私たちの話   作:Гарри

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18「最上型重巡:鈴谷」

 私は椅子に腰掛け、パソコン用のデスクを前にして、モニター上に表示された、ほとんどまっさらな原稿用紙を見ている。キーボードのホームポジションに手を置いたまま、私はぼんやりと彼女について思いを馳せる。エメラルドグリーンの髪。屈託のない笑顔。濡れたような光沢の、艶やかな両唇。(そば)を横切った時にふわりと香った匂い。そうしながらも、私は、彼女について書くべきかどうか──書いてよいものかどうか──確信が持てないでいる。

 

 長門は、生きている。響も、那智も、時雨も、不知火も、足柄も、川内も、グラーフだってそうだ。一方で、古鷹はこれ以上ないほど死んでしまった。私がこの作品で名前を出した艦娘たちは大抵の場合、明らかに生きているか、明らかに死んでいるかのどちらかなのだ。しかし彼女はどちらなのか、私は知らなかった。調べようとして手は尽くしたのだが、終戦後に実施された海外泊地の規模減縮と、それに伴う人員等引揚げの混乱で資料が散逸してしまったらしく、彼女の足取りは我が懐かしのパラオからはるばる二千キロ、ブルネイ泊地を最後にすっかり途絶えていた。

 

 それでも彼女がブルネイにいたことは間違いないし、更に言えば終戦の一、二年前までは確実に生存していたのも、僅かながら残存していた資料から読み取ることができたので、私は楽観的に考えることにしたいと思う。彼女はあの戦争を生き延び、退役するか軍に残留するかして、今も幸福に生き続けているのだと。私は一人の艦娘の姿を脳裏に浮かべ、そこで彼女が歯を見せて笑うのを見る。砂浜に立ち、太陽に照らされ、こちらを向いて眩しそうに眼を細めた顔。潮風が吹き、前髪が煽られて目に入りそうになり、その艦娘は短く悲鳴を上げる。彼女は最上型重巡洋艦「鈴谷」。ほんの半月にも満たない間、私の人生に立ち寄っていった人物だ。

 

 まず、どうして私がブルネイ所属の彼女と出会うことになったか、というところから話を始めよう。その頃、私はまだパラオ泊地の艦娘だった。古鷹は生きており、グラーフはドイツに帰っていなかった。長門は愉快で、那智には両腕がついていて、響とはそこそこ打ち解け始めた時分だった。懐古主義に身を任せて、艦隊の最盛期だったと言い換えてもいい。年月と共に膨れ上がった自尊心を抜きにしても、私たちは特に秀でた艦隊の一つだったのだ。どれくらい優秀だったか具体的な例を挙げると、泊地総司令隷下の第一艦隊が討ち漏らした姫級深海棲艦とその護衛艦隊を追跡し、深海まで送り届けて差し上げる任務に抜擢されるくらいには、能力を見込まれていたのである。もしかしたら任務にかこつけて、厄介者の長門と那智を戦死させたかっただけかもしれないが。

 

 逃げたとされる方向がブルネイ泊地方面だった為、私たちは空路でそちらに向かい、任務に当たった。幸いだったのは、向こうの基地航空隊の偵察機により、大まかながら目標の足取りが掴めていたことだ。当時の提督がブルネイと交渉し、情報支援を取り付けてくれていたのである。彼の努力がなければ、私たちは今も南シナ海をさまよっていただろう。恥ずかしながら、一部の艦娘は往々にして、自分たちだけで戦争に勝ったように誤解しがちだが、この出来事はその認識が誤っていることを、実に明確に示してくれる。私にとって、よい思い出の一つである。

 

 さて、提督のお陰で捜索範囲を大幅に限定することができた私たちは、とっとと仕事を終わらせることにした。艦隊は昼となく夜となく出撃し、昼は私とグラーフの航空機で、夜は古鷹や那智に配備された夜偵を使って、目標を探し回った。その甲斐あって、驚いたことに私たちはブルネイ到着後数日の間に標的を発見し、片付けてしまったのである。パラオの方では望み薄と思っていたのか、一月ほど探して見つからなかったら戻ってくるように、という程度の指示しか受けておらず、定期報告も免ぜられ、二週間後に中間報告をすればよいとされていた。

