今回のエピソードは……「阿良々木君が、なぜ
阿良々木君は他者が思うほど強くは無いです。
阿良々木君は自分で思うほど冷静でもないです。
ただ、
阿良々木君は、[018]で忍野に宣言した通り、深く深く羽川さんをセットのような、あるいは書割のような
もしかしたら、ここで「ガハラさんが原作と同じ立ち位置に並べない」ことが確定してしまったのかもしれません。
羽川家の実態、実情、その
いや、正確には驚くほど冷静に現実を受け止められていた。
「
(ああ、なるほど……そういうことか)
僕が不自然なほどに動じない理由。
この羽川家の「静かなる惨状」を目の当たりにして、その異常さを理解していながら冷静にそれを受け止められるのは、
「そうか……僕は一度、『崩壊した家庭』を見ているからか」
人はどんな悲惨なものにも慣れてしまう。
つまり一度目より二度目の方が
哀しいかなそれが現実だ。
きっとだから、僕はこの「事象だけを抽出するなら在り来たりの悲劇」を、事実として冷静に冷淡に受け止めてしまえるのだろう。
***
育、
僕の大切な幼馴染で、性別を越えた大事な親友。
「男女の間に友情は成立するか?」なんてありきたりな質問に対する僕なりの回答。
友達がいるからこそ人は強くなれることを教えてくれた女の子。
だけど最初からそうじゃなかった。
初めから幼馴染じゃなかった。
育は、ある理由があって阿良々木家に引き取られた。言葉を厳密化するなら「阿良々木家に保護された」が正解だ。
何から保護されたのか?
『実の両親、特に父親からの恒常的な
言うならば育の家は羽川のそれと比べるなら、『テンプレートの家庭崩壊』と言ってよかった。
「父親がDV夫」、その一言で概要を表せる。
別に軽い意味では捉えてはいない。ただより一般的でありきたりだったというだけだ。
育がなんとか僕達にもぎこちないけど微笑んでくれるようになった頃……僕は一度だけ、老倉家に侵入したことがある。
理由は、育が「自分の家であった筈の場所」に置き忘れてきた私物を取りにだったと思う。
既に阿良々木家に馴染んでしまった育にとり、「暴力に支配された
「暴力があることが当たり前」から「暴力がないことが当たり前」の生活環境に慣れてしまった育に家に取りに帰れというのはあまりに酷だ。
だから僕が育に代わり老倉家に侵入し、私物を持ち帰るのは当然と思った。
それでも子供心ながらに人のいない時間を割り出し、そのタイミングを見計らってスニーキング・ミッションを敢行したのはいい判断だと思う。
多分、育から彼女の身のうちを聞いた直後の当時の僕の心情を考えれば……もし老倉夫妻(当時)とエンカウントしてれば、きっと一切の躊躇いなく斬り殺していただろうから。
男親だけでなく母親も区別無く、だ。
少なくとも僕にとって、男親に不条理な暴力を振るわれる娘を「自分が巻き添えで殴られるのが嫌だ」という理由で助けようともせず、また自分が夫に殴られた腹いせに自分も娘を殴るような
僕は今でも忘れない。あの女が育に言った台詞を。
『親は子供を選べない』
僕はその台詞だけは許せなかった。
だから、『退院予定のない病院の
あの女は、育が無理に忘れる必要はないが、ただの過去でいい。
”僕が両目を切り裂いた男”と同様に、育の今と未来には不要なものだ。
それが独りよがりの考えとわかっていても、僕は反省するつもりも悔い改めるつもりも無い。
***
話が少しずれてしまったけど……
結局、僕は老倉夫妻を斬殺するのが嫌だったのではなく、「母親を斬ったことで育が哀しむ」のが嫌でそんな行動をとったのだと思う。
結果から言えばミッションは成功し、僕は
両親には、
『『人様の家に勝手に入るなど不法侵入だ! 馬鹿者!!』』
と鉄拳制裁を喰らいつつ激しく怒られたが、僕は大いに満足していた。
何よりわんわん泣きながら、両親に「暦は悪くないのっ! わたしがわるいの!」って庇ってくれた育が嬉しかった。
本人曰く、
『誰かの為に泣いたのは、初めてかも……』
とのこと。そして、
『あ、あの、ありがとう』
きっとそれは育からの初めてのお礼の言葉。
だから僕は今でもその嬉しさ、誇らしさを鮮明に覚えている。
***
さて、育との少々照れくさい思い出はいいとしても、今僕が引っかかってるのは、その時の風景……老倉家の強烈な印象だった。
一言で言えば、当時の老倉家は”廃墟”だ。
少なくとも登記簿的には、いや生活の痕跡があったから実際に住んでいたんだろうけど……
正直、僕は老倉家へ侵入するのに物理的な意味で苦労はしていない。
柵は壊れ、窓ガラスはあちこちが割れ、どこからでも侵入できた。
家庭内暴力……家がここまで壊れるほどの暴力を、育が日常的に受け続けたと考えるだけで背筋が冷えた。
家の壊れ方が、そのまま家庭の崩壊を目で見える形で具現化してるように見えたことをよく覚えている。
だけど、羽川家は……
「壊れるものが”
そういうことだ。
まがいなりにも、例えほんの短時間であっても……老倉家には崩壊するだけの家庭も家族もあった。
「老倉家とは正反対に……整ってはいるけど、この
ここは生活臭が薄すぎる。
家族がいたという痕跡も、家庭があったという痕跡も希薄すぎる。
そして何より……
「羽川……お前はどこにいるんだ?」
空っぽの部屋に僕の呟きは消えた。
ここには最初から”三人家族”なんてなかった。
ただあるのは、「三人が一緒に住んでいた」という事実だけだ。
強いて言うなら、この羽川家にあったのは家庭ではなく
そしてその中でも、羽川は「
「生と死は僕にとって等価値だからね……」
これはエヴァンゲリオンの台詞だったか?
