真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第045話 反菫卓連合軍 洛陽戦後処理編③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荀彧を見送り一息ついた頃、虎牢関から思春に送り出された面々が到着した。これで一刀団全員が揃ったことになる。差し当たっては全員で復興作業に当たることが前々から孫堅から言い渡されていたので、先に簡単な作業割り振りを行った後、主だった面々だけが招集された。

 

 程立の工兵部隊からはそのリーダーが。一刀の直属からは廖化がそれぞれ代表として参加している。その他の面々は復興作業だ。虎牢関から移動してきた面々も休む間もなく駆り出されているのだから、この時代の人間というのは働き者だなと思う一刀である。

 

「……梨晏は?」

 

 そんな中、集まったメンバーの中に梨晏の姿がなかった。いつもなら集合時間の十分前にはいるような娘である。何かあったのかと首を傾げる一刀に、シャンが答えた。

 

「孫策様に話があるって呼ばれてた。少し遅れるって」

「じゃあ少し待つか――」

「ごめん! 遅れちゃった!」

 

 飛び込んできた梨晏に、一刀は手を振って応える。開始に間に合ったのだからそれ以上言うこともない。ともあれこれで全員集合である。さて会議を始めるかと切り出そうとした矢先、

 

「団長、今晩時間取ってもらえる? ちょっと大事な話があるんだ」

「いいよ。座学が終わってからになるから少し遅い時間になるけど」

「全然待つよ。あ、話切っちゃってごめんね」

「いいさ。さて、始めよう」

 

 一刀の号令で、司会進行である郭嘉が一刀団が分断されてからの状況報告を始める。戦況の推移については虎牢関で聞いていたのと大して変わりはないのでかいつまんでの説明であり、多くは復興作業の分担と諸侯の軍の受け持ち場所の解説になる。

 

「我々は特に南西部の受け持ちになります」

 

 細かい解説をするのは程立の工兵部隊の責任者である。復興作業の分担は軍別に行われており、一刀団の割り当てられた南西部は洛陽正門側一辺の左端になる。その隣に孫呉軍が割り当てられ、その隣が袁術軍、曹操軍といった具合である。

 

「ガレキの撤去から始まり資材の手配、搬入を行い、地元の大工と協力して家屋の建て直しを急ぎ進めています。建て直しにはこちらからも人を出していますが、地元の大工の人数が十分にあることから、ガレキの撤去運搬が主な仕事と言って良いでしょう」

「どこの軍も身銭を切って洛陽の民を復興作業に雇用しているようで、中でも孫呉軍は払いが良いということで、人が集まっているのですよ~」

 

 人足一人一日いくらと、この時代の雇用条件が現代に比べると非常にざっくりとしたものであるが、それだけに各陣営の比較がしやすく、人の集まりには大きく差が出ることになる。こういう時に出し渋るとロクなことにならないことはどの軍団も知っていることなのだろうが、それでも差が出るというのは率いる人間の感性の差なのだろう。人のために金を使うことについて、やはり孫堅は非常に思い切りが良い。

 

「それから団長から指示のあった件ですが」

「……風はそんな話聞いてませんが」

 

 間延びの全くない平坦な声に、彼女の部下はびしっと姿勢を正した。仕事の指示はともかく口調だけは緩い程立がいきなりこうなれば恐怖も抱こうというものである。怖い教師を前にした小学生のような姿に苦笑をしつつ、一刀はフォローをする。

 

「指示ってほど具体的なものでもないよ、多分。井戸さらいのことだろ?」

「はい。団長が以前から仰っていた『洛陽で土木作業をする時には井戸さらいをなるべく優先してくれ』を思い出しまして、人員の許す限り率先して作業を行いました。ガレキの撤去に通ずるものもありましたので特に作業に不具合があることもなく。検査した井戸の数が五十二に対し、使用不能になっていたものが十。そのうち屋根などが崩れて埋まっていたものが八、残りの二つには死体がありました」

 

 ふむ、と一刀は小さく頷く。井戸に人が落ちるという事故はこの時代それほど珍しいものでもない。火事などの有事の際であれば猶更よくあることだ。事実、この報告を聞いた郭嘉たちは特に驚いた風でもなかったが、一刀は違った。

 

