真・恋姫†無双 一刀立身伝(改定版)   作:DICEK

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第040話 反菫卓連合軍 虎牢関攻略編④

 

 

 

 

 

 『騎馬隊を率いる名手』という評判から、それ以外は不得手と思われる節のある公孫賛だが、彼女の関係者はそれが明確な誤りであることを良く知っている。公孫賛というのはおよそ全ての事柄において名手と呼ばれるだけの実力を持ち、その中でも特に騎馬隊を率いることに優れている才媛の名だ。

 

 実際、趙雲がやってくるまでは公孫賛軍において全ての武芸で彼女が筆頭だった。剣を使わせても矛を使わせても弓を使わせても、果ては何も使わずに徒手格闘でも彼女に勝つ――どころか準ずる人間さえ存在しなかった。

 

 学問においては少し程度が下がるものの、それでもほとんどの文官よりも頭が回った。関羽が連れてきた軍師たちの語る展望に文官たちはついていくのがやっとだったが、公孫賛はこともなげにそれに追随した程だ。

 

 確かにこの世において並ぶ者なしとはいかないだろう。個人の武においては関羽や趙雲に。叡智においては諸葛亮や法正には及ばない。何事も極められない半端者と本人は自虐するがとんでもない。

 

 彼女こそが自分たちの大将であり、仕えるべき人なのだ。それを不満に思っているものはこの虎牢関にまでやってきた兵の中には一人もいない。最後まで白馬義従と共に戦うのだ。心に決めた兵たちの士気は高く、それは図らずも虎牢関の董卓軍にとっては計算外のことだった。

 

 孫堅軍、曹操軍、公孫賛軍と相対することになった董卓軍はざっくり部隊を三つに分けたのだが、公孫賛軍に相対する兵は他の二軍に比べると兵数で劣っていた。それは単純に攻め手の人数構成を見た故のことでもある。守勢である董卓軍はある程度、相手を見て編成を決めるだけの余裕があった。

 

 配置できる兵の数が有限である以上、その範囲内でやりくりするしかない。

 

 そして、連合側の三軍を比べた時、兵力として見た場合の公孫賛軍は他の二軍に比べて劣っていると虎牢関の筆頭軍師である陳宮は判断した。()()()()()()()()()()戦線の維持こそが重要であり撃破の必要は必ずしもない訳であるが、相対的に他の軍相手よりは少ないにしても、この兵、この人数ならばと自信を持って配置した兵たちは、軍師陳宮の想定を遥かに超えて追い込まれていた。

 

 三軍対三軍。横並びで始まったはずの戦は公孫賛の軍だけ虎牢関側に押し込む構図となっていた。

 

 その原因はいくつかあるが、一番の理由は公孫賛本人が先頭に立って戦い、兵に直接指示を出していたことだ。

 

 白馬義従たる公孫賛は普段は白馬陣の指揮をしており、歩兵として戦うことはほとんどない。

 

 関羽が連れてきた兵は関羽個人に忠義を尽くすが、公孫賛軍全体として見れば彼らは少数派に属する。関羽団以外の兵は公孫賛が自ら鍛えた幽州の兵だ。地に足を付け自ら前線に立ち兵を鼓舞しながら剣を振るう彼女を見て馬鹿にする人間はいない。本人も含めて不当に評価が低いだけで、公孫伯圭もまた乱世に名だたる武将の一人である。

 

 だが悲しいかな。彼女に接する機会のない人間程、風聞から彼女を下に見る。命を懸けて相対している戦の最中でさえ、公孫賛はそれを肌に感じていた。

 

 さんざっぱら敵を斬り殺しているにも関わらず、公孫賛の前に回ってきた兵は彼女を見て『しめた!』という顔をするのだ。戦働きで身を立てようとする兵なのだ。大将首が目の前に現れれば喜びもしようが、まるで自分の勝利を疑っていないのが表情にまで出ているのは、戦時でさえ幾分公孫賛の気を滅入らせた。

 

 相手の矛を剣で弾く。大将首と解って喜々としてかかってくるのだ。なるほど公孫賛の目から見てもそれ程悪い腕でもない。そもそも董卓軍、虎牢関に詰めている兵なのだから弱兵であるはずもない。よく訓練しているし、実際に強い。自分の軍に入ればそれなりの地位にも就けただろうし、気を抜けば殺されるかもしれないが……残念ながらそれまでだった。

