真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第048話 反菫卓連合軍 洛陽戦後処理編⑦

 

 

 

 

 

 

 

 戦争、大火、そして復興。住民にとって激動の時も過ぎ、帝都洛陽に漸く日常が戻ってきた。大火の被害を受けた区画は連合軍と地元大工の突貫工事で災害前の姿を取り戻している。帝都と言っても全ての住民が華やかな暮らしをしている訳ではない。大火の被害にあった中には決して裕福とは言えない暮らしをしている者たちもいたが、そういう者たちに連合軍の復興作業は実に好評だった。大火前よりも住居の質が良くなったからである。

 

 これは別に連合軍の温情という訳でもない。連合軍の兵は一刀団以外その全てが去ったが、情報収集及び流言を担当する者たちの仕事は、ここからが本番だ。戦が本格化するのであれば世論の向きはバカにできたものではない。世論の流れを操作するには実に金がかかって骨が折れると去り際に教えてくれた静里の姿を思い出しながら、一刀は目の前の客に向き直った。

 

 身なりの良い紳士である。洛陽で最も大きな劇場の主でそこで活動する劇団の長でもある彼は洛陽の演劇界の事実上の支配者でもあった。その彼が一刀に面会を申し込んできたのが彼以外の連合軍が去った日のこと。復興作業も一段落し郭嘉達が持ち込んでくる仕事に対応するだけだった一刀は、嫌な予感を覚えつつも面会をしてみることにした。

 

 そうして紳士から持ち込まれた案件は、やはり一刀の予想通りのものだった。

 

 巷で話題の講談を本格的大々的に劇場で公演したいのでついてはその許可を求めたいとのことである。脚本などはまだ出来上がっておらず、既存の講談をベースにした演劇になるということしかまだ決まっていないそうであるが、その時点で許可も何もないだろうと一刀は思った。

 

「巷の講談に許可を出した覚えはありません。それを元にするというのであれば、やはり俺の許可は必要ないのでは?」

「長期かつ続編の制作も考えておりますれば、やはり主役である閣下にはお話を通しておかねばならないかと」

 

 閣下ときたかと一刀は心中で苦笑を浮かべる。件の講談で有名になってから一刀への面会は後を絶たない。大抵は物見遊山の延長であることが多いので、郭嘉がチェックして弾いてくれているのだが、それはつまり面会が通ったということは少なからず受けて置いた方が良いだろうと郭嘉が判断したことが伺える。

 

 個人的には自分をモデルにした演劇など御免であるが、今後の成功に世間の評判が大きく関わってくることは、洛陽で活動する噂雀たちの数で察することができる。金もかけず後ろ暗い手段も使わず、ただ許可を出すだけで評判が上がるのであれば受けない理由はないということなのだろう。

 

 講談に台詞があるのは一刀と思春がほとんどで、後は敵役の呂布が少々と一刀本人以外は団の誰もダメージを受けないのも、フットワークが軽い所以であると思っている。自分以外が主役になった暁には精々からかい倒してやろうと心に決めつつ、一刀は営業用の笑みを浮かべる。

 

「若輩者故自分の名が連呼されるのは聊かこそばゆい思いではありますが、俺などにはもったいないお話です。出立が近い故大した手助けはできませんが、こちらからも是非お願いします」

「ありがとうございます! 団員たちも喜ぶことでしょう」

「許可の対価という訳ではありませんが、俺が演劇を拝見する際劇場で一番良い席をご用意いただきたい。お願いできますか?」

「劇場貸し切り。劇団員総出でのお迎えを約束いたします」

 

 ほくほく顔で足早に帰る劇場主が見えなくなるまで閣下の顔で見送ってから、一刀はうんざりしきった視線を郭嘉に向ける。

 

「噂雀さんたちの力でこの流行を下火にできないもんかな」

「名声には有象無象の付帯があるものです。我慢してください」

「郭嘉も町を歩く子供たちが自分の真似をしてるのを見たら同じ気持ちになると思うよ」

「貴殿をお支えする立場で良かったと心の底から思っている所です」

 

 にやにや笑う郭嘉が実に憎らしい。自分はそう簡単にはそういう立場にならないと理解しているからこその余裕が垣間見える。どうにかして一泡吹かせられないかと思うが、自分が言い争いで勝てるくらいなら彼女は軍師などしていない。弁が立つ仲間というのも考え物だなと途方に暮れていると、だんちょーと団員の呼ぶ声がした。

 

