僕らと世界の終末戦争《ラグナロク》   作:Sence

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第10話『過去の罪』

 目を開けると空が赤かった。

 

 焼けている空の色、十年前に見たあの空と同じ死を告げる色だ。

 

 その色を認識した隼人は空気を求めた肺の活動で咳き込み、倒れていた上体を起こした。

 

 押さえていた男が破片への盾になり、爆発の勢いだけを受けていたらしい彼が体を起こすとひび割れた車のガラスがぴしぴしと音を立てた。

 

「ぅ……」

 

 背中をフレームが守っていたとはいえ、数十メートルも吹っ飛ばされていた隼人のダメージは見た目以上に深刻であり、鉛の様に重たい体を起こした彼は、バランスを崩してボンネットから滑り落ちた。

 

 アスファルトの地面に叩き付けられた隼人は駆け寄ってくる足音に気付いたが体が動かなかった。

 

「隼人、隼人!」

 

 かすれた様に聞こえる声が鈍った彼の鼓膜を震わせ、ぼんやりとしか開いていない目が、心配そうに涙を流して揺さぶってくるレンカを捉える。

 

「レ、ンカ……」

 

「隼人! 良かった、死んでないのね……。立てる?」

 

「一人じゃ……無理だ。すまん、少しだけ……肩を、貸してくれ」

 

 そう言ってレンカに掴まった隼人はガラスの割れた車に凭れる様に立ち上がると、目の前に広がっている光景に地獄を見た。

 

 燃え盛る道路、爆発物に焼夷弾が混じっていたらしく、延焼する街路樹と焼死体。

 

 そして、ショウウィンドウから散ったガラスが散弾宜しく人々の体に突き刺さり、工事中だったらしいそこでは鉄パイプに頭を潰された死体もあった。

 

「酷い……」

 

 血の気を引かせ、そう呟いたレンカの隣、車に凭れていた隼人が蹲り、こみ上げていた胃の中の物を吐き出すと荒い呼吸を繰り返す。

 

 慌てて駆け寄ったレンカは、浮ついた目をした隼人から離れ、切迫した表情のまま周囲を見回す彼をただ黙って見ているしかなかった。

 

「た、助けて……」

 

 消えそうな声、それに気づいたレンカは、ちょうど狭い隙間ができる様に重なった鉄骨十本に挟まれているらしい子ども2人の傍に駆け寄る。

 

 そして、燃えている建物を見上げ、慌てて鉄骨を持ち上げる。

 

 身体強化を加えて持ち上げた彼女だったが、流石に体重の二十倍は厳しいらしく少しだけ持ち上がったぐらいだった。

 

 その間にも延焼は続き、可燃物に引火して爆発が起きた。

 

「怖いよ、お姉ちゃん……」

 

「大丈夫よ。ちゃんと、助けるから!」

 

 泣き叫ぶ子どもを励ましながら鉄骨に力をかけたレンカは、びくともしないそれに熱暴走寸前の小手から魔法を放とうと術式を構成した。

 

「馬鹿……。止めろ、鉄骨を吹き飛ばせばこの子達だって無事じゃすまない……。俺がやる。お前はこの子達を引っ張り出せ」

 

「わ、分かったけどあんたは良いの?」

 

「大丈夫だ。今はこの子達を助ける事に集中しろ。行くぞ、三、二、一!」

 

 頷いたレンカがしゃがむのを見て戦闘出力で鉄骨を持ち上げた隼人は、彼女の細腕に引かれて出てきた子ども達に安堵すると、神経接続のコンソールに走るノイズに舌打ちし、無造作に鉄骨を投げ捨てる。

 

 車に叩き付けられた時、処理コンピューターが損傷していたアサルトフレームは、システム不良を発生しており、加えてスラスター損傷による跳躍不可の症状も抱えていた。

 

「クソ……」

 

 辛うじて操作系統の神経接続は保たれているものの、デバイス関連の神経接続は全滅寸前だった。

 

 腕のコンソールを操作して表示を消した隼人は、時折暗転する視界と連動してフラッシュバックする記憶に舌打ちして、腰からアンプルを取り出し、首筋に差した。

 

 それは、ボロボロの体に鞭打つ行為だったが、それでも動かなければならないこの場の選択肢としては、一番最良の物だった。

 

