僕らと世界の終末戦争《ラグナロク》   作:Sence

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第6話『今と、過去と』

 それから三時間後の夜六時。

 

 午後の授業を終え、隼人達は、各チームごとに割り当てられたシェアハウスタイプの社員寮に帰宅していた。

 

 六つある部屋の内の一室。

 

 隼人とレンカの部屋になっているそこで隼人を呼び出したレンカは、夕飯作りの途中だったらしく、魚の血が混じったエプロン姿の彼にスケッチブックを取り出して見せた。

 

「何だよそれ。って言うか、何か用があるなら早く言ってくれ。まだ魚捌き切ってないんだよ」

 

 そう言って仏頂面になる隼人は、嬉しそうに笑っているレンカを睨むとため息をついて席を立つ。

 

「おい、もう戻るからな」

 

「あ、待って待って! 言うから! 言うから待ってください!」

 

「あ? 何だよ早くしろよ」

 

 イラついた声色で慌てるレンカをなじった隼人は、見せられたスケッチブックに戦慄する羽目になった。

 

「えへへ、お昼に言ってたご褒美のお願い事三つ、考えたの。あ、破ったらセイクリッドスパイカー打ち込むからね」

 

 そう言って笑んだレンカを見下ろした隼人は、頬を引きつらせながら何かの間違いじゃないか、と彼女の笑みとスケッチブックを交互に見る。

 

 覚えていたのか、と思いつつ額を押さえた隼人は、嬉しそうな彼女の傍にしゃがみ込むと彼女が見せてきたスケッチブックの内容を見る。

 

「何……? 一つ目、常に3m圏内にいる事。二つ目、一緒にお風呂に入る事。三つ目、寝る前にマッサージ。最後だけはまともだな」

 

 血生臭い手を顧みつつ、一つ目を読み返した隼人は、一番面倒くさそうなそれを見た後に真横に這ってきたレンカを睨んだ。

 

「これ、何とかならないか?」

 

「え~……約束はどうなるのよぉ」

 

「……分かった、何とかするから。で? 二つ目は良いとして三番目は何でこれなんだよ?」

 

「えへへ~。秘密」

 

「……そ、そうか」

 

 絶対ロクな事情じゃないな、と思いながらスケッチブックを見ていた隼人は、子細を読んで立ち上がった。

 

「どこ行くのよ」

 

「飯作りに行くんだよ。上物のアジを刺身にしてねえ」

 

「じゃあ、それが終わったらご褒美開始ね」

 

 そう言って笑ったレンカに渋々と言った体で頷いた隼人は一階に降りると、台所で料理を作っているリーヤとナツキに合流し、少し不慣れな手つきでアジを捌いているリーヤの隣にもたれ掛る。

 

「あ、お帰り隼人君」

 

「悪いな、途中で抜けたりして。今何匹下ろした?」

 

「五匹かな。皆食べるだろうし」

 

 そう言いながらも作業の手を止めないリーヤに笑った隼人は、肉を使った炒め物を作っているらしいナツキの様子を見るとつまみ食いをしているレンカの頭を叩きつつ手伝う事を探した。

 

 と、その様子に気付いたらしいリーヤが、苦笑しながらソワソワしている隼人の肩を叩く。

 

「まあ、ここは二人で十分だから。リビングで遊んでてよ」

 

 そう言って笑ったリーヤに戸惑いがちに頷こうとした隼人は、自分の隣で目を輝かせるレンカに気付いた。

 

「どうした、レンカ」

 

「じゃ、じゃあ隼人お風呂いこっ」

 

 戸惑う隼人に満面の笑みでそう言ったレンカがだらしなく笑った瞬間、リーヤが包丁を滑らせた。

 

 まな板を抉る一発に慌てたリーヤとナツキは一旦調理の手を止め、揃ってレンカと隼人の方を振り返る。

 

「隼人君……」

 

「ま、待て! これは罰ゲームで仕方なくだな!」

 

「何で拒絶しようとしないのさ、君は」

 

 冷静にそう突っ込んだリーヤの半目にうっと詰まった隼人は、デレデレと笑うレンカが逃がさないとばかりに腕に抱き付いてきたのに背水の陣を悟った。

 

「はぁ……。いつもながら、君は少しばかりレンカちゃんに甘いんじゃないかなぁ」

 

 そう言ってため息を落としたリーヤは、膨れっ面のレンカに睨まれるが涼しい顔でそれを受け流す。

 

