真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第046話 反菫卓連合軍 洛陽戦後処理編⑤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝室からの発表があり久しく戦時体制だった洛陽にも漸く一区切りがついた。大規模火災の修復も地元大工と連合軍兵士の協力が功を奏し被災前の状況を取り戻しつつある。

 

 ではこれから平和な時が来るのかと楽観的に考えている人間は、市民の中にも兵の中にも一人もいなかった。区切りはまさしくただの区切りである。これまで続いていた戦が終わりこれからまた新しい戦が始まることを誰もが肌で感じ取っていた。

 

 だからと言って今が平和であるという事実を受け入れていけないこともない。担当地区の修復が早めに終わり暇を持て余したほとんどの一刀団の面々は、戦が明けて懐が潤っていたこともあり洛陽の街へ繰り出し久方ぶりの休暇を楽しんでいた。

 

 ありがたいことに住居の心配もしなくて良い。修復を担当していた地域にあった大きな宿屋が一刀団が一週間残るということで開業を一週間遅らせてくれたのだ。流石に五百人からなる集団であるため一人一部屋とはいかず、部屋や廊下や食堂まで使っての雑魚寝であるが、仮宿舎よりは遥かに豪勢な上に食事まで出してくれるということで団員たちにも好評である。

 

 楽しいならば良いことだと思いながら食堂で楽しく会話をしている団員たちに見送られ、一刀は洛陽の街へ繰り出した。

 

 戦というものは戦っている最中よりもその前後の方が忙しいのだと雛里が言った通り、戦が終わってからこっち団長である一刀は洛陽を右へ左へ駆けまわっていた。

 

 身近な所では退団の決まった団員たちの生活の調整である。孫呉の就職を蹴った団員たちであるが洛陽での修復作業中に大工やら商家やらから声のかかった団員たちが何人かいたのだ。まさかのスカウトである。真面目な働きっぷりに是非うちにという声に、一刀は声のかかった団員たちと個別に面談して意思を確かめ、その全員を快く送り出した。

 

 彼らは全員後からの合流組で、地元でも仕事がないからと剣を取った面々である。一刀よりは年上であるが平均年齢が高めの団の中では若い方で各々実家は農家、漁師、木こりなど現代で言う一次産業に従事する家の人間だった。

 

 地に足のついた仕事というのが魅力的に映ったのだろう。やりたいことをやってほしいというのが団発足からの一刀の方針であるが、孫呉の話を蹴った直後にこうなったことは彼らにとっては相当な負い目であったようで泣きながら謝られもしたものだが、その全員を説得して就職先には一緒に足を運んだ。

 

 その対応をする傍ら、今度は団そのものの今後である。場所こそまだ明言されていないもののどこかの土地を任されることは決まっている。距離によってかかる費用は異なるが、軍師組は大体この辺りと正確に絞りこんでいるようで、その予測を元に必需品をかき集めている。

 

 金子には余裕があるので平時ならば楽勝の調達も、大軍団が揃って出立が近い今時分は聊か時期が悪い。早め早めで損はなかろうと動き回った甲斐もあり、どうにかメドがついたという報告を一刀も受けている。

 

 最悪孫堅に頭を下げることも考えていたが、栄達して洛陽を出るのに出足からつまずくのは格好が悪い。最後の手段を取らずに済んで胸を撫でおろした一刀であるが、その孫呉とも関係が切れる訳ではない。

 

 梨晏を引き受けることになった孫策が上機嫌だったこともあり、調整そのものはスムーズに行われ、結果として孫呉とは軽い同盟を結ぶことになった。集団の規模に大きな差があることを考えれば孫呉が大きく譲歩した形となる。

 

 ここまで好待遇で良いものかと逆に不安になった一刀だったが、交渉を担当した郭嘉などは平然とした顔で『もらえるものはもらっておけば良いのです』と言っていた。外交担当の彼女が良いというのだから良いのだろうと難しく考えないことにする。

 

「待った?」

「……いや、今来た所だ」

 

 実は三分くらい隠れて眺めていたと正直に告白したら、拳の一つも飛んでくるのだろうか。今の彼女にならば殴られても嬉しい気がする。元から美人だと思っていたが、髪を降ろしめかし込んだ今日の彼女は一段と美しく見える。

 

「じゃあ行こうか」

 

 声をかけると、彼女はこくりと頷いた。何から何までらしくないが、そんな彼女も新鮮だ。昼下がりの洛陽。人の行きかう大路を行くと、彼女は少し離れて後ろをついてくる。いつでも胸を張って堂々と歩く彼女らしくない。緊張しているのが一刀にも見て取れた。