「レンカ……その子達を、病院の方へ退避させろ。お前が守るんだ」

 

「え、それって……。アンタはどうするのよ、一緒に来ないの?」

 

「なるべくなら、付いて行く。だが、フレームの調子が良くない、いつ止まってもおかしくない状態だ。もしもの時は、俺を置いていけ」

 

 そう言ってレンカの背中を押した隼人は、彼女と子ども二人を含めた三人を庇う様に歩き出す。

 

 時折背後を振り返りながら進む隼人は、ノイズが混じった通信回線を開く。

 

「ストライカーより、ファントム、リーパー。聞こえるか?」

 

『こちらリーパー。どうぞ』

 

「リーパー、ファントムは?」

 

『フレームと端末が故障して通信が繋げない。今は私の横で生存者を探してる』

 

「……そうか、分かった。引き続き、生存者の捜索を。見つけたら病院前に連れて来い」

 

 そう言って後ろを向いたまま通信を切った隼人は、遠くから聞こえる銃声に気付き、バクンと跳ねた心臓を押さえつつ、悲鳴の上がった背後を振り返る。

 

「銃声?!」

 

 そう言ってレンカが子ども達を抱いて庇う中、隼人は周囲を見回して、銃声がした場所を探ろうとする。

 

「レンカ、急いで移動するぞ。ほら、立て」

 

 そう言って子どもたちを立たせた隼人は至近を掠めた弾丸に驚き、背後を振り返る。

 

 見れば、逃げている人々が、銃を持った集団に射殺されており、それを見た隼人の脳裏にトラウマがフラッシュバックする。

 

「隼人!」

 

「こっちに来るな! いいから行けッ!」

 

 子供たちの背を押して逃げようとしたレンカが、膝を突いた隼人の方へ引き返そうとするのを、彼は絶叫で跳ねのける。

 

「でも!」

 

 そう言って駆け寄ったレンカを突き飛ばした隼人は、路地裏から転がり出てきた青年がフルオート射撃で蜂の巣にされたのを見ると、その死体を蹴り飛ばした白人と目が合う。

 

「ここにもきたねえ黄色人種やら人外どもがいるってのかよぉ、ヒヒヒッ」

 

 下種な笑みを浮かべ、手にした小銃を隼人に向けた白人が、子どもに視線を動かす。

 

「見せしめだぁ、目障りな子供からぶっ殺してやろうかねぇ」

 

 そう言って子ども達の方へ銃口を上げた白人が容赦なく引き金を引く。

 

 慌てて車のドアに隠れた子ども達だったが、ライフル弾はドアをやすやすと貫き、小さな体はただの肉片へと変わってしまった。

 

 あっさり死んだ子ども達の方を振り返った隼人を他所に、弾切れのマガジンを落とした白人は、耳障りな引き笑いを繰り返す。

 

「気分が良いぜぇ、何たって遺伝子浄化だもんよぉ、俺達が優れてんだよ劣等人種!」

 

 そう言ってマガジンを変えた白人の声も聞こえないほどに、隼人は正気を失い、脳裏に浮かぶトラウマに絶叫していた。

 

「次は、お前の番だぜぇ……!」

 

 小銃の銃口が蹲る隼人に向く。

 

 トリガーガードからトリガーに指を掛け替え、アイアンサイトに彼の顔が重なる。

 

「止めてぇッ!」

 

 撃発の寸前、銃口の前に立って拳銃を引き抜いたレンカの絶叫が響き、絶え間ない拳銃弾の連射が男を襲った。

 

 もはや乱射に近い闇雲な射撃に蜂の巣にされた男は路上で痙攣を起こし、無言の死体となった。

 

 隼人を庇ったレンカは、目の前で死体となった男に荒く息を吐くと、スライドオープンした拳銃を投げ捨てて、うわ言を呟きながら蹲る彼を抱き起こす。

 

「ほら……隼人。逃げるわよ」

 

 そう語りかけたレンカの顔を見た隼人は、幾分か正気を取り戻したらしく、黙々と頷いて立ち上がる。

 

 隼人と共に病院前に逃げ始めた彼女は、ドアの傍で死んでいる子ども達を見つけ、内心で冥福を祈りながら病院を目指す。

 

 ふら付きながら歩く隼人は首にアンプルを打つと、幾分か軽くなった体の感覚に少しの安堵を浮かべる。

 