 

 一足。矛を外に弾いて踏み込む。重い矛の一撃を両手で構えた剣で易々と弾かれるのを繰り返し、男は漸く目の前にいるのが強敵であることを理解した。顔を真っ赤にして矛を振り回すがそれが全ていなされてしまう。

 

 このままでは死ぬ、というのが男に実感として降りるようになったまさにその瞬間、公孫賛は小さく息を吐くと、鋭く踏み込んだ。剣の切っ先が鎧を突き抜け、左の肺を貫く。致命傷である。それを理解した男は無造作に公孫賛の剣を掴んだ。

 

 彼の目からは公孫賛の背後から迫る仲間の姿が見えていた。どうせ死ぬのならば道連れに――しかしそれに付き合ってやる義理はない。突きを放った瞬間に男の心の変遷を読み取っていた公孫賛は、踏み込んだ瞬間には剣から手を放していた。

 

 剣を掴まれるのとほぼ同時に男の身体を蹴り飛ばして反転すると、勢いそのままに前に踏み込み、近い方の兵に鎧の上から拳を打ち込む。

 

 関羽や趙雲などの一流には及ばないものの、この時代の女性の英傑の例に漏れず、公孫賛も常人とは一線を画す膂力を持っている。その膂力をもってしての打撃なのだ。打たれた兵は堪らず身体をくの字に曲げるが、それは公孫賛の望む所である。顎をかちあげ完全に意識を刈り取ると、腰に下げられた鞘から剣を抜き取る。

 

 少し重い。が、良く手入れされている。

 

 左から振り下ろされる錘に、正面から剣を合わせる。重量差に負けて剣はへし折れるが、その衝撃は相手にも伝わる。まさかこの重量差で相打ちになると思っていなかった男は錘の重量に負け身体を後ろに引っ張られる。

 

 それは公孫賛にとっては致命的な隙だった。折れた剣を振りかぶり、そのまま放る。飛刀もかくやという速度で飛んだそれは男の額をかち割り、絶命させた。錘と、男の身体が地に落ちるのを見ることもせず、手近な死体から剣を取り上げる。

 

 二度三度。感触を確かめるように振ると、他人の剣でも僅かに手に馴染んでくる。

 

 次は誰だ。気づけば公孫賛の周囲に敵はいなくなっていた。一番近い集団は錘の敵が公孫賛と戦っている間に距離を取り、急いで隊列を組みなおしている所だった。元は別の隊なのだろうがその動きに遅滞はない。良く訓練されている良い兵だ。

 

 だからこそ、それと戦わなくてはならないのが忍びない。こんな所で命を懸けるなら自分たち両方にとっての外敵と戦うことに命を懸けてくれないものかと心底思うが、それがままならないのが世の中というものである。

 

 董卓軍の兵が引いてみせたことで公孫賛軍にも態勢を立て直すくらいの時間はできた。ほんの十秒程度のことではあるが、息を吐ける間があるのはありがたい。

 

 手短に部隊再編の指示を出しながら、水筒を取り出し頭から水を被る。騙し騙し飲み続けてきたがこれでついに空になってしまった。名残惜しさを感じつつ水筒を放り投げ、こちらと同じくとりあえずといった感じで隊列を整えている董卓軍を観察する。

 

 精兵だ。それは間違いない。こちらを殺しに来ている。それも戦をしているのだから当然だろう。今まで戦った中でも強敵な部類に入るが、今の段階では公孫賛の軍の方が押し気味である。

 

 これも別に不思議なことではない。世間には騎馬のみと見られがちな公孫賛軍であるが、騎馬を活かすためには当然歩兵の援護が必要である。騎馬が突出して強いだけで歩兵もまた精強なのだ。

 

 今回押し気味であるのも相手がそういうタカを括っていたことに依るのかもしれないが、それにしてもと公孫賛は思っていた。

 

 確かに公孫賛軍が想定よりも強いことは、相手にとって予想外のことではあるのだろうが、この押し具合は出来過ぎている。

 

 ある程度までならば押し込まれても良いとでも考えている布陣とでも言うべきか。兵の動きもどこか守りに偏重しているように思えてならない。勿論あちらは守る側なのだからそれも当然であるのだが――考え、周囲を遠目に見回した所で公孫賛は気づいた。

 

