「……すまない」
箒が申し訳ないように謝った。
「謝らないで! 私を振ったことを謝らないで!」
「す、すまない」
「……しばらくこのままにして」
「分かった」
「ありが……とう、ぐすっ」
私は箒に抱きしめられながら声を押し殺しながら泣き続ける。
箒はただじっと抱きしめて、時折私の背中をさすってくれた。
私は失恋からの心の傷を負ったということもあって、昼休み終了のチャイムが鳴るまで抱き合った状態でいた。おかげで私の心もある程度は癒えて、ちゃんと心の整理も付いた。
「もう、時間だな」
「……ええ」
「もう教室へ戻らなければ」
「そうね」
「なら……放してくれないか? 動けないんだが」
「もうちょっと」
「いやしかしな。これでは授業に遅れるぞ? いいのか?」
箒はそう言うのだが、言葉とは裏腹に私の頭や背中を撫で続けている。それが箒の無意識のうちなのかは分からない。
私はその心地よさに身を任せるだけだ。
「授業なんて……どうでもいい」
箒にこうされることと授業を比べれば、授業などどうでもいい。私はもう大学までの授業は習得した身だ。さらにISに関する知識も十分も習得している。だから授業をサボっても問題ない。
「そういうわけにはいかない。私たちは学生なんだ。それにサボったりなんてしてみろ。織斑先生に怒られるぞ」
「うっ、それは勘弁してほしい」
正直、千冬さんに怒られるのは嫌だ。それは怒られるということが怖いからという理由じゃない。憧れの人に私という人物がそういうやつなんだって失望されるのが怖いのだ。
憧れの人に失望されないためにも私は渋々自ら箒から離れた。
……名残惜しい。だが、もうお終いにしなければ。
しかしこれから先は箒にこうやって抱きつくことは決して無理だろう。今回は慰めということで抱きつけたのだ。これからはそういう対象ではなく、友人として過ごす。もう抱きつくことはできない。
「ありがとうね、箒」
「いや、いい。それよりも早く行くぞ。あと数分で授業の鐘が鳴るぞ。急ぐぞ」
「急ぎましょう」
私たちは急いで片づけをして、教室へと全力で戻った。
私たちは結果としてなんとかチャイムと同時に戻ることができた。
そして、日は過ぎて一夏とセシリアと戦うあの日の前日となった。
相変わらず私はただ簪と一緒に昼食を食べたり、一緒にお風呂に入ったり、アニメを見たり、簪の手伝いをしたりして過ごしていた。
一夏がやっているようなことは全くやっていない。
でも、私は全く焦ることはなかった。焦ることはなかったが、私は別のことで焦っていた。
それは簪だ。
どういうわけか今朝から簪の私に対しての行動がおかしいのだ。
朝起きて簪におはようと言えば、なぜか頬をほんのりと染めたり、朝食のときも口元に付いたご飯粒を取ったら、顔を真っ赤にしていたし、昼食のときもいつも通りあ~んをしていたら、まるで初めてしたときのような反応を示していたのだ。
おかしい。おかしすぎる。これからの行動はもうすでに見られないものだからだ。確かに簪は最初こそは恥ずかしがっていたが、適応力が高いのか次からはほとんど恥ずかしがらなかったのだ。
なのに今更恥ずかしがる。これには何か理由があるはずである。
少なくとも寝る前までは普通だったのだ。この寝ている間に何かがあったのだ。
それが私には全く分からない。
私が寝ぼけて何かをした可能性が否めない。
もし私が何かをしたならば、な、何をしたんだろう。嫌われていないということから少なくとも簪を痛めつけるようなことはしていないはずだ。
「月山さん、お帰りですか?」
考えていると道中でクラスメイトの一人とすれ違い、話しかけてきた。
「ええ、そうよ。あなたは部活かしら?」
「はい、そうです。部活です」
「がんばりなさいよ」
「はい!」
クラスメイトは元気よく返事をした。
「ところで隣の方は?」
私の隣にいるのは簪だ。いつもはクラスが違うということでバラバラに帰るのだが、今回はたまたま一緒に帰ることになったのだ。
「私のルームメイトよ」
簪は軽く頭を下げるだけだ。
「まあ! そうですか!」
その後しばらくその子と話をして、別れた。
