「詩織、いいか? よく聞け。お前はまだ束に振られてはいない」
「何を、言っているんですか? 私はもう、振られました。それはちゃんと自分のこの耳で聞きました。どう聞いても振られました。ぐすっ、いくらお姉ちゃんでも事実を歪曲してまで慰めるなら本気で怒ります!」
私はちゃんとこの耳で束さんから無理だって言われたのはちゃんと聞いたのだ。お姉ちゃんが言っていることが事実ならばうれしい。でも、聞き間違いなんて絶対にない。無理だと言われた。
だから、そういうおかしな慰めはしてほしくはなかった。
どうせしてくれるのならば、ただ無言で私を抱きしめたりするだけがよかった。
「いや、本当にそうではない。まだ束はお前を振っていない。あれは今答えるのが無理、という意味だったんだ。決してお前を振ったわけではない」
「そう言われればそう聞こえますけど、でも……」
本当は疑いたくはないのだが、私は振られたとして受け取ってしまったために、それは慰めだとか、都合のいいものだとか思ってしまうのだ。
「おい、束。お前の口から説明しろ」
「わ、私が!?」
「当たり前だ。この問題はお前と詩織の問題だ。それに詩織はお前の言葉でこうなっているんだ。詩織の泣く姿が見たくないならば、せめて詩織の勘違いを正してからにしろ。今のままでは任されても無理だ」
「うぐぐぅ、分かったよ」
今度はわざわざ私を抱えるのをお姉ちゃんから束さんへ移された。
私は今、束さんに抱えられている。
「えっと、さっきのは、その、君の告白に対する答えじゃないからね。さっきの無理は今答えることが無理ってことだから」
「本当ですか? 本当に私はまだ?」
「本当の本当。私はまだ振っていないよ。ちーちゃんが言っていたように本当に今は答えられないって意味だったの。だから、その、そんなに悲しい顔をしないでくれるとうれしいんだけど」
束さんは私に向かって顔をやや赤くして言った。
それでようやく私は束さんの言葉を信じることができた。先ほどの言葉は本当に答えではないと。
すると自分が恥ずかしくなる。
束さんの言い方が悪かったというのもあるが、私は勘違いをして二人の前でみっともなく泣いてしまった。しかも、現在進行形だが、私はショックで倒れそうになり、二人に抱きしめられた。
いや、うれしいことはうれしい。二人とも私にとって本当に特別な人たちだからだ。そんな二人に抱きしめられるのは幸せ以外の何ものでもない。
しかし、幸せなのだが、こうなった過程を振り返ると恥ずかしいのだ。
なのでこの幸せな状態から今すぐにでも抜け出したかった。
「こちらこそ、そのなんか私が勘違いしてしまってすみません。あの、倒れそうになったところを受け止めてありがとうございます」
「ううん、別にいいよ! 気にしないで気にしないで!
振られていないってことで私は復活する。
そろそろこの抱きしめられた状態のままというのは悪いかな。
そう思い、束さんの腕から抜け出そうとする。
そこでハプニングが起きた。
私が起き上がろうとしたが、まだ緊張が残っていたのか、途中で崩れ落ちてしまった。私は倒れそうになったが、再び束さんがぎゅっと強く抱きしめてそれを阻止してくれた。
しかもぎゅっと抱きしめられたので、うん、とても幸せな気分になる。
「……お前もよくやるな。まさか巧妙に詩織を――」
「わあああっ!! な、何を言っているのかな? 私はただ倒れかけたのを受け止めただけだよ。それを私が合気を使って転ぶようにして、うまく抱きしめれるようにしたみたいに言わないでくれるかな」
「はあ……今日のお前はお前らしくないぞ。詩織に会ってからというものの、何度失態を犯すんだ」
「へっ? 何がかな?」
「私はまだ何も言っていない。言う前にお前が遮った。なのにその遮った部分をなぜわざわざ自分から晒したんだ」
「うん? う~ん、はっ!? し、しまった!! 自分から暴露しちゃうなんて!!」
今は答えられないって言ったけど、もし次の機会で振られなければ、今みたいにぎゅって抱きしめてもらいたい。いや、それだけじゃなくてただ抱きしめられるのではなく、逆にこっちから束さんを抱きしめたい。
年上とか立場とかそういう話になると、こちらから抱きしめるというのは間違いのようなものになるのだが、恋人同士になればそうではない。恋人はそういうスキンシップをするものなのだ。自分の愛を伝えるためにするのだ。
