はこちん!   作:輪音

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CⅩⅩⅩⅧ:夜戦と讃岐と青い空

 

 

東京の池袋。

それは国際魔界地域。

何人もの魔法使い予備軍がここで昇天し、その資格を失うという。

大本営での空虚極まる会議を経て、私はこの不思議な街を訪れた。

旅行鞄を含めた手荷物はロッカーに預け、身軽な姿にチェンジだ。

ちなみに堅苦しい軍服はとっくの前に手洗いで着替え済みである。

 

マンボウを食べることの出来た回転寿司店や喜多方函館筑豊紀州札幌鹿児島尾道など各種ラーメン屋が立ち並んでいた景色は、何軒もの各種婦女子対応型プチアヴァンギャルド系同人誌販売店群やオサレでお高いマスメディア絶讚系ケーキ屋やナチュラルでロハスでエコで少しお高い雑貨店などといった別の色に塗り替えられ、猥雑な雰囲気は行き場を失ったかに見えるヤンキーじみた若者たちがその身にまとうばかりだ。

ホストみたいな脱色イケメン系の男性が、やさしく妙齢のご婦人たちに声をかけている。

キャアキャアと黄色い声をどこからか発する年齢不詳のご婦人たち。

かける方が猟犬なのか、かけられる方が猟犬なのか。

それは明日の朝にならないとわからないのかもしれない。

 

近年は若者たちが徒党を組んでカラーギャングと呼ばれる暴力組織に多く所属し、社会問題になっていた。

やたら怪力のバーテンダーや全身黒タイツの戦闘員たちがしばしば暴れ、一時期は特一級危険地帯として池袋に戒厳令が出たそうな。

解像度の荒い映像がある時期出回っていて今はすべて削除されているが、そこでは革鎧や全身鎧を着てメイスやフレイルやウォーハンマーを振り回している連中やオーガやゴーレムや名状しがたきものみたいなモノ(張りぼてか合成か特殊ななにかだろう)が暴れ回っていた。

真偽論争は今も時たま勃発している。

 

 

それにしても。

腹が、減った。

 

 

「おじ……じゃなくてお兄さん、私と夜戦しない?」

 

埼玉県民御用達との噂もある老舗百貨店に向かおうとしていた私の左腕は細くもしっかりとした腕に掴まれ、なんだと顔を向けると大変可愛らしい娘がそこにいた。

活発な雰囲気の少女だ。

昨今はこういう娘までそういう仕事をしているのか?

そうだとしたら、なんとむごい社会なのであろうか。

 

「おじさんはこれから食事に行くんだ。だから、君の誘いは受けられないよ。」

 

気を使って断りを入れる。

けらけらと笑い始める娘。

そんなにもおかしいかね?

 

「独りきりで寂しく孤独なご飯はつまんないでしょ。私が付き合ってあげる。」

「一人きりには昔から馴れているさ。」

「恰好いいね。なんかハードボイルドって感じがする。よし、じゃあ行こう。」

 

調子が狂うなあ。

 

「おじさんは、エロいことがしたくてこの街に来たんじゃない。」

「私も初めて声をかけただけだから、気にしなくていいんだよ。」

 

なんともはや変わった子だな。

援助なんとかじゃないよなあ?

後で変な男が出てきたりして。

 

「なに食べるつもり?」

「うどんだ。」

「うどん?」

「讃岐うどんだ。」

「讃岐ってどこ?」

「四国の香川県だよ。」

「香川県の隣が岡山県だっけ?」

「そうだ。瀬戸内海を隔てて北側の中国地方にあるのが岡山県、南の四国にあるのが香川県だよ。両県は瀬戸大橋でつながっているんだ。」

「へえ、詳しいね。」

「友人の刀鍛冶が岡山県にいるからさ。」

「じゃあ、その香川県のうどんを食べに行こう!」

「お、おう。」

 

何故か、そういうことになった。

 

 

うどんだ。

私の脳内の皺一本一本は、今や麺の一本一本。

うどんまみれの脳内に熱々のつゆが注がれる。

葱がはらりとかけられ、そのまま口内に運ぶ。

よだれが出てきそうだ。

うどん。

うどん。

私が今食べたいのはうどん。

うどんロードが開かれた。

煌めく麺が我を打つ。

グルテンの力蓄えて。

冷えた天麩羅、汁浸ける。

 

新潟駅構内で食べたうどんのつゆは今一つだったが、それはカツオだしに慣れたら問題ない味わいなのだろう。

うどん。

うどん。

私の心は夏模様。

琴電。

うみ・まち・さとを心とうどんで結ぶことでん。

チリンチリンと涼しい音色が、空虚な胃に響く。

食べたい。

食べたい。

早く食べたい。

気持ちはアートな路面電車。

函館の路面電車も都電荒川線も富山ライトレールも小倉のモノレールも沖縄都市モノレールも、すべてが麺類でつながる。

人類は麺類。

麺類で結ぶ心の愛。

細くも太い愛の糸。

愛こそがすべてを乗り越える強きしるべ。

さあ、グルテンなガルテンに向かうべし!