「まあ、取り敢えず行ってきなよ。罰ゲームに」

 

 仏頂面から一転、そう言って苦笑したリーヤは、まな板の包丁を取るとナツキと共に調理に戻った。

 

 そんな彼らの背中を名残惜しそうに見た隼人は、深く自分の腕を抱くレンカに引っ張られながら脱衣場に入る。

 

「さ、お風呂入るわよ隼人」

 

「お前……しれっと言うなぁ。第一、男に裸見られて恥ずかしくないのかよ……」

 

「ううん、むしろ興奮する」

 

 そう言って上半身を下着だけにしたレンカに慌ててそっぽを向く隼人は、絹擦れの音に顔を真っ赤にしながら俯くと部屋着のズボンをいきなり脱がされた。

 

「だぁあああああ! さっさと入れ!」

 

 全裸のまま、足元でパンツを脱がそうとしたレンカの頭を掴んで乱暴に引き剥がした隼人は、お姫様抱っこからの投擲でそこそこ大きい風呂に彼女を投げ込んだ。

 

 大きな水柱を上げて入水したレンカの末路も見ず、結局脱ぐ事にした隼人は、陰部をタオルで隠しつつ、浴室に入ると水面に叩き付けられても平気だったらしいレンカが湯船を泳いでいた。

 

「泳ぐんじゃねえよ馬鹿。湯船が温くなるだろうが」

 

 そう言って頭を洗い始めた隼人は、じーっと見てきているらしいレンカの視線に気付き、水で濡れた髪を掻き分けると彼女の方を半目で見る。

 

「何見てんだよ」

 

「蔑んでくるその眼」

 

「その前は」

 

「筋肉見てました」

 

「何でそんなアブノーマルな路線に走るんだお前は……」

 

 顔にかかった水を吹き散らしながらそう言った隼人は、でへへと笑うレンカにため息を落としつつ、湯船に浸かった。

 

 そんな彼に泳いで接近したレンカは、包み隠さぬ姿のまま、密着しようとして殴られた。

 

「何してる」

 

「イチャイチャしたいな、と思って」

 

「する訳無いだろ」

 

 ぶっきらぼうに吐き捨ててそっぽを向いた隼人は、それでも擦り寄ってくるレンカに腕を取られ、バランスを崩した瞬間に彼女の胸に顔を埋めた。

 

 柔らかい胸の感触を認識した隼人が慌てて立ち上がる。

 

 すると、腰に巻いていたタオルがずり落ち、ちょうど彼女の目の前に男のナニがそそり立った状態でコンニチワしていた。

 

「隼人?! ヤりたいの!?」

 

「ちげえ! 事故だ!」

 

 かぶりつこうとしてくるレンカの顔を押さえた隼人は狙いを外す為に彼女の太ももを揃えて担ぎ上げると丸い尻に平手打ち二発をぶち込んだ。

 

 快音二連発に応ずる様に二回のけぞったレンカが嬌声を上げ、しまった、と表情を青ざめさせた隼人は背中を伝う生暖かい液体に背筋を冷やした。

 

「レンカ! テメエ、涎垂らすな!」

 

「あ、いけない。ついつい出ちゃった」

 

 じゅる、と涎を啜る音が聞こえ、青ざめた表情の隼人は腰が抜けたらしいレンカをゆっくり湯船に下ろす。

 

「ケツ叩かれる事の何が良いんだか。理解しかねるな……」

 

「良いじゃないのよ、私の好みの問題なんだし」

 

「個人的には許容したくねえんだけどよ。そう言う趣味は」

 

 そう言って半目になった隼人は、嬉しそうに尻尾を振るレンカを流し見つつ、湯船から出ようとして彼女に呼び止められた。

 

「一体何だよ、レンカ」

 

「約束したでしょ。3メートル以内から離れないって。だから隼人、体洗って」

 

「……頭も洗わなくていいのか?」

 

「あ、じゃあお願い」

 

「はいはい」

 

 もう諦めムードの隼人は、腰が抜けたままの彼女の元に引き返し、もう見慣れた全身を担いで湯船から出た。

 

 ゆっくりと座らせたレンカ越しにノズルを掴んだ隼人は、なるべく接触しない様に考慮しつつ、シャワーを出して彼女の頭にお湯をかけると彼女の栗色の長髪を軽く濯ぐ。

 

「どう、私の髪」

 

「まあ、綺麗だな。手入れされてる感じはする」

 

