真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第041話 反菫卓連合軍 虎牢関攻略編⑤

 

 

 甘寧隊による呂布討伐は失敗に終わった。部下のほとんどを使い潰した甘寧の必殺の一撃は呂布の首の皮一枚を斬るだけに留まった。勝ったと油断したことがいけなかったのだろう。幾多の窮地を乗り越えてきた男はそこで動きを止め、呂布の方天画戟によって腰から両断された。

 

 上半身だけになった男は、幸か不幸か即死を免れていた。痛みと猛烈な寒気で朦朧とした意識の中見たのは、呂布にぶっ飛ばされ膝をつく甘寧と、それに歩みよる呂布の姿である。

 

 自分をクズからマシなクズにしてくれた人が、これから死ぬ。身体はぴくりとも動かない。汚い言葉を吐こうとしても、出てくるのは濁った血と呻き声だけだった。

 

 ああ、クズに相応しい末路じゃないか。勝ったと思った所で勝てず、守りたい人が目の前で死ぬのだ。勝つためにと信じて戦い、死んでいった連中は幸運だったのだろう。何しろ我らが頭が殺される所を、見ずに死ねたのだから。

 

 見たくはない。さりとて、目を逸らす訳にはいかない。自分たちの不始末で、彼女は死ぬのだ。せめてそれを見届けるのが、残された自分の最期の仕事だと、落ちてくる瞼を必死に繋ぎ止める男の前で、呂布は方天画戟を振りかぶり、

 

 そんな解りやすい死の具現の前に、飛び出す姿があった。北郷だ。甘寧隊の新入りの優男が、何の躊躇いもなく呂布の前に身を投げ出したのだ。死ぬ気かバカがと思うよりも早く呂布の方天画戟は振り下ろされ、そして、北郷の持つ剣に阻まれた。勢いまでは殺し切れず、北郷は甘寧と共に吹っ飛ぶが、長年の荒事の経験が、二人とも、少なくとも死んでいないことを確信させた。

 

 その事実が、死にかけの男の心を再び燃えさせた。

 

 俺はまだ戦える。俺はまだ生きている。錦帆の旗に敗北はないと言った口で、負けたまま諦めるのか。青瓢箪の新入りでさえ、呂布の前に身を投げ出したのだ。死にそうなくらい何だ。せめて憎き呂布に、一泡吹かせてやるのだ。

 

 その決意が、ほとんど死んでいた身体を僅かに動かした。腕を僅かに上げて鋼糸を繰り、身体の下に抱き込む。そこで男は本当に力尽きた。まだ負けたまま、窮地を脱してもいないが、男の顔はどこか安らかだった。生まれも育ちも生き様も下の下だった男が、最後の最後に他人のために働くことができた。上等な人生では決してないが、悪くない最後だと思った。

 

 ああ、でも頭。あんたはゆっくりお越しなせ。ガキでもこしらえて長生きしてみるのも、悪くないでしょう。そこの北郷の奴なんて、満更でもなかったのでは? 新入りにかっさらわれるなぁ癪ですが、呂布からあんたを守った男だ。先に逝った連中も文句は言わんでしょう。

 

 ガキでも産んで、孫にでも囲まれて、無駄に平和に長く生きてくたばったら、そん時はどんなバカをやったのか聞かせてくだせえ。そこの北郷はきっと、デカいことをやる男だ。あんたについてく決断をした俺が言うんだから、間違いねえさ。

 

 なぁ、北郷。俺たちの頭を、頼んだぞ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甘寧将軍を助けるという命令の下に走り出した北郷隊だったが、現場に到着した段階で既に状況は煮詰まっていた。

 

 ここに向かうまでの間に呂布の騎馬隊とすれ違った。本体の孫堅を目指すのであれば直進するはずが、関側に大きく逸れる形で進路変更をしていた。大回りして後方に転換する様子に、何らかの理由で襲撃を取りやめるかやり直す必要が生じたのだと察せた時には、これで呂布と戦わずに済むと喜んだものだったが、赤毛の悪魔は馬上ではなく地上にいた。

 