 そこまで期待をしていた訳ではない。同じことが必ず起こると確定している訳でもないのだ。彼らに話をしたのも非常に軽い気持ちでのことだったのだが、

 

「片方の死体は近隣の住民の一人でした。見つけた際に面通しを行い既に身元も判明しており、死体も引き渡しました。葬式はあちらで出すそうです」

「いくらか香典を出しておいてくれ。それで、もう一人の方は?」

「身元については不明です。庶民ではないようですがそれだけですね。三十代、男性、どちらかと言えば富裕層。解っているのはこの程度です。持ち物については短刀、財布と、あとはこれが油紙に包まれて懐の巾着に入っていました。巾着はひどい有様だったので別のに入れ替えましたが、死体と一緒に保存してあります」

「開けてみた?」

「いいえ。最初に団長がたに確認していただくつもりでおりました。死体を検めたのは私と部下四人なので、これを知っているのは我々のみです。部下にもきつく外には漏らすなと申し付けておきました」

「ありがとう、助かったよ」

「お兄さん。風に内緒で何をしてたんですか?」

「井戸さらいをすると良いことがあるって俺の地元では良く言われたんだ。それで洛陽でもやってもらったんだけど、本当に良いことがあったみたいで俺も今驚いてる」

「中身が何かは、一刀殿も知らないのですか?」

「知らない。でも、多分すごく良いものだ。そうだな……それじゃあ、程立。中身を確認してもらえるかな?」

「お兄さんはめんどくさがりですね~」

 

 気軽にひょいと拾い上げた巾着を、程立は無遠慮に開放する。サプライズであるとしても、自分が驚くはずがないという自信が透けて見える態度に、いよいよ一刀は身構えた。そういう時の方が当たりを引く気がしてきたのだ。

 

 身体を気持ち反らして少しでも距離を取ろうとしている一刀を訝しむ周囲を他所に、程立の見分は進み、

 

「感触からして石、形からして印璽ですかね。ふむふむ、おお、翡翠製ですか。これは良いものな予感が――」

 

 中から出てきた『それ』に掘られた文言を見て、程立は絶句した。他の面々からはその文言は見えないが、程立の態度からただ事でないことは良く解る。やっぱりか……と思えたのはその場では一刀だけだった。一同が固唾をのんで見守る中、程立が口を開いたのはそれからしばらくしてのことだった。

 

「…………受命於天、既寿永昌。風にはこれが伝国璽に見えるんですが~。稟ちゃんはどう思いますか?」

「はあっ!?」

 

 郭嘉とて一刀の態度から何かあると身構えていたが、程立の口から出てきたのは予想外も予想外の言葉だった。程立から『それ』を受け取った郭嘉は、明かりに翳して見たり顔を近づけてみたりと様々な角度から眺めてみる。一通りの検分が終わると、郭嘉は神妙な面持ちでそれを円卓の上に置いた。

 

「風の言うように本物だと思います」

「根拠を話してもらえるかな」

「伝え聞いている文言と同じものが彫られており、材質は翡翠で間違いありません。印章を似せるだけならもっと安価な素材を使うことでしょう。玉璽そのものの偽物を作ろうとしたというのも考えられないではありませんが……」

「帝室の景気が悪い今となっちゃあ、それほど旨味があるとは思えませんな。その大きさの翡翠で試行錯誤する必要があるってぇなら、同じ金を他のことに使った方が賢明かと」

「私も廖化と同じ意見です」

「つまり俺たちは当座、これを本物として扱わないといけない訳だけど、どうするのが良いと思う?」

「元の井戸に放り込むんじゃだめなんですかい? 厄介なもんは見なかったことにするのも一つの手ではありますぜ」

「流石に見なかったことにするのは惜しいかな、これは。できる限り有効に使ってできる限り美味しい目を見たいね」

 

 楽天的な意見を言ってみるが、使いどころが非常に難しいというのは一刀にも解る。RPGのアクセサリのように持っているだけで効果を発揮するのならまだしもだが、権威の象徴というのは持っているだけでは意味がない。持っていることを世に知らしめねばならない訳だが、物が物であるだけにそうもし難い。

 

 同様に帝室に関わる信用のおけるコネなどない一刀たちの立場では現金化もしにくい。それを売るなんてとんでもない、という代物だ。まともな神経をしている人間なら商おうとは思わないだろうし、商うにしてもお互いの口の堅さが心配になる。玉璽の正当な所有者は天子のみであり、それ以外の人間の所持は不当である。お上の耳に入れば一族郎党連座して酷い目に遭う。これはそういう代物だ。