 

 苦笑を浮かべてひっこめると、一刀は振り返り手を差し出す。彼女は差し出された手をしばらく眺めていたが、意味を察するとその頬に朱が差した。拳も蹴りも飛んでこない。彼女はそっと手を、壊れ物にでも触れるかのように差し出してくる。

 

 その手を強く握り返した一刀は、思い切り手を引っ張るようにして大路を歩きだした。文句は飛んでこない。拳も飛んでこない。ただ静かに足音がついてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「洛陽での生活もそろそろ仕舞かぁ」

 

 洛陽郊外に張られた孫呉の幕舎。全ての報告に目を通した孫堅はここでの生活がもうすぐ終わることを肌でも感じ取っていた。連合軍盟主による大火という大惨事から始まった滞在も、こうして終わりを迎えてみれば聊か名残惜しいようにも思う。

 

 流石に首都洛陽だ。地元にはない酒がうんざりする程にある。酒豪で鳴らす孫堅は仕事をこなす傍ら片っ端からそれらを試しては買い込み、気づけば酒だけで馬車が一台埋まるほどの量を買い込んでいた。

 

 これだけあればしばらくは困るまいと孫堅はからから笑うが、酒に付き合う担当の黄蓋はおそらく帰り道で飲みつくすことを察していた。その酒の山には留守を守る者たちへの土産も入っている。酔った主がそれを忘れないと良いのだがと無駄な期待をしつつもそれを口には出さないでおいた。酔った時にあれをしないでこれをしないでと素面の主に言ったところで酔った時の彼女は覚えている訳もないからだ。

 

「いずれまた来る機会もありましょう。何しろ乱世ですからな」

「地元に戻りゃあまたぞろ戦だからな。うちのバカどもにも良い骨休めになったろう」

 

 各軍団人員を復興作業に割きはしたが、全ての人員が常にそれに従事していた訳ではない。どこの軍団も兵たちには慰労金を出し、交代で休みをくれてやっていた。平素であればあった休みも戦時であればそうもいかない。完全な全日休み、それもあぶく銭を手にしての洛陽とあれば遊びに繰り出さずにはいられないというものだ。

 

 洛陽の民も最初こそ連合軍の兵に敵意を持っていたが、情報操作が効いたのか悪いのは皆袁紹とその軍ということで話が広まり、復興作業が一段落する頃には金を沢山落としてくれる上客として歓迎ムードとなっていた。

 

「雪蓮の奴はどうしてる?」

「連日上機嫌でございますよ。太史慈がこちらに来てくれたのがよほど嬉しかったと見えます」

「横恋慕みたいな真似はみっともないからやめておけって何度も言ったんだがな」

「それで納得できないのが若さというものでしょう」

「それで痛い目を見るのも若さってもんだが、まぁ若いうちは経験だな何事も」

 

 なるべくなら引き込むということでまとまっていた一刀の処遇は、帝室から土地が与えられるという決定が本決まりになったことでほぼ頓挫してしまった。最終的な落としどころはとりあえずおいておくにしても、一刀はとにかくその土地へ一度は行かねばならない。

 

 良好な関係を維持するのであれば適当に話をまとめて様子を見ておくのが無難であった所、雪蓮は特に母である自分に相談することもなく、太史慈の引き抜きを本人に打診していた。これで関係がこじれるようであれば雷を落とすしかなかったのであるが、孫堅の予想に反して太史慈はこれを快諾した。

 

 まさか本当にこちらに寝返るつもりかと確認してみれば、期限付きの貸し出しのようなものであるということだ。強引に見えて相当に譲歩している辺り雪蓮本人も負け戦であることは肌で感じているのだろう。それでも浮かれられるのは若さであると孫堅も思う。

 

「太史慈でなく北郷の奴を口説き落としてくれれば早かったんだが」

「例の虎牢関での活躍を耳にすれば、地元の連中も文句は言わんでしょう。孫呉の民はことさらああいう話が好きですからな」

 

 荒っぽい人間が多い土地柄だけに大抵の人間は武勇伝を好む。一刀個人の武勇はそれほどでなくとも、思春を守るために呂布の前に飛び出し二人ともに生還を果たしたというのは、いかにも孫呉の民好みだ。洛陽では講談が流行しているというが、孫呉にこれを持ち帰れば洛陽の比でないことは黄蓋にも断言できる。孫呉に来ても舐められるどころか、どこに行っても歓迎されるくらいの好待遇で受け入れられるだろう。