 甘寧隊はどうにかして馬上の呂布を引きずりおろすことに成功したようだが、そこから後が続かなかったようである。三千はいたはずの兵が、今自分の足で立っている者は五百にも満たない。死屍累々の中、重傷を負った甘寧が呂布と一人で相対していた。

 

 今まさに方天画戟を振りかぶらんとしている呂布に、シャンは最悪に近い手を引いたことを悟った。幸い騎馬部隊はいない。呂布一人が徒歩で突撃する可能性は低く、ひとまずは転進した部隊との合流を目指すだろう。

 

 ここで足を止めれば、ここで戦わずに済むのだ。とは言え、自分たちの大将は言って聞くような人間ではない。後で激怒されることも覚悟したシャンは前を走る一刀の首根っこを掴もうとして――失敗した。

 

 今まさに方天画戟を振りかぶろうとしている呂布に向かって、あろうことか北郷一刀は足を速めたのだ。今まさに攻撃しようという呂布の前に飛び出すような、命知らずで壊滅的なバカがこの世に存在するとは考えもしなかったシャンは一瞬思考が遅れ、そのまま飛びつけば無理やりにでも足を止められた最後のタイミングを逃してしまった。

 

 走り込んでくる一刀のことは、呂布も認識していた。方天画戟を振りかぶる途中、ちらと視線を向けたがそれで興味を失う。男が一人飛び込んできた所で結果は何も変わらない。それは大多数の人間と同じ認識であり、この世で北郷一刀だけが違う認識でいた。

 

 知っている人が今まさに殺されようとしている。それ以上に彼にとって重要なことはなかったのだ。成功するという目算があった訳ではなかったがとにかく、この世で最も死に近い場所に北郷一刀という男は何も恐れずに飛び込んでいった。

 

 方天画戟が振り下ろされる。二人まとめて、殺される。後続のシャンたちも、振り下ろした呂布も、その光景を見ていた誰もがそんな未来を幻視した次の瞬間、甲高い音が戦場に響いた。

 

 最初に異常に気づいたのは呂布だ。最上の業物である方天画戟は、呂布の膂力が加われば大抵の人間は武器防具をまとめて両断できる。鎧を着た人間一人が間に入っても、確実に両断できるだけの力を込めて振り下ろした。そのはずなのだが、実際には割って入った男一人も殺せていない。

 

 男の佩いた両刃の剣が、方天画戟を受け止めていた。装飾のほとんどない、無骨な造りのその剣は、必殺の一撃を受けても歪むどころか傷一つさえ刻まれなかった。少なくとも頑丈さだけは方天画戟に匹敵するその剣の持ち主は、攻撃の勢いまでは受け止めきれなかったようで飛びついた甘寧と一緒にふっ飛ばされる。

 

 戦場で殺したと思って武器を振り下ろして失敗したことは、生まれて初めてのことだった。ぼーっと男と甘寧を飛ばした方を眺めていた呂布の元に、今度は兵の一団が殺到してくる。

 

 男が率いていた兵団だろう。数は約五百。先頭を走る斧を持った少女は手練れだが、それ以外は問題にならない。騎馬隊が戻ってくるまでまだ時はかかる。その間に皆殺しにするのは造作もない。

 

 まずは先頭の手練れを殺す。左に持った方天画戟を振りかぶり――失敗した。何かにひっかけられた得物は、呂布の手を離れて地面に落ちる。

 

 最強の武人たる呂布は気づかない。生まれてこの方苦戦したことなどなく、戦場において自分の身体が思い通りに動かなかったことなどない。勿論、少し引っ張られた程度で武器がすっぽ抜けるほど握力が弱まった状況で戦ったことなど一度もない。

 

 高い能力を持っている者ほど、不調になった時の振れ幅は大きい。まして生まれて初めての不調が、一撃もらえば死にかねない相手を前に起こっている。

 

 本人こそ認識していないが、この状況はまさに呂布にとって人生で初めての絶体絶命だった。

 

 見れば、細い鉄糸が先の方に絡まっている。糸の先には、下半身を失った兵の死体があった。その兵は満足そうな笑みを浮かべて息絶えている。

 

 その死体をぼんやりと眺めてから振り向くと、すぐそこにまで斧の少女が迫っていた。振りかぶった斧は今にも振り下ろされようとしているが、それでも呂布は慌てなかった。武器がなくても、自分の方が速い。体勢は崩されたがそれでも、自分の攻撃の方が先に届く。