「でしょ~? もっと触っても良いのよ?」

 

 そう言って凭れかかってくるレンカに苦笑した隼人は、彼女の肩を軽く叩くと体を元の位置に戻し、シャワーを止める。

 

「止めとくよ。髪の毛は女の子の大切なものって教え込まれたからな」

 

「誰に?」

 

「死んだ……母親に。何で言われたかは覚えてないけど」

 

 そう言って俯いた隼人は、ノイズの様に脳裏に走った過去の記憶に口元を歪ませると心配そうに見てくるレンカへ視線を向ける。

 

「そう……なんだ」

 

「あ、すまん。辛気臭くしてしまったな。とにかく髪、洗うぞ」

 

 そう言った隼人は心配そうに見てくる彼女に苦笑を返しながら、シャンプーを手に取ろうとした。

 

 その瞬間、バクン、と高鳴った心臓と歪んだ視界に感覚を狂わされた隼人は、片膝と手を突きながら暴れる心臓を抑えつける様に手を乗せながら顔を上げると、目の前の鏡に十年前の光景がテレビの様に映る。

 

『逃げろ、は……やと。俺は……もう……』

 

 蜂の巣の様に風穴を生やし、全身を血に塗れさせた父親。

 

 車の爆発で飛散した破片に上半身を切り刻まれた母親。

 

 そして、父親から受け取った拳銃を見下ろし走る自分の視線。

 

 その全てが鏡の中の映像として映る。

 

 その周辺はまるで黒のペンキで塗りたくられた様に鏡面以外の全てが暗転。

 

 倒れていた自身の隣で耳やしっぽごと髪を濡らしたまま、突然の事に驚くレンカの姿さえも彼は見えなくなっていた。

 

『殺してやる、この劣等種族の黄色人め!』

 

 中古のM16を取り落し、腹を映像の中の自分が放った拳銃弾で破られた白人が、血に塗れた手で掴みかかってくる。

 

『俺たち、白人は……貴様らよりも優れている! それを、スラムに追い込んだんだ貴様らは! 猿も同然の扱いで!』

 

 首を絞められているのか苦しげに声を漏らした自分は、必死の力を振り絞って銃口を白人の顎に叩き付け、トリガーを引いた。

 

『君が、彼を殺したのか』

 

 突然鏡に戻った画面に映ったロングコート姿の男が、鏡に視線を固定していた隼人の背中に告げる。

 

『彼は、可哀想な人間だった。戦争で家族や職、友人や親類を失い、母国を追われ、行き場をここに求めたが難民としてやっかまれる毎日。自分はそうしたかったわけじゃないのに、彼は結局テロリストと言う道を選んでしまった。

そんな一般人だったのに、君は殺してしまった』

 

 ナレーションするかの様な口調でそう言う男が、鏡の中で悲劇を演じる俳優の如く大仰な振る舞いをし、そちらへ恐る恐る振り返った隼人は男が手にした怪しく光る赤い魔剣に気付いた。

 

『だが、それでいい。それが、本当は正しい。生きる為に殺せ。君は立派な殺戮者だ。さあ、私も、殺して見せろ。そして、君は生き残るんだ』

 

 そう告げた男が魔剣を地面に突き刺すと十字架を体で描く様に手を広げる。それに応じる様に、いつの間にか手にしていた拳銃が男の心臓に向けられる。

 

『さあ、殺したまえよ! 若き殺人者! その一撃で君は英雄への道をたどる!』

 

「嫌だ……。撃ちたくない……」

 

『さあ!』

 

 咆哮にも近い男の叫びに一瞬幼子に戻された隼人は絶叫し恐怖に駆られて引き金を引く。

 

 そして、男は血飛沫を吹きながら暗転目がけて仰向けに倒れ、その場には赤い剣だけが残る。

 

 ちょうど良く弾切れになった拳銃を落とし、胸に広がった気持ち悪さに堪らず膝を折った隼人は視界に映ったつま先に顔を上げる。

 

「れ、レンカ……?」

 

 その先にいたのは全裸のまま、不気味に笑うレンカだった。

 

 彼女は身の丈ほどの刀身がある赤い魔剣を逆手に持ち、その顔に貼り付けた満面の笑みで隼人を見下ろしていた。

 

「違う、お前は……。誰だ?」

 

「私はあなたを待っている。ずっと、ずっと。また私を手に取って、人を殺してくれる。その日を」

 