 

 現在の当主である孫堅には娘が三人おり、長女である雪蓮が次期当主として内定している。この次期当主の婿に――という話を一刀に通すよりも先に世に出してしまえば、現在の力関係では一刀は断ることは難しい。当主が主導し義理の息子にまでしようという話を公然と断れば顔を潰すことになる。そうなれば当人同士の意向はどうあれ、組織同士の関係は決裂だ。

 

 無論、そういう手段を取って関係を深めて組織同士の関係を良好にしても、本人同士の関係がこじれてしまっては意味がない。最低限一刀本人に納得してもらう必要がある。その点、勢いで関係を結んでしまったというのは悪いものではないように孫堅には思えた。経緯はどうあれ一度男女の仲になってしまえばあの真面目な男のことだ。自分の人生と相手の人生を秤にかければ相手の人生を尊重するだろう。

 

 その時点で軍師どもとの仲が拗れているような気がしないでもないが、孫堅の見立てでは一刀本人が納得すれば残りは全員ついてくると見ている。後は政治的な駆け引きの勝負であるが一刀が政治駆け引きなどやる頃には、自分はとっくに楽隠居を決め込んでいる。自分が引退した後のことなど興味はない。頭など張る力のあるものが張れば良いのだ。蹴落とされるようならそれまでの器だったということだ。

 

「そこで女に目を向ける辺りが、雪蓮の限界かもな」

「堅殿が策殿くらいの年頃であれば、北郷の奴を食ってしまったと?」

「早晩連れ込んでモノにしてやったとも。何だったら小娘どももまとめて相手にしてやっても良いぞ」

「北郷にとっては策殿が次代で良かったようですな」

 

 はははと笑う祭だったが肉欲に負ける人間が果たして役に立つのが疑問ではあった。孫堅も孫策も色を好みそれなりに――孫堅に至っては豪快に遊んでいるがあくまで遊びの範疇に収めてはいる。孫堅の言葉の通り一刀たちが揃ってこちらに来てくれるのであれば入れ食いも良い所のはずだが、決め手が孫堅の肉体であるというのはどうにも締まらない。

 

 何が最上かというのは人間それぞれなのだろう。肉欲のために戦う人間を否定はすまいが、祭とて孫堅の器量に惚れて合流した身であるから、動物的本能とは関係のない所でどうあるべきかと決めてほしいというのが本音である。

 

 もっとも、肉欲そのものを否定する訳ではないので、その後でならば大いに盛り上がってくれて構わないし、何だったら交ぜてほしいとも強く思う。特に一刀は孫呉では珍しい優男なので女として興味がないではないのだ。

 

「今さら押し倒すってのもな。誰か味見でもしてくれれば良いんだが」

「策殿が遅れを取っているとなると厳しいでしょう。向こうの女どももまだ手付かずのようですし」

「シャオでも連れてくるべきだったか」

 

 孫堅の娘三姉妹の中では確かに小蓮が適任だろうと祭も思った。一刀本人と話してみた感じの好みは次女の蓮華が一番だろうが、三姉妹の中で一番一刀を好むのはおそらく小蓮だ。加えて押しが強く愛らしい。一刀から見て聊か年下であるのが問題と言えば問題だが、あれだけ幼女を囲っているのだ。まさか見た目を理由に遠ざけたりはしないだろう。

 

 考えれば考えるほど適任に思えてきたが、一番の問題は小蓮が今ここにはいないことである。ないものねだりだからこそ輝いて見えるようにも思う。結局、最初からそうなるように仕向けなかったこちらの落ち度であり、何となれば自分でやろうという気概を持っていなかった故の失敗である。

 

 こうなってできることは、逃した魚は大きかった、と実感しないように祈ることくらいであるが、それができるならば人間は苦労しない。しかし所詮は酒の肴の戯言である。ああでもないこうでもないと一刀を落とす荒唐無稽な方法を考えつつ、奴のモノはこれくらいだろうかと下世話な話でげらげらと笑っているとふいに孫堅が口を閉ざした。遅れて祭も来客の気配を感じ取る。

 

「思春です。お話があります。お時間よろしいでしょうか」

「構わん。入れ」

 

 孫堅の声に応えて、思春が幕舎に入ってくる。黄蓋と差し向かいに座っている中央の卓の手前まで来ると、思春は姿勢を正した。そこで動きが止まる。話があると入ってきたのに切り出す気配がない。いや、正確には気配はあるのだが切り出すのを躊躇っているという具合である。