そこに立場などはないのだ。恋人同士という対等ともいえる関係のみ。
だから、こちらからしていい。していいはずだ。
「まさか、こんなアニメでしかないようなことを言うやつが本当にいるとは思わなかったぞ。そして、それをするやつがまさかお前だったとは……」
「わ、私だって自分がこんなふうなことをするとは思ってもいなかったよ!」
「……わざとじゃないのか? どう考えてもそうとしか思えん」
「いやいやいや! さすがの束さんもこんな間抜けなことをわざとしないよ!!」
にしても私の目の前というか軽く顔に触れている束さんの胸は妹である箒に負けず劣らずの大きさだ。箒は結構巨乳でクラス、いや、学年でも上位に入る大きさなのだ。それと同じ大きさというのはやはり遺伝なのだろうか。
女として簪のようにコンプレックスは受けたりはしない。ついつい簪を小さいほうの例として出してしまうが、私の胸は簪よりも大きく箒よりも小さい。より正確に表すならばセシリアくらいと言ったほうがいいか。
まあ、標準というところだ。私は大きさではなく形で勝負だからね。そう言う意味で胸に関するコンプレックスはない。
目の前のそれを見ていると私は下心が働いて自然に、そう自然を装って顔をその胸に押し付けた。
私の顔にやわらかく、そして温かいもの、束さんの胸を感じる。
それは性的興奮を引き起こしもするが、今は母性のようなぬくもりを与えるものであった。
いつもだったらエッチなことを悪戯代わりにやっていたのだが、その気もなかった。ただ単にこの胸に包まれたいという、エッチな意味ではない、幼い子の気持ちしかおきなかった。もっと言うならば甘えたくなったのだ。
「ところで、束。お前は何を詩織の顔に押し付けているのだ? うん?」
「いや、待って!! うん、確かに顔に私のおっぱいが当たっているよ。でもね、信じて。私は自分から当てたんじゃない。抱きしめたときにちょっと当たっていたかもしれないけど、こんなにはなかったよ。うん、なかった。だからね、その、私じゃなくてこの子自身からやったんじゃないかな。だから私は無実。悪くないし、怒られない。一応聞くけどこの子が好きなのって女の子だけ? 男の子は?」
「……詩織は男を見るように努力をしていたが、結局女のほうしか好きになれなかったと言っていた。だから、男に対してはそういう感情は抱かないようだ」
「つまり、それってエッチな気分になる相手も女の子ってことにならない?」
「……おそらくな」
「じゃあ、この子が自分から私のおっぱいに押し付けてもおかしくないじゃない? だから、私のせいじゃないの。これでOK?」
私の前世を合わせると、えっと、どのくらいかな? 正直、途中で歳を数えるのが面倒で曖昧だ。多分百を答えているかな? とりあえず合わせて百歳だ。
その年齢、いや、その経験を持っているはずだが、このような状態では子どものように、子どもになりたいと思ってしまうのは仕方ない。
もし恋人になったら、子どものように扱ってもらいたい。あっ、もちろんプレイ的な話だ。そういう意味でだ。さすがにずっとではもう恋人関係ではない。ただの親子だ。
私にはまだぴんぴんとしている両親がいるので、それはダメかな。いや、この言い方だと死んだらいいよみたいになる。
とにかく、するとしてもプレイでだ。
「いや、ダメだな。ならばなぜ気づいたときに離れない? やはり詩織にそういうことをされるのは嫌じゃないんだな。むしろ好きなほうか?」
「な、何を言っているのかな? こ、この天才束さんが初対面の子にこんなことをされるのが好き? は、はははっ、お、面白いことを言うね!」
「それは私の台詞だ、束。お前こそ面白いことを言う。その初対面の詩織にお前はいつものお前らしさをぶらされているぞ?」
「うるさいっ」
「にしても、詩織はこの話を聞いているはずなのだが、何も反応しないな」
「えっ!? じゃ、じゃあ、この話って聞かれていたの!?」
「当たり前だろう。むしろなんでその距離で聞かれてないって思った?」
「うう、恥ずかしい!!」
「まあ、このうれしそうな顔を見ると話など聞こえてはいるが、頭には全く入っていないようだがな」
「ほ、本当?」
「ああ、おそらくな。見ろ、顔を。幸せそうな顔をしている」
「いや、自分のおっぱいで見えないんだけど」
私は束さんのこのぬくもりがずっとほしいと思っている。
