真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第043話 反菫卓連合軍 洛陽戦後処理編①

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、今すぐ正門まで来て」

 

 甘寧隊に割り当てられた執務室で一息入れていた一刀の元に、虎牢関周辺の警邏に出ていたシャンが飛び込んでくる。差し向いの席には思春も座っていた。お茶をしながら此度の戦で募兵に応じた面々の身の振り方について話し合っていた所だった。

 

 現代で表現するなら元々いた兵が正規雇用、此度募兵に応じた面々が期間雇用とでも言えば良いのだろうか。基本的にはどこの勢力も()()()()()()の場合、期間雇用の兵は報酬を渡してそれでさよならという方針を取っている。

 

 より多くの兵を抱えて常に訓練をしているのが強いというのはどこも解っていようが、ほとんどの場合予算というのは有限だ。ただの私兵の枠に収まるのであれば、縁故採用のみでも十分に賄えるし信頼も置ける。精強な個人を集めるのは割と簡単でも、その兵団を作るのは難しいというのは規模の大小に関わらず同じだろう。

 

 雇われた方も平素であれば特に文句も出ない。割は良いが命がけの出稼ぎにきたと考えると話が早く、学がなく日々の稼ぎも少ない農村部の人間となると、自分の命を対価に報酬を得ようという人間は、現代人である一刀の感覚では驚くほど多い。

 

 大抵の場合そういう人間にはある程度の目標額が決まっており、その目標を達成、あるいは近い所まで稼げたのであれば、それ以上欲をかくことは()()()と言われている。雇う側も金を渡せばそれで終了なので、話が早いと助かる両得の関係なのだ。

 

 だが今は平時ではない。戦乱は今後も続く見込みであるため、戦を生き残った兵というのは来歴を不問にしても欲しいものである。雇われる側も長期の仕事にありつけるのであればそれに越したことはない。郷里に戻っても土地や仕事がないというのであれば猶更である。

 

 孫呉は現在、門戸を広く開き正規雇用を増やしている真っ最中だ。本来は洛陽での処理が片付いたら孫堅自らが行う手はずであったのだが、虎牢関の駐在組は正直手持無沙汰になってしまったため、思春の判断で前倒しにした形である。

 

 人が余っているとは言えない時代とは言え、受け継ぐ土地もなく財産の分与も期待できない貧乏な人間にとって、大手の就職口というのは喉から手が出る程欲しいものだ。命がけの戦いが今後も続くことになるが、そも仕事にありつけなければ野盗に身を窶すかのたれ死ぬばかりである。

 

 死ぬのが多少前後するだけならば、人間多少なりとも他人に胸を張れる立場で死にたいものだ。虎牢関の戦いを生き残った面々は戦働きのできない重傷者も含めて、その多くが孫呉軍での正規雇用を希望した。

 

 例外は一刀が率いてきた約五百である。この五百は元になった二百の兵に孫呉軍に合流するまでに加入した三百という構成だが、ここから孫呉軍への加入を希望したのはちょうど五十人。その全てが後から加入した三百の中からである。

 

 非正規の生き残りの内、一刀団以外の正規雇用の希望がほぼ百パーセントであるのと比べるとこの数字が驚異的なことが解る。代表である一刀としては嬉しい限りだが、これから良い関係を築いていこうという孫呉が相手となると、手放しで嬉しいとも言っていられない。

 

 あわよくば一刀ごと引き込もうと少なからず考えていた思春は当てが外れたこともあり、彼の軍師たちがいないのを良いことに、彼を虎牢関中を上へ下へと連れ回した。

 

 隊の人間の身の振り方。その話し合いは一息入れる間にも行われていた。すわ緊急事態かと立ち上がる一刀だったが、急いでという割にシャンに慌てた所はない。なんだどうしたと視線で問うとシャンは一刀の飲みかけの椀に手を伸ばす。微妙に温くなっていたお茶を一息に飲み干すと、

 

「やたら速い早馬が一頭虎牢関に向かってきてるって。梨晏が言うには馬超軍にいた小さい人が乗ってるって話」

「……馬岱殿かな?」

 

 シャンから椀を回収した一刀は首を傾げる。言ってはみるが馬超軍で顔と名前が一致するのは代表の馬超と、汜水関で共に戦った馬岱くらいのものである。理解としては梨晏も大して変わらないはずであるから、小さい方というのは馬岱で間違いないだろう。