「今度はなんだ。紙芝居か幸運のお守りか木彫り人形か。木彫り人形は今なら郭嘉人形も付くからお得だぞ」

「付きませんよ。巻き込まないでください」

「それが……団長に客です」

「具体的に話しなさい」

「それが身分を明かさないもんで。えー、黒髪、女、十代、太史慈よりはいくらか下でしょうかね。身なりは良いですが派手ではありません。成り上がりではなさそうですな」

「少女が一人で来たんですか?」

「馬車を横づけしてありますが外で一人でお待ちです。洛陽で一番のお友達が会いに来たと団長に伝えてくれと」

「ああ、誰か分かった。ありがとう。後は俺が対応するよ」

 

 団員を帰し椅子の上で伸びをする。午後の予定をぼんやりと思い浮かべながら、一刀は郭嘉を見た。視線を受けて郭嘉はじっと一刀を見返してくる。予定を管理しているのは郭嘉であるから一刀以上に予定を把握している。先の劇場主のような客はもう来ないが、用事で出払っている幹部が全員戻ってきてからの打ち合わせをする予定だったのだ。

 

 打ち合わせには必ずしも一刀がいる必要はないものの、幹部たちは各々のツテを強化確認するために出払っている。その進捗状況をすり合わせておくのは必要なことであるし、重要な話が分かったのであれば、それはいち早く共有しておく必要がある。個人としても軍師としてもまた今度にしてくれというのが本音だ。

 

 話を聞いている限り訪ねてきたのは友人であるようであるが、自分が知らないのだから一刀が昔洛陽に来た時の知己なのだと察しはついた。以前一週間程洛陽に滞在した彼が荀攸の家に滞在した時、徐庶と供に洛陽を回ったとは聞いているが、他に訪ねてくるような友人がいたとは初耳である。

 

「今日会っておきたいと?」

「もう来てるのに追い返すのもどうかと思わない?」

「既に何人か追い返していますが……まぁそれは良いでしょう。風たちには私の方から言っておきますのであまり遅くならないように。また朝帰りなどしたらどうなるか解っていますね?」

「それはもちろん」

 

 苦笑さえも浮かべず一刀は大真面目な顔をして頷いた。思春とのことで朝帰りした時の空気は思い出したくもない。言い訳などできるはずもない。誰と時間を過ごしていたのかは皆把握していたのだから。大して広くもない部屋でじーっと、幹部四人に無言で見つめられるのは今まで味わったことの中でも一番の苦行だった。既に女になったつもりでいる梨晏が慰めてくれなかったらしばらく立ち直れなかっただろう。

 

「何かお土産でも買ってくるよ」

「なるべく早いお帰りをお待ちしています」

 

 要するにできるだけ早く帰って来いということだ。信用ないなぁと郭嘉に背を向けてから苦笑するが、いきなりの朝帰りをしたばかりなので当然である。さて、と歩きながら身なりを整えて宿の出入り口に向かう。日が差し、洛陽の喧噪が聞こえる外に出ると壁際に一人少女が立っているのが見えた。

 

 夜の帳のような真っ黒の髪は、まっすぐでつややか。日焼けなどしたこともないとでもいうような白い肌には、薄く化粧までしている。それが記憶にあるよりも幾分華やかなのは少女が成長したという証拠だろう。初めて会ってからおおよそ一年と半年。その時もうすぐ十になると言っていたから現代で言えばまだランドセルを背負っているような年齢であるはずだが、子供である幼い少女であると思わせると同時に、大人びていると感じるのはそれだけ立ち振る舞いが洗練されているからだろう。断じて四つは年上のシャンよりは胸があるなとは思ってはいない。

 

「待たせてごめん」

「良いのよ。人を待つのって楽しいのね。普段あんまりしないから新鮮だわ」

 

 あくまでにこにこ微笑む少女に、その言葉が婉曲な『待たされた』という意味だと解釈した一刀は苦笑を浮かべる。

 

「改めて。久しぶりだね伯和。訪ねてきてくれてありがとう」

「お久しぶりね一刀くん。先生から聞いてるわよ。私に何度も会おうとしてくれたって」

「せっかく洛陽に来た訳だしね。伯和の顔は見ておきたかったんだよ」

 

 おきたかったとは言っても今日までその思いが実を結ばなかったのも事実である。会おうとする努力を行動に移せたのはぼんやりと今後の日程が固まってからになったが、時間が取れたという荀攸に彼女の屋敷に会いに行った際に聞いてみたのだ。伯和に会うためにはどうしたら良いのかと。

 