 

 思い返してみれば、北郷一刀という人間は最終的には天下を差配する立場を目指しているのである。これを持っていることは将来の権威の前借をしていると考えられなくもないが、いくらなんでも早すぎるというのが一刀個人の考えだ。バレた時のリスクを負ってまで自分たちで所有するというのはナシである。

 

「元の持ち主に返すのは? 今のお兄ちゃんなら話も通るんじゃない?」

「今ここで話が大きくなり過ぎるのも困るんだよなぁ……」

 

 連合軍側では恩賞の話がまとまり、今は帝室の側で調整をしている所である。権威に実行力が伴っていない帝室であるが、建前上は領地というのは彼らから貰うものだ。連合軍での功はこういう順番になっているからそれに準ずる形で恩賞をくれと言った所で、具体的に誰に何をと決めるのは向こう側である。連合軍としては今は待ちの状況な訳で、これが決まらないと次にどのように動くかを決めることが難しい。

 

 皆早くどういう恩賞が配られるのかを知りたいと思っているところで、聞いた話では明日には正式な発表があるらしい。玉璽が本物ならば帝室も目を血眼にして探しているだろう。元の持ち主に返すということは、功績に上積みがあるということで、下手をすると全体の恩賞の発表が遅れかねない。

 

 後日別途に、という可能性もないではないが、あくまで恩賞を出すのは帝室の側なのだ。まとめて調整すると言い出されてしまうと、全体の日程に影響が出るし、さらにこの発見で取り分の割合に影響が出たと判断されたら、孫堅たちにも悪い。命がけで戦った恩賞が、運よく拾ったものに影響されて変更されたとなれば、どこの武将も良くは思わないだろう。

 

「ですが今言わないのなら、言う機会はもうないように思いますっ」

「見つけたのに何で隠してたって話になる訳だもんねー」

「作業自体は続いている訳ですから、発見を遅らせることもできますが……恩賞の発表は明日のようですし、その内容を聞いてから判断するというのはどうでしょう」

「郭嘉の案を採用する。このことは他言無用ということで」

『了解』

「さて、次の話だけどこれは俺から説明しよう」

 

 玉璽を郭嘉に預けた一刀は、虎牢関から合流した組に向けて先ほどあったことを説明する。荀彧から持ち込まれた話で、かつて洛陽に滞在した時に世話になった人が行方不明なのだという話だ。

 

「屋敷に人をやって確認したが、今も戻ってないそうだ。仕事に出た帰りに誘拐されたそうなんだけど、彼女の実家はまだ生存してると判断しているようで、捜索を俺に依頼してきた」

「その団長の現地妻ってのはどんなお人で?」

 

 瞬間、女性陣から刺すような視線が廖化に集中する。向けられた訳ではない一刀が思わずのけ反るような迫力にも、廖化は全く動じなかった。

 

「そういう関係じゃないよ。曹操軍の荀彧の縁者で荀攸さんという。さる高貴なお方の教師をしてる人で、まぁ、金持ちで立場もある人だ。董卓が洛陽に来る前、帝室は宦官一派と皇帝一派で分かれてたそうなんだけど、荀攸さんは皇帝派で家人は宦官派の仕業だと言ってる」

「宦官派って皆董卓にやられちゃったんじゃなかった?」

「そう。だからどこにいるんだと聞く相手がいない。生存してるのかも分からないし、してたとしてどこにいるのかも分からない」

「荀家は彼女は生存していて、洛陽にいると判断してるようですね~。まぁ妥当な所でしょう。殺すつもりなら誘拐しないで殺していたでしょうし」

「依頼した人が生きていると考えている以上、協力する俺たちもそれに沿って行動する。差し当たって洛陽にいるという前提で捜索の範囲をある程度絞りたいんだ。皆の意見を聞きたい」

「牢にはいなかったんだよね?」

「らしい。所在が明らかになっている国が管理する牢にはいなかった。宦官関係者の邸宅もかたっぱしから捜索したそうだけど、どこにもいなかったらしい」

「探すべき所を全て探して見つからなかったんじゃあ、牢を借りてるんじゃないかと思いますが」

「牢って借りられるんだな」

「金はかかりますがね。信用筋を間に何人か挟んで、依頼主もどこにいるのか知らない状態にしやす。奪還される可能性は低くなりますが、回収にも確認にも時間がかかる上、上の方の二三人がくたばっちまうと、関係者さえどこにいるのか解らなくなっちまうのが問題ですな」