 そして、腰を支えながら暗い表情を浮かべるレンカを見下ろした。

 

「レンカ、お前……その血は……」

 

 そう呟いて頬についた血を親指でなじってきた隼人にレンカは力のない笑みを浮かべた。

 

「すまない」

 

 ただ一言、強がり、唇を噛み締めているレンカに言った隼人は、堪えていた涙を流した彼女の頭にそっと手を置いた。

 

 その直後だった。

 

 三連続の破裂音の後、がくんとレンカの体から力が抜け、彼女の足、腕、胸からワインレッドの血液が散る。

 

「レンカッ!?」

 

 苦しげに息を吐きながら倒れ込み、貫通した肺から呼気を漏らした彼女は、焦点の合わない虚ろな目をして体に蹲る激痛に呻いていた。

 

 出血の止まらない彼女を抱えようとした隼人は背後の足音に振り返ると、ライフル銃を抱えた集団が、先頭のピエロマスクの男を中心に、楔型に並んでいた。

 

「お、お前は……」

 

 幻覚の中で射殺したピエロマスクの男。

 

 その男が、赤い魔力を放出している魔剣ダインスレイヴを手に目の前にいた。

 

「こんにちわ。五十嵐隼人君、彼女さんの容体はどうかね? ああ、今瀕死なのか、それは失礼した」

 

 そう言ってクツクツ笑う男を前に、動揺し、目の焦点が合わなくなってきた隼人は脳裏にフラッシュバックした父親の最期を思い出して、頭痛を発した頭を押さえた。

 

「おやおや、大丈夫かね? ああ、そうか、君にとって私は敵だったなぁ! 大切なものを、居場所すら奪った私を君は殺したい程に恨んでいるだろうなぁ」

 

 そう言って大笑いした男の声を掻き消す様に叫び、頭を抱えて蹲った隼人は、血の海を広げ、今にも命が消えそうなレンカに目を向ける。

 

 弱々しく呼吸し苦しむ彼女を前に、暴れる心臓音。

 

 自分の無力さを目の当たりにし、力無く笑う彼女を抱き寄せた隼人へ歩み寄るピエロの男は、背後について歩く護衛に銃口を向けさせる。

 

「君は変わらない。いや、変われない。君はどこまで行っても、どれだけ年を重ねても過去に縛られた非力な少年でしかない」

 

 剣を振り上げた男が、抜け殻の様になった隼人に向けて薄く笑う。

 

「さようなら、だ。無力な少年よ」

 

 涙を一筋流した彼の目が振り下ろされる剣を捉えた瞬間、絶叫した彼の瞳が、血の赤に染まり、不気味に光った。

 

 瞬間、カウンター気味に剣を素手で弾いた隼人は、男の首を掴むと、路端へ力任せに投げ飛ばす。

 

 自動車に激突した男を見ず立ち上がった隼人は、脳に響く声を聞いた。

 

『力が、欲しい? 欲しいわよねぇ、だってあなたは、そう。こいつ等への殺意に満ちているものねぇ……。ああ、気持ちいい……。』

 

 無邪気な少女の声がそう言って笑った直後、フレームにノイズが走り、出力配分リミッターが、体の防護無視で解除された。

 

 その表示を見ながら、胸に湧き上がる殺意に突き動かされて立ち上がった隼人の表情は、見る者を震え上がらせるほどに凶暴で、異常を感じさせるには十分だった。

 

 瞬間、隼人の姿が消え、ピエロの背後で銃を構えていた男の体が、拳の一撃で吹き飛ばされる。

 

 全身の骨が着地の衝撃で砕かれた彼の体は、ゴム人形の様にもつれた四肢が絡まったまま、動く事は無かった。

 

「な、何だこいつ!」

 

 慌ててショットガンの銃口を隼人に向けた男が発砲するより早く、彼は男の頭を力任せに殴った。

 

 ゴキリ、と嫌な音を立ててその場で三回転半した男は、顔面から地面に落ち、原形をとどめない顔面から大量の体液を地面に垂れ流した。

 

 その死体を見て、隼人は嬉しそうに笑うが、その笑みはもはや彼の意志が生んだものではなかった。

 

『アハハ、久しぶりに出てきてみれば。良い殺気ね、日頃の研鑽の賜物かしら』

 