 

 あの歯に衣着せぬ物言いをする思春がだ。これは妙な雲行きになったと察した孫堅と黄蓋はだからこそ先を促したりはしなかった。孫呉を代表する武人だけあって二人とも短気であるが、これから面白くなるという気配を察したならば、いくらでも待つことができるのである。

 

 適当な所で促してくれると思っていた思春はアテが外れてしまった。自分で気合を入れて切り出さねばならないことを察した思春は、一度目をぎゅっと閉じると絞り出すような声で言った。

 

「…………一刀を、誘いたいのですが、どうしたら良いのでしょうか」

 

 孫堅と祭は顔を見合わせる。思春の態度からそういう類の用件であるということは察していたし、それならば相手が一刀というのも察せられる。むしろ違う相手であった方が驚天動地だ。尤も時間に余裕がなくなった状況で仲を深める方法を他人に聞きにくる辺り聊か間が悪い。

 

 時間がなくなったからこそ尻に火がついたような側面もあるので、他人である孫堅と祭にはどうもこうも言えないのだが。

 

「それはお前がどこまで行きたいかに依るが、差し向かいで飯でも食ってそれで終わりという訳ではないのだろう? 奴に身体を求められたら受け入れる用意がある、そういうことで良いんだな?」

「…………はい」

 

 思春の返事に孫堅と祭は内心で喝采を上げた。酒の肴の戯言がにわかに現実味を帯びてきたのだ。付き合いの長い主従は一瞬目配せをした。平素の孫堅の答えは『酒でもしこたま飲ませて押し倒せ。子供でもできちまえばこっちのもんだ』であるのだが、これは上級者向きの行動で思春向きではない。押しすぎてはこの未通女のことだから、足踏みをして機会を逃すに違いない。慎重に、初心者向けの答えを無理やり頭からひねり出した孫堅は、

 

「ならば話は簡単だ。理由は何でも良い。とにかく奴を一人で連れ出せ。ここに特別なことは何もない。いつもやっていることの延長だから気軽に行け。肝心なのは最後だ。今日の逢瀬はここで終わり、別れる直前にお前の方から誘いの言葉をかけろ」

「その、どうやって誘えば」

 

 持って回った言い方をしたが、思春の聞きたいのはそこなのだ。時間がないからいくつかの過程をすっ飛ばさなければならないし、失敗した時に挽回できるような心得はない。あっても何から何まで初めての経験だ。思った通りの行動をできる気が全くしない。

 

 どうにかして成功させたいのだ。離れていても一刀に良く思っていてほしいのだ。藁にもすがる思いでその方法を聞きにきた思春に、孫堅は苦笑を浮かべて答えた。

 

「思春よ。誘う言葉なんぞどうでも良いんだ。真剣に考え頭に浮かんだ言葉をそのままぶつければ良い。それを笑うような男なら拳で鼻でもへし折ってやってから俺の所に来い。酒に付き合って愚痴くらいは聞いてやる」

「言葉を、受け入れてくれたら?」

「思うがままなすがままよ。段取りなんぞあってないようなもの。経験がないならなおさらな。こういうことは勢いだ。お前の心の思うがまま、欲するところをなせ」

「解りました。ご助言ありがとうございます」

 

 頭を下げ思春が退出する。足音と気配が十分に遠ざかったのを確認してから、改めて孫堅は祭と顔を見あわせた。

 

「まさか思春とは」

「固い奴だとは思っておりましたが女としての嗅覚は中々ですな。勝負所と見て一気呵成に来ましたぞ」

 

 ここで二人はようやく笑い声をあげた。堅物女が生娘丸出しのことを言ってきたのだ。笑ってはかわいそうだと身構えていなかったら途中で噴き出していたかもしれない。

 

「もしかしたらもしかするかもな?」

 

 当主である孫堅と当主候補である雪蓮が自発的に動かなかった以上、今洛陽にいる孫呉の面々の中で次にお鉢が回ってくるのは冥琳で、その次が思春である。頭の回る冥琳のことだ。そうすることが孫呉にとって都合が良いということは解っていただろうが、行動に移さなかった辺り自分では勝算が低いと読んだのだろう。それについては孫堅も、ついで祭も同意見である。

 