「洗いざらい話したいのに何も知らないってのは地獄だな」

 

 自分たちの人生がかかっているのだ。手がかりを知っているのなら、負けた側の関係者は洗いざらい吐いているだろう。それでも見つかっていないのだから、その可能性が高いというのが廖化の話である。

 

「借牢っていうのはどういうとこにあるものなんだ?」

「人の出入り、物資の搬入が目立たない場所が良いですな。商家所有の倉庫や大衆食堂の地下ってのが定番です。受け手は自分が囲ってる人間がどこの誰かを詮索したりはしませんので、巷で話題になっていても気にも留めないでしょう」

「依頼料が払われている限りってことかな。待ってれば解放される?」

「先払いが原則ですんで期間内はそのままでしょう。追加の依頼がなけりゃあまぁ、女性ならそういう所に売り飛ばされるでしょうが、状況から見て日程にはまだ余裕がありそうだ」

「それは良いな。復興作業に聞き込みも追加しよう。洛陽在住の人足にできるだけ話を聞くようにしてくれ。人探しをしていると隠す必要はない。他所を巻き込んでも良い。できるだけ大々的にな」

 

 了解という皆の返事を聞いて、一刀は会議を打ち切った。足早に退出する廖化たちに続いて復興作業に参加しようと追随しようとした一刀の肩を郭嘉が掴んだ。

 

「今の貴殿の仕事は寝ることです。徹夜で作法を仕込まれたのでしょう? ゆっくり休んで英気を養ってください」

「皆働いてる時に俺だけ寝てるってのも……」

 

 郭嘉は小さく笑みを浮かべると、無言で奥の部屋を指さした。礼服から平服に着替える時に使った部屋で、仮眠用の寝台が置いてある部屋である。助けを求めて周囲を見ても、皆郭嘉の方に立っている。味方が一人もいないことを悟った一刀は観念して白旗をあげた。

 

「爆睡するかもしれないぞ」

「貴殿が必要な時には叩き起こしますのでご安心を」

「よろしくな」

 

 なるべく軽く聞こえるように念を押して、一刀は仮眠室に向かう。靴を脱ぎ、寝台に倒れこむと口答えしたのがウソのように眠気が襲ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日の今日どころかさっきの今か。俺は自分の運が怖い」

「これも天運ってやつでしょうかね。団長の未来は明るいですな」

「これだけ話が早いなら、天とは上手くやっていけそうで嬉しいよ」

 

 復興作業に散った一刀団の面々から、怪しい場所を見つけたと起こされたのはそれから三時間ほどした後のことだった。まさかという思いで廖化に話を聞くと、件のものと思しき牢屋を見つけたのだという。

 

 眠気も吹き飛び走った一刀の目の前には二階建ての食堂がある。元は繁盛していたのだろう。一階は軽く百人は入れそうな広さで、二階には個室もある。高級寄りの大衆食堂といった風であるが、それだけに書き入れ時の今時分に人っ子一人いないというのは、言いようのない侘しさがあった。

 

「建物は無事に見えるけど避難でもしたのか?」

「この建物は無事でも周りがああですからねぇ……」

 

 眼前の建物は無事だが、大火が消し止められたのは二軒隣のことである。復興作業で人が入るのであれば営業するのも手であるが、視界に入る半分が廃墟となれば休業すると判断する気持ちは分かる。店主はそこそこに懐に余裕があるのだろうが、それが一刀たちにとっては幸運に繋がった。

 

「オチが読めたぞ。閉店してるはずの食堂に人が出入りしてたとか、そういうことか?」

「まさにその通りですな。人足の間でも噂になってまして、人をやって張り込んでいた所、見るからに怪しいやつがやってきたので、捕らえて締め上げやした。貴人の女性を一人、一年以上前から地下に捕えているそうで」

「これでハズレだったら天は俺のことが嫌いなんだと思うことにするよ」

「それなら大丈夫じゃない? 団長ほど天に愛されてる人、私は他に知らないよ」

 

