私たちの話   作:Гарри

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新版発行に寄せての書き下ろし
14「笑えない話」


 「私たちの話」が出版されてから少し経ったが、私の語る戦争の話は笑いどころが多すぎる、という指摘はまだ止まない。「私たちの話」に最初に収録された中には笑えない話も少々ならず混じっていた筈なのだが、それでもやっぱり多すぎるらしい。そういう訳で、今回はどうして私が楽しい想い出についてばかり書くのか、そして何故そうではない想い出については余り取り上げないのか、もうちょっと詳しく話そうと思う。手始めに、私にとって初めて訪れた“最悪の瞬間”からスタートしたい。

 

 その時、私たちはいつものように航行中だった。太陽の光が肌を焼く感触を覚えている。全身に塗りたくった日焼け止めの上からでもお構いなしで、海面の照り返しも相まって、夜には痛みと火照りから逃げられそうになかった。私は憂鬱に溜息を吐いた。するといきなりばしゃり、と音がして、冷たくて塩気のある水が私の胸に飛び散った。私の前を行く那智が、海水を蹴って私に潮水を引っ掛けたのだった。いきなり何をするの、と私が言うと、那智は身と首を捻ってこちらに顔を向け、二発目を私の顔面に放った。私はあえて避けなかった。焼けた肌に多量の塩分を含んだ水が染みて痛みを感じていたが、それと同じぐらい冷たくて気持ちよかったからだ。

 

 私の様子を見た那智は、濡れ女、と言って笑った。彼女の隣の長門は船幽霊説を唱えた。グラーフ・ツェッペリンと響は、自分たちが子供を相手にするには大人すぎるとでも言うかのように、そっぽを向いていた。だから私は隙だらけの二人に海水をお見舞いした。ケープごとべったりと服が貼りついたグラーフの背中のラインを見て、那智は軽く口笛を吹く。私と長門は小さく笑い声を上げる。響がこちらを向いて文句を言おうとしたが、狙い澄ました連撃が彼女の口の中に直撃してむせ返ってしまう。私は先頭に立つ古鷹の名を呼ぶ。彼女は首を回してこちらを見る。

 

 この次に起こったということと、私が見たと思っているものは、ぴたりとは一致しない。私には古鷹が微笑んだように見えた。そして彼女は小首を傾げた。辺りにぱしゃぱしゃと音を立てて何かが飛び散った。轟音が耳朶を打った。ぽかんとした古鷹の顔が、泣き出しそうな表情に変わり、それからすぐ歯を食いしばってこらえるような顔になった。那智が罵声を吐き出しながら砲撃を始め、グラーフが私の肩を強く押した。「発艦を始めろ」と彼女は怒鳴った。

 

 もしあなたが私と同じように戦争に行ったというのなら、あなたには私の言っていることが分かる筈だ。戦争の中で、あなたは時々、見たくないものを見ることになる。あなたは「うえっ」と思い、俯いて目を伏せる。あなたが見るのは事実の片鱗と、その結果だけだ。過程はほとんどが認識されずにあなたの前を通り過ぎていく。でもあなたの脳は、あなたの記憶がいい加減な状態であることを遺憾に思う。そこであなたの想像力が断片的な事実を繋ぎ合わせ、一つの見栄えのよいエピソードを作り上げてしまう。混じり気のない、純正のフィクションを。

 

 大体、戦争の話というのは疑わしいものが多い。私の話だって、うろ覚えで書いているところがあると白状しなければならないだろう。那智は古鷹が撃たれる直前に発砲したような気もするし、グラーフが私の肩を押したのは古鷹を助ける為に駆け寄ろうとしてのことだったような気もする。「発艦を始めろ」と叫ぶ彼女の声が私の耳に響くと同時に、「古鷹避けろ」と悲鳴を上げるグラーフの声もまた、私の心によみがえる。大抵の場合、こういった記憶の真偽を確かにすることは不可能だ。それは実際的にできないということであると同時に、私自身がしたいと思わないからでもある。