私が話している間は簪は黙ったままだった。
「ねえ」
再び歩き出してしばらくして、黙っていた簪が声をかけてきた。
「なに?」
周りには誰もいないので生徒会長モードは解除だ。
「いつも思うけど……やっぱり不思議」
「なにが?」
「さっきの姿と……今の姿」
そう言われて私は自分の姿を見る。
うん、いつも通りの制服だよね。さっきと今を比べても同じだ。一瞬で変わったりなんてしていない。
「変なとこがある?」
私は体だけを回して、簪に背中などが見えるようにした。
「違う。外見じゃ……ない。しゃべり方」
そう言われてピンときた。
「ああ、それか」
「それ」
「それのどこが不思議なの? 簪にはもう話しているし、不思議じゃないと思うんだけど」
「そういう意味じゃない。雰囲気……のこと」
「雰囲気?」
しゃべり方とかならともかく、雰囲気という外見は分からない。それも他人から見るものでないと分からないもの。
う~ん、私じゃ分からない。聞くしかないな。
「どう違うの?」
「さっきは……大人びた、というよりも……大人の雰囲気、だった。今は、違う。子どもの雰囲気」
「ん~つまり?」
「まるで別人みたい、ということ」
「別人?」
そう言われると確かに私の素と生徒会長モードは全く反対の性格のようなものである。それを別人と言い換えてもいいだろう。
でも、私としてはただ口調を変えているというだけという意識しかない。どうやら性格的な意味でも無意識に変わっていたようだ。
「だから……不思議。詩織は……二重人格?」
「違うよ。私は私だけだよ。他に私はいない。ただの演技ってやつ」
「……そう」
簪とはいつものように話せる。うん、そこまではいいのだ。だが、私がもっともしたことの一つである、接触になると簪はいつもはなんともないのに、今朝から近づいても距離を取って近づかせてくれないのだ。
現に今だって半歩近づいただけなのに近づいた距離だけ離れるのだ。
正直、嫌われていないって分かっていても泣きたい気分になる。
「それよりもさ。手、繋いでいい?」
「ダメ」
即答された。
な、なんで……。いつもは聞いたら返事もせずに私の手を取ってくれるのに!
私は思わずじっと睨むように簪を見つめた。
だが、簪は私の視線を気にせずに進んでいく。
むう~簪! なんでなの!
これは絶対に簪から聞かなければ!
だが、無理やり聞いて大丈夫だろうか。嫌われないだろうか。
そういう思いが湧き上がってきて聞くことを躊躇われる。
結局私は聞くことができなかった。
そして、私は複雑な気持ちを抱えたまま簪と一緒に夕食を食べたり、風呂に入ったりした。それらが終わった後は例の作業をした。
だが、私は作業に集中できなかった。ずっと簪が気になって集中できなかったのだ。
だから打ち間違いはなくてもそのスピードはいつもよりも遅かった。
「ねえ」
ふと簪が声をかけてきた。
「……なに?」
私は元気のない返事をした。
「詩織は……私のこと、好きなの?」
簪は顔をディスプレイに向けたまま、いつもどおり淡々と言った。
簪が口を開いて発せられた言葉に思わず頭が真っ白になる。
え、えっ? な、何? 簪は何と言った?
私は簪の言葉を思い出す。
簪が言ったのは『私のこと好きなの?』だった。
その言葉が余計に私に嫌な汗をかかせる。
ま、まさか私が簪のことを好きだってばれた!?
そう思うのは簪が『好き?』と好意の有無を聞くのだが、簪は『好きなの?』という私の好意を知っていてそれの確認をするかのような聞き方だったからだ。
ま、待て! きっとそうじゃないはず。簪はまだ普通の女の子だ。きっとこの好きは友人としての好きなのだ。それを確認しているのだ。
でも、そうだとしたらなぜそれを聞くのだろうか。私たちは友人である。そして、私が簪に気を許していることを知っているはずだ。聞かなくていいはず。
私は簪の意図が掴めないまま返事をすることにした。
「何を言っているの? 好きだよ」
「それは……どういう意味で?」
「どういう意味って……友人としてよ」
私の内心は非常に焦ったが、動揺せずに何とか言えた。
こ、これってもしかしてやばい状況?