 深紅の『呂』旗を見ていないのだ。視界の隅にでもうつれば危険を訴えてくるあの旗を公孫賛はまだ戦端が開かれてから一度も見ていない。

 

 かの飛将軍はこの戦に参加している。袁紹軍を大いに打ち破った先の大勝に続いての戦闘である。ここが大事というのは向こうも解っているだろう。戦力を出し惜しみするとは考えにくくどこかには投入してくるに違いはないのだが、右翼で戦う公孫賛はその旗を全く見ていなかった。

 

 ここにはいない呂布。押し気味の戦線に守勢に回る敵。差し当たって、公孫賛は一つの結論に達した。

 

「狙いは、孫堅か……」

 

 袁紹が大敗したことで連合軍の中で最大兵力を保持するのは袁術軍となった。これは傘下の孫堅軍を含めた数字であるが、仮に抜いたとしてもほぼ無傷の袁術軍と袁紹軍では兵の質の面で袁術軍が上回るだろう。

 

 形の上では袁紹が盟主であるが、兵力の差は発言力に等しい。いくら袁紹の性格でも兵を減らした今となっては袁術の――ひいては張勲の発言を無視することはできないし、周囲もそう考える。

 

 董卓軍としての最善は袁紹軍が即座に名誉挽回を目指して軍を出してくることだったのだろうが、そこまで上手く事は回らない。実際には袁紹軍は後ろに引っ込み、袁術の傘下である孫堅軍が出てきた。公孫賛軍、曹操軍、孫堅軍。このどれを打ち破れば敵に一番被害を与えることができるか――

 

 あちらの軍師はそこまで考えて孫堅軍を選んだのだろう。あの軍は実質的な袁術軍の後ろ盾だ。現時点で袁紹軍と袁術軍が争ったとして二目と見れぬ泥試合にならないのは、偏に孫堅軍があればこそだ。

 

 つまりは孫堅軍がいなくなれば、袁術軍と袁紹軍の力の差は辛うじて挽回可能な所にまで変動する。戦っても勝てないのならば言いたいこともいくらか飲み込もうが、勝てないことはないくらいになれば袁紹の性格であれば黙っていられるはずもない。

 

 戦闘の長期化は防衛側の董卓軍には望む所。迅速な意思決定ができなくなればなるほど、遠征の大軍団を維持することもできなくなる。

 

 だからこそ多く兵を損耗することを覚悟の上で、今日ここで孫堅を殺すことを選んだのだ。

 

 孫堅軍のことを考え、公孫賛の脳裏に最初に浮かんだのは一刀のことである。一度顔を合わせただけの優男で愛紗の思い人だ。孫堅軍では勇猛と名高い甘寧の指揮下にある。呂布と相対することもあるだろう。

 

 戦場で呂布と見える。それは兵にとっては死と同義である。北郷にそれほどの武があるとは思えない。一緒にいた少女らがいても一緒だ。呂布と相対すれば命はない。それは事実としてそうなのであるが、不思議と公孫賛は北郷が死ぬとは考えなかった。

 

 それは、孫堅が死ぬよりも孫策が死ぬよりも遥かに現実味がないように思えた。

 

 まさかな、と公孫賛は自分の考えに苦笑を浮かべた。予想や予感がばしばし当たるか全く外れなら使い道もあるが、彼女のそれらはそこそこ当たるしそこそこ外れる。予感の範疇にある読みはその辺にいるおっさんと変わらない精度だと自負している程だ。

 

 だから良いことでも悪いことでもほどほどに信じて、ほどほどに信じないことにする。何が起こるにしても心構えだけはしておいて、良いことであれば目一杯に喜び、悪いことであれば涙を堪えるのだ。

 

 だが公孫賛の個人的な心情として、北郷一刀という人間には死んでほしくない。それで何が変わるというのでもないのだが。公孫賛は一度、北郷が戦っているはずの方を向き、声に出して言った。

 

「死ぬなよ、北郷」

 

 眼前で雄叫びがあがる。隊列を組みなおした董卓軍が気勢をあげていた。意気軒高。相手にとって不足なし。こちらも負けぬと、公孫賛も剣を高々と雄叫びを挙げる。兵たちがそれに続き、敵を殺すべしと駆けだしていく。押し気味の戦線。されど精強な精兵は健在。

 