 

 これに大喜びしたのが那智と長門である。二人の理屈で言えば、私たちは仕事を早く終わらせたご褒美として、十日ちょっとの休暇を貰ったのと同じらしかった。当たり前だがグラーフと響はこの意見に難色を示し、私はいつもの日和見主義で傍観に徹していたので、決断は旗艦である古鷹に委ねられた。熟練の指揮官である彼女は、ただちに決断した。「古鷹、お休みします!」そういう訳で、私たちの艦隊は思いがけない休みを楽しむことになったのである。一度決まってしまえば、反対派の二人も逆らわなかった。

 

 悪童二人組は勇んで何処かに出掛け、生真面目な二人も考えがあるのか、肩を並べて去っていった。書物中毒の古鷹は、基地の外にあるという大型書店に単独突撃してしまった。私だけがやりたいこともなく、基地内に取り残された。臨時に割り当てられた宿舎で、ひたすらごろごろしているというプランもあったが、十日間に渡って怠惰を(むさぼ)り続けるのは、私に我慢できそうなことではなかった。なので、とりあえず基地内をぶらぶらしようと思い立ったのである。鈴谷と出会ったのは、その際だった。たまたま暇をしていた彼女は、私を連れ回すことにし、決して退屈させてくれなかった。私たちは十年来の友人のように親しくなり、パラオに帰る日まで、共に過ごすことで合意した。

 

 ただ実を言えば、その時点で鈴谷とは初対面ではなかった。初めに与えられた任務の遂行中に、多少話す機会があったのだ。補給で戻ってきた時や、ドックでの入渠のタイミングが同じだったりして、私と彼女はそのシチュエーションで誰もがするような世間話程度なら、既に交わしていた。でもそういう表面的で浅い付き合いが、より個人的で意味のあるものになったのは、この散策の折に彼女と出会ってからだ。

 

 鈴谷は婉曲的に言うなら、風変わりな人物だった。もしくは艦娘らしく、もっと平易で陳腐な言葉を使って表現するべきかもしれない。馬鹿、と。そう書くと、随分と辛辣に見えるのだからおかしなものだ。でも事実として、彼女は決して聡明という訳ではなかった。鈴谷が思い付きで何かをやると、大抵それは悲劇的な結末で終わったし、時には被害が彼女自身のみに留まらないこともあった。数学的才能にも欠けていて、自分で砲戦はからきしだと認めているほどだった。なのに訓練所を出られたのは、海軍がとにかく頭数だけでも揃えたかったからだろう。

 

 それである時、彼女の提督は鈴谷が言語的能力に偏った才を持つのではないかと推測し、大規模作戦後の戦闘レポートの作成を任せたそうだ。彼女が精魂込めて執筆したそれを一読して、提督は秘書艦にこう言って罵ったという。「馬鹿というのは全く、本を読ませりゃ指を切り、神に祈れば額をぶつけて怪我をする!」この話は鈴谷が即興ででっちあげた数々の冗談話の一つだったのだが、私は今でもこれを思い返す度に、少し温かな気持ちになって、口角が自然に上がるのを感じる。ざっくり言ってしまえば、彼女は、長門や那智とはまた異なるタイプのムードメーカーであり、愉快なやつ、だったのだ。

 

 無論、鈴谷はホテルからテレビを盗んだり、フリーズドライの排泄物を矢に刺して執務室に放ったりはしなかった。意図して人に迷惑を掛けようとはしない点、パラオの二人との最も大きな違いはそこだろう。だからたまにとばっちりを受けても、鈴谷を好く人は結構多かった。特に出撃前の艦娘からとなると、絶大な人気を誇ったものである。それは鈴谷にまつわる、重大なジンクスがあったからだった。

 

 ジンクスというのは、些細なことから生まれる。いいジンクスも悪いジンクスも、始まりは変わりない。あなたが出撃を命じられた艦娘で、基地を出てからずっと、右手を腰につけて航行していたとする。それは癖であり、あなたはいつもそうしている。けれどふと、同じ姿勢を取り続けることに飽きて、あなたはその手を左肩にやる。するとその後、艦隊員が深海忌雷にやられてばらばらになり、あなたと生き残った艦隊員は戦友の破片を何個か拾って帰る。海をゆくあなたの右手は、もう二度と、左肩に触れられなくなる。ジンクスはそういう風にして誕生する。