おそらくだが、もし先ほど『異性と同じ好き』なんて言う選択をしていたならば、私と簪の関係は終わっていたのではないだろうか。そう考えると私のした選択は正解と言えるだろう。
私はそう思っていた。だが、簪の求めていた選択ではなかったようだ。
「嘘は……いい」
顔はこちらを見ずにそう言う。
「え、えっ? う、嘘じゃないよ」
「嘘」
断言された。
「私、知ってる」
「な、何を?」
私の鼓動はドクンドクンと激しく鳴る。今までにはないほどの速さだ。それとともに嫌な汗もかいてきた。
「詩織が……結婚したいっていう意味で……好きってこと」
簪はそう言いながらこちらを向いた。
その顔には頬を赤めたりなどしていないいつもの顔があった。
「!! な、何を言っているの? 私が簪のことを結婚したい意味で好き? 私は女の子だよ? そして、簪だって女の子。同性。そういう意味で好きなんてありえないよ」
私は一瞬動揺したが、すぐに冷静さを取り戻し、それを否定した。
ここで私が同性愛者ということを知られるわけにはいかないのだ。ここで簪に嫌われるわけにはいかないのだ。そのためだったらどんな嘘だって付く。
「それに私は一夏のことが好きなの」
……こういう嘘も。
正直言って気分が悪くなる。やばい、吐きそう。やっぱり嘘でも一夏のことを好きなんて言うのは無理だったみたい。
私はそれを悟られないために何とか我慢して隠す。
だが、
「それも嘘」
と断言された。
「詩織は……男が嫌い」
「!!」
「でも、女の子は……好き」
「!!」
簪は淡々と私の嘘を真実へ変えていく。
「詩織、もう一度聞く。嘘は……言わないで。私が欲しいのは……嘘じゃない」
簪の目には力強いものが見える。嘘は許さないという目だ。
おそらくは簪は私が同性愛者だとすでに知っていて、それをあえて私の口から言わせることで完全なものとしようとしているのだろう。
先ほどまでは嘘を付いて誤魔化そうと思っていたが、私を知っている簪によって嘘は封じられている。
私に残された道は一つということだ。
それは素直に私が認めるということだ。
もうそれしか残っていない。
嘘を付いても嫌われる。事実を言っても嫌われる。
もはや私には逃げ道はないのだ。ならばせめて嘘を付かずに本当のことを言って、嫌われたほうがまだいい。
私は覚悟を決めた。
「詩織は……私のことが結婚したい意味で……好きなの?」
「……うん。結婚したいほど……好き」
私はついに言ってしまった。まだ言うつもりではなかったのに言ってしまった。
本当はもっと時間をかけて、いい雰囲気の中で言いたかったのに。
ああ、これで簪はもう無理だね。
簪は狙っていた三人の中で一番仲がよくて、一番私が好意を抱いている人物だった。だから簪が私の候補からはずさざるを得ないのが悔しい。
これでまた一つ私の恋は終わりを告げたことになった。
「いつから?」
簪が聞く。
「ルームメイトになったときから。そのときに簪が好きになったの」
こうなった今だから私は全てを言うことにした。もう別に全部しゃべっても何の問題もないから。
「じゃあ、食べさせるとか言ってのって」
「うん、好きな子とくっつきたかったからね。全部それが目的だったよ」
「そう、だったんだ」
「ごめんね、全部が下心のある不純な動機でやって」
「別に……いい。そんな動機でも……うれしかった、から」
簪はそう言ってくれた。
私の簪の失恋によってできた傷はその言葉で少し塞がったような気がした。
私は単純なのかな。
「……ありがとう」
その礼の意味は先ほどの言葉とこれまでのことに対してのものだ。
礼をいうのは全てを終わらせるためだ。つまり、もう簪に対しての接触を止めることにしたということだ。
それはそうだろう。
もう私の恋は終えて簪とはそういう仲にはなれないのだ。故に下心のある接触は許させず、友人としての最低限度の接触しかできない。
それに簪だってうれしいと言ったのは友人として接触していると思っていたからであって、私がそういう意味で接触していたと知っていたらそうは言わなかったはずだ。きっと今度は接触などしたいとは思わないはずだ。
「もうしないから」
それを告げるために簪に告げる。
簪はこんな私とまだ触れ合わなければならないのかと思っているはずだ。せめて安心だけはさせたい。
そう思っていたのだが、
「? して……くれないの?」
「え? なんで?」
「?」
「え? ええっ?」
なぜかちょっと悲しそうな顔で首を傾げられた。
あれ? 何かすれ違ってる?