 

「副代表自らとはよほど急ぎと見えるな」

 

 伝令の早馬は重要な役目とは言え、普通は立場のある人間が自らやるものではない。たとえ立場ある人間の方が馬を繰るのが上手かったとしても、普通は伝令専門の兵がやるものだ。その慣例を無視してまで馬岱がやってきたということは、とにかく伝令の速さを優先したに他ならない。

 

 内容は想像するより他はないが、とにかく緊急というのは話を聞いただけでも理解できる。

 

「洛陽で何かあったのかな」

「袁紹軍が火を放った以上の何かなどあってほしくはないものだが」

 

 苦り切った思春の言葉に一刀も苦笑を浮かべる。

 

 今でこそ今後の対応など話し合える程に余裕が出来たが、洛陽からの第一報が来てからの虎牢関には戦中の緊迫感が戻っていた。

 

 退去を命じられた袁紹軍は洛陽郊外での布陣も許されず、また弁明の機会も与えられることはなかった。後から聞いた話では金からコネから何でも使ったそうであるが、全て徒労に終わったそうである。

 

 仮にも盟主であった上、袁紹本人にも名家の者であるというプライドがあるだろう。自軍に落ち度があるとは言え思う所は多々あっただろうが、散々あがいた上でのことではあるものの最終的に袁紹は帝室の判断に従い陣を払った。

 

 勅命である。本来であれば速やかに実行しなければならない所、形の上では言い訳を聞いてやっただけ温情ではあるのだろう。

 

 そして勅命を受け入れるとした以上、袁紹軍は速やかにそれを実行しなければならない。

 

 大軍の中で過ごすようになって一刀自身も身に染みたことであるが、軍隊というのはとにかく物入りである。戦闘でそうなのは当然であるが移動するのにも、それどころかただそこに存在するだけでも大量の金と物を消費する。

 

 袁紹軍は更に急いで、遠距離を、という条件が付くのだから始末に負えない。軍隊に限らず人間というのは事情がない限りは最短距離を進むもので、袁紹軍の目的地であろう冀州に戻るまでの最短距離に虎牢関はしっかりと含まれていた。

 

 早馬が来る前であれば文句はあっても通したのだろうが、連合軍を追放された以上袁紹軍はもはや敵軍に限りなく近い非常に煙たい存在である。そんな軍を連合軍が管理する虎牢関を通行させる訳にはいかない。

 

 言って聞いてくれるのならば良いが、ならば強行突破という可能性は袁紹軍のことであるから大いにある。公孫賛軍の撤収を横目に見ながら、思春を中心に駐留部隊の再々編を行い、袁紹軍との戦闘に備えた。

 

 とは言うものの、である。形の上で備えはしたが、一刀を始め虎牢関に詰めるほとんどの兵は袁紹軍が来る可能性は低いと考えていた。何しろ皇帝陛下その人のお叱りを受けたばかりである。流石にこれ以上恥の上塗りはいくら袁紹と言えども考えにくい。

 

 それらの考えにはできればもう戦闘はしたくないという兵たちの願望も多分に込められていた。その祈りが天に通じたと言う訳ではないのだろう。準備万端待ち構えていた一刀たちを後目に袁紹軍は虎牢関を大きく迂回する進路を取った。

 

 念のため斥候を出しはしたがそれが釣りということもなく、袁紹軍の影が消えるまで彼女らは本当に何もしてこなかった。兵糧や金子の無心さえなかったのだから、よほど急いでいたのか。あるいはこちらと関わり合いになりたくなかったのか。

 

 いずれにせよ戦わずに済んだことに一刀は胸を撫で下ろした。

 

 弱兵と侮られているが兵を半分以上減らした現在でも、虎牢関に駐留する兵よりも数は多いのだ。それに顔良文醜の率いる精鋭部隊は健在で、兵数が減った分精兵の割合は高くなっている。軍団全体の練度としては、以前よりは大分マシになっていただろう。

 

 とは言え、兵が減ったという大前提に変わりはなく、これから乱世を迎える人間として、ここで兵を無駄に失うということは袁紹も避けたいはずだ。虎牢関を強硬突破できたとしてもそこで得られるのは自己満足のみ。それなのに兵も糧食も失うとなれば、普通の人間ならば手を出したりはしないはずなのだが、それでもやるかもしれないという危うさが袁紹にはあった。