それが叶うのはやはり恋人関係が一番なのだろう。たとえ振られなくて知り合いとかから始めるとしても、結局恋人にならなければ同じ温もりは味わえないと思っている。
だってこの密着はあきらかに知り合い程度ではない。恋人の距離だ。
いや、今も恋人じゃないけどこれは例外だ。
束さんに私のことを好きになってほしいのだが、今よく考えれば束さんは世界中が探している人だ。束さんは見つかりたくはない。
つまり、例え知り合いからになってどう頑張っても、そもそも束さんと会う機会はなく、それが意味するところは短い時間で束さんが私を好きにさせないといけないということだ。
それはもちろんのこと難しい。だって人の気持ちを変えるということだもん。
私のハーレムという夢を変えることが困難のようにこれもまた困難だ。
「さて、束。そろそろ詩織を元に戻せ」
「どうやって?」
「単純に引き離せばいい。それで戻る」
「本当?」
「今の状態はお前に接触しているせいだろう。ならばその接触を断てばいい。それだけだ」
「そうだけど……」
「なんだ、名残惜しいのか? やっぱり詩織に気があるのか? あるならばもう言ってしまえ。そっちのほうが詩織のためだ」
「ち、違う!! 決してこの子に気なんて……!」
「そんなに必死になるな。否定するなら否定するで、せめていつものお前で否定してくれ。今のお前ではただ照れているようにしか見えん」
「う、ううっ……いつも通りにできない……」
私が束さんのぬくもりに浸っていたところ、束さんの手によって終わりを迎えた。
そうなると私と束さんの視線が交差する。つまり見つめ合った状態だ。
やはり恥ずかしい。
「あの、支えてくれてありがとうございます」
遅くなったが礼をする。
「えっ、いや、礼なんていいよ。うん、礼なんてね」
「そうだ。こいつに礼なんていらん。特に今回のはな」
「むう~ひどいな」
私は二人が仲良くしている間に自分の足で立つ。
服は微妙に汚れているので手で払った。
「じゃあ、その、私はもう帰るから」
束さんはチラチラと何度も私を見ながらそう言った。
今は答えを出すことができないと言ったので束さんは帰ることとなる。答えがもらえるのはいつか分からない予定のない日だ。次に会えるのは二ヵ月後なんてありえる。いや、年単位かもしれない。
だから、束さんが帰ろうとするのを引き止めた。
「あの!」
「ん? 何かな?」
「いつ……いつ会えますか?」
「う~ん、それは分からないね」
「そうですか……」
本人の目の前だが落ち込んでしまう。
すると束さんは私に優しく微笑んだ。
「そんなに落ち込まないで。もちろん私は君に返事をするから。予定はわかんないけど、近いうちにね」
そう言って私を慰めてくれた。
そう言われたので私はその言葉を信じるしかなかった。だから、頷いて返事をする。
「じゃあ、二人ともまたね」
束さんは無邪気に私たちに向かって大きく手を振りロケットのようなものに乗り込んで、世界中の誰もが見つけることができない場所へと帰った。
私はその場に膝を着く。
「おい、詩織。どうした?」
異変と取ったお姉ちゃんが私の肩に手を回す。
「大丈夫です。ただ色々とありすぎて、それが終わって力が抜けただけです」
今日の出来事は本当に私の人生の中でも一番と言ってもいいほどのことばかりだった。
会えると思ってはいなかった初恋の人に会い、その初恋の人に告白し、初恋の人の言葉を勘違いしたり、初恋の人に抱きしめられ、初恋の人に慰められ、色々とあった。結局答えはもらえなかったけど。
これだけのことがあって疲労がドッと襲ってきたというわけだ。
「そうだったな。お前にとっては初恋の人への告白だったからな」
「はい。でも、まさかこのような展開になるとは思いませんでした。てっきり告白して答えがもらえて、本来なら今頃は恋人になれたことを喜んでいるか、振られて泣きじゃくっているって思っていましたから。まさかどちらでもないなんて……」
「今日のことは後悔しているのか?」
「後悔? いえ、後悔なんてしてないです。今日返事をもらえなかったのは残念ですが、うれしいこともたくさんありました。後悔なんてしません」
今日の束さんへの告白以外で多くのものを得た。
それは先に述べたもの以外にも、お姉ちゃんと二人きりでドライブとか、お姉ちゃんが義理のお姉ちゃんになったりとか、お姉ちゃんとご飯を食べたりとか、色々とあった。
「そうか。よかった。さて、我々も帰ろうか」
「はい」
私たちは帰るために車へと向かった。