私たちの話   作:Гарри

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17「人を食った話」

 艦娘は戦う。戦うということは殺すということだが、とりもなおさず死ぬということでもある。私たちは殺し、死んでいく。運がよければ、自分の順番が回ってくる前に、除隊という形でその輪廻から解き放たれることもある。が、ほとんどの艦娘はそんな僥倖(ぎょうこう)を信じてはいなかった。とりあえず、今日を生きることで精一杯だったからだ。心配事は沢山あったが、その大半は目の前のことだとか、精々が次の出撃に関することであって、遠い将来や未来のことを思い煩う艦娘は少数派だった。

 

 とはいえ、例外はある。私たちの誰もが悩んでいたことの一つに、自分が死んだ後のことがあった。つまり葬儀だとか、納骨だとか、そういう事柄である。表立ってそんな悩みを打ち明ける者は、滅多にいなかった。死にまつわる生々しい話題を口にするのは、ある種のタブーと見なされていたのだ。しかし言葉にしなかったとしても、誰もが気にしていたのは明らかである。

 

 事実として、艦娘は死ぬ──九分九厘は海の上で。彼女の体は底へと沈み、戦死者名簿に名前が載る。私たちは、棺に戦友との思い出を入れて焼く。それくらいしか入れるものが残っていないからだ。遺族は、棺の灰で満たされた骨壺を受け取る。彼らがそれをどうするのか、生きている艦娘たちには想像もできなかった。

 

 私たちの誰も、これを気に入らなかった。当たり前だ。海の底で自分の死体が腐っていくことを喜ぶ人間は少ない。灰を除けば空っぽの骨壺は、遺族の心の救いにはならない。それは役所的で血の通っていない、軍隊らしい形式主義的な態度だった。ただ、私たちにはどうしようもなかった。余裕があれば戦死者の死体を、またはその一部を持ち帰るのは慣例だったが、海の上で余裕があった試しなど、私の経験では数えるほどもなかったのだ。死んだ戦友より、生きている己が大事だと感じることを、誰に責められよう。

 

 従って艦娘たちは内心で不満を覚えながらも、自分がそうなることも含めて、海軍用語で“葬儀”と呼ばれる空の棺を焼く儀式を受け入れていた。古鷹にせよ、長門にせよ、響にせよ、グラーフにせよ、私にせよ……那智以外は。彼女は全くこれを受け入れようとしなかった。そもそも普段から自分が死ぬなどとは思ってもみなかったようで、戦争が終わって除隊したら教師になるんだという(当時の基準では)与太話を、平気で他人に話すくらいだった。

 

 そんな彼女でも、一度死を想ったことがある。これを知っているのは私だけだ。いや、今や公開しようとしている訳だから、これまでは私だけだったと言うべきだろうが。彼女は自らの生と死について深く考えを巡らせ、その思索の果てに思いついた「解決策」を私に語った。結論から言えば、私たち二人ともそのせいでとんでもない目に遭ったのだが、もう二十年近く前のことだ。刑法に触れることでもなし、書いてしまってもいいだろう。

 

 時期はおおよそ、鉄底海峡攻略作戦の頃である。率直に言わせて貰えば、あれはひどい戦いだった。敵の深海棲艦は精鋭揃いで、どうかすると抜錨(ばつびょう)後一戦で帰投しなければならなかったし、敵の増援が次々と押し寄せていたこともあって、昼夜の区別なく出撃させられた。駆逐艦や巡洋艦、戦艦たちには夜戦もそこまで悪くないかもしれないが、空母艦娘である私にとっては、艦載機の運用に問題の起こる夜戦は鬼門であった。

 

 どうして私や私の艦隊があの作戦を生き延びられたのか、今になっても分からない。熱心な主の信徒である響が言っていたところの、「神の思し召し」なのかもしれない。一日ごとに、沢山の艦娘たちが沈んでいった。それを上回る数の深海棲艦たちも。それが一か月、私にとっては四週間も続いたのである。士気と呼べるものがあったのは二週間目までで、三週目は「どうか生きて帰れますように」と祈りながら戦っており、四週目など「死ぬなら一瞬で済みますように」と願っていたものだ。この願いは儚くも裏切られたが、安らかに死ぬより苦しんで生還する方が好みの私としては、裏切られてよかったと思っている。

 

 さて、那智の話だ。彼女は冗談好きで悪戯っぽく、その倫理においては重大な欠落を有していた。彼女が何かもめ事を起こす度に、古鷹か私が関係各所に謝りに行かなければならなかった。艦隊の誰からも愛されていた響にはそんな役割を押しつけられず、那智とは親友の長門では、余計に状況を悪化させるからである。そういう縁があったので、作戦開始から四週目のある日、基地での夕食後に那智が私の部屋を訪れ、真面目な顔で相談を持ち掛けてきた時、私は心底から警戒していた。