我が心のゲシュペンストMK-Ⅲよ!

騒乱を呼ぶ嵐の消失の電気騎士よ!

早く速く、かの地に参らせたまへ!

 

 

昔、この百貨店に来た時は店内の食堂街がやたらに混雑していたんだっけ。

あの頃は平和だったなあ。

日本も好景気だったしな。

それで屋上に上がって、独りで讃岐(さぬき)うどんをすすったんだよな。

あの頃から、独りには慣れている。

古く表紙の折れ曲がった薄い詩集と小さく色褪せたノートとちびた傷だらけの鉛筆だけが私のすべて。

 

娘は陽気な性格のようで、引っ込み思案の妹やちゃっかり者の妹の話などをした。

さりげなく腕を絡め体を寄せてくるのでとても困ったが、気にしない気にしないサービスサービスと彼女が言うので気にしないことにした。

少女特有の気まぐれか?

どうも彼女はあっけらかんとした性質らしい。

何故、彼女はあそこで私に話しかけてきたのだろうか?

 

屋上はなんだかオサレなセカイへと変貌していた。

睡蓮の庭?

空中庭園?

なんじゃあ、こりゃあ?

あの青空をおかずに出来たセカイは、どこへ行った?

昭和はこうして、跡形も無く消えてゆく定めらしい。

 

創業以来、半世紀近くこの屋上で手打ちうどんを提供し続けているうどん屋に並んだ。

ちょっとした人の列が出来ている。

娘も私と並んだ。

本気で一緒に食べるつもりらしい。

こんなおっさんと飯を食うだなんて、なんとも酔狂だねえ。

すぐに順番が来た。

回転率のよか店だ。

私はおろしうどん大盛り(七〇〇円に一〇〇円追加)、娘はきつねうどんを頼んだ。

このご時世に良心的な値段だ。

艦娘のお陰で物価が下がりつつあるらしいが、情勢はまだまだ厳しい。

消費税二〇パーセント案を打ち出した内閣は支持率を下げていた。

大泉首相にはもう少し踏ん張って欲しいところだ。

近々函館鎮守府へ視察に行くらしい。

道民としては気になるのだろう。

 

 

おろしうどんは刻み葱(ネギ)に卵に大根おろしに揚げ玉。

本場の讃岐うどんや大阪のうどんだったら素うどんも旨い。

手打ち故の不揃いの麺をハフハフして見知らぬ娘と食べる。

彼女はどういうものか、私の顔をニコニコ眺めつつ食べる。

変な娘だ。

半熟になりつつある卵を箸で崩し、一気に麺をかきこんだ。

 

ここ三年で行方不明者が五〇万人を超えているといった噂がある。

もっといると主張する者さえいた。

幾らなんでも、そんなにいないだろうに。

先程携帯端末に入ってきたニュースを覗くと、行方不明者たちが異世界転移や転生をしているのだと主張する連中の与汰話を取り上げていた。

事実ならば大変なことだ。

事実ならば、ではあるが。

隣にいた娘がなになにそれなにと、ずいぶん馴れ馴れしい様子で私の手元を覗き込んだ。

幾人かの若い男性がおそろしい顔つきで露骨に舌打ちしながら、私の近くを通り過ぎる。

君たち、勘違いしているよ。

おじさんがモテる訳ないじゃないか。

 

 

まだもう少し時間があるので、彼女と共にガラリと変わった庭園を巡った。

フランクフルトを出す店も無くなっていた。

あの威勢のいい若者はどうなったのだろう?

リコーダーの音色が聴こえてきた。

東京都公認の楽隊が演奏している。

眼鏡をかけた髭の男性が笛吹きだ。

 

 

「また会えると思うよ。じゃあね!」

 

池袋駅で彼女と別れる。

彼女の手にはオサレな紙袋。

お礼にケーキを買ったのだ。

話題が豊富で機転の効く娘だった。

変な男に捕まらないことを祈るばかりだ。

ロッカーから手荷物を取り出し、ネオサイタマ行きのホームへ向かう。

ネオサイタマから新幹線に乗って、更に在来線を乗り継いで日本海沿いにある小さな街に行く。

明日の夕方には着けるだろうさ。

大本営から新しい鎮守府へ着任を指示された私は、明日にはそこへ新人提督として到着である。

確か、軽巡洋艦が一名いるのだったか。

気立てのよい娘だったならばいいなあ。

先程まで話をしていたあの子のような。

夜汽車の中で横浜の老舗のシウマイ弁当を堪能しつつ、私はそう思った。

 

 


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