 隼人の脳裏で嬉しそうに笑うのは赤いロリータ衣装を纏った少女だった。

 

『素晴らしいわ、隼人。あなたの殺意、私が見初めただけはあるわ』

 

 容赦なくテロリストを殴り殺す彼の意志を覗き見ながら、少女は笑う。

 

 足の骨を折った最後の一人を、路上駐車されていた車で潰した隼人に笑いかけた少女は、投降しようとしていた男の頭部を殴り、爆裂させた彼に笑う。

 

 脳裏に響き渡る笑い声を幻聴として聞きながら隼人は、下半身が動かないのか這って逃げるピエロマスクの男へ歩み寄る。

 

 死人の様に濁った眼を赤く染め、命を弄ぶ悪魔の様に口端を大きく引き攣らせながら。

 

「次は、お前だ……」

 

 そう言って男の頭を掴んだ隼人は暴れる男に悪魔の様な笑みを浮かべると、近場にあったセダンのボンネットに叩き付けた。

 

 悲鳴を上げ、全身に走った痛みを感じて叫んだ男に、隼人はニヤリと笑って、落ちていたダインスレイヴを拾い上げる。

 

『さあ、一緒に、世界を壊しましょう。あなたと、私。二人っきりで』

 

 少女の声を聴きながら、逆手持ちで構えた彼は、車から転がり落ちて逃げようとした男の体を踏みつけ、アスファルトごと胸を刺した。

 

『居場所のないもの同士で、ね』

 

 少女の声が、空から降る様に聞こえてくる。

 

 剣を支えにアスファルトの地面へ磔にされた男の死体を見下ろした隼人は、徐に剣を引き抜く。

 

(コイツを壊せば、全て……終わる)

 

 唯一残った使命感に囚われ、限界が近いフレームと肉体に、内心で舌打ちしながら跪いた隼人は剣を手に掛ける。

 

『壊しちゃうの? 良いの? 後悔するかもよ。アハハ』

 

 そう言って嘲笑する少女を鼻で笑った隼人は残されたフレームの膂力で剣をへし折った。

 

 それで少女は消え、二度とダインスレイヴは現れない、はずだった。

 

『ざーんねん。それは偽物でした。それも私の分身付きのね。あっははは!』

 

 砕け散った剣の破片からワインレッドの魔力が立ち上り、隼人の体に吸い込まれていく。

 

 全身を掻き毟る様な魔力の痛み、そして胸を焼き尽くす殺意の苦しみ。

 

 蹂躙される全身に喉から絶叫を絞り出した隼人は、脳裏に浮かんだ忌まわしい記憶の数々に精神を磨り潰され、大半の自我を失った。

 

「レン、カ……」

 

 関節から白煙を上げるフレームが焼き切れと魔力切れを起こし、力を失い、唯一の支えを失った肉体も、蹂躙された精神も、限界を迎えた隼人は、糸が切れた様に血だらけの大地へ倒れた。

 

 ひたひたと、街を舐めとっていた炎を掻き消す様に、雨が降り始める。

 

 フレームにも体にも、もう力は無くうつ伏せに倒れた彼に、ヘリコプターのローター音が浴びせられる。

 

「レンちゃん!」

 

 悲鳴に近いナツキの声、それが遠くに聞こえた隼人は、いつの間にかレンカから離れていた事に気付き、彼女の元へと這い寄る。

 

 離れた位置で手当てを受けるレンカの方へとおぼつかない足取りで移動した隼人は、ドクンドクンと脈打つ心臓を押さえつけ、力の無い腕で地を這う。

 

『あはは、そんな状態で仲間の元へ行くの?』

 

 血だらけの道路を移動する隼人の視界に、ロリータ衣装の少女が現れ、荒く息を吐く彼の周囲を歩く。

 

『あーあ、しばらく見ない間に甘くなっちゃったのねぇ。やっぱり私が助けた時の記憶を封じとくのは失敗だったかなぁ』

 

 そう言いながら顎を指の腹で叩いた少女は、這い蹲る隼人に顔を覗かせると、悪戯を思いついた子どもの様な、パッと華やいだ笑みを浮かべる。

 

『じゃ、ここで思い出させてあげよっか! あなたが本当に憎んでるものの事も一緒にね』

 

 そう言って、隼人が這っていく先に二歩三歩、ステップを踏んで先行した少女は、見た目相応の可愛らしげな笑みを浮かべると、軽く指を鳴らす。

 