 護衛としてついてきた梨晏がにこりとほほ笑む。小柄な美少女が、今は頼もしいことこの上ない。復興作業はまだ継続しているので、ここに来たのは一刀以下、梨晏を含めた十名ほどである。人員は全員一刀の専属であり、廖化を始め裏事に慣れた面々である。

 

 梨晏の指示で建物に散った廖化らは、慣れた様子で一階と二階をそれぞれ調査する。

 

「地下でも二階を調べるんだな」

「鍵は二階の物置に隠してあるって話でしたんでね」

 

 二階から戻ってきた廖化から鍵を受け取る。地下への扉は何と一階の中央、大きな絨毯の下に偽装されていた。板を外すと鍵穴が現れ、そこに鍵を差し込んで回すと取手が出てくる。二人がかりで気合を入れて扉を持ち上げると、地下への階段が現れた。人一人がやっと通れるほどの狭い階段である。

 

「お先。呼んだら来て」

 

 その階段に、梨晏は廖化ら三人と共に乗り込んで行く。食堂をぼんやりと眺めながら待つことしばし、地下から梨晏の呼ぶ声が聞こえた。身を屈めて降りると、そこは粗末だが広めのつくりの部屋だった。

 

 とは言え内装は簡素で奥へと続く鍵のかかった扉以外は、机と椅子が一つしかなく、その椅子には老婆が一人座っていた。一刀たちがぞろぞろ現れても動じた様子のないその老婆は、一刀が視線を向けると小さくほほ笑み、鍵を差し出してきた。

 

「よろしいので?」

「我々が請け負ったのは人質の保管であって、奪還の妨害までは報酬に含まれておりません。まして時の人、呂布を一騎打ちにて打ち破った方が相手ならば、言い訳もできましょう」

「人違いでは? 俺がそんな豪傑に見えますか?」

「豪傑には見えませんが、人違いではありませんよ。貴方は北郷一刀殿でしょう?」

 

 瞑目し、心底憂鬱そうな顔をする一刀に、梨晏が笑い声をあげた。老婆は机の上から紙を何枚か取り出すと、一刀に差し出す。

 

「私の甥が講談をやっておりましてね。貴方の話が今は一番受けるそうですよ。貴方と甘寧将軍の絵を並べて講談をすればもっと受けるに違いないと、孫堅軍の兵に聞き取りをして書き起こした人相書きを元に、等身大の絵を絵師に発注したと今朝知らせてくれました」

 

 老婆が差し出した紙はその人相書きなのだろう。全身図と顔のアップが見る方向を変えて何枚も、しかもかなり写実的に描かれている。多少美化されているが、知人が見れば本人だと一目で解るだろう。事実、肩から覗き込んだ梨晏が『すごい! そっくり!』と声をあげて感心していた。

 

「あまりお顔は晒さないようにするのをお勧めしますよ」

「ご忠告痛み入ります」

 

 人相書きを老婆に返し、鍵を梨晏に渡す。梨晏が先だって扉の前に立ち、それに廖化たちが続く。一刀はその後ろで、背後にはさらに部隊の人間がつく。扉に罠がないことを廖化が確認すると、梨晏が扉を開けた。

 

 扉の先には通路があり、その先にさらに同じ作りの扉があった。扉にも通路にも罠がないことを確認した梨晏と廖化が、一刀を促す。通路に足を踏み入れると、一刀は声を張り上げた。

 

「江東、孫堅殿の旗下、甘寧将軍の副将、北郷一刀です。そちらにおられるのは荀攸殿とお見受けしますが、如何に」

「皇帝陛下は、物乞いに何と?」

「とっとと失せろ!」

「あぁ、本当に北郷殿ですね。どうぞ、お越しになってください」

 

 今のなに? という顔をしている梨晏を他所に、一刀は通路を進み扉の鍵を開ける。

 

「ようこそ。お待ちしておりました」

 

 扉の先は、書で埋めつくされた部屋だった。紙の束、木簡、竹簡、ありとあらゆるものが乱雑に積まれ、文机の周辺には書き物がうず高く積まれている。囚人の部屋には見えないし、不遇をかこっているようにも見えない。

 

 座椅子に深く腰掛けるのは、友人荀彧の年上の姪御である。癖のある長い髪が色合いが同じこともあって荀彧を連想させるが、柔和な顔立ちは似ても似つかない。親類だけあって顔立ちは似ているはずなのに、受ける印象は全く違うのだから不思議である。