 

 こう言えるのは幸せなことだが、鈴谷の関係するジンクスは、もう少し平和なものだった。彼女の艦隊には雪風がいて、ある出撃の前に鈴谷に、冗談で「幸運の女神のキス」をねだったのだ。鈴谷はそれに応じて、雪風の頬に軽く口づけをした。そしてその出撃で、雪風は九死に一生を三、四回ほど得た。次の出撃から、彼女は毎回鈴谷にキスして貰うようになった。この風習は段々と他の艦隊員にも広がっていった。

 

 暫くして、彼女の艦隊が大規模作戦に参加した時のことだ。鈴谷たちは他の艦隊と連合を組むことになった。その艦隊の五人はキスを受け入れたが、拒んだ者がいた。彼女は一人だけジンクスを信じずに出撃し、一人だけ死に掛けて帰ってきた。その時、鈴谷の唇には何か運命を引き寄せるような力があるのだと、そのジンクスを知る全ての艦娘は悟ったのだ。で、それ以降、出撃を間近に控えた艦娘たちは、女神の加護を求めて鈴谷の前に長蛇の列を成すようになったのだった。

 

 しかし彼女が本物の幸運の女神だったかどうかについては、正直な話、疑問が残る。というのも彼女は、本人の話を信じるならだが、期せずしてバイオテロの犯人になってしまったことがあるからである。幸運の女神なら──いや、女神じゃなくても──普通、そんなことにはなるまい。

 

 それはこういう順番で起こった。まず、悲しいことに、彼女の戦友の一人が轟沈した。そういう場合、つまり艦娘が戦死した場合だが、遺品は規定の手続きを経て遺族に引き渡されるか、処分されることになるのがルールだ。もちろん手続きの後、遺品の一部が何かの不手際で「紛失」され、紆余曲折の後に戦友の手に渡ることはある。だがその前に遺品に手を付けることは基本的にご法度であり、その行為は戦死者からの窃盗と見なされ、極めて強く軽蔑された。鈴谷もそのことは承知していた。でも、彼女はやらざるを得なかった。誰あろう、当の失われた戦友の為に。

 

 その艦娘の部屋からは、大量の()()()()()()()が発見されたのである。

 

 鈴谷は偶然、彼女に小物を貸していて、それを回収する為に部屋に立ち入ることができた。他には誰も、そのような権利を持っていなかった。第一発見者は鈴谷であり、死んだ戦友の名誉や、彼女の家族が心に留めている、美しい記憶を守ることができる唯一の人物もまた、鈴谷だった。彼女は迷わなかった。おもちゃを一つ残らず回収し、素知らぬ顔で自室に運び込んだ。鈴谷が守ろうとした戦友は、祖国と世界平和の為に全てを捧げた英雄として敬意を受け、立派に葬られた。一人遊びの達人と知られていたら、そうはいかなかったろう。

 

 が、問題はそこからだった。回収したおもちゃの量が、尋常ではなかったのである。鈴谷はいつまでもそんなものを私室に置いておきたくなかったが、どう処分したらいいのか、さっぱり分からなかった。さりとて、誰に聞ける訳でもない。余人に見られて自分のものだと勘違いされたらと思うと、さしもの彼女もたちまち赤面し、冷静ではいられなくなった。結局、彼女はおもちゃを詰めた段ボール箱の山を、泊地の人目につかない場所に放り捨てて逃げ帰った。

 

 次にそれを見つけたのが泊地の警備兵だったら、この話はそれで終わっていただろう。でも、そうはならなかった。おもちゃの山を見つけたのは、艦娘だった。彼女は怪しげな箱に好奇心を催し、中を覗き見て仰天した。枯草が燃えるように、話はたちまち広がった。彼女らの退屈な日常は、謎とエロスで一変してしまったのだ。鈴谷以外の艦娘たちはこの落とし物を心底面白がり、無味乾燥な日々の中で燦然と輝く思い出の記念品として、平等に分かち合った。