「待て、俺はお前が誰だと聞いている! それにまず答えろ!」

 

 そう叫んだ隼人は傍らにある拳銃を手に取ってレンカの姿をした何者かに向ける。

 

 が、弾切れのそれは逆手の一閃で一瞬にして破片と化し、彼女はにっこりほほ笑むと彼の胸に剣を突き立てた。

 

「私は、ダインスレイヴ。あの時、握ったその日からあなたの心の中に居座り、ずっと見てきた者。故にあなたを主と認める。明日また……会いましょう」

 

 剣を引き抜き、大穴から血を垂れ流した隼人を見下ろしながら本性の笑みを浮かべたレンカの様な誰か、もといダインスレイヴは暗転する彼の視界から闇と同化していった。

 

「……と、隼人!」

 

 浴場の床で目を覚ました隼人は目の前にあるレンカの顔を見て引き攣った声を上げかけたがその表情の出し方から本物と判断して体を起こした。

 

「アンタ、いきなり暴れるからびっくりしたわよ」

 

「悪かった。すまない。怪我、してないか? 良かったら少しだけ、見せてくれ」

 

 そう言ってレンカを体を見回した隼人は触診を含めて怪我が無い事を判断すると顔を真っ赤にしているレンカに気付いた。

 

「どうした? 不味いとこ触ったか?」

 

「う、ううん。それは別に良いの。その……触診プレイもいいかなって」

 

「プレイじゃねえっての。取り敢えずお前に危害が無くて良かった。自分のせいでお前が傷つくのが俺は一番嫌だからな」

 

 そう言って笑った隼人は生乾きのレンカの髪に気付いた。

 

「あ、そう言えば頭は洗ったのか?」

 

「洗える訳無いでしょ。やる人が暴れてたんじゃ。ほら早く。洗ってよ」

 

「はいはい、仰せのままに」

 

 そう言ってレンカの洗髪を始めた隼人は嬉しそうに揺れる尻尾を避けつつ、頭を洗うとシャワーで泡を流す。

 

 そして、髪に張り付いた飛沫を振り解く様にレンカが頭を振り、四方八方に水が散る。

 

 飛沫から目を守った隼人は悪戯っ気の見える笑顔を浮かべたレンカに笑い気味の半目を向けると差し出されたリンスのボトルを受け取る。

 

「そう言えば、聞いてなかったけど。お前、何で髪伸ばしてるんだ? 昔は動くのに邪魔だからって長くても首とか肩までだったろ」

 

「何でかって、それはアンタが長いツインテールが好きって言ったからよ。体型は別だけど」

 

「体型の事は聞いてねえ。って事はお前、俺の為にツインテールにしてたのか」

 

 そう言って驚く隼人にニッと笑ったレンカは、手慣れた動きでリンスを髪に馴染ませる彼に一種の占有感を感じ、だらしのない笑いを浮かべていた。

 

「涎、垂れてるぞ」

 

「うヘヘ、嬉しくってつい」

 

 そう言って笑うレンカに、苦笑した隼人は、彼女の肩を叩くとシャワーで手を洗った。

 

 と、そのタイミングで浴場のドアが開き、慌てて振り返った隼人は、首にリード付きの大きな首輪をつけたカナとそれを見て笑う浩太郎に気付いた。

 

「な、何してるんだ、お前ら」

 

「それはこっちのセリフ。あんまりにも長風呂だから様子見て来いって。あ、先にご飯食べちゃったよ」

 

「そうか、すまんな。ところで、繰り返すようだが」

 

「ああ、これ? 僕からのお願い。まあ、趣味的な感じだけど、どう? 似合ってない?」

 

「ノーコメントだ」

 

 そう言ってボディソープを含ませた洗体用のスポンジを手渡した隼人は、嗜虐的な笑みを浮かべる浩太郎にため息を返す。

 

「えー、隼人君なら分かってくれると思ったのになぁ」

 

「分からねえし、分かりたくもねえよ」

 

「またそう言う。レンカちゃんを弄ってる時、嬉しいくせに」

 

 そう言って笑った浩太郎に反論できなかった隼人は、スポンジを突き返してきたレンカに半目になると彼女の背中を優しく洗い始める。

 

 気まずい沈黙が続き、男のだんまりに彼らに洗われている女二人は、居心地の悪さを感じていた。

 

「ね、ねえ隼人。前も洗ってくれない?」

 

 そう言うタイミングで、レンカは爆弾発言をする。

 