 匍匐する手を止めた彼の脳裏に過ぎるのは、九年前の記憶。

 

 テロに遭遇した後の記憶だ。

 

 思い出す事すらしなかった記憶が、破れた水袋の様に彼の頭の中に流れてくる。

 

 重くなる意識に気を失った隼人は真っ暗な空間で目を覚ました。

 

「ここは……」

 

『レディース! エンド! ジェントルメン! ようこそ、スレイヴ劇場へ!』

 

 身構えた隼人の前を可憐に舞う少女は無垢な笑みを浮かべて、彼女が言う所の劇場であるらしい真っ暗な空間を手で指す様に、くるくると回った。

 

 そして、急に回転を止めた彼女は、いまいち状況を掴めていない隼人と向き合い、軽く手を叩くと薄暗いダイニングに空間は変化し、少女の姿が見えなくなる。

 

「ここは……」

 

『あなたが暮らしていた家。父方の祖父母の家』

 

 やけに静かなダイニングを歩いた隼人は、いつの間にかダイニングテーブルに腰かけていた少女を睨むと、ガタン、と言う物音に身構えた。

 

 音源であるらしい階段の方に移動し、二階へ通ずる道を覗き込むと、幼い少年が階段を転がり落ち、反射的に避けた隼人は少年を追う様に誰かが下りて来るのに気付いて、顔を上げた。

 

 血に塗れた狩猟用の武器を手に、ダイニングの床に倒れた少年を見下ろす人物の顔を見た隼人は、目を見開く。

 

「爺さん……?! 婆さん……?!」

 

 返り血を浴び、目を虚ろに濁らせた祖父母に視線を流した隼人は、まさか、と幼い少年の顔を見る。

 

「小学生の頃の俺……」

 

 落下の痛みに呻き、切り傷や打撲で身動きが取れない全身を動かす幼い頃の自分は、祖父母を見上げて叫ぶ。

 

「爺ちゃん……婆ちゃん……何で、俺を殺そうとするんだよ!」

 

 恐怖からなのか、絶望からなのか、泣きながら叫んだ自分に隼人の胸は貫かれる。

 

「ワシ等にとって、お前は邪魔なんじゃよ! 不幸をもたらす疫病神めが!」

 

「そうじゃ、お前さんがいるせいで、知り合いが寄り付かなくなった! 老後の楽しみも何もかも、お前さんは全てぶち壊したんじゃ!」

 

 二人からの罵倒を受け、後退る幼い隼人は絶望に暮れた目を二人に向けていた。

 

 自分を愛していたのではないのか、と。

 

 あの虐殺から生き延び、傷を負った自分を受け入れてくれるのではないのかと。

 

 どうして、世界はこんなにも自分を拒絶するのかと。

 

 第三者の目線で見ながらも、隼人の心には幼い自分の感情が流れていた。

 

「お前さんなんか、死んでおれば良かったんじゃ!」

 

 足を踏みつけ、拳銃を引き抜いた祖父の罵倒。

 

 死んでいれば良かった、生きて帰るな、世界に存在するな。

 

 あの地獄から生き延びてもまだ地獄は無数にあった。

 

(そうか、俺が生きてる世界は、こんな物だったのか。爺さんも、婆さんも、こんな世界に縛られるから俺を殺そうとしているんだ)

 

 理性すら、狂っていく。

 

(すべてを、正常にしよう)

 

 幼い自身を見つめていた隼人の根底を、流れ込んだ狂気が上塗りする。

 

 膝を突き、記憶の中の物体をすり抜けて蹲った隼人は、狂気に満ち溢れた笑みを浮かべる。

 

『あなたの根底、あなたの理念、封じてたものを思い出したかしら? あっはははは! 良い破滅、良い狂気! あなたは私にとって最高のパートナーね!』

 

 蹲る彼の周囲で楽しそうに舞い踊りながら、狂気に満ちた笑みを浮かべた少女は、幼い隼人の傍にしゃがみ込む。

 

『さあ、昔のあなたはどんな選択肢を選ぶのかしら』

 

 そう言って少女は幼い隼人にふうっと甘い吐息を吹きかける。

 

 その眼前に拳銃を突きつけた祖父は、ニヤリと笑った幼い自分から後退り、銃口を向ける。

 