 その言葉を聞いた荀攸は難しい顔をした後『お忙しい方ですから……』と答えるに留めた。荀攸の指導にしても向こうの都合に合わせて行うとのこと。教師の立場をしても面会の要望を出すのにも難儀するとのことで、ましてただの友達では難しいということだった。

 

 それでも会う可能性は彼女の方が高かろうと、先に伯和に会ったら会いたいと言っていたと伝えてくれと伝言を頼んでいたのだが、どうやら荀攸はちゃんと伝えてくれていたらしい。

 

「ゆっくりお話したいけどごめんなさい、時間がないの。馬車に乗ってくれる?」

「日が暮れる前には帰らないといけないんだけど大丈夫か?」

「私は一刀くんと違って良い娘だから心配ないわ。朝帰りなんてさせないから安心して?」

「…………」

「孫呉の甘寧将軍と一夜を共にしたんですって? 脚本(ほん)に深みが出るって大劇場の劇団員たちも大喜びだと聞いているわ」

「……………………」

「あ、もしかして私たちの友情にヒビが入るかもなんて心配してるのかしら。それも大丈夫よ。私くらいの美少女は殿方が殿方であることを否定したりしないんだから」

 

 女遊びをするのが――思春のことが遊びであった訳では断じてないが――当然の男だと、年端もいかない美少女に思われるのは、それはそれで傷つくのである。解ってるんだから、という慈愛に満ちた笑みが心に痛い。

 

「でも私とそういう関係になりたい時はもう少し段階を踏んでくれると嬉しいわ。まずはもっと出世してね? 最低でも州牧くらいにはなってくれないと嫌よ」

「…………がんばるよ。話を戻すけど、どこ行くんだ?」

「それは内緒。でも少しだけ教えてあげる」

 

 

 

 

 

「今の洛陽で、一番一刀くんに会いたいって思ってる女性のところよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この帝国で長安と一二を争う大都市である洛陽と言えど、都市としての構造は他の都市とそう変わるものではない。南にある正門。そこから伸びる大通りに、その中途、あるいは終点にその都市の中枢施設がある。洛陽の場合は宮廷であるが、その周辺と大通り沿いにランクの高い建物が集中し、そこから離れていくにしたがって徐々にランクが下がっていく。

 

 伯和の馬車が向かったのは宮廷にほど近く。正門から見て東側にある高級住宅街だった。荀攸の屋敷は宮廷を挟んでちょうど反対側にある。宮廷の東西に高級住宅街がある形になるがこれもどういう訳かすみ分けができており、官僚の住宅が宮廷の西側、武官の住宅が宮廷の東側となっている。

 

「つまり俺の相手は軍人ってことかな」

「答え合わせを楽しみにしてると良いわよ」

 

 馬車から降り、ある邸宅の前で立ち止まる。荀攸の屋敷も華美な装飾のない家だったが、目の前の屋敷はそれに輪をかけて質素である。屋敷を囲む塀と中に屋敷、以上。外から見た感想はこれだけで塀は地味だし外から見える屋敷も地味だ。随分庭が広々と作ってあり中には木々まであるというのが特徴と言えば特徴であるが、もっと広い屋敷もあれば華美な屋敷もある一帯では埋没する程度のイメージである。

 

「それにしても静かだな。荀攸殿の屋敷の近くでもここまでではなかったのに」

「この一帯は董卓軍の幹部の屋敷が密集してたから、という理由で勅令で封鎖されているのよ。帝室から許可をもらわないと入れないようになっているの」

「そんな所に入れるなんて流石美少女だな」

「それほどでもあるわ」

 

 悪びれもなくふふんと、年齢の割に成長した胸を張る伯和である。頭でも撫でてやろうかと近寄ると、一刀の足元に小さな影が近寄ってきた。品の良い赤い布を首に巻いたコーギー犬と思しき子犬である。相変わらず文明というか文化の成り立ちがよく解らない世界であるが、いるものは仕方がない。

 

 今問題なのは目の前に犬がいることと、その犬がどういう訳か自分に懐いているということである。毛並みの良さから飼い犬だろうが、よそ様の犬とは思えないくらいに人懐っこい。持ち上げて――女の子だった――抱きしめるとぺろぺろ頬を舐めてくる子犬を眺めて、伯和が首を傾げた。

 

「貴女、セキトね?」

 

 伯和の言葉が解るのか、セキトと呼ばれた子犬はわんと小さく吠えた。

 