 

 国士無双のその確信は、相対するシャンにも伝わっていた。鍛えた直感が自分の攻撃が不発に終わることを知らせていた。無手ならば即死することはない……かもしれないが、ここで攻撃に失敗することは、後続が全滅する確率を格段に上げることになり、それはそのまま、一刀の死亡にも繋がる。

 

 先のような幸運はそう起こらない。騎馬隊が戻ってくるまでに手が空けば、呂布は今度こそ一刀を殺してしまうだろう。命に代えても、それだけは避けなければならない。呂布をここで亡き者にしなければ、一刀が死ぬのだ。死んでも、この攻撃は、当てる。

 

 攻撃の失敗を予感しても、シャンはその手を一切緩めなかった。自分一人で相対していたのであれば諦めもしようが、今は一人ではない。絶対に守りたい人の命がかかっていて、共に彼を守ると誓った仲間が、まだ後ろに控えているのだ――

 

 

 

 

 

 

 

 ――必ず当てる。シャンにそう言って足を止めた梨晏は、自分を置いて先に行った仲間たちを通して呂布を見つめていた。 これだけ離れているのに、その存在を肌に感じる。近くまでよれば気配に鈍い人間でも、自分では及びもつかない強大な存在か理解できるだろう。

 

 自分の仕事であるとは言えそんな敵と直接相対することをせずに、足を止めたのだ。失敗する訳にはいかない。これから放つ矢は、全て、必ず当てて見せる。かつてない程の集中力で、梨晏は弦に矢を番えた。ギリギリと弦を引き絞り、標的に集中する。

 

 殺到する仲間たちを挟んでも、呂布のことははっきりと見える。いつものように射れば当然のように彼女に命中し、そしてそれが何の役にも立たないことが理解できた。

 

 ただ矢を射ただけでは刺さらず、呂布の脅威にはなりはしない。あの怪物を脅かすにはもっと強力な一撃が必要なのだ。自身の全身全霊を懸けたような一矢。いつか黄蓋が見せてくれたような岩をも穿つような強力無比な一矢。

 

 それができなければ仲間が死ぬのだ。守るべき人が死ぬのだ。自分の一矢に、彼ら彼女らの全てが掛かっている。様々な圧が梨晏の精神を追い込み、研ぎ澄ませていく。荒立ち、逆に萎えそうになる気持ちを無理やり落ち着かせ、集中を深めていく。

 

 もっと深く。もっと強く。

 

 その瞬間、じわり、と自分の中から何かが出ていくような感じを覚えた。自分の身体からゆっくりと這い出したそれは、矢の先へと集まり、とぐろを巻いている――ように感じた。

 

 これが黄蓋の言っていた『気』なのだろうか。彼女の言っていたそれとは違うような気もするが、そんなことは梨晏にとってどうでも良かった。呂布に届く一撃を得られるのならば、由来がどうであるかなど気にも留めない。

 

 この一矢が届くなら、ここで死んだとしても後悔はない。

 

 自分の全てを、この一矢に。目を細め、ただ呂布だけを見る。

 

 音もなく。必殺の矢が閃いた。

 

 

 

 

 数瞬のできごとである。

 

 呂布が拳を放とうとした直前、その肩に飛来した矢が命中した。岩を穿ち、常人の頭ならば吹き飛ばす程の威力を持った矢は、呂布の左肩の骨を砕いて止まりその体勢を僅かに崩すにとどまった。

 

 値千金の隙に、シャンは勝利を確信する。後は振り下ろすだけ。雄叫びを挙げて、シャンは斧を振り下ろす。

 

 地を砕くような音はそれと同時。天を割かんほどの雄叫びを挙げた呂布は、動かぬはずの身体を無理やり動かし、シャン本人ではなく今まさに自分を両断せんとする斧を狙った。

 

 僅かにでも目測が狂えば、腕ごと両断されていたはずの攻撃である。無謀とも言えるその攻撃を放ったのは、国士無双の武の担い手たる呂布だった。

 

