私たちの話   作:Гарри

15 / 20
15「陽炎型駆逐艦:不知火」

 彼女自身がそのことをどう感じているにせよ、私が艦娘だった頃に一番気に入っていた後輩の名前を一人挙げるならば、私としてはそれを不知火とするということに全く揺らぎや迷いがない。

 

 彼女は私が二十歳の時に横須賀の訓練所からやってきた。季節は春で、本土に移った後のことだ。優秀な駆逐艦娘だということで、配属される艦隊は違ったものの私や響は大いに期待を掛けていた。駆逐艦娘や軽巡艦娘は補給線の守り神でもあり、また対潜戦闘におけるキーパーソンでもあったからだ。それに前評判によれば、彼女は艦娘として配属されるよりも先に、訓練所で手柄を上げていた。しかもそれが半端なものではなく、何とも驚いたことに海軍からの感状を受け取るほどのものであったというのだから、私たちはみんな、いやが上にも希望を膨らませていったのである。

 

 しかし不知火は全然そういった評判通りの人物ではなかった。優秀ではあったが、しばしば迂闊な失敗をすることが彼女の優秀さをほぼ無意味にしていたのだ。そのことに気づいた時、私たちは初めがっかりした。でもすぐに、不知火が自分を高めることに余念のない人物であるということを発見して、評価を変えざるを得なくなった。彼女は滅多に二度同じ失敗をしなかったし、段々と場数を踏んで慣れるにつれて自分のミスを他人にフォローさせることなく、自分自身の力で挽回できるようになっていったのだ。そういうひたむきさに弱かった私は、すっかり彼女のことを好きになってしまった。戦艦並の眼光、と形容されることの多い彼女の外見ではあったが、少し打ち解けると沢山の面白い話を知っていたというのも好感触だった。

 

 なので私は、私の知っている役立ちそうな知識を惜しみなく彼女に与えた。それはつまり、徹底的に訓練してしごいて痛めつけて、戦場での立ち振る舞いを教え込んだという意味だ。駆逐艦に空母の私の技術がそのまま使えたとは思わないが、不知火が最終的に戦争を生き延びたことを考えると、きっと有用なものもあったのだろう。

 

 そんな具合だったので嫌われても仕方ないと思っていたが、ある時彼女は私にこっそり、感状を受け取るに至った顛末を話してくれた。どうしてかは分からないが、そうするのに十分なほど私が信頼できると考えてくれたのだと思う。まあ何にせよ、この話というのがまた下らない勘違い話だった。

 

 艦娘訓練所では、訓練しかしないのではない。艦娘候補生(まだ入隊宣誓を済ませておらず、艦娘としての肉体を持っていない者を指す)や訓練生(宣誓を済ませて艦娘になった者を指す)は、訓練の合間に種々の仕事を与えられるのが普通だった。掃除や歩哨、夜警の類だ。この中で最も魅力的なのは、食事時の配膳係だった。それというのも、自分のプレートに好きなだけ盛ることができた上、気に入らない奴のプレートにはほんのちょっとだけしか乗せてやらないとか、そいつが嫌いな豆料理をこんもり盛ってやる、というようなこともできたからである。無論、あんまりやりすぎれば喧嘩になって教官たちに知られ、職務に対する真摯さの欠如を咎められて罰則を申し渡されるのが関の山なので、気のせい程度の違いしか作らないのが普通だったが。

 

 本人の話によれば、不知火はその威圧感から立哨などの警備系任務を任されることが多かったらしい。言うまでもなく立哨とは、やることもなく立っているばかりの仕事だ。運がよければ規定されたルートを歩いて警備することもできるが、それだって同じルートを何度も何度も馬鹿みたいにぐるぐるしているだけのことでしかなく、段々自分の人生に疑問を感じ始めてしまうのを止められるほどの幸運ではない。

 

 でもこの時、配属命令受領数日前の不知火訓練生は抜群にツイていた。工廠の、艤装保管庫内の警備を任されていたのだ。それが他の哨兵たちとどう違うかというと、空調の効いた室内で、椅子に座って過ごすことができたのである。しかも原則として内部の警備は一人に任せられていたから、他人の目を気にせずのんびりしていることができたし、何かあっても大体は、保管庫の厳重な鉄扉の外に立っている二人の歩哨が対応してくれるのだ。実に気楽な、任務と呼ぶよりも休暇と呼んだ方が正確な形容になるであろう任務だった。不知火が訓練を受けたのは冬だったので、彼女は外で震える歩哨たちを尻目に、暖かな室内で安らかにしていられた。するとどうなるか? まぶたが下がり始めたのである。彼女は伸びを一つして、リラックスして、生理的欲求に従った。それは要するに居眠りだった。

 