 

 およそ、フィクションは望まれて作られる──意識的にではないにせよ。それは、あなたは友達が死ぬところを目の前で見たということを認めたくないからだ。そんなことを素直に受け止められるほど愚鈍ではないからだ。だからあなたは目を閉じたり、耳を塞いだり、息を止めたり、そういうちょっとした動作で虚偽の入り込む余地を生み出し、ストーリーを粉飾する。そしてほとんどの場合、そこにはユーモアが一緒に入り込む。するとあなたはそれを何かとても面白い出来事として語ることができるようになる。

 

 私と艦隊員たちが作戦中に補給基地に立ち寄った時、そこに所属していた何人かの艦娘が、彼女たちの戦死した友人について話していた。ある艦娘は心配性で、出撃に際していつも紐で肩掛けできる袋を個人装備として持っていったそうだ。中にはありとあらゆる「必要になるかもしれない」何かが詰め込まれており、その艦娘は常日頃から「備えあれば憂いなし」と口にしていたという。彼女の首元を砲弾が突き抜けていった時、何について備え忘れたせいでそうなったのか彼女が疑問に思ったことは確実だろう。

 

 戦友たちは彼女の仇を討った後、艤装が外れたせいでまだ浮かんでいた彼女の頭と胴体を見つけ、袋を取り外すと、中身を捨てて頭をその中に入れて持ち帰ったらしい。そこまで語ると、私にその話をしてくれた艦娘たちは言った。「ホント、あの子の言ってた通りだったよね、備えあればって」「それに何てったってもう最高に憂いないよ今のあの子は、だって死んじゃってるしさ」そして彼女の首が撃ち抜かれた時、頭がどれだけ高く跳んだかについて話し合った。一人が回転しながら一メートルは跳んだと言うと、別の一人がだるま落としのようにただぼちゃんと落ちたと主張し、また別の一人は空高く跳び上がって敵の艦載機を一機撃墜したと言い出した。

 

 多分、彼女たちは戦友の死体を袋に入れて持ち運んだのだろう。多分、その戦友は口癖のように「備えあれば」と言っていたのだろう。それ以外のことは、全部疑ってしかるべきだ。頭が跳んだかどうかとか、敵の弾が当たったのが首だったのかどうかとか、それが夜だったか昼だったかとか、雨が降ってたか晴れてたかなんてことは、全部が全部眉唾物だ。私たちの記憶というのは、その程度のものなのだ。私たちは見ようとしない。私たちは聞こうとしない。私たちには受け入れられない。直面した事態がハードすぎて、何かで薄めずにはいられない。

 

 一つはっきりさせておこう。あなたが誰か元艦娘だという人から戦争の残酷な話を聞く時、その人がもし立て板に水のように喋るなら、加えてその話がすとんと胸に落ちるように受け止められ、理解することができたとしたら、あなたは彼女を疑った方がいい。もしかしたら彼女は艦娘だったかもしれない。彼女が話しているのは彼女が百パーセント真実だと信じていることなのかもしれない。そうだったとしても、彼女の話は事実ではない可能性が高い。何故なら、先に言ったことと似ているが、本当に起こったことを話すことは不可能だからだ。海の上で起こった嫌な出来事について語る時、私たちはいつでも、蝋燭(ろうそく)の炎のように頼りなく揺らめく記憶を口にすることになる。記憶している何が真実で何がフィクションなのか、私たちはどうにか区別して話そうとする。当然、話し方はたどたどしくなり、最初に言ったことを後になって訂正することもしばしばだ。それが本当の話であり、本当の話をしている艦娘の喋り方というものなのだ。

 