 

 だがそれも杞憂に終わった。戦いなど起こらず、誰も死なずに何も失われなかったのだ。無駄なことをしたかもなと皆でここにはいない袁紹軍に罵詈雑言を吐きながら小規模な宴会をし、つかの間の平穏を楽しんでいたのだが、

 

(それも今日で終わりかもな)

 

 ただの事後処理だけで済むはずもない。これから待っているのは本格的な戦後処理だ。ここでの身の振り方で自分たちの今後が決まるとなれば、手も気も抜けない。気を引き締めていかないとな、と心中で気合を入れなおす。

 

 無駄に表情を引き締めた一刀が正門に到着した頃には、既に早馬は虎牢関の中にまで入ってきていた。乗っていたのはやはり馬岱だった。馬岱ほどの馬の名手にしても、よほどの強行軍だったのだろう。頭から水を被ったように大汗をかいていた彼女は、馬超軍の残留部隊から受け取った水をがぶがぶ飲みながら、手ぬぐいで軽く身繕いをしていた。

 

 一仕事終えてゆっくり一杯という雰囲気でもない。このままトンボ返りするつもりなのだと解った一刀は足を速めた。一刀の姿を見つけた馬岱は笑みを浮かべ、大きく手を振る。飛び散る汗と、上気した顔が妙に艶めかしい。

 

「お兄様、お久しぶり!」

 

 馬岱の声はやけに大きく響いた。小さく溜息を吐いた思春が肘で小突いてくるが、視線はこちらに向けてこない。軽い御機嫌斜めだ。荒くれ者の中で育ったせいか思春のコミュニケーションは肉体言語に偏っている節があり、彼女の中ではこれくらいは普通である。

 

 遠くフランチェスカの同級生たちに例えるなら、『おいおい』と突っ込みをしているくらいのものである。怒っているというよりは揶揄いの色が強い。女性的な感性を残しつつも、微妙に男くさいやりとりは年齢と立場の近い同性が近くに少ない一刀には貴重だった。

 

 これが続けば良いのだがと一刀は強く思う。なにを、と軽く拳でも返そうとすると、はっとしたように思春は手の届かない場所まで距離を取ってしまう。挙動不審は相変わらずだ。仕事中や不意に出る仕草が本来の距離感なのだとすれば、理性的な時に距離を置かれているように思う。

 

 こいつとは距離を取るべしと冷静に考えられていると思うと気分が滅入るばかりだが、とりあえず嫌われている訳ではないのだと改めて前向きに考えることにして、お兄様呼びがどうにも気に入らないらしく隣で不貞腐れているシャンの頭をわしわし撫でながら、

 

「お久しぶりです。覚えていてくださったとは光栄ですが、馬岱殿。何やらお急ぎのようですが……」

「そうなの! お兄様を連れて来いって。私まで駆り出すんだから本気だよね」

 

 はいこれ、と手渡された書類を中身を見ないで隣の思春に渡す。孫呉軍の命令書だということは開封しないでも解ったからだ。思春が開封するのを待って一緒に中身を見るに、書かれている内容は非常に簡潔だった。

 

 全ての仕事を放棄して北郷一刀を洛陽に向かわせること。緊急につき馬岱の手を借りたこと。馬岱の折り返しの準備が整い次第即刻洛陽に向かうべしと力強い筆致で書かれた文章の最後は、孫堅の署名で結ばれていた。

 

 従わなければ殺すというくらいに強制力の見える文章である。未だ雇われている身だ。洛陽に行くことに否やはないが、何故来てほしいのかが全く見えてこない。解るのは緊急であることくらいだ。馬岱に視線を向けて見ても、彼女は苦笑を浮かべて首を横に振る。

 

「私も聞いてないんだよね……もう皆大慌て」

 

 その理由を知らないことに、不安も不満もないらしい。自分よりも年若いはずだが割り切りの上手いことである。

 

「お前一人が招集されたということは、理由がどのようなものであれ、お前の隊もいずれ洛陽に向かうことになるだろう。調整は私がしておく。お前はさっさと洛陽に向かえ」

「身体一つってのはこういう時に便利だよな、本当」

 