「な、何じゃ。何が可笑しいんじゃ!?」

 

 そう言いながら発砲した祖父だったが、狙いは大きく逸れ隼人の右頬を浅く裂くのみに終わり、立ち上がりながらその傷をなじった幼い隼人は含み笑いを漏らしつつ、包丁を手に取った。

 

「可笑しいのはこの世界だよ、爺ちゃん。俺を受け入れない、この世界。笑えるくらいに、狂ってる!」

 

 そう言って目を赤く染めた幼い隼人は怯える老夫婦に歩み寄りながら話を続ける。

 

「死んでれば良かった? いなきゃ良かった? あんな地獄を見た事もねえくせによくもそんな事言えるよなァ。狂ってるぜ、アンタら。きっと世界に毒されたせいだなァ」

 

『ふふふっ、そうそう。狂ってるのはお爺ちゃん達、そしてあなたはそれを救える武器を持ってる。世界の毒で腐っちゃう前に、あの世に出荷してあげなよ。やり方は私が教えてあげるから』

 

「そうか。じゃあ、血抜きの時間だぜ、爺さん。あの世に行く前に腐ると困るからなァ。ハハハッ」

 

 そう言って笑った隼人が飛びかかり、恐怖に呑まれて引き金を引いた祖父の動脈に刃を突き立てた隼人は、ショック死した祖父の体が崩れ落ちたのを確認すると、掻っ切る様に、包丁を引き抜いた。

 

 どくどくと赤黒い血が広がり、それを見下ろした隼人はニヤリと笑い、鉈を手に怯える祖母の方へ向く。

 

「婆ちゃん」

 

「な、何じゃ!?」

 

「脳みそぶち撒くけど許してくれ」

 

 火薬の炸裂音、脳漿をぶち撒いた祖母の体から力が抜け、額に赤い一点を生んだ体が床に倒れ込む。

 

 ミンチ上の脳みそが流れる血液に乗って床を這い、フローリングの溝に流れていく。

 

 静かになった家。元の日常に戻った家に狂った笑みを浮かべた隼人は硝煙の匂いを宙に浮かばせる拳銃を見下ろすと、ノイズの様に走った記憶に膝を突く。

 

 テロの際、至近で男を射殺した時の記憶を思い出した彼は、二度と味わう事が無かったはずの感覚に跪き、笑いながら胃の中の物を吐き出すと、震える手から拳銃を手放した。

 

「俺、は……あの時と同じ……。ハ、ハハハッ。もう、戻れないんだ、俺に正常なんてもう、どこにもないんだ」

 

 狂気と人間性が混じり合い、平然と射殺できる拳銃への恐怖を思い出した幼い隼人の姿は、引き攣った笑いと共に暗い空間に溶けていく。

 

 幼い自分の感情が流れ込んだ隼人もまた、引き攣った笑みを浮かべながらも、昨日までの自分が保っていた正気が感情を拒絶していた。

 

『これで思い出せた? あなたが憎んでいたのはこの世界。あなたを拒絶する世界そのもの。昨日の仲間もこの事を知ったらあなたを殺しに来るかもねぇ!

ねえ、あんなあなたの苦しみも知らない連中との仲良しごっこは止めて、私と手を組みましょう? どうせ皆、あなたを拒絶するんだもの、それが良いわ』

 

 苦しみ、笑う隼人の肩に凭れかかった少女は、彼の顔を覗き込みながら微笑む。

 

『手を組んでどうするかって? 決まってるじゃない、世界を壊すのよ。一度狂った世界をリセットして、正常な世界に戻す。この世に氾濫した世界秩序や思想なんかも全部、焼き尽くしてしまえばいいわ。

楽しいわよ、法も秩序も何もかも失えば争う事を忘れた人々は元の野蛮で、好戦的な原初の姿に戻る。聖人君子も元は野蛮人だったんだから、正しい行いよね!』

 

 そう言って両手を広げ、楽しそうに語る少女は、徐に顔を上げた隼人ににっこり笑う。

 

『そうなれば、もうあなたは狂った人間だって思われなくなる。さ、立って。一緒に世界を、この世界に生きている人々を殺しましょう』

 

 手を差し伸べた少女に、隼人は頷いてその手を取ると、彼女は赤黒く光る空に彼の体を引き上げた。


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