 少なくとも浴場にいる人物には十分聞こえる声で。

 

「返事は」

 

「出来る訳無いだろ」

 

 頬を膨らませるレンカにそう言ってそっぽを向いた隼人は、ニヤニヤ笑う浩太郎と羨ましそうなカナを睨み返すと振り返ってきたレンカに無言でスポンジを突き出す。

 

 そっけない態度を取った隼人が視線を戻すと、ムッとなったレンカが泣き出しそうなのに気付き、深いため息を吐いた後、スポンジを見下ろした。

 

「仕方ねぇ。洗ってやる。今回だけだがな。良いな?」

 

「むぅ……。それで良いわ。当分はね」

 

「はいはい」

 

 苦笑しながらレンカの前面部と向き合った隼人は、予想以上に煽情的な体つきに思わす視線を下に向け、いきり立ちそうな自分の50口径を見下ろし股に挟んだ。

 

「……大丈夫?」

 

「ぅえっ?! あ、いや。大丈夫だぞ、向こうに見えなければセーフだ」

 

「どういう意味?」

 

 首を傾げるレンカに内股になって顔を上げた隼人は、何処から洗おうか考えながら彼女の二の腕を掴んで固定する。

 

 危険個所を優先しようと、浩太郎達の事を忘れてレンカの体を見回す隼人は、胸から洗う事に決め、身長と比して不釣り合いな大きさの胸に手を伸ばす。

 

「んっ、ああっ」

 

 胸の形が歪み、それに合わせてレンカが嬌声を上げる。

 

 背後を振り返ると案の定、浩太郎が笑っており、何とか声を上げさせまいと水で洗った左手で彼女の口を塞いだ隼人は、もがく彼女の声を振動として左腕に受けながら前面部全てを泡で包ませていく。

 

「お、終わったぞ。大丈夫か?」

 

「うん……。その、未知の体験だった。うへ、うへへへへ」

 

「お、おう。満足したようで、何よりだ」

 

 そう言ってため息を落とした隼人は涎を垂らしながら笑うレンカを前に向かせ、全身にお湯を流すと冷えた体を湯船に浸からせて温めた。

 

 そして、浩太郎達に一言言った隼人は満足げなレンカと共に一時間半の長風呂を終え、夕食に向かった。

 

「時間かけ過ぎ。もうご飯は無いんだけど?」

 

「米は残ってるのか?」

 

「一応ね。二人分はある。何か作るつもりかい?」

 

 そう問いかけるリーヤに頷いた隼人は、長髪を首の位置でまとめているレンカをダイニングテーブルに座らせるとキッチンの方に移動する。

 

「レンカ、晩飯はチャーハンで良いだろ?」

 

「うん」

 

 あまり腹が空いていなかった隼人は、ダイニングの方を振り返ってレンカに問いかけると、返答を聞いてレシピを頭で作る。

 

「リーヤ、おかず、何か残ってないか?」

 

「えーっと、炒め物が少々」

 

「それ刻んで具にする。それらを卵でとじときゃ大丈夫だろ」

 

 そう言って片手で卵を二つ割った隼人は、手慣れた様子で卵を溶き、その隣で作る様子を見ているリーヤからご飯と油を受け取るとフライパンの上に敷いて熱する。

 

「にしても、よくもまあ即興でメニューが思いつくね」

 

「慣れだ慣れ。九年も食堂やら研修で飯作ってりゃその場の材料で飯作れるようになるさ」

 

 そう言いながらチャーハンをよく炒める隼人はごま油で香り付けて炙ると、器に盛った。

 

「ほら、出来たぞ」

 

 そう言っていの一番にレンカの目の前に置いた隼人は、プラスチック製のレンゲを逆さにして器に立てかけた。

 

「ほらよ、夕飯だ。もう一品、いるか?」

 

「うん。欲しい」

 

「じゃあ、今朝仕込んだきゅうりと白菜の浅漬けでも出すかな」

 

「うぇ……。野菜ならいらない」

 

「……お前、相変わらず野菜駄目だな。ビタミン取らねえと免疫落ちるぞ」

 

 そう言った隼人は、ジャーから浅漬けになったきゅうりと白菜を箸で取り出して小皿に移すと、縮こまるレンカに半目を向ける。

 

「レンカちゃんは相変わらず好き嫌い多いね。魚も駄目なんだっけ?」

 