 戦はまだ、終わりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら貧乏くじを引いたのは我々のようだな……」

 

 深紅の『呂』旗を遠目に見ながら甘寧が呟く。合わせて甘寧隊は隊列を変えていた。呂布の一団がこちらに向かって突っ込んでくることに疑いはないらしい。正面からぐるりと回ってここまで来たのだ。突っ込むならばもっと適した場所があると一刀は思うのだが、よりにもよってここを選んだのはどういうことなのか。

 

「ここが炎蓮様を狙うのに一番適しているからだろうよ」

 

 味方と接している正面は割り込む隙がなく、背後から襲っては間にいる兵が厚い。ならば横からという訳だが、連合軍は右翼から公孫賛、中央が曹操軍、左翼が孫堅軍という布陣になっている。

 

 あくまで孫堅を狙うのであればなるほど、右翼から中央を横切ってというのは現実的ではない。曹操軍と孫堅軍の間に入るという選択肢もないではないが、挟撃される可能性を考えれば左翼の左側、できるだけ後方から攻め入るのがリスクが少ないと一刀にも解るのだが、それは途轍もなく素人考えのように思えた。

 

「準備万端待ち構えている我々を突っ切って孫堅様を討ち取って無事に逃げおおせるという自信があるように思えるのですが」

「しかもたった一度でな。舐めやがって……とさえ思えないのが辛い所ではある。飛将軍呂布ならばそれくらいやるだろ」

 

 そしてそれと戦うのが自分たちの仕事という訳だ。甘寧の言葉を借りるまでもなくまさに貧乏くじである。これは死んだかな……と我が事ながら他人事のように考えていると、甘寧が小さく咳払いをする。

 

「時に北郷。お前に一つ良い知らせがある。今からお前を副長の一人に任ずることにした」

「……なんと?」

「加えて四番隊と五番隊をお前に預ける。当座この場を死守せよ。後は状況に任せて判断してくれて構わん」

 

 額面通りに受け取るならば大きな出世である。一刀本来の望みと合致するので望む所ではあるが戦地で臨時にというのはどうにもタイミングが悪く、また部隊の分け方も不自然だった。

 

「一番から三番は?」

「私が率いて呂布を迎え撃つ。あれはどうにかせねばならんがこの場を放置する訳にもいかん」

「それはそうなのですが……」

 

 一刀の言葉も歯切れが悪い。呂布の進路が予想通りであれば、甘寧のおよそ三千が抜かれれば次に相対するのが一刀の二千五百だ。本来の任務を放棄できないという甘寧の言い分も理解できないではないが、態々部隊を二つに分けるのであれば、本来の任務を半ば放棄してでも呂布に全軍で当たるのが良いように思えた。

 

 その分孫堅軍全体の守りが薄くなる訳であるが、今まさに呂布に攻められようとしているのであれば誤差のようなものだろう。それで呂布を撃退、まして討ち取ることができればお釣りがくるし、皆まとめてやられてしまうのであれば、それこそ自分たちにはどうしようもないことだ。

 

「明命の方に伝令を走らせた。遠からず500程度は援軍が来るだろう。私が抜かれるようなことがあれば──まぁないとは思うが、死力を尽くしてここを守るように」

「…………承りました」

 

 甘寧なりの配慮なのだと理解した一刀はそれ以上口答えをすることをやめた。甘寧隊は部隊が全部で5つあり、番号が若いほど古参の兵が多く平均年齢も高い。部隊の指揮に回されているもの以外の甘寧の河賊時代の部下は全て一番隊に配属されているなど、兵としての質も高いのが特徴だ。

 

 後からいきなり加わった一刀団は例外的に一番隊に所属していた訳であるが、一刀が暫定的に副長の一人に昇格したことで離脱となった。

 

 所属して間もない人間が千人将を超えていきなり二千を指揮することになったのである。平素で他の軍であれば不満も出ただろうが、甘寧隊に所属してからこちら、あの鬼も裸足で逃げる孫堅を相手に好き放題する一刀の『武勇』は孫呉軍では広く知られており、他の隊との交流も欠かしていない一刀の評判は、特に甘寧隊の中では非常に高いものだった。

 

 指揮権の委譲が一刀が考えている以上にスムーズに行くと確信していた甘寧は、何とも言えない表情をしている一刀に、そんな顔をするな、と小さな苦笑を向ける。

 