 だが仮にあなたの話し相手がそんな喋り方だったとしても、もしそこにユーモアの香りがしなかった場合は、やっぱり気をつけた方がいいだろう。こんな話をしよう。ある艦隊が、深海棲艦の大軍勢に直面する。逃げても背中を撃たれるだけだということになって、無駄死にするぐらいならみんなで暴れた末に死ぬことに決め、真っ直ぐ敵に突っ込んでいく。ところがそれがかえって敵を驚かせたのか、艦隊は無傷で敵陣を突破して人類の勢力圏にある補給基地に帰り着く。これは実際にあったことだとされている。でも、私は信じない。あなたがこれを信じるのを止めはしないが、そうするつもりならそれについて私は断言する。あなたは軍のプロパガンダの犠牲者であり、まだこんな古臭い手に引っかかっているお間抜けさんだ。

 

 これを本当の話にしようとするなら、私たちはこう語らなくてはならない。ある艦隊が、深海棲艦の大軍勢に直面する。逃げても背中を撃たれるだけだということになって、無駄死にするぐらいならみんなで暴れた末に死ぬことに決め、真っ直ぐ敵に突っ込んでいく。ところがそれがかえって敵を驚かせたのか、艦隊は無傷で敵陣を突破して人類の勢力圏にある補給基地に帰り着く。でも結局追ってきた深海棲艦の大軍に基地は蹂躙され、そこにいたみんな死んでしまう。これは実際には起こらなかったことだろうが、それでも私はこれを本当の話だと信じることができる。そこにはアイロニーがあり、ユーモアがある。

 

 無論上述の通り、ユーモアは虚飾の混じった証でもありうる。けれどだからこそ、私たちはそれが──その話の幾らかが──本当にあったのだと信じられる。ユーモアがないというのは真実がないというのと同じことだ。私たちがそれを笑ったのは、笑わずに受け止められないほど辛かったからなのだ。それだけひどかったということなのだ。戦場で私たちが見たものの幾らかは、笑いというフィルターを通してでなければ受容することができないものだったのである。

 

 たとえば、古鷹が死んでグラーフが去った後、長門と那智は二人での警戒任務から帰投する最中に、重巡リ級と偶然遭遇して交戦した。そのリ級が単独だったということもあり、二人はあっさりと敵を片付けたが、戦闘が終わると那智は普段からぶら下げていたナイフを引き抜き、リ級の首を切り取った。帰ってきた二人は、誰彼(だれかれ)なしにその首を見せつけ、ナイフを棒に縛り付けて作った槍の先に刺し、戦旗のように上下に振りながら基地を練り歩いた。食事の時には椅子の上に箱を置いてその上に首を載せ、(うやうや)しい態度で「召し上がれ」と言ってプレートの上にあった中で一番人気のおかずを口に押し込み、水を飲ませ、口元をナプキンで拭い、見せ掛けの敬意を払った。

 

 その時の彼女たちを「どうかしていた」とか「頭がおかしい」などと表現することは簡単だ。でも本当はそうじゃなかったということを私は知っている。二人がこんなことをしたのは、彼女たちにはどうやって戦友を失った後に残された自分の気持ちを処理したらいいか分からなかったからだ。彼女たちはまだ若くて、友達が死ぬということについて慣れていなかった。打ちのめされるということを知らなかった。だからふざけるしかなかった。残酷で悪趣味なジョークを言い、生死そのものを馬鹿にして、死んでいる者を生きているかのように扱うことによってでしか、古鷹を失ったことと、彼女がいなくても世界は続くという悲しみから目を背けられなかったのである。

 

 結局のところ、戦場で私たちが見たものについて話をするというのは、そういうことについて話をするということだ。それは古鷹の四分の三の頭について話すことであり、那智がリ級の口に押し込んだスプーンに付着した黒っぽい粘液について話すことであり、聞いているだけで胸が悪くなってくるようなあらゆる悲惨さについて話すということであり、見ることも聞くことも知ることさえも望まなかった何かについて語るということなのである。

 

 そして私は、そんな話なんか誰にもしたくなかったのだ。


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