「会ったことないのに名前が解るのか?」

「こういう犬を飼っているという話を飼い主から聞いたことがあるのよ。それに首の布は私が贈ったものよ」

「なるほど」

 

 わしゃわしゃ撫でると気持ちよさそうに唸ったセキトは、名残惜しそうに地面に降りると振り返った。歩き出すセキトについてこいと言っているのだと判断した一刀は伯和を伴って屋敷の中へと入っていく。

 

 外観が質素であれば内装も質素だった。人が住んでいる気配は辛うじて感じられるが、売り出し中の邸宅と言われても納得できる。微かに厩舎のような臭いがなければ警邏の途中であっても無人と判断しただろう。

 

 伯和は庭をずんずんと進み、中央に立つと声を張り上げた。

 

「恋! 出てらっしゃい!」

 

 おそらく真名と思われる名前。それなりに親しいのだろう。会わせたいのはそのレンさんかなとのんびり待ち構えていると、背後で風が鳴ったような気がした。振り返るとそこに、一刀たちにとっては死を具現化したような女が立っていた。

 

 反射的に剣に手を伸ばしそうになるのを、寸前で堪える。音もなく背後を取れたのだ。殺すつもりであるなら既にそうしている。決して会いたい相手ではなかったが戦闘以外の意思がある人間を前に戦意を示すのは愚策である。戦闘というのは最後の手段。荀彧を始め軍師たちに何度も言われた言葉を思い出しながら、一刀は無理やり笑みを浮かべてみせた。

 

「お久しぶりです、呂布将軍。虎牢関以来ですが俺を覚えておいででしょうか」

「戦場で殺したと思って殺せなかったのはお前が初めて。名前は後で知った。ひさしぶり、かずと」

 

 できれば会いたくはなかったということはおくびにも出さず差し出された手を握り返す。いまだに心臓はバクバクと言っているが威圧感のある炎蓮を相手に大物ムーヴを決め続けて度胸がついたのか、手を離す頃には呂布の容姿を観察する余裕も出てきた。

 

 暗い赤髪に褐色の肌。露出の多い服装にミニスカート。目を引くのは背中一面にあると思しき刺青だろうか。現代日本人らしく一刀も刺青には良いイメージはないが、恋からは刺青をしている人間特有のアウトローな雰囲気は感じられない。

 

(俺が入れてもこうはならないだろうな……)

 

 美少女は得だなと思う瞬間である。

 

(ひじり)も久しぶり」

「私は一刀くんのついで? まぁ良いけど、恋も女の子だものしょうがないわね」

「かずとがそうなの?」

「そうよ。一刀くんが貴女と家族を洛陽から出してくれるわ」

「……先に話を説明してくれないかな」

 

 既に大事になっている上にどうも断ることのできない雰囲気は肌に感じているが、この場で状況についていけていないのは一刀だけである。痛む胃を我慢しながら声を挙げると、呂布は屋敷の奥に向かって手を振った。

 

 その屋敷の奥から、ぞろぞろと動物たちがやってくる。その数は十ではきかない。動物園でも開けるのではという程の多種多様な動物たちはぞろぞろと歩き、一刀たちの前で行儀良く待ての姿勢で並んだ。その先頭に子犬のセキトが収まっている。虎などもっと大型の動物もいるのに、どうやら彼女が群れのボスのようである。

 

「この子たちを洛陽から出したい」

「察するにそれがここに残られた理由かと思いますが、戦後のどさくさに紛れて逃げられなかったので?」

「董卓は配下の撤退を優先してたのよ。涼州兵とその家族を逃がしてる間に連合軍がやってきて時間切れ」

「同郷でないにしても将軍は功労者でしょう? そちらのご家族が逃げがたいという事情も把握されていたのでは、優先されても良かったように思いますが」

「逃げるなら下の者から、という方針を崩すつもりはなかったみたいだしね」

「なら董卓殿が外にいて呂布将軍が中にいるのは……いや、俺が今言ってもしょうがないな」

 

 呂布が扱いに憤っているのならばまだしもであるが、彼女は彼女で董卓の行動には納得しているようである。不運が重なった結果として今があるのだ。ならば部外者である自分が口を挟むことでもないだろう。

 

「それで、伯和にはこの子たちを出すアテがあるのか?」

 

 誰がどういう形で連れ出しても良いのであれば、いくら沢山の動物がいたとしても何度かに分ければ連れ出せたはずだ。それが今この時まで全員まるごと残っているのだから、二つの条件のうちどちらか、あるいは両方が達成不可能なのだろうと察する。