「後は任せたぞ」

 

 今はとにかく時間が惜しい。残軍の指揮を一刀に任せた甘寧はその場を離れ、呂布に向けて既に防御陣形を組み始めていた河賊時代からの副長に声をかける。

 

「首尾は?」

「勝てる見込みがないことを除けば万全ですな。いや、危ない橋を何度も渡ったつもりでおりましたが今回はとびっきりだ」

「相手は呂布なのだからそれも仕方なかろう。今の持ち場が死に場所だ。死んでもくらいついて食い止めろと改めて命を飛ばせ」

「了解でさ。しかし……良くもまぁ、向こう見ずな腕っぷしだけの小娘がこんな所まで来たもんだ」

 

 感慨深げな副長の言葉に甘寧も目を細める。一番隊は皆付き合いが長いが副長である彼は本当に最古参の一人である。世直しをしたいと漠然と思い立ったまだ少女だった頃の甘寧が、最初に目についたからという理由で地元のチンピラが移動に使っていた船を一人で沈めてやったのが最初の出会いである。

 

 川岸まで死ぬ思いでたどり着いた彼らは先回りをしていた甘寧にしこたま殴られ子分になるかここで死ぬかの事実上の一択を迫られた。その後は寝込みを襲おうとしては半殺しにされ稼ぎをちょろまかそうとしては半殺しにされたが、戦で命を落とす以外に隊からいなくなったものは一人もいなかった

 

 それは河賊から足を洗い孫呉軍の一部になっても変わらない。彼らにとって主君はおらず、ただ甘寧についていく。そういう集団なのだ。

 

「その小娘についてくる貴様らも酔狂の極みだろう。あれほどまでに小賢しいのだ。もっと楽に生きる道もあっただろう」

「ついてきちまったんだから仕方ありやせんや。何故か、と言われると答えられんのが困った所ですがね」

「…………先に待っていろ。私もその内行く」

「できるだけ遅めのお越しを。子供だの孫だのの話を聞きたいもんですね」

 

 はは、と笑った副長は一礼して持ち場に戻った。孫呉軍の中でも更に荒っぽい連中の集まった甘寧隊は、学がない人間が多く弁の立つ人間もまた少ない。コミュニケーションは主に拳であり、百の言葉をつくすよりも一つの行動で示すことで甘寧は彼らを率いてきた。

 

 船一艘から始めた集団が五千ほどに増えても、それは変わることはない。彼らにとって自分は頭だ。命令を出す人間であり、そしてその命令は絶対だ。

 

 甘寧は彼らにここで死ねと命令した。命令の通り、彼らはここであの呂布を相手に戦い、そして死ぬのだろう。共に修羅場をくぐった仲間たちの死に感傷がない訳ではないが──小さく、そして深く甘寧は息を吐く。

 

 透き通った赤紫の瞳は冷徹な光を放っている。その目に、遠く深紅の『呂』旗が翻っているのが見えた。

 

 今から、あれを倒すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陳宮の立てた作戦に従い、呂布は所定の位置についた。

 

 連合軍の大将首、そのどれか一つを一息に討ち取るというものである。そんな都合良く行くものかと陣営の中からさえ疑問の声が挙がったが、実行者として指名された呂布が一言『できる』と発言したことで採用の運びとなった。

 

 董卓軍は防衛側である。虎牢関に詰めている兵は士気も高く、兵糧も今度こそしっかりした管理の下に潤沢に用意されていた。態々危険を冒す必要はないというのが実行に反対した連中の意見であるが、陳宮と実行者である呂布の考えは少し異なっていた。

 

 勢いというのは無視できるものではない。董卓軍は汜水関で大敗した。虎牢関での初戦こそ大勝したが、まだ汚名を雪ぐには至っていない。勢いも依然、連合軍の側にあると見て良いだろう。

 

 どこかで一つ、連合軍の勢いを挫く必要がある。そのためにはできるだけ大物の、大将首が欲しい。理想は先の戦で袁紹を討ち取れることであったのだが、張遼の部隊は敵の待ち伏せを看破し、大打撃を与えるに留めていた。

 

 今は自陣の奥深くに籠っており、会議の時くらいしか外に出てこないという。守っているのは精鋭で暗殺も難しいそうだ。

 

 誰を討つのかは当日、どこの軍が出てくるかによって決まる。

 