つまり、羽川夫妻にとって羽川は「いてもいなくても同じ存在」だったのだろう。
いや、むしろそういう風な価値でしか羽川の存在を認められなかったのかもしれない。
育と羽川を比べてどっちが不幸かなんてことを論じる気は無い。
不幸が数値化できない以上、単純な比較はできないだろう。
幸不幸を基準とするなら、常識的に考えて「どっちも不幸」になるだろう。
どっちも虐待には違いない。ただ種類が違うだけだ。
だから心にできる傷の形も変わってくる。
一人一人の資質が違うように、付けられた傷の形も深さもその結果も変わってくるんだ。
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「なんとなく理解してしまった……」
羽川は自分が特別視されることを嫌う。
羽川は自分が「普通である」ことを強調する。
なるほど。
確かにこれは同じ意味だ。
羽川は「普通であることを振舞う」。羽川は「この
こうなれば意味が変わってくる。
羽川翼という少女の本質に近づいてくる。
では、この異常な環境において
決まってる。
「全てを許容できる絶対の指針……即ち”
そう、羽川は”善性”を指針とすることでこの精神的に過酷な環境で自分を維持してきた。
いや「
「自分なりの正しさ」じゃない。「一般的な正しさ」……道徳や美徳と呼ばれるそれを自己という刀を打ち鍛える心材にしてしまったのだ。
前に忍野は羽川と、折れず曲がらず錆もせず刃毀れもしない【絶刀”鉋”】をこう評した。
『なぁ~に。【絶刀”鉋”】が、あんまりにも委員長ちゃんに似合う刀だなぁ~と思ってね』
『どんな劣悪な環境にあっても刀としてあり続ける刀だ。怪異認定は微妙だけど、さながら永久機関のような刀……とても怪異らしいと思わないかい?』
『だからさ……委員長ちゃんの
ああ、本当にお前は一流だよ、忍野。
あの時に、お前は確かに現状をぴたりと言い当てたんだ。
「人としての正しさの一般解=善人=自分の姿」
世の中にこれほど強靭な方程式はそうはない。
だからこそ、羽川にとって「普通=善」に足りえた。
だけど考えて欲しい。
なぜ、さっきも挙げた道徳や美徳なんて概念があるのだろうか?
ましてや、なんでわざわざ”道徳”なんて本来なら概念以上のものではないものまで学校教育に取り入れられてるのか?
なぜならそれは、機会を作り「《学ぶ》、もしくは《理解》する必要なもの」だからだ。
逆説的に言えば、人間が生来持っていない資質だからこそ憧れ、「人はこうであるべき」と考え学び、理解する余地がある。
現実では実行できないからこそ、手が届かないからこそ、そこに価値を……いや、輝きを見出す。
「だけど羽川は呼吸するように
だが、羽川だって人間だ。いや、人間
本来の資質にないものを取り込み、それを自己の核として……行動原理とするなら”
(何に対する”歪み”だ?)
「決まってる。”
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僕は羽川家を後にする。
「現実に対する歪み……その歪みの是正か」
マウンテンバイクをこぎながら、僕はそう独りごちる。
「
ああ、まずいな。
これはとてもまずい情況だ。
この認識が正しいのかわからない。
だが、不思議と大きく外れてない気がした。
羽川の巨大すぎるポテンシャルが故に実現してしまった「人では不可能な”
「そりゃ怪異にもなるさ」
本来、人が持ち続けられる代物じゃない以上は。
人の括りや枠組みだって逸脱したくなるだろう。
人の身でどうにかできないなら、「
「だけど、本当にまずい……」
怪異になってしまった羽川……
歪みをおそらくは決壊させ、その歪みの大きさゆえに人から外れてしまった羽川……
でも、
「だからこそ羽川を、前よりもっとずっと近くに感じられるよ……」
まいった。
「ますます惚れてしまいそうだ」
皆様、ご愛読ありがとうございました。
少しだけネタバレ、あるいは解説のご容赦を。
今回の[019]をもって、阿良々木君の羽川さんに対する想いは完全に原作と乖離しました。
猫物語(白)で、羽川翼は「阿良々木君はあたかも歴史上の聖人の様に自分を語る」と評してましたが、”この世界”の阿良々木君は本質的に真逆の想いに至りました。
曰く、
『異常な環境の中で普通でいようと頑張り、それで逆に普通でいられなくなり善という歪みを抱えた
です。
阿良々木暦にとって羽川翼は、聖人でも聖母でもなく、普通じゃなくても「女の子」なんです。
だからきっと惚れることもできたのではないのでしょうか?
願わくば、こんな……原作よりも泥臭く生きることを望むような阿良々木暦君が、皆様に受け入れていただければ幸いです。
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!