 それならばまだ思春の方が一刀に対して受けは良いように思えた。思春がその気であれば行く所までは行くだろう。あの手の女がそこまで言って受け入れないようでは、今後の関係を切るに等しい。よほど女遊びになれた男であれば上手い断り方も心得ているだろうが、流石の一刀も女性に対してまでは如才のなさを発揮はすまい。

 

 後は話の転がりよう。言ってしまえば思春の押しの強さとその方向にかかっているのだが、こちらは一刀の如才のなさ同様に期待ができない。思春が一途なのは理解している。それが男に対しても発揮されるのは想像に難くないが、それは万事においてそうなのだ。一刀とそれ以外を秤にかけて一刀を選べる程に思春の思い切りは良くない。それが思春にとって孫呉にとって幸いなのか不幸なのか知れないが。ともあれ現状からわずかに進む程度、というのが孫堅の読みである。

 

「思春を引き抜かれるようなことになったら大損ですぞ?」

「そこは俺と奴の器量の勝負よ。面白いことになったもんだ。祭、今日は飲むぞ」

「今日も、飲まれるのですな。お供いたしますとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いわゆる『デート』と呼ばれるような行為を、一刀は前の世界でしたことがない。真面目に勉強しておけばよかったと何度も後悔したが、それは人間関係についても同様だった。自分にとってどうであるかを考えると同時に、相手にとってもどうであるかを考える。

 

 それは打算的とも言えるが同時に思いやりに溢れるとも表現できる。相手の望むことを成すと言う意味では、気持ちがどうであっても行動は同じだからだ。そういったことを考え、行動することがコミュニケーションであり、これがほとんどの人間関係の維持に使われ、そして上に立つ人間にはほとんど必須の能力であると気づいたのは、上に立ってからのことだった。学生生活というのは社会に出るまでの予行演習だったのだなと今になって実感する。

 

 苦手だやったことがない他の人間がとはいかない状況で一刀がどうにか見出した結論は、とにかく全力でやってみるということである。ほとんどの場合、差し迫った状況というのは時間的な猶予はない。美少女と手を繋いで街中を歩くという高校生男子の――そろそろ成人しようかという時期ではあるが――夢のような状況であるが、プランがないからと言って歩きっぱなしという訳にはいかない。男子高校生は心躍るデートがしたいのであって、特殊なウォーキングがしたい訳ではない。

 

 自分がしたいことは相手もしたいのだと信じる! と決め打ちして挑んだ『デート』は待ち合わせの三十分前に行ったらもう相手がいた上での『待った?』というコテコテのやり取りから始まり一刀としては自然な流れで手なんて繋いでみたりして、洛陽の街に繰り出した。

 

 恋愛をシミュレーションする実践的なゲームを広く嗜んでいた及川の言う所に依れば、デートの定番は映画、水族館、公園であるという。特に公園は『お前ぶっ殺してやる!』ってくらい嫌われててもOKしてくれる魔法のスポットなんやでというのが及川の弁であるが、一刀の感想は当時も今もほんとかよである。

 

 しかしこの時代にはいくら大都市と言えども映画館も水族館もない。ならば魔法のスポットを頼るしかないのかと思えば、近場の公園は今復興作業の廃材置き場になっており、公園として復旧するにはあと二週間はかかる見込みだ。及川の案を頭から排除した一刀は、自分で考え無難な選択肢を取ることにした。

 

「復興作業の甲斐もあって市も盛況らしい。珍しい品もあるらしいから、散策なんてどうかな」

「ああ、そうしよう」

 

 小さく答え、思春は手を握り返してきた。握る手がとても熱い。美少女だとは前から思っていたがこんなにも美少女だったのかと、一々静かで女性らしい反応をする思春に眩暈を覚える。

 

 ぼーっと思春を眺めている訳にもいかない。市に行くと決めた一刀は思春の手を引いて歩きだした。大都市である洛陽の、一際賑わう市の方へ。段々と周囲の喧噪が強くなると必然思春との距離も近くなる。ふいに視線をあげた思春が、思っていたよりも近い場所に一刀の顔があったことに反射的に動きを止め、そして手が離れてしまったことにこれまた反射的に足を速めて一刀の腕をひったくるようにして掴んだ。

 

 一刀からすればいきなり思春が飛び込んできたような形である。どうしたと視線で問うと思春はただ視線を逸らすばかり。別に、という心の声が聞こえてくるようだったが、幸いなことに機嫌が悪い訳ではないようである。

 

 手を繋ぐではなく腕を組むことになったが、一刀にとっても悪いことではない。気になる少女と距離が近いというのは良いことだ。これこそデートと気をよくして、洛陽最大の喧噪の地である大路の市に足を踏み入れる。