 そうして当日。出てきたのが孫堅軍、曹操軍、公孫賛軍の三つであり、それぞれ左翼、中央、右翼と割り振られたのを見ると、陳宮は迷わず孫堅を討つことを決定した。

 

 呂布の率いる騎馬隊は二百。董卓軍でも最精鋭であるが、外から突撃して更に離脱せねばならない関係上、侵入する位置にはいくつか注文を付けねばならない。

 

 まず正面全て。指揮官たちはこの作戦を知っており、布陣もその援護を意識して行われているが、その戦闘行動を呂布自ら邪魔することはできない。迅速な行動のために味方の行動を制限しては本末転倒だ。

 

 逆に背面は戻るべき虎牢関との間に連合軍を挟む形になる上に、連合軍の陣地からも捕捉される可能性が高い。歩兵がで出てきた所で逃げ切る自信はあるが、足の速い馬超軍などの騎馬に追い回されては行動に支障が出る恐れがある。

 

 残るのは側面。関の上から確認する限り、公孫賛軍は歩兵を補佐する形で白馬陣を含む騎馬部隊が出陣しているようであるが、その指揮に公孫賛は加わっておらず、彼女は張飛と共に歩兵の指揮を受け持っていた。

 

 ならば狙い目ではと考えることもできようが、指揮官がいつもと異なろうと白馬陣が帝国有数の騎馬隊であることに変わりはない。失敗できない作戦である以上、決行前に潰される要素は排除せねばならず、消去法的に左翼側からの侵入が決定。

 

 そこから侵入して中央の曹操を狙うのは現実的ではないということで、左翼軍の大将である孫堅を狙うことに決まった。連合軍の中では相対的に騎馬部隊が弱く数も少ないという、陳宮としては注文通りの相手でもあった。

 

 呂布がいるのは連合軍の左翼側面、やや後方を狙う位置である。兵の顔も判別できないような距離であるが、やはり深紅の旗は目立つのかこちらの姿を捕捉するや否や、進路上にいた部隊はこちらを迎え撃つために陣形を変えてきた。

 

 翻る旗は『甘』とある。猛将と名高い甘寧だろうと副長の義妹が教えてくれたが、その名前は呂布の脳裏からするりと抜け落ちてしまった。味方の名前は覚えられても、戦う敵の名前は覚えられないのだ。

 

 方天画戟を振り上げ、降ろす。騎馬隊二百騎が一斉に動き出した。張遼の施す厳しい調練を潜り抜けて来た精兵中の精兵。単独で行動するのが何より強い呂布の露払いのために選ばれた彼らは、呂布の合図で彼女の手足のように動き、戦い、あるいは死ぬ。

 

 正面。甘寧隊の兵たちが戟を並べている。深紅の旗を見てもひるむ様子はない。良い兵だ。手強い兵だ。それを正面から叩き潰すのが自分の仕事だ。戟を振りぬく。兵たちの腕が、首が、胴が舞った。間髪入れず雨のように飛んでくる矢。戟を振りぬく。何でもないかのように吹き散らされる。

 

 騎馬隊の速度は衰えない。大楯を構えた集団も、戟を構えた集団も、かまわず射かけられる矢も、呂布とその部下たちは何も問題にしなかった。無人の荒野を行くかのごとき進軍は、彼らにとってはいつものことだ。天下の飛将軍に率いられた自分たちを、遮るものなどあるはずもない。

 

 普通であれば慢心とされるそれも、呂布を先頭にしてはそうでもなかった。一度でも呂布と戦ったことのある人間にとって彼女は絶対であり、負けることもなければ苦戦することもない。武の象徴。国士無双にして万夫不当。敵であれば死の象徴ともなろうが、今はその絶対は自分たちを率いて駆けているのである。

 

 自分たちが負けるはずもない。呂奉先が負けるはずもない。そんな信仰に支配され、しかし心中の慢心などおくびにも出さないまま、順調すぎる進軍の中、当の呂布だけが違和感を覚えていた。

 

 誰かが自分を見ている。深夜の森の中を一人歩いている時のような。森の中に溶け込んだ獣の気配だ。ここは戦場。獣などいるはずもない。兵であるなら、敵であるなら、それが自分の命を狙っているのだ。

 

