言峰神父が出版業界にいたら、とても愉悦的な展開になるのではないでしょうか?
出版業界がダメになったとか言われるのにはちゃんと理由があって、そもそも高慢ちきな編……うわあなにをするやめな……。
今回は二三〇〇文字程あります。
「愉悦に満ちた小説を読みたい。」
それが、言峰書店を起業した言峰綺礼氏の願いだったらしい。
この先が見えにくい社会に於いて彼の書店で出版した作品はいずれも一万の部数をほぼ確実に売り上げ、中にはアニメーション化された作品も何点か存在する。
設定がしっかりしていて、中世ヨーロッパにこだわっているとは限らない作品が多いことを特徴とする。
一見流行りでないものを強く支持し、それを人気作へと仕立てるのが言峰氏の得意とする方策。
『愉悦社長』が彼のあだ名だ。
兵庫県冬木市に住まいを有する間桐(まとう)一家が函館を訪れたのは、天候がころころ変わる五月のやや寒い日のことだった。
間桐家当主の雁夜(かりや)さんは私と同じく、『小説家になっちゃったりして』で作品を連載している小説家だ。
既に何作か出版されていて、熱烈な女性読者が多いのを特徴としている。
彼の作品でのヒロインは常に一人で、しかも名前は必ず『アオイ』系だ。
葵
アオイ
葵衣
蒼依
その上、主人公とヒロインは絶対幼なじみで昔から宿縁で結ばれている設定。
嗚呼、黄金様式。
それが若い世代にウケているのだとか。
私にはよくわからないな。
『恋する娘は勇者隊を追放された中年男と共に、開拓村にてスローライフします』が今度映画化されるとか。
東北で主にロケーションを行うそうだ。
洋館の残る場所でも撮影するらしく、函館も候補地のひとつだそうだ。
間桐氏の妻自慢というか崇拝は約一時間に及び、流石にうんざりした。
間桐一家が観光地を堪能した翌々日の夜、私は言峰社長と夕食に臨んだ。
場所はちょいと通っぽい函館市内の店。
非常に赤い激辛麻婆豆腐を出す中華料理店で、そこが彼の指定先だった。
辛い辛いとっても辛い豆腐料理を食べながら、新作の打ち合わせをする。
『恋は雨に打たれた闇夜のように』、略して『こいやみ』が五月末から全国各地で上映されるという。
外食産業が展開する、郊外型飲食店での恋物語だ。
雇われ店長の冴えない中年男に、臨時働きの女子高校生が惚れる話。
う~ん、そんな話ってあり得るかなあ?
おっさん的にはなんともピンとこない。
だが、現実は人気作品である。
不思議なことではあるけれど。
一定の需要はあるみたいだな。
だからといって、中年男性陣へ急速に春が訪れる訳でもない。
世の中、お話みたいな展開なんてそうそうあり得ないからな。
原作の漫画はかなり売れているそうで、外食産業がかなり熱い眼差しを向けているのだとか。
うちの駆逐艦たちには大人気で、『こいやみ』ごっこにたまに付き合わされる。
どさくさ紛れにおでこや頬っぺたにチューをしてこようとするので、阻止するのが意外と大変だ。
教官たちやメリケン艦たちもやってみたいと言っていたが、たぶん冗談だろう。
航空戦艦とイタリア戦艦がエイっと抱きついた時に身動きが取れなくて、あの時はとても困った。
ああいうのは止めて欲しい。
この間は大淀がトリコロールカラーなバールのようなモノを持ってうろうろしていたけれども、あれはなんだったのだろう?
大本営の広報が函館でのごっこ遊びに興味を示し、マスターオータムクラウドが脚本担当した小噺(こばなし)を撮影されたこともある。
吹雪や島風や叢雲や曙や霞や早霜などが体当たり演技を行い、物理的に彼女たちからぶちかまされた私は中破して一週間ほど病室から出られなくなってしまった。
常に複数の艦娘が室内に詰めていたし、何処から来たのかよくわからない高速戦艦姉妹たちがお茶会を毎日開いてくれた。
比叡の焼いたスコーンは旨かったが、どこの所属なのだろう?
戦艦棲姫や深海棲艦勢がめっちゃあたふたしていて、とても印象的だった。
「ゼロクエバ、ゲンキニナル!」って誰が教えた?
「ズイウン、ズイウンクエ、テイトク!」と口に押し込んではいけないよ。
我が鎮守府も意外と謎が多い。
函館が急襲されたと勘違いした大湊(おおみなと)勢が飛び込んできて、迷惑をかけてしまった。
いやはや。
間桐氏たちが函館へ来る前に治って、本当によかった。
「くくく。愉悦ですよ、愉悦。物語の基幹は愉悦であるべきなのですよ。」
大好物の激辛麻婆豆腐をむしゃむしゃ食べている言峰社長は、上機嫌にさえ見える。
私が連載を始めた、『恋は揺らめく炎のように』の版権を得たからかもしれないな。
異世界に集団召喚された地球人たち。
その中の冴えない中年男を慕う、三人の女子小学生。
甘酸っぱい恋以前の物語が、何故か大受けしている。
うちの鎮守府では『こいほの』と略され、駆逐艦たちから『こいほの』ごっこを時折せがまれる。
無邪気に抱きついてくる駆逐艦たち。
可愛いものだ。
打ち合わせは順調に進み、絵師の手配が済み次第書籍化へ順次着手する模様だ。
打ち合わせは順調に済み、言峰社長は函館市内の北方民族資料館へ行ったり八雲町の
郷土資料館へ行ったりとアイヌの足跡を辿る予定だとか。
精力的な人だ。
ドイチェラント式の本格的な洋菓子店が、比較的鎮守府の近くに出来たという。
巴旦杏(ケルシー)のケーキやバウムクーヘンやビーネンシュティッヒなどのお菓子が店内で食べられるそうだ。
玉葱のパイも旨いという。
赤毛ののっぽさんと金髪碧眼の奥さんが経営しているとかで、若い夫婦の熱愛ぶりも堪能出来るとか。
今度、うちの艦娘たち用に発注してみようか。
書類仕事をしながら室内の第一秘書艦たる大淀及び第二第三第四第五秘書艦たちに話を振ってみたら、何故か全員ガタッと椅子から立ち上がった。
どうやってやるのかわからないが、大淀の眼鏡がピカッと光る。
「それで提督、どなたと食べに行かれるんですか?」
それは、少し低めの声だった。