 

 何週間かして、泊地の医務室には、陰部のかゆみを訴える患者が急増した。医務官の報告はすぐさま提督たちの間で共有され、彼らは艦娘たちが軍規を破って、こっそり男遊びに勤しんでいると思い込んだ。とんだ誤解である。ことがことだけに、穏便な解決を求めて、提督たちは症状を呈していない艦娘を選び、患者たちから事情を聴取するように命じた。結果は、徹底した沈黙。だが短気な提督の一人がそれに激怒し、病室に乗り込んだ。彼は拒否しがたい権威を以て、彼の艦娘を詰問した。彼は言った。

 

「だんまりで通ると思うか。本土に後送して、家族に連絡してやろうか、え? 嬉しいだろうが? 何処で何をくわえ込んできたかここで言わないなら、お前の親から訊ねさせるぞ」

 

 艦娘は白状した。全部白状した。捨てられていたおもちゃを見つけたこと。友人たちにそれを広めたこと。分け合ったこと。興味本位で試しに使ってみたこと。そうしたらこうなったこと。「お前ら、正気か?」提督は、ほとんど恐ろしいものを前にしたかのような表情で、そう言うのが精一杯だった。「何を考えとるんだ」もっともな指摘だ。泊地の艦娘全員には通達が出され、彼女たちはあの日分け合ったピンク色の思い出を、全て供出した。それから泊地付の憲兵隊による念入りな調査が行われたが、誰も鈴谷にはたどり着かなかった。彼女は死せる戦友と、己の名誉を守り抜いたのである。

 

 ところで、彼女について不思議なことが一つある。私は彼女を覚えている──姿や表情、どんな話をしたか。昼食時、食堂から流れてきたカレーの匂いに、鼻をひくひくとさせたこと。私たちがパラオに帰ることになって、別れる前、工廠で最後の握手をした時に彼女が込めた力の強さ。その直後、私の頬に触れた唇の柔らかさ。でも、私は鈴谷の言葉を、ほとんど覚えていない。彼女が何を語ったかは記憶にあるのに、どのように語ったかとなると、ぽっかり抜け落ちたように消えてしまっているのだ。思い出せるのは、二つっきり。だがその二つを書いてしまうには、先に別の話から始めないといけない。

 

 それが起こったのは、中間報告予定日の三日前。分厚い雲に空が覆われた、昼下がりの時間帯だ。鈴谷の艦隊はその日、夜間哨戒を命じられていて、泊地内で待機していなければならなかった。私は鈴谷を通して、彼女の艦隊員たちともそこそこ仲良くなっていたので、出撃まで彼女たちと娯楽室で遊ぶ腹積もりだった。娯楽室には軍で用意してくれたカードやボードゲームから、艦娘が勝手に持ち寄ったテレビやゲーム機まで揃っており、やる遊びには事欠かない筈だった。

 

 初め、私と鈴谷たちはカードで遊んだ。誰かが賭けゲームにしないかと持ち掛けてきたが、雪風の一人勝ちになったら気まずいからという理由で却下され、楽しいだけのゲームが二時間ほど続いた。でも段々飽きてきたので、別のゲームに変えようという話になった。と、そこで、泊地に警報が鳴り響いた。アラーム音のリズムと音程から、それは深海棲艦が危険なほど泊地に接近しつつあることを示しているのだと、見当がついた。艦隊群が近海警備を厳とし、基地のレーダーが監視を怠らずとも、時にはそういうこともあるのだ。パラオでも、年に何回かは同じことがあった。大した脅威ではない。そうやって近づいてくる深海棲艦は、十中八九単独の、駆逐級だからだ。でなければレーダーが見落とす訳がない。砲撃されたとしても、余程運が悪くなければ、当たることはない。落ち着いて、退避場所へ向かえばいいだけだ。

 

 しかし、そこはパラオではなくブルネイだった。私は何処に退避すればいいか知らず、まごまごしているしかなかった。すると、こちらの内心を知ってか知らずか、鈴谷は私の手を掴むと娯楽室を飛び出したのである。彼女の力強い手は私を安心させ、行先についての心配を忘れさせた。忘れるべきではなかった。彼女は何故か自室に寄ると、デジカメを取って、工廠方面に向かったのである。