 

 ところが話を聞く内に、すっかりそういった警戒心はなくなった。彼女は自分すら死ぬことがあるかもしれないということを、大激戦によってとうとう自覚したのだった。意地を張ったような態度で、彼女は言った。「死ぬのは怖くない」嘘だと指摘するのは簡単だったが、私は黙っていた。それが戦友への敬意ある対応というものだ。前線で戦う艦娘にとって、勇敢さという個人的資質は、他者から一片の疑いも持たれてはいけない不可侵の領域だった。

 

「だが私の骨壺に、木灰の為のスペースはない」

「そうは言っても、戦死者の遺体を持ち帰る余裕なんてないでしょう。特に夜戦では、持ち帰りたくても死体が沈んで、すぐに見えなくなってしまうもの」

「うむ、余分な荷物を持たせて戦死者を増やすのも、本意ではないしな。それで考えたんだが」

「考えないで」

 

 最後のセリフを言えればよかったのだが、当時の私にはそれができなかった。那智は、響が知ったら彼女の私室へと十字軍を送り込みかねない、悪魔のような発想を得ていた。ここで一旦少し違う話になるが、艦娘が深海棲艦に対して勝っている点は、幾つかある。たとえば、深海棲艦たちを遥かに凌駕するその多様性だ。日本海軍系の艦娘だけでも、戦艦は十二種、正規空母も装甲空母「大鳳(たいほう)」を入れれば十種が存在する。一方で深海棲艦の鬼・姫級ではない戦艦はル級、タ級、レ級の三種。正規空母はヲ級のみとなっている。

 

 でも、もっと狭い視野、現場の艦娘にとって重要なアドバンテージは何かとなれば、私たちには高速修復材があったという一点に尽きる。深海棲艦にはドックこそあったが、高速修復材は持っていなかった。少なくとも私は、彼女たちがそれに類するものを使っているところを見た記憶はない。私たちはほぼ毎回の出撃で希釈した修復材を水筒に詰めて持ち運び、負傷すればそれを用いて応急処置をした。修復材は希釈されていてさえ、欠損レベルの傷を完璧に止血してくれた。流石に原液で使った時のように、()()まではしてくれなかったにせよ。

 

 那智が目をつけたのは、この()()という修復材の効用だった。というのも実にその力が、半端なものではなかったからである。仮に艦娘が海から四肢を失って戻ってきても、修復材さえあれば五体満足に戻ることができた。まあ、そのような場合はまず希釈修復材で止血を行い、その後で輸血などの処置をしつつ修復材を投与しなければ、血液循環量の不足からショックを起こして死んでしまうので、万能という訳ではなかったのだが……けれど身体の欠損が許容できるのは大きな優位になった。

 

 つまり、那智の目論見はこういうことだったのである。初めに、腕を切り落とす(こんな工程が第一に来る時点でどうかしている)。修復材で欠損を治療し、切断した腕を肉と骨に分ける。肉は捨て、骨は洗浄して保存しておき、戦死時には骨壺へ入れて貰う。万が一不要になれば、砕いて粉にでもすれば処分は簡単だ。正気の沙汰ではなかった。ただ悲しいことに、その時点で私も大概、正気を失っていた。

 

 信じられないことに、私は那智のアイデアを悪くないと感じた。高速修復材は軍の資材だが、新規着任したのでもなければどんな艦娘も、何かの折に少しずつちょろまかして自分用に貯め込んでいた。また、経験から言って腕を切断される痛みは絶大なものだが、那智は予め医務室から鎮痛剤と注射器を盗み出していた。腕一本分の血液は小さくない損失だが、死ぬほどではなかった。最悪、那智に輸血パックを取りに行かせればいい。私は彼女の案に乗った。自ら腕を切除する苦行を避けられることになって、那智はほっとしたようだった。

 

 プランが決まれば、躊躇はしないのが艦娘だ。私たちは早速用意に取り掛かった。必要な道具の多くは那智が既に揃えていたが、計画の中の細かい部分を詰めていかなければならなかった。特に、肉の廃棄には困った。那智は海に捨てようと言ったのだが、私がそれを拒否したのである。食堂でしばしば供される魚料理は、基地近辺での漁で得た魚で作られており、私はそれと知らずとも、人肉を餌にした魚を食べたくなかったのだ。

 

 そこで、生ごみに混ぜて捨てようということになったが、ここでも問題が発生した。腕の肉をそのまま二本生ごみに出せば、それが誰かに見つかった時どんな事態を招くか分からなかった。原形を留めていてはならない、と那智が主張し、私は需品倉庫からハンドル式の肉挽き機(ミンサー)を持ってくることを提案した。以前に厨房でそれを使っているのを見たことがあり、予備が一つはあるだろうと踏んだのである。