 次に彼女が目を覚ましたのは、鉄扉の外で銃声がした時だった。何事かと思って不知火がそこを飛び出すと、たちまちそこにいた正規の艦娘や訓練教官たちに「よくやった、訓練生!」などと褒められ、撫でられ、もみくちゃにされた。それからはあれよあれよと言う間に表彰、感状授与だ。ところが当の不知火には何で自分が褒められているのか分からなかった。そして、とにかく居眠りがバレるとマズいということだけは知っていた。なので必死で話を合わせ、求められるがままに振舞った。彼女はどうにか、配属命令が下って訓練が終了するまで、みんなを騙すことに成功した。

 

 実際に起こったのはこういうことだったらしい。まずこれ自体ほとんど信じられないことに、訓練隊に過激な融和派、つまり深海棲艦のシンパ連中が紛れ込んでいた。彼女たちは艦娘になって、それから武装蜂起しようとしていた。そしてこのテロリストたちはそれに半分まで成功した──艦娘になり、軍事訓練を受け、最低限ながら戦い方を身につけたのだ。連中は最後の仕上げに取り掛かることにし、二手に分かれた。一方で騒ぎを起こし、もう一方がその騒ぎに乗じて艤装保管庫を開けさせ、装備や弾薬、燃料を奪取する計画だったらしい。騒ぎを起こすところまではよかった。いや、艤装保管庫前の哨兵たちを持ち場から離れさせたところまでが、彼女たちの成功と言うべきものかもしれない。

 

 だがそこで彼女たちは行き詰まってしまった。どれだけ外から声を掛けても、中にいる不知火が頑として扉を開けようとしなかったからだ。「融和派が攻撃を仕掛けてきたの」「私たちも艤装を着けて戦わなきゃ」と呼びかけても、軍法会議なんかのことを口にして脅しても、不知火は決して扉を開けなかった。すっかり眠っていたんだから、まあ当然のことだ。そうこうしている内に、横須賀鎮守府から駆けつけた艦娘や訓練所の教官たち、それからまともな訓練生たちによって陽動班が鎮圧され、次いで艤装保管庫前で騒いでいた残りの半分も捕まった。不知火を目覚めさせた銃声は、その時に行われた威嚇発砲音だったという訳だ。

 

 私は不知火が感状を授与された時の写真を持っている。彼女に頼んで焼き増しして貰ったのだ。その中には引きつったような、強張った笑顔で、横須賀鎮守府総司令代理から感状を受け取る不知火の姿が写っている。周りには同期の艦娘たち。誰もが不知火に尊敬の念と、友人への愛情を込めた視線を向けている。彼女たちの顔を見ればすぐにそうだと分かる。いい写真だ。不知火という艦娘が、彼女という人間がどういう人物であったかを端的に示しているではないか。失敗はするが、そんなのは誰だって同じことだ。一度も失敗せずにいられる人間は少ない。落ち度のない人間だけが、彼女を責めることができる……でもそんな人間がいたら、私がそいつに石を投げつけてやるつもりだ。

 

 彼女のエピソードで私が気に入っているものには、不知火には申し訳ないのだけれども、失敗談が多い。たとえばこんなものがある。不知火は第四艦隊に配属されたのだが、この艦隊は何でも屋の一面があった。工廠で多種多様な作業に当たる明石や夕張もこの艦隊に入っており、不知火は彼女たちの手伝いや、基地周辺の水上警戒、対潜哨戒、その他の雑用、それ以外だと訓練所時代でお馴染みの歩哨任務などをしなければいけなかった。つまり、駆逐艦娘としてのプライドを傷つけられる仕事だ。不知火は純然たる戦闘艦であって、明石のような工作艦や、夕張のような兵装実験軽巡ではないのだから。それでも不知火は腐らずに任務をこなし続けた。で、時々やらかした。

 

 ある夜のことだ。不知火は立哨を命じられていた。インフルエンザが流行していて、本来そこに立つ筈だった警備兵が寝込んでいたせいだ。予定外の勤務だったこともあって、またしても不知火はうとうとし始めた。そこに提督が通りかかった。考えうる限り最悪のタイミングである。立哨は上官が近くに来た場合、敬礼して現在の状況を報告する義務があったのだ。眠りかけていたせいで提督に気づくのが遅れた不知火は、彼女が持っていた杖(提督は女性で、足と性格が悪かった)で頭をがつんと打たれた。目を白黒させる駆逐艦娘に提督は言った。

 

「お前はたった今死んだ」

「しかし」

「しかしも何もない。お前は死んだ。今や幽霊だ。それらしくしろ」

 

 不知火は本当に困った。

 

「あの、司令──」

「上官命令だ」

 

 困ったけれど、上官命令だと言われ、二度も命令されては逆らえなかった。それで不知火はとにかく自分が思いついた最も幽霊らしい振る舞いをやってみることにした。手を顔の高さに上げ、手首の力を抜いてだらんと垂れ下げたのである。ついでに精一杯の努力の証として、恨めしそうな呻き声を演出した。提督はそれを見て満足すると、ふとこう質問した。

 

「お前は地縛霊か?」

 