 

 彼女が私の手を放してくれたのは、泊地内の埠頭倉庫の前でだった。そこに連れて来られた理由も分からず、呆気に取られていると、鈴谷は倉庫側面の階段を上がり始めた。混乱のままに後を追い、上へ上へと進んで、私はとうとう倉庫の屋根にまで上がった。鈴谷は屋根の端に立ち、海に向かってカメラを構えていた。あろうことか、彼女は近づいてくる深海棲艦の写真を撮ろうとしていたのだ。何の為にかは知らない。訊くこともできなかった。今でも分からない。深海棲艦を撮影することで、写真以外の何が得られるというのだろう? 精々それは、彼女がボウリングボールサイズの肝っ玉と、ビー玉サイズの判断力を持っていることを証明してくれるだけだ。

 

 が、ともあれ鈴谷は、その撮影には被るリスクに見合ったリターンがあると考えていたようだった。彼女は撮影ボタンを押した。理想的なシーンを逃すことを恐れた彼女は、事前の設定を顧みずに撮影に踏み切った。それが彼女の運命を、過酷な方向へと一歩進ませた。彼女のカメラは、強制発光モードになっていたのである。海に向かってフラッシュが焚かれて、にも関わらず鈴谷は何の危惧もないようだった。私は違った。新しい友人をむざむざ死なせるつもりはなかった。彼女の下に駆け寄り、正規空母の剛力を発揮して抱え上げると、私は階段を二段三段飛ばしで駆け下り始めた。手早くやったのだが、それでも遅すぎた。私たちが下り切る前に、倉庫に深海棲艦の砲撃が着弾して炸裂した。私たちは階段から転落し、地面に叩きつけられた。

 

 死なずに済んだのは、深海棲艦が次弾を発砲できるほど長生きしなかったからだ。即応艦隊の空母艦娘が航空機を発艦し、始末をつけてくれたのだと、私は鈴谷と一緒に入った入渠施設で聞いた。ドックを出ると、彼女は他の艦隊の艦娘に引っ立てられ、提督の執務室に連れていかれて、厳しい、実に厳しい叱責を受けた。その理由というのがまた笑える話で(今となっては、という補足さえ付ければだが)、あの倉庫には泊地全体の為の生活用品が保管されていたのである。つまり、破壊によって失われた物資には、基地中のトイレで使われるトイレットペーパーまで含まれていたのだ。これが艦娘たちに与える絶望と士気への影響は、計り知れないほどであった。

 

 従って、とても訓告だけでは済まされず、鈴谷は大変な懲罰的労役を科された。海岸の清掃だ。空き缶、ガラス片、ビニール袋なんかのゴミを拾い集めるのではない。ブルネイ泊地の近くには、海流の関係で艦娘や深海棲艦の死体が流れ着きやすい海岸が複数あり、鈴谷が命じられたのはそこでの清掃……漂着した遺体の回収だったのだ。艦娘にとっては悪夢のような作業であり、それを鈴谷一人に押しつけて見て見ぬふりをすることは、私にはできなかった。

 

 襲撃の日の翌朝早くに、私と鈴谷は三人乗りの二トントラックで基地を出た。二人とも運転はできなかったが、この懲罰任務には監視兼ドライバーとして、破壊された倉庫の警備を担当していた、陸軍歩兵の一人がつけられていた。彼は不機嫌さを隠そうともせず、こちらも彼と仲良くしようとはさらさら思わなかったので、道中はひどく居心地の悪いものとなった。最初の目的地である海岸に着くと、彼はさっさと車を降りて姿を消してしまった。近くの露店にでも行ったのだろう。まあ、いない方が気は楽だったのは確かだから、止めたりはしなかった。

 