 

「まず問題から説明するわね。この子たちなんだけど、人がいる所では恋が一緒にいないとダメらしいのよ。怖くて暴れちゃうのよね」

「洛陽を出る時は呂布将軍が一緒にいないとダメってことだな」

「それから二つ三つに分けて出すのもダメ。恋がお世話してるだけあってこの子たち賢いから、置いていかれるかもって凄く不安になっちゃうんですって」

「全員一緒にってことか……」

 

 最悪なことに両方ダメなのだと理解した一刀は思わず頭を抱えた。

 

「加えて恋がこの子たちと暮らしていたことは洛陽の住民は皆知ってるわ。そして恋を含めた董卓陣営の上層部は()()()勅命で手配されているから、洛陽の兵は見かけたら捕縛しないといけないの」

「呂布将軍が堂々と連れて出ていくというのも無理な訳だな」

「という訳で、賢くてかわいい私はとっても良い方法を思いついたの! 一刀くんが恋と一緒に皆を連れ出せば良いんだわ!」

「俺が呂布将軍の家族を連れてたら不味くないか?」

 

 復興作業に尽力していた一刀は、董卓軍の評判が悪くない所か非常に良好であることを理解している。いくら時の人とは言え、人気者であったらしい呂布の家族を連れ出していたら良い顔はしない所か誰何の声を挙げられる可能性だってある。その時呂布が一緒にいる所を見てしまったら、兵は動かざるを得ない。呂布に関しては最低でも良く似た別人で押し通さねばならないのだ。そのためには不測の事態で目立つことは避けなければならない。

 

「大丈夫よ。この子たちは勅命で一刀くんに下賜されるわ」

「随分力強く断言してくれるけどアテはあるのか?」

「かわいく断言もするわ。だって恋は皇帝陛下とはお友達だもの」

「…………?」

 

 呂布は首を傾げる。感情の起伏が薄く意思疎通が難しいタイプなのかと思えば、伝わりにくいだけで自分の意思を伝えようとはしているのだ。表情と仕草から『こいつ何言ってんだ』という困惑が一刀にも伝わる。

 

 当然以前から付き合いがあるらしい伯和にもそれは伝わっただろう。余裕を崩さない彼女にしては珍しく、呂布が口を開くよりも僅かに早く言葉を被せる。

 

「お友達よね!?」

「うん。恋は仲良し」

「言わせた感があることには目をつぶっておくよ。アテがあるということだけ解れば十分だ」

「理解が早くて助かるわ一刀くん。出立はいつかしら?」

「任地の伝達は明日になるって昨日連絡がきた。準備はもう進めてるけど調整と挨拶も三日後ってとこだな」

 

 遠隔地になるのであれば準備の期間もそれなりに必要となるが、軍師たちは間違いなくここ、というくらいの確度で準備を進め、伯和には『進めている』と表現したが実のところそれは既に終わっている。時間的な猶予を取ったのはできるだけ進行に余裕を持たせたいのと、挨拶まわりをしっかりしておきたいと思ったからだ。

 

「あら、一刀くんの軍師さんたちは任地がどこか予想がついてるのかしら?」

「并州の……名前は忘れた。何か常山とかいう所の隣だろうって言ってたよ」

「……………………そう。一刀くんの軍師は優秀なのね」

 

 それまで得意げだった表情が一転、伯和の声のトーンが一気に下がる。顔にもはっきり不機嫌と書いてあった。フォローの一つもしようかと思ったが、雰囲気が話しかけるなと言っている。少し放っておこうと決めた一刀は呂布に向き直った。

 

 

「そういう訳なので三日後には洛陽を出立の予定です。細かな段取りは明日以降ということでどうでしょうか」

「恋ならこれから行ってもいい」

「ご家族は大丈夫なので?」

「ここでじっとしてる分には問題ない」

 

 それもそうかと一刀は思い直した。呂布がいないだけで暴れ出すならおちおち家をあけることもできない。暮らしていたと思しき屋敷は数多の動物が暮らしていたとは思えないほど綺麗であるから、それなりに大人しくしていたのだろう。近隣の住民がどう思って居ようと、まさか呂布の屋敷と認知されている屋敷の中で、大人しくしている動物をどうこうしようとは思うまい。

 

「それでは、これからご足労いただいても?」

「いい。あと、この子たちを洛陽の外に出してくれたら恋は一刀に仕えるからよろしく」

 