 感性で動く武人の特徴として、呂布は董卓軍の兵の中でも特に気配に敏感であり、本人もそれを自覚している。容易く奇襲を看破してみせたのも一度や二度ではなく、呂布自身、その感性に自信を持ってもいた。

 

 その感性で、視線の主を捉えることができないでいる。これは罠だ。呂布の理性的な部分がはっきりとそれを警告したが、感性的な部分がそれを無視する。罠ならば踏みつぶせば良いのだ。これまでもそうしてきたし、これからもそうする。

 

 進む。そう決めた呂布の馬が唐突にがくんと躓いた。大きく前方に姿勢を崩したその馬から、呂布も投げ出される。慌てたのが、彼女に追随していた兵たちだ。落下する大将をそのまま拾おうとするが、そこに狙い澄ましたように甘寧隊の兵たちが殺到する。

 

 まるで肉の楯だ。武器を構えた者もいれば、ただ身を投げ出してきた者もいた。まして彼らは歩兵であり、速度の乗った騎馬隊に敵うものでもない。たちまち彼らは討ち取られるが、その間に騎馬隊はその場を通り過ぎていく。

 

 転身して戻って、突入をやり直す。副長が下した判断は迅速であったが、最大速度で歩兵に大きく勝っても、小回りについては逆だ。

 

 これが最初で、最後の機だ。最古参の副長は、天にも届けとばかりに声を張り上げる。

 

「地獄の鬼より怖い狂虎の外に、錦帆の旗下に敗北はねえ! さあここが死に時だぞクズども! 飛将軍をぶっ殺せ!!」

 

 怒号を上げて殺到する兵たちを横目に、呂布は自分の馬がやられた原因を見た。地面に浅く掘られた穴に、不相応に大きな鎌を持った兵たちの死体があった。自分の頭上を馬が通るまで待ち構え、その鎌でひっかけたのだろう。

 

 彼らは後続の馬に踏みつぶされて見る影もないが、彼らは確かに仕事を果たしたのだ。

 

 こいつらは、死兵なのか。目の前の兵たちが死に物狂いであることを、呂布はこの時初めて理解した。戟を振るい、目を細める。義妹が換えの馬を用意しつつ戻ってくるまで、およそ三十秒。自分を囲む兵たちは強く、死に物狂いであるが、それでも問題ないと呂布は判断する。

 

 一つ戟を振るえば、十も兵が死んでいく。そんな環境の中でも兵たちは怯まない。呂布を殺そうと武器を持って殺到し、少しでも気勢をそごうと近寄ろうとしてくる。殺す殺す殺す殺す。それでも兵たちは怯まない。

 

 呂布の頭上を影が覆った。

 

 荒縄で作られた網である。まだ生きている兵やその死体を巻き込んで、動きを止めようというのだ。矢のように吹き散らすのは容易い、が兵たちは自分の命などいらないとばかりに殺しても殺してもかかってくる。あれを払うために戟を振るえば、兵の刃や腕が自分に到達するだろう。

 

 それで殺されるつもりはないが、如何に呂布と言えども腕は二本で足も二本と人の形をしている。僅かでも動きが遅れれば、仲間と合流が遅れる。何のことはない。それでも僅かの気後れもせず、呂布は仲間がやってくるのとは逆の方向に、大きく飛んだ。だが、

 

 

「かかったな、クソが!!」

 

 

 死体の山まで予定の通りだったのか、縄付きの分銅が呂布に向かって殺到する。戟を振る十も二十も叩き落したが、それでも全ては払えない。いくつかが呂布の身体に巻き付き、動きを制限する。力が拮抗する――それも一瞬だ。この程度ならば容易く払える。

 

 戟を握り直し、縄分銅を打ち払おうとした呂布の前に、一頭の獣が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気配を殺し、己を殺し、ただひたすら待った。機を作るために仲間がただ殺されていく間、甘寧は息を殺してただじっと待った。

 

 全ては最後に勝つために。それしかないとなれば、仲間は命を捨てる。呂布はそれだけの相手で、主君を守るためには命を張らねばならないと誰もが理解していた。

 

 隊の人間はほとんど思春が調練してきたものだが、孫呉に合流してから受け持つようになった面々にまでは、幸か不幸か昔からの仲間のような考え方は行き届いてはいなかった。

 

 だからそう言った連中を、そう言った連中の筆頭である所の一刀に預け、昔ながらの方法で戦うことにした。そのせいで、まさに仲間たちがひたすらに殺されている訳であるが、それに耐えるのが自分の役目とばかりに、甘寧は息を殺し気配を顰めた。