 私たちはマスクをつけ、厚手のゴム手袋をし、車に積んであった専用の作業着を服の上から着ると、仕事に取り掛かった。探すまでもなく、波打ち際に横たわった死体は、異様な存在感と共にそこにあった。数はどうだっただろう、三人か、四人だったと思う。どの遺体も、ものすごい臭気を発していた。髪は抜け落ち、肌は蝋のように白く、体は膨れ上がっていた。服はずたずたで、布切れを体に巻いているようにも見えた。艤装は残っていないか、あってもその残骸がへばりついている程度。目は例外なく眼窩(がんか)だけになっていて、鼻は崩れ、口は、ガスで膨張した頬が唇を引っ張っていたせいで、歯をむき出しにして怒っているかのようだった。

 

 規定の手順に従い、私と鈴谷は処理を始めていった。最初にするのは、遺体を探り、私物などが残っていないかを調べることだ。運がよければ、遺体の身元が分かるものが残っていることがある。そうすれば、比較的早期に遺体を遺族へ返還できる。死亡宣告を待たずに、遺族年金の受給も始められる。戦友たちは、あるべきものがあるべき姿でではなかったにせよ、あるべき場所へと戻ったのを知ることができる。

 

 一人目の遺体は、服の端に辛うじて付いていたバッジで特Ⅲ型だと分かったが、その中の誰なのかまでは分からなかった。だがそのバッジ一つがあっただけでも、彼女は幸運なのだ。最近轟沈した特Ⅲ型の艦娘を照合すれば、一気に身元判明に近づける。車から持ってきた死体袋(バッグ)に、彼女の遺体を入れるのには、細心の注意が必要だった。皮膚は脆く、掴むとずるりと剥げるか、嫌な音を立てて肉と共に潰れ、悪臭を放ったので、私たちは努めて骨か服を掴んで、遺体を動かさなければならなかった。バッグは大人二人が横になって入れるくらい大きく、本来は遺体を入れた後、付属のベルトでバッグの余った部分を締めるのだが、この時は到底締めることなどできなかった。

 

 遺体をバッグに入れたからと言って、その死者の回収が終わったことにはならない。彼女の体があった場所の近くには、遺留品や肉体の一部が残っていることがあるからだ。鈴谷がそれをトングで拾い集めている間に、私は次の遺体を回収する準備をした。そうやって協力して、海岸に横たわっていた最後の遺体の前に集まった時だ。ドライバーの兵士が戻ってきた。案の定、露店に行っていたらしく、手にはビニール袋を掴んでいて、その中からはストローが飛び出ていた。袋にはジュースが直に入れてあって、白い袋の下から、黄色っぽい液体が透けて見えていた。()と、脂肪()の色だ。

 

 彼は臭いを嫌ってか近寄ってこなかったので、私と鈴谷はその存在を忘れることにして、最後の遺体を見下ろした。服は身にまとっておらず、うつ伏せになった彼女の手は握られていて、砂を掴んでいるようにも見えたのを覚えている。私は早く片付けてしまおうとしたが、鈴谷に制止された。彼女は遺体の前にしゃがみ込むと、その右手を取って、指を開かせようとし始めた。だから私も彼女の横にしゃがみ、左手を取った。

 

 とどのつまり、それはほぼ無駄だった。遺体が握っていたのはちぎれた指と、艤装の小さな破片だけだったのである。身元に繋がりそうなものは、一つもなかった。私たちは彼女をバッグに包み、ジッパーを上げた。そうしてバッグを持ち上げようとすると、鈴谷は呟くような声で、どうしてこの遺体は指や艤装の破片なんかを掴んでいたんだろう、なんてことを言った。答えを求められた気がして、私は少し考えてみてから、とにかく何でもいいから掴もうとしたんでしょうね、と返事をした。彼女は納得の様子を見せなかったけれど、深く話し込むこともできなかった。運転席に乗り込んだドライバーが、私たちを急かして、クラクションを何度も鳴らしていたからだ。死者に相応しい静けさを破るその行為に対して、私たちのどちらも、かなり腹に据えかねていた。鈴谷が言った。

 

「仕事が終わったら、陸軍の兵舎に寄っていこうよ」

「礼儀を教えてあげるのね?」

 

 鈴谷はマスクを外し、眼を細めて笑った。太陽が彼女を照らし、その顔に影を差した。

 

「でなきゃ、泳ぎをね。あいつが何を掴むか、見せて貰おうじゃん?」


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