 それが当然というトーンに一刀の方が反応が遅れた。言葉の意味を理解すると同時に、全身から冷や汗が流れてくる。良いか悪いかで言えば非常に良いことに決まっている。当代最強の武人が大した手間もなく仕えてくれるというのだから。

 

 自分を殺しかけた人間という思いも、時間が解決してくれる。仲間たちも諸手――は挙げないかもしれないが、受け入れてくれるだろう。

 

 一刀が考えているのは何か裏があるのではないかということだ。そんなジャイアンの代わりに店番をしたらドラえもんズが全員仲間になったくらいの都合の良いことがあって良いものか。

 

 しかし、話してみた限り呂布には表裏があるようには見えない。この主張の薄さでは腹芸なども無縁だろう。一刀の感性は信用しても良いと言っているが、感情が理性を凌駕することが往々にしてあるように、理性が感性を押しとどめることもある。それと上手に付き合うことが理を解くということだと郭嘉などは言うが……

 

 黙考して一刀は決断した。

 

「俺としては是非お迎えしたい。しかし、董卓殿はよろしいので?」

「月のことは大事。でも、この子たち全員を助けてくれた恩義に勝るものはない」

 

(董卓殿。人道を押し通した代償は大きかったようですよ)

 

 会ったこともない董卓に内心で同情したことは顔には出さず、一刀は笑みを浮かべて右手を差し出した。

 

「改めて。俺は北郷一刀。姓が北郷で名が一刀です。字と真名はありません。すでにお呼びいただいておりますが、一刀とお呼びください」

「呂布。字は奉先。恋って呼んで? あともっとやさしく」

「うん、これからよろしくな恋」

「よろしく」

 

 薄く笑みを浮かべ、呂布改め恋は一刀の手を握り返した。新たな主従の契りが結ばれる場面を不機嫌なままの伯和はじっとりとした目で眺めている。

 

「この私を放っておいて別の女の子に粉をかけるなんて一刀くんはどういう神経をしているのかしら!」

「伯和のおかげで恋と仲良くなれたよ。ありがとう」

「それが目的だったからそれは良いんだけど! 良いんだけど!! あぁ、もう……」

 

 伯和は目を閉じると大きく息を吸い、時間をかけて吐いた。ゆっくりと目を開いた時には、いつもの勝気な笑みが浮かんでいる。その笑みの凄みが増していると感じた一刀は思わず一歩後退した。

 

「この報復は必ずするから楽しみにしておくことね一刀くん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伯和の報復宣言でその場はお開きとなり、一刀は伯和が手配した彼女とは別の馬車で、恋と共に下宿に戻ってきた。伯和は恋の邸宅から直帰するそうである。何でも家の仕事を無理やり抜け出してきたそうで、そろそろ戻らないとまずいのだそうだ。約束の散策はまた今度ね、という微笑む少女は、自分などよりもずっと大人で賢く強い少女だと一刀は思った。

 

「おかえりなさい」

 

 たまたま用事から帰ってきた所だったのか、外套をつけた郭嘉に出迎えられた。時刻は夕暮れ時。朝帰りはしなかったぞと少し得意げな顔で馬車を降りた一刀に対する郭嘉の視線は、彼が女連れであることで温度が下がった。

 

「出先では随分ご活躍されたようで」

「馬車で来た娘の仲介で、仕事を受けたんだよ。仕事が終わったらうちに入ってくれるそうだ」

「それは頼もしい」

 

 郭嘉の怜悧な視線が恋に向く。フード付きの外套を身に着けている恋は見るからに怪しく、馬車から男に連れられて降りてくる様は、金持ちの男が屋敷に娼婦を連れ込む一幕と思われてもおかしくはない。

 

 郭嘉の雰囲気にすわ修羅場かと団員たちがぞろぞろ集まってくる。そんな中で、恋はフードを取った。赤い髪に褐色の肌。赤みがかった紫の瞳に、郭嘉以外の団員たちが心臓を鷲掴みにされたような顔で硬直する。唯一、恋の顔を見たことのない郭嘉だけがそのままのトーンで恋に問うた。

 

「見た所武人のようですが、腕の方はどれ程?」

「武器を返してくれるなら恋一人で三万は殺せる」

「……以前のお仕事は何を?」

「将軍」

「…………例の件で驚かされるのは最後と思っていましたが、貴殿は想定を良い意味で裏切るのが得意なようだ」

「かずとの軍師?」

「ええ。郭嘉、字は奉孝と申します。長い付き合いになりそうですね。これからよろしくお願いします、呂布殿」

 

 

 

 

 

 

 


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