 この鋭い駆逐艦娘は、ここで「はい」と答えるとどうなるか即座に理解した。『時間になっても交代を許されず、司令の気が済むまでここに立たされる』と見抜いたのである。だから彼女は「いいえ司令、不知火は浮遊霊です」と答えた。提督は頷いてから彼女に告げた。「じゃあ一体お前はいつまで同じ場所に立っているつもりだ? とっとと徘徊しろ!」それは海軍始まって以来のユニークな命令だった。不知火は徘徊を始めた。幽霊らしくしろとの命令も効力を発揮し続けていたので、“幽霊のポーズ”を解くことも許されなかった。呻き声を上げながら幽霊っぽく(・・・・・)基地内を歩き回る不知火の姿を見て、彼女と運よく出くわした夜間当直は一人残らず笑ったそうだ。

 

 他にもこんな出来事を覚えている。私と長門は仲間内だとよく食べる方で、お腹一杯食べることができない昼間はいつも空腹を持て余していた。食糧の不足が原因ではなく、午後からの戦闘任務中に腹部に被弾した時のことを考えると、どうしても食事量を減らさざるを得なかったのだ。自分の腹の中で昼食の成れの果てがぶちまけられるというのは、経験がある身から言わせて貰うが、二度体験したいものではない。で、私と長門は食堂から離れたところにある工廠の裏で時間を潰すのが昼下がりのよくある風景だった。そこに不知火が現れた。手に薄めの小さな鋼材を持っていた。手伝いのようには見えなかった。それに私たちに見られて「あっ」と声を漏らしたので、私たちは即座に彼女を捕まえた。

 

 そうして話を聞くと、彼女も私たちと同じ悩みの持ち主だった。私や長門に比べて不知火は食べる量そのものが少ないが、それでもやっぱり足りないものは足りなかったのである。だが出撃任務を午後に控えた艦娘が食堂で沢山昼食を食べていると後で提督にたっぷり嫌味を言われるということが既に知られていたので、鋼材の余りをくすねてフライパン代わりにし、基地内の鳥の巣から取った卵で、目玉焼きなり卵焼きなり炒り卵なりを作ろうと不知火は考えていた。そしてそこを私たちに見つかったのだ。

 

 もちろん、同じ苦しみを抱えた者として、私と長門は彼女を提督に突き出しなどしなかった。こっそり火を起こし、工廠のガラクタで足を作ってくすねた鋼材にそれを取り付けた。私たちは鉄板が熱くなるのを待って、意気揚々と卵を割った。私たちは現代っ子で、自然の卵を食べようとする時に生じうる問題というものを認知していなかったのだ。

 

 私たちの割った卵からは半分鳥の雛のような形になった何かが出てきて、それが鉄板の上にびちゃりと落ちた。私や長門はそれよりも遥かにグロテスクなものを見てきたが、その時の不知火はまだ違っていた。文字に起こすなら「ひゃああああ」になるであろう悲鳴が彼女の口から漏れ出て、何だ何だと工廠から整備員や明石が現れた。で、全部バレてしまった。

 

 私たちが揃って執務室に出頭した時、提督は嬉しそうな顔をしていた。まるで部下を罰するのが楽しくてたまらない様子だった。というか、そうだったのだろう。彼女は私たちが取るべきでない食事を取ろうとしたことをちくちくと責め、果てしない食欲の為に命を粗末にしたことを責めた。私と長門は聞き流していたが、不知火はそれを丸っきり本気で受け止めてしまい、黙って泣き出す始末だった(仕方のないことだ。彼女はその時まだ十五歳だったのだから)。お陰で私はほっこりした(これも仕方ない)。

 

 長々と続いた皮肉と当てこすりの後、提督は私たちに「かわいそうな小鳥さん」の為の墓穴を掘って墓碑を建てることと、完全な軍葬を執り行うよう命じた。私たちは小鳥の為に穴を掘り、板を使って墓碑を建て、弔辞を読み上げ、慰霊飛行を行い、弔砲を発射して、最後には集まった他の艦娘や基地職員たちの前で、罪のない雛を焼き殺したことについて公式に謝罪しなければならなかったのである。加えて「完全な軍葬」の定義に従い、その後二週間に渡って一日につき八時間も小鳥の墓前で儀仗兵任務を行わなければならなかった。

 

 こういう巻き込み型の落ち度もあったが、それでも誰もが不知火を好きになった。そして私を含む多くは、今でも彼女を好きなままでいる。きっとこれはかつて長門が持っていて、那智の右腕と共に失ってしまった才能と同じものなのだろう。だから私は、不知火が戦後に特設高校に行こうとしていたのに、出願の期限を勘違いしていたせいで一般高校に通うことになった時も、本人が新しい環境や艦娘ではなかった人々に囲まれての生活に不安を感じていたにも関わらず、何の心配もしていなかった。そしてそれは正しかったのだ。彼女はよい友達に恵まれ、よい教師たちに教えられ、とうとう国立大学の医学部に進学して小児科医になった。己を不知火の友人だと考えている全ての人々は、その時思ったことだろう。

 

 ……どうしてよりによって医者になんかなってしまったの、不知火?


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。