 

 そうして、その機会がようやく訪れる。

 

 命を使い潰して、呂布を馬から引きずり下ろす。今がその時だ。確信した甘寧は駆けだしていた。地に足を付けた呂布が方天画戟を振るう。その呂布に向かって分銅付きの縄が無数に飛んで行った。女の髪を編み込み、鋼の粉を塗した特注の縄だ。容易く両断はできないはずのそれを呂布は軽々と断つが、全てを断つことはできない。

 

 いくつかの縄が呂布に絡む。後は力比べだ。絶対に離さぬとばかりに地に足を踏ん張る仲間に合わせて更に縄が方天画戟に向けて飛ぶ。拘束は精々数瞬。呂布は何なくそれを突破する。

 

 だが、甘寧の仲間たちを殺すために振るわれていた方天画戟が、呂布の膂力が、その拘束を解くために向けられる。外に全て向いていた力が、僅かに逸れた。

 

 刃は、通る。

 

 呂布が獣の気配に気づいたその時には、甘寧は既に彼女の前に飛び出していた。必殺の時、必殺の刃。まるでそのために無防備になっていたかのように、甘寧の刃の行く先には、呂布の首筋が晒されている。

 

 死ね、飛将軍。死ぬがいい!

 

 仲間の死も、自分の雌伏も、全てこの時のために。放たれた必殺の刃は閃光のような速さで呂布の首筋に吸い込まれ――

 

 ――皮一枚を割いて、止まった。獣の奇襲は失敗したのだ。

 

 追撃をするべきだった。失敗した時の段取りまで、甘寧は細かに考え指示を出しており、兵たちもそれを共有していたのに、それを甘寧がそれを思い出したのは呂布の拳にアバラ骨を砕かれた後だった。

 

 獣が奇襲をするのに瞬きの間で十分ならば、それは飛将軍も同様だった。戟が縄を切り、兵を斬り、首を胴を飛ばす。甘寧が血を吐きながら身を起こした時に、動いているのは自分だけになっていた。

 

 自由になった呂布が首を押さえながら甘寧に歩み寄る。押さえた首には血が滲んでいたがそれだけだった。致命傷には程遠い。

 

「三千近くの仲間の命をかけて、貴様に与えた傷は皮一枚か……」

「死ぬかと思った。首以外を斬られたら死んでた」

「慰めにもならんな」

「今まで戦った中で、お前たちが一番強かった」

「精々、あちらで自慢させてもらおう」

「呂布。字は奉先。真名は恋」

 

 その言葉に痛みを堪えながら甘寧は顔を上げた。方天画戟は振りかぶられたまま、これから殺すということに変わりはないらしい。そんな相手に真名を許すというのもおかしな話と思ったが、これが天下の飛将軍なりの気持ちなのだと思うと悪い気はしなかった。呂布と真名の交換をしたのだ。自分の言葉の通りにあちらで自慢の種の一つにはなるだろう

 

「甘寧。字は興覇。真名は思春だ」

「思春。いずれまた」

「ああ、またいずれ」

 

 短い言葉のやり取りの後に、ぼんやりと思う。これで終わりか。最後に大きな悔いの残る一生だったが、自分のような半端者にしては悪くない人生だったように思う。

 

 振り下ろされる。まさにその瞬間、飛び出してきた影が体当たりするようにして甘寧を抱きとめた。北郷一刀。元の場所で待機を命じておいた部下の男が、自分を守るようにして抱き留めている。呂布の、天下の飛将軍を前に、たかが男の身体一つ何の盾にもならないことは解っているだろうに。それでも目を閉じ、必死に自分を抱き留める男の顔を見て、思春は苦笑を浮かべた。

 

 戦場で死ぬか、病で死ぬか。いずれにせよ満足しながら死ぬとは思っていなかった。忠義のため、大義のため、と言い訳をしても、刃を振るい人を殺めた。いずれそれは自分に帰ってくるだろうと、ロクな死に方をしないと思っていたものだが、

 

(こいつの腕の中で、こいつと共に死ぬか……)

 

 そんな死に方も悪くないなと、甘寧はそっと抱き返した。

 

 方天画戟が、振り下ろされる。

 

 甲高い音が戦場に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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