 呂布を両断するはずだった斧は、その呂布の左の一撃により粉々に砕け散る。呂布の動きはそこで止まらない。身体を反転させ、何が起こったのか理解できないといった様子のシャンを蹴り飛ばし、間を縫ってこちらを刺そうとしていた男に直撃させる。

 

 初撃が失敗したことで後続の動きも鈍ったが、それでも止まることはない。左。男の剣を素手で受けとめ、剣ごと放り投げる。正面、突き出されてきた二本の槍の間を縫うように僅かに前進し、担い手二人に体当たり。後続に直撃させ、間が空いた所でようやく後方に下がり――そこにまた、眉間を狙って矢が飛来した。当たり前のようにそれを掴む。が、衝撃を殺し切れず数歩後退させられた。

 

 董卓軍でもついぞ見ないような一矢を放ったのはどんな猛者かと見れば、集団の向こうにくすんだ赤毛の少女が見えた。声が届くような距離ではないが、その時お互いは視線が交錯したことを理解する。呂布の視線を受けた梨晏は愛らしく片目を瞑り、

 

「はじめまして、飛将軍。そしてさよなら!」

 

 三矢目は首筋を正確無比に。まぐれ当たりでは決してない。しかも一矢射つ度に威力が上がっている。意識さえできれば今度こそ直撃を貰うことはないだろうが、中々精強な目の前の集団と戦いながら対応するのは、呂布でさえ骨が折れた。

 

 耳に、高音が届く。副長である義妹が吹く接近を知らせる笛の音だ。全員で反転してきたにしては早いから、義妹と数名だけで先行してきたのだろう。

 

 どの道馬から引きずり降ろされた以上、先のことはどうあれ仕切り直さねばならない。

 

 呂布はちらと、殺したと思った人間の方を見た。庇われた甘寧の方はとりあえず無事なようで、必死に北郷、一刀、と男の名前らしきものを呼んでいる。それが本名なのか、あだ名なのか、字なのか。興味は尽きないが時間切れだ。

 

 自分を殺すべく殺到する集団から大きく後退すると、地を踏み切る。宙を舞い、足が地の方を向く頃には、その下に騎馬の少女が割って入った。

 

「ご無事ですか、大姉さん!」

「問題ない。一度仕切り直す。全員外へ」

「了解。後続に伝達。西南西地点に集合せよ」

 

 一度目は失敗したが部隊はまだ健在。呂布も生きている。敬愛する義姉の名前に傷がついたのは業腹ではあるものの、汚辱など雪げば良いのだ。打ちひしがれた様子の部下に比べて、義妹は楽天的に考えていた。

 

 いつものように何を考えているのだか解らない義姉は、走ってきた方角をぼんやりと眺めている。

 

「殺し損ねた」

「天下の飛将軍にも、珍しいことがあるものですね」

「戦とはそういうものだって霞なら言うか、も……」

「大姉さん?」

 

 上の姉が寡黙なのはいつものことだが、話の途中で落ちるなどということはなかった。まさか、という思いで姉の身体を弄ると、その手はあっと言う間に真っ赤に染まった。

 

 本能的な行動なのだろう。とっさに押さえた首筋からだくだくと血が流れている。あの呂布が怪我を、ということが義妹には何より信じられなかったが、その尋常でない様子が逆に義妹の精神を繋ぎとめた。

 

 呂布の手の上から布を押し当て、並走する部下に虎牢関へと伝令を飛ばす。既に意識を失いかけている呂布に必死に呼びかけながら、義妹は馬を虎牢関へと駆けさせた。

 

 当代最強の武人と知られた呂布の、その生涯唯一の敗走として、記録に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 反転してきた騎馬に抱えられて呂布が離れ、後続の騎馬隊もそれに続いて離脱したのを見送ってから、シャンは一刀の元に駆けた。佩いた剣が呂布の一撃を受け止めた。即死していないことは解っていたが、それは無事と同一ではない。

 

 安否確認のために血相を変えてすっ飛んできたシャンを見て、誰が見ても一目で重傷と解る甘寧は首を縦に振った。

 

「衝撃で意識を失っているだけだ。命に別状はない……と思う。命令無視はとりあえず追及せんとして、北郷の部隊は徐晃、お前が指揮を代行。北郷を連れて後方、孫呉の本陣まで後退しろ。後退は私たちが援護をする。無事な者はさっさと起きろ!」