 一応、虎牢関に仕事で詰めているということで、武装はしている。腰に下げた銀木犀以外に持っていかなければならないようなものはないし、団の仕事については――

 

「シャン。後をよろしく」

「まかせてお兄ちゃん」

 

 シャンが上手く取りまとめてくれるだろう。男、身体一つ。今は馬岱の号令を待つばかりだ。することもないので準備体操でもしているとほどなくして、替えの馬が運ばれてきた。

 

 精強な騎馬隊が売りの陣営が用意したのはやはりゴツい馬だった。二人乗り用なのか、一刀が普段使っているよりも二回りは大きな鞍が載せられている。その馬にひらりと跨った馬岱は小さく咳払い。気取った表情を作ると一刀に手を差し出してきた。

 

「お兄様、お手をどうぞ?」

「普通逆ですよね、こういうの……」

 

 苦笑を浮かべながら馬岱の手を握ると、強い力で引き上げられる。一刀が乗ったのを確認すると、馬岱は即座に馬を走らせた。馬のために既に道は開けられている。走り出してしまえば後はもう、邪魔するものは何もない。

 

 あっという間に虎牢関を飛び出し、一刀たちは野の人となった。

 

 現代の都市部に住んでいると、都市と都市の間、というものがピンとこないものだが、虎牢関から洛陽までの間にはこの時代の基準で舗装された道以外には何もない区間がかなりある。

 

 というよりも、人間の住む以外の場所は基本的に何もないのが普通らしい。道が舗装されていればまだマシな方で、田舎まで行くと人が良く通る場所を道と呼んでいるくらいである。現代人には中々馴染めない感覚であるが、流石に二年もこちらで暮らしているとこれが普通と辛うじて思えるようになってきた。

 

 馬での移動もまた然りである。高校に入学した時は自分が馬に乗るなど考えてもなかった一刀も、馬での移動には支障がない程度の腕にはなった。これなら騎馬で戦えるようになるのも近いのではと密かに思っていたのだが、馬岱の腕前を体感するに、それが大分高望みであったことを身体で理解した。

 

 騎馬で戦うということをしない――というか特に郭嘉が中心となって絶対にさせてくれないので、一刀が特定の馬ないし戦闘向きの馬に乗るということはない。そういう馬は騎馬で戦う担当に回されるためだ。

 

 今乗っている馬が普段乗っている馬と違うというのもあるだろうが、普通の馬にもただ乗っているだけの一刀と異なり、馬岱は常に周囲に気を配り腕で、時には足で下の馬に指示を出し見事に操っていた。

 

 後ろに乗る一刀にできることと言えば、落とされないようにしがみついていることだけだった。大の男が年端もいかない少女の細い腰にしがみつき、背に顔を預けている様は落ち着いて考えてみれば何ともみっともないことであるが、目を開いているのもキツいのだからしょうがない。

 

 もう少し馬に乗れるようになろう。馬に乗れる人にもう少し優しくしよう。馬岱の背で決意を固める頃には、遠く洛陽の影も見えてきた。その大分手前に陣が張られているのが見える。それが連合軍の陣地なのだろう。色とりどりの旗が見え、一番手前には真っ赤な孫呉の旗が見て取れた。

 

「このまま孫呉の陣営に直行するけど、お兄様大丈夫? 気持ち悪かったりしない? 今すぐ吐きそうなら蒲公英の腰をぎゅってして」

 

 大丈夫なのにぎゅっとしようとしたのが男としての本能なら、それをぐっと堪えたのは男の矜持だろう。気持ち悪く眩暈がするのは事実だが女の子の背中に吐くのを我慢できない程ではない。

 

「何とか。男の尊厳は保てそうです」

「残念。弱々しいお兄様も見てみたかったんだけど、それは次の楽しみにしておくね?」

 

 くすりと小さく蒲公英は笑う。小悪魔という表現が相応しい。悪戯好きのする、それでも愛嬌のある笑みだ。その笑みに見とれている一刀を他所に、馬は徐々にスピ―ドを落としていく。人間にとっての強行軍は馬にとっても強行軍だ。荒い息を吐く馬からは湯気が立ち上っている。ご苦労さま、と馬の頭を撫でた蒲公英が先に降り、一刀はその手を借りて久方ぶりの地面を味わった。体勢を崩さずにいれたのは男の矜持だろう。

