元ネタはSCP-1171(ユークリッド級)です。
函館市内の古い帝政ロシア式建造物にて、幽霊騒ぎが発生した。
事務方の田中さんが真顔で報告してきたので、いささか驚いた。
魔王様にどうにかしてもらった方が、ありがたいのだけれどな。
人のことは人に任せる方針らしい。
……人?
人で解決出来る相手なのだろうか?
妙高先生と足柄の二名を引き連れ、私は早速現場へと向かった。
あれ?
どうして、私が率先して怪異な案件へ向かわねばならないのだ?
変だなあ、と思っている内にポインターは古い屋敷に到着した。
運転手の人工娘がドアを開けてくれる。
やれやれ。
ここまで来たらば行かねばなるまいて。
殺る気に満ちた二名をどうどうと制し、その周囲を回ってみる。
「外観は経年劣化が進んでかなり傷んでいますね。」
私の右腕を束縛する妙高先生が、建物を観察しながら言った。
「人の気配は無しね。足跡も最近のものは無いわ。」
私の左腕をギュッと束縛する足柄が、地面を見ながら呟いた。
「窓に文字が浮かんでいたと聞き及びましたがね。」
「施錠されていますわ。」
「足跡も見えないわね。」
外部の人間の行動ではないのかな?
話題を振り撒いて、関心を起こす?
わからんなあ。
問題が発生したという部屋へ赴く。
かつてはロシア大使館だった建物。
今では古びた、使いようなき建物。
豪華な内装も手入れされぬままだ。
このままでは、いずれ崩壊するな。
「一時期、青年の家として使われていたそうです。」
「その後は、ごくたまに催し物に使われたようね。」
人口が一五万に膨れ上がって現在北海道第二の都市であるとは言え、函館市の財政事情ではこの歴史的建造物を再生するのは難しいかもしれない。
札幌が一〇〇万都市になれば、或いは援助が期待出来るかもしれないが。
以前の繁栄を取り戻せたならば。
現在、八〇万くらいだったかな?
『日本の穀倉地帯』とおだてられても、道民の内実はあまり芳しくない。
いつも都会に利用されてばかり。
とあるドラマの台詞で僻地扱いされたと某市の人々が怒っていたが、内地の都会の人たちからすればそれが偽らざる本音なのだろう。
それが無意識の本音なのだ。
故に、激怒したのだと思う。
まさか、幽霊騒ぎで耳目を集めて再建の資金を集めようとでもいうのか?
まさか。
まさか、そんな……。
「あら? 窓になにか書いてあるわ。」
足柄が私を引っ張り、必然的に我々三名は窓の傍へ行った。
【炭素製の猿は去れ!】
ある意味哲学的な文章が、窓の結露を利用して書かれていた。
「ねえ、提督。私たちも猿なのかしら?」
「これはなにかの隠語なのでしょうか?」
「ちょっこし文章を試してみましょう。」
何故か結露している窓の、既に書かれた文章の下に新しく言葉を書く。
【こんにちは】
すると、少し経ってから両方の文章が消えて新しい言葉が形成される。
【何者だ?】
【はじめまして、私は提督です】
書いてみた。
面白い。
『彼』だか『彼女』だかわからないが、意思疏通を試してみようじゃないか。
【はじめまして、我は(読み取れない)だ】
【お会いできて光栄です】
妙高先生が素早く小型写真機でその名前を撮影した。
後程分析させるつもりなのだろう。
【君はどこにいるのだ?】
【居間です】
【我も居間にいる】
【では、違う居間ですね】
【我は生殖体愛好家と炭素愛好家の群れと共にいる】
【私は信用出来る部下と共にいます】
妙高先生、足柄、ちょっと力をゆるめて!
近い、近いよ。
【君は何故ここにいるのだ?】
【人間を教えてもらいたくて】
悪戯心で聞いてみた。
【人間だと? 人間はそちらにいないのか?】
【いませんね】
私は一応人間だが、艦娘は人間ではないし、ポインターを運転している娘も人間ではない。
まあ、細かいことはさておこう。
【人間は薄い皮膚に包まれて赤い血の流れる最低の連中だが、我の親しい友人にも人間は存在する】
【私の友人にも人間はいます】
うん、これは嘘ではない。
【我の姿は至って平均的で、七つの高い巻き髭、茶色の甲羅、全身は緑色に光り、瞳は青いが、君はどうだね?】
【同じですよ】
妙高先生が無言で撮影する。
足柄も興味深そうな感じだ。
【たかだか言葉を少し覚えた小器用な原始生物が、我の昇進を妨げ安寧を揺るがす】
【お察しします】
昇進があるんだ。
階級社会なのか?
それとも、管理社会なのか?
案外会社組織だったりして。
軍隊組織だったら少し厭だ。
【懸命に真面目に働く我々を人間は駆逐するつもりかもしれないが、それが深刻化するならば奴らに相応の代価を払わせるべきだろう】
【そうならないことを祈りますよ】
ホント、それは勘弁して欲しい。
【我は隣人が増えてもかまわないと考えるが、我の娘たちやその友らをめとるつもりはないかね?】
【素晴らしいご提案ですが、ご遠慮しておきます】
痛い、痛い!
両名とも痛いやん!
やめてチョーよっ!
【君は人間と親しいかね?】
【それほどでもありませんが、少しは親しいですよ】
【人間には我々が支配者であることを知らしめねばならない】
【まったくその通りです】
【奴らには正当な扱いを与えなくてはならない】
【心に留めておきます】
【ところで、君はどれくらいの群れを率いているのだ?】
【およそ五〇名です】
艦娘や事務方などを含むとそれくらいだ。
【そんなに妻子がいる仲間と会えて嬉しく思う】
【ありがとうございます】
しまった!
そっちか!
痛い! 痛い!
そんなに締め付けないで!
【では、また会おう】
【はい、ご機嫌よう】
高次生命体らしき存在との交信を終えてホッとしていたら、両脇にいた重巡洋艦の艦娘たちがひそひそと我が背中でなにやら話をしていた。
第一夫人がどうとか、第二夫人がどうとか聞こえるが、聞き違いに相違あるまいて。
「一旦帰りましょう。」
そう言った。
それからおよそ半月後、歴史ある帝政ロシア時代の建造物は函館鎮守府の所有物に決まった。
私は時折、『彼』だか『彼女』だかと窓の結露を通じて文章のやり取りしている。