 

 死体の山に甘寧が怒鳴ると、その中からぽつぽつと兵が起き上がった。彼らは自分と周囲の一部の仲間の無事を確認すると、ぶつぶつ文句を言いながら死体を乗り越えて集合する。

 

「ちくしょう。身体が死にそうに痛てえのに、何で俺は働かにゃならねえんだ……」

「さっき死んどきゃよかったぜ」

「副長はどうした?」

「あっちで鋼糸抱えて満足そうにくたばってるよ」

「自分だけ死にやがって、クソ」

 

 生きているのが不満というようにぶつぶつ文句を言いながらも、そこは歴戦の兵たちである。集合までの間に武器を拾いながら、隊伍を組み直し、甘寧の元に集まるまでには既に戦える状態にまで復帰している。

 

 甘寧の元に集合してまで文句は言わない。肋骨は何本か折れて、おそらく内臓も傷つき血を吐いている。地面を矢のような勢いで転がって顔の傷も酷い有様だったが、甘寧本人はまだまだ戦うつもりだった。自分たちより酷い有様の頭が戦うつもりなのに自分たちだけサボる訳にもいかない。

 

「北郷の部隊を後方まで下げる。李剛、うちの本隊にその旨を伝えて五百ほど引っ張って来い。我々はこちらで留まり、北郷隊の交代の援護と、差し当たり呂布の再襲撃に備える」

「それなんだけど、もう襲撃はないと思うよ。何か呂布死にそうだったし」

「…………なんだと?」

「誰か首のこの辺に攻撃した? 凄い勢いで血が流れたけど」

 

 弓手である梨晏は北郷隊の中でも飛びぬけて目が良い。呂布の再襲撃は梨晏にとっても最も警戒すべきことであるので、見える範囲で進路を捕捉しようと手近な兵の肩に立って行方を追っていたのだが、騎馬隊が合流するよりも先に呂布は首筋より出血。同行していた連中に連れられて進路を虎牢関の方に変えていた。合流を目指していたらしい騎馬隊も、後に虎牢関の方に消えているから、死亡とはいかないまでも深刻な状態ではあるのだろうと推察できる。

 

 梨晏の物言いに、実際に命がけで戦っていた甘寧隊の面々から喝采が上がった。

 

「やったぜ!!」

「くたばれ呂布め!!」

 

 不景気な雰囲気だった悪党面がもうお祭り騒ぎである。それだけ呂布を退けたという事実は、彼らにとって朗報だった。命がけで戦ったのだ。それが報われたという事実は彼らにとって大いに励みになった。

 

「お前の言うことが事実なら、これは孫呉にとっても好機だな」

「でしょ? なら人手がいらない? 団長撤退は賛成だけど、私たちまでいなくなって大丈夫?」

 

 強者特有の感性として、梨晏は自分が百人分くらいは働けると理解している。甘寧隊は呂布を退けるという大仕事を果たした後であるが、戦闘そのものはまだ継続している。いくら部隊の半数近くが死人になろうと、持ち場を放棄することはできない。

 

 元の状態では甘寧隊全体の一割にも満たなかった一刀団であるが、甘寧の連れ出した三千がほぼ全滅したこの状況では、今回の戦闘では多少の負傷者は出ても戦闘続行が不可能な者が一人も出ていない一刀団は、喉から手が出る程欲しいはずだ。

 

 その内心を理解した上であると、団全員で撤退せよと命じた上に援護までしてくれるのは虫が良すぎると思った。今はそれで良かろうが、後で状況が変わった時に責められては、一刀の経歴に傷をつけたくない梨晏としては困るのだ。

 

 ここまで身体を張ったのだから、最後まで張るのも誤差のようなものだ。降って湧いた一刀撤退の許可は手放さないにしても、後で追及されるようなことはできるだけ避けたい。

 

 そんな梨晏の内心は甘寧には看破されていた。よくもその年でそこまで気が回るものだと感心するが、それは余計なお世話というものだった。甘寧としては一刀は命の恩人であり、呂布撃退を演じた功労者の一人である。

 