 

「到着。ご同乗ありがとうだねお兄様。汗臭くてごめんね?」

「汗臭いなんて……」

 

 現代ではほぼ毎日風呂に入っていたものだが、こちらの世界ではそれもままならない。遠出をしている時には湯で身体を拭くこともままならない日が続くこともある。野盗あがりのおっさん集団の中ではその傾向も顕著で、特に酷い時には軍師たちが近寄ろうともしないような有様となっている。

 

 そんな地獄の汗臭さに比べると馬岱のそれは天国と言えた。同じ汗なのにどうしてここまで違うのだろう。これなら別にずっと嗅いでいても構わない。というのが顔に出ていたのか、馬岱ははにかむように微笑むと身体を寄せてきた。

 

「お兄様の、へ・ん・た・い」

 

 耳元で囁くような馬岱の声。小柄な身体に抱き着かれて胸を押し付けられ、思わず身体が熱くなる。馬岱だけでなく一刀も大汗をかいている。馬岱の顔は真っ赤だ。うるんだ瞳と流れる汗を至近距離で見た一刀は、強行軍直後の疲労感もあって強い眩暈を覚えた。場所が場所ならそのまま押し倒していたかもしれない。それくらいに今の馬岱は魅力的に見えた。

 

 煩悩と戦う一刀の耳に、遠くから孫堅の怒鳴り声が聞こえた。一刀にとっては救いの声である。早馬がやってくるのは解っていたろうから人を集めて直行してきたのだろう。その近くには孫策や黄蓋の姿もあり、何故か曹操もいた。

 

 孫堅たちの姿を見た馬岱は残念、と小さく呟いて一刀から離れた。去って行く途中、笑みを浮かべてひらひらと手を振ってくる。美少女は何をしても絵になるのだな、と身体に溜まった諸々を追い出すように、一刀は溜息を吐いた。

 

 連合軍陣地と汜水関。馬岱と顔を合わせたのは数える程しかない。出会ったばかりの美少女が自分に強い好意を持っている。そう勘違いしてしまえる程、北郷一刀というのはおめでたい頭をしてはいない。

 

 馬岱であれば地元では良縁にも恵まれているだろう。出先で男をひっかけなければならないような立場の人間ではないのだ。遊びのつもりなのか誰にでもああなのか知れないが、少なくとも本気ではなかろうと思える以上、浮かれてばかりもいられない。熱い吐息と柔らかな身体の感触は記憶の奥底に封印するとして、さて仕事だと気持ちを切り替える。

 

「お呼びに従い参上しました! 急ぎのようですが――」

「走れ!」

 

 馬に乗っているだけでも体力を食うのだ。正直走るような体力は残っていなかったのだが、走れと言われて走らない訳にもいかない。疲れた身体に鞭を打って走り孫堅の所までたどり着いた。

 

 それで何か事情でも説明してくれるのかと思ったら、左右の腕を孫策と黄蓋に捕まれそのままズルズルと引きずられ、停められていた馬車に放り込まれた。後に孫堅、曹操が乗るのを待ち、馬車は洛陽に向けて発車する。

 

 放り込まれた状態から居住まいを正す。対面の席には孫堅と曹操が座っている。引きずってきた孫策と黄蓋は馬車の外を馬での移動である。眼前の孫堅と外の孫策黄蓋はともかく、ここに曹操がいる事情が見えてこない。

 

 そしてそのどちらも非常に微妙な表情をしている。高ぶった感情を処理しつつも、表情には困惑が見て取れる。傑物と名高い二人が揃ってそうなのだ。自分が想像しているよりも遥かに複雑なことが起こっていると予感した一刀は、緊張した面持ちで問うた。

 

「事情をお聞きしても」

「俺の方が聞きたい。だが、何が起こったのか、お前が何をしなければならんのかは簡単に説明ができる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皇帝陛下のお召しだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呂布を一騎打ちにて退けた北郷某とやらを、直接見てみたいのだそうだ。明日、正装の上で参内しろ。言っておくが今日は寝られると思うなよ? 覚えておかなきゃならんことは山ほどあるからな」

 

 

 

 

 

 


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