 

 後はあっという間だった。その日は幸い翌朝まで出撃しないことになっていたから、施術後の心配もしていなかった。那智はものの十分十五分で肉挽き機を持ってきて、言った。「さあ、やるぞ」そして立案者である彼女が、先に腕を切断することになった。私は自分の部屋にブルーシートを敷き、あちこちで那智がかき集めてきた生理用品を傍らに配置すると、立案者の言葉に従って鎮痛剤を注射した。それが効果を発揮するのを待って、私は戦友の腕を取り、紐で肩口の少し下をきつく縛ってから、へし折った。皮膚や筋肉を切るのはともかく、骨を切るのは大変だ。手間取れば、それだけ血を失う。なら、先に折っておけば楽だろうという考えだった。

 

 この考えはそこそこ当を得ており、それと那智が調達してきた、よく研がれた大(なた)のお陰で、手早く彼女の腕を切り取ることができた。私はすかさず修復材を使用し、血を拭き取って、那智の様子におかしいところがないのを確かめてから、腕を清潔なバケツの中に入れた。那智の鎮痛剤の効果が切れたら、私の番だった。

 

 那智に注射を打った一時間後には既に、二本の腕がバケツの中で仲良く過ごしていた。善は急げの精神で、私たちは肉に刃を入れ、骨と分離させた。そして骨はバケツに残し、爪を外した肉をミンサーへ放り込むと、ハンドルを回した。悪夢のような光景だったにも関わらず、私はその様子を今でも別段動揺することなく、思い出すことができる。那智はできあがったミンチ肉を絞って血を切り、それを半透明の袋に入れると、生ごみとして捨てる為に出ていった。

 

 彼女が戻ったのはやはり十数分後である。しかし、前回と違って浮かない表情をしていた。彼女は予定通りに捨てようとしたのだが、腕二本分の挽肉はどうやっても目立って仕方なかったらしい。それで、厨房の冷凍室の奥まったところに隠してきたのだと那智は言った。普段そこには、何の用途に使うのか分からない、畳んだ段ボール箱が置かれていた。そこなら見つかるとしても、来月や再来月の話ではない。気味の悪い腐肉として、捨てられることになるだろう。私たちはそれをよしとして、器具や血まみれのごみなどを片付けた。

 

 そうして最後に綺麗に洗浄された骨を木箱に入れ、では解散にするか、と那智が言ったところで、緊急呼集が掛かった。こちらの夜間警戒網をかいくぐった深海棲艦の艦隊が、基地への直接砲撃を加えようとしていたのだ。私たちは失血と鎮痛剤の影響で取るものも取りあえず、ふらふらしながら出撃し──その報いを受けた。那智も私も負傷した挙句、感染症に罹って一週間もの長きに渡り、病院に入れられていたのだ。入院の間に、攻略作戦もほとんど終わってしまっていた。

 

 帰ってくると、優しい古鷹と響、それに悪友(那智)がいなくて寂しかった長門から私たちは大いに歓迎された。特に古鷹の喜びは(はなは)だしく、夕食時に私たちを食堂に連れて行くと、そこを切り盛りしていた給糧艦娘「間宮」に予め頼んでいた、特別メニューを出させたほどだった。那智と私は感動し、大皿に盛られたその料理を奪い合うように競って食べた。満腹になり、その幸せを噛み締めていると、重い腹を抱えて気だるげな雰囲気をまとった那智が言った。

 

「入院する度にこんな料理が食べられるなら、毎月一回は病院に入るぞ」

 

 厨房から出てきた間宮がそれを聞いて、苦笑気味に答えた。

 

「余分の材料がないから無理ですよ。そのハンバーグ、冷凍室の段ボール箱の下に隠してあった挽肉で作ったんです。きっと糧食担当補給士官か誰かが、納入品リストから消して横領しようとしてたんでしょうけど……」

 

 私たちはもう聞いていなかった。席を立ち、食堂を出て、一番最初に見つけたトイレに駆け込んだ。個室に入り、ドアに鍵も閉めず、便器に顔を突っ込んで、全部戻してしまった。一通り出してしまってから、私は嘔吐時の自然な反応として、涙をぼろぼろこぼしながら顔を上げた。那智は一足先に立ち直ったのか、洗面所で口をすすいでいた。その背中に私は声を掛けた。

 

「他の子には秘密にしましょう、特に響と古鷹には」

「ああ……」

 

 口の中の水をぺっと吐き捨てると、那智は呻くように答えた。それから私の方を振り返り、口元を指で拭いながら、思い出そうとするように呟いた。

 

「だが、味は悪くなかったな」

 

 私はもう一度便器に顔を突っ込んだ。


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