 それをより劇的に孫呉のために活かすのであれば、一刀の撤退は絶対に必要だったし、まかり間違っても死んでもらっては困るのだった。

 

「安心しろ。お前の懸念するようなことは起こらんと約束する。要するに、北郷が撤退するのも当然という雰囲気が作れていれば良いのだろう?」

「思春様!」

 

 孫堅の部隊の方から、周泰が騎馬百ほどを引き連れて駆けてくる。呂布の襲撃を察知した孫堅周辺の差配により、甘寧隊の後詰として回されてきた兵であり、決死隊に近い覚悟を持った精兵たちである。

 

 呂布と戦うつもりで馬を駆けさせてきた彼らであるが、ついてみれば戦闘は終わっており、甘寧も無事である。まさか、という思いで周泰が甘寧を見ると、甘寧は当たり前という風に言った。

 

「呂布は撃退した。私は目視していないが深手だそうだ。これは孫呉にとって好機ということで、お前は部下と共に呂布撃退を触れ回って来い」

 

 方天画戟を投げ渡される。撃退の証として、これほど心強いものではない。これで孫呉にも風が吹く、とすぐに踵を返した周泰の背に、甘寧が待ったをかけた。

 

「ああ、口上の内容はこうだ。いいか、『誰が』やったのかを間違えるんじゃないぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっはぁ! 右を見ても敵左を見ても敵。おまけに斬っても斬っても湧いて来やがる。ここは天の国かオラ!」

 

 孫呉の兵団を率い、連合軍の左翼を担っていた孫堅は本人の奮闘も空しく攻めあぐねていた。兵の質に差はなく、将の質では明らかに勝っているのに戦線は拮抗している。原因は士気の差だ。虎牢関の兵は末端の兵に至るまでが皆、死んでも喰らいつくという目で戦っていた。

 

 命知らずで知られる孫呉の兵の気概も決して負けてはいなかったが、死体でさえ動き出すのではないかという程の敵兵たちの形相は、一度押し込んでもさらなる勢いで押し返されることの繰り返しで、何人兵を殺しても決め手を欠いていた。

 

 場を繋ぎさえすればいずれどうにかなる。敵兵たちはそれを確信に近い形で共有している。それは彼らにとっては絶対的で、日が東から昇ることよりも当然のこと。

 

 国士無双にして当代最強の武人、呂布の存在である。

 

 孫呉軍が虎牢関を正面に見て左方より、呂布突撃の気配ありとの報を聞いた孫堅は自分の部隊から周泰を中心とした百の騎馬を派遣。甘寧隊の後詰とした。どちらも若いが将として兵として優秀であるが、呂布に勝てるかと言えば未知数である。

 

 聞いた話が全て真であればとても人間とは思えない女だ。直接戦うならば自分が戦うしかなかろうが、孫堅は武人である前に孫呉の代表であり、全体を指揮する立場にあった。

 

 これなら娘にもっと早く家督を譲ることを考えておくべきだったか。何でもかんでも自分がやる方が話が早いと、この年までやってきたツケが回ってきたのかもしれない。早い段階で中央の指揮を娘に任せ、自らが甘寧隊の後詰に行くのが最も勝率が高い選択と解っていても。

 

 呂布がここまで来るならば高い確率で自分が死ぬことになることも、半ば確信めいていた。

 

 その時は刺し違えてもあの小娘を殺す。決意を固め、敵兵をさんざっぱら斬り殺している最中に、それは戻ってきた。

 

「呂布敗走! 呂布敗走!」

 

 甘寧隊の後詰に送り出した周泰である。同道させた騎馬に囲まれながら、その先頭でがなり立てる少女は危険も顧みず、呂布の象徴たる方天画戟を掲げて戦場を横切っていた。

 

「江東の狂虎、孫堅が配下、()()()()()()()()()()呂布は撃退された! 董卓軍恐れるに足らず! 進撃すべし! 進撃すべし!」

 

 怒号飛び交う戦場に、周泰の声は良く響いた。ありえない。そう思った敵兵は多いだろうが、周泰の掲げる方天画戟は本物である。負けるはずのないものが負けた。絶対であったはずのものが、そうではなかった。

 

 呂布を近しく感じるものにとって、周泰の知らせはまさに青天の霹靂であったことだろう。あれだけ不撓と思えた集団が、あれだけ粘り強く戦った敵兵たちが、その方天画戟を見て動きを止めた。

 

 好機である。孫堅は動きを止めた正面の兵の首を跳ね飛ばし、吹き出す血飛沫に哄笑いながら、大音声を上げる。

 

「孫呉のクズどもよ! 愛する俺の兵子どもよ! 理解してるだろうがこの俺がまた教えてやる! 国士無双! 天下の飛将軍呂奉先は、今さっきくたばった! それを成したのは誰だ?

