私たちの話   作:Гарри

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13「短い後書き」

 戦後、長門は海軍に残って艦娘を鍛え上げる教官になった。響は大学を出て外務省に暫く勤めていたが、資格を取ってから転職して、退役した者を含む艦娘たちの為のカウンセラーになった。噂では、グラーフはまだドイツ海軍にいるらしい。那智は今度教頭になると手紙が来たが、私の見込みだとじきに副校長になるだろう。時雨は何をやっているか分かったものじゃないが、生きてはいる。そして私はかび臭い記憶を掘り起こしては、それを言葉にしてよみがえらせ続けている。

 

 記憶はとめどない。私は文字にすることのできない想い出を、幾つも胸に呼び起こすことができる。臭いや、音や、湿気、感情、種類は様々だ。そういうものを一つに繋ぎ合わせて、私は話を書く。戦争についての話を。多くは艦娘についての話だ。上の娘は中学生になってからというもの、繰り返し繰り返し私に「お母さんはそろそろ次のテーマに進むべき」だと言ってきた。私はその度に彼女をなだめるように笑い、尋ねた。

 

「たとえば、どんなテーマ?」

「どんなことでもいいじゃないの、とにかく戦争とか、海とか、飛んでくる砲弾とか、ばらばらになった人体とか、そういうもの全部から離れたところにある何かよ。終戦から何年経ったと思ってるの? お母さんの本が滅多に出版されないのは、そういうことばかり書いてるからよ」

 

 彼女の言う通りだと思う。二十年経っても、私は戦争のことを書いている。それも私が行った戦争のことだけを。時々、私はそのことで気まずい思いをすることさえあるのだ。もしかしたら私は、試しに平和について書いてみるべきなのかもしれない。だがそれは私にはとてつもなく難しいことのように思われる。テーマが平和だからではない。仮にテーマを家族にしてみても難しいだろう。国や社会にしてみても、私は一年中頭を悩ませて、やがておかしくなってしまうに違いない。私には戦争のことしか書けそうにない。娘は文句を言うだろう。腰に手を当てて足を開いて、不満げに首を傾げて、詰問するだろう。それは多分、こんな風だと思う。

 

「どうして書けないっていうの?」

 

 そして私はこう答えるだろう。罪悪感とか、娘の願いを叶えてやれない無念さで俯きながら。

 

「だって私の胸に浮かぶのは、あの戦争のことばかりなんだもの……」

 

 このことを説明して、分かって貰えるとは思わない。物事の中には、その渦中を通ってきた者にしか、理解を許さないものもあるのだ。時にはその条件を満たしてさえ、人は理解することができない。そういう人々にとって、それは通り過ぎてしまったことであって、まだその中を歩み続けているのではないのだ。

 

 ここで、私はある一通の手紙を引用することができる。それは赤十字が特にパラオやショートランド、トラック泊地などの、東南アジアに配属された艦娘が退役する際に、許可を得て事前に退役艦娘の家族へと送っていたもので、原型は昔々のベトナム戦争時代に遡ることができる、歴史ある内容の手紙だ。私は何処かでそれを手に入れて、今も資料ボックスに片付けてある。その手紙は、こんな風に始まる。

 

『間もなく、下記の人物が再びあなたたちの生活の中に戻ってきます。今はまだ恐怖や無気力に支配されていますが、彼女は再び、万人に与えられるべき平穏と自由を手にした一人の人間として、社会の中で彼女自身の人生と、暫くの間中断されていた幸福の追求を再開することになります。

 

 心温かに銃後の世界に彼女を迎え入れる為の前向きな準備を行う前に、あなたは彼女が不幸にも体験してきたあらゆる環境について、ある程度の覚悟と寛容を持たなければなりません。別の表現を用いるならば、国外での生活と戦争の重圧、艦娘であるという特殊な状況から、彼女は多かれ少なかれあなたの世界における常識と乖離(かいり)した常識の持ち主になっている可能性がある為、特別かつ適切な注意を払わなければならないということでもあります。先進国では通常接することのない疾病に罹患していても、驚かないで下さい。海軍病院で適切な処置を受ければ、彼女の体は元通りになります。たとえ彼女が柔らかなお腹の中に数メートルの虫を飼っていても、動揺せずに医師に受診し、虫下しを処方して貰って下さい。

 

