋を出て、その足で時雨の部屋に行き、彼女を連れて食堂の長門と那智、それから響を拾いに行き、最後にグラーフのところに立ち寄った。そうして古鷹を除いて全員が集まってから、全部喋った。こんな面白いことを黙っている道理はなかったし、どうせ遅かれ早かれ露見するに決まっていた。第一、それが誰だろうと仲間に話をした時点でその話が秘密でなくなるということを、艦娘になって長い古鷹が理解していなかった筈がないのである。私たちは古鷹と彼女の年若い恋人の苦難多き恋路に対して議論を重ねた結果、満場一致で「大いによし、幸いあれ」とした。

 

 だが古鷹が頭の四分の一を吹き飛ばされつつも敵を全員道連れにした後、私たちの意見は分かれた。少年に真実を伝えるべきだとグラーフと響は主張した。私は彼に無用のショックを与えるべきではない、少しの間は手紙を偽造して、徐々にフェードアウトしていけばいい、と訴えた。長門と那智はやり取りをすっぱりやめてしまった方がいいのではないか、と提案し、時雨はいつものように私に賛成した。

 

 結局、古鷹の部屋を片付けた時に少年からの手紙を手に入れていた私の主張が通った。古鷹は几帳面にも書き損じた自分の手紙も保管していたので、偽造手紙の文面作成にはそこまで困らなかった。私は古鷹から文章の書き方を教わったので、最初から彼女の文体の癖を掴んでいたというのも大きいだろう。苦労したのはもっぱら、筆跡の偽造だった。私が古鷹のふりを始めると、グラーフと響を除く私の数少ない友人たちは手紙に書くネタを一緒に考えてくれるようになったので、マンネリの恐れも免れることができた。

 

 月に一度の手紙のやり取りは、私自身驚いたことに、本土の基地に転属しても続いた。那智がいなくなった後も、残った友人たちからのネタの提供は細々と続いていた。他人のふりをしてその恋人と文通をするというのは奇妙な気分だったが、偽造に関わっていたみんな、心の何処かで楽しんでいたのではないだろうか。最早古鷹の小さな恋人は、みんなの恋人だったのだ。一つだけ心配していたのは、いつまでこれを続けるのか、ということだった。私たちも頭の中の冷静な部分では、いつかはやめなければならないと分かっていた。しかし、誰かの代わりにでも愛されるというのは、あの頃の私たちにとって捨てがたい魅力を持った体験だったのである。

 

 だから悩みながらもずるずると手紙を書き続けてしまい、とうとうある時、私はうっかり所在を特定されるようなことを書いてしまった。少年は大喜びで基地の近くまで行くから会おうと持ちかけてきた。周囲では古鷹を直接知っているメンバーは既に私、響、長門の三人しか残っていなかったが、話し合って、もう逃げられない、本当のことを告げようということになった。響は私を責めなかったが、彼女の視線は明らかに私が問題を先延ばしにした末に失敗したことを糾弾していた。私は手紙で会う場所と分かりやすいように互いに身につけておく目印を決め、ショックを受ける話があるかもしれないと、予め告げておいた。けれど彼の返事は会えることへの喜びで一色に染まっており、「ショックを受ける話」については目に入っていないかのようだった。実際、そうだったのだろう。

 

 会う予定になっていた日、私たち三人は外出許可を取って、待ち合わせ場所に向かった。彼の混乱を防ぐ為に、目印は私だけが身につけた。だがこちらの予想を裏切って、そこに現れたのはハイティーンになった古鷹の恋人ではなく、彼の母親だった。彼女は私たちを見つけると近づいてきて、己の素性を明らかにし、「いい年をして子供をたぶらかす恥知らず」だと言って私をののしり、手に持っていた缶コーヒーの中身を私の顔に浴びせかけた。その瞬間、少年が二度と“古鷹”と連絡を取ることはないだろうと、私を含めた全員が確信した。

 

 それで私たちはみんな、ものすごく安心した。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。