北郷一刀。あの青瓢箪の優男だ!」

 

「天にも至らんとするあの全き壁を、あの男が打ち破った。てめえらどうだ? 悔しいか? 悔しいだろう!」

 

「それは俺がやるべきことだ! それは、俺たちがやるべきことだった! 俺が、俺たちが克服すべき困難を、あの男と仲間たちは成し遂げた!」

 

「ならば俺たちが成すべきことは一つ! 奴の偉業を称え、この良き日に花を添えてやろう!

奴の歩く道を敵兵の血で染め、脇には死体を積み上げろ! 俺たちの、仲間が、やってやったぞ! 俺たちも、後に続け!」

 

「江東の狂虎、孫文台がここに、大号令を発する! 野郎ども――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ぶっ殺せっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 孫堅の号令に寄り、連合軍側左翼の孫呉軍が大きく前進。呂布敗走の衝撃という精神的な間隙を突いたその突撃は董卓軍右翼の兵の悉くを討ち取った。その分、孫呉軍側の被害も甚大であったものの、味方の損耗の実に三倍もの死体を積み上げ、自分は一人で千人はぶっ殺したと戦闘後に豪語した孫堅の言葉の通り、この戦闘における第一功を孫呉軍はもぎ取っている。

 

 同様に、中央を担っていた曹操軍は孫呉軍に呼応して前進。董卓軍中央の将を討ち取るまでに至る。

 

 右翼を担っていた公孫賛軍は、左翼中央の前進に合わせて自軍の向きを僅かに修正。自軍右方の張飛隊を横に広げて敵軍左方を圧迫。元より押し込んでいた董卓軍左翼を中央の方へ向けて押し込む形となった。

 

 大きく分けて三軍となっていても、何もぴったりとくっついて戦っている訳ではない。左翼が中央に向けて押し込まれた所で、すぐに中央に接触する訳ではないのだが、万を超える大軍がこちらに向けて押し込まれているというのは、董卓軍中央にとって大きな精神的圧迫となった。

 

 その分、ただ押し込んでいた曹操軍よりも公孫賛軍は兵を損耗することとなったが、中央を指揮していた曹操をして『良い仕事をした』と言質を取ったことは、先の汜水関戦での功績も合わせて公孫賛の株を更に上げることになった。

 

 呂布襲撃が失敗したことに加えて、その間隙を突かれて全ての戦線で押し込まれたことで虎牢関の代表であった賈詡は早い段階で虎牢関から追加の兵を補充。万単位の増援が現れると、連合軍の三軍は示し合わせたかのように兵を引き、開戦の場所に戻り陣を引きなおした。

 

 両軍のにらみ合いはそのまま日没まで続いたが、結局その日は戦闘は再開されず、そのまま終戦と相成った。

 

 後年に書かれた歴史書には、この虎牢関での戦闘は董卓軍側の大敗として記録され、その第一功として北郷一刀の名前が記されている。

 

 また、黄巾の乱から始まった一連の戦乱が収束し、平和な時代が訪れるまでの期間――その主役の一人である北郷が『三国志』と呼びたがり、三国とは何を指すのかと度々議論される――を題材とした物語は後年、小説、講談、舞台演劇など、当時の娯楽としては最大級の人気を得ることになるのだが、『北郷一刀が敬愛する自軍の将甘寧を守るために彼女の命令を破ってまで出撃し、当時最強の武将である呂布に果敢に一騎打ちを挑み、見事にこれを撃退する』という一刀本人の語った事実と全くことなる脚色をされた序盤の一幕は、終盤の『公孫賛の大号令』と並んで絶大な人気を博すことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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