 

 露店に並ぶ品は戦が終わり洛陽に入ってきた品……ではなく、戦争が始まる前に洛陽にあった品がようやく表に出てきた形である。戦に区切りがついたことは既に帝国全域に知れ渡っていることだろう。耳の早い商人は我先にと洛陽での商いを再開するに違いなく、競合他社が増える前に売れるものは売っておこうと、洛陽地元の商店もたまたま洛陽で足を止めていた商人も声を張り上げて品を売っている。

 

 流石の思春もかわいらしくきょろきょろ辺りを見回している。甲斐性の一つも見せて何か買ってあげたいが生まれてこの方こういう状況で女の子に直接プレゼントしたことないからどういうものを買って良いのか解らない。朱里に羽扇のように何かぴんと来るものがあれば良いのだがと思っていた矢先、一刀の目が留まった。

 

 小物を売っている露店に並んだ一組のアクセサリである。銀の鈴がついた黒い飾り紐と金の鈴がついた赤い飾り紐。試しに手を取って振ってみると音がしない。音のしない鈴に一体どんな意味がと一刀が首を傾げていると、

 

「持ち主に重要なことが迫っている時鳴らないはずの鈴が鳴って教えてくれる。そういうまじないの品だ」

「なるほど思春には合いそうだね。鈴だし」

「そういうお前の方がこれが必要なのではないか? これからのし上がって行くのなら危険も多かろう」

「なら俺たちどっちもこれが必要ということで……」

 

 店主に金を渡して飾り紐一組をもらい受ける。途中、店主が目ざとく一刀の顔を見てあ、と声を上げたが、内密にと一刀が小さく声をかけるとこくこく頷いてくれる。ありがたいことだが目が爛々と輝いているのを見るに良くない予感が拭えない。これは講談に新しいネタが追加されるかもなと思いつつ、思春を促して歩きだす。

 

「俺に一つ。思春に一つだ。どちらか好きな方を選んでくれ」

「なら黒い方をもらおう」

 

 ひょいと一刀の手から黒い飾り紐を摘まみ、左腕に巻きつける。褐色の思春の肌に白銀の鈴が良く映えるが、

 

「思春なら赤い方を選ぶと思った」

「だからこっちにしたのだ。これならお前は赤い方を身に着けるのだろう?」

「自分で赤い方を付けた方が良くないか?」

「鈍い奴だな、お前は」

 

 小さく笑った思春は一刀の右手に赤い飾り紐を巻き付ける。一応ペア、ということになるのだろう。飾り紐をした手をお互い見比べていると、どちらからともなく笑みがこぼれた。

 

 それからは自然に動くことができた。お互いのことが知りたくてお互いと一緒にいたい。その気持ちが共通していればどこで何をしていても大抵は楽しいのだ適当に散策をしてお茶でもして話したいことを話せるだけ話していると、気づけば日も暮れようとしていた。

 

 大都市洛陽と言えども、日が落ちれば幾分静かになる。現代と異なり世闇の中でも灯りがあるのは繁華街くらいのもので、大抵の人間は日が昇ってから起き出し、日が沈むと家に帰る。賑やかだった市の商人たちが帰り支度をしているのを何となく寂しく思いながら、隣の思春に目を向ける。

 

「今日は楽しかったよ。久しぶりの洛陽散策だったけど思春と一緒だったからかな」

「そうか。お前がそう言ってくれるなら嬉しい」

 

 静かに微笑む思春の顔を見ると繋いだ手の感触が名残惜しくなるが、今日の時間はこれで終わりだ。出立が近い思春は決して暇な訳ではない。洛陽にいる間も忙しい日々が続き、地元に戻ってからはまた戦乱の日々だ。今日のことが息抜きになってくれたら一刀としても嬉しい。自分の右手と思春の左手にある飾り紐に目を向け、それじゃあと離そうとして一刀の手を、思春が強く握った。

 

 これまで見たどの顔よりも真剣で、熱に浮かされた思春と視線が交錯する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今から私は全てを忘れる。孫呉への忠義も己の武も何もかも忘れて、ただの思春になる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今宵一晩。ただの思春の全てを貴方に捧げます。心も身体も何もかも、私の全ては貴方のもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからお願いです。今宵一晩だけで良いのです。貴方の時間を私にください。私だけを見てください。貴方と一緒にいたいのです。貴方のそばにいたいのです――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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