「お刺身とかなら大丈夫だけど……。焼いたのとかは、骨があるから無理」

 

「魚自体がダメなんじゃなくて、魚の骨がダメなんだ?」

 

 そう言って笑うリーヤに頷いたレンカは、自分の目の前に座ってチャーハンを食べている隼人が不機嫌なのに怯え、小さな口を精一杯大きく開けてチャーハンを食べていた。

 

「お前、ちっとは好き嫌い無くせ。ほら、きゅうり」

 

 そう言って箸でつまんだきゅうりをレンカの前に突き出した隼人は、そっぽを向く彼女に青筋を浮かべる。

 

「きゅうりも駄目なんだ。珍しいね」

 

「み、水っぽい食感が嫌なのよ!」

 

「ん~、美味しいけどなぁ」

 

 麦茶のつまみに浅漬けを食べるリーヤが苦笑する中、きゅうりから逃げるレンカの頬を掴んだ隼人が口に無理やりねじ込む。

 

「ほら、よく噛んで食べろ」

 

「ぅうう……美味しくないよぉ……」

 

 レンゲを咥えたままため息を落とす隼人に半泣きのレンカは、水で流し込み、テンションダダ下がりでチャーハンを食べる。

 

 落ち込むレンカを無視しつつ、チャーハンを食べ終えていた隼人は、食器棚から取り出したカップをコーヒーメーカーにセットしていた。

 

「リーヤ、コーヒーいるか?」

 

「ああ、ううん。今日は紅茶の気分だから良いや」

 

「じゃ、お湯を沸かしておこう」

 

 そう言ってクッキングヒーターの上にヤカンを置いた隼人は、頭をタオルで拭きながら出てきた浩太郎に気付き、リーヤが入浴の準備の為に二階の自室へ上がる。

 

 入れ替わりにダイニングテーブルへ座った浩太郎はタオルを首にかけると、ブラックコーヒーを啜っている隼人に視線を向ける。

 

「何だよ」

 

「いや、まあ……明日が楽しみだねって」

 

「何だ? 無理に話題を振らなくていいぞ?」

 

 そう言って苦笑し、コーヒーを啜った隼人は、風呂から出ていたカナとチャーハンを取り合うレンカを見てため息を吐いた。

 

「おい、カナ。チャーハンは恋歌の晩飯だ。腹減ったならそこの漬物食ってくれ」

 

「私は肉食。野菜は食べない」

 

「お前、雑食だろうが。取り敢えず、レンゲを返してやってくれ」

 

 そう言って流し台に飲みかけのコーヒーを置いた隼人が、仲裁に入るより先に、カナの首輪を引っ張った浩太郎が彼女に真っ黒いオーラを纏った笑みを浮かべる。

 

「カナちゃん、お座り」

 

 そう言って首輪を引いてきた浩太郎の顔を、至近距離に見たカナは、顔を真っ赤にしながら椅子に座った股の間に両手をついて、お座りのポーズをする。

 

 犬同然の屈辱的な扱いににやけ顔になりそうなカナを、笑顔で見下ろした浩太郎は抑えつけるように頭に手を乗せる。

 

「もうちょっと、頭は低くしなきゃ。ご主人様に失礼だろう?」

 

「だ、ダー。ご主人様」

 

 真っ黒いオーラを放ちつつ、爽やかな笑顔を振りまく浩太郎の股関節に伏せたカナの尻尾が、大きく激しく振れる。

 

 その様子をローテンションで見ていた隼人は、壁掛け時計の時刻を見て何かを思い出す。

 

「いっけね、薬の時間だ」

 

 そう言って戸棚から常服薬と書かれたケースを取り出し、水と共に飲むとケースを戸棚に戻した。

 

「何、その薬」

 

「俺の疾患治療用に処方されてる精神安定系の薬だ。まあ、効き目は穏やかだし揺り戻しも無い」

 

「そう言う心配はしてないけどあんた、その、えっと……何だっけ。病気の名前」

 

心的外傷後ストレス障害(PTSD)か?」

 

「そう、それ。いい加減、治らないの? もうかれこれ十年経ってるじゃないのよ」

 

 無神経にそう言い放つレンカに、隼人は片眉を上げ、ため息を吐きながら発言を訂正させようとした浩太郎を手で制す。

 

「精神病は風邪やケガとは違って一生治らない可能性がある。治療で治ればいいが、可能性は低い」

 

「ふぅん、そう言うものなの?」

 