 

 荀彧ももっとこういう表情をすれば良いのにと思わないでもないが、考えてすぐに一刀は否定した。にこにこしている荀彧というのも、想像してみると何だが気味が悪い。眉を吊り上げて怒り、怒鳴り声をあげているのが荀彧らしいし、見ていて楽しい。

 

「情勢は把握しています。ご活躍だったようで」

「望外の名声に赤面する毎日ですよ」

「その名声で皇帝陛下にまで拝謁できたのですから良かったではありませんか。陛下は何と?」

「洛陽は良い街だ。知人は貴女以外にもいるのだろうから、滞在を楽しめと」

「…………拝謁は今朝の話ですか?」

「はい。昼前に拝謁し、戻って荀彧から貴女の話を聞き、それから知らせを受けてここに来ました」

「大変良い時に来てくださいました。長く有意義な休暇を楽しんでいましたが、残念なことにそれもお仕舞のようです」

「馬車を手配しましょう。まずは屋敷に戻られるのがよろしいかと」

「迷惑ついでに桂花――荀彧の方にも人をやってもらえませんか?」

「承りました」

「ありがとうございます。お礼は後日改めて。北郷殿が洛陽滞在の間には必ず」

「お気になさらず。まずは養生なさってください」

「お気遣いに感謝します」

 

 座椅子から立ち上がった荀攸の足取りはしっかりとしていた。一年以上ここに閉じ込められていたはずだが、そんな気配は立ち姿からは見られない。長く有意義な休暇というのは荀攸なりの強がりではなく、本当にそういう認識だったのだろう。

 

 老婆に挨拶をし階段を上ろうとした荀攸は、今思い出したというように振り返った。

 

「私は荀攸。字は公達。橙花の真名を、貴方に預けます。以後は橙花とお呼びください」

「では俺のことも一刀と」

「一刀……うん、一刀さん。良い響きです。ああ、今から楽しみです。あの娘は一体、どんな顔をするのかしら」

 

 去り際に見た橙花の顔に浮かんだ笑みは、荀彧が悪だくみをしている時の笑顔に良く似ていた。付き合いがあったのは一週間ほどだったが、初めて見る知り合いの顔に一刀は妙なときめきを覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急遽予定が入って仮眠が打ち切られてしまったが、だからと言ってその時間が補填される訳ではない。諸々の手続きが終わって拠点に戻り、さて仮眠の続きをしようと仮眠室に向かおうとした一刀の肩を、郭嘉が掴む。

 

「夕食を取ったら座学の時間ですよ」

 

 眠い頭で果たして頭に入るものかと疑問に思うも、眠い頭にも内容を叩きこむのが良い教師というもので、郭嘉は凄く優秀な教師だった。これでもう少し優しければ生徒の一刀としても言うことはないのだが、一刀団の軍師は普段は気弱な雛里も含めて勉学に関しては妥協が全くない。

 

 疲れた頭に熱いお茶が染み入る。拠点は一刀団の宿舎としても使っているので、団長用の部屋で寛いでいた一刀は、そのまま寝台に飛び込みたくなるのを堪え、時間を潰していた。

 

 ほどなくして、扉がノックされる。どうぞと促すと、現れたのは梨晏だった。いつも明るく、笑みを絶やさない彼女が、いつになく神妙な顔をしている。深刻な話なのだろうということは、話があると言われた時に分かった。

 

 いつもの梨晏であれば、大抵の話は誰がいてもその場で言う。あけっぴろげな彼女が内密に、二人だけでというのだから、それだけ彼女にとっては深刻なのだ。

 

 そんな話を、急かすのも気が引ける。梨晏の分のお茶を入れて彼女の前に差し出すと、一刀は梨晏が話を切り出すのをゆっくりと待った。

 

 やがて、意を決した梨晏が口を開く。

 

 

 

 

 

「私一人、孫呉に誘われたんだ。私の片腕として働いてくれないかって、雪蓮から。ねえ団長。私、どうしたら良いと思う?」

 

 

 

 

 

 

 




1月31日に滑り込んで間に合う予定でしたが人類最後のマスタ―として南米に行っていたので投稿が遅れました。申し訳ありません。

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