 同様に、たとえ彼女が家の中で武器を携帯してうろついていても、心配になるぐらい少量しか昼食を取らなくても、反対に夕食では鯨のように大食をしたとしても、あるいは真夜中に夜戦の時間であるとして騒ぎ出しても、動揺を見せないで下さい。小さな子供を目で追っていても、アイスクリームのことをアイスクリンと呼んでも、最中(もなか)を食べれば疲れが取れると信じていても、多少のことなら甘味で買収して大目に見て貰えると思っていても、冷静さを保って下さい。たとえ彼女が缶詰から手掴みでものを食べても、おにぎりのことを戦闘糧食と呼んでも、気づかないふりをして下さい。たとえ彼女が、日常生活で生じうる小さな怪我のことを小破と呼んでも、風呂に入ることを入渠と呼んでも、入渠すれば怪我が治ると思っていても、笑ってそれを許してあげて下さい。たとえ彼女が消毒液のことを高速修復材と呼んでも、それを頭から被っても、大目に見てやって下さい。

 

 カレー、焼き魚、紅茶、アルコール類などの話題は必要以上にしないよう注意して下さい。彼女が皿にラップを張って使っても見ないふりをして下さい。庭に穴を掘って食べ残しを埋めても驚かないで下さい。それが彼女たちのやってきたことなのです。雨が降ってきた時に、傘も差さずに外に飛び出して行っても怒ったりしないで下さい。

 

 あなたの娘がトラック泊地所属だったのに隣人の娘が横須賀鎮守府所属だったのは何故か、などという質問は絶対にしないで下さい。隣人の娘が戦艦なのにどうしてあなたの娘は駆逐艦娘だったのかも、何があろうと尋ねてはいけません。「抜錨」「潜水艦」「轟沈」などの言葉はなるべく避けて下さい。食事に行った時に使い残しの軍票で支払おうとしたら、穏やかに支払いを肩代わりしてあげて下さい。あなたの娘が喫煙者である場合は、自分の腕や舌に押しつけて火を消すかもしれませんが、目をつぶって下さい。彼女は手紙を読みふけるでしょうが、その時には彼女の心は戦地に残してきた戦友たちのところにあります。適当なところで励ましの言葉をかけてあげて下さい。男性が周囲にいる場合、気をつけて下さい。容姿の優れた男性がいる場合は、特に気をつけて下さい。

 

 あなたの娘は一回り大きくなっているかもしれません。腕を失っているかもしれません。足を失っているかもしれません。喋れなくなっているかもしれません。何であれ、彼女の緊張した外殻の下には、柔らかで穏やかな心が眠っているということを絶えず頭に留めておいて下さい。それは彼女があなたたちと共に故郷に残してきた唯一の価値あるものなのです。どうか寛容と優しさを持って、彼女に接してあげて下さい。そして年齢が許せば、時々お酒を飲ませてやって下さい。心配する必要はありません。時間は掛かるかもしれませんが、あなたは必ずや、あなたが知っている、そしてもちろん愛している可愛らしい女の子を、この平和な社会に連れ戻すことができます。

 

 さあ、こんな手紙を読んでいる場合ではありません。すぐに冷蔵庫を飲み物で満たして、彼女のまともな服を用意して、パーティーの為の食材を買ってきて下さい。でもパーティの際には決してクラッカーを鳴らさないで下さい。また、傷つきやすい子供や男女を安全な場所に避難させて下さい。最後になりましたが、これはとても大事なことです。とにもかくにも、あなたの娘が家に帰ってくるのです』

 

 いい手紙だ。実際的なアドバイスの中に、ユーモアが含まれているのがいい。折角だからと全文引用してしまったが、実のところ取り上げたいのは最後の一文だけだ。私たちは家に帰ってきた。これは認める。私だって帰ってきた。ただし、肉体は、だ。私の頭の中にはいつでもあの頃の記憶が眠っていて、ふとした拍子にそれはよみがえる。私はその時、家で家事をこなしていたとしても、あの頃の自分に戻っている。皿を洗いながら、部屋の掃除をしながら、家族の為の夕食を作りながら、私は艦載機を飛ばし、副砲を撃ち、血を流している。潮の匂いは、時間を越えて私を追いかけてくる。それは解くことのできない呪いのようなものだ。長門に言ったことと、彼女が言ったことを私は思い出す。戦争は終わっていない。私たちはまだ艦娘だ。彼女たちはいつでも、あの頃の私自身なのだ。

 

 だからきっと、私たちは今も海にいるのだろう。これから私の娘が乗り出していく海に。彼女は十五歳になった頃から、何を思ってか、艦娘になると言い出し、つい先日の中学卒業と同時に、訓練所に入ってしまった。元「加賀」としては何とも気まずいことに、「瑞鶴」に適性があるらしい。私が既に解体されていてよかった。せめてもの(はなむけ)に、伝手を頼って、彼女が長門のいる訓練所にでも入れて貰えるように頼んでみよう。それにしても瑞鶴とは、何の因果だろうか……。


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