「そう言うものだ。ん? ああ、もう九時か……さて、上に上がるとするか」

 

 カップを流し台に置いた隼人は、ムッとなるレンカに何でだ、と思いつつ軽く伸びをしてダイニングから二階に移動する。

 

(俺だっていい加減治って欲しいんだよ)

 

 イラつきながら二階に上がった隼人は、簡易洗面所で歯磨きをして自室に入ると、ワクワク顔のレンカが彼のベットの上で崩れた星座をしていた。

 

 そんな彼女を見ながらベットに横になった隼人は背中に抱き付かれ、そちらを振り返った。

 

「何寝ようとしてるのよ!」

 

「あ? 眠いからだ」

 

「約束は!」

 

 抱き付いたまま怒っているレンカに半目を向けた隼人は、やれやれと嘆息しながら起き上がり、仰向けに寝転がった彼女を見下ろす。

 

「約束って……。ああ、マッサージか。やらなくて良いだろ、お前のその調子なら」

 

「アンタ、前こう言ってたわよね。男に二言は無いって」

 

「さあ、どうだったっけな。忘れた。ま、寝たら思い出すかもな。だからまあ、おやすみ」

 

「寝るんじゃないわよ馬鹿ッ!」

 

「うッ」

 

 怒りのダイビングプレスを決めて来たレンカに押し倒された隼人は、体格に合わせた広いベットに寝転がった彼女を不機嫌そうな目で見上げる。

 

 蔑むような眼を見上げてだらしない笑みを浮かべるレンカの動体を押し倒した隼人は、彼女の足を掴むとむくみの具合を確かめる。

 

「一応言っとくけど俺、あまりマッサージ上手くないからな。そこらへん習ってないし」

 

「……の、乗っからないんだ。ちぇっ」

 

「マッサージってのは乗っかってやるもんじゃねえよ。大体な、お前の体が華奢過ぎて乗っかるポイントがねえよ」

 

 そう言いながら隼人は出る所は出ているレンカの体を揉んでいく。

 

「んっ、くっ……んあああ」

 

「馬鹿、変な声出すな」

 

「だっ、て、くすぐった……んひっ」

 

 びくん、と体を竦ませるレンカの体を押さえつけた隼人は肩に手を動かすと、暴れる彼女を捕らえつつ、絶妙な力加減で圧迫していく。

 

「んっ、はっ、あうっ」

 

 頬を赤らめ、ハアハアと息を荒げるレンカが許しを請う様な弱々しい眼で隼人を見上げ、その眼と合った隼人は、ドクンと跳ね上がった心臓とこみ上げる熱を自覚した。

 

「隼人ぉ……」

 

 とろん、と目を蕩かすレンカが、段々と高揚してきた隼人に力のない笑みを見せる。

 

「気持ち良いよぉ」

 

 レンカがそう言った瞬間、隼人の中で何かが切れ……そうになった。

 

「そうか」

 

 表向きだけでも、とローテンションを維持してそう言った隼人は、不満げに頬を膨らませたレンカに半目を向けると肩を叩いた。

 

「ほら、終わったぞ」

 

「襲わないの?」

 

「襲うかよ、ほら。とっとと寝るぞ。ベットに戻れよ」

 

 そう言ってレンカを睨み、寝転がった隼人は、同じ様に隣へ寝転がった彼女にため息を落とす。

 

「ベットって自分の方だぞ」

 

「ふん、もう一つの約束通りならあんた私のベットで寝る事になるわよ」

 

「ああ、ならここにいろ。俺は、もう寝る」

 

「えへへ。おやすみ、隼人」

 

「……おやすみ。レンカ」

 

 そう言って瞼を閉じた隼人は、脳裏に浮かぶレンカの裸体に眠れずにおり、寝ると言った手前、レンカに声をかける事も出来ず彼はたった一人で悶々としていた。

 

「……隼人の体、独り占め」

 

 眠たげな声でそう言って抱き付いてきたレンカのノーブラおっぱいが胸に密着して、形を歪ませる。

 

 それからしばらくして静かな寝息を立て始めたレンカに、段々と落ち着いてきた隼人は子どもの様な寝顔の彼女にフッと表情が緩んだ。

 

(暴れたり、変に欲情しなきゃ可愛いのにな)

 

 そう思いながらレンカの背中を軽く叩いた隼人は、彼女の体を浅く抱いて再び瞼を閉じる。

 

今度